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日露戦争語るのにナポレオンまで遡るとは…おかげで開戦に至った経緯がめっちゃ理解しやすかった
かや達郎
【ふとうこう】、昔はロシア今ゆたぼん。
いまも
誰がうまいこと言えと😂
草
その心は?「中がスカスカです」
うますぎる
日露戦争でイギリスはバルチック艦隊に対して母国の漁船を誤射されたドッカーバンク事件でぶち切れてイギリス領の港を封鎖したり様々な嫌がらせをしたりして日本を援護しました。
スエズ運河も通せんぼしてバルチック艦隊に世界一周旅行を強いたのも、イギリスらしい嫌がらせ
お陰でバルチック艦隊は、沖縄 台湾沖に到着した時点で、フラフラのヨレヨレです
何でロシアはイギリスに日本の船があると思ったんだよ…
何か今のロシア軍と同じようなことやってるな
ロシア🇷🇺は、 ロシアにとって、イギリスは、目の上のたんこぶはこの事だろうか ?😮
ちなみにWW1後に日露戦争の戦闘詳報を読んだヨーロッパの将軍たちは「東洋の片田舎での戦闘と侮らずにこれを読んでいたら、この大戦でこんなに被害を出さずに済んだのに」と後悔したそうな。
ガチガチに機関銃で固められた近代要塞の攻略法なんて、当時の日本だけでなく世界中のどんな国も知らないので、旅順攻略の犠牲は成果だけをみればむしろ少ないと思う。
黒鳩は、欧州最強の陸軍をもってしても難攻不落の旅順を落とすのに数年はかかる(あやふや)、と言っていたので半年足らずで落としたのは本当にすごいことですよね。
よくわかりました。戦争に勝つのも、停戦条件も、また世界を動かすのもタイミングがあるということですね。
この簡潔な解説を歴史(現代史)の授業で纏めて流して欲しい。全て日本が正しいとは言わないが植民地支配に対してアジア人が立ち上がるきっかけなった事を
感情的にならずに淡々と事実を説明しながらも飽きさせない良い動画だと思う。登録しました。
結構間違い多いけどね例えば、清の列強分割は日清戦争がきっかけというより、三国干渉がきっかけ。清が弱い事はアヘン戦争、アロー戦争で十分周知されてた。日露戦争開戦までの経過を理解するのに重要な、日露間の交渉や相互の誤解についても全て省かれてる。この動画だけだとロシアは極東を重視してたように感じるかもしれないけど、実際の優先順位はほぼ最下位。ヴィッテらは極東からに撤兵を主張してた。他にも色々あるけど、長くなりすぎるから上にあげたいくつかの誤りだけで留めとくね。なんというか、わかりやすさのために正確性を犠牲にした本の内容をそのまま鵜呑みにしてる感じ。
@@ああああ-j2y22:50ここらへんの注意事項ちゃんと読みましたか?そんな頭っから否定するような言い方されなくてもいいと思うのですが…歴史を完璧に把握してる人なんてこの世には1人もいませんよ
@@ああああ-j2yでたでた
最近こちらの動画を知り、いくつか見ていますが、短い時間に良くこれだけの情報を手際よく解説できるものと感銘を受けます。日清戦争前の朝鮮半島情勢をコンパクトに伝えてくれてるのがとても良いです。
「東方を征服せよ」という名前がついた大都市が、今でも新潟の対岸にあるなんて、怖すぎる。
まあ日本中に「ロシアを征服する」という名前の薬が売ってる訳で
旅順攻囲戦に関して、近代要塞攻囲戦の経験は当時は日本どころか世界中でも例がありません。観戦武官達は日本軍がどう戦うかを見に来て、あらゆる戦術と兵士たちの献身、戦闘の激しさと悲惨さを目の当たりにして、その有様に批判的な感情を感じはしますが、当の自分もそれ以外の戦術を思いつけくことができないとしています。旅順攻囲戦は突撃だけというわけではありません、日本側は持てうるありったけの攻城砲、山砲、擲射砲、沿岸砲まで動員して撃ちまくり、塹壕を掘り進め、坑道戦で陣地を地盤ごと吹き飛ばし、夜間浸透を行い、気球を使った偵察までやっているのです。それでも結局、要塞が降伏したのは要塞側の兵力が大きく減少してしまったのが大きいです。要塞を占領するには突撃は重要ですが、それ以上に事前の砲爆撃や坑道戦が重要なのです。観戦武官達は母国には最大限の警告を報告しますが、当時の列強はそれを極東の稀有な事例として処理し、第一次世界大戦で旅順攻囲戦をはるかに上回る犠牲を出すことになりました。
旅順要塞では15000人死んだが(そのうち半分は脚気で病死)、第一次大戦のヴェルダン要塞では1回の突撃で30分で10万人戦死しました。
旅順攻囲戦が極東の稀有な事例とされた背景には、日露戦争の半世紀ほど前のクリミア戦争(英・仏・トルコ等VSロシア)時に起きた、ロシア軍の立て籠もるセヴァストポリ要塞攻囲戦で、ロシアの砲が英仏より射程が短かったという攻撃側が有利な状況にもかかわらず、要塞を陥落させるのに一年かかったことと比較されたせいだと思われます。※旅順要塞はロシアより更に後進国の日本が四つに分けた軍の一つによって半年もかからず落とされました。
イギリスもアメリカも最初は全然金出さなかったんだよね。連戦連勝し出したから急に金出すようになった。もちろん膨大な利子付きで。
ロシア兵士「満州ってどこだよ?清ってどこ?日本って何?」当然士気も低く、おまけに国力の源泉は1万キロ離れた欧州、国内は元々不穏分子だらけ戦争やってる場合じゃないロシアが、日本の外交意図を読み違え、ロシア政府は望まぬ戦争に(ロシア視点)
日本には日露戦争を継続する余力は無くなっていたからアメリカに仲介を頼んで日本に有利な条件で講和したと聞いていた、しかし日本の国民には勝ったとだけ言って詳しい事情は伝えて無かったから、日本国内では政府の弱腰と仲介のアメリカに対して反感が高まった日露戦争の軍事費は莫大な借金だったと聞いていた。
旅順攻囲戦での話しは司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」で乃木大将を突撃バカの愚将に、その対比で児玉を名将として書いていて戦後かなりそういうイメージがついちゃっていたのだけどあとで調べてみたらそうでもなかったわ…… みたいなのがあってなあ。日露ネタや幕末ネタで司馬さんから歴史学んだマンはかなり多いし面白いから。歴史「小説」なんだよな、あくまで。
司馬遼太郎の創作小説をそのまま真に受け歴史の真実って思ってしまう人が多いんですよね、それだけ小説としては素晴らしい出来だと言う事でも有るんですが…何でも小説を書くにあたって徹底的に資料を読み込んで創作するお人なので神保町の在庫が変わるって評された方ですので、悪く言うと騙されちゃうんでしょうね。
@@グフ次郎 仰る通りです。坂の上の雲のあたりのネタやると司馬センセーに騙されたー、っていう人がかなり居るよー(騙されたっていうのもおかしいですが)というような話しでした。かくいう私も最初はそう思ってしまったり。凄いですね、司馬センセー
新しいゆっくり歴史解説だなこれからも期待してます!
なんだろう…上手く言えないけれど、すっと頭に入ってくる。他の歴史動画とはそこが一番違う。
とても分かりやすいから、これからもよろしくお願いします🤲
大局的な観点で非常に有用な動画ですね。学校の授業に持ってこいと思います。個人的には、旅順(203高地)攻略戦~日本海海戦、特にバルチック艦隊の疲弊の度合いなどをクローズアップしたものを見てみたい。
後者は動画でました
ロシアは不凍港というより外洋に面した港が欲しかったんじゃないか?ロシアの港って全て北極海、バルト海、黒海、ベーリング海、オホーツク海、日本海に面してて、これじゃたとえ冬に凍らなくても不自由ったらない
分かりやすい!チャンネル登録しました!
夏目漱石の作品を読んでると戦争しても戦争しても国民は全然豊かにならない当時の無力感が伝わってくる。
17:12遠路はるばるバルト海
ロシアが賠償金拒んだ件でアメリカの助言で樺太の半分取れとあったと聞いた、助言がなかったら樺太取りに行く発想もなかったと思うしアメリカ、イギリスの後押しあったからこそ樺太半分侵略出来たと思う。
旅順は当時の欧州の常識からすると、驚くほどの短期間・小被害で陥落させたと捉えられたんだが何より、日露戦争を見ていたはずの欧州列強は、後の第一次世界大戦で防衛線の正面に歩兵を突撃させて、日露戦争の死者など霞んでしまう、数十万人の死者を積み上げる事になる
説明が上手い
11:40 当時清はアジアの眠れる獅子って言われてたけど、最後まで眠ったままだったってやつですね。
眠ったままっていうよりもともと大して強くなかった
@@うほうほごりら-v1x 昔は世界一の超大国だった
眠れる豚ね。
オレの曽じいさんは日露戦争に従軍していた。爺さんからの口伝えに聞いた話しでは旅順要塞攻略から奉天会戦に転戦し、そして無事に生き残って帰ってきたと、色々と勇ましい話しや艶っぽい話まで眠り付くまでの時間を過ごした。そしてオレんちの実家の神棚には、乃木希典将軍と曽じいさんと数人の記念撮影写真が家宝として鎮座されている。
質問失礼します。 司馬遼太郎の「坂の上の雲」に、「旅順攻囲戦が終わった直後、うれしさの余りロシア軍と日本軍の兵士同士が肩を組んで喜び合った」といった事が書かれていたのですが、このような事を聞かれましたか?どうもこの作者の語る事は諸々信じられないんですよ。
@@新田小太郎-y7dさん返事が大変遅くなりました。その曾祖父が後年新聞に連載された『坂の上の雲』を読んだ時、手をワナワナト震わせながら『戦場を知らないモンが書く、こんなモンはウソっぱちだ💢』と相当に激昂してしたそうです😊 まぁ~ウチの曽じぃさんに言われると、乃木将軍は勿論、伊地知参謀も神様以上の存在だったからね。ちなみに小説の中で、無能扱いされた伊地知参謀は戦後に軍功として男爵に授けられているし、ウチの曽じぃさんも、そのお零れか『金鵄勲章 功4級』を戴き死ぬまで恩給ももらっているから、やっぱり司馬史観とかいうのは作者の勝手な思い込みの創作と私は思っていますよ。
@@orange-badboyclub さん曾祖父さんは立派な方ですね。私もあの本には事実に主観が混じっているなと感じることがあります。最後になりましたが、返信、貴重な体験談をありがとうございました。
普通に勉強になる
ちなみに日本は、戦後、1980年代まで日露戦争の為に借入した資金を当時の同盟国に返済してた模様。
まさにジャンクボンドですね。
三国干渉の後の、英国の勢力圏を見ると、蒋介石が何故、重慶に行ったかが想像し易いですね。援蒋ルート的にも。地図を使った説明の良さを、とても感じております。
17:12 遠路はるばるバルト海……に反応してしまった
ここまで詳しい情報感謝します。うわさの域ですが戦費の大部分を欧州の交渉に充てたと聞いています。
この流れで大東亜会議につながっていたとは。。。
当時の金額で17億円一節には現代の17兆円にあたる金額だそうだ
日露戦争を説明するためには日清戦争を説明しなければならず、そのために清やロシアの状況を説明する必要がある。まさしく各国の歴史はつながってるんだなと。でつながった歴史が交わった所に戦争が起きてるんだなと思った。各国の用語しか知らない細かい出来事が理解できたときはパズルがはまったみたいで楽しい。
わかりやすい
地政学まじ重要!!
この戦争によって、陸軍記念日(3月10日)、海軍記念(5月27日)が生まれました。なお、最後の陸具記念日である皇紀2605年(昭和20年、西暦1955年)3月10日に東京大空襲月起こりました。陸軍記念日(3/10) 1905年(明治38年)のこの日、日露戦争の陸の決戦・奉天会戦で日本軍が勝利し、旧満州(中国東北地方)の奉天(現:瀋陽)を占領した。 これを記念して翌年から「陸軍記念日」となり、この日には記念式典など各種の記念行事が行われ、軍国主義を鼓吹する場となった。1906年(明治39年)~1945年(昭和20年)の間は祝日であったが、第二次世界大戦後に廃止された。海軍記念日(5/10) 1905 年5 月27 日に行われた日本海海戦を記念して制定された。 1945 年を最後に、日本の太平洋戦争敗戦により廃止された。 日露戦争は、アジアの小国日本が白色人種の欧州の大国ロシアに初めて勝利を収めた。その中でも、遠路ヨーロッパ・バルト海から回航された強力なバルチック艦隊(ロシア名:第2・第3 太平洋艦隊)を迎え撃ち、これを撃滅した日本海海戦(ロシア名:ツシマ海戦)は、陸上での奉天会戦の勝利(陸軍記念日)と並んで日本国民が記念すべき日とされ、海軍記念日として祝われた。😊
バルチック艦隊の敗因→フジツボ
日露戦争といい大東亜戦争といい、アジア植民地解放のきっかけを作った日本は再評価されるべき。
わかりやすくていい。ありがとう。
わかりやすくて、ためになるチャンネル登録しました
なんかこれ、今のウクライナ戦争の状況に似てるなぁ…
学びになったぜ
ポチョムキンでモンモンモン思い出したわ。
今も昔も人間の欲が大規模になってぶつかっていくんだなぁ
5:16 の絵を初めて見ましたが、この面子に榎本さんがいるのに驚きました西郷さんなどいるので征韓論当時ぐらいだと思いますが、何の会議だろう・・・
日英同盟による大英帝国のアシストがでかい。
そもそもイギリスとロシアの対立に日本が勝手に巻き込まれたわけだから、そりゃあ日本を支援するのが筋ですわな。
日露戦争は、我が国の戦死者80,000人だがそのうち28、000人が脚気が原因の戦病死だった。なお海軍はイギリス式の食事を採用していたため脚気による死者は、皆無だった。陸軍の軍医森林太郎(森鴎外)が海軍側の忠告を、聞かなかった為に敵と戦う前に脚気で死んでしまった。もう少し責任者が柔軟な人だったら28、000人も亡くなることはなかったと思われる。戦争には勝ったが脚気には勝てなかったです。
森氏は、脚気予防のために米8割麦2割のご飯を軍に提供する事にキレたんでしたっけ。「国の為に戦ってくれる軍人さんに100%の米飯を食べさせないなど許さん!」と言って。まさか味方に、それも軍医に背中を打たれるとは日本軍も思ってはいなかったと…
非常にわかりやすく高校生時代に戻った印象さえあります。満州ではなく、満洲とあると、良かった。
なんか、共産主義の起点に日本大きく関与してるよな。ロシアといい、中国といい。
諸星渉先に領土拡大を果たした大英帝国やフランススペインなどに対し、新興工業国の日本、ドイツ、アメリカの周辺には戦力の空白地帯が発生しやすかったと思う。大国間の牽制合戦の産物
日露戦争の公債を償還し終えたのは、昭和の終わりころだそうな
よくもこんな紙くず債券を買ってくれたよな。
@@sayaandmasa 当時、債権を返済しない国が当たり前で、日本が愚直に返済し終えたことで、日本に対する信頼が増したということです
ロシアは常に外へ出ると負ける。技術や他国の勢いなど、「時期尚早」か「時すでに遅し」かもあるし、欧州・中国・日本・アメリカ全てに反発し、警戒されていた。逆に、無駄に広い国土と寒さから、ロシア領内への侵攻には強い。焦土作戦が容易にできるのも、領土資産が薄く広いから。
クリミア、日露、冷戦、ウクライナ、確かに侵略戦争は失敗ばかりだね
今の若者はこうゆう動画観るんかな?学ぶべきやと思います。
クリミア戦争の箇所でスエズ運河の話が出ますが、この時期はまだ着工していないです。クリミア戦争は1853-56年、スエズ運河着工は1859年で1869年竣工です。スエズ運河会社設立の動きはこの戦争中からすでにあったようなので、あながち間違いではないかと思いますが、時系列的には誤解が生じてしまうかもしれません。
21:04 オムラじゃなくコムラですよーと指摘しようとしたらルビ振ってたのに気づきました😅
ムルマンスクの北海艦隊を夏の間に砕氷艦を先頭にしてベーリング海に送れなかったのかな?
運行費だけでパンクしちゃうよ
日朝修好条規を結んだ当時の朝鮮は清の属国であり、清と対等な条約を結んだ手前、朝鮮と対等な条約を結ぶことは外交的に適切ではなく、日本の意志とは関係なくそうせざるを得なかったという見方が一般的ではないでしょうか。
明石大佐の功績も可能ならとりあげて欲しかった😂
おつつでしたー。前振りがながいかもですなー(^^ 事実上の日露戦争というより日清戦争の解説動画になってしまった(^^
今ロシアがやってるのもこの時代からやってることと同じだよ。ずーっと
遠路はるばるバルト海……すき
新しい解釈だな
日露戦争の世界史上の評価は、まさに「驚天動地の新時代が始まった」だ。たとえイギリス世界戦略の後ろ盾が有ったとしてもだ。20世紀はまさに欧米に挑戦する日本の時代だった。日本こそ西欧近代をひっくり返した主役。
明治期国土防衛史という10450円する専門書がありますがより実情を、更に言えば日本軍の根本的な考えの転換を理解する一助になる貴重な本があるので是非。出版社は戦前から軍事関連の本を出している錦正社です。教育勅語入門など。、
小・中学校の歴史でゆっくり解説を教材にしたいな 江戸時代が突然終わり途端に日本は欧米列強の的になった 欧米列強の植民地支配を極東の土壇場で踏ん張った日本はよくやったよね でもドイツやイタリアと組んで世界相手にボロボロになるまで戦って負けたのは頂けない
アフリカにおいては、何処情報で日本の事をしったかだよな
日本郵船や三井物産、鈴木商店などがケープタウンやサイゴンなどにありましたからね。寄港したら筒抜けです。
@@sayaandmasa なるほど。
金子賢太郎の話とか入れなかったのね?
この当時、南樺太って日本の領土だった気が…
ちなみに、アメリカから戦費の調達をして、その後の支援も得られたことから三国同盟だったのが今の通説です。
3:47 つまりまたウクライナ戦争でクリミアをウクライナに奪還されたあと日本攻めてきそう
園路はるばるバルト海
ロシアが二流国になった後、日本はいち早く北方四島でロシアと和平協定を結び、米国の目撃で回避したロシアは再び強大になった。
17:17 写真に台湾が日本の一部として含まれていないのは間違っている。 日本政府はロシアの台湾攻撃を心配して苗栗にいくつもの砦を築いたが、その後ロシアは台湾の東側を通過したため、これらの砦は使われなかった。 にもかかわらず、台湾は日本がロシア艦隊を観察するのを助けたので、日本は迅速に対応することができ、日本は勝利することができた。島民全体が「万歳」を叫び、後に苗栗には日露戦争勝利の記念碑が建てられたが、台湾人として、これらのことが忘れられてしまったことをとても悲しくかなと思う。
台湾の東側を通過したのを観察するのに協力してたって事??なんか文章の時系列がよく分からない感じになってるけど、、、?
乃木大将だっけ?日露戦争で、息子さん亡くしてるの
英国の資本と技術力でロシアを破った戦争
古参アピしとこ
ロシアと揉めだしたキッカケは何でした?大津事件ですか?それだけですか?
何の資料を参考にしたか知らないけど、細かい所で偏ってない?
どうなんだろうね。負けていた方がその後日本が大陸に進出しないで結果的に良かったとか。
結局、日露戦争は戦勝国でありながら手にするモノは殆ど何も無いどころか、返って広い意味で国力を激しく衰退させてしまっただけの戦争だったのか………こういうのを戦勝国というのか?
ロシアを倒したことで5大国末席の地位を占めました。また重工業に力を入れた結果、工業が発達し第一次大戦でぼろもうけしました。
前から気になっていたけど、世論をよろんと読み上げるように辞書登録して欲しい。頻出単語だから気になる
せろんでも間違いじゃなくない?
朝鮮はロシアにくれてやったら良かったのにな。
ロシア帝国、国旗違わね?
新参アピ
清可哀想😢
日露戦争語るのにナポレオンまで遡るとは…
おかげで開戦に至った経緯がめっちゃ理解しやすかった
かや達郎
【ふとうこう】、昔はロシア今ゆたぼん。
いまも
誰がうまいこと言えと😂
草
その心は?
「中がスカスカです」
うますぎる
日露戦争でイギリスはバルチック艦隊に対して母国の漁船を誤射されたドッカーバンク事件でぶち切れてイギリス領の港を封鎖したり様々な嫌がらせをしたりして日本を援護しました。
スエズ運河も通せんぼしてバルチック艦隊に世界一周旅行を強いたのも、イギリスらしい嫌がらせ
お陰でバルチック艦隊は、沖縄 台湾沖に到着した時点で、フラフラのヨレヨレです
何でロシアはイギリスに日本の船があると思ったんだよ…
何か今のロシア軍と同じようなことやってるな
ロシア🇷🇺は、 ロシアにとって、イギリスは、目の上のたんこぶはこの事だろうか ?😮
ちなみにWW1後に日露戦争の戦闘詳報を読んだヨーロッパの将軍たちは
「東洋の片田舎での戦闘と侮らずにこれを読んでいたら、この大戦でこんなに被害を出さずに済んだのに」
と後悔したそうな。
ガチガチに機関銃で固められた近代要塞の攻略法なんて、当時の日本だけでなく世界中のどんな国も知らないので、旅順攻略の犠牲は成果だけをみればむしろ少ないと思う。
黒鳩は、欧州最強の陸軍をもってしても難攻不落の旅順を落とすのに数年はかかる(あやふや)、と言っていたので半年足らずで落としたのは本当にすごいことですよね。
よくわかりました。
戦争に勝つのも、停戦条件も、また世界を動かすのもタイミングがあるということですね。
この簡潔な解説を歴史(現代史)の授業で纏めて流して欲しい。全て日本が正しいとは言わないが
植民地支配に対してアジア人が立ち上がるきっかけなった事を
感情的にならずに淡々と事実を説明しながらも飽きさせない良い動画だと思う。登録しました。
結構間違い多いけどね
例えば、清の列強分割は日清戦争がきっかけというより、三国干渉がきっかけ。清が弱い事はアヘン戦争、アロー戦争で十分周知されてた。
日露戦争開戦までの経過を理解するのに重要な、日露間の交渉や相互の誤解についても全て省かれてる。この動画だけだとロシアは極東を重視してたように感じるかもしれないけど、実際の優先順位はほぼ最下位。ヴィッテらは極東からに撤兵を主張してた。
他にも色々あるけど、長くなりすぎるから上にあげたいくつかの誤りだけで留めとくね。
なんというか、わかりやすさのために正確性を犠牲にした本の内容をそのまま鵜呑みにしてる感じ。
@@ああああ-j2y22:50ここらへんの注意事項ちゃんと読みましたか?
そんな頭っから否定するような言い方されなくてもいいと思うのですが…
歴史を完璧に把握してる人なんてこの世には1人もいませんよ
@@ああああ-j2yでたでた
最近こちらの動画を知り、いくつか見ていますが、短い時間に良くこれだけの情報を手際よく解説できるものと感銘を受けます。日清戦争前の朝鮮半島情勢をコンパクトに伝えてくれてるのがとても良いです。
「東方を征服せよ」という名前がついた大都市が、今でも新潟の対岸にあるなんて、怖すぎる。
まあ日本中に「ロシアを征服する」という名前の薬が売ってる訳で
旅順攻囲戦に関して、近代要塞攻囲戦の経験は当時は日本どころか世界中でも例がありません。
観戦武官達は日本軍がどう戦うかを見に来て、あらゆる戦術と兵士たちの献身、戦闘の激しさと悲惨さを目の当たりにして、その有様に批判的な感情を感じはしますが、当の自分もそれ以外の戦術を思いつけくことができないとしています。
旅順攻囲戦は突撃だけというわけではありません、日本側は持てうるありったけの攻城砲、山砲、擲射砲、沿岸砲まで動員して撃ちまくり、塹壕を掘り進め、坑道戦で陣地を地盤ごと吹き飛ばし、夜間浸透を行い、気球を使った偵察までやっているのです。
それでも結局、要塞が降伏したのは要塞側の兵力が大きく減少してしまったのが大きいです。
要塞を占領するには突撃は重要ですが、それ以上に事前の砲爆撃や坑道戦が重要なのです。
観戦武官達は母国には最大限の警告を報告しますが、当時の列強はそれを極東の稀有な事例として処理し、第一次世界大戦で旅順攻囲戦をはるかに上回る犠牲を出すことになりました。
旅順要塞では15000人死んだが(そのうち半分は脚気で病死)、第一次大戦のヴェルダン要塞では1回の突撃で30分で10万人戦死しました。
旅順攻囲戦が極東の稀有な事例とされた背景には、
日露戦争の半世紀ほど前のクリミア戦争(英・仏・トルコ等VSロシア)時に起きた、ロシア軍の立て籠もるセヴァストポリ要塞攻囲戦で、ロシアの砲が英仏より射程が短かったという攻撃側が有利な状況にもかかわらず、要塞を陥落させるのに一年かかったことと比較されたせいだと思われます。
※旅順要塞はロシアより更に後進国の日本が四つに分けた軍の一つによって半年もかからず落とされました。
イギリスもアメリカも最初は全然金出さなかったんだよね。連戦連勝し出したから急に金出すようになった。もちろん膨大な利子付きで。
ロシア兵士「満州ってどこだよ?清ってどこ?日本って何?」
当然士気も低く、おまけに国力の源泉は1万キロ離れた欧州、国内は元々不穏分子だらけ
戦争やってる場合じゃないロシア
が、日本の外交意図を読み違え、ロシア政府は望まぬ戦争に(ロシア視点)
日本には日露戦争を継続する余力は無くなっていたからアメリカに仲介を頼んで日本に有利な条件で講和したと聞いていた、しかし日本の国民には勝ったとだけ言って詳しい事情は伝えて無かったから、日本国内では政府の弱腰と仲介のアメリカに対して反感が高まった日露戦争の軍事費は莫大な借金だったと聞いていた。
旅順攻囲戦での話しは司馬遼太郎氏が「坂の上の雲」で乃木大将を突撃バカの愚将に、その対比で児玉を名将として書いていて戦後かなりそういうイメージがついちゃっていたのだけどあとで調べてみたらそうでもなかったわ…… みたいなのがあってなあ。日露ネタや幕末ネタで司馬さんから歴史学んだマンはかなり多いし面白いから。歴史「小説」なんだよな、あくまで。
司馬遼太郎の創作小説をそのまま真に受け歴史の真実って思ってしまう人が多いんですよね、それだけ小説としては素晴らしい出来だと言う事でも有るんですが…
何でも小説を書くにあたって徹底的に資料を読み込んで創作するお人なので神保町の在庫が変わるって評された方ですので、悪く言うと騙されちゃうんでしょうね。
@@グフ次郎 仰る通りです。坂の上の雲のあたりのネタやると司馬センセーに騙されたー、っていう人がかなり居るよー(騙されたっていうのもおかしいですが)というような話しでした。かくいう私も最初はそう思ってしまったり。凄いですね、司馬センセー
新しいゆっくり歴史解説だな
これからも期待してます!
なんだろう…上手く言えないけれど、すっと頭に入ってくる。
他の歴史動画とはそこが一番違う。
とても分かりやすいから、これからもよろしくお願いします🤲
大局的な観点で非常に有用な動画ですね。
学校の授業に持ってこいと思います。
個人的には、旅順(203高地)攻略戦~日本海海戦、特にバルチック艦隊の疲弊の度合いなどを
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後者は動画でました
ロシアは不凍港というより外洋に面した港が欲しかったんじゃないか?
ロシアの港って全て北極海、バルト海、黒海、ベーリング海、オホーツク海、日本海に面してて、
これじゃたとえ冬に凍らなくても不自由ったらない
分かりやすい!チャンネル登録しました!
夏目漱石の作品を読んでると戦争しても戦争しても国民は全然豊かにならない当時の無力感が伝わってくる。
17:12遠路はるばるバルト海
ロシアが賠償金拒んだ件でアメリカの助言で樺太の半分取れとあったと聞いた、助言がなかったら樺太取りに行く発想もなかったと思うしアメリカ、イギリスの後押しあったからこそ樺太半分侵略出来たと思う。
旅順は当時の欧州の常識からすると、驚くほどの短期間・小被害で陥落させたと捉えられたんだが
何より、日露戦争を見ていたはずの欧州列強は、後の第一次世界大戦で防衛線の正面に歩兵を突撃させて、
日露戦争の死者など霞んでしまう、数十万人の死者を積み上げる事になる
説明が上手い
11:40 当時清はアジアの眠れる獅子って言われてたけど、最後まで眠ったままだったってやつですね。
眠ったままっていうよりもともと大して強くなかった
@@うほうほごりら-v1x 昔は世界一の超大国だった
眠れる豚ね。
オレの曽じいさんは日露戦争に従軍していた。爺さんからの口伝えに聞いた話しでは旅順要塞攻略から奉天会戦に転戦し、そして無事に生き残って帰ってきたと、色々と勇ましい話しや艶っぽい話まで眠り付くまでの時間を過ごした。そしてオレんちの実家の神棚には、乃木希典将軍と曽じいさんと数人の記念撮影写真が家宝として鎮座されている。
質問失礼します。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」に、「旅順攻囲戦が終わった直後、うれしさの余りロシア軍と日本軍の兵士同士が肩を組んで喜び合った」といった事が書かれていたのですが、このような事を聞かれましたか?どうもこの作者の語る事は諸々信じられないんですよ。
@@新田小太郎-y7dさん
返事が大変遅くなりました。その曾祖父が後年新聞に連載された『坂の上の雲』を読んだ時、手をワナワナト震わせながら『戦場を知らないモンが書く、こんなモンはウソっぱちだ💢』と相当に激昂してしたそうです😊 まぁ~ウチの曽じぃさんに言われると、乃木将軍は勿論、伊地知参謀も神様以上の存在だったからね。ちなみに小説の中で、無能扱いされた伊地知参謀は戦後に軍功として男爵に授けられているし、ウチの曽じぃさんも、そのお零れか『金鵄勲章 功4級』を戴き死ぬまで恩給ももらっているから、やっぱり司馬史観とかいうのは作者の勝手な思い込みの創作と私は思っていますよ。
@@orange-badboyclub さん
曾祖父さんは立派な方ですね。私もあの本には事実に主観が混じっているなと感じることがあります。最後になりましたが、返信、貴重な体験談をありがとうございました。
普通に勉強になる
ちなみに日本は、戦後、1980年代まで日露戦争の為に借入した資金を当時の同盟国に返済してた模様。
まさにジャンクボンドですね。
三国干渉の後の、英国の勢力圏を見ると、蒋介石が何故、重慶に行ったかが想像し易いですね。援蒋ルート的にも。
地図を使った説明の良さを、とても感じております。
17:12 遠路はるばるバルト海
……に反応してしまった
ここまで詳しい情報感謝します。
うわさの域ですが戦費の大部分を欧州の交渉に充てたと聞いています。
この流れで大東亜会議につながっていたとは。。。
当時の金額で17億円
一節には現代の17兆円にあたる金額だそうだ
日露戦争を説明するためには日清戦争を説明しなければならず、そのために清やロシアの状況を説明する必要がある。
まさしく各国の歴史はつながってるんだなと。でつながった歴史が交わった所に戦争が起きてるんだなと思った。
各国の用語しか知らない細かい出来事が理解できたときはパズルがはまったみたいで
楽しい。
わかりやすい
地政学まじ重要!!
この戦争によって、陸軍記念日(3月10日)、海軍記念(5月27日)が生まれました。
なお、最後の陸具記念日である皇紀2605年(昭和20年、西暦1955年)3月10日に東京大空襲月起こりました。
陸軍記念日(3/10)
1905年(明治38年)のこの日、日露戦争の陸の決戦・奉天会戦で日本軍が勝利し、旧満州(中国東北地方)の奉天(現:瀋陽)を占領した。
これを記念して翌年から「陸軍記念日」となり、この日には記念式典など各種の記念行事が行われ、軍国主義を鼓吹する場となった。1906年(明治39年)~1945年(昭和20年)の間は祝日であったが、第二次世界大戦後に廃止された。
海軍記念日(5/10)
1905 年5 月27 日に行われた日本海海戦を記念して制定された。
1945 年を最後に、日本の太平洋戦争敗戦により廃止された。
日露戦争は、アジアの小国日本が白色人種の欧州の大国ロシアに初めて勝利を収めた。その中でも、遠路ヨーロッパ・バルト海から回航された強力なバルチック艦隊(ロシア名:第2・第3 太平洋艦隊)を迎え撃ち、これを撃滅した日本海海戦(ロシア名:ツシマ海戦)は、陸上での奉天会戦の勝利(陸軍記念日)と並んで日本国民が記念すべき日とされ、海軍記念日として祝われた。😊
バルチック艦隊の敗因→フジツボ
日露戦争といい大東亜戦争といい、アジア植民地解放のきっかけを作った日本は再評価されるべき。
わかりやすくていい。
ありがとう。
わかりやすくて、ためになる
チャンネル登録しました
なんかこれ、今のウクライナ戦争の状況に似てるなぁ…
学びになったぜ
ポチョムキンでモンモンモン思い出したわ。
今も昔も人間の欲が大規模になってぶつかっていくんだなぁ
5:16 の絵を初めて見ましたが、この面子に榎本さんがいるのに驚きました
西郷さんなどいるので征韓論当時ぐらいだと思いますが、何の会議だろう・・・
日英同盟による大英帝国のアシストがでかい。
そもそもイギリスとロシアの対立に日本が勝手に巻き込まれたわけだから、そりゃあ日本を支援するのが筋ですわな。
日露戦争は、我が国の戦死者80,000人だがそのうち28、000人が脚気が原因の戦病死だった。なお海軍はイギリス式の食事を採用していたため脚気による死者は、皆無だった。陸軍の軍医森林太郎(森鴎外)が海軍側の忠告を、聞かなかった為に敵と戦う前に脚気で死んでしまった。もう少し責任者が柔軟な人だったら28、000人も亡くなることはなかったと思われる。戦争には勝ったが脚気には勝てなかったです。
森氏は、脚気予防のために米8割麦2割のご飯を軍に提供する事にキレたんでしたっけ。
「国の為に戦ってくれる軍人さんに100%の米飯を食べさせないなど許さん!」
と言って。
まさか味方に、それも軍医に背中を打たれるとは日本軍も思ってはいなかったと…
非常にわかりやすく高校生時代に戻った印象さえあります。満州ではなく、満洲とあると、良かった。
なんか、共産主義の起点に日本大きく関与してるよな。
ロシアといい、中国といい。
諸星渉
先に領土拡大を果たした大英帝国やフランススペインなどに対し、新興工業国の日本、ドイツ、アメリカの周辺には戦力の空白地帯が発生しやすかったと思う。大国間の牽制合戦の産物
日露戦争の公債を償還し終えたのは、昭和の終わりころだそうな
よくもこんな紙くず債券を買ってくれたよな。
@@sayaandmasa 当時、債権を返済しない国が当たり前で、日本が愚直に返済し終えたことで、日本に対する信頼が増したということです
ロシアは常に外へ出ると負ける。技術や他国の勢いなど、「時期尚早」か「時すでに遅し」かもあるし、欧州・中国・日本・アメリカ全てに反発し、警戒されていた。
逆に、無駄に広い国土と寒さから、ロシア領内への侵攻には強い。焦土作戦が容易にできるのも、領土資産が薄く広いから。
クリミア、日露、冷戦、ウクライナ、確かに侵略戦争は失敗ばかりだね
今の若者はこうゆう動画観るんかな?
学ぶべきやと思います。
クリミア戦争の箇所でスエズ運河の話が出ますが、この時期はまだ着工していないです。クリミア戦争は1853-56年、スエズ運河着工は1859年で1869年竣工です。スエズ運河会社設立の動きはこの戦争中からすでにあったようなので、あながち間違いではないかと思いますが、時系列的には誤解が生じてしまうかもしれません。
21:04 オムラじゃなくコムラですよー
と指摘しようとしたらルビ振ってたのに気づきました😅
ムルマンスクの北海艦隊を夏の間に砕氷艦を先頭にしてベーリング海に送れなかったのかな?
運行費だけでパンクしちゃうよ
日朝修好条規を結んだ当時の朝鮮は清の属国であり、清と対等な条約を結んだ手前、朝鮮と対等な条約を結ぶことは外交的に適切ではなく、日本の意志とは関係なくそうせざるを得なかったという見方が一般的ではないでしょうか。
明石大佐の功績も可能ならとりあげて欲しかった😂
おつつでしたー。
前振りがながいかもですなー(^^ 事実上の日露戦争というより日清戦争の解説動画になってしまった(^^
今ロシアがやってるのもこの時代からやってることと同じだよ。ずーっと
遠路はるばるバルト海……
すき
新しい解釈だな
日露戦争の世界史上の評価は、まさに「驚天動地の新時代が始まった」だ。たとえイギリス世界戦略の後ろ盾が有ったとしてもだ。20世紀はまさに欧米に挑戦する日本の時代だった。日本こそ西欧近代をひっくり返した主役。
明治期国土防衛史という10450円する専門書がありますがより実情を、更に言えば日本軍の根本的な考えの転換を理解する一助になる貴重な本があるので是非。出版社は戦前から軍事関連の本を出している錦正社です。教育勅語入門など。、
小・中学校の歴史でゆっくり解説を教材にしたいな 江戸時代が突然終わり途端に日本は欧米列強の的になった 欧米列強の植民地支配を極東の土壇場で踏ん張った日本はよくやったよね でもドイツやイタリアと組んで世界相手にボロボロになるまで戦って負けたのは頂けない
アフリカにおいては、何処情報で日本の事をしったかだよな
日本郵船や三井物産、鈴木商店などがケープタウンやサイゴンなどにありましたからね。寄港したら筒抜けです。
@@sayaandmasa なるほど。
金子賢太郎の話とか入れなかったのね?
この当時、南樺太って日本の領土だった気が…
ちなみに、
アメリカから戦費の調達をして、その後の支援も得られたことから三国同盟だったのが今の通説です。
3:47 つまりまたウクライナ戦争でクリミアをウクライナに奪還されたあと日本攻めてきそう
園路はるばるバルト海
ロシアが二流国になった後、日本はいち早く北方四島でロシアと和平協定を結び、米国の目撃で回避したロシアは再び強大になった。
17:17 写真に台湾が日本の一部として含まれていないのは間違っている。 日本政府はロシアの台湾攻撃を心配して苗栗にいくつもの砦を築いたが、その後ロシアは台湾の東側を通過したため、これらの砦は使われなかった。 にもかかわらず、台湾は日本がロシア艦隊を観察するのを助けたので、日本は迅速に対応することができ、日本は勝利することができた。島民全体が「万歳」を叫び、後に苗栗には日露戦争勝利の記念碑が建てられたが、台湾人として、これらのことが忘れられてしまったことをとても悲しくかなと思う。
台湾の東側を通過したのを観察するのに協力してたって事??
なんか文章の時系列がよく分からない感じになってるけど、、、?
乃木大将だっけ?日露戦争で、息子さん亡くしてるの
英国の資本と技術力でロシアを破った戦争
古参アピしとこ
ロシアと揉めだしたキッカケは何でした?
大津事件ですか?
それだけですか?
何の資料を参考にしたか知らないけど、細かい所で偏ってない?
どうなんだろうね。負けていた方がその後日本が大陸に進出しないで結果的に良かったとか。
結局、日露戦争は戦勝国でありながら手にするモノは殆ど何も無いどころか、返って広い意味で国力を激しく衰退させてしまっただけの戦争だったのか………こういうのを戦勝国というのか?
ロシアを倒したことで5大国末席の地位を占めました。
また重工業に力を入れた結果、工業が発達し第一次大戦でぼろもうけしました。
前から気になっていたけど、世論をよろんと読み上げるように辞書登録して欲しい。頻出単語だから気になる
せろんでも間違いじゃなくない?
朝鮮はロシアにくれてやったら良かったのにな。
ロシア帝国、国旗違わね?
新参アピ
清可哀想😢
日露戦争語るのにナポレオンまで遡るとは…
おかげで開戦に至った経緯がめっちゃ理解しやすかった
わかりやすい