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京都橘高校なんて、あれがやりたくて入学して来て海外からの招致があって、全然違う評価軸を作ってしまいましたよね。
1番の問題は、全国大会の常連化。毎年毎年、あんたたち何年連続で出てるの?というくらいに、毎年の全国の顔ぶれが変わらない。悪いけどつまらない。更には某支部大会より、某県大会の方がレベルが高言われる始末。ハッキリ言って、やってられない。全国大会を単独で見れば、そりゃ色々あるんだけど。正直この点においては、課題だらけだと思う。もう今年全国に出た団体は、次の年は参加禁止くらいしないと、全国大会に変化は生まれないと思う。
「出たくないなら出なければ良い」「考えが違うのなら参加しなければ良い」ということをおっしゃっている方がいますが、問題はそこではなく「ただ音楽をするつもりで入部した子達が“何も説明を受けずに”コンクールに出場する文化が根付いていること」ですよね。入部したての子達には、出たい出たくないの感情すらまだないんです。そんな子達の音楽的成長機会を無意識に奪ってしまうのは「有無を言わさずにコンクールに出場させることが当たり前になっている風潮」ですもんね。
そうですそうです、まぁ多分夏にコンクールがってそれに参加することくらいは伝わってるとは思うのですが、そこに参加する際のリスクや意味についての説明は不十分なのでは、という問題提起でした!ありがとうございます🙏
高校で吹奏楽部を指導しています。コンクールの指導が終わりモヤモヤした思いを抱えていたところですが、自分が引っかかっていたことを言語化してもらえた思いです。
コンクールお疲れ様でした!先生方のご苦労も大変なものですよね…子どもと先生双方にとって納得感のある催し物になってほしいものです🤔
吹奏楽の指導をしています。学生時代から吹奏楽コンクールには批判を持っています。内容すべて同意します。音楽的にも教育的にも吹奏楽コンクールやそのための部活のあり方は問題があります。音楽的には本質的に競技性のない曖昧にしか評価できない音楽を評価し、音楽の内容より結果に意識が集中していること。教育的には音楽の本質的な喜びではなく、評価の曖昧な結果を重視し、音楽の学習指導要領にあるような生涯音楽を親しむことのできる人を育てるのではなく、バーンアウトしてしまうようなそのときだけの短期成果を求めている点があります。様々なジャンルの名曲にふれる。様々なコンサートで聴衆の反応にふれる。音楽の基礎、個として音楽を学ぶ。生徒主体の運営で、自主的に取り組みチームビルディング等を学ぶ。音楽文化を育む市民を醸成する息の長い教育するなど、大切なことはたくさんあり、忘れられています。また、吹奏楽コンクールにからむ利権団体、ビジネス、経験した大人のそこにいる子どもと無関係なノスタルジーなどがあります。こちらの声楽家車田さんの動画も大変参考になったので、ご紹介します。th-cam.com/video/sgOUr7ycXeY/w-d-xo.html
全日本吹奏楽連盟は、吹奏楽及び管・打楽器による音楽の普及・向上を図り、もってわが国の芸術文化の発展に寄与することを目的としています。そして、この目的を達成するために次の事業を行います。とあり、金銀銅で競うコンクールは既に目的達成されているのではと。やるならば、プロの演奏家の講習会や公演、楽曲開発、研究会などに赴きをおくのが良いのではと感じています。その上で地域移行の実現を目指すが重要課題なのではと。長文失礼いたしました。
吹奏楽コンクールは確かに小生も好きではありません。が、他の学校も只コンクール一本に賭けています的なとこから音楽をシンフォニックに表現するところに力点を置き、その発表の場と捉えるとこまで様々です。なので、高校生のときコンクールの演奏が最初の番の方のときは全ての団体を聴いて皆でどこのどの部分が感動したね、と議論したもんです。皆が感動し、心を動かされる演奏は意外にアラが目立ったりして評点的には伸びないのかもしれませんし、実際審査が終わってみると部員同士で首を傾げるコトもありました。そのように色々な色の団体を見るコトで音楽の表現の幅を拡げる為に利用する、という結論に達しました。因みに現在母校の吹奏楽部はシンフォニックジャズに力を入れるようになり、そのコンテストに出演するなど、多様な音楽を年間通して楽しんでいるようで、嬉しい限りです。
吹奏楽コンクールで競っているのは技術面だよな,実際。音色,音程,響き,リズム,縦の線,ハーモニー,強弱などなど…客観的に比べられるのはそういったところ。余り音楽性は関係ない。音楽性は結局好みの話になってくるからな…技術面を向上させるにはいい機会であるとは思う。高校生の感性のみで作り上げた音楽と指導者が入ってきっちり作り上げた音楽とでは完成度に差が出てくるのは仕方ない。高校生は専門的に音楽を学んでいる生徒ではない限り視野も狭いし知識も限られているから。ただ,技術面で優れている学校が上位に来るのは好ましいことであるとは思う。なぜなら,技術もないのに自己満足な音楽を作り上げることで音楽をしている気になっても聴衆には響かないことを理解できると思うから。技術があるからこそ音楽性が表現できるということを知ることができる。教育的な面で考えるなら,生徒自身が試行錯誤して協力して一つの音楽を作っていくことが生徒の音楽性を高めていくことになると思う。音楽性を高めるためにはそれ相応の時間が必要だ。ただ,実際それではコンクールに間に合わないことが多いからどうしても顧問の指示に従い,顧問の音楽性を再現することになって結局顧問の音楽性を生徒がコピーしているだけになる。で,定期演奏会なんかで生徒自身で曲を仕上げる場面になると顧問や指導者と似たことしかできないことが多いと思う。オリジナルを作り上げているつもりでも結局は顧問や指導者のコピーでしかないことが多い。僕が危惧するのは,生徒が顧問の音楽性を絶対のものと勘違いしてしまうことだ。そういう生徒の中から何人かは将来指導者になりまた同じような指導を繰り返す。音楽的に偏った価値観を広めていくことになる。そして,コンクールでいい賞をとっていると保護者も含めて金賞の音楽をいい音楽だと勘違いする。音楽を強い・弱いで語りだす。偏った音楽性・音楽観を広めていくことになる。世界にはいろいろな音楽がある。それぞれに文化,歴史が背景にあり,それに適した表現法がある。学生には視野を広くもって音楽を考え,楽しんでもらいたいと思う。
コンクールの吹奏楽および「競技音楽部」は西洋音楽の中でも相当特殊な部類、と感じています。管弦楽や合唱など、大人数で演奏するという意味では近しい形態の音楽に興味を持つことすら許されなかったりするので。
そう、西洋音楽の中でも特殊なんですよね、そのあたりも丁寧に説明する必要があるし、大人も理解しておく必要があります。これは教員養成課程の問題ですね🤔
初コメント失礼致します。中学、高校とブラスバンドをやっていました。中学は大会やコンクールに出ることなく、それこそ楽しみながらの部活動でしたが、高校はそれと真逆で競技系音楽部でした。20年ほど前に高校生枠として全日本吹奏楽コンクールに参加し、3年間で銅賞、銀賞、金賞を1個ずつ、チームとして受賞したものの、一度も最初の予選を通過できないまま終わってしまいました。それこそ、仰るように「音楽をするつもりで入部しても、一切説明がないまま有無を言わさずコンクールに出る」状態であり、コンクール当日は吹奏楽よりも指揮者(顧問教諭)になっていた…ごもっともです!ただ、ブラバンを辞めてから20年経過した今でも抱えている疑問があります。それは、地区予選から本選に進む際、なぜ「金賞取ったのに予選敗退」する団体と「銀賞でも本選進出」する団体が発生するのかです。この審査基準が不透明すぎ、「結局は審査員のお眼鏡にかなう演奏をしないと次のステージへ進めないのか?」と思ったことすらありました。高校1年の大会でこの事情に気づき、それなら何のために吹奏楽を頑張るのかわからなくなり、モチベーションが急降下して無断欠席が急増したのを覚えています。それでも、最後まで走りきりたいと思い、3年の夏まで在籍し続けましたが、今となっては懐かしい思い出です。またおじゃまさせてください。
吹奏楽は他と競うものではなく音楽に親しんで生涯楽しめるものであってほしいと思います。注文をつけるようで大変恐縮ですが、カタカナの言葉だとちょっとわかりにくい人もいるかと思いますので、中学生にでもわかる言葉で説明があったらよかったと感じました。
ありがとうございます🙏🙏🙏
元中学校音楽教師です。①音楽は競技ではない。その通りだと思います。でも子どもたちは誉められたいんですよね。先生たちも評価したい人種です。そうなるとやはり活動に対して何かしらの目標が必要になります。それがコンクールで金賞を取ること、代表になることとなっています。わかりやすい目標ですからね。そうなると頑張れ頑張れと子どもたちを煽るようになる。指導してる先生たちも評価される。そして部活動の成績は受験・進学に関係してきます。私が思うにコンクールの問題を根本的に解決するには入試制度を変えていかないことには吹奏楽コンクールだけ改革してもダメなんじゃないかと思います。現場で見てきた本当にあったことですが、ロビーのモニター前に集まって他校の演奏に対して「失敗しろ、失敗しろ」と言ってる複数の学校の複数の生徒さんたちを見てしまったことがあります。コンクールの慰労会で地元の先生たちと話したところ、「隣の学校は敵だ!」と教えてる先生が5名ほどいると実名を挙げておられました。もうこれは音楽ではありません。全国大会に出場される学校の演奏は確かに巧いと思いますが、音楽的で心から感動できる演奏はどれくらいあるでしょうか?関東の某私立高校ですが、毎年同じような味つけで良く言えば安定していてサウンドは美しいです。でもハッキリ言ってつまらないと思いました。甲子園と同じく高校の部は私立校ばかりの毎年同じ学校ばかりになってしまいました。聴きたいと思わなくなりました。某テレビ番組でやってましたが、玉名女子はコンクールという場でも音楽することを忘れてないですね。そういう学校が金賞になるのはとても嬉しく思います。中学校の部、奄美大島の中学校はスゴいですね。人数少ないと不利だとずっと思ってました。しかもめちゃくちゃ音楽してますね。楽器店も多分、島にはないでしょうからいろいろ不便だと思います。いったいどうやったら、あのような生徒たちが育つのか、練習見学させて欲しいです。まだまだ少ないですが、そうした音楽する心を大切にされてる指導者がいることに光を感じました。その巧いけど、上手くない、サウンドが美しいだけという演奏はやはりコンクールで勝つためのツボみたいなものです。②コンクールの審査UP主さまはちょっと誤解されてるかなと思いました。私もコンクールの審査員をしたことがありますが、審査員たちが1番聴いているのは前述したように「全体のサウンドの美しさ」です。それに関わって音程とかアーティキュレーションや縦(拍)の統一が大事になってくるワケです。楽譜を正確に読み取るんですけど、UP主さまの仰るような視点とはちょっと違うワケです。全体のサウンドの美しさを評価してるから、全国大会まで登り詰めた学校でも音楽的にはつまらない演奏になってしまうことが起きてしまいます。地区大会や県大会までは審査員はあんまり表現なんか聴いてくれてないですよ。サウンドを創るには息をしっかり入れて楽器を芯から鳴らすことが重要になります。ところが中高生は力任せに無理やり鳴らしてることがほとんどです。その先日のテレビでやってた学校も例外ではないなと思いました。見ていて脚を閉じてたり、片方の足を前出してたりしたら、下半身の支えが出来てないんじゃないかと思いました。やはりフレーズの終わりまで息が足りてなくて吹き上げられてないなと思いました。それと力任せに吹いてると音が硬くなってしまいますね。楽器が芯から鳴るほど、息が楽に入ってると柔らかい音になりますし、周りの楽器と共鳴するので倍音が豊かになりますね。それが出来てる方の学校は金賞になってますし、支部大会留まりの学校との差なのかなと思いました。ソロじゃないように思うんだけどな…その全体のサウンドの美しさというのが諸刃の剣でともするとあまり表現せずとも金賞になってしまいやすいし、勝つためのツボなので毎年同じような味つけの演奏でも評価されてしまうことが起こります。やっぱり音楽は競技じゃないところがあるんですね。もし音楽やってて敵がいるとしたら、自分の中にある練習サボりたくなったり、妥協したり、諦めてしまう弱い心でしょう。何故なら音楽する上で答えは自分の中にしかないからですよ。自分がいいと思わないものを他人が聴いて感動してくれるワケがないです。テレビやってた学校の先生たち、言ってましたよね。ちゃんとそういうところも捉えて放送してくださったこと、私はとても嬉しいです。また巧いだけじゃない学校を取り上げてくださったこともよかったです。でも目標が全国大会ってなるとコンクール一辺倒になりがちですね。嫌なら出なければいいというのはちょっと乱暴です。指導してる先生たちがコンクールだけではない音楽する価値をどこに置くか?コンクールは目標であって、活動の目的にしてはダメだと思います。指導者の責任は大きいですね。それと受験制度変えなくちゃ、ステイタスで吹奏楽やってるような子や親の意識も変わらないかなと思います。長くなりました。スミマセン。こうした音楽の専門家たちがTH-camで吹奏楽コンクールの問題提起をされるようになったのもとても素晴らしいことですね。部活動を教員の業務から外し、学校活動ではなく、社会教育活動へと移行をしていく流れになっています。学校で部活動をやらなくなったら、最も危機になるのは吹奏楽だと思います。勝つためのコンクールだけしてたら、吹奏楽文化は消滅してしまうことでしょう。コンクールのあり方だけではなく、音楽教育全体のあり方が問われてると思います。ありがとうございました。
音楽もスポーツも、勝つためやお金のためでない時の光景が、一番人間的だと感じます。自分は「競争したくない」と思いながら、いつの間にか競争してしまいます。部活以前に、比較の上にアイデンティティーを成り立たせようとする社会的風潮があって、それがやっと疑われ始めたのでしょうね...
自分は音楽に関しては趣味でフルートに触れてる程度なのでほぼ何も言えないですがそもそもの話、中学高校どの部活動にも「誰かと競う」という考えが存在してるのでは?と思いました。運動部はもちろん「誰かと競う」はあるのですが書道部、写真部、演劇部などの「それ競う必要あるの?」というような文化部にも吹奏楽部のような競うための〇〇コンクールがありました。(唯一茶道部だけは私が通ってた学校でそういうのはありませんでしたね)部活動自体が「ライバル作ってお互い競おうぜ!」になってるような気がします。それが悪いとは言いませんがなんかモヤモヤするところですね…長文失礼しました。
たしかに誰かと競うのは学校全体の文化かもしれません。短期的にはカンフル剤としてモチベーションを喚起できるかもしれませんが長期的に見ればあまり効果高くないですよね。しかしそう思うと茶道部素晴らしいですね🤔
理想を言えば知識と情熱を兼ね備えた優れた指導者が自分の豊かな経験を活かして、コンクールに参加しなくても生徒のやる気を十分引き出して充実した音楽活動が出来ればいいと思います。しかしそんな指導者を育成するシステムはまだ無いですよね。だからせいぜいコンクールで勝てる?技術を覚えるのが精いっぱい。これが現実とのギャップかも知れません。
簡単なことじゃない?顧問の先生が出なきゃいいんだ。吹奏楽コンクールは野球やサッカーに例えればキャッチャーやゴールキーパーは先生がやってる。って感じじゃない?指揮者ってプレイヤーに他ならないよね。バンドやオーケストラは指揮者の楽器だよ。だから顧問の先生は監督に後ろに下がって指揮も生徒がするとか別になくてもいいとかすれば"指揮者の楽器"ではなく本当の"Band"になれると思うよ。
高校野球を見ながらふと思ったのですが、野球応援が学校吹奏楽の芸術性を損なっている可能性はないでしょうか?高校野球・学校吹奏楽ファンの皆さん、申し訳ありません。
僕自身は吹奏楽コンクールを「芸術性を競う場」だとは思ってないのですが、野球応援で良いとされる表現とコンサートホールで伝統的なクラシックを演奏する際に良いとされる表現は当然ながら違うので、そういう意味では吹奏楽に西洋音楽的なオーセンティシティを求める立場からすると野球応援は阻害因子かもしれません🤔
中学吹奏楽部で、高校以降は管弦楽してきた大人です。学生オケでは数年間学生指揮者も務めてたんですが、オーケストラの演奏者と自分とに温度差をよく感じてました。この動画を拝見して、かつて吹奏楽コンクールのために受けた指導、ひいては競技音楽としての価値観を実は内面化してて、吹奏楽コンクールと縁があるとは限らない管弦楽奏者に対して、「吹奏楽部の顧問」のように振る舞ってはいなかったか、としきりに反省しています。
学生に限りますがスポーツは学生同士がガチンコで競い勝敗を決めるから面白い。吹奏楽コンクールは大人の介入【審査員でしかもプロ】で決めるからつまらない。全国大会出場校は上手いのは認めますが感情論で言えば別。無邪気に演奏や歌ってる子供の方が音楽を楽しんでいるし聴いてる方にも響く。【個人の感想です🙇】教育上大人が介入するのは仕方ないけど介入しすぎれば子供達がやる必要性はないかと。極論審査員も学生で指導者【指揮者】も学生でやればおもしろいのでは?と思ったり…難しいですね~🤦
嫌なら出なければいい、というご意見はまさにこもっともです。ただ、それを決める得るのは学校や先生の方針、もしくは部員の総意であって、本当の意味で一人一人の生徒の選択を反映させるのは難しい現状だと思います。だからこそ出る理由、出ない理由、それぞれにおけるメリットデメリットを丁寧に説明することで、子供自身が自分で選択するのに限りなく近い状態にすべきではないか、と言う風に受け取りました。ちょっと意訳かもしれませんけどwフェスいいですね🎉何をしても子供達は楽しみますし、青春の1ページになります、柔らかいですね^ ^でも、その後の人生で音楽と関わっていくに当たって、無自覚にコンクールに出て金賞を目指すことは、確かにある種の危険性を孕んでいると感じます。長々と失礼しました!
まさにそういうことです😭丁寧に読み取っていただきありがとうございます🙏
陸自の演奏会に通いつめて出来上がった感覚でコンクールに行くと、違和感が酷いです。美しい響きよりも音量・難易度優先、制限時間のせいで曲は継ぎ接ぎだらけのズタボロ。正確性に拘って全体の流れが悪い演奏。陸自中央音楽隊の特別儀仗じゃないんだから、気楽にやれば?と思います。
そうですね、競技的側面が強調されすぎて子ども自身が音そのものを聴いて楽しむような経験が阻害されているように感じます🤔
私ははっきり言いますが50年以上前吹奏楽を始め全日本コンクールに何度も出場トロンボーン吹いてますコンクールの根本的改善問題は楽器のレベルが高くなりすぎです‼️当時は2レベルです‼️学校の楽器は緑青へこみでボロボロの楽器をコンクール前日磨き上げ会場で演奏‼️1年間猛練習してコンクールに披露その結果を審査員の先生が評価してくれる‼️まとまりや元気な演奏技術を評価する当時はおとなしい演奏すると審査員の先生元気がないもっとカ強く吹きなさい吹奏楽の演奏じゃあない‼️元気出せ✊と言われました‼️元気な演奏した学校が1位になった時代楽器も同じようなレベル緑青へこみの楽器が多かったそれでも吹奏楽の演奏するには充分でした‼️全国大会の演奏聞いても神業のレベルの演奏する団体が現在のようにハイレベルの楽器ではありません‼️しかし現在ヤマハのハイレベルやクランポン❗セルマムラムマッ舶来や高価高級楽器をオンパレード曲の音の響気や音質はもはやプロの楽団を聴いている世界学生の演奏している世界度がすぎます‼️アメリカのコンクールにはまだ私達の頃のようにアマチュアの雰囲気があるしかし現在日本の吹奏楽コンクールレベルアップはいいが一部の学校がもの凄い高価高級楽器で演奏して連続金賞受賞そのこと学生が自慢するその姿がこわい❗コンクールではありません底辺の学校も同じように練習しているしかし楽器が揃えられない‼️そこ差が歴然同じ曲でも雰囲気が違いすぎる‼️吹奏楽連盟が楽器基準レベル作らなと差が広がるばかり演奏する生徒の心が病んでいきますフェアなコンクールではありません自分達の高価な楽器を自慢する人もいます❗もはや学校の教育の一部ではない❗お金をかけ高価高級楽器の発表会買える人はいい買えない人は心の病み❗コンクールの意味がない‼️学校生活を有意義にすごす学生生活が一部の裕福な学校に独占されるこれではコンクール本来の姿ではありません‼️高価な楽器でも演奏する人で音は同じと言う人がいるしかしそんなことあり得ません‼️私は50年以上吹奏楽見てきた高価高級な楽器は素晴らしい音響きがでます一部の人達は高価高級な楽器で金賞とれるならやってみろ‼️プロになれると話している‼️それならば学生生活ヤマハの一部レベルの低い楽器で演奏全日本コンクールで演奏してくださいと言いたい❗あなたたちは高価高級楽器を恩恵を受けていることがわかんないのでしょうかとても残念です‼️これは50年以上全日本コンクールを見てきた私の思いです‼️
考え方を 高校野球という 同年代のくくりで考えると そういう考え方もあるのは わかります。そこで 単純に 国際音楽コンクールに ついて どうお考えでしょうか? チャイコスキーコンクール(ジュニア部門についても) 競技性の無い音楽に 優勝 2位を 決める国際音楽コンクール という 意地悪な質問をしてみる 笑 日本の吹奏楽コンクールに そのような疑問もお持ちなのは わかるのえ この辺にしておきます!!
公教育の外側の話なので、参加したい人が参加してる分にはいいのではないでしょうか!エナジードリンクを学校で積極的におすすめすることはないと思いますが、子どもが自宅で飲むことに感知しないのと同じだと思います
学校吹奏楽で先生からたたき込まれる「西洋音楽的な良さ美しさ」もごくごく限られたものだと思いますね。面白い話があって、日本の学校吹奏楽では「クラリネットはビブラートをかけてはいけない」的な事を教える例も少なくないと聞きます。しかし、チェコやイタリアのクラ奏者は管弦楽団で美しいビブラートを聴かせます。また、吹奏楽(マーチング含む)も国によって編成・サウンド・感性の違いに対して、学校吹奏楽関係者がまるで興味が無いようにも感じます。
吹奏楽部で教えられる美の基準は西洋音楽の中でもかなり特殊ですよね。文化がローカライズされることは必ずしも悪いことではないと思いますが、多様性を容認できないのはまずいと思っています🤔視野を広く持ちたいですね🤔
正解を探したらキリがないよね😄
運動部出身の古い国民からすれば、元々吹奏楽部というのは運動部に極めて向いていない人間の逃げ道だった訳です。 監督や先輩からの過激なシゴキもなく、一部の名門校を除いては全員レギューラーで、過半数の部員は家族から高額な楽器を買って貰えます。大会では金賞が複数存在して最低でも銅賞が得られますね。 そうゆうスタイルを望む生徒や親が増えていった訳です。 ちなみに私は吹奏楽宝島批判の張本人です。 原曲の作曲者が鍵盤奏者なのに管楽器で捻じ伏せるアレンジになっていて心外です。 ソロパートで管楽器のオリジナルフレーズを吹くのが困難ならば原曲の鍵盤ソロのフレーズをそのままシロフォンで演奏する案がよろしいかと思っております。
吹奏楽コンクール以外の活動をしている学校もありますし、入部の時にコンクールについて説明している学校もありますよね。音楽教育学者の方は、現場のことを知らないんだなと思いました。
全ての現場の全ての事例について言及せず全体的傾向の話をして大変申し訳ありませんでした😢💦他の動画も全てそうなのでブロックしてくださいね、チャンネルページの右上からできます😢💦
popopo po 様まったく同感。仰る通りだと思います。
どのくらいの吹奏楽部がコンクールについての説明を行なっているかというデータなんかあるわけありません。この動画で現場を知らないと言う指摘は酷ではないでしょうか。コンクールの規模感や歴史から言えば動画による現状の言語化は本当にその通りですし、とても現場にとって参考になるものだと思いますよ。
現場のことを知ったうえ きちんと音楽を楽しんでいる団体や学校もあることを存じているうえで話されていることは聞いていてわかります このトップの方の批判は幼稚であると感じます。100対0の話をしなければならないのなら、もうそれは発言するな と言っていることと同じです。
吹奏楽に限らず、ショパンコンクールにしろ なんにせよ、世の中にはたくさんのコンクールがありますね。音楽に限らず他の芸術分野でも。吹奏楽コンクールが嫌なら、出なければよいのでは?全然 強制ではないので。夏のコンクールシーズンに、コンクールには出ずに、楽しいサマーコンサートでも行えばよいですよ。あと、部活は 今の時代、もう強制ではありません。嫌なら部活には入らず、ジュニアバンドに入るなり、近所の音楽教室に通うなりすればよいと思うのですが....。
嫌ならでなければいい、というのはその通りなんですが、それは「公教育の場で任意参加の美少女コンテストを開催することになんの問題もないか?」という話と同じだと思います。もし美少女コンテストを開催するのであれば、参加することのリスクと特殊性をエントリーの段階でかなり丁寧に説明しなきゃいけないはずです。その説明が足りていない、という趣旨でした!
今佳 様仰る通りだと思います。部活動の運営、企画、指導は、顧問&学校の考え方次第ですよね。コンクールと学校行事が、ブッキングして、辞退されたり、三年生不在で、参加されたりしていた例も多々有りますしね。
@@tabibito-vr1ee ご意見ありがとうございますm(_ _)m そうですね。コンクールを どう利用するかは、その学校の生徒や教員が決めればいいのです。コンクールに出る趣旨ももちろん了解した上で出るわけです。私は、1年に1度コンクールに出ることはいいと思います。1年間取り組んできた活動を 外部に評価してもらう という場があった方が 生徒への刺激にもなります。一喜一憂したり、だらけてた雰囲気に緊張感(いい意味での)が生まれます。頑張ろうと意欲を見せる子も多いですよ。コンクール前にはぐんぐん 上手くなっていきます。コンクール後には やりきった表情で、普段なかなか立てない舞台に立てた経験も 貴重なものだと改めて思います。保護者の中には 我が子の成長に涙を流す人もいます。今は 我が地域は部活は強制ではありません。嫌なら 自分に合う場所を見つけられます。
@@tabibito-vr1ee あと、誤解のないように言っておきますが、コンクールのために 過度な練習時間を取ることは、今の時代には反する流れだとは思います。ブラック部活であってはいけないですよね。部活のために生きているわけではないですもんね。
@@藤-i7q 様おっしゃる通りですね。私も、以前、地元のスクールバンドを幾つか、指導させていただいた経験から、部員、ご家族、地域の応援など、多くの方たちからの心遣いを感じながら、成長していく生徒の姿を見てきました。みんなで、泣き、笑いした貴重な体験を、させてもらい、本当に幸せな時間だったと思います。
「コンクール」論と、吹奏楽(音楽)の部活動の在り方をゴッチャにして、論理展開しても意味がない。別に、強制出場では無いのだから、感じ方や考え方が違うと仰るなら、参加しなければ良いだけ。自主的に演奏会、発表会をすれば良いと思います。
「吹奏楽コンクールは強制参加じゃないんだから問題ないじゃん」というのはその通りなんですが、強制参加じゃなければ学校で大した説明もなく美少女コンテストやってもいいのか、という話をしたつもりです。もしやるとしたら参加することのリスクや美の多様性について丁寧な説明をした上でやるのが主催側の大人の配慮だという話です!
極端過ぎる喩えですね…。理解致しかねます。
@@tabibito-vr1ee 吹奏楽コンクールの話で、 美少女コンテストを例えにするのは どうでしょうねぇー。うまい例えではありませんね。
動画の前半が理解できれば美少女コンテストの例えは理解可能です。
京都橘高校なんて、あれがやりたくて入学して来て海外からの招致があって、全然違う評価軸を作ってしまいましたよね。
1番の問題は、全国大会の常連化。毎年毎年、あんたたち何年連続で出てるの?というくらいに、毎年の全国の顔ぶれが変わらない。悪いけどつまらない。
更には某支部大会より、某県大会の方がレベルが高言われる始末。ハッキリ言って、やってられない。
全国大会を単独で見れば、そりゃ色々あるんだけど。正直この点においては、課題だらけだと思う。
もう今年全国に出た団体は、次の年は参加禁止くらいしないと、全国大会に変化は生まれないと思う。
「出たくないなら出なければ良い」「考えが違うのなら参加しなければ良い」ということをおっしゃっている方がいますが、問題はそこではなく「ただ音楽をするつもりで入部した子達が“何も説明を受けずに”コンクールに出場する文化が根付いていること」ですよね。
入部したての子達には、出たい出たくないの感情すらまだないんです。そんな子達の音楽的成長機会を無意識に奪ってしまうのは「有無を言わさずにコンクールに出場させることが当たり前になっている風潮」ですもんね。
そうですそうです、まぁ多分夏にコンクールがってそれに参加することくらいは伝わってるとは思うのですが、そこに参加する際のリスクや意味についての説明は不十分なのでは、という問題提起でした!ありがとうございます🙏
高校で吹奏楽部を指導しています。コンクールの指導が終わりモヤモヤした思いを抱えていたところですが、自分が引っかかっていたことを言語化してもらえた思いです。
コンクールお疲れ様でした!先生方のご苦労も大変なものですよね…子どもと先生双方にとって納得感のある催し物になってほしいものです🤔
吹奏楽の指導をしています。学生時代から吹奏楽コンクールには批判を持っています。内容すべて同意します。音楽的にも教育的にも吹奏楽コンクールやそのための部活のあり方は問題があります。音楽的には本質的に競技性のない曖昧にしか評価できない音楽を評価し、音楽の内容より結果に意識が集中していること。
教育的には音楽の本質的な喜びではなく、評価の曖昧な結果を重視し、音楽の学習指導要領にあるような生涯音楽を親しむことのできる人を育てるのではなく、バーンアウトしてしまうようなそのときだけの短期成果を求めている点があります。様々なジャンルの名曲にふれる。様々なコンサートで聴衆の反応にふれる。音楽の基礎、個として音楽を学ぶ。生徒主体の運営で、自主的に取り組みチームビルディング等を学ぶ。音楽文化を育む市民を醸成する息の長い教育するなど、大切なことはたくさんあり、忘れられています。また、吹奏楽コンクールにからむ利権団体、ビジネス、経験した大人のそこにいる子どもと無関係なノスタルジーなどがあります。こちらの声楽家車田さんの動画も大変参考になったので、ご紹介します。th-cam.com/video/sgOUr7ycXeY/w-d-xo.html
全日本吹奏楽連盟は、吹奏楽及び管・打楽器による音楽の普及・向上を図り、もってわが国の芸術文化の発展に寄与することを目的としています。そして、この目的を達成するために次の事業を行います。
とあり、金銀銅で競うコンクールは既に目的達成されているのではと。
やるならば、プロの演奏家の講習会や公演、楽曲開発、研究会などに赴きをおくのが良いのではと感じています。
その上で地域移行の実現を目指すが重要課題なのではと。
長文失礼いたしました。
吹奏楽コンクールは確かに小生も好きではありません。が、他の学校も只コンクール一本に賭けています的なとこから音楽をシンフォニックに表現するところに力点を置き、その発表の場と捉えるとこまで様々です。なので、高校生のときコンクールの演奏が最初の番の方のときは全ての団体を聴いて皆でどこのどの部分が感動したね、と議論したもんです。
皆が感動し、心を動かされる演奏は意外にアラが目立ったりして評点的には伸びないのかもしれませんし、実際審査が終わってみると部員同士で首を傾げるコトもありました。そのように色々な色の団体を見るコトで音楽の表現の幅を拡げる為に利用する、という結論に達しました。
因みに現在母校の吹奏楽部はシンフォニックジャズに力を入れるようになり、そのコンテストに出演するなど、多様な音楽を年間通して楽しんでいるようで、嬉しい限りです。
吹奏楽コンクールで競っているのは技術面だよな,実際。音色,音程,響き,リズム,縦の線,ハーモニー,強弱などなど…客観的に比べられるのはそういったところ。
余り音楽性は関係ない。音楽性は結局好みの話になってくるからな…技術面を向上させるにはいい機会であるとは思う。
高校生の感性のみで作り上げた音楽と指導者が入ってきっちり作り上げた音楽とでは完成度に差が出てくるのは仕方ない。高校生は専門的に音楽を学んでいる生徒ではない限り視野も狭いし知識も限られているから。ただ,技術面で優れている学校が上位に来るのは好ましいことであるとは思う。なぜなら,技術もないのに自己満足な音楽を作り上げることで音楽をしている気になっても聴衆には響かないことを理解できると思うから。技術があるからこそ音楽性が表現できるということを知ることができる。
教育的な面で考えるなら,生徒自身が試行錯誤して協力して一つの音楽を作っていくことが生徒の音楽性を高めていくことになると思う。音楽性を高めるためにはそれ相応の時間が必要だ。ただ,実際それではコンクールに間に合わないことが多いからどうしても顧問の指示に従い,顧問の音楽性を再現することになって結局顧問の音楽性を生徒がコピーしているだけになる。で,定期演奏会なんかで生徒自身で曲を仕上げる場面になると顧問や指導者と似たことしかできないことが多いと思う。オリジナルを作り上げているつもりでも結局は顧問や指導者のコピーでしかないことが多い。
僕が危惧するのは,生徒が顧問の音楽性を絶対のものと勘違いしてしまうことだ。そういう生徒の中から何人かは将来指導者になりまた同じような指導を繰り返す。音楽的に偏った価値観を広めていくことになる。そして,コンクールでいい賞をとっていると保護者も含めて金賞の音楽をいい音楽だと勘違いする。音楽を強い・弱いで語りだす。偏った音楽性・音楽観を広めていくことになる。
世界にはいろいろな音楽がある。それぞれに文化,歴史が背景にあり,それに適した表現法がある。学生には視野を広くもって音楽を考え,楽しんでもらいたいと思う。
コンクールの吹奏楽および「競技音楽部」は西洋音楽の中でも相当特殊な部類、と感じています。
管弦楽や合唱など、大人数で演奏するという意味では近しい形態の音楽に興味を持つことすら許されなかったりするので。
そう、西洋音楽の中でも特殊なんですよね、そのあたりも丁寧に説明する必要があるし、大人も理解しておく必要があります。これは教員養成課程の問題ですね🤔
初コメント失礼致します。
中学、高校とブラスバンドをやっていました。
中学は大会やコンクールに出ることなく、それこそ楽しみながらの部活動でしたが、高校はそれと真逆で競技系音楽部でした。
20年ほど前に高校生枠として全日本吹奏楽コンクールに参加し、3年間で銅賞、銀賞、金賞を1個ずつ、チームとして受賞したものの、一度も最初の予選を通過できないまま終わってしまいました。
それこそ、仰るように「音楽をするつもりで入部しても、一切説明がないまま有無を言わさずコンクールに出る」状態であり、コンクール当日は吹奏楽よりも指揮者(顧問教諭)になっていた…ごもっともです!
ただ、ブラバンを辞めてから20年経過した今でも抱えている疑問があります。
それは、地区予選から本選に進む際、なぜ「金賞取ったのに予選敗退」する団体と「銀賞でも本選進出」する団体が発生するのかです。
この審査基準が不透明すぎ、「結局は審査員のお眼鏡にかなう演奏をしないと次のステージへ進めないのか?」と思ったことすらありました。
高校1年の大会でこの事情に気づき、それなら何のために吹奏楽を頑張るのかわからなくなり、モチベーションが急降下して無断欠席が急増したのを覚えています。
それでも、最後まで走りきりたいと思い、3年の夏まで在籍し続けましたが、今となっては懐かしい思い出です。
またおじゃまさせてください。
吹奏楽は他と競うものではなく音楽に親しんで生涯楽しめるものであってほしいと思います。
注文をつけるようで大変恐縮ですが、カタカナの言葉だとちょっとわかりにくい人もいるかと思いますので、中学生にでもわかる言葉で説明があったらよかったと感じました。
ありがとうございます🙏🙏🙏
元中学校音楽教師です。
①音楽は競技ではない。
その通りだと思います。
でも子どもたちは誉められたいんですよね。
先生たちも評価したい人種です。
そうなるとやはり活動に対して何かしらの目標が必要になります。
それがコンクールで金賞を取ること、代表になることとなっています。
わかりやすい目標ですからね。
そうなると頑張れ頑張れと子どもたちを煽るようになる。
指導してる先生たちも評価される。
そして部活動の成績は受験・進学に関係してきます。
私が思うにコンクールの問題を根本的に解決するには入試制度を変えていかないことには吹奏楽コンクールだけ改革してもダメなんじゃないかと思います。
現場で見てきた本当にあったことですが、ロビーのモニター前に集まって他校の演奏に対して「失敗しろ、失敗しろ」と言ってる複数の学校の複数の生徒さんたちを見てしまったことがあります。
コンクールの慰労会で地元の先生たちと話したところ、「隣の学校は敵だ!」と教えてる先生が5名ほどいると実名を挙げておられました。
もうこれは音楽ではありません。
全国大会に出場される学校の演奏は確かに巧いと思いますが、音楽的で心から感動できる演奏はどれくらいあるでしょうか?
関東の某私立高校ですが、毎年同じような味つけで良く言えば安定していてサウンドは美しいです。
でもハッキリ言ってつまらないと思いました。
甲子園と同じく高校の部は私立校ばかりの毎年同じ学校ばかりになってしまいました。
聴きたいと思わなくなりました。
某テレビ番組でやってましたが、玉名女子はコンクールという場でも音楽することを忘れてないですね。
そういう学校が金賞になるのはとても嬉しく思います。
中学校の部、奄美大島の中学校はスゴいですね。
人数少ないと不利だとずっと思ってました。
しかもめちゃくちゃ音楽してますね。
楽器店も多分、島にはないでしょうからいろいろ不便だと思います。
いったいどうやったら、あのような生徒たちが育つのか、練習見学させて欲しいです。
まだまだ少ないですが、そうした音楽する心を大切にされてる指導者がいることに光を感じました。
その巧いけど、上手くない、サウンドが美しいだけという演奏はやはりコンクールで勝つためのツボみたいなものです。
②コンクールの審査
UP主さまはちょっと誤解されてるかなと思いました。
私もコンクールの審査員をしたことがありますが、審査員たちが1番聴いているのは前述したように「全体のサウンドの美しさ」です。
それに関わって音程とかアーティキュレーションや縦(拍)の統一が大事になってくるワケです。
楽譜を正確に読み取るんですけど、UP主さまの仰るような視点とはちょっと違うワケです。
全体のサウンドの美しさを評価してるから、全国大会まで登り詰めた学校でも音楽的にはつまらない演奏になってしまうことが起きてしまいます。
地区大会や県大会までは審査員はあんまり表現なんか聴いてくれてないですよ。
サウンドを創るには息をしっかり入れて楽器を芯から鳴らすことが重要になります。
ところが中高生は力任せに無理やり鳴らしてることがほとんどです。
その先日のテレビでやってた学校も例外ではないなと思いました。
見ていて脚を閉じてたり、片方の足を前出してたりしたら、下半身の支えが出来てないんじゃないかと思いました。
やはりフレーズの終わりまで息が足りてなくて吹き上げられてないなと思いました。
それと力任せに吹いてると音が硬くなってしまいますね。
楽器が芯から鳴るほど、息が楽に入ってると柔らかい音になりますし、周りの楽器と共鳴するので倍音が豊かになりますね。
それが出来てる方の学校は金賞になってますし、支部大会留まりの学校との差なのかなと思いました。
ソロじゃないように思うんだけどな…
その全体のサウンドの美しさというのが諸刃の剣でともするとあまり表現せずとも金賞になってしまいやすいし、勝つためのツボなので毎年同じような味つけの演奏でも評価されてしまうことが起こります。
やっぱり音楽は競技じゃないところがあるんですね。
もし音楽やってて敵がいるとしたら、自分の中にある練習サボりたくなったり、妥協したり、諦めてしまう弱い心でしょう。
何故なら音楽する上で答えは自分の中にしかないからですよ。
自分がいいと思わないものを他人が聴いて感動してくれるワケがないです。
テレビやってた学校の先生たち、言ってましたよね。
ちゃんとそういうところも捉えて放送してくださったこと、私はとても嬉しいです。
また巧いだけじゃない学校を取り上げてくださったこともよかったです。
でも目標が全国大会ってなるとコンクール一辺倒になりがちですね。
嫌なら出なければいいというのはちょっと乱暴です。
指導してる先生たちがコンクールだけではない音楽する価値をどこに置くか?
コンクールは目標であって、活動の目的にしてはダメだと思います。
指導者の責任は大きいですね。
それと受験制度変えなくちゃ、ステイタスで吹奏楽やってるような子や親の意識も変わらないかなと思います。
長くなりました。
スミマセン。
こうした音楽の専門家たちがTH-camで吹奏楽コンクールの問題提起をされるようになったのもとても素晴らしいことですね。
部活動を教員の業務から外し、学校活動ではなく、社会教育活動へと移行をしていく流れになっています。
学校で部活動をやらなくなったら、最も危機になるのは吹奏楽だと思います。
勝つためのコンクールだけしてたら、吹奏楽文化は消滅してしまうことでしょう。
コンクールのあり方だけではなく、音楽教育全体のあり方が問われてると思います。
ありがとうございました。
音楽もスポーツも、勝つためやお金のためでない時の光景が、一番人間的だと感じます。
自分は「競争したくない」と思いながら、いつの間にか競争してしまいます。
部活以前に、比較の上にアイデンティティーを成り立たせようとする社会的風潮があって、それがやっと疑われ始めたのでしょうね...
自分は音楽に関しては趣味でフルートに触れてる程度なのでほぼ何も言えないですがそもそもの話、中学高校どの部活動にも「誰かと競う」という考えが存在してるのでは?と思いました。運動部はもちろん「誰かと競う」はあるのですが書道部、写真部、演劇部などの「それ競う必要あるの?」というような文化部にも吹奏楽部のような競うための〇〇コンクールがありました。(唯一茶道部だけは私が通ってた学校でそういうのはありませんでしたね)
部活動自体が「ライバル作ってお互い競おうぜ!」になってるような気がします。それが悪いとは言いませんがなんかモヤモヤするところですね…
長文失礼しました。
たしかに誰かと競うのは学校全体の文化かもしれません。短期的にはカンフル剤としてモチベーションを喚起できるかもしれませんが長期的に見ればあまり効果高くないですよね。しかしそう思うと茶道部素晴らしいですね🤔
理想を言えば知識と情熱を兼ね備えた優れた指導者が自分の豊かな経験を活かして、コンクールに参加しなくても生徒のやる気を十分引き出して充実した音楽活動が出来ればいいと思います。しかしそんな指導者を育成するシステムはまだ無いですよね。だからせいぜいコンクールで勝てる?技術を覚えるのが精いっぱい。これが現実とのギャップかも知れません。
簡単なことじゃない?
顧問の先生が出なきゃいいんだ。
吹奏楽コンクールは野球やサッカーに例えればキャッチャーやゴールキーパーは先生がやってる。って感じじゃない?
指揮者ってプレイヤーに他ならないよね。バンドやオーケストラは指揮者の楽器だよ。だから顧問の先生は監督に後ろに下がって指揮も生徒がするとか別になくてもいいとかすれば"指揮者の楽器"ではなく本当の"Band"になれると思うよ。
高校野球を見ながらふと思ったのですが、野球応援が学校吹奏楽の芸術性を損なっている可能性はないでしょうか?
高校野球・学校吹奏楽ファンの皆さん、申し訳ありません。
僕自身は吹奏楽コンクールを「芸術性を競う場」だとは思ってないのですが、野球応援で良いとされる表現とコンサートホールで伝統的なクラシックを演奏する際に良いとされる表現は当然ながら違うので、そういう意味では吹奏楽に西洋音楽的なオーセンティシティを求める立場からすると野球応援は阻害因子かもしれません🤔
中学吹奏楽部で、高校以降は管弦楽してきた大人です。学生オケでは数年間学生指揮者も務めてたんですが、オーケストラの演奏者と自分とに温度差をよく感じてました。この動画を拝見して、かつて吹奏楽コンクールのために受けた指導、ひいては競技音楽としての価値観を実は内面化してて、吹奏楽コンクールと縁があるとは限らない管弦楽奏者に対して、「吹奏楽部の顧問」のように振る舞ってはいなかったか、としきりに反省しています。
学生に限りますがスポーツは学生同士がガチンコで競い勝敗を決めるから面白い。吹奏楽コンクールは大人の介入【審査員でしかもプロ】で決めるからつまらない。
全国大会出場校は上手いのは認めますが感情論で言えば別。無邪気に演奏や歌ってる子供の方が音楽を楽しんでいるし聴いてる方にも響く。【個人の感想です🙇】
教育上大人が介入するのは仕方ないけど介入しすぎれば子供達がやる必要性はないかと。極論審査員も学生で指導者【指揮者】も学生でやればおもしろいのでは?と思ったり…
難しいですね~🤦
嫌なら出なければいい、というご意見はまさにこもっともです。ただ、それを決める得るのは学校や先生の方針、もしくは部員の総意であって、本当の意味で一人一人の生徒の選択を反映させるのは難しい現状だと思います。
だからこそ出る理由、出ない理由、それぞれにおけるメリットデメリットを丁寧に説明することで、子供自身が自分で選択するのに限りなく近い状態にすべきではないか、と言う風に受け取りました。ちょっと意訳かもしれませんけどw
フェスいいですね🎉
何をしても子供達は楽しみますし、青春の1ページになります、柔らかいですね^ ^でも、その後の人生で音楽と関わっていくに当たって、無自覚にコンクールに出て金賞を目指すことは、確かにある種の危険性を孕んでいると感じます。
長々と失礼しました!
まさにそういうことです😭丁寧に読み取っていただきありがとうございます🙏
陸自の演奏会に通いつめて出来上がった感覚でコンクールに行くと、違和感が酷いです。
美しい響きよりも音量・難易度優先、制限時間のせいで曲は継ぎ接ぎだらけのズタボロ。正確性に拘って全体の流れが悪い演奏。
陸自中央音楽隊の特別儀仗じゃないんだから、気楽にやれば?と思います。
そうですね、競技的側面が強調されすぎて子ども自身が音そのものを聴いて楽しむような経験が阻害されているように感じます🤔
私ははっきり言いますが50年以上前吹奏楽を始め全日本コンクールに何度も出場トロンボーン吹いてますコンクールの根本的改善問題は楽器のレベルが高くなりすぎです‼️当時は2レベルです‼️学校の楽器は緑青へこみでボロボロの楽器をコンクール前日磨き上げ会場で演奏‼️1年間猛練習してコンクールに披露その結果を審査員の先生が評価してくれる‼️まとまりや元気な演奏技術を評価する当時はおとなしい演奏すると審査員の先生元気がないもっとカ強く吹きなさい吹奏楽の演奏じゃあない‼️元気出せ✊と言われました‼️元気な演奏した学校が1位になった時代楽器も同じようなレベル緑青へこみの楽器が多かったそれでも吹奏楽の演奏するには充分でした‼️全国大会の演奏聞いても神業のレベルの演奏する団体が現在のようにハイレベルの楽器ではありません‼️しかし現在ヤマハのハイレベルやクランポン❗セルマムラムマッ舶来や高価高級楽器をオンパレード曲の音の響気や音質はもはやプロの楽団を聴いている世界学生の演奏している世界度がすぎます‼️アメリカのコンクールにはまだ私達の頃のようにアマチュアの雰囲気があるしかし現在日本の吹奏楽コンクールレベルアップはいいが一部の学校がもの凄い高価高級楽器で演奏して連続金賞受賞そのこと学生が自慢するその姿がこわい❗コンクールではありません底辺の学校も同じように練習しているしかし楽器が揃えられない‼️そこ差が歴然同じ曲でも雰囲気が違いすぎる‼️吹奏楽連盟が楽器基準レベル作らなと差が広がるばかり演奏する生徒の心が病んでいきますフェアなコンクールではありません自分達の高価な楽器を自慢する人もいます❗もはや学校の教育の一部ではない❗お金をかけ高価高級楽器の発表会買える人はいい買えない人は心の病み❗コンクールの意味がない‼️学校生活を有意義にすごす学生生活が一部の裕福な学校に独占されるこれではコンクール本来の姿ではありません‼️高価な楽器でも演奏する人で音は同じと言う人がいるしかしそんなことあり得ません‼️私は50年以上吹奏楽見てきた高価高級な楽器は素晴らしい音響きがでます一部の人達は高価高級な楽器で金賞とれるならやってみろ‼️プロになれると話している‼️それならば学生生活ヤマハの一部レベルの低い楽器で演奏全日本コンクールで演奏してくださいと言いたい❗あなたたちは高価高級楽器を恩恵を受けていることがわかんないのでしょうかとても残念です‼️これは50年以上全日本コンクールを見てきた私の思いです‼️
考え方を 高校野球という 同年代のくくりで考えると そういう考え方もあるのは わかります。
そこで 単純に 国際音楽コンクールに ついて どうお考えでしょうか? チャイコスキーコンクール(ジュニア部門についても)
競技性の無い音楽に 優勝 2位を 決める国際音楽コンクール
という 意地悪な質問をしてみる 笑
日本の吹奏楽コンクールに そのような疑問もお持ちなのは わかるのえ この辺にしておきます!!
公教育の外側の話なので、参加したい人が参加してる分にはいいのではないでしょうか!エナジードリンクを学校で積極的におすすめすることはないと思いますが、子どもが自宅で飲むことに感知しないのと同じだと思います
学校吹奏楽で先生からたたき込まれる「西洋音楽的な良さ美しさ」もごくごく限られたものだと思いますね。
面白い話があって、日本の学校吹奏楽では「クラリネットはビブラートをかけてはいけない」的な事を教える例も少なくないと聞きます。
しかし、チェコやイタリアのクラ奏者は管弦楽団で美しいビブラートを聴かせます。
また、吹奏楽(マーチング含む)も国によって編成・サウンド・感性の違いに対して、学校吹奏楽関係者がまるで興味が無いようにも感じます。
吹奏楽部で教えられる美の基準は西洋音楽の中でもかなり特殊ですよね。文化がローカライズされることは必ずしも悪いことではないと思いますが、多様性を容認できないのはまずいと思っています🤔視野を広く持ちたいですね🤔
正解を探したらキリがないよね😄
運動部出身の古い国民からすれば、元々吹奏楽部というのは運動部に極めて向いていない人間の逃げ道だった訳です。 監督や先輩からの過激なシゴキもなく、一部の名門校を除いては全員レギューラーで、過半数の部員は家族から高額な楽器を買って貰えます。
大会では金賞が複数存在して最低でも銅賞が得られますね。 そうゆうスタイルを望む生徒や親が増えていった訳です。 ちなみに私は吹奏楽宝島批判の張本人です。 原曲の作曲者が鍵盤奏者なのに管楽器で捻じ伏せるアレンジになっていて心外です。 ソロパートで管楽器のオリジナルフレーズを吹くのが困難ならば原曲の鍵盤ソロのフレーズをそのままシロフォンで演奏する案がよろしいかと思っております。
吹奏楽コンクール以外の活動をしている学校もありますし、入部の時にコンクールについて説明している学校もありますよね。音楽教育学者の方は、現場のことを知らないんだなと思いました。
全ての現場の全ての事例について言及せず全体的傾向の話をして大変申し訳ありませんでした😢💦他の動画も全てそうなのでブロックしてくださいね、チャンネルページの右上からできます😢💦
popopo po 様
まったく同感。仰る通りだと思います。
どのくらいの吹奏楽部がコンクールについての説明を行なっているかというデータなんかあるわけありません。この動画で現場を知らないと言う指摘は酷ではないでしょうか。
コンクールの規模感や歴史から言えば動画による現状の言語化は本当にその通りですし、とても現場にとって参考になるものだと思いますよ。
現場のことを知ったうえ きちんと音楽を楽しんでいる団体や学校もあることを存じているうえで話されていることは聞いていてわかります このトップの方の批判は幼稚であると感じます。100対0の話をしなければならないのなら、もうそれは発言するな と言っていることと同じです。
吹奏楽に限らず、ショパンコンクールにしろ なんにせよ、世の中にはたくさんのコンクールがありますね。音楽に限らず他の芸術分野でも。
吹奏楽コンクールが嫌なら、出なければよいのでは?全然 強制ではないので。夏のコンクールシーズンに、コンクールには出ずに、楽しいサマーコンサートでも行えばよいですよ。あと、部活は 今の時代、もう強制ではありません。嫌なら部活には入らず、ジュニアバンドに入るなり、近所の音楽教室に通うなりすればよいと思うのですが....。
嫌ならでなければいい、というのはその通りなんですが、それは「公教育の場で任意参加の美少女コンテストを開催することになんの問題もないか?」という話と同じだと思います。もし美少女コンテストを開催するのであれば、参加することのリスクと特殊性をエントリーの段階でかなり丁寧に説明しなきゃいけないはずです。その説明が足りていない、という趣旨でした!
今佳 様
仰る通りだと思います。
部活動の運営、企画、指導は、顧問&学校の考え方次第ですよね。
コンクールと学校行事が、ブッキングして、辞退されたり、三年生不在で、参加されたりしていた例も多々有りますしね。
@@tabibito-vr1ee
ご意見ありがとうございますm(_ _)m そうですね。コンクールを どう利用するかは、その学校の生徒や教員が決めればいいのです。コンクールに出る趣旨ももちろん了解した上で出るわけです。私は、1年に1度コンクールに出ることはいいと思います。1年間取り組んできた活動を 外部に評価してもらう という場があった方が 生徒への刺激にもなります。一喜一憂したり、だらけてた雰囲気に緊張感(いい意味での)が生まれます。頑張ろうと意欲を見せる子も多いですよ。コンクール前にはぐんぐん 上手くなっていきます。コンクール後には やりきった表情で、普段なかなか立てない舞台に立てた経験も 貴重なものだと改めて思います。保護者の中には 我が子の成長に涙を流す人もいます。
今は 我が地域は部活は強制ではありません。嫌なら 自分に合う場所を見つけられます。
@@tabibito-vr1ee
あと、誤解のないように言っておきますが、コンクールのために 過度な練習時間を取ることは、今の時代には反する流れだとは思います。ブラック部活であってはいけないですよね。部活のために生きているわけではないですもんね。
@@藤-i7q 様
おっしゃる通りですね。
私も、以前、地元のスクールバンドを幾つか、指導させていただいた経験から、部員、ご家族、地域の応援など、多くの方たちからの心遣いを感じながら、成長していく生徒の姿を見てきました。
みんなで、泣き、笑いした貴重な体験を、させてもらい、本当に幸せな時間だったと思います。
「コンクール」論と、吹奏楽(音楽)の部活動の在り方をゴッチャにして、論理展開しても意味がない。
別に、強制出場では無いのだから、感じ方や考え方が違うと仰るなら、参加しなければ良いだけ。
自主的に演奏会、発表会をすれば良いと思います。
「吹奏楽コンクールは強制参加じゃないんだから問題ないじゃん」というのはその通りなんですが、強制参加じゃなければ学校で大した説明もなく美少女コンテストやってもいいのか、という話をしたつもりです。もしやるとしたら参加することのリスクや美の多様性について丁寧な説明をした上でやるのが主催側の大人の配慮だという話です!
極端過ぎる喩えですね…。
理解致しかねます。
@@tabibito-vr1ee
吹奏楽コンクールの話で、 美少女コンテストを例えにするのは どうでしょうねぇー。うまい例えではありませんね。
動画の前半が理解できれば美少女コンテストの例えは理解可能です。