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足回りや4WDシステムはR32に、エンジンはZ32に用いられた車ですね
限定生産でもいいから公道を走る姿見てみたかったよね…。中止の理由を考えるとホンダのNSXは良く頑張って出せたなぁと思う。
三菱GTO前期もデザインはフェラーリ超えてると言われてるとか言われていないとか…😊
@@hyomakun80三菱GTOは、中身はディアマンテのプラットフォームやエンジン等を流用した実質的にディアマンテの2ドアクーペですからね当時提携していたクライスラーにも供給する関係で、デザイン面もクライスラーからの要求が多かった様ですし当時はダミーダクトやゴテゴテとしたデザインが評論家からの評判が悪くて徳大寺さんはかなり批判してましたし
当時、モーターショーで発表された頃に東芝府中工場の北東角の現スズキの位置に日産のディラーが有りました。どの様な経緯なのかは知りませんがしばらくの間、屋外にしかも斜めに傾斜させて展示されていました。「もうじき日産からこんなスーパーカーが販売されるんだ」と思いながら通勤時に眺めてました。今思うと何故撮影しなかったのか悔やまれます。
初代NSXですら赤字、959を超える価格で売ってもどうなっていたか分からないですね。これが正解だったんだと思います。
MID4-2はマジで発売してほしかった。
日産MID4-Ⅱは当時、本当に市販されて欲しいと願ったカッコイイ車でした。同じころ発表されたCUE-Xもシンプルで美しい形をしたコンセプトカーでした、これはINFINITI Q45の原型として市販につながりましたが、できればコンセプトカーのまま市販してほしかった、そんな秀逸なデザインでした・・・私にとって
ベストモータリングでは日産のテストコースでMID4-2の走行インプレを行っており貴重な走行映像が残されていますねかつて次原隆二先生がジャンプで連載されていた漫画では初代MID4がキャビン部にエンジンを搭載した無人遠隔操作車として登場していたり、別の漫画では日本の架空の財閥系企業がカロッツェリア方式で架空のMRスポーツカーを市販化していたりとなかなか面白い事をされています
星野さんが勝った土砂降りのWECで初代がペースカーやってて走ってるMID-4を初めて見て中学生だった自分は大興奮したのをよく覚えてる
旗を後ろに立ててたミニカーが、1/43ミニカーで出てましたよ
懐かしい! 私が高校生の時のプロトタイプだ。改めて見るとコックピット周りやステアリング形状はR32スカイラインやZ32フェアレディZに通じる感じですね。
NSX登場前にこのデザインに至っていたのは凄いですよね。以前感動してフジミのプラモデルを作りました。今の日産にもこういう夢を追うクルマを作って欲しいですよね。
元々フェラーリって言うミッドシップの「美しいお手本」があるから、MID4もNSXもMR2もデザインは褒められるほどじゃないでしょ…それに、このクルマはトヨタ4500GTみたいな実験車両だったろ?
@@adgjmptw1122 非公表だけど45GT以外は全部ピニンファリーナだよ
十代のクルマ好きにとっても夢というよりも現実に近いスーパーカーでした.デザインもスペックも心躍らせるモノ.将来こういうクルマが色々なメーカーから出るのだと信じていました.
このミッドフォーは、日産のデモで、ドリフトをしながらまくい込むように旋回していた非常に印象深いスポーツカーです。スタイルは整然とした美しさがあって、ドリフト中の姿勢変化の穏やかさから、同じMRのNSXを凌いで居たと思います。
未だ、動態保存されていますよ。
横浜の日産ヘリテージですね。解説回る方に未だに何で出さなかったと自分の願望だけで言ってくる色んな所が残念な方がおられるそうな。
モーターショーで初代もイイ!と思ったけど、二代目はさらに良かった、限定だけでも出たら面白かったなあ。
ボディワークも申し分なく内装も良いですね。昔も今も憧れのクルマです。このクルマの手に入る現物が若者にとってS13シルビアだったのかもしれませんね。
同時代のコンセプトカーで1989年の三菱HSR-IIが印象に残っています。今の自動運転の先駆け的な自動追尾、自動パーキングを装備していて(航空自衛隊の次期支援戦闘機を開発していた三菱重工と直接の関連はなかったんでしょうけど)戦闘機のような操舵翼やエアブレーキも装備していました。そのまま市販される可能性は全くない技術実証用プロトタイプって感じですが、当時は本当に未来的でかっこよく見えました。
日産のコンセプトカーというと、QUE-X・ARC-X・PRIMERA-Xですかねえ。一応、市販車に影響を与えた(インフィニティQ45・セフィーロ・プリメーラ)形になってますけど、別次元の美しさを持っていました。
当時高校生でしたが東京モータショウで見ました。日産MID-4と三菱のHSXの2台が一番の話題で大人気でした。対照的にトヨタはクラウンやエスティマを展示してたりで地味で見る価値無かったです。
コレ作ってるって時に凄くワクワクしたんだよね
これが発売されていたら...
NSXに似てるけど日産が先なのね 日産ザガード出すよりこれの方が売れただろ
面の作り方がプリメーラっぽいなと思って調べてみたらやっぱりデザイナーは前澤さんだった。
ウン。ヤッパシ
確かベストカーの、カーデザイン水掛論っていう連載だかで、ミッド4について取り上げてたはず。
@@ORA291 語ってたよ。そして、あんまり良くは思ってなかったと記憶してる。スーパーカーの文脈に沿ってデザインすればある程度カッコ良くはなる、の様な事を言ってた気が。
確かMiD4を諦めてZの開発に集中したって当時何かの雑誌で読んだ事がある。
海外向けなら、ニーズは有ったはず。この車は発売すべきでしたね。日産の歴史はこの車で変わってたと思います。いすゞも、ベレット1600MXは発売するべきだったと思います。
販売されてたとして当時の日産のブランド力で採算が取れたとは到底思えないですが、歴史には残っていたでしょうね〜🤔
懐かしいしけど今でもカッコイイ🎉モーターショーで見てワクワクしたよ〜😊
1985年あたりはまだコンピューターがテキストくらいしか表示できないし工作機械も三次元で動かすのは至難の業だったのによくこんなデザインできたなと思います
NSXみたい
最高。ⅠもⅡもマジ最高。当時小坊で、晴海のショーでこれ見てテンション最高潮でした。でも明らかにリアのダクトが小さすぎて、風ぜんぜん抜けなさそう…ツインターボなのに…
「フロントがのっぺりしてる」と主さんが評されている初代の写真はクレイモデル段階のものではないでしょうか?後に試作され、ペースカーなどにまで使用された初代の実走モデルよりデザインの詰めが甘い段階です。走行できる試作モデルでは、フェンダーのラインがAピラー基部からノーズ先端まで一直線に通っていてライトのカバー外側もその線上にそろえた造形になっていて、ライト前の空間はもう少し狭いです。この銀色の車体が実車なら、ノーズからルーフまで一体成型のパネル構成になってしまいますw。初代もFC3Sと同じ年のデザインだと考えれば、十分進歩的であったとわかると思います。
懐かしい!初代のトミカ持ってた!ボディカラーが肌色のやつ塗装が厚かった記憶があるトミカも力を入れてたのかなW 雑に遊んでたらやっぱり禿げたけど
ミッド4プラモ(当時品)買ったな。31スカイライン前期みたいなホイルに、シティGA1みたいなホイル。参考画像のテスタロッサがモノスペッキオ(最初期の片側ドアミラー)。珍車コンセプトカー?の日産126Xとか、ピニンファリーナーミトスのデザイン解説も聞いてみたいですね。
当時日産派だったのでモーターショーにワクワクして見に行きました!2年後に発表されたMID4-IIは大人気で販売したらみんな欲しいと言ってましたよ!959より全然良かったです!でも発売されなかったので、私が買ったのはZ32でした。友人のR32GTRも最高でしたね!あの時代が1番楽しかったな😊
柔らかさのあるデザインのスーパーカーって素晴らしいですね…。この頃の技術をすべて詰め込んだというところも込で最高です。リクエストとしては同じ日産車で、商用車の中では割とかっこいいと言われているNV200バネットをぜひよろしくおねがいします😊流線型でとてもわたし自身好きなデザインです
MID4懐かしいなあ。2代目は洗練されたけど、ピニンファリーナの作った美しいミッドシップの文法から新しいことをしようという意思は感じられるけど、そこには至らなかったという印象を持ってました。動画のリクエスですが、私はガンディーニのいたあたりのベルトーネが大好きなので、ベルトーネ アトンとかマツダMX78など取り上げていただけるとうれしいです。と言ってもマニアックすぎて視聴数上がらないかな?
早いうちに日本車はすでに欧州車の品質を上回っていたと思いますが、その頃はまだブランド力がないのでスーパーカーを出してもみんなフェラーリを買うから売れないと判断したからではないかと思います。どうしてもデザインがフェラーリに似てしまっているのが欠点です。NSXが出たときもプアマンズフェラーリとかRX-7(FC3S)もプアマンズポルシェと言われました。それでも現在はNSXとFC3Sは海外で高値で取引されています。話は関係ないけど日本に鉄砲が伝来して日本製の鉄砲は命中精度が高く本場スペインでは日本製の鉄砲が高値で取引されていたとか。
@@sho12340 真似からそれを凌駕する良品を出す…それが日本人😅
80年代半ばごろまで社長だった石原氏がアメリカでのダットサンブランドの一部車種を除いての大幅縮小、事実上の廃止に近い状態で日産ブランドに切り替えていったんですよ。しかしこれが経営上の大きな判断ミスとなってしまい、アメリカでの市場シェアを一気に失ってしまった。慣れ親しんだダットサンから見知らぬ日産という社名に変更したことでユーザー離れが起きてしまったようです。日産の経営が傾く大きな原因の一つになっちゃったかな。多分、MID4-IIの発売中止にも影響したと思います。
三菱のHSRも好きかな。当時、学校でMID4は話題になってましたねー。
学校で車の話が話題になる時代、羨ましいです...笑
初代NSXと2代目MR2を想起しました。当時のデザイナーの共通理想的なものが見えてきますね。
リクエストです。ランボルギーニ・ウラッコが見てみたいです。
コメント失礼します。こうやってよく見ると、フロントマスクってNSXが激似じゃないですか?リトラ・ボンネット・ダクト・スモール&ウインカー・フォグランプとか・・・あと、テールランプの感じとか似てないでしょうか?
ワイもサムネ見てNSXそのものだと思った
本田宗一郎氏がこのMID4Ⅱを見て当時開発中のNSXのデザインがあまりにもダサいのでせめてMID4くらいにはかっこよくしろと檄が飛んだとNSX発売後の車雑誌で読んだことがありますね
上屋部分の面やラインは後のルビアに、リアの切り方はインフィニティQ45に匂いを感じますね。
DAIHATSUの X-021も発売してほしい車でした。
NSXとフェラーリとなにかとなにかを足して4で割った感じMRリトラでスポーツカー作るとこんなデザインは必然なんだろうな評価したいのはこれも凄いけどNSXやSW20だね、SWに関しては庶民の手の届く範囲で良くあそこまでいい車作ったよ
70スープラやってください!できれば前期からお願いします!!
初期型はフェラーリ512bb似てるなあ。2台めはnsx
NSXに似てるのではなく、NSXが似てるのだ。
開発者は明らかに市販化を目指したでしょうから、採算が可能な価格も決まっていたかと。それが幾らだったか知りたいものです。恐らくそれを知った経営陣が、市販化にストップを掛けたのでしょう。しかしこのデザインの細部はその後のシルビアに受け継がれ、技術はGT-Rに受け継がれて今も生きていることが嬉しいです。
うわさでは、1台2000万円で売ってようやくペイするほど、コスト掛かってたそうです。
@@oomori_inaka_soba そうでしたか。今のGT-Rが1375万円〜2138万円、GT-Rニスモ系が2865万円〜2915万円ですから、MID4の市販化は形を変えて実現したのかもですね。
@@oomori_inaka_soba当時の雑誌には、2000万円程度では工場への設備投資や販売台数の見込からだと採算が全く取れなくて更に高い価格にしてしまうと余計に販売台数が少なくなる懸念から販売を諦めたとありました。
なつかしく、本当に市販されていたら、限定販売国内国外併せて売って欲しかった1台です!
繋がりはないですが、ランチアストラトスとアバルト124スパイダー、アルファロメオ33ストラダーレの3車種のデザインについて紹介して欲しいです!!
この頃の日産が1番勢いのある時代だった。出す車出す車どれも評価が高く、実際の販売も好調だった。その後のモデルチェンジでは、結果的に悉く失敗に終った。今のように評判の良かった車のデザインは大事にする姿勢があったなら、ルノーへほ依存、今の体たらくがあったかどうか?😢
これデザイナー日本人なんですね。-2はちょっとエアインテークあたりがガンディーニに影響を受けてるみたいな感じですね。プロトタイプはエスプリみたいでジウジアーロっぽいしw内装は確かに日産ぽいです・・・w市販化してほしかったですねぇ・・・。
初期型はヴィタローニのベビーターボっぽいミラーが付いてるんですね。
MID4-2はNSXのフロントマスクにそっくり、リアオーバーハングが長いところもNSXはいただいちゃったのかも。
これは単なるショーモデルではなく市販に向けてのプロトだと思ってたんですけどねぇ。最大の根拠がオフセットされた後輪。ショーモデルならチェーン巻く必要ないのでツライチに出来ますからね。生まれた時期が悪かった悲劇のプロトタイプなんでしょうね。
以前オートモビルカウンシルで実車見ました。
当時学生で雑誌のもうすぐ市販化と言う記事にワクワクしてました。市販化のための少量生産体制、1500万とも2000万とも言われた車の販売ノウハウ当時の日本には未知の世界で銀行屋さんを説得仕切れなかったのでしょうかその後のパイクカー企画の生産体制、INFINITIチャンネルの展開MID4-Ⅱの市販化検討がシーマ発売の後だったらどうなったかと思ったものでした。もし企画に困ったらでよいので同時期のコンセプトカー 日産 ザウルス の解説を機会があればお願いします。
是非復刻して欲しいGTRのエンジンで。日産ブランド復活のきっかけになるかも。
前澤義雄さんは、ベストカーの連載対談「デザイン水掛け論」の中で、このMID4-Ⅱについては決して良い自己評価ではなく謙遜めいて語っていた記憶があります。スーパーカーなんてものは低く、幅広く作ればフォルムとして迫力が出るものであり、それは市販車として珍しいのでカッコ良く見えるが、優れたデザインとは別の話だ、と。確かにBピラーからリアまでが冗長に見えて、それがまた特異さを醸し出して面白いのですが、本人としては開発時間もなく、決して納得いく出来ではなかった様です。個人的にコンセプトカー随一の凄みのある美しさ、画期的デザインと思う一台が1989年のトヨタ4500GTです。ぜひ機会があれば解説をお願いします。
こうやって見るとカッコいいですねー。当時、リアルタイムで発表された時を知ってます。あまりにもまとまりすぎで 魅力を感じませんでした。😂😂 ポルシェにそんなコメントを求めたという話は知りませんでした。フジミ からプラモデル出てるので買って眺めてみようと思います。😊
MID4出せば良かったのになぁ・・GTRに繋がったから別に良いやんって言う人もいそうだけど出せば必ず変わってたよ日産の見方がねだから今こんな状況になったんだと思う、トヨタには冒険心があるが日産には・・・うーん
80年代にミッド4が市販されていたら、日産はどなたメーカーになっていたでしょう 残念です😢 291です😎
MID4-IIはグローバル本社ギャラリーに展示された時にウルウルしながら舐めるように観てきた。これセブンススカイラインの時期で最先端技術だったHiCASが採用されているんですねぇ。技術者もデザイナーも思う存分わがままに持てる全てを注ぎ込んだ結晶だからこそ尊くも美しい。このクルマを市販していたら日産は伝説になれたかもしれないが、R32やZ32を待たずして消えていたかもしれない。結果的に上層部の判断は正しかったんだろうなぁ。中途半端なMID4もどきを市販されるくらいなら、プロトタイプMID4-IIは伝説のままで良いんだよね。。。つぅかさ、Z34前期をEV化してe-4ORCEでスポーツ4WDを作ってくれてもいいんだぜ。
ハンドルなんかまんま32スカイラインみたい❗テールランプはZ31に通ずる?50&55のタイヤ扁平率が時代を感じる。メディア試乗会かなんかの記事でオーバーステアからリヤがグリップ無くなるのが突然でコントロールが難しかったとか?2代目MR2みたいな。初期のMID4がイムサ仕様で60年の東モでありカッコいい❗赤いMID4のナンバー文字が「よろしくメカドック」の角ゴシック体?みたいに見える。コンセプトカーだといすゞのCOAシリーズからのコモやヴィークロスに至るデザイン考察かしら❔
割と最近ですが、ダイハツのDNコンパーノが好きですね。今の時代売れるパッケージではないので仕方なかったですが、コンセプトとしてはクオリティが高く、市販化を期待してました。
MID4!メチャ!?期待してたんだがなぁ!!!?ディラー!に行って聞いたら!?「出るよ!」てっ?言ってたのになぁ???ザンネンだったよ?!😅
おぉあったあったw 昔過ぎて日産だったかも覚えて無かった、童夢と勘違いしてたかもw
GTRと同系のエンジン積んだ上位モデルとして発売して、、、無理か😅
採算ラインを引いて注文生産とか出来りゃあ良かったのにな
この時代でミラーがBMWのMみたいな形してんだな。
ゴーンはGTRじゃなくてコレを市販化してトンズラすればよかったのに…
IIでも公開がR32より前って言われて、意味がわからないw1つ時代のせいなのか、地上高が高く見えちゃってるのが逆に気なってしまいます…
まあ、R35 GT-Rを、約800万で売る様な会社ですからね。スーパースポーツは、荷が重いでしょう。量販車メーカーの良心、といえば聞こえが良いですが、クルマのキャラクターを見誤っていると思います。この時代、高度経済成長は終わり、バブルが始まった頃でしょうか。これが、販売出来無かった事が、多くの日本メーカーの限界を物語っていると思います。高度経済成長時代、日本メーカーは、量産品を持ち前の生真面目さで、安かろう悪かろうでは無く、高度な生産管理能力で、安くて高性能な商品を販売する事で世界を席巻しました。“Japan as No1”と言う言葉が生まれたのも、この頃であったと記憶しています。そして、多くの日本メーカーは、この言葉に驕ってしまいました。もう、既に日本の経済力は量産ベースでは無く、高付加価値、少量生産高価格ベースに移行していなければならないにも関わらす、相変わらず高度経済成長、量販、と言う真夏の夜の夢を追い求め続けているのです。量販品が不要と言うのでは無く、稼ぎの中心を高付加価値、パテント等のいわゆる権利ビジネスに移行するべきであったと思っています。もし、このクルマを、適正価格、1600万位から3000万辺りで販売出来て居れば、ニッサンの現在の凋落は無かったかもしれません。とは、希望的観測。R35GT-Rも、恐らく、上記の様な、性能に見合った価格で販売された事でしょう。スーパーカーの価格は、少量生産品と言う事もありますが、乗り手、所有者達にこういう高性能車に乗るには、それなりの覚悟が必要なんだよ。と言う事もあるのだと思っています。
フロントNSXリアGTOサイドフェラーリ内装R32GT-R
プロトタイプのMID4はNSXぽくて、2世代目のプロトタイプはロータスエスプリぽいなぁ。。。
この車が市販化されていたら日産の経営がさらに悪化していて、Z32もR32GT-Rも出なかったかも?Mid4-Ⅱすごくカッコいいから出なかったのは残念だけど……
当時発売されないって聞いてがっかりしたけど、すぐに32GT-Rの発売の噂が出てきたのでなるほどって思ったりしました。でも、今見ると初期型の方がしゅっとしてていいなぁ。どっかでみたデザインではあるけど。
これ、販売されなかった理由は日産のお家事情ですね、単純に言うと、海外メーカーと日本メーカーの開発しての考え方の違いです、海外は出来上がった物に対して価格を設定する、が、日本では日産に限らず、まず、開発において予算ありきなんです、だから当時の日産としては話題になりそこそこ台数は出るでしょうが利益の取りずらい車って判断されたって事です、その後32GTRに技術をフィードバックする事でMID4は役目を終えました、32GTRが販売できたのはベース車両があったからできたんですね、つまりシャーシやそのほかの部品の大半を他車種と共通化してコストを抑えることで販売できたんです。
市販化に漕ぎ着けられなかったと言えば、ホンダHSV010かなー
一瞬NSXかと思った
FNNがRX-7とホンダ軽の衝突事故を投稿していましたが、マナーの悪い一部の輩のお陰でスポーツカーへの風当たりの強さを痛感して「一般人にはこの日産コンセプトカーも除雪用に使えば良い、等と思ってるんだろうなぁ」、と複雑な気分になります…。
1985年のモーターショーでいちばんの出来はスズキのR/S1だと思います。市販化して欲しかったです。
そりゃ数が売れないから経営陣は賢明な選択をしたと思いますよ。仮に出したとしても価格が大幅に高くなるのでパンピーには買えません。現行GT-Rは当初頃777万円で売っていたけど近年は安いのでも1500万円ぐらいではなかったっけ? フェラーリやランボルギーニは高いから商売になるんですよ。なんせ、昔のフェラーリのクラッチはトラクターのそれだったらしいけど?それを知ってフェルッチョ・ランボルギーニがスーパーカーの商売始めたとか何とか?
N◯◯に見えたw
偶然なのかNSXがMID4に似てる
日産はヤマハとのプロジェクトも頓挫したし(後のトヨタ2000GT)、どうもタイミング悪いイメージ
ジオットキャスピタも市販化目前で計画が頓挫しましたね
よろしくメカドックで知ったクルマ
当時ベストカー誌なんかはもう無責任に「出る、出る」って煽ってましたね(今と変わらない…)ほかに市販化を期待したコンセプトカーと言えば、1999年のスズキev-sportですかねーあの小ささでシンプルにかっこいいデザインはもう見事としか言いようがないです
このデザインは今の時代でも通用するので、今からMID4を出しても遅くはない
初代をモーターショーで見ましたが、正直モッサリ感が強くて、雑誌等でもデザインは大酷評の嵐だったと思います。2は「マトモな」デザインになりましたが、当時のショーモデルはそのまま市販化される事はありませんでしたので、市販化期待値は低かった様に思います。
これ(初代)のトミカ持ってるよ。w
確か3型までありましたね!
MID4Ⅰは240RSに次ぐラリー参戦用車両として開発されたのかもしれませんね。
今となっては、過去の栄光にしがみつく爺のようなメーカーになったね
@@user-fr9tk4sw41 でも未だにGTRに勝るスポーツカー作れないんだよね
本気で言ってる?多分、日産の社員ってその感覚なんだろうな。可哀想
何もわざわざ傷口に塩を塗る様な真似をしなくても。😢
今このまんま発売しても価格を考えなければ欲しい人はメッチャ居ると思います✨
一代目は512BB、二代目はテスタロッサ。当時は恥ずかしさの象徴だった記憶があります。
横浜の日産工場で"実物"を観た事が有る(30年近く前)が、何故コレを"販売"しなかったんだろう?と思うばかり…(´-ω-`)
今現在日産は全然ぱっとしないし、限定生産で値段吹っ掛けて初代の美しいデザインのまま出せばいいのにと思う。
足回りや4WDシステムはR32に、
エンジンはZ32に用いられた車ですね
限定生産でもいいから公道を走る姿見てみたかったよね…。
中止の理由を考えるとホンダのNSXは良く頑張って出せたなぁと思う。
三菱GTO前期も
デザインはフェラーリ超えてると言われてるとか言われていないとか…😊
@@hyomakun80三菱GTOは、中身はディアマンテのプラットフォームや
エンジン等を流用した
実質的にディアマンテの2ドアクーペですからね
当時提携していたクライスラーにも供給する関係で、デザイン面もクライスラーからの要求が多かった様ですし
当時はダミーダクトやゴテゴテとしたデザインが評論家からの評判が悪くて
徳大寺さんはかなり批判してましたし
当時、モーターショーで発表された頃に東芝府中工場の北東角の現スズキの位置に日産のディラーが有りました。
どの様な経緯なのかは知りませんがしばらくの間、屋外にしかも斜めに傾斜させて展示されていました。
「もうじき日産からこんなスーパーカーが販売されるんだ」と思いながら通勤時に眺めてました。今思うと何故撮影しなかったのか悔やまれます。
初代NSXですら赤字、959を超える価格で売ってもどうなっていたか分からないですね。
これが正解だったんだと思います。
MID4-2はマジで発売してほしかった。
日産MID4-Ⅱは当時、本当に市販されて欲しいと願ったカッコイイ車でした。同じころ発表されたCUE-Xもシンプルで美しい形をしたコンセプトカーでした、これはINFINITI Q45の原型として市販につながりましたが、できればコンセプトカーのまま市販してほしかった、そんな秀逸なデザインでした・・・私にとって
ベストモータリングでは日産のテストコースでMID4-2の走行インプレを行っており貴重な走行映像が残されていますね
かつて次原隆二先生がジャンプで連載されていた漫画では初代MID4がキャビン部にエンジンを搭載した無人遠隔操作車として登場していたり、別の漫画では日本の架空の財閥系企業がカロッツェリア方式で架空のMRスポーツカーを市販化していたりとなかなか面白い事をされています
星野さんが勝った土砂降りのWECで初代がペースカーやってて走ってるMID-4を初めて見て中学生だった自分は大興奮したのをよく覚えてる
旗を後ろに立ててたミニカーが、1/43ミニカーで出てましたよ
懐かしい! 私が高校生の時のプロトタイプだ。改めて見るとコックピット周りやステアリング形状はR32スカイラインやZ32フェアレディZに通じる感じですね。
NSX登場前にこのデザインに至っていたのは凄いですよね。以前感動してフジミのプラモデルを作りました。今の日産にもこういう夢を追うクルマを作って欲しいですよね。
元々フェラーリって言うミッドシップの「美しいお手本」があるから、MID4もNSXもMR2もデザインは褒められるほどじゃないでしょ…
それに、このクルマはトヨタ4500GTみたいな実験車両だったろ?
@@adgjmptw1122
非公表だけど45GT以外は全部ピニンファリーナだよ
十代のクルマ好きにとっても夢というよりも現実に近いスーパーカーでした.デザインもスペックも心躍らせるモノ.将来こういうクルマが色々なメーカーから出るのだと信じていました.
このミッドフォーは、日産のデモで、ドリフトをしながらまくい込むように旋回していた非常に印象深いスポーツカーです。スタイルは整然とした美しさがあって、ドリフト中の姿勢変化の穏やかさから、同じMRのNSXを凌いで居たと思います。
未だ、動態保存されていますよ。
横浜の日産ヘリテージですね。
解説回る方に未だに何で出さなかったと自分の願望だけで言ってくる色んな所が残念な方がおられるそうな。
モーターショーで初代もイイ!と思ったけど、二代目はさらに良かった、限定だけでも出たら面白かったなあ。
ボディワークも申し分なく内装も良いですね。昔も今も憧れのクルマです。このクルマの手に入る現物が若者にとってS13シルビアだったのかもしれませんね。
同時代のコンセプトカーで1989年の三菱HSR-IIが印象に残っています。
今の自動運転の先駆け的な自動追尾、自動パーキングを装備していて(航空自衛隊の次期支援戦闘機を開発していた三菱重工と直接の関連はなかったんでしょうけど)戦闘機のような操舵翼やエアブレーキも装備していました。
そのまま市販される可能性は全くない技術実証用プロトタイプって感じですが、当時は本当に未来的でかっこよく見えました。
日産のコンセプトカーというと、QUE-X・ARC-X・PRIMERA-Xですかねえ。一応、市販車に影響を与えた(インフィニティQ45・セフィーロ・プリメーラ)形になってますけど、別次元の美しさを持っていました。
当時高校生でしたが東京モータショウで見ました。
日産MID-4と三菱のHSXの2台が一番の話題で大人気でした。
対照的にトヨタはクラウンやエスティマを展示してたりで地味で見る価値無かったです。
コレ作ってるって時に凄くワクワクしたんだよね
これが発売されていたら...
NSXに似てるけど日産が先なのね 日産ザガード出すよりこれの方が売れただろ
面の作り方がプリメーラっぽいなと思って調べてみたらやっぱりデザイナーは前澤さんだった。
ウン。ヤッパシ
確かベストカーの、カーデザイン水掛論っていう連載だかで、ミッド4について取り上げてたはず。
@@ORA291 語ってたよ。そして、あんまり良くは思ってなかったと記憶してる。スーパーカーの文脈に沿ってデザインすればある程度カッコ良くはなる、の様な事を言ってた気が。
確かMiD4を諦めてZの開発に集中したって当時何かの雑誌で読んだ事がある。
海外向けなら、ニーズは有ったはず。
この車は発売すべきでしたね。
日産の歴史はこの車で変わってたと思います。
いすゞも、ベレット1600MXは発売するべきだったと思います。
販売されてたとして当時の日産のブランド力で採算が取れたとは到底思えないですが、歴史には残っていたでしょうね〜🤔
懐かしいしけど今でもカッコイイ🎉モーターショーで見てワクワクしたよ〜😊
1985年あたりはまだコンピューターがテキストくらいしか表示できないし工作機械も三次元で動かすのは至難の業だったのによくこんなデザインできたなと思います
NSXみたい
最高。ⅠもⅡもマジ最高。
当時小坊で、晴海のショーでこれ見てテンション最高潮でした。
でも明らかにリアのダクトが小さすぎて、風ぜんぜん抜けなさそう…ツインターボなのに…
「フロントがのっぺりしてる」と主さんが評されている初代の写真はクレイモデル段階のものではないでしょうか?
後に試作され、ペースカーなどにまで使用された初代の実走モデルよりデザインの詰めが甘い段階です。
走行できる試作モデルでは、フェンダーのラインがAピラー基部からノーズ先端まで一直線に通っていて
ライトのカバー外側もその線上にそろえた造形になっていて、ライト前の空間はもう少し狭いです。
この銀色の車体が実車なら、ノーズからルーフまで一体成型のパネル構成になってしまいますw。
初代もFC3Sと同じ年のデザインだと考えれば、十分進歩的であったとわかると思います。
懐かしい!初代のトミカ持ってた!ボディカラーが肌色のやつ
塗装が厚かった記憶がある
トミカも力を入れてたのかなW 雑に遊んでたらやっぱり禿げたけど
ミッド4プラモ(当時品)買ったな。
31スカイライン前期みたいなホイルに、シティGA1みたいなホイル。参考画像のテスタロッサがモノスペッキオ(最初期の片側ドアミラー)。
珍車コンセプトカー?の日産126Xとか、ピニンファリーナーミトスのデザイン解説も聞いてみたいですね。
当時日産派だったのでモーターショーにワクワクして見に行きました!2年後に発表されたMID4-IIは大人気で販売したらみんな欲しいと言ってましたよ!959より全然良かったです!でも発売されなかったので、私が買ったのはZ32でした。友人のR32GTRも最高でしたね!あの時代が1番楽しかったな😊
柔らかさのあるデザインのスーパーカーって素晴らしいですね…。
この頃の技術をすべて詰め込んだというところも込で最高です。
リクエストとしては同じ日産車で、商用車の中では割とかっこいいと言われているNV200バネットをぜひよろしくおねがいします😊流線型でとてもわたし自身好きなデザインです
MID4懐かしいなあ。2代目は洗練されたけど、ピニンファリーナの作った美しいミッドシップの文法から新しいことをしようという意思は感じられるけど、そこには至らなかったという印象を持ってました。
動画のリクエスですが、私はガンディーニのいたあたりのベルトーネが大好きなので、ベルトーネ アトンとかマツダMX78など取り上げていただけるとうれしいです。と言ってもマニアックすぎて視聴数上がらないかな?
早いうちに日本車はすでに欧州車の品質を上回っていたと思いますが、その頃はまだブランド力がないのでスーパーカーを出してもみんなフェラーリを買うから売れないと判断したからではないかと思います。どうしてもデザインがフェラーリに似てしまっているのが欠点です。NSXが出たときもプアマンズフェラーリとかRX-7(FC3S)もプアマンズポルシェと言われました。それでも現在はNSXとFC3Sは海外で高値で取引されています。
話は関係ないけど日本に鉄砲が伝来して日本製の鉄砲は命中精度が高く本場スペインでは日本製の鉄砲が高値で取引されていたとか。
@@sho12340 真似からそれを凌駕する良品を出す…それが日本人😅
80年代半ばごろまで社長だった石原氏がアメリカでのダットサンブランドの一部車種を除いての大幅縮小、事実上の廃止に近い状態で日産ブランドに切り替えていったんですよ。
しかしこれが経営上の大きな判断ミスとなってしまい、アメリカでの市場シェアを一気に失ってしまった。
慣れ親しんだダットサンから見知らぬ日産という社名に変更したことでユーザー離れが起きてしまったようです。
日産の経営が傾く大きな原因の一つになっちゃったかな。
多分、MID4-IIの発売中止にも影響したと思います。
三菱のHSRも好きかな。
当時、学校でMID4は話題になってましたねー。
学校で車の話が話題になる時代、羨ましいです...笑
初代NSXと2代目MR2を想起しました。当時のデザイナーの共通理想的なものが見えてきますね。
リクエストです。ランボルギーニ・ウラッコが見てみたいです。
コメント失礼します。こうやってよく見ると、フロントマスクってNSXが激似じゃないですか?リトラ・ボンネット・ダクト・スモール&ウインカー・フォグランプとか・・・あと、テールランプの感じとか似てないでしょうか?
ワイもサムネ見てNSXそのものだと思った
本田宗一郎氏がこのMID4Ⅱを見て当時開発中のNSXのデザインがあまりにもダサいのでせめてMID4くらいにはかっこよくしろと檄が飛んだとNSX発売後の車雑誌で読んだことがありますね
上屋部分の面やラインは後のルビアに、リアの切り方はインフィニティQ45に匂いを感じますね。
DAIHATSUの X-021も発売してほしい車でした。
NSXとフェラーリとなにかとなにかを足して4で割った感じ
MRリトラでスポーツカー作るとこんなデザインは必然なんだろうな
評価したいのはこれも凄いけどNSXやSW20だね、SWに関しては庶民の手の届く範囲で良くあそこまでいい車作ったよ
70スープラやってください!
できれば前期からお願いします!!
初期型はフェラーリ512bb似てるなあ。2台めはnsx
NSXに似てるのではなく、NSXが似てるのだ。
開発者は明らかに市販化を目指したでしょうから、採算が可能な価格も決まっていたかと。それが幾らだったか知りたいものです。恐らくそれを知った経営陣が、市販化にストップを掛けたのでしょう。しかしこのデザインの細部はその後のシルビアに受け継がれ、技術はGT-Rに受け継がれて今も生きていることが嬉しいです。
うわさでは、1台2000万円で売ってようやくペイするほど、コスト掛かってたそうです。
@@oomori_inaka_soba そうでしたか。今のGT-Rが1375万円〜2138万円、GT-Rニスモ系が2865万円〜2915万円ですから、MID4の市販化は形を変えて実現したのかもですね。
@@oomori_inaka_soba当時の雑誌には、2000万円程度では
工場への設備投資や販売台数の見込からだと採算が全く取れなくて
更に高い価格にしてしまうと余計に販売台数が少なくなる懸念から販売を諦めたとありました。
なつかしく、本当に市販されていたら、限定販売国内国外併せて売って欲しかった1台です!
繋がりはないですが、ランチアストラトスとアバルト124スパイダー、アルファロメオ33ストラダーレの3車種のデザインについて紹介して欲しいです!!
この頃の日産が1番勢いのある時代だった。出す車出す車どれも評価が高く、実際の販売も好調だった。その後のモデルチェンジでは、結果的に悉く失敗に終った。今のように評判の良かった車のデザインは大事にする姿勢があったなら、ルノーへほ依存、今の体たらくがあったかどうか?😢
これデザイナー日本人なんですね。-2はちょっとエアインテークあたりがガンディーニに影響を受けてるみたいな感じですね。プロトタイプはエスプリみたいでジウジアーロっぽいしw
内装は確かに日産ぽいです・・・w市販化してほしかったですねぇ・・・。
初期型はヴィタローニのベビーターボっぽいミラーが付いてるんですね。
MID4-2はNSXのフロントマスクにそっくり、リアオーバーハングが長いところも
NSXはいただいちゃったのかも。
これは単なるショーモデルではなく市販に向けてのプロトだと思ってたんですけどねぇ。
最大の根拠がオフセットされた後輪。
ショーモデルならチェーン巻く必要ないのでツライチに出来ますからね。
生まれた時期が悪かった悲劇のプロトタイプなんでしょうね。
以前オートモビルカウンシルで実車見ました。
当時学生で雑誌のもうすぐ市販化と言う記事にワクワクしてました。
市販化のための少量生産体制、1500万とも2000万とも言われた車の販売ノウハウ
当時の日本には未知の世界で銀行屋さんを説得仕切れなかったのでしょうか
その後のパイクカー企画の生産体制、INFINITIチャンネルの展開
MID4-Ⅱの市販化検討がシーマ発売の後だったらどうなったかと思ったものでした。
もし企画に困ったらでよいので同時期のコンセプトカー
日産 ザウルス の解説を機会があればお願いします。
是非復刻して欲しいGTRのエンジンで。日産ブランド復活のきっかけになるかも。
前澤義雄さんは、ベストカーの連載対談「デザイン水掛け論」の中で、このMID4-Ⅱについては決して良い自己評価ではなく謙遜めいて語っていた記憶があります。スーパーカーなんてものは低く、幅広く作ればフォルムとして迫力が出るものであり、それは市販車として珍しいのでカッコ良く見えるが、優れたデザインとは別の話だ、と。確かにBピラーからリアまでが冗長に見えて、それがまた特異さを醸し出して面白いのですが、本人としては開発時間もなく、決して納得いく出来ではなかった様です。
個人的にコンセプトカー随一の凄みのある美しさ、画期的デザインと思う一台が1989年のトヨタ4500GTです。ぜひ機会があれば解説をお願いします。
こうやって見るとカッコいいですねー。当時、リアルタイムで発表された時を知ってます。あまりにもまとまりすぎで 魅力を感じませんでした。😂😂 ポルシェにそんなコメントを求めたという話は知りませんでした。フジミ からプラモデル出てるので買って眺めてみようと思います。😊
MID4出せば良かったのになぁ・・GTRに繋がったから別に良いやんって言う人もいそうだけど出せば必ず変わってたよ日産の見方がね
だから今こんな状況になったんだと思う、トヨタには冒険心があるが日産には・・・うーん
80年代にミッド4が市販されていたら、日産はどなたメーカーになっていたでしょう 残念です😢 291です😎
MID4-IIはグローバル本社ギャラリーに展示された時にウルウルしながら舐めるように観てきた。これセブンススカイラインの時期で最先端技術だったHiCASが採用されているんですねぇ。技術者もデザイナーも思う存分わがままに持てる全てを注ぎ込んだ結晶だからこそ尊くも美しい。
このクルマを市販していたら日産は伝説になれたかもしれないが、R32やZ32を待たずして消えていたかもしれない。結果的に上層部の判断は正しかったんだろうなぁ。中途半端なMID4もどきを市販されるくらいなら、プロトタイプMID4-IIは伝説のままで良いんだよね。。。つぅかさ、Z34前期をEV化してe-4ORCEでスポーツ4WDを作ってくれてもいいんだぜ。
ハンドルなんかまんま32スカイラインみたい❗
テールランプはZ31に通ずる?
50&55のタイヤ扁平率が時代を感じる。メディア試乗会かなんかの記事でオーバーステアからリヤがグリップ無くなるのが突然でコントロールが難しかったとか?2代目MR2みたいな。
初期のMID4がイムサ仕様で60年の東モでありカッコいい❗
赤いMID4のナンバー文字が「よろしくメカドック」の角ゴシック体?みたいに見える。
コンセプトカーだといすゞのCOAシリーズからのコモやヴィークロスに至るデザイン考察かしら❔
割と最近ですが、ダイハツのDNコンパーノが好きですね。
今の時代売れるパッケージではないので仕方なかったですが、コンセプトとしてはクオリティが高く、市販化を期待してました。
MID4!メチャ!?期待してたんだがなぁ!!!?
ディラー!に行って聞いたら!?「出るよ!」
てっ?言ってたのになぁ???ザンネンだったよ?!😅
おぉあったあったw 昔過ぎて日産だったかも覚えて無かった、童夢と勘違いしてたかもw
GTRと同系のエンジン積んだ上位モデルとして発売して、、、無理か😅
採算ラインを引いて注文生産とか出来りゃあ良かったのにな
この時代でミラーがBMWのMみたいな形してんだな。
ゴーンはGTRじゃなくてコレを市販化してトンズラすればよかったのに…
IIでも公開がR32より前って言われて、意味がわからないw
1つ時代のせいなのか、地上高が高く見えちゃってるのが逆に気なってしまいます…
まあ、R35 GT-Rを、約800万で売る様な会社ですからね。
スーパースポーツは、荷が重いでしょう。
量販車メーカーの良心、といえば聞こえが良いですが、クルマのキャラクターを見誤っていると思います。
この時代、高度経済成長は終わり、バブルが始まった頃でしょうか。
これが、販売出来無かった事が、多くの日本メーカーの限界を物語っていると思います。
高度経済成長時代、日本メーカーは、量産品を持ち前の生真面目さで、安かろう悪かろうでは無く、高度な生産管理能力で、安くて高性能な商品を販売する事で世界を席巻しました。
“Japan as No1”
と言う言葉が生まれたのも、この頃であったと記憶しています。
そして、多くの日本メーカーは、この言葉に驕ってしまいました。
もう、既に日本の経済力は量産ベースでは無く、高付加価値、少量生産高価格ベースに移行していなければならないにも関わらす、相変わらず高度経済成長、量販、と言う真夏の夜の夢を追い求め続けているのです。
量販品が不要と言うのでは無く、稼ぎの中心を高付加価値、パテント等のいわゆる権利ビジネスに移行するべきであったと思っています。
もし、このクルマを、適正価格、1600万位から3000万辺りで販売出来て居れば、ニッサンの現在の凋落は無かったかもしれません。とは、希望的観測。
R35GT-Rも、恐らく、上記の様な、性能に見合った価格で販売された事でしょう。
スーパーカーの価格は、少量生産品と言う事もありますが、乗り手、所有者達にこういう高性能車に乗るには、それなりの覚悟が必要なんだよ。と言う事もあるのだと思っています。
フロントNSXリアGTOサイドフェラーリ内装R32GT-R
プロトタイプのMID4はNSXぽくて、2世代目のプロトタイプはロータスエスプリぽいなぁ。。。
この車が市販化されていたら日産の経営がさらに悪化していて、Z32もR32GT-Rも出なかったかも?
Mid4-Ⅱすごくカッコいいから出なかったのは残念だけど……
当時発売されないって聞いてがっかりしたけど、すぐに32GT-Rの発売の噂が出てきたのでなるほどって思ったりしました。
でも、今見ると初期型の方がしゅっとしてていいなぁ。どっかでみたデザインではあるけど。
これ、販売されなかった理由は日産のお家事情ですね、単純に言うと、海外メーカーと日本メーカーの開発しての考え方の違いです、海外は出来上がった物に対して価格を設定する、が、日本では日産に限らず、まず、開発において予算ありきなんです、だから当時の日産としては話題になりそこそこ台数は出るでしょうが利益の取りずらい車って判断されたって事です、その後32GTRに技術をフィードバックする事でMID4は役目を終えました、32GTRが販売できたのはベース車両があったからできたんですね、つまりシャーシやそのほかの部品の大半を他車種と共通化してコストを抑えることで販売できたんです。
市販化に漕ぎ着けられなかったと言えば、ホンダHSV010かなー
一瞬NSXかと思った
FNNがRX-7とホンダ軽の衝突事故を投稿していましたが、マナーの悪い一部の輩のお陰で
スポーツカーへの風当たりの強さを痛感して「一般人にはこの日産コンセプトカーも除雪用に使えば良い、等と思ってるんだろうなぁ」、と複雑な気分になります…。
1985年のモーターショーでいちばんの出来はスズキのR/S1だと思います。市販化して欲しかったです。
そりゃ数が売れないから経営陣は賢明な選択をしたと思いますよ。仮に出したとしても価格が大幅に高くなるのでパンピーには買えません。現行GT-Rは当初頃777万円で売っていたけど近年は安いのでも1500万円ぐらいではなかったっけ? フェラーリやランボルギーニは高いから商売になるんですよ。なんせ、昔のフェラーリのクラッチはトラクターのそれだったらしいけど?
それを知ってフェルッチョ・ランボルギーニがスーパーカーの商売始めたとか何とか?
N◯◯に見えたw
偶然なのかNSXがMID4に似てる
日産はヤマハとのプロジェクトも頓挫したし(後のトヨタ2000GT)、どうもタイミング悪いイメージ
ジオットキャスピタも市販化目前で計画が頓挫しましたね
よろしくメカドックで知ったクルマ
当時ベストカー誌なんかはもう無責任に「出る、出る」って煽ってましたね(今と変わらない…)
ほかに市販化を期待したコンセプトカーと言えば、1999年のスズキev-sportですかねー
あの小ささでシンプルにかっこいいデザインはもう見事としか言いようがないです
このデザインは今の時代でも通用するので、今からMID4を出しても遅くはない
初代をモーターショーで見ましたが、正直モッサリ感が強くて、雑誌等でもデザインは大酷評の嵐だったと思います。
2は「マトモな」デザインになりましたが、当時のショーモデルはそのまま市販化される事はありませんでしたので、市販化期待値は低かった様に思います。
これ(初代)のトミカ持ってるよ。w
確か3型までありましたね!
MID4Ⅰは240RSに次ぐラリー参戦用車両として開発されたのかもしれませんね。
今となっては、過去の栄光にしがみつく爺のようなメーカーになったね
@@user-fr9tk4sw41 でも未だにGTRに勝るスポーツカー作れないんだよね
本気で言ってる?
多分、日産の社員ってその感覚なんだろうな。
可哀想
何もわざわざ傷口に塩を塗る様な真似をしなくても。😢
今このまんま発売しても価格を考えなければ欲しい人はメッチャ居ると思います✨
一代目は512BB、二代目はテスタロッサ。当時は恥ずかしさの象徴だった記憶があります。
横浜の日産工場で"実物"を観た事が有る(30年近く前)が、何故コレを"販売"しなかったんだろう?と思うばかり…(´-ω-`)
今現在日産は全然ぱっとしないし、限定生産で値段吹っ掛けて初代の美しいデザインのまま出せばいいのにと思う。