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折檻状を読む限り発破をかけるつもりが,これ以上は無理と本当に高野山に行ってしまった様に想える
最初はお前ももっと頑張れやというつもりだったのに書いてる途中で変なスイッチが入って激昂しちゃった文だよねアレ…
信盛と林秀貞は「明智光秀のif」にも見えますね。部下の考えや気持ちを全く気にしなくなってるボスっていう。
まあ、まじで佐久間の地位がヤバかったそうですからね。ここで一つ手柄を上げさせようってハッパかけたら…って事だとは思いますね。
ノッブは最初ハッパを掛けてやるつもりが今までの恨み辛みで感情込めすぎて最後には「今すぐ手柄を立てられないなら高野山に入れ」と解雇通告になってしまったんでしょうな。勤続30年とはいえただ成果を挙げずに過ごしていただけではないのに丁度秀吉を筆頭に他の家臣たちが目覚ましい成果を出していた時期でそれに比べて信盛がいたって凡庸な成果しか出せなかったので「石山本願寺攻略に10年は長すぎる!もっと短くできたはずだぞ!!」とノッブの堪忍袋の尾が切れてしまったんでしょう。ノッブの徹底した実力主義からすれば長く雇った方なので決して無能ではないと思うんですがね。信盛が以前のように泣いて口答えするでもなくこんなに堪えるとは思わなかったのが逆にノッブにはショックだったのかもしれませんね
【動画の目次】信長家臣で一番の古株「退き佐久間」 00:43織田家を支えた華麗な戦歴 01:43外交官としても有能な信盛 03:24思わず出てしまった本音がノッブをキレさせる 04:26佐久間信盛特に反省せずマイペース勤務を続ける 06:05石山本願寺の降伏後 突如高野山に追放される 07:53戦国時代ライターkawausoの独り言 09:37あなたは佐久間信盛が追放された理由についてどう思いますか?💟参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。
信長「信盛どうなった?」部下「マジで頭丸めて高野山に行きました」信長「」
ボスを殺せば光秀ルート、自分が辞めれば信盛・林秀貞ルートといった所でしょうか。
信長「信盛…あばよ!!高野山で良い夢見ろよ!!」
@@dindon1969 一瞬、マフィアシティっぽく見えましたww
折檻状と一緒に商売が出来るようにと金平糖のレシピも渡しています。信盛の子孫がサクマ製菓を立ち上げており、社長室には折檻状が飾られているのは有名な話です。
サクマってこの佐久間から来てるんだ!知らなかった!
大河ドラマでは、オカリナに現をぬかしていたのが原因で追放されたことになってた。佐久間役を田中健が演じていて、プライベートで実際オカリナに嵌っていたという。いくらなんでもぶっ飛び過ぎの脚本だったな。
まあ信長は完全に外国の「実力主義を信条とした会社の社長」の様なタイプですからね。それを「昔から味方をしていてくれてた人物」ってことで能力は大したことなくても、それなりの仕事は与えて、成功結果以上の「役職」も与えてきた。会社(国)がだんだん大きくなって、佐久間以上に優秀な人が入ってきてきたけど、交代せずに残留させておいた。それなのに能力的には「中の上」程度の佐久間が命令を守らなかった時の言い訳が「私のような優秀な人材がいるのは、あなた(信長)にとって恵まれたことなんですよ!?」とか言われたら、そりゃ信長にとっても「そりゃこっちのセリフだわ!」ってなりますわな。でも信長も冷静になってきたら「社内からは『なんであんな人がまだ重役してるんですか?俺にまかせてくださいよ!』って声も多くなってきけど、あいつも一応は今まで頑張ってきてくれたしな~。よっしゃ、いっちょもう一回大きな仕事与えて、成功させたら、あいつの面目も立つだろ!」って考えて、あまり向いてはいないけど畿内方面軍司令官って仕事を任せたのに今まで通り向いてない仕事は自分勝手にダラダラ。他の社員(武将)は早く次々と業績(戦果)を上げている。もはや見かねて「お前は昔からの付き合いってだけで、命令に口答えはするけど相談はしない。みんなは自費を使ってでも業績結果は出してるのにそれもしようとしない。これじゃあもう雇っておけないから、さっさと業績結果出すか、自主退職しろ。それも出来ないなら、とりあえず左遷してずっと自宅待機な!」って本音と発破をかける意味合いも兼ねて手紙出したら、マジで自宅待機しやがった。という人物が「佐久間 信盛」ってとこですかね?
追放された時は高齢だったし、もう一花咲かそうなどという考えはなかったのでは?高齢者のリストラですね
確か、俳優の田中健さんが別々の大河ドラマで佐久間役をやってたな。津川さんも家康を別々の大河でやってけど、わざわざ佐久間役を同じ人がやるとか、なんか不思議。
こんな重要人物なのに信長の野望だとあんな微妙な能力値なのか。
それを言ったら、武田の武将は正直過大評価が多いし、織田も中堅クラス(佐々成政とか池田恒興とか)はかなり微妙ですから…
@@酔狂-i9o いやでもねぇ、言っちゃ悪いけど佐々成政や池田恒興より戦も外交もできる万能型の武将っぽいし、正直織田四天王と同格じゃないかって思ってなんか納得いかないんだよねぇ。
@@kpntdmjahw9069 う~ん、四名臣も含めて、そこまで万能だったんですかね?例えば、海津城で長年北方警戒にあたっていた高坂昌信なんかは、多分それなりの外交経験とか有ったと思うんですが、武田家自体、その勢力範囲に限りがあり、当然外交対象も限定されてますから、個人的にはあそこまで高く評価されるほどの実績はないと思うんですよね。まぁ、あくまでも個人的意見ですが。
@@酔狂-i9o 自分はかなり詳しいってわけじゃないけど足利義昭との和睦や朝廷との交渉とかかなり重要なことしてるし内政はともかく外交に関してはかなり実力あったんじゃないかと思うんだけど、どう思いますか?
@@kpntdmjahw9069 その辺は、どこの大名でも交渉はやってますし、それを言ったら織田・武田・朝倉・上杉と強豪に囲まれながら外交交渉で生き残った姉小路頼綱とかもっと評価されるべき人物がいると思うんですよ。あと、池田恒興は最後がちょっとアレでしたが、折檻状でも武功を挙げている家臣の一人に挙げられてますし、蒲生氏郷が秀吉に対して『金の三階菅笠』の馬印の使用許可を求めた際に「あの馬印は佐々成政が使っていたものだからお主にはまだ早い」と、敵対した上に統治問題で切腹処分となったにも関わらず高く評価されてた点からも、もうちょっと評価して良いんじゃないかなぁと思います。
折檻状は単純にノッブからしたらお前ならもっと出来るはずだぞと発破を掛けるつもりだった説実際信盛が高野山で死去するや、折檻状でボロクソに批判していた息子の信栄を慌てたように赦免して信忠付きの家臣として帰参を許した辺りノッブ自身もカッとなりすぎたことを後悔していたのかもしれません
追放後も信盛の暮らしぶりや健康を気にしていたらしいですからね
実際後に後悔したという記録残ってますからね。
積み重ねた功労があるから後に後悔をしたけど、本願寺を根絶やしにできなかった信盛を許す事をできなかったのかも知れない。
信長の野望だと全ての能力値が低くて50高くても60クラス…70とは行かなくとも全て60位は欲しいですね…確か大河ドラマ『秀吉』にて佐久間信盛と同じ様な発言をした村上弘明さんが演じる明智光秀に対して渡哲也さん演じる織田信長がキレてボコボコにしたシーンありましたね…
信盛は折檻状が残ってるだけまだマシなんじゃないですか?林秀貞なんて何も残ってないですし、信長公記の記述すら信用できないと言われてますから。
信長は明智光秀に討ち取られなくても、家康や豊臣など他の家臣にいずれは討ち取られる運命だったと思うわ。
討ち取られてないです。
佐久間信盛さんの後釜に入ったのが、明智光秀さんだったわけだけど、仕事だけでなく、信長さんのパワハラを受け止めなくてはいけない、このポジション特有の半端ないストレスが、本能寺の変を引き起こしたのかも知れないです~そういった意味で、どんなに信長さんが偉くなってパワハラを受けても、頑固に言いたい事を言い続けた信盛さんという人物は、信長さんにとって必要不可欠な人だったのかも?知れませんね~笑
超納得できる佐久間の話しと信長公の性格の話しw
日本の戦国時代は、経済戦争であると共に宗教戦争の意味合いが強かった。佐久間信盛は、法華宗勝劣派の檀家であったといわれます。当時畿内において法華宗は、政治に大きな影響力を持っていました。信長が京都には拠点を設けず、妙覚寺や本能寺を宿所としたのはその為です。信盛が追放されたのは、比叡山延暦寺や一向宗の拠点であった石山本願寺の脅威が除かれたからです。直接的な要因は荒木村重造反に対する管理責任でしょうが、仇敵のいなくなった法華宗と太いパイプを持つ信盛はもはや邪魔な存在で、信盛の追放ありきで事が進んでいました。信盛に対する仕打ちは理不尽そのもので、信長は屁理屈こねて信盛を高野山に追放し、政治生命を絶っています。縁も所縁もない高野山に追放された信盛は、頼る者もなく失意の中で亡くなった事でしょう。
単純に信長は寺社を現代で言うホテルや旅館のように活用してるから遠征の際には城に常駐する場合よりも小さな寺などで食事をメンバーでしながら会議していたと言うのが有名。
そこは多分 信長的には 手柄を立てて 頑張れよだったんだと思うんですけれどね
まじで筆頭家老の地位がヤバかったそうですからね。他の連中が手柄上げまくっていましたから。
@@浅井優也 柴田、羽柴、明智結構活躍しているのに、、ですね
頑張れよ。の期待もあったのかも知れないけど信盛の場合は宗教嫌いの信長の逆鱗に触れる「本願寺降伏」をした人物だからこそチャンスも与えられないくらいにがっかりしたのかも知れない。信盛が命令通り、本願寺を根絶やしにしてたら本願寺の宗派は今の日本にあったかな?
勝家も信長の中では、実績上げて無いのに頑張っているってだけで評価してますしね。激励の意味の方が強かったのかもしれませんね。
『佐久間軍記』では佐久間信盛が追放されたのは讒言によるとされていますね。それを裏付けるように信盛の死後、嫡男の佐久間信栄は信忠の部下として帰参が許されています。また林秀貞らの追放が問答無用だったのに比べ、譴責状の内容は「もっと働いたら許してやる」という内容なので、追放ともいえないのでは?
「木綿藤吉、米五郎三、かかれ柴田に退き(のき)佐久間」と信長が家臣たちをこう評価していたそうです。それぞれの特徴をよく表して面白いですね。先代桂文枝師匠が弟子の3人、三枝さん(現文枝)、きん枝さん、文珍さんを「しっかり、うっかり、ちゃっかり」と表現されていたのを思い出します。
前線向きの武将ではなかったのかも知れませんね。桶狭間のときに善照寺砦にいたのも、お留守番だったイメージが・・・・
何十年も前のことをいきなり持ち出して部下を追放する信長も気性も大概だが、何ら積極策も講じずにマイペースで事を運ぼうとした信盛は、信長から見ればあまりに無能に見えたのだろうなぁ。余談ですが、現在連載中の『信長のシェフ』最新話では、信盛の方から信長に暇乞いをする展開になっています。これはこれでなかなか面白い展開かと。
ひき佐久間ではなく、のき佐久間ですね。信盛追放は信忠体制を見据えてのことでしょう。同時期にリストラされた林秀貞や安藤守就なども謀反の過去や噂がある「とっぽい」タイプの武将たちです。そして年齢も地位も高い。信忠が制御できるか心配だったんでしょう。なんせ信長は息子には甘いから。三男信孝に領地を与えるために長曾我部との同盟を破棄したのが本能寺の変の引き金説があるぐらいです。
信孝に四国を与えるために、信長は四国征伐を企図したのですね('ω')そういえば、長曾我部家の交渉は光秀がやってて、信長が茶々いれて交渉決裂した上に四国征伐の総大将に信孝が任命されたのを恨んで光秀は本能寺の変を起こしたという説も昔きいたことあります('ω')(交渉が決裂したら、その交渉担当者が先陣を切って戦わないといけないのに、 それができなかった光秀は面子丸つぶれで謀反起こしたとかなと('ω'))
@@滝沢優-y6l ご指摘の説も説得力がありますね。当時、取次役は最後まで責任を負うのが不文律だったようですから。いずれにしても四国政策の変更が光秀に面目を失わせ、織田家中における地位の低下を招いたのは間違いないようです。四国渡海が6月2日予定でクーデター決行が同日早朝。(光秀がどこまで正確に信長側の日程を掴んでいたか不明ですが、止めるならここしかないというピンポイント攻撃)直接的な目的は勿論信長・信忠親子の首をあげることですが、それにより四国攻めを止める意味があったと考えてもおかしくはないでしょう。(光秀の重臣斎藤利三は長宗我部元親の義理の兄弟である石谷頼辰とは実の兄弟で、縁が深い)
@@urasimatarou 光秀は、佐久間信盛、丹波の没収、そして四国政策などを見て、もう信長は昔の信長ではないと思ったと思います。このまま仕えていたらいつか自分もと。そしてふと思ったのが本能寺であると思いました。信長を倒すのは今しかないと。準備は全くしていなかったと思います。もし準備をしていたら、本能寺の変のあとに誰かが味方をしてくれるからです。援軍となる将がいなかったから光秀の思い付きであると思いました。
@@ganbare-songokuu その説は研究者でも主張する人がいますね。一連のリストラにより高齢と言われている光秀も「いつか自分も」の気持ちがあったのではないかと。ただ、味方が少なかったのは「準備を全くしていなかった」せいというのは論拠が弱いかもしれません。謀反の特性上、先に根回しすれば秘密が漏れる恐れがあります。光秀がいつ決断したかはかなり解くのが難しいのでないでしょうか。
@@urasimatarou 準備をしていたら、筒井じゅんけいとか、細川ふじたかとか味方をしてくれたのでは。前もって、信長をやっつけるから味方をしてくれとか。特に納得ができないのが徳川家康暗殺説です。徳川家康を守るためでしたかね。徳川家康を守るなら徳川家康は安心して京都に行けるようにしておくのが普通ではないでしょうか。本国に命からがら逃げ帰った家康だから、暗殺説はないと思いました。また、豊臣秀吉の謀略説では、光秀がはめられたということでしょうか。そこも納得できません。信長をやっつけたら、協力して、天下をとろうとか話し合っていたのでしょうか。そんな簡単な話に賢い光秀がのるとは思いません。
既出ですが、のき佐久間ですね。イラッとします。ごく最近の漫画からの仕入れですが、信長は、もうワンチャン与えようとしてたらしいです。にしちゃ、お咎め文が、くどいけど。
無能で勤続年数が長いだけの家臣も必要だと思うけどなぁ。色々、言い返して来る家臣は逆に言えばそれだけ懐いてるって事でも有るし、何よりどんな時でも最後まで支持して付いて来てるって事でも有るからなぁ。そう言う理屈を信長に理解させる事が出来る家臣が信長に居なかった事が本能寺に繋がった気がする。
どうも筆頭家老だったのが原因だったようですね。
無能?馬鹿をいうな?退却戦において味方の損害を出さず逃げたと見せかけて敵を待ち伏せや罠にかける謀将が無能?ノッブの扱いが下手すぎただけだ。
個人的には信長が師匠と慕っていた目付役の平手政秀を父織田信秀の葬儀の際にぼろぼろの衣服を身に纏い焼香を投げつけるなどした信長の蛮行を林秀貞らと共に「一体どのような教育を施せば若があのように育つのか!!」とか「目付役の顔が見てみたいモノですな!!」などと非難し責任を感じた平手政秀を自害へと追いやった事をずっと根に持っていたのではないか?と思っている・・・。因みに平手政秀の孫に平手汎秀と言う武将がおり、政秀の孫と言う事もあってか信長からは目をかけられ大そう可愛がられていたのだが三方ヶ原の戦いで武田軍相手に果敢に戦いを挑み戦死している。この戦いにおいても佐久間信盛、林秀貞らは信長からは平手汎秀を見殺しにして自分達は満足に戦いもせずにただ逃げ回った上におめおめと生きて戻ってきたと思われたらしく、後にその事を激しく責めた折檻状が残っている。
政秀の孫?息子じゃないの?
@@豪炎寺修也エースバーン どっちの説もあるのよ。
のき佐久間でしょ。
普通の大名だったらいいやろうけど、織田軍のそうそうたるメンバーじゃ完全に劣ってるからね。
信盛は三方ヶ原の援軍の際にも武田と戦わないように家安に指示をする役目として援軍として向かわされたのに指示に従わず一戦交えて結果は歴史的惨敗で激怒されてもいるからな。
信長、普段以外に温厚なのに、家康絡むとすぐ切れますからね。事実かは不明ですが、光秀に切れた話しも、家康関連ですしね。そりゃ世間じゃ義理の弟だと思われるはずです。徳姫も信康のこと訴えるのに、家康を殺そうとしているとの一文入れるあたり、子供からもそう見られてたんでしょうね。
神田さんの書籍では、与力からの不満をくみ取ったのでないかと書かれていた。信長が天下人になるにつれて、信長の直臣たちを昇進させると同時にその責務が大きくなって、信盛はその責務に耐えられなかったんだと思う。織田家は何度も修羅場を経験しているのか、有能な武将が多すぎて相対的に佐久間信盛とその息子は悪目立ちしちゃったんだろな。
佐久間信盛は動画で言われているように裏切ったこともなく、追放理由が分からなかったのですがなるほど、信長に口答えしたのですね('ω')
明智光秀による讒言説もあるみたいです。讒言だったのがバレそうになって本能寺の変をやらかしたとかw
@@junjun5127 さん光秀が讒言してたのですね('ω')。独裁的な信長が讒言を簡単に信じるのは考えにくいですが、いろいろな事が積もり積もって讒言が引き金になったんでしょうかね('ω')
無知ですみませんが何言と読むのか教えて頂けませんか?
@@ああああ-j1u ざんげん
@@junjun5127 ありがとうございます
石山本願寺攻めの 総大将に 信長から任命されたが、 何の功績もあげられなかったので 追放処分になったのだろう。
晩年のノッブは佐久間の能力を見誤ったので信盛が悪いんじゃなくノッブが悪い。退却戦で死亡フラグ建ててへし折って帰ってくるのは佐久間しかおらん
やっぱり信長は何処かで殺されるわww
確かに。誰に謀反されてもおかしくないかと。
信長の怒りは理由が最もな怒りだからな。当時の人物としても抜き出たカリスマ性、楽市を始めた商才、南蛮品に興味を示す変わり者。ってのは当時の庶民からはヒーローのような人物にも見え、宗教嫌いで過激派な面は信奉者達からは鬼や悪魔のような人物に見えるんだろうな。全く関係ないけど、安土城には24時間経営の現在で言う、コンビニのような店が合ったり、飲食店のような店もあり、信長は城下にお忍びで通っていたと言う話も近年ある。
濃尾に強い影響力を多く持ってた佐久間閥の解体が目的だろう派閥の解体を信長は尾張時代にも前田-柴田間でもやったし林も同じように処罰されているのも家臣の派閥解体を進めて親族による中央集権に舵を切ったんだろう。磯野なんかも信澄に家乗っ取られてるし佐久間追放がなければ本能寺の変は起きなかった可能性も高いと思われる(佐久間に鎮圧される可能性が高いから計画時点で諦める
信長って光秀も「長年の苦労が報われた」みたいなことをいって腹を立てていた気がする。信長には信長の苦労が信盛や光秀にも立場上の苦労があったろうに。ついていく大将が瞬間湯沸かし器で発想が突飛でどこに着火点があるかわかりにくいのだから
確か武田征伐の後の話ですね。光秀は対武田戦にはそんなに関わってないのにそういう事言っちゃったから信長がキレてしまったんでしょうね。家康(彼は信長の部下じゃないけど)とか実際に対武田の最前線にいたものが言ってたら「うむ、そうだな」って感じで終わったんだろうけど
信長は宗教嫌いでもあり公家等の貴族も嫌ってた節があるから…「幕府と密な関係のあった武田を滅亡できて精々するわ!!」って高笑いしながら大喜びだっただろうに当時、宗教や幕府に反旗を翻してた信長に反論する光秀が信長には怒りの対象でしか無かったんだろう。
桶狭間の戦いの時も砦を守ってたからなぁ
人によるけど顕如よりも本願寺光佐の方が馴染みある。
当時の本願寺は足利家が支援するくらいに最大勢力で荒くれ者を集めた武力集団なうえに紀州雑賀などを含めた最強の反織田勢力でもあったから信長も長年手を焼いてた話も有名だな。
拡大路線の新興企業がシェアの殆どを食い尽くし古株を切り捨てリストラをするのと何か似ている
案外そういう理由で間違いないと思いますよ。佐久間家は信長の天下統一の構想においては邪魔な存在ですし
鉄砲を取り入れた柔軟な信長の割に根性論とは一貫しないな死者を出さずに頭を使って勝つのは柔軟なやり方だと思うのだが
信長は宗教嫌いな人物だし、当時の宗教は貧しい人たちを囲ってはいるけどその実は運営は私利私欲で汚れた人物達ばかりと言うのを知ったから当時の世間の価値観を壊して自由の国にしたかったと言うのが信長の思想ではあるから、比叡山焼き討ちも本願寺の根絶やしも信長がしたかった事に過ぎないんだな。
これは信長も悪い気がする
原田直政の降任として、本願寺攻めの責任者になった佐久間。本願寺攻略が停滞していた時期に、松永や村木が背きます。村木説得に光秀や秀吉があたります。なぜ、畿内の責任者である佐久間がいかなかったのでしょうか?佐久間宛ての折檻状では、与力ばかりを使い、自ら先頭には立たない佐久間の姿勢がうかがえます。本願寺攻略中、織田方から毛利方に寝返る勢力が出たのは、単に信長に刃向かったというより、佐久間の無責任さもかなりの比重を占めているのではないでしょうか?佐久間を放置すれば、畿内の与力大名に示しがつかない。信長は与力大名からの無言の突き上げを感じていたのではないでしょうか?
村木❌荒木⭕でした。失礼しました。
子孫は「佐久間象山」河上彦斎に暗殺された吉田松陰と勝海舟の師匠
現在に至る歴史上事実も詳しく調べると全く違うと言う結果もある(今日、過去に学んできた歴史が変わっていて驚くこともよくある)チャンネルくららで、倉山満氏が織田信長の実情は、世間で知られている内容とは違うと述べていた事を見た記憶がある。 また、比叡山焼討ちも、ある研究者が土壌調査を行ったが、その痕跡が見つからないと言う川中島合戦で有名な武田と上杉の争いも、ある説では、お互いに家臣団に手を焼いていたので家臣団との結束を強めるために裏で手を結んでいたと言う話もある(五度目には合戦に至っているが、それは偶然に相手の目の前に上杉勢が出てきたので戦う羽目になっと考えることもできる)他には、秀吉亡き後に、家康は東は徳川、西は豊臣が治める識徳同盟の約定を持ち出したが豊臣方に断られ、その後に至ると言う話もある(譜代、外様の区別は明治期につけられたとか、時代劇によく出てくる役所の看板も実際はない)これからも、調査などが進められ、事実が解明される事であろう。
林秀貞も同じような理由ですかね?
林、磯野、安藤らと佐久間は違いますよ。佐久間は追放されてませんから。前田利家と同じです。
最近の説で林は信雄の伊賀攻めを事前に相談されていたのに止めなかった責任を取らされた可能性があるそうです。美濃三人衆の安藤も巻き添え
三方ヶ原への援軍で期待に応えなかったのがケチの付き始めですね。
信長は城から出るなと家康に再三連絡していたのに家康は討って出たから年上の佐久間からしたら未熟な家康に従う気にはならないって。幾ら同盟国の援軍でも無駄死したくないだろうし。平手は若いから目の前の武田軍見て感情的にスイッチ入っちゃったんだろ?
そういう若気の至りを抑えて欲しいという信長の期待って事だ。
@@著作権侵害の京町涼子 そういう事でしょうね。勝敗より平手を戦死させたほうに怒ったようですし。信長は平手爺(先代)には恩があったし平手倅を可愛がってましたからね。
そもそも家康を制止する目的で援軍に向かわせたって説もあるしなー。
信盛の徳川寄りの立ち位置と、連絡をサボって裏金作り、蟹座(信長)の疑り深さ、これらが合わさるとそうなるだろうなという印象。徳川は今川の塩止めの際に武田と誼を通じていてもおかしくない。因みに武田も信長と同盟してます。凡人は上司に疑われると仲間作りに励む傾向がある。正面から申し開きして信頼を勝ち取る能力がないから。もっともそんなもん伊達政宗ぐらいでないとなかなか出来ないが。その後武田は上洛敢行してますから、勝算は立っていたのでしょう。その前哨戦的な意味合いで信盛はやられたのだと思ってます。
でも、結局は佐久間粛清が行われたせいで本能寺の変のフラグが成立したんだよなあ佐久間の後任の近畿方面軍が、明智光秀だったんだから古い事ですが家督争いの時ですら信長支持だったのが佐久間一族で、桶狭間の時の様な重要な戦いでも佐久間一族からは戦死者沢山だしてます「筆頭家老から降格するぞ、反省しろ」くらいなら周囲も受け入れたでしょうが実際には行き成り全所領没収の上追放にされた訳ですのでこの当時ですら家中の最上位で明智や羽柴よりも格上の家老ですからね、そりゃあ皆が怯える佐久間の粛清が有りなら、安全な人など誰も居ないから
…他の強力な家臣に押され、運無く戦果出せず左遷。ただ本能寺などで襲われ命落とす悲惨な最後免れたのが救いでしたね。お気の毒。
家康と領地を接する西三河を任せられます。と記載されてるけど,三河は家康の領地だったのではないかしら、この記載違ってるよう気がするけど?
折檻状には一、小河かり屋跡職申し付け候ところ、という旨の内容が書いてあるので,水野信元の領地を得たということ,三河全土が家康の領地ではなかったということは理解しました.間違った情報を載せてすいませんでした
余計な一言二言が多くて根に持つ信長は上司としては使われたくないなあ。古傷をぐりぐりとなじって、何か咎か都合が悪くなれば(仮定)捨てられるなんて、部下として精神衛生上だけど不安定すぎて発狂しそうだ
信長のような上司の元では絶対働きたくない。でも戦国武将の中では一番好き。
義元がショウタさんなの好きw
「山田君、全員の首取ってって」は噴きましたwwwこのチャンネルのイラストは絵柄も柔らかそうだし、時折こういうギャグ(?)をやってくれるから好き。
政治に軍事に筆頭家老として八面六臂の大活躍だった昔と比べ、若い明智羽柴の台頭があり同じく古参の柴田も手柄を立てる中、石山本願寺という難しい相手に負けはしなかった物の勝ちもしなかった。 今も昔も結果が全てしかも戦国時代でこの対応は非常にまずい。 ノッブとしては他の武将の手前折檻状で発破をかけようとしたのかもしれないが、これを読んだ信盛に安西先生は訪れず心が折れたのか高野山に行ってしまった。 現在の状況に慢心せず常に研鑽し己を磨き続けないとこうなる好例。 鳴り物入りで登場して長い間大ベストセラーだったが後継製品のアップデートに大失敗してそのまま消えた商品に酷似している。 T型フォード、ゼロ戦、VWビートル、ネオジオ等信盛と同じ運命に…。
信長は手取川で上杉に破れた柴田勝家や中国で毛利と膠着状態に陥った秀吉の任は解かないので、佐久間からは必死さが伝わって来なかったんじゃないのかな。佐久間も佐久間で信長に名誉回復の機会をアピールすることもなかったし、自分の実力に対して成長が見込めないと諦めていたのかもしれませんね。
結論、信長は何だかんだで甘い。
信長は家中で派閥制度を採用してて、奇抜な策は身分問わずで取り立てて採用する鬼才の持ち主だしな。そんな他家ではされてない制度を取り入れる事で立身出世の木下藤吉郎を抜擢出来たんだよな。
4:29 ノッブwwwwwwwww
もし実力が有れば他国に仕官するだろうに、なぜ?しなかった⁇。
信長もしくは織田家への義理立てかもしれませんね老いた自身はともかく、子や親族達は今後取り立てられる可能性も計算したのかもしれませんし
撤退戦が最も難しいとされるのに撤退戦と防衛戦が得意というのは、かなりの戦上手と思われる。攻めは得意でないとは言え、そこを理解して配下の得手不得手を考えて起用するのも上に立つ者の役割かと思うが、信長に限らず時の権力者というものは自身に都合よく考えてしまうものなのだね…KOEIのゲームでも知力が低く使い勝手の良くないキャラとして描かれる佐久間信盛が憐れ。
この人の後釜に明智光秀がなり、本能寺につながるわけだ。この人の追放は、歴史の分岐点となる大きな出来事なんだね。大河ドラマの主役どころか端役にもなかなか出てこないけどね
信長の家臣にだけはなりたくないなぁ
非公開コメントって書けないんだろうか。
動画は分かりやすく面白かったです。ただライターというなら天下人の定義を調べた方が良いと思います。また、本願寺についても今時は大坂本願寺という呼称が一般的で石山と聞いたときは、歴史好きな人でまだ石山本願寺と呼ぶ人がいるのだなと思いました。
退き佐久間の読みは のきさくま じゃないかなぁと思うのです
佐久間信盛の墓は十津川の武蔵という集落にあります
水野家を潰したから
信長の野望天道をやってると、勤続年数が長い微妙な能力な家臣は、勤続年数が長い分、給料を多く払わないといけない。微妙な能力に大金払うのが面倒くさくなってくるから、なんか気持ちはわかるw
歴史の事は良く解らないけどどんな組織で有ったとしても上の人間に軽口叩いたり軽んじれば有能無能に限らず組織が内側から崩壊する恐れが出て来るんだから弾かれるのは当然
信長は歴史上に登場した頃の無名の木下藤吉郎(秀吉)の意見を取り入れて成功の見返りに家老に取り立てるくらいには意見を聞く人。ちなみに信長が過激派なイメージが強いのはいずれも宗教・幕府・御所のいずれかが絡んだ出来事の時であって、有事の際には会席した人物と同じ目線で話をできるように大抵の事は城で会議より寺社で食事をしながら会議をしたりする気さくな人物でもあるそう。
まあ皆、本能寺を連想するよなw
本能寺の黒幕は現代にも残る日本に根付いてた各宗派の信奉者と言うのは説としてはある。その実、信長は宗教嫌いだから潰したがってたりしてるしな。
あんな信長に仕えるくらいなら追放されたほうがマシだ
小さな商店の番頭が、大企業になっても、番頭気分で、時代の流れが把握できずまた、信長という人物を舐めていた、見誤った部分もあると思う。秀吉は、流石、足軽から成り上がっただけに、信長という人間をよく見ていた
信長はちょっと成功したからといい気になってるブラック企業の社長。結局のところ、人望がない。人望がないから頂点には立てないのだよ。
明智光秀によって天下への道筋を案内されてきたが信長の想定外の暴走で本能寺で光秀に消された
秀吉が陥れた節に一票。
織田時代の秀吉は、ひとたらし。の秀吉だったからなぁ…とは言え、秀吉の家臣には軍師で信長嫌いで秀吉を崇拝する竹中半兵衛がいたりしてるから信長の腹心を減らす小細工はあったかも知れない。
信長は自分の事業に部下も合わせさせるタイプ?部下になると適材適所の配属判断はしてくれないようなので合わせて付いていくのは大変そうに思えますが、事業転換がスムーズなやり手ながら、ワンマン経営者にはありがちな話。これが戦国時代の話ですから先進的ではありますが、やはり斬新すぎるのも信長の長所であり短所なんですかね。人生50年で既に55歳なら、隠居しろとでも言っておけばまだ家臣の動揺も抑えられたでしょうけれど。
折檻状を読む限り発破をかけるつもりが,これ以上は無理と本当に高野山に行ってしまった様に想える
最初はお前ももっと頑張れやというつもりだったのに書いてる途中で変なスイッチが入って激昂しちゃった文だよねアレ…
信盛と林秀貞は「明智光秀のif」にも見えますね。
部下の考えや気持ちを
全く気にしなくなってるボスっていう。
まあ、まじで佐久間の地位がヤバかったそうですからね。
ここで一つ手柄を上げさせようってハッパかけたら…って事だとは思いますね。
ノッブは最初ハッパを掛けてやるつもりが今までの恨み辛みで感情込めすぎて最後には「今すぐ手柄を立てられないなら高野山に入れ」と解雇通告になってしまったんでしょうな。勤続30年とはいえただ成果を挙げずに過ごしていただけではないのに丁度秀吉を筆頭に他の家臣たちが目覚ましい成果を出していた時期でそれに比べて信盛がいたって凡庸な成果しか出せなかったので「石山本願寺攻略に10年は長すぎる!もっと短くできたはずだぞ!!」とノッブの堪忍袋の尾が切れてしまったんでしょう。ノッブの徹底した実力主義からすれば長く雇った方なので決して無能ではないと思うんですがね。信盛が以前のように泣いて口答えするでもなくこんなに堪えるとは思わなかったのが逆にノッブにはショックだったのかもしれませんね
【動画の目次】
信長家臣で一番の古株「退き佐久間」 00:43
織田家を支えた華麗な戦歴 01:43
外交官としても有能な信盛 03:24
思わず出てしまった本音がノッブをキレさせる 04:26
佐久間信盛特に反省せずマイペース勤務を続ける 06:05
石山本願寺の降伏後 突如高野山に追放される 07:53
戦国時代ライターkawausoの独り言 09:37
あなたは佐久間信盛が追放された理由についてどう思いますか?
💟参考になった皆様の考察・歴史感をコメント欄に固定化させていただきます。
※あなたの考察やご意見をコメント欄までお待ちしています。
信長「信盛どうなった?」
部下「マジで頭丸めて高野山に行きました」
信長「」
ボスを殺せば光秀ルート、
自分が辞めれば信盛・林秀貞ルートといった所でしょうか。
信長「信盛…あばよ!!高野山で良い夢見ろよ!!」
@@dindon1969
一瞬、マフィアシティっぽく見えましたww
折檻状と一緒に商売が出来るようにと金平糖のレシピも渡しています。信盛の子孫がサクマ製菓を立ち上げており、社長室には折檻状が飾られているのは有名な話です。
サクマってこの佐久間から来てるんだ!知らなかった!
大河ドラマでは、オカリナに現をぬかしていたのが原因で追放されたことになってた。佐久間役を田中健が演じていて、プライベートで実際オカリナに嵌っていたという。いくらなんでもぶっ飛び過ぎの脚本だったな。
まあ信長は完全に外国の「実力主義を信条とした会社の社長」の様なタイプですからね。それを「昔から味方をしていてくれてた人物」ってことで能力は大したことなくても、それなりの仕事は与えて、成功結果以上の「役職」も与えてきた。会社(国)がだんだん大きくなって、佐久間以上に優秀な人が入ってきてきたけど、交代せずに残留させておいた。それなのに能力的には「中の上」程度の佐久間が命令を守らなかった時の言い訳が「私のような優秀な人材がいるのは、あなた(信長)にとって恵まれたことなんですよ!?」とか言われたら、そりゃ信長にとっても「そりゃこっちのセリフだわ!」ってなりますわな。でも信長も冷静になってきたら「社内からは『なんであんな人がまだ重役してるんですか?俺にまかせてくださいよ!』って声も多くなってきけど、あいつも一応は今まで頑張ってきてくれたしな~。よっしゃ、いっちょもう一回大きな仕事与えて、成功させたら、あいつの面目も立つだろ!」って考えて、あまり向いてはいないけど畿内方面軍司令官って仕事を任せたのに今まで通り向いてない仕事は自分勝手にダラダラ。他の社員(武将)は早く次々と業績(戦果)を上げている。もはや見かねて「お前は昔からの付き合いってだけで、命令に口答えはするけど相談はしない。みんなは自費を使ってでも業績結果は出してるのにそれもしようとしない。これじゃあもう雇っておけないから、さっさと業績結果出すか、自主退職しろ。それも出来ないなら、とりあえず左遷してずっと自宅待機な!」って本音と発破をかける意味合いも兼ねて手紙出したら、マジで自宅待機しやがった。という人物が「佐久間 信盛」ってとこですかね?
追放された時は高齢だったし、もう一花咲かそうなどという考えはなかったのでは?
高齢者のリストラですね
確か、俳優の田中健さんが別々の大河ドラマで佐久間役をやってたな。
津川さんも家康を別々の大河でやってけど、
わざわざ佐久間役を同じ人がやるとか、
なんか不思議。
こんな重要人物なのに信長の野望だとあんな微妙な能力値なのか。
それを言ったら、武田の武将は正直過大評価が多いし、織田も中堅クラス(佐々成政とか池田恒興とか)はかなり微妙ですから…
@@酔狂-i9o いやでもねぇ、言っちゃ悪いけど佐々成政や池田恒興より戦も外交もできる万能型の武将っぽいし、正直織田四天王と同格じゃないかって思ってなんか納得いかないんだよねぇ。
@@kpntdmjahw9069
う~ん、四名臣も含めて、そこまで万能だったんですかね?
例えば、海津城で長年北方警戒にあたっていた高坂昌信なんかは、多分それなりの外交経験とか有ったと思うんですが、武田家自体、その勢力範囲に限りがあり、当然外交対象も限定されてますから、個人的にはあそこまで高く評価されるほどの実績はないと思うんですよね。まぁ、あくまでも個人的意見ですが。
@@酔狂-i9o 自分はかなり詳しいってわけじゃないけど足利義昭との和睦や朝廷との交渉とかかなり重要なことしてるし内政はともかく外交に関してはかなり実力あったんじゃないかと思うんだけど、どう思いますか?
@@kpntdmjahw9069
その辺は、どこの大名でも交渉はやってますし、それを言ったら織田・武田・朝倉・上杉と強豪に囲まれながら外交交渉で生き残った姉小路頼綱とかもっと評価されるべき人物がいると思うんですよ。
あと、池田恒興は最後がちょっとアレでしたが、折檻状でも武功を挙げている家臣の一人に挙げられてますし、蒲生氏郷が秀吉に対して『金の三階菅笠』の馬印の使用許可を求めた際に「あの馬印は佐々成政が使っていたものだからお主にはまだ早い」と、敵対した上に統治問題で切腹処分となったにも関わらず高く評価されてた点からも、もうちょっと評価して良いんじゃないかなぁと思います。
折檻状は単純にノッブからしたらお前ならもっと出来るはずだぞと発破を掛けるつもりだった説
実際信盛が高野山で死去するや、折檻状でボロクソに批判していた息子の信栄を慌てたように赦免して信忠付きの家臣として帰参を許した辺りノッブ自身もカッとなりすぎたことを後悔していたのかもしれません
追放後も信盛の暮らしぶりや健康を
気にしていたらしいですからね
実際後に後悔したという記録残ってますからね。
積み重ねた功労があるから後に後悔をしたけど、本願寺を根絶やしにできなかった信盛を許す事をできなかったのかも知れない。
信長の野望だと全ての能力値が低くて50高くても60クラス…
70とは行かなくとも全て60位は欲しいですね…
確か大河ドラマ『秀吉』にて佐久間信盛と同じ様な発言をした村上弘明さんが演じる明智光秀に対して渡哲也さん演じる織田信長がキレてボコボコにしたシーンありましたね…
信盛は折檻状が残ってるだけまだマシなんじゃないですか?
林秀貞なんて何も残ってないですし、
信長公記の記述すら信用できないと言われてますから。
信長は明智光秀に討ち取られなくても、家康や豊臣など他の家臣にいずれは討ち取られる運命だったと思うわ。
討ち取られてないです。
佐久間信盛さんの後釜に入ったのが、明智光秀さんだったわけだけど、仕事だけでなく、信長さんのパワハラを受け止めなくてはいけない、このポジション特有の半端ないストレスが、本能寺の変を引き起こしたのかも知れないです~
そういった意味で、どんなに信長さんが偉くなってパワハラを受けても、頑固に言いたい事を言い続けた信盛さんという人物は、信長さんにとって必要不可欠な人だったのかも?知れませんね~笑
超納得できる佐久間の話しと信長公の性格の話しw
日本の戦国時代は、経済戦争であると共に宗教戦争の意味合いが強かった。
佐久間信盛は、法華宗勝劣派の檀家であったといわれます。当時畿内において法華宗は、政治に大きな影響力を持っていました。信長が京都には拠点を設けず、妙覚寺や本能寺を宿所としたのはその為です。
信盛が追放されたのは、比叡山延暦寺や一向宗の拠点であった石山本願寺の脅威が除かれたからです。直接的な要因は荒木村重造反に対する管理責任でしょうが、仇敵のいなくなった法華宗と太いパイプを持つ信盛はもはや邪魔な存在で、信盛の追放ありきで事が進んでいました。
信盛に対する仕打ちは理不尽そのもので、信長は屁理屈こねて信盛を高野山に追放し、政治生命を絶っています。縁も所縁もない高野山に追放された信盛は、頼る者もなく失意の中で亡くなった事でしょう。
単純に信長は寺社を現代で言うホテルや旅館のように活用してるから遠征の際には城に常駐する場合よりも小さな寺などで食事をメンバーでしながら会議していたと言うのが有名。
そこは多分 信長的には 手柄を立てて 頑張れよ
だったんだと思うんですけれどね
まじで筆頭家老の地位がヤバかったそうですからね。
他の連中が手柄上げまくっていましたから。
@@浅井優也 柴田、羽柴、明智結構活躍しているのに、、ですね
頑張れよ。の期待もあったのかも知れないけど信盛の場合は宗教嫌いの信長の逆鱗に触れる「本願寺降伏」をした人物だからこそチャンスも与えられないくらいにがっかりしたのかも知れない。
信盛が命令通り、本願寺を根絶やしにしてたら本願寺の宗派は今の日本にあったかな?
勝家も信長の中では、実績上げて無いのに頑張っているってだけで評価してますしね。
激励の意味の方が強かったのかもしれませんね。
『佐久間軍記』では佐久間信盛が追放されたのは讒言によるとされていますね。それを裏付けるように信盛の死後、嫡男の佐久間信栄は信忠の部下として帰参が許されています。また林秀貞らの追放が問答無用だったのに比べ、譴責状の内容は「もっと働いたら許してやる」という内容なので、追放ともいえないのでは?
「木綿藤吉、米五郎三、かかれ柴田に退き(のき)佐久間」と信長が家臣たちをこう評価していたそうです。それぞれの特徴をよく表して面白いですね。先代桂文枝師匠が弟子の3人、三枝さん(現文枝)、きん枝さん、文珍さんを「しっかり、うっかり、ちゃっかり」と表現されていたのを思い出します。
前線向きの武将ではなかったのかも知れませんね。桶狭間のときに善照寺砦にいたのも、お留守番だったイメージが・・・・
何十年も前のことをいきなり持ち出して部下を追放する信長も気性も大概だが、何ら積極策も講じずにマイペースで事を運ぼうとした信盛は、信長から見ればあまりに無能に見えたのだろうなぁ。
余談ですが、現在連載中の『信長のシェフ』最新話では、信盛の方から信長に暇乞いをする展開になっています。これはこれでなかなか面白い展開かと。
ひき佐久間ではなく、のき佐久間ですね。
信盛追放は信忠体制を見据えてのことでしょう。
同時期にリストラされた林秀貞や安藤守就なども謀反の過去や噂がある「とっぽい」タイプの武将たちです。そして年齢も地位も高い。
信忠が制御できるか心配だったんでしょう。
なんせ信長は息子には甘いから。三男信孝に領地を与えるために長曾我部との同盟を破棄したのが本能寺の変の引き金説があるぐらいです。
信孝に四国を与えるために、信長は四国征伐を企図したのですね('ω')
そういえば、長曾我部家の交渉は光秀がやってて、信長が茶々いれて交渉決裂した上に
四国征伐の総大将に信孝が任命されたのを恨んで光秀は本能寺の変を起こしたという
説も昔きいたことあります('ω')
(交渉が決裂したら、その交渉担当者が先陣を切って戦わないといけないのに、
それができなかった光秀は面子丸つぶれで謀反起こしたとかなと('ω'))
@@滝沢優-y6l ご指摘の説も説得力がありますね。当時、取次役は最後まで責任を負うのが不文律だったようですから。
いずれにしても四国政策の変更が光秀に面目を失わせ、織田家中における地位の低下を招いたのは間違いないようです。
四国渡海が6月2日予定でクーデター決行が同日早朝。(光秀がどこまで正確に信長側の日程を掴んでいたか不明ですが、止めるならここしかないというピンポイント攻撃)
直接的な目的は勿論信長・信忠親子の首をあげることですが、それにより四国攻めを止める意味があったと考えてもおかしくはないでしょう。(光秀の重臣斎藤利三は長宗我部元親の義理の兄弟である石谷頼辰とは実の兄弟で、縁が深い)
@@urasimatarou 光秀は、佐久間信盛、丹波の没収、そして四国政策などを見て、もう信長は昔の信長ではないと思ったと思います。このまま仕えていたらいつか自分もと。そしてふと思ったのが本能寺であると思いました。
信長を倒すのは今しかないと。準備は全くしていなかったと思います。
もし準備をしていたら、本能寺の変のあとに誰かが味方をしてくれるからです。援軍となる将がいなかったから光秀の思い付きであると思いました。
@@ganbare-songokuu その説は研究者でも主張する人がいますね。一連のリストラにより高齢と言われている光秀も「いつか自分も」の気持ちがあったのではないかと。
ただ、味方が少なかったのは「準備を全くしていなかった」せいというのは論拠が弱いかもしれません。
謀反の特性上、先に根回しすれば秘密が漏れる恐れがあります。
光秀がいつ決断したかはかなり解くのが難しいのでないでしょうか。
@@urasimatarou 準備をしていたら、筒井じゅんけいとか、細川ふじたかとか味方をしてくれたのでは。
前もって、信長をやっつけるから味方をしてくれとか。
特に納得ができないのが徳川家康暗殺説です。徳川家康を守るためでしたかね。徳川家康を守るなら徳川家康は安心して京都に行けるようにしておくのが普通ではないでしょうか。
本国に命からがら逃げ帰った家康だから、暗殺説はないと思いました。
また、豊臣秀吉の謀略説では、光秀がはめられたということでしょうか。そこも納得できません。
信長をやっつけたら、協力して、天下をとろうとか話し合っていたのでしょうか。そんな簡単な話に賢い光秀がのるとは思いません。
既出ですが、のき佐久間ですね。
イラッとします。
ごく最近の漫画からの仕入れですが、信長は、もうワンチャン与えようとしてたらしいです。
にしちゃ、お咎め文が、くどいけど。
無能で勤続年数が長いだけの家臣も必要だと思うけどなぁ。色々、言い返して来る家臣は逆に言えばそれだけ懐いてるって事でも有るし、何よりどんな時でも最後まで支持して付いて来てるって事でも有るからなぁ。そう言う理屈を信長に理解させる事が出来る家臣が信長に居なかった事が本能寺に繋がった気がする。
どうも筆頭家老だったのが原因だったようですね。
無能?馬鹿をいうな?
退却戦において味方の損害を出さず逃げたと見せかけて敵を待ち伏せや罠にかける謀将が無能?
ノッブの扱いが下手すぎただけだ。
個人的には信長が師匠と慕っていた目付役の平手政秀を父織田信秀の葬儀の際に
ぼろぼろの衣服を身に纏い焼香を投げつけるなどした信長の蛮行を林秀貞らと共に
「一体どのような教育を施せば若があのように育つのか!!」とか
「目付役の顔が見てみたいモノですな!!」などと非難し
責任を感じた平手政秀を自害へと追いやった事を
ずっと根に持っていたのではないか?と思っている・・・。
因みに平手政秀の孫に平手汎秀と言う武将がおり、
政秀の孫と言う事もあってか信長からは目をかけられ大そう可愛がられていたのだが
三方ヶ原の戦いで武田軍相手に果敢に戦いを挑み戦死している。この戦いにおいても佐久間信盛、林秀貞らは信長からは平手汎秀を見殺しにして自分達は満足に戦いもせずにただ逃げ回った上におめおめと生きて戻ってきたと思われたらしく、後にその事を激しく責めた折檻状が残っている。
政秀の孫?息子じゃないの?
@@豪炎寺修也エースバーン
どっちの説もあるのよ。
のき佐久間でしょ。
普通の大名だったらいいやろうけど、織田軍のそうそうたるメンバーじゃ完全に劣ってるからね。
信盛は三方ヶ原の援軍の際にも武田と戦わないように家安に指示をする役目として援軍として向かわされたのに指示に従わず一戦交えて結果は歴史的惨敗で激怒されてもいるからな。
信長、普段以外に温厚なのに、家康絡むとすぐ切れますからね。
事実かは不明ですが、光秀に切れた話しも、家康関連ですしね。
そりゃ世間じゃ義理の弟だと思われるはずです。
徳姫も信康のこと訴えるのに、家康を殺そうとしているとの一文入れるあたり、子供からもそう見られてたんでしょうね。
神田さんの書籍では、与力からの不満をくみ取ったのでないかと書かれていた。信長が天下人になるにつれて、信長の直臣たちを昇進させると同時にその責務が大きくなって、信盛はその責務に耐えられなかったんだと思う。織田家は何度も修羅場を経験しているのか、有能な武将が多すぎて相対的に佐久間信盛とその息子は悪目立ちしちゃったんだろな。
佐久間信盛は動画で言われているように裏切ったこともなく、追放理由が分からなかったのですが
なるほど、信長に口答えしたのですね('ω')
明智光秀による讒言説もあるみたいです。
讒言だったのがバレそうになって本能寺の変をやらかしたとかw
@@junjun5127 さん
光秀が讒言してたのですね('ω')。
独裁的な信長が讒言を簡単に信じるのは考えにくいですが、いろいろな事が
積もり積もって讒言が引き金になったんでしょうかね('ω')
無知ですみませんが何言と読むのか教えて頂けませんか?
@@ああああ-j1u ざんげん
@@junjun5127
ありがとうございます
石山本願寺攻めの 総大将に 信長から任命されたが、 何の功績もあげられなかったので 追放処分になったのだろう。
晩年のノッブは佐久間の能力を見誤ったので信盛が悪いんじゃなくノッブが悪い。退却戦で死亡フラグ建ててへし折って帰ってくるのは佐久間しかおらん
やっぱり信長は何処かで殺されるわww
確かに。誰に謀反されてもおかしくないかと。
信長の怒りは理由が最もな怒りだからな。
当時の人物としても抜き出たカリスマ性、楽市を始めた商才、南蛮品に興味を示す変わり者。ってのは当時の庶民からはヒーローのような人物にも見え、宗教嫌いで過激派な面は信奉者達からは鬼や悪魔のような人物に見えるんだろうな。
全く関係ないけど、安土城には24時間経営の現在で言う、コンビニのような店が合ったり、飲食店のような店もあり、信長は城下にお忍びで通っていたと言う話も近年ある。
濃尾に強い影響力を多く持ってた佐久間閥の解体が目的だろう
派閥の解体を信長は尾張時代にも前田-柴田間でもやったし
林も同じように処罰されているのも家臣の派閥解体を進めて
親族による中央集権に舵を切ったんだろう。磯野なんかも信澄に家乗っ取られてるし
佐久間追放がなければ本能寺の変は起きなかった可能性も高いと思われる(佐久間に鎮圧される可能性が高いから計画時点で諦める
信長って光秀も「長年の苦労が報われた」みたいなことをいって腹を立てていた気がする。
信長には信長の苦労が信盛や光秀にも立場上の苦労があったろうに。
ついていく大将が瞬間湯沸かし器で発想が突飛でどこに着火点があるかわかりにくいのだから
確か武田征伐の後の話ですね。光秀は対武田戦にはそんなに関わってないのにそういう事言っちゃったから信長がキレてしまったんでしょうね。家康(彼は信長の部下じゃないけど)とか実際に対武田の最前線にいたものが言ってたら「うむ、そうだな」って感じで終わったんだろうけど
信長は宗教嫌いでもあり公家等の貴族も嫌ってた節があるから…「幕府と密な関係のあった武田を滅亡できて精々するわ!!」って高笑いしながら大喜びだっただろうに当時、宗教や幕府に反旗を翻してた信長に反論する光秀が信長には怒りの対象でしか無かったんだろう。
桶狭間の戦いの時も砦を守ってたからなぁ
人によるけど顕如よりも本願寺光佐の方が馴染みある。
当時の本願寺は足利家が支援するくらいに最大勢力で荒くれ者を集めた武力集団なうえに紀州雑賀などを含めた最強の反織田勢力でもあったから信長も長年手を焼いてた話も有名だな。
拡大路線の新興企業が
シェアの殆どを食い尽くし
古株を切り捨てリストラをするのと何か似ている
案外そういう理由で間違いないと思いますよ。
佐久間家は信長の天下統一の構想においては邪魔な存在ですし
鉄砲を取り入れた柔軟な信長の割に根性論とは一貫しないな
死者を出さずに頭を使って勝つのは柔軟なやり方だと思うのだが
信長は宗教嫌いな人物だし、当時の宗教は貧しい人たちを囲ってはいるけどその実は運営は私利私欲で汚れた人物達ばかりと言うのを知ったから当時の世間の価値観を壊して自由の国にしたかったと言うのが信長の思想ではあるから、比叡山焼き討ちも本願寺の根絶やしも信長がしたかった事に過ぎないんだな。
これは信長も悪い気がする
原田直政の降任として、本願寺攻めの責任者になった佐久間。本願寺攻略が停滞していた時期に、松永や村木が背きます。村木説得に光秀や秀吉があたります。なぜ、畿内の責任者である佐久間がいかなかったのでしょうか?佐久間宛ての折檻状では、与力ばかりを使い、自ら先頭には立たない佐久間の姿勢がうかがえます。本願寺攻略中、織田方から毛利方に寝返る勢力が出たのは、単に信長に刃向かったというより、佐久間の無責任さもかなりの比重を占めているのではないでしょうか?佐久間を放置すれば、畿内の与力大名に示しがつかない。信長は与力大名からの無言の突き上げを感じていたのではないでしょうか?
村木❌
荒木⭕でした。失礼しました。
子孫は「佐久間象山」
河上彦斎に暗殺された吉田松陰と勝海舟の師匠
現在に至る歴史上事実も詳しく調べると全く違うと言う結果もある
(今日、過去に学んできた歴史が変わっていて驚くこともよくある)
チャンネルくららで、倉山満氏が織田信長の実情は、世間で知られている内容とは違うと
述べていた事を見た記憶がある。
また、比叡山焼討ちも、ある研究者が土壌調査を行ったが、その痕跡が見つからないと言う
川中島合戦で有名な武田と上杉の争いも、ある説では、お互いに家臣団に手を焼いていたので
家臣団との結束を強めるために裏で手を結んでいたと言う話もある
(五度目には合戦に至っているが、それは偶然に相手の目の前に上杉勢が出てきたので
戦う羽目になっと考えることもできる)
他には、秀吉亡き後に、家康は東は徳川、西は豊臣が治める識徳同盟の約定を持ち出したが
豊臣方に断られ、その後に至ると言う話もある
(譜代、外様の区別は明治期につけられたとか、時代劇によく出てくる役所の看板も実際はない)
これからも、調査などが進められ、事実が解明される事であろう。
林秀貞も同じような理由ですかね?
林、磯野、安藤らと佐久間は違いますよ。佐久間は追放されてませんから。前田利家と同じです。
最近の説で林は信雄の伊賀攻めを事前に相談されていたのに止めなかった責任を取らされた可能性があるそうです。美濃三人衆の安藤も巻き添え
三方ヶ原への援軍で期待に応えなかったのがケチの付き始めですね。
信長は城から出るなと家康に再三連絡していたのに家康は討って出たから年上の佐久間からしたら未熟な家康に従う気にはならないって。幾ら同盟国の援軍でも無駄死したくないだろうし。平手は若いから目の前の武田軍見て感情的にスイッチ入っちゃったんだろ?
そういう若気の至りを抑えて欲しいという信長の期待って事だ。
@@著作権侵害の京町涼子 そういう事でしょうね。勝敗より平手を戦死させたほうに怒ったようですし。信長は平手爺(先代)には恩があったし平手倅を可愛がってましたからね。
そもそも家康を制止する目的で援軍に向かわせたって説もあるしなー。
信盛の徳川寄りの立ち位置と、連絡をサボって裏金作り、蟹座(信長)の疑り深さ、これらが合わさるとそうなるだろうなという印象。徳川は今川の塩止めの際に武田と誼を通じていてもおかしくない。因みに武田も信長と同盟してます。凡人は上司に疑われると仲間作りに励む傾向がある。正面から申し開きして信頼を勝ち取る能力がないから。もっともそんなもん伊達政宗ぐらいでないとなかなか出来ないが。その後武田は上洛敢行してますから、勝算は立っていたのでしょう。その前哨戦的な意味合いで信盛はやられたのだと思ってます。
でも、結局は佐久間粛清が行われたせいで本能寺の変のフラグが成立したんだよなあ
佐久間の後任の近畿方面軍が、明智光秀だったんだから
古い事ですが家督争いの時ですら信長支持だったのが佐久間一族で、桶狭間の時の様な重要な
戦いでも佐久間一族からは戦死者沢山だしてます
「筆頭家老から降格するぞ、反省しろ」くらいなら周囲も受け入れたでしょうが実際には行き成り全所領
没収の上追放にされた訳ですので
この当時ですら家中の最上位で明智や羽柴よりも格上の家老ですからね、そりゃあ皆が怯える
佐久間の粛清が有りなら、安全な人など誰も居ないから
…他の強力な家臣に押され、運無く戦果出せず左遷。ただ本能寺などで襲われ命落とす悲惨な最後免れたのが救いでしたね。お気の毒。
家康と領地を接する西三河を任せられます。と記載されてるけど,三河は家康の領地だったのではないかしら、この記載違ってるよう気がするけど?
折檻状には
一、小河かり屋跡職申し付け候ところ、
という旨の内容が書いてあるので,水野信元の領地を得たということ,三河全土が家康の領地ではなかったということは理解しました.間違った情報を載せてすいませんでした
余計な一言二言が多くて根に持つ信長は上司としては使われたくないなあ。
古傷をぐりぐりとなじって、何か咎か都合が悪くなれば(仮定)捨てられるなんて、部下として精神衛生上だけど不安定すぎて発狂しそうだ
信長のような上司の元では絶対働きたくない。
でも戦国武将の中では一番好き。
義元がショウタさんなの好きw
「山田君、全員の首取ってって」は噴きましたwww
このチャンネルのイラストは絵柄も柔らかそうだし、時折こういうギャグ(?)をやってくれるから好き。
政治に軍事に筆頭家老として八面六臂の大活躍だった昔と比べ、若い明智羽柴の台頭があり同じく古参の柴田も手柄を立てる中、石山本願寺という難しい相手に負けはしなかった物の勝ちもしなかった。 今も昔も結果が全てしかも戦国時代でこの対応は非常にまずい。 ノッブとしては他の武将の手前折檻状で発破をかけようとしたのかもしれないが、これを読んだ信盛に安西先生は訪れず心が折れたのか高野山に行ってしまった。 現在の状況に慢心せず常に研鑽し己を磨き続けないとこうなる好例。 鳴り物入りで登場して長い間大ベストセラーだったが後継製品のアップデートに大失敗してそのまま消えた商品に酷似している。 T型フォード、ゼロ戦、VWビートル、ネオジオ等信盛と同じ運命に…。
信長は手取川で上杉に破れた柴田勝家や中国で毛利と膠着状態に陥った秀吉の任は解かないので、佐久間からは必死さが伝わって来なかったんじゃないのかな。
佐久間も佐久間で信長に名誉回復の機会をアピールすることもなかったし、自分の実力に対して成長が見込めないと諦めていたのかもしれませんね。
結論、信長は何だかんだで甘い。
信長は家中で派閥制度を採用してて、奇抜な策は身分問わずで取り立てて採用する鬼才の持ち主だしな。
そんな他家ではされてない制度を取り入れる事で立身出世の木下藤吉郎を抜擢出来たんだよな。
4:29 ノッブwwwwwwwww
もし実力が有れば他国に仕官するだろうに、なぜ?しなかった⁇。
信長もしくは織田家への義理立てかもしれませんね
老いた自身はともかく、子や親族達は今後取り立てられる可能性も計算したのかもしれませんし
撤退戦が最も難しいとされるのに撤退戦と防衛戦が得意というのは、かなりの戦上手と思われる。
攻めは得意でないとは言え、そこを理解して配下の得手不得手を考えて起用するのも上に立つ者の役割かと思うが、信長に限らず時の権力者というものは自身に都合よく考えてしまうものなのだね…
KOEIのゲームでも知力が低く使い勝手の良くないキャラとして描かれる佐久間信盛が憐れ。
この人の後釜に明智光秀がなり、本能寺につながるわけだ。この人の追放は、歴史の分岐点となる大きな出来事なんだね。大河ドラマの主役どころか端役にもなかなか出てこないけどね
信長の家臣にだけはなりたくないなぁ
非公開コメントって書けないんだろうか。
動画は分かりやすく面白かったです。
ただライターというなら天下人の定義を調べた方が良いと思います。また、本願寺についても今時は大坂本願寺という呼称が一般的で石山と聞いたときは、歴史好きな人でまだ石山本願寺と呼ぶ人がいるのだなと思いました。
退き佐久間の読みは のきさくま じゃないかなぁと思うのです
佐久間信盛の墓は十津川の武蔵という集落にあります
水野家を潰したから
信長の野望天道をやってると、勤続年数が長い微妙な能力な家臣は、勤続年数が長い分、給料を多く払わないといけない。微妙な能力に大金払うのが面倒くさくなってくるから、なんか気持ちはわかるw
歴史の事は良く解らないけど
どんな組織で有ったとしても上の人間に軽口叩いたり軽んじれば
有能無能に限らず組織が内側から崩壊する恐れが出て来るんだから弾かれるのは当然
信長は歴史上に登場した頃の無名の木下藤吉郎(秀吉)の意見を取り入れて成功の見返りに家老に取り立てるくらいには意見を聞く人。
ちなみに信長が過激派なイメージが強いのはいずれも宗教・幕府・御所のいずれかが絡んだ出来事の時であって、有事の際には会席した人物と同じ目線で話をできるように大抵の事は城で会議より寺社で食事をしながら会議をしたりする気さくな人物でもあるそう。
まあ皆、本能寺を連想するよなw
本能寺の黒幕は現代にも残る日本に根付いてた各宗派の信奉者と言うのは説としてはある。
その実、信長は宗教嫌いだから潰したがってたりしてるしな。
あんな信長に仕えるくらいなら追放されたほうがマシだ
小さな商店の番頭が、大企業になっても、番頭気分で、時代の流れが把握できず
また、信長という人物を舐めていた、見誤った部分もあると思う。
秀吉は、流石、足軽から成り上がっただけに、信長という人間をよく見ていた
信長はちょっと成功したからといい気になってるブラック企業の社長。結局のところ、人望がない。人望がないから頂点には立てないのだよ。
明智光秀によって天下への道筋を案内されてきたが信長の想定外の暴走で本能寺で光秀に消された
秀吉が陥れた節に一票。
織田時代の秀吉は、ひとたらし。の秀吉だったからなぁ…
とは言え、秀吉の家臣には軍師で信長嫌いで秀吉を崇拝する竹中半兵衛がいたりしてるから信長の腹心を減らす小細工はあったかも知れない。
信長は自分の事業に部下も合わせさせるタイプ?
部下になると適材適所の配属判断はしてくれないようなので合わせて付いていくのは大変そうに思えますが、事業転換がスムーズなやり手ながら、ワンマン経営者にはありがちな話。
これが戦国時代の話ですから先進的ではありますが、やはり斬新すぎるのも信長の長所であり短所なんですかね。
人生50年で既に55歳なら、隠居しろとでも言っておけばまだ家臣の動揺も抑えられたでしょうけれど。