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諏訪信仰調べるなら、大社近くにある諏訪市博物館のすわ大昔情報センターへ行くべし確か諏訪信仰の研究者宮坂氏の蔵書が寄贈されていたり、郷土史家今井野菊さんの著書の非売品や絶版本もある諏訪信仰は獣の首を祀ることだとか、恐ろしい龍蛇だとか、兎角おどろしい印象ばかりをピックアップされがちなのが本当に口惜しい大元のミシャグチ信仰はそこに住まう人々や自然といった環境に密接で、根源的で素朴な精霊信仰。武神とされてしまったのは勿論、諏訪氏が武士化をしたからという支配者側の政治的意図によるもので、本来あった信仰とはまた別物だ諏訪の美しい緑の中のあちらこちらに居て風と共に駆け巡り、呼びかけると目印の樹木に降りてくる作物が安泰に健康に育つよう、彼等に力を貸して貰えるよう諏訪各地で呼びかけて回るというのがもとの御頭祭であり、廻湛という神事諏訪に限らず、そもそも大昔の日本人はそこら中に精霊を見出していた「異様異質な信仰」ではなくて、原初的なアニミズムを今尚伺わせてくれる諏訪信仰を描いてくれるものだといいけれど……
古代の人達には心底の畏怖があったと思うけど、やっぱミシャグチ様もソソウ様も異質異様な信仰ではあると思うw近世まで続いていた(らしい)というのは世界的にも物凄い事だわ
@@TS-nz9tl 近代まで残ったのは諏訪大社と善光寺との結びつきのような神仏習合による仏教の力を借りたことも大きいと思うがさすがにそこまで描くのは無理かな…
この日本にしかない独特の空気感、良すぎる。絶対みたい
本当に美しいですね✨️
こちらのドキュメンタリーに何人か知っている人が関わっているので、ようやくお披露目になりうれしい。諏訪信仰は、御柱祭、御頭祭、木落しなど勇壮で不思議なお祭りのイメージがありますが、守屋仁長官宅に行かれた方などは、太古から続く祝の一族の話もご存じの方が多いと思います。諏訪信仰は、諏訪だけでなく、信州一帯にあった巨大な信仰集団も関係しており、当時の中央の祀りとは違う神秘性があります。この規模のドキュメンタリーを作るのは、今後ますます難しくなっているとは思いますので、この機会にぜひご覧になってほしいです。
誰だよてめぇわ
長野ってこういう神秘がまだ生きてる感じがする畏れ多い印象ある土地だな〜
長野より東北の方が多いと思う
綺麗でいいところですよ。春が兎に角格別に美しい。水も綺麗で緑も元気。
長野の良さは短期間、首都圏からなら日帰りでも箱庭的別世界を体験できる点よな
@@mvptwndw東北よりも長野の文化の方が古いです。端の田舎ほど古い文化が残っていると言うのは間違いですね。基本的に生きた古い文化は文化の中心と僻地の中間地点に残ることが多いです。日本だと中部地方や瀬戸内地方がかなり古い文化を生きたまま残しています。これは文化の中心地だと新しい文化に押されて古い文化が残らず、僻地だとそもそも最古の時代は文化を残せるほど人が流入していないからです。また、瀬戸内は海運の要所として、長野は黒曜石の産地として栄えていたのでそれも古い文化を残している要因だと思います。
@@はらペコニブラ は?東北の方が文化古いんだが。大丈夫?そもそも東北は日高見国かは遡るからね。そして蝦夷の時代。それ以前は縄文文化。東北が一番大きな集落があって最も古い文化が栄えていた。その影響からアラハバキの神など東北独特な神様や文化が発展し独特な雰囲気を醸し出している。長文で正論ぶって相当悔しいのが伝わりますが、もう少し勉強し直した方がよろしいかと。あなたは間違えている。滑稽です。
語りが能登麻美子さん!?凄い!!
日本神話は九州から岐阜まで。その先長野から東はまったく古代
いくつか王朝みたいなのがあって、大和朝廷(渡来人)は姻戚関係で九州側(皇族の血筋)を取り込んだのではないかと思います。近畿・関西・四国は島根以外弥生人のDNAで、それ以外は縄文人のDNAが多いことが分かっていますが、東北から北関東のDNAは島根系の縄文人にルーツがあるという新説があるそうです。そもそも天照の弟である素戔嗚は島根と関係が深い。因みに、諏訪神社の御祭神は国譲りの時に出雲側の神として登場、それを倒したのが鹿嶋神宮(武甕槌大神)で交渉役に派遣されたのが香取神宮(経津主大神)。茨城、千葉、神奈川あたりにも一大勢力がいたのだと思いますけど、古事記は大和朝廷に都合よく書かれているのでね…。
@ おお。ありがとうございます。私も日本神話はニワカ程度に嗜んでおりまして。あちこちの神社も回りましたが、古事記・日本書紀や神話は古代王朝の勢力争いの痕跡が残っていながらも、持統天皇の思惑も何かしらあった神話だと考えております。多くの矛盾点やら記述不足の神々やら付け足された神々まで、大変違和感が多いとおもっておりました。出雲、伊勢、熊野、諏訪にもいきました。諏訪からは特に全く違う神話形態ですね!私の祖先の土地も明治の大合祀から免れたのか、平地とは違う組み合わせで神々が祀られています。やはり縄文の方は東征で東北へ追われたのかもしれませんね
ネパールの女神の化身・クマリを選ぶ儀式に似ている部分があるような…
語り能登麻美子はつよい(確信)
もののけ姫に出てきそうな鹿
君の名はには出てきたんじゃなかったっけ
宮崎駿監督はこの土地でもののけ姫の構想を練っていて、近くには作中に出てくる人物と同じ名前の土地などなどありますよね
凄いな……導入から気になって仕方ない。
雨乞では日本のみならず世界的に贄文化あった。信州は米以外に雑穀とか獣肉、昆虫食文化まであるから救荒食で飢饉を逃れてきた。その感謝と祈りの継承なんだとおもうよ。
普通に諏訪大社興味あって神長官守矢記念館とか行ってたから助かる!
大和とは違うルーツを感じる
実際朝廷に組み込まれるまでは独自の勢力図で、大和族の神話の中でも特別扱いされてる辺りかなり有力な豪族が支配してたんだろうね
俺達は東の国だから
大和朝廷が信仰したいわゆる天津神は中国系で、諏訪大社のような国津神は完全な独自文化ですからね
アブラハムとイサクの燔祭、イサクの75人の親戚。
ヘブライ語で神の民(ヤハウェの民)はヤマトだからむしろ本来の大和かも。
能登麻美子さんってだけで観たい
諏訪周辺の縄文土器はとても素晴らしいのでぜひ合わせて見てほしい。そして七十五膳神事ならぬ御頭祭。外から来た文化を否定することなく取り入れ、大事なものを守り続けてきた諏訪の人々には敬意しかありません。映画を拝見するのをとても楽しみにしております。
御頭祭も生き神もすごく興味あったから嬉しい。特に御頭祭は鹿にこだわるあたり、縄文文化ともまた違った感じがする神事。牛の代替なんだろうか
単純に山には鹿がおるからです。山の人には狩猟は身近なものです前宮〜上社まで一本道で行けますが道沿いにずっと山が続いており、前宮はちょっと山を入った所ですし上社も山にくっついているような形諏訪盆地はとても狭く山に囲まれている状態ですが、大昔は前宮のある茅野市の方まで諏訪湖が広がっていたそうです要は、上社も下社も諏訪湖添いにあったのだろうと予測されますあるのは背後の山か湖か。山で穫れる鹿や猪のような獣は山に住む人達にとっては貴重なご馳走になります山間部では今でも田畑を荒らす獣なので、鹿や猪は害獣駆除として狩猟が認められていますね御頭祭りのメインは残虐に鹿の頭を捧げることではなく、その後に神使(おこう)様という大祝の代理の少年達が諏訪の各地を巡行して各地のミシャグチに「今年の田圃もお願いしますね」と農耕の祈願をして回るものなのですミシャグチ達は目印の「湛の木」と呼ばれる樹木に降ろされます。そして秋の収穫を終えるとまた昇げます。因みに、ミシャグチを昇げ降ろす神事は今も春と秋に行われています大祝に憑けたミシャグチを人間との仲介として、且つ親分として各地のミシャグチを組織的に統合している、というのが守矢早苗さん始め研究者の方々の見解ですが、大祝でなく複数の神使様を使うのは、ごくごく単純に諏訪領内を一人で巡行していたら時間的に間に合わないからだろうと思います。当時は高速も車もありません。馬でポクポク山を越えて行かなきゃいけないので全土を回るとなると結構な日数が必要ですから御頭祭は複数の少年に大祝の親分ミシャグチを仮憑けする儀式であり、各地のミシャグチ様達にお願いを届けて下さいね、ということで、盛大なご馳走を用意して宴をする、という捉え方が自然だと思います何しろ、昔の農耕は命がかかっているものです。作物が安泰に豊かに育つか凶作かで領内の人民の命が左右される一大事当時諏訪氏は諏訪の領主でしたし、守矢氏も諏訪氏が来るまで元々諏訪を取りまとめていたと思われる土着豪族。諏訪全土が安泰でいて貰いたい訳ですねこうしたことを念頭にしてみると、そこまで不思議なことは行われていないかなと思います
@@yame8134 なるほど丁寧にありがとうございます、やはり面白いですね、他地域においても子供を神様の使いとして活用する例は見られますが、どの風習もとても興味深いものです。個人的には御頭祭も含め、どの風習も残虐なものと捉えたことはありませんよ。他地域でも牛や馬や鶏の生贄はありましたし、それが古代世界における最新の農学であったと理解しています。何より美味しいですし
教えていただき、ありがとうございます。そこに神が宿るという、根本が、すべてだと思う私には、いろいろ、ありがたく、拝見しました。
この映画は見に行きたい、諏訪大社はミシャグチ信仰とか鉄鐸など謎が多いですから。諏訪大社には主祭神として建御名方神が祭られていますがこの神様は大国主命の子供で出雲系の神様、高天原系の建御雷との力比べにまけて諏訪まで落ち延びてきた神様、建御雷を祭る春日大社では鹿は神鹿として大切にされていますが諏訪大社では神に捧げる生贄とされる、この辺りの関係もとても気になります。春日大社も狩猟の神として信仰されていて兎や狸が奉納されていましたが、神の御供物なので誰も触れないので腐るに任せるしかなく、奈良奉行に着任した人が江戸の母親に余りの臭気に耐えられず、早く任期が終わって江戸に帰りたいという泣き言を母親への手紙に書いて送ったこともあるそうですが。
守矢史料館、何も調べずに行くと鹿がいっぱいでびっくりするんだよね…古文書とかもあって歴史が好きな人には面白いかも。あと史料館の奥に高過庵とか低過庵、空飛ぶ泥舟とか面白い所もあるんだよね
日本各地にそれぞれの神様と親交があって、日本神話とか古事記とか日本書記とかメジャーにまとめられた以外を相まみえることが出来て幸せな国だと思います。
Name of the movie. Please
鹿の国(Shika no kuni)
逃げ上手の若君で知ったとこだ!
北欧の方でやってそうな精霊信仰が日本にもあるだけで、もう興味深い
御室神事は近年断絶してしまった大祝諏訪氏の最後の御当主も先代より聞く機会が無く完全に失伝した神事と聞いていますが資料があったのですかね?
GHQのせいで一子相伝の口伝が途絶えたのが諏訪だっけ?
保江邦夫氏の本に出てた祝之神示?
今年の7月に諏訪大社の4社巡りの途中で千鹿頭神社さんにも参拝に上がりました⛩️歴史館などは訪れなかったので諏訪大社の歴史を知る上でこういうドキュメンタリー映画はありがたいですね😌しかも語りが能登麻美子さんといとうせいこうさん…何と豪華な✨見てみたいな〜🧐
鹿の生贄は建御名方神を信州に追いやった鹿島の武甕槌命と何か関係あるのかね?
素晴らしいご推察です。向こうは鹿島ですから!
鹿のツノが龍のツノと同じだから、龍神信仰だと聞いたことがあります。広島の鹿が有名な厳島神社、奈良公園の鹿、福岡の志賀島(しかのしま)と志賀海神社、滋賀は鹿が訛った説など…シカと名のつくところは海の神様と密接に繋がっている?その真偽が判明するかはわかりませんが非常に興味深い内容ですね😊
これ見る前に、絶対、諏訪とミシャクジ信仰の定番の日本原初考シリーズ読んだ方が面白いと思う。まあ見た後でもいいとは思いますが。
逃げ上手の若君で諏訪に興味を持ちました!映画を楽しむために諏訪について勉強しようと思います!
これは…「天孫降臨」前のオオクニヌシ系統の文化の末裔ですよね…
これ上映館増えないかな。観たいよ。。。
おわーこれ戦前に作って欲しかったなあやっぱガチ古代からの神事は近代でだいぶ廃されちゃったみたいだもんね
戦前というよりも大政奉還前まで遡らないと厳しそう。それくらい国家神道の及ぼした影響は大きい。
長野県でやってくれぇ
サイト見たら岡谷スカラ座って長野県の劇場もあるみたいですよ
情報ありがとうございます!ロキシーでも映劇でも上映してくれるみたいですね
イナゴについて。諏訪出身の59歳の思い出を。小学生女子でしたので昆虫は苦手のタイプでしたが、稲穂が黄色の時期だったかな?ビニール袋片手に自転車を走らせ田んぼにイナゴを捕りに行きました。ひいおばちゃんの家に持っていってに佃煮にしてもらいました。捕ったけれど、かわいそうになり、翌朝川辺の草むらに逃したことも。次男はイナゴの佃煮好きです。佃煮にしてしまうので、見た目より食べて違和感はないと思います。今は店で購入しますが。😅昔は貴重なタンパク源だったと思います。稲作ではイナゴは害虫です。そういう意味でもイナゴを食すことは理にかなっています。食べて見てくださいと無理強いはしませんが、気持ち悪いと言われるのは、残念です。日本各地に色々な食文化があると思いますよ。
祖母の家が諏訪湖周辺の山の上にあるのですが、山からカモシカが降りてくることは日常茶飯事だそうです。
原さん、音楽だ❤楽しみです😊
見たい
もともと稲作には適さない高地だから、狩猟採集の縄文文化の名残りですかね?
元々旧石器時代の遺跡がゴロゴロある地域で縄文、弥生の遺跡も腐るほどある今でも鹿がアホみたいにいる地域だから狩猟はしやすかったと思いますぜ広葉樹も多いのでどんぐりなどの木の実もかなり取れるさらに諏訪大社上社の近くを流れてる宮川、八ヶ岳から流れてる上川は渓流魚が今でも街中で泳いでる場所食べるのには困らない地域だったのでしょう
諏訪市民だから観に行かなくては…
日本で唯一『鹿食免』を発行していた神社だからね。
昔と形は違えどまだ発行されてる。
@@426komugi2箸も買えますぜ
鹿の首って…もののけ姫の中にもそんなシーンがあったけどなんか関係あるのかな?
なんか一部の映画館でしかやらないみたいだけど、全国的にやってほしい
諏訪の信仰は素晴らしいよ
奈良公園の鹿と扱いが違いすぎる
鹿の面みたいなやつシシガミ様みたいで恐怖過ぎた
諏訪のとなりの辰野に住んでたけど鹿がほんとに多い。毎日駐車場に群れてて大量に糞が落ちてたり車で事故する人も多い。奈良より全然多い。
アステカの生贄の文化みたいに独自のルーツとして成り立ってたのかな
能登さん!?
雨乞いで白馬の首を斬って高座の岩に供えるというのがあったらしい。なんかルーツがあるのかな。
東方好きワイ大歓喜
エンドカードが邪魔で文字が読めないんすけど…
75頭の鹿の首、普通の頭があればおかしいと気づくよね。神がこれを欲するなら悪魔だよ。
諏訪大社って御柱のミシャグジ様のとこだっけ
やべー、頭の中のBGMが「鹿の子のこのこ虎視眈々」だ
いくら伝統だからと言って、この鹿の頭の数を見てると、このままこういうことを続けていいものかという気持ちがわいてきます。確かに日本らしくて厳かなんですけれど。ちょっとさすがにこわいです。
クマリみたいだな
鹿の子のこのここしタンタン
これはマジなんやけど、あの鹿の首、ワイやで
成クレ
そう言えば諏訪は長野と松本のどっちサイドの土地なんだろう
長野は北信松本は中信諏訪は南信です
案外こういう古そうな儀礼って古代に繋がってなくて起源が近世や中世だったりするけど、実際どうなん?
のこたん…
諏訪ってとっつきにくい。社会学の本とかに登場したらゲーってなるけど鹿の首が気になりすぎて見たくなったw
シカが叱った
シシガミさま…?
食についての祭祀なんだろうな。そういう土地は「神戸」とい地名が多い気がする。
我が一族は下社の氏子
家も下社の男系です。先祖はモーセかアブラハムか。イサクの子孫の75人の末裔なんでしょう。
リアル諏訪頼嗣。
諏訪の御頭祭とか、やるやん
アレ?そういえば…上半身鹿下半身白マントの格好した者たちの演舞とかあったような〜確か〇〇崇拝…?鹿って、神事でよく出るよな。
さすがイナゴ食うだけの事はある
県内でも田舎のスーパーなら売ってる所もあるけどあんまり旨くもないし見た目がキモいから買う奴ほぼいないよ
道の駅で蜂の巣ごと売ってるで
イサクの燔祭、御頭祭
(*^_^*)幸せ
アヌンナキ系の子孫
我が神は御射山にありて
何処となくチベットやアイヌ民族に繋がりがあるような!
みじゃくじ
所謂縄文系
茂木誠先生がユダヤ教の儀式に似ているとおっしゃってました。
アマテラスの暗号読んでたら出てきた人🙋
東方の話題が出ないあたりに世代を感じてしまう
出ない方が地元民として助かるね諏訪大社を冒涜してると思われてるから
名古屋は上映ないのかな〜😂😂
ユダヤ教と似ていますもんね。とても興味深いです。
鹿といえば鹿島神宮
諏訪のことなんだから諏訪でやらんかね
これが真の鹿の子。すみません。
ユダヤの儀式のほとんどこれと同じ儀式があったって聞いた
聖書に出てくるイサク奉献そのまま
これがしかのこのこのここしたんたんですか
ユダヤと似てるとか言ってるのは日ユ論者。関係ないとずっと言われてるし偽史をテーマにしてなければ論ずる必要すらない。諏訪は諏訪、それを見てほしい。
実は諏訪大社と守屋山にはユダヤ人伝説やユダヤ教の儀式と類似点があるのでご紹介します。列挙すると…・「モリヤ」はユダヤ人の国イスラエルの首都エルサレムにある山の名前と同音。 ・「御神」の「神官が小刀で刺そうとした瞬間に止めて子供は解放される」というくだりが、旧約聖書の「イサクの生贄」にそっくり。それは…「神がアブラハムに『あなたの一人息子のイサクをモリヤ山で生贄にしなさい』(創世記22:2)と命じて、アブラハムが泣く泣く我が子に手をかけるときに神がそれを止めた」という物語で、信仰を試すもの。アブラハムは代わりに藪に角をひっかけた山羊を生贄にした。この儀式はユダヤでは「イサクの燔祭」といって最重要な儀式となっている。・御頭祭は別名「ミサクチの祭」と呼ばれているが「ミサクチ」はヘブライ語で「ミイツハク」に似ており「イサク由来の」という意味である。しかしなぜ「75頭」なのでしょうか。新約聖書の「使徒行伝 第7章 14 節」に「ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた。」とあります。ヨセフは、あの生贄として捧げられたイサクの孫です。供物の数は、神のご加護により助けられたイサクから枝分かれして増えた親族数なのかもしれません。ちなみに徳島県の『多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社』などでは、75のお膳をお供えする儀式が残っています。
追記:諏訪大社の「御柱祭」では、御柱(おんばしら)と呼ばれる御神木を山から切り出して諏訪大社境内の四隅に建てる。旧約聖書「列王記」上6章には、ソロモン神殿を造る際、杉やモミの大木を隣国レバノンの森で切り出し、エルサレムまで運んだという記述がある。御柱祭でも、山から切り出す御柱には、かつて杉やモミの大木が使われたということで、木材の種類が一致している。(列王記上6: 9 ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおった。… 7 :1 また、ソロモンは十三年をかけて自分の宮殿を建て、その宮殿のすべてを完成させた。 2 彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。)諏訪大社・上社で毎年4月15日(旧暦3月の酉の日)に行われる御頭祭(おんとうさい)では、過去75頭の鹿が生贄として供えられていた。そして、十支族の末裔といわれるイスラエルのサマリア人は、かつて「過越(すぎこし)の祭り」で75頭の子羊を生贄として捧げていたという。しかも、この祭はユダヤ暦のニーサーン(第1月)15~21日に行われており、西暦にすると3~4月にあたるため時期的に近い。十間廊と幕屋: 諏訪大社・上社前宮の境内にある「十間廊(じっけんろう)」と呼ばれる建物の概観は、聖書に記述された移動式神殿である「幕屋」とよく似ている。ともに屋根はあるが壁がなく、柱を等間隔に並べた骨格だけの建物だ。十間廊の奥行きは約18m(十間)。幕屋の聖所は、長さが30キュビト(13m)、幅が10キュビト(約4m半)と、大きさも近い。かつて十戒が刻まれた石板を収めた「契約の箱」(聖櫃、アーク)は幕屋に置かれたが、御頭祭で神輿を十間廊の中に置くことにも類似している。(出エジプト記26参照。)
禍々しさを感じる
もうやめなー
日本ヘイトやめろ🫵
@ きも
なんかユダヤっぽいな
若ーーーー!!おりませぬか?
イサクの献祭だろ?
この生き神と呼ばれる少年は幸せな人生を送れるのだろうか。それだけが気になる。
もろユダヤ
悪魔崇拝
えっと、、、、しかのこのこのここしたんたんのシリアス実写版であってます?笑
馬鹿にしすぎや
25点やり直し
ガチこうゆうの冷めるしかのこの民度悪
いいね。障害者ワイの首もお一つ
諏訪信仰調べるなら、大社近くにある諏訪市博物館のすわ大昔情報センターへ行くべし
確か諏訪信仰の研究者宮坂氏の蔵書が寄贈されていたり、郷土史家今井野菊さんの著書の非売品や絶版本もある
諏訪信仰は獣の首を祀ることだとか、恐ろしい龍蛇だとか、兎角おどろしい印象ばかりをピックアップされがちなのが本当に口惜しい
大元のミシャグチ信仰はそこに住まう人々や自然といった環境に密接で、根源的で素朴な精霊信仰。
武神とされてしまったのは勿論、諏訪氏が武士化をしたからという支配者側の政治的意図によるもので、本来あった信仰とはまた別物だ
諏訪の美しい緑の中のあちらこちらに居て風と共に駆け巡り、呼びかけると目印の樹木に降りてくる
作物が安泰に健康に育つよう、彼等に力を貸して貰えるよう諏訪各地で呼びかけて回るというのがもとの御頭祭であり、廻湛という神事
諏訪に限らず、そもそも大昔の日本人はそこら中に精霊を見出していた
「異様異質な信仰」ではなくて、原初的なアニミズムを今尚伺わせてくれる諏訪信仰を描いてくれるものだといいけれど……
古代の人達には心底の畏怖があったと思うけど、やっぱミシャグチ様もソソウ様も異質異様な信仰ではあると思うw
近世まで続いていた(らしい)というのは世界的にも物凄い事だわ
@@TS-nz9tl 近代まで残ったのは
諏訪大社と善光寺との結びつきのような
神仏習合による
仏教の力を借りたことも大きいと思うが
さすがにそこまで描くのは無理かな…
この日本にしかない独特の空気感、良すぎる。絶対みたい
本当に美しいですね✨️
こちらのドキュメンタリーに何人か知っている人が関わっているので、ようやくお披露目になりうれしい。
諏訪信仰は、御柱祭、御頭祭、木落しなど勇壮で不思議なお祭りのイメージがありますが、
守屋仁長官宅に行かれた方などは、太古から続く祝の一族の話もご存じの方が多いと思います。
諏訪信仰は、諏訪だけでなく、信州一帯にあった巨大な信仰集団も関係しており、当時の中央の祀りとは違う神秘性があります。
この規模のドキュメンタリーを作るのは、今後ますます難しくなっているとは思いますので、この機会にぜひご覧になってほしいです。
誰だよてめぇわ
長野ってこういう神秘がまだ生きてる感じがする畏れ多い印象ある土地だな〜
長野より東北の方が多いと思う
綺麗でいいところですよ。春が兎に角格別に美しい。水も綺麗で緑も元気。
長野の良さは短期間、首都圏からなら日帰りでも箱庭的別世界を体験できる点よな
@@mvptwndw東北よりも長野の文化の方が古いです。端の田舎ほど古い文化が残っていると言うのは間違いですね。
基本的に生きた古い文化は文化の中心と僻地の中間地点に残ることが多いです。日本だと中部地方や瀬戸内地方がかなり古い文化を生きたまま残しています。
これは文化の中心地だと新しい文化に押されて古い文化が残らず、僻地だとそもそも最古の時代は文化を残せるほど人が流入していないからです。
また、瀬戸内は海運の要所として、長野は黒曜石の産地として栄えていたのでそれも古い文化を残している要因だと思います。
@@はらペコニブラ は?東北の方が文化古いんだが。大丈夫?
そもそも東北は日高見国かは遡るからね。そして蝦夷の時代。
それ以前は縄文文化。東北が一番大きな集落があって最も古い文化が栄えていた。その影響からアラハバキの神など東北独特な神様や文化が発展し独特な雰囲気を醸し出している。
長文で正論ぶって相当悔しいのが伝わりますが、もう少し勉強し直した方がよろしいかと。あなたは間違えている。滑稽です。
語りが能登麻美子さん!?凄い!!
日本神話は九州から岐阜まで。その先長野から東はまったく古代
いくつか王朝みたいなのがあって、大和朝廷(渡来人)は姻戚関係で九州側(皇族の血筋)を取り込んだのではないかと思います。
近畿・関西・四国は島根以外弥生人のDNAで、それ以外は縄文人のDNAが多いことが分かっていますが、東北から北関東のDNAは島根系の縄文人にルーツがあるという新説があるそうです。そもそも天照の弟である素戔嗚は島根と関係が深い。
因みに、諏訪神社の御祭神は国譲りの時に出雲側の神として登場、それを倒したのが鹿嶋神宮(武甕槌大神)で交渉役に派遣されたのが香取神宮(経津主大神)。茨城、千葉、神奈川あたりにも一大勢力がいたのだと思いますけど、古事記は大和朝廷に都合よく書かれているのでね…。
@ おお。ありがとうございます。私も日本神話はニワカ程度に嗜んでおりまして。あちこちの神社も回りましたが、古事記・日本書紀や神話は古代王朝の勢力争いの痕跡が残っていながらも、持統天皇の思惑も何かしらあった神話だと考えております。多くの矛盾点やら記述不足の神々やら付け足された神々まで、大変違和感が多いとおもっておりました。
出雲、伊勢、熊野、諏訪にもいきました。諏訪からは特に全く違う神話形態ですね!
私の祖先の土地も明治の大合祀から免れたのか、平地とは違う組み合わせで神々が祀られています。
やはり縄文の方は東征で東北へ追われたのかもしれませんね
ネパールの女神の化身・クマリを選ぶ儀式に似ている部分があるような…
語り能登麻美子はつよい(確信)
もののけ姫に出てきそうな鹿
君の名はには出てきたんじゃなかったっけ
宮崎駿監督はこの土地でもののけ姫の構想を練っていて、近くには作中に出てくる人物と同じ名前の土地などなどありますよね
凄いな……
導入から気になって仕方ない。
雨乞では日本のみならず世界的に贄文化あった。
信州は米以外に雑穀とか獣肉、昆虫食文化まであるから救荒食で飢饉を逃れてきた。その感謝と祈りの継承なんだとおもうよ。
普通に諏訪大社興味あって神長官守矢記念館とか行ってたから助かる!
大和とは違うルーツを感じる
実際朝廷に組み込まれるまでは独自の勢力図で、大和族の神話の中でも特別扱いされてる辺りかなり有力な豪族が支配してたんだろうね
俺達は東の国だから
大和朝廷が信仰したいわゆる天津神は中国系で、諏訪大社のような国津神は完全な独自文化ですからね
アブラハムとイサクの燔祭、イサクの75人の親戚。
ヘブライ語で神の民(ヤハウェの民)はヤマトだからむしろ本来の大和かも。
能登麻美子さんってだけで観たい
諏訪周辺の縄文土器はとても素晴らしいのでぜひ合わせて見てほしい。
そして七十五膳神事ならぬ御頭祭。外から来た文化を否定することなく取り入れ、大事なものを守り続けてきた諏訪の人々には敬意しかありません。
映画を拝見するのをとても楽しみにしております。
御頭祭も生き神もすごく興味あったから嬉しい。特に御頭祭は鹿にこだわるあたり、縄文文化ともまた違った感じがする神事。牛の代替なんだろうか
単純に山には鹿がおるからです。山の人には狩猟は身近なものです
前宮〜上社まで一本道で行けますが道沿いにずっと山が続いており、前宮はちょっと山を入った所ですし上社も山にくっついているような形
諏訪盆地はとても狭く山に囲まれている状態ですが、大昔は前宮のある茅野市の方まで諏訪湖が広がっていたそうです
要は、上社も下社も諏訪湖添いにあったのだろうと予測されます
あるのは背後の山か湖か。山で穫れる鹿や猪のような獣は山に住む人達にとっては貴重なご馳走になります
山間部では今でも田畑を荒らす獣なので、鹿や猪は害獣駆除として狩猟が認められていますね
御頭祭りのメインは残虐に鹿の頭を捧げることではなく、その後に神使(おこう)様という大祝の代理の少年達が諏訪の各地を巡行して各地のミシャグチに「今年の田圃もお願いしますね」と農耕の祈願をして回るものなのです
ミシャグチ達は目印の「湛の木」と呼ばれる樹木に降ろされます。そして秋の収穫を終えるとまた昇げます。因みに、ミシャグチを昇げ降ろす神事は今も春と秋に行われています
大祝に憑けたミシャグチを人間との仲介として、且つ親分として各地のミシャグチを組織的に統合している、というのが守矢早苗さん始め研究者の方々の見解ですが、
大祝でなく複数の神使様を使うのは、ごくごく単純に諏訪領内を一人で巡行していたら時間的に間に合わないからだろうと思います。当時は高速も車もありません。馬でポクポク山を越えて行かなきゃいけないので全土を回るとなると結構な日数が必要ですから
御頭祭は複数の少年に大祝の親分ミシャグチを仮憑けする儀式であり、各地のミシャグチ様達にお願いを届けて下さいね、ということで、盛大なご馳走を用意して宴をする、という捉え方が自然だと思います
何しろ、昔の農耕は命がかかっているものです。作物が安泰に豊かに育つか凶作かで領内の人民の命が左右される一大事
当時諏訪氏は諏訪の領主でしたし、守矢氏も諏訪氏が来るまで元々諏訪を取りまとめていたと思われる土着豪族。諏訪全土が安泰でいて貰いたい訳ですね
こうしたことを念頭にしてみると、そこまで不思議なことは行われていないかなと思います
@@yame8134 なるほど丁寧にありがとうございます、やはり面白いですね、他地域においても子供を神様の使いとして活用する例は見られますが、どの風習もとても興味深いものです。個人的には御頭祭も含め、どの風習も残虐なものと捉えたことはありませんよ。他地域でも牛や馬や鶏の生贄はありましたし、それが古代世界における最新の農学であったと理解しています。何より美味しいですし
教えていただき、ありがとうございます。そこに神が宿るという、根本が、すべてだと思う私には、いろいろ、ありがたく、拝見しました。
この映画は見に行きたい、諏訪大社はミシャグチ信仰とか鉄鐸など謎が多いですから。
諏訪大社には主祭神として建御名方神が祭られていますがこの神様は大国主命の子供で出雲系の神様、高天原系の建御雷との力比べにまけて諏訪まで落ち延びてきた神様、建御雷を祭る春日大社では鹿は神鹿として大切にされていますが諏訪大社では神に捧げる生贄とされる、この辺りの関係もとても気になります。
春日大社も狩猟の神として信仰されていて兎や狸が奉納されていましたが、神の御供物なので誰も触れないので腐るに任せるしかなく、奈良奉行に着任した人が江戸の母親に余りの臭気に耐えられず、早く任期が終わって江戸に帰りたいという泣き言を母親への手紙に書いて送ったこともあるそうですが。
守矢史料館、何も調べずに行くと鹿がいっぱいでびっくりするんだよね…古文書とかもあって歴史が好きな人には面白いかも。あと史料館の奥に高過庵とか低過庵、空飛ぶ泥舟とか面白い所もあるんだよね
日本各地にそれぞれの神様と親交があって、日本神話とか古事記とか日本書記とかメジャーにまとめられた以外を相まみえることが出来て幸せな国だと思います。
Name of the movie. Please
鹿の国(Shika no kuni)
逃げ上手の若君で知ったとこだ!
北欧の方でやってそうな精霊信仰が日本にもあるだけで、もう興味深い
御室神事は近年断絶してしまった大祝諏訪氏の最後の御当主も先代より聞く機会が無く完全に失伝した神事と聞いていますが資料があったのですかね?
GHQのせいで一子相伝の口伝が途絶えたのが諏訪だっけ?
保江邦夫氏の本に出てた祝之神示?
今年の7月に諏訪大社の4社巡りの途中で千鹿頭神社さんにも参拝に上がりました⛩️歴史館などは訪れなかったので諏訪大社の歴史を知る上でこういうドキュメンタリー映画はありがたいですね😌しかも語りが能登麻美子さんといとうせいこうさん…何と豪華な✨見てみたいな〜🧐
鹿の生贄は建御名方神を信州に追いやった鹿島の武甕槌命と何か関係あるのかね?
素晴らしいご推察です。向こうは鹿島ですから!
鹿のツノが龍のツノと同じだから、龍神信仰だと聞いたことがあります。
広島の鹿が有名な厳島神社、奈良公園の鹿、福岡の志賀島(しかのしま)と志賀海神社、滋賀は鹿が訛った説など…
シカと名のつくところは海の神様と密接に繋がっている?
その真偽が判明するかはわかりませんが非常に興味深い内容ですね😊
これ見る前に、絶対、諏訪とミシャクジ信仰の定番の日本原初考シリーズ読んだ方が面白いと思う。まあ見た後でもいいとは思いますが。
逃げ上手の若君で諏訪に興味を持ちました!映画を楽しむために諏訪について勉強しようと思います!
これは…
「天孫降臨」前の
オオクニヌシ系統の文化の末裔ですよね…
これ上映館増えないかな。観たいよ。。。
おわーこれ戦前に作って欲しかったなあ
やっぱガチ古代からの神事は近代でだいぶ廃されちゃったみたいだもんね
戦前というよりも大政奉還前まで遡らないと厳しそう。それくらい国家神道の及ぼした影響は大きい。
長野県でやってくれぇ
サイト見たら岡谷スカラ座って長野県の劇場もあるみたいですよ
情報ありがとうございます!
ロキシーでも映劇でも上映してくれるみたいですね
イナゴについて。諏訪出身の59歳の思い出を。
小学生女子でしたので昆虫は苦手のタイプでしたが、稲穂が黄色の時期だったかな?ビニール袋片手に自転車を走らせ田んぼにイナゴを捕りに行きました。ひいおばちゃんの家に持っていってに佃煮にしてもらいました。
捕ったけれど、かわいそうになり、翌朝川辺の草むらに逃したことも。
次男はイナゴの佃煮好きです。佃煮にしてしまうので、見た目より食べて違和感はないと思います。今は店で購入しますが。😅
昔は貴重なタンパク源だったと思います。稲作ではイナゴは害虫です。そういう意味でもイナゴを食すことは理にかなっています。
食べて見てくださいと無理強いはしませんが、気持ち悪いと言われるのは、残念です。
日本各地に色々な食文化があると思いますよ。
祖母の家が諏訪湖周辺の山の上にあるのですが、山からカモシカが降りてくることは日常茶飯事だそうです。
原さん、音楽だ❤楽しみです😊
見たい
もともと稲作には適さない高地だから、狩猟採集の縄文文化の名残りですかね?
元々旧石器時代の遺跡がゴロゴロある地域で縄文、弥生の遺跡も腐るほどある
今でも鹿がアホみたいにいる地域だから狩猟はしやすかったと思いますぜ
広葉樹も多いのでどんぐりなどの木の実もかなり取れる
さらに諏訪大社上社の近くを流れてる宮川、八ヶ岳から流れてる上川は渓流魚が今でも街中で泳いでる場所
食べるのには困らない地域だったのでしょう
諏訪市民だから観に行かなくては…
日本で唯一『鹿食免』を発行していた神社だからね。
昔と形は違えどまだ発行されてる。
@@426komugi2箸も買えますぜ
鹿の首って…もののけ姫の中にもそんなシーンがあったけどなんか関係あるのかな?
なんか一部の映画館でしかやらないみたいだけど、全国的にやってほしい
諏訪の信仰は素晴らしいよ
奈良公園の鹿と扱いが違いすぎる
鹿の面みたいなやつシシガミ様みたいで恐怖過ぎた
諏訪のとなりの辰野に住んでたけど鹿がほんとに多い。毎日駐車場に群れてて大量に糞が落ちてたり車で事故する人も多い。奈良より全然多い。
アステカの生贄の文化みたいに独自のルーツとして成り立ってたのかな
能登さん!?
雨乞いで白馬の首を斬って高座の岩に供えるというのがあったらしい。なんかルーツがあるのかな。
東方好きワイ大歓喜
エンドカードが邪魔で文字が読めないんすけど…
75頭の鹿の首、普通の頭があればおかしいと気づくよね。
神がこれを欲するなら
悪魔だよ。
諏訪大社って御柱のミシャグジ様のとこだっけ
やべー、頭の中のBGMが「鹿の子のこのこ虎視眈々」だ
いくら伝統だからと言って、この鹿の頭の数を見てると、このままこういうことを続けていいものかという気持ちがわいてきます。確かに日本らしくて厳かなんですけれど。ちょっとさすがにこわいです。
クマリみたいだな
鹿の子のこのここしタンタン
これはマジなんやけど、あの鹿の首、ワイやで
成クレ
そう言えば諏訪は長野と松本のどっちサイドの土地なんだろう
長野は北信
松本は中信
諏訪は南信です
案外こういう古そうな儀礼って古代に繋がってなくて起源が近世や中世だったりするけど、実際どうなん?
のこたん…
諏訪ってとっつきにくい。社会学の本とかに登場したらゲーってなる
けど鹿の首が気になりすぎて見たくなったw
シカが叱った
シシガミさま…?
食についての祭祀なんだろうな。そういう土地は「神戸」とい地名が多い気がする。
我が一族は下社の氏子
家も下社の男系です。先祖はモーセかアブラハムか。イサクの子孫の75人の末裔なんでしょう。
リアル諏訪頼嗣。
諏訪の御頭祭とか、やるやん
アレ?そういえば…上半身鹿下半身白マントの格好した者たちの演舞とかあったような〜確か〇〇崇拝…?
鹿って、神事でよく出るよな。
さすがイナゴ食うだけの事はある
県内でも田舎のスーパーなら売ってる所もあるけどあんまり旨くもないし見た目がキモいから買う奴ほぼいないよ
道の駅で蜂の巣ごと売ってるで
イサクの燔祭、御頭祭
(*^_^*)幸せ
アヌンナキ系の子孫
我が神は御射山にありて
何処となくチベットやアイヌ民族に繋がりがあるような!
みじゃくじ
所謂縄文系
茂木誠先生がユダヤ教の儀式に似ているとおっしゃってました。
アマテラスの暗号読んでたら出てきた人🙋
東方の話題が出ないあたりに世代を感じてしまう
出ない方が地元民として助かるね
諏訪大社を冒涜してると思われてるから
名古屋は上映ないのかな〜😂😂
ユダヤ教と似ていますもんね。とても興味深いです。
鹿といえば鹿島神宮
諏訪のことなんだから諏訪でやらんかね
これが真の鹿の子。
すみません。
ユダヤの儀式のほとんどこれと同じ儀式があったって聞いた
聖書に出てくるイサク奉献そのまま
これがしかのこのこのここしたんたんですか
ユダヤと似てるとか言ってるのは日ユ論者。関係ないとずっと言われてるし偽史をテーマにしてなければ論ずる必要すらない。諏訪は諏訪、それを見てほしい。
実は諏訪大社と守屋山にはユダヤ人伝説やユダヤ教の儀式と類似点があるのでご紹介します。列挙すると…
・「モリヤ」はユダヤ人の国イスラエルの首都エルサレムにある山の名前と同音。 ・「御神」の「神官が小刀で刺そうとした瞬間に止めて子供は解放される」というくだり
が、旧約聖書の「イサクの生贄」にそっくり。それは…
「神がアブラハムに『あなたの一人息子のイサクをモリヤ山で生贄にしなさい』(創世記22:2)と命じて、アブラハムが泣く泣く我が子に手をかけるときに神がそれを止めた」
という物語で、信仰を試すもの。
アブラハムは代わりに藪に角をひっかけた山羊を生贄にした。この儀式はユダヤでは「イサクの燔祭」といって最重要な儀式となっている。
・御頭祭は別名「ミサクチの祭」と呼ばれているが「ミサクチ」はヘブライ語で「ミイツハク」に似ており「イサク由来の」という意味である。
しかしなぜ「75頭」なのでしょうか。新約聖書の「使徒行伝 第7章 14 節」に「ヨセフは使いをやって、父ヤコブと75人にのぼる親族一同とを招いた。」とあります。ヨセフは、あの生贄として捧げられたイサクの孫です。供物の数は、神のご加護により助けられたイサクから枝分かれして増えた親族数なのかもしれません。
ちなみに徳島県の『多祁御奈刀弥(タケミナトミ)神社』などでは、75のお膳をお供えする儀式が残っています。
追記:
諏訪大社の「御柱祭」では、御柱(おんばしら)と呼ばれる御神木を山から切り出して諏訪大社境内の四隅に建てる。旧約聖書「列王記」上6章には、ソロモン神殿を造る際、杉やモミの大木を隣国レバノンの森で切り出し、エルサレムまで運んだという記述がある。御柱祭でも、山から切り出す御柱には、かつて杉やモミの大木が使われたということで、木材の種類が一致している。
(列王記上
6: 9 ソロモンは神殿を建て、これを完成させるにあたって、神殿の屋根を杉材でできた雨水溝の列でおおった。
…
7 :1 また、ソロモンは十三年をかけて自分の宮殿を建て、その宮殿のすべてを完成させた。 2 彼は「レバノンの森の宮殿」を建てた。)
諏訪大社・上社で毎年4月15日(旧暦3月の酉の日)に行われる御頭祭(おんとうさい)では、過去75頭の鹿が生贄として供えられていた。そして、十支族の末裔といわれるイスラエルのサマリア人は、かつて「過越(すぎこし)の祭り」で75頭の子羊を生贄として捧げていたという。しかも、この祭はユダヤ暦のニーサーン(第1月)15~21日に行われており、西暦にすると3~4月にあたるため時期的に近い。
十間廊と幕屋: 諏訪大社・上社前宮の境内にある「十間廊(じっけんろう)」と呼ばれる建物の概観は、聖書に記述された移動式神殿である「幕屋」とよく似ている。ともに屋根はあるが壁がなく、柱を等間隔に並べた骨格だけの建物だ。十間廊の奥行きは約18m(十間)。幕屋の聖所は、長さが30キュビト(13m)、幅が10キュビト(約4m半)と、大きさも近い。かつて十戒が刻まれた石板を収めた「契約の箱」(聖櫃、アーク)は幕屋に置かれたが、御頭祭で神輿を十間廊の中に置くことにも類似している。(出エジプト記26参照。)
禍々しさを感じる
もうやめなー
日本ヘイトやめろ🫵
@ きも
なんかユダヤっぽいな
若ーーーー!!おりませぬか?
イサクの献祭だろ?
この生き神と呼ばれる少年は幸せな人生を送れるのだろうか。
それだけが気になる。
もろユダヤ
悪魔崇拝
えっと、、、、
しかのこのこのここしたんたんの
シリアス実写版であってます?笑
馬鹿にしすぎや
25点
やり直し
ガチこうゆうの冷める
しかのこの民度悪
いいね。障害者ワイの首もお一つ