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東武1800系について取り上げてくれてありがとうございます東武好きなので嬉しいです
東武1800系のりょうもうは子どものときに浅草から足利市まで乗車しましたたまに足利市から赤城まで乗りました懐かしいですありがとうございます
200系への置き換えは車両は良くなったものの足回りは1800よりも古かったのですね。意外でした。りょうもう伝説は令和の今リバティに引き継がれつつあります。
りょうもうが特急に格上げされたのは、東武の路線変更で、増収目的ではありません。200系に置き換えても暫くは急行で運転されていました。そして日光線のスペーシアとは料金が異なっていました。
確かに。そして日光線の急行『きりふり』『ゆのさと』『(ビジネスライナー)しもつけ』も 特急に格上げされて 改造後ではあるものの 1800系は特急運用にも用いられたことになります。
りょうもうの登場当時は下りが浅草~館林までノンストップ運転と急行とは思えない停車駅の少なさが売りでした。上りのみ北千住駅に停車と少し下りと上りで停車駅が異なりました。
今のリバティーの特急は停車駅ではA準急ですね、日光線特急に至っては快速ですから。
東武1800系の「りょうもう」号、子どもの頃に従姉妹の家に遊びに行くとき浅草まで乗ったことがあります。実家が線路沿いにあるため亡き祖父から「〇〇(従姉妹の名前)のところにいくときはこの電車で浅草まで行くんだよ」と教えられていました。今は電車で実家に帰省することも無くなりましたが、この赤い電車は幼少時の思い出の電車です。
位置づけはDRCと6000系の中間なのか?それでも初めて乗車した時は、地元名鉄の7000系シリーズパノラマカーよりは「特急」の貫禄はあった。扉はデッキに、トイレもあったので。むしろ「北アルプス」と互角という印象。
9:56 1800系通勤改造車の転用先は当初から佐野線・小泉線で、伊勢崎線で定期運用されたことはありませんよ。館林以北の伊勢崎線はまだ区間運転になる前で、浅草発の準急がそのまま太田・伊勢崎まで直通していた時代です。2007年にまず佐野線ワンマン化で撤退して、小泉線に集約されるもやはりワンマン化されて引退しました。東上線転用の話があったのも、急行「りょうもう」撤退時のことで、通勤車化された後はもう8000系にも廃車が出始めていた頃で、再転用の噂は無かったです。
東上線有料特急で秩父鉄道直通が一番良かったけど無理かな
え〜 すみません。1700系は 方向幕に『中央前橋』のコマは用意されていましたが 伊勢崎線の急行には使われずじまいでした。あと DRC引退の頃の急行は 快速用の6050系に料金を取って乗せる『快速急行』(快速と急行の間という意味で 急行よりも下位種別。停車駅は快速よりも若干少ない)を走らせていました。その頃は 戦前型(デハ10)は 既に存在していませんでしたし 5700系も 臨時快速や波動用に使われていました。伊勢崎線急行(現 特急)は 季節変動のある日光線特急よりも稼ぎの良い列車です。1800系が6両化された時 増結用に新造されたモハ+サハには 東武初の『ワンハンドルマスコン』(縦軸にブレーキハンドルを差し込んで 左に動かすと力行 右に動かすとブレーキ)が装備された事でも知られています。300・350系に改造された個体は『東武の185系』とも呼ばれていましたね。
うーむ1700系に延命工事して伊勢崎線急行に転用とか出来なかったかなその代わり1720系新造車を増やしておけば
性能的には1700系も最高速105km/h1800系最高速105km/h台車がアルストムコイルバネ台車で劣るが1979年迄は運用で廃車か或いは5700系を3070系更新追加代替1700系あり得るし
@@tike2435 さんまぁ 伊勢崎線急行には 結果的に完全新製の車両が入ったから 良かったと思いますよ。因みに あとから挿入された増結用の2両はSミンデン台車で オリジナルのミンデンドイツタイプ(FS-356D)よりも乗り心地が劣っていました。1700系も 更新時に車体をDRC仕様にしたものの 後に乗り心地と高速性能に劣るオリジナルのコイルばね台車(FS-308)を 鋳鋼製Sミンデン台車(FS-370)に取り替えて 1700系由来のパーツは結局全て 廃棄されましたね。
訂正と補足伊勢崎線急行に『1700系は使用されなかった』と書きましたが 改めて調べてみたら 稀に運用されていた事もあったようですね。🙇💦あと『東武初のワンハンドルマスコン』が採用されたのは 1800系増結用2連(モハ+サハ)の『簡易運転台』です。
現存していれば通勤特急の王者
紅い車体が眼を魅いた東武の急行型電車1800系🌹そして1編成だけ角ライト等が採用された異端車1819📸所で、"急行列車"とは私達の世代からだと、"通勤電車"で走ってるイメージ🧠が有りますけど、昭和時代の東武は違っており、国鉄と同様に急行型車両が有ってって⁉️ となると伊勢崎・日光線急行列車はこの1800系りょうもう号と8000系等の一般型車両を使った列車も有ったって事でしょうか⁇ …嗚呼、ややこしい😵💫💫
はい。8000系や5000系列 7800系といった通勤形電車の普通と準急があり その準急も太田まで通過運転をする『準急A』東武動物公園迄通過運転をする『準急B』があり Aは日中の浅草−伊勢崎間 Bは朝夕の浅草−伊勢崎間と 日中の浅草−館林・太田間で運転されていました。
同時期に有料急行と無料急行が設定されていたことはありませんでした。2003年までは特急のスペーシア>急行りょうもう(1999に特急格上げ)・南会津ほか>日光線の無料快速>無料準急(伊勢崎線側はAとB。区別はとりりさまの通りです)急行が純然たる一般列車になったのは2006年でした。その時に数少ない有料急行は「特急」になりましたが、設備面で差があることから急行時代と料金は変わりませんでした。
地味なデザインが多い東武の中での赤い車体は珍しく明るい感じのする車でした。東上線で使えればTJライナーがもっと早くデビューしたかも知れませんね、但し後のATC化には乗れなかった可能性も高い。
1720系DRCよりこちらの方が憧れの車両だった。
1800系通勤車、東上線系統に回そうとしていたのは初めて知りましたが……後々ワンマン化される路線にしても、ラッシュ時の混雑には8000系などの4ドア車でないと対応出来ない事は、1800系自身が館林エリアで経験しているのに。。。仮に転属したら50090系より前に「久々に東上線に特急車がやって来た」と話題になっていたかもですね(笑)。
子供の頃、ロマンスカーに乗りたいってゆったら、コレに乗せてくれた。「ロマンスカーだよ」ってゆわれたけど、これじゃない感がスゴかった。まぁ不満じゃないけど、これロマンスカーじゃないだろ?
普通列車として運用されたり、臨時特急で使われたり伊勢崎線急行を外されてからあまり陽の目を見る事が無かった1800系ですが、浅草ー南会津間の「急行南会津」としての運用とか「スノーパル23:50」とかある意味東武には使い勝手のいい電車だったのかもしれませんね。
南会津号は2005年に廃止されてしまいましたね。野岩鉄道、会津鉄道への乗入れは開業当初は人気があったもののその後の景気低迷や車への移行で厳しくなっていたのでしょう。近年リバティの投入で少しずつではあれテコ入れされましたね。リバティで行った大内宿も見応えがありました。
中央前橋乗り入れが消えた本当の?理由・・・1700系を導入したのはいいが、全電動車編成でメチャ消費電力が多い故に上毛電鉄の電気系統を思いっきりトラブらせたことが結構あったからとも。
200系って1720の足回りと座席使っていたけど1800に1720の座席つければよかった気もするんだが?置き換えても運転時間は変わらなかったし。
通勤用への投入は当初から中継ぎ的だったような気がする。
実はこの車両、在来線で初めて下枠交差式パンタグラフを搭載した記念すべき車両。それはつまり日本初=世界初の事例。
下枠交差パンタといえば当時関西私鉄のイメージが強いだけに意外と知らない人が多い。また製造には阪急系のナニワ工機(現アルナ)がかかわっており、ペコちゃんとあだ名を付けられた前照灯尾灯を横一列に配してその部分を車体から一段凹ませたデザインは、この後阪急の車両がこぞって採用して80年代の阪急顔となったのも興味深い。
この電車古すぎ
程よい中古車www近鉄に腐るほど走ってる現役B更新車。近鉄基準でいえば、50年経っても、足回りはまだまだ若いもんに負けんよ。名古屋線なんて、本線なのに、奈良線じゃ絶対見られないようなロートルが頑張っとる。東武、まだまだ甘いな。
いやいや、200系は250系以外、昭和30年代後半製造の60年以上熟成されたシロモノですよ😅実は200系に流用された1720系の足回りは、昭和40年代前半に新造された1800系よりも5~7年は古いシロモノなんです。つい20年前まで吊り掛け式を走らせていたセコい東武を侮ることなかれ、、、東武もそのセコさを逆手に取り、わざわざ高い金払ってSL大樹など導入しなくとも、早い時期から割と平坦で負担の少ない伊勢崎線系末端区間などを使って電車に特化したの鉄道文化遺産保存に舵を切っていれば良かったのですが…自動空気ブレーキ系の部品は無かったとしても、7800系列由来の吊り掛け駆動のパーツは豊富にあったでしょうし、平成頭までは半綱製の車輌も入手出来たでしょう。
東武1800系について取り上げてくれてありがとうございます
東武好きなので嬉しいです
東武1800系のりょうもうは子どものときに浅草から足利市まで乗車しました
たまに足利市から赤城まで乗りました
懐かしいです
ありがとうございます
200系への置き換えは車両は良くなったものの足回りは1800よりも古かったのですね。意外でした。
りょうもう伝説は令和の今リバティに引き継がれつつあります。
りょうもうが特急に格上げされたのは、東武の路線変更で、増収目的ではありません。
200系に置き換えても暫くは急行で運転されていました。
そして日光線のスペーシアとは料金が異なっていました。
確かに。
そして日光線の急行『きりふり』『ゆのさと』『(ビジネスライナー)しもつけ』も 特急に格上げされて 改造後ではあるものの 1800系は特急運用にも用いられたことになります。
りょうもうの登場当時は下りが浅草~館林までノンストップ運転と急行とは思えない停車駅の少なさが売りでした。
上りのみ北千住駅に停車と少し下りと上りで停車駅が異なりました。
今のリバティーの特急は停車駅ではA準急ですね、日光線特急に至っては快速ですから。
東武1800系の「りょうもう」号、子どもの頃に従姉妹の家に遊びに行くとき浅草まで乗ったことがあります。
実家が線路沿いにあるため亡き祖父から「〇〇(従姉妹の名前)のところにいくときはこの電車で浅草まで行くんだよ」と教えられていました。今は電車で実家に帰省することも無くなりましたが、この赤い電車は幼少時の思い出の電車です。
位置づけはDRCと6000系の中間なのか?それでも初めて乗車した時は、地元名鉄の7000系シリーズパノラマカーよりは「特急」の貫禄はあった。扉はデッキに、トイレもあったので。むしろ「北アルプス」と互角という印象。
9:56 1800系通勤改造車の転用先は当初から佐野線・小泉線で、伊勢崎線で定期運用されたことはありませんよ。
館林以北の伊勢崎線はまだ区間運転になる前で、浅草発の準急がそのまま太田・伊勢崎まで直通していた時代です。
2007年にまず佐野線ワンマン化で撤退して、小泉線に集約されるもやはりワンマン化されて引退しました。
東上線転用の話があったのも、急行「りょうもう」撤退時のことで、通勤車化された後はもう8000系にも廃車が出始めていた頃で、再転用の噂は無かったです。
東上線有料特急で秩父鉄道直通が一番良かったけど無理かな
え〜 すみません。
1700系は 方向幕に『中央前橋』のコマは用意されていましたが 伊勢崎線の急行には使われずじまいでした。
あと DRC引退の頃の急行は 快速用の6050系に料金を取って乗せる『快速急行』(快速と急行の間という意味で 急行よりも下位種別。停車駅は快速よりも若干少ない)を走らせていました。
その頃は 戦前型(デハ10)は 既に存在していませんでしたし 5700系も 臨時快速や波動用に使われていました。
伊勢崎線急行(現 特急)は 季節変動のある日光線特急よりも稼ぎの良い列車です。
1800系が6両化された時 増結用に新造されたモハ+サハには 東武初の『ワンハンドルマスコン』(縦軸にブレーキハンドルを差し込んで 左に動かすと力行 右に動かすとブレーキ)が装備された事でも知られています。
300・350系に改造された個体は『東武の185系』とも呼ばれていましたね。
うーむ1700系に延命工事して伊勢崎線急行に転用とか出来なかったかな
その代わり1720系新造車を増やしておけば
性能的には1700系も最高速105km/h
1800系最高速105km/h
台車がアルストムコイルバネ台車で劣るが
1979年迄は運用で廃車か或いは
5700系を3070系更新追加
代替1700系あり得るし
@@tike2435 さん
まぁ 伊勢崎線急行には 結果的に完全新製の車両が入ったから 良かったと思いますよ。
因みに あとから挿入された増結用の2両はSミンデン台車で オリジナルのミンデンドイツタイプ(FS-356D)よりも乗り心地が劣っていました。
1700系も 更新時に車体をDRC仕様にしたものの 後に乗り心地と高速性能に劣るオリジナルのコイルばね台車(FS-308)を 鋳鋼製Sミンデン台車(FS-370)に取り替えて 1700系由来のパーツは結局全て 廃棄されましたね。
訂正と補足
伊勢崎線急行に『1700系は使用されなかった』と書きましたが 改めて調べてみたら 稀に運用されていた事もあったようですね。🙇💦
あと『東武初のワンハンドルマスコン』が採用されたのは 1800系増結用2連(モハ+サハ)の『簡易運転台』です。
現存していれば通勤特急の王者
紅い車体が眼を魅いた東武の急行型電車1800系🌹そして1編成だけ角ライト等が採用された異端車1819📸
所で、"急行列車"とは私達の世代からだと、"通勤電車"で走ってるイメージ🧠が有りますけど、昭和時代の東武は違っており、国鉄と同様に急行型車両が有ってって⁉️ となると伊勢崎・日光線急行列車はこの1800系りょうもう号と8000系等の一般型車両を使った列車も有ったって事でしょうか⁇ …嗚呼、ややこしい😵💫💫
はい。
8000系や5000系列 7800系といった通勤形電車の普通と準急があり その準急も太田まで通過運転をする『準急A』
東武動物公園迄通過運転をする『準急B』
があり Aは日中の浅草−伊勢崎間 Bは朝夕の浅草−伊勢崎間と 日中の浅草−館林・太田間で運転されていました。
同時期に有料急行と無料急行が設定されていたことはありませんでした。
2003年までは特急のスペーシア>急行りょうもう(1999に特急格上げ)・南会津ほか>日光線の無料快速>無料準急(伊勢崎線側はAとB。区別はとりりさまの通りです)
急行が純然たる一般列車になったのは2006年でした。その時に数少ない有料急行は「特急」になりましたが、設備面で差があることから急行時代と料金は変わりませんでした。
地味なデザインが多い東武の中での赤い車体は珍しく明るい感じのする車でした。東上線で使えればTJライナーがもっと早くデビューしたかも知れませんね、但し後のATC化には乗れなかった可能性も高い。
1720系DRCよりこちらの方が憧れの車両だった。
1800系通勤車、東上線系統に回そうとしていたのは初めて知りましたが……後々ワンマン化される路線にしても、ラッシュ時の混雑には8000系などの4ドア車でないと対応出来ない事は、1800系自身が館林エリアで経験しているのに。。。
仮に転属したら50090系より前に「久々に東上線に特急車がやって来た」と話題になっていたかもですね(笑)。
子供の頃、ロマンスカーに乗りたいってゆったら、コレに乗せてくれた。
「ロマンスカーだよ」
ってゆわれたけど、これじゃない感がスゴかった。
まぁ不満じゃないけど、これロマンスカーじゃないだろ?
普通列車として運用されたり、臨時特急で使われたり伊勢崎線急行を外されてからあまり陽の目を見る事が無かった1800系ですが、
浅草ー南会津間の「急行南会津」としての運用とか「スノーパル23:50」とかある意味東武には使い勝手のいい電車だったのかもしれませんね。
南会津号は2005年に廃止されてしまいましたね。野岩鉄道、会津鉄道への乗入れは開業当初は人気があったもののその後の景気低迷や車への移行で厳しくなっていたのでしょう。
近年リバティの投入で少しずつではあれテコ入れされましたね。リバティで行った大内宿も見応えがありました。
中央前橋乗り入れが消えた本当の?理由・・・1700系を導入したのはいいが、全電動車編成でメチャ消費電力が多い故に上毛電鉄の電気系統を思いっきりトラブらせたことが結構あったからとも。
200系って1720の足回りと座席使っていたけど1800に1720の座席つければよかった気もするんだが?置き換えても運転時間は変わらなかったし。
通勤用への投入は当初から中継ぎ的だったような気がする。
実はこの車両、在来線で初めて下枠交差式パンタグラフを搭載した記念すべき車両。
それはつまり日本初=世界初の事例。
下枠交差パンタといえば当時関西私鉄のイメージが強いだけに意外と知らない人が多い。
また製造には阪急系のナニワ工機(現アルナ)がかかわっており、ペコちゃんとあだ名を付けられた前照灯尾灯を横一列に配してその部分を車体から一段凹ませたデザインは、この後阪急の車両がこぞって採用して80年代の阪急顔となったのも興味深い。
この電車古すぎ
程よい中古車www
近鉄に腐るほど走ってる現役B更新車。
近鉄基準でいえば、50年経っても、足回りはまだまだ若いもんに負けんよ。
名古屋線なんて、本線なのに、奈良線じゃ絶対見られないようなロートルが頑張っとる。
東武、まだまだ甘いな。
いやいや、200系は250系以外、昭和30年代後半製造の60年以上熟成されたシロモノですよ😅
実は200系に流用された1720系の足回りは、昭和40年代前半に新造された1800系よりも5~7年は古いシロモノなんです。
つい20年前まで吊り掛け式を走らせていたセコい東武を侮ることなかれ、、、
東武もそのセコさを逆手に取り、わざわざ高い金払ってSL大樹など導入しなくとも、早い時期から割と平坦で負担の少ない伊勢崎線系末端区間などを使って電車に特化したの鉄道文化遺産保存に舵を切っていれば良かったのですが…
自動空気ブレーキ系の部品は無かったとしても、7800系列由来の吊り掛け駆動のパーツは豊富にあったでしょうし、平成頭までは半綱製の車輌も入手出来たでしょう。