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区分席を作りまくったのは後に仇となってしまったけど、従来考えられなかった運転席と展望席の上下を入れ替え、さらに雛壇状に並べるレイアウトを実現したのは画期的と言うか素直にスゴイ。登場から早40年になるけど、そのアイデアと後の車両でも例が無い運転席が完全に分離しているのは先進的。
晩年の津島~本線~西尾線用特急運用の際、朝夕のラッシュ時のコンパートメントに当たったら、知らないおっちゃん4人で座る息苦しさといったらなかった。
西尾行の特急で4名コンパートメント席でおっさんに囲まれたおねーさんを見た時は気の毒だと思った。なんで先頭車もり通常座席に改造しなかのかと中途半端でおなじみの名鉄らしさをここで「も」感じたものです。
先頭ハイデッカー車両は近鉄しまかぜにも影響してますね😮まさに革命的な車両です😮
始発から終点まで4人用個室に乗ったことあります。スイッチひとつで窓が曇るあの設備には相当驚かされました。懐かしいですね。
愛知万博ロープウェイより遥かに早く、窓ガラスフィルターが使用されていたのですね
小牧線間内駅近くでまさに重機のご馳走にされる所を目の当たりにしたっけ。
今も残っていたら、クルーズトレインに抜擢されてそうですねそうだとしたら、利用したかった
奇しくも、8800系引退と空港線の開業が同時期だったんですよねー観光輸送から、都市間輸送と空港連絡輸送にシフトした象徴といえます!
初めて見たときの印象は「変な顔」でもその変な顔が 国鉄の『アルファコンチネンタルエクスプレス』伊豆急の『リゾート21』等 その後の前面展望車両に大きく影響を与えたんですよね。こいつも1985年の『ブルーリボン賞』を受賞しました。
国鉄はわざわざ名鉄にこのデザイン使っていいかお伺い立てたと言う。
しまかぜっぽさもあるよね
当時の名鉄は観光に力を入れてましたね。ですが、それが仇となり、都市間輸送というドル箱に力を入れることをやらなかった。結果、早朝ラッシュ時に2扉のSR車を充当しなければならず、ツリカケ車8連とかで捌いていました。近郊型6000系が出た時に、やっと観光と都市間輸送との両立が構築されたと思いましたね。
それは「第一次オイルショック」がきっかけでした。
予想外の短命に終わりましたね。
お疲れ様です。中は結構豪華ですよね。惜しいです。たしか7000系の足回りは良いとしても2M1Tではなかったかしら?これでは本線は無理ですよね。😂😂😂😂
中学校の行事で南知多に行く事があって、8800系で最寄駅から内海まで乗りました。団体で3両一編成貸切、原型車両だったから楽しめました。
名鉄の辛いとこは秀でた観光地がなくてましてや閑散とする始末。厳しいね。
その点観光資源豊富な近鉄が羨ましいですね😅
名古屋本線が浜松まで伸びていたら良かったのに。
無い訳じゃないし、寧ろ豊富。ただ、三河湾とか知多の海水浴場とか生活様式の変化で寂れてしまった所が幾つかあるんだよ…
名古屋ー谷汲を直通しなかった事が間違いやった😫😭
物理的に無理です。
デビューしてすぐに乗車したはいいが、パノラマ席を確保できなかったのを覚えてます。特急料金が当時の指定席料金250円だったのが、デラックス特急料金500円が必要でした。しかしその豪華さには恥じない程の設備で、500円という料金は納得がいきました。晩年西尾線で何度か乗る機会もあり、その都度パノラマ席を指定して乗ってました。西尾線内では西尾から蒲郡から来た3両を連結しパノラマDXの6両という豪華な編成が見られました。
観光目的で乗ったことは一度もないけど職場で嫌なことあったときにこれに乗って癒されたりしてた
本線等の系統的には長いので、コンパートメントもいいですが、名古屋から見たら少し短かったのが痛かったですね。
名鉄8800系パノラマデラックスのハイデッカーの前面構造はこの後に登場する名鉄1000系パノラマスーパーに活かされて行くのですね。
登場当時は私鉄の車両が模型で製品化されるのが 珍しかった(全く無いと言う訳では無い)頃にトミックスで製品化されました
3:39 親子3人で座れるようにしたのは2次車。扉のついた個室はスペーシアより先でした。個人の感想ですが前面展望は1000系より見やすかった。
この系式も、パノラマスーパー1000系も名鉄沿線の特性の悪さに足を取られた。動画の通り近鉄、東武、小田急の様な世界的観光地、宿泊地が無いこと、観光客、通勤客に対し波動が大きい事が災いした。1000系は一般車と混結という様になり、展望席はあっても「豪華特急」というイメージは薄れた。確かにラッシュ時に満員の7000系を昼間に300円以上徴収する特急も問題無かったとは言えなかったが。
只でさえ車社会と言う大敵の中でここまでやれるだけでも天晴ですな!(^^)bせめて120km/h対応出来ていたらもう少し変わっていたのでしょうがね(;^_^A
海外旅行が「ブーム」だなんていい時代だったんだろうな
需要と供給を読み間違えた、名鉄のピーチライナー(殴
名鉄沿線は特に観光地と胸を張れる地域無いからね、しかしこれもう無いのか、ろくすっぽ乗った記憶が無いわ
バブル時代の頃、会社(職場)忘年会で新鵜沼集合で新鵜沼発河和行⇒日間賀島の一泊二日旅行で乗りました。(往復)当時の特急券が、片道500円以上(他の通常特急券が今と変わらない価格だったはず。)車移動がメインだったので、1往復のみだったけど、若い頃にデラックスやぁと喜んで乗っていた記憶があります。
最大のネックは、名鉄が名古屋を中心に放射状に広がっており、乗車時間が短すぎること。このような豪華特急が私鉄で成立するのは、私鉄にしては長距離で、片端が大都市圏で、片端が日本を代表する観光地の東武日光特急、近鉄の名古屋、大阪、京都発の伊勢志摩特急、あと距離が?だが、小田急の小田原箱根特急くらいだろう。小田急の江ノ島線でも南海高野線でも距離が足りない。それと、大都市圏を両端に持ち、私鉄にしては長距離の近鉄名阪特急も合格だろう。
あまり関係ないが受験終わってからの迷列車は最高
下回りに廃車発生品を利用するあたり、元々実験的な要素も含んでいたのでは?地鉄や長電、富士急や秩鉄をはじめとした地方鉄道は、もし下回りが年数や勾配などに耐えられるならば、この車輌を何かしらの改造の上で導入しても良かったんじゃないかな~これほどの出物はなかなか無いだけに、なんだか勿体ない。
実はこの頃の名鉄はお金が無かったから廃車発生品を少しでも多く使い回す傾向にあったのよね。(実際DX作るために生贄になった7000系中間車の冷房装置は6600系に流用されたり、5000・5200系の機器を使い回して5300系作ったりしてた)ちなみに最近の例だと特急政策で不要になった全特パノスパの機器を流用して5000系作ったりしてる
名鉄は面白いです変わっているのが良かった
パノラマDX‼️懐かしい‼️確か名古屋~内海迄乗った記憶有りました❗1号車・3号車は展望が素晴らしかった🎵
鉄道ファンの雑誌で初めて見た時、インパクト強いというか、すこし奇妙な顔立ちにすら見えたが、内装見ると、展望の客席を上で運転室を下にという、従来のパノラマカーを逆にした、展望席も高くするなんてイキじゃん…と思った反面、運転席は低くなって見通し悪くないのか…と気にもなったものだった。
名鉄初となる本格的な特急型電車でした。
DXは名鉄最大の汚点
大した観光地もなく、ほぼ県内完結で「遠出をする」感もなく、均等法制定で採用されたパノラマメイツのやる気のなさ…これで特急料金が2倍じゃあねぇ。
8800系の製造意図として恐らくこの頃から観光バスが豪華になってきて、都市部からの小団体やバスツアーのグレードアップに対抗したのだと思います。4人席、6人席サロンシートはほぼそれを意識したデザインですね。
8800系って確か、車庫で保存されていますよね。※カットボディミュージックホーンも鳴ったはず
舞木に展示されています。
あの車両、クリーム色が印象的で、模型化もされました。私も誕生日プレゼントでもらって今でも家にあります…
パノラマDXは登場した年と知多新線が計画通りにいけばパノラマカーの様に良い結果を残せたと思います。後はパノラマカー(名鉄7000系)の廃車発生品を流用しなければ
今犬山地区は外国人に人気の観光地になってるだけに登場時期が惜しまれる気がしますね
8:23朝蒲郡始発の特急は西尾まで3両、西尾で更に3両増結して堂々と6両で新安城から本線に入り、名古屋への通勤客を運んだ。8800系の区分室のレイアウト、どこか欧州のコンパートメントに通ずるところがあるように見えて、今のミュースカイに1/2両でも採用したら、欧州から来た客にウケるのでは?と思った。
名鉄もまた展望席ついた車両開発してくれないかな。パノラマDXが無理ならパノラマCXとかパノラマEXでも良いから。
そんな贅沢な。東海道線は国鉄時代と違って、都市近郊輸送に力を入れてるんですよ。今では攻守逆転です。
どうせなら、名鉄博物館で、昔計画されたが幻に終わって模型としてのみ展示されてる、パノラマカーDXを、実現させて欲しい…☝️😁✨️…って、無理なアホな話は承知…(^-^;😅-w-w
内海から新鵜沼迄、家族で乗りました。運転席を下に、展望席を上にした車体はパノラマスーパーに引き継がれました。
知多新線は折角複線分の用地を確保しているにも拘わらず、遊ばせているし、師崎への延伸はしなくなった。名古屋本線の「名鉄豊橋駅」も、名古屋本線の浜松延伸も実現しなかった。もしこれらの構想が実現していたら、8800系の運命は変わっていたかもしれない。
舞木で生首状態にされてしまった悲しい子。初代の奥に2連ででも保存されたら良かったのになぁ。にしても、名鉄の8000番代系式って不遇なのが多いのは気のせいか…??🤔
お〜2階建てのパノラマカーDX懐かしい〜。
迷鉄万歳!
もう少し登場が遅れていたら、中部国際空港とのアクセスの一端を担えたと思うのだが、岐阜~中部国際空港パノラマDX、需要無かったのかなあ・・・・
営業最高速度が時速110KMでは、ミュースカイの邪魔になっていたでしょうね
実際西尾線特急やってた頃も120km出せないからって知立通過なんて荒業してた位だし…
混雑緩和のため大衆化すればよかった
初代のパノラマカーに比べると、顔も色も「まとも」というか地味だったかな?社内販売があったのはいいね!
新快速タイプ特急しかなかった名鉄に「ガチ特急」を導入出来たのがこのお方の最大の功績だと思いますけどね……短命さも含めて、近鉄の初代ビスタカーに通じますよ。
パノラマDXはDX特急として運用しているときは2回乗っただけかな。そのうち1回は豊川稲荷の正月輸送で豊川稲荷から名古屋まで乗った。それ以外は格下げされて西尾線系統の吉良吉田~佐屋特急や少し設定されていた名古屋発常滑行き特急で乗ったぐらい。もちろん変な相席が無いようにリクライニングシートの展望車か中間車を指定して座席指定券を買っていたけど。
一応4両編成にする構想があったんだけどね…
初期に運転された沿線民に(犬山・常滑・河和線系統)とってはダイヤパターンをぶっ壊し、その設備の割にはパノラマカーの250円(当時)に比べ500円の指定席料金をボッタクると言う邪魔な存在だった。←
かなり強気な価格設定だなと…パノラマDXが高すぎるのかパノラマカーが高すぎるのか…
どこぞやのQシートに比べれば安いと思う関東民。特別な列車はある程度の乗車時間が必要と言う事ですね。
民営化後にJR東海が運賃値上げせずに新快速への新車投入(117系→311系→313系)で品質(接客設備と運転速度、運行頻度)向上を図ったのも名鉄には痛手だったかと。
@@N--jv3go当時の最低時給を考慮すると通貨価値は違いますよね。
鬼ころし清洲桜醸造ってこの頃から今でも広告出してるんだな。現専務が高校の部活の先輩でめちゃくちゃ怖かった思い出。
セミコンパートメントボックス席に座席指定を割り当てられると、見知らぬサラリーマン叔父様方との有難いお見合い大会が…………………
新車で作らなかった、近鉄特急、あおによし、青のシンフォニーの先駆けになったのかな?こちらは内装リニューアルではなく車体ごと交換したけど。
3:02 、このガラスのパーティションの柄が、「場末のスナック…」って、あのロンちゃんこと、吉村光夫さんが当時、「鉄道ファン」のリポートで酷評しておられたな…3:25 、あの通路挟んだ6人向かい合わせの席は必要あったのか…?って当時から(名鉄らしいっちゃあらしいか…)疑問に思った…現に吉村御大も、「このロングシートは、気分が悪くなった方へのベッドですか(笑)?…」って皮肉って書いておられたな…😅(因みにデビュー当時は、真ん中のひじ掛けがなかったから尚更…(^-^;)第一、車内販売があったのにも関わらず、最初はトイレ🚻がなかったのも致命的だったな…d(* ̄∇ ̄*)-w-w
観光目的に登場したパノラマDX指定席券は、他の特急よりも高めでした。多分おそらく、日本初のハイデッカー列車として登場。だがしかし、ほぼ愛知県内で路線が完結するメー鉄では観光列車の需要は少なく、やがて内装を他の特急並みに改造され、晩年は津島、佐屋から西尾、吉良吉田間を往復する特急として運用され、2005年に引退。先輩のパノラマカーよりも先に天に召されました。
しかし2両編成じゃなあ…。
バブル時代の流れ
一度だけ新名古屋→新安城で乗りました(8803F)
近鉄との相互乗り入れができれば良かった…と
1953年頃まで狭軌時代の近鉄と、近畿日本名古屋 新名古屋を介して、団体臨時列車限定で、相互乗り入れが実施されてました現在の名鉄名古屋ホーム北側の広い空洞が、近鉄の近畿日本名古屋(近鉄名古屋)への連絡軌道跡です
お正月ダイヤの豊川稲荷行DX特急は満席でした。
DXがデジタルトランスメーションでなくデラックスの略であった頃。
名鉄は、名古屋ー谷汲を直通しなかった事が間違いやった😫 後、要らん特急車製造しない事。6500系の魔改造するより 9000系をワンマン使用にせや良かった なんせオールマイティーに走れるからな😄
8800短命だった??結構長い間見ていた様な気がするけど
もうそろそろワイドFMラジオ用のアンテナの山へリサイクルして行きます。
8800系って、近鉄の「しまかぜ」や「ひのとり」にも影響を与えた先駆的な車輌なんじゃ…。他の方々も仰るとおり、名鉄の地域特性と8800系が合わなかったのでしょうね。※80年代にNHKの教育番組に出演していた気がするのですが、気のせいでしょうか?
ゆうとぴあ和倉やエーデル兄弟と雰囲気が似ている。
当時は凄い憧れでしたが、今思えば、中途半端!やっぱり、KのiRの方が当たってる。
スマホに飼われてる人は窓なしが好まれるそうな
223系新快速の、Aシート💺改造車がその再来だね…😁-w-w
時代が早すぎたのか😢
上り聚楽園で急行を運転停車させて追い抜いていた DXが運転しない日の急行は通過駅に謎の運転停車 今なら確実に動画ネタになったろう
8800系って、1985年予定だった国鉄高山線電化開業による北アルプスの電車化を見据えてたんじゃないかなあ。国鉄もパノラマDXと同時期にハイデッカー展望席を採用したアルファコンチネンタルエクスプレスをデビューさせていることから、この構造であれば入線可能だったと思いますし。
7000系の機器流用車で最高速度110㎞/hしか出せなかったのがネックに
今流行りのDX
この車両の失敗の思い出で「しまかぜ」も、どうせ失敗でしょうと思っていた。近鉄さん、すみませんでした。
名鉄は、昭和50年頃迄は観光客の需要があったが、この頃、特にこの地方では、自動車でのレジャーが主流になっていて、時代遅れだった。
パノラマスーパーの原点、パノラマDXやな。
今更ですが、メンテ費は高くとも、大井川鐡道や当時の名鉄グループに移動出来たのでは。。
将来はいよいよワイドFMラジオ用のアンテナへリサイクルして行きます。だから忘れては嫌ですよね。現金大金の持ち歩きにさよならじゃありませんか。だからキャッシュレス決済が最高ですよね。現金大金などの盗難にお別れしたいですよね。冗談抜きのお話ですよね。環境やお財布などに優しいお話ですよね。ドンと来なさいよ、シンプルなお話よ。まるごとリサイクル。ビックリどっきりリサイクル。ぎっしりどっさりリサイクル。爛々リサイクル。熱血リサイクルですよね。
今の時代、観光特急は流行らない
近鉄の「しまかぜ」や「あをによし」の成功例はあるよ😏✨️
昔の特急列車は限られた人間しか利用しませんでした。ですが、今は新幹線で通勤通学しますから。
名古屋関内は、観光地へ行くにしても。車の移動がメインやからさ😄 名鉄の場合、名古屋ー谷汲を直通しなかった事が間違いやったよ😫 直通していたら·········😞
区分席を作りまくったのは後に仇となってしまったけど、従来考えられなかった運転席と展望席の
上下を入れ替え、さらに雛壇状に並べるレイアウトを実現したのは画期的と言うか素直にスゴイ。
登場から早40年になるけど、そのアイデアと後の車両でも例が無い運転席が完全に分離しているのは先進的。
晩年の津島~本線~西尾線用特急運用の際、
朝夕のラッシュ時のコンパートメントに当たったら、
知らないおっちゃん4人で座る息苦しさといったらなかった。
西尾行の特急で4名コンパートメント席でおっさんに囲まれた
おねーさんを見た時は気の毒だと思った。
なんで先頭車もり通常座席に改造しなかのかと
中途半端でおなじみの名鉄らしさをここで「も」感じたものです。
先頭ハイデッカー車両は
近鉄しまかぜにも影響してますね😮
まさに革命的な車両です😮
始発から終点まで4人用個室に乗ったことあります。
スイッチひとつで窓が曇るあの設備には相当驚かされました。
懐かしいですね。
愛知万博ロープウェイより遥かに早く、窓ガラスフィルターが使用されていたのですね
小牧線間内駅近くでまさに重機のご馳走にされる所を目の当たりにしたっけ。
今も残っていたら、クルーズトレインに抜擢されてそうですね
そうだとしたら、利用したかった
奇しくも、8800系引退と空港線の開業が同時期だったんですよねー
観光輸送から、都市間輸送と空港連絡輸送にシフトした象徴といえます!
初めて見たときの印象は「変な顔」
でもその変な顔が 国鉄の『アルファコンチネンタルエクスプレス』伊豆急の『リゾート21』等 その後の前面展望車両に大きく影響を与えたんですよね。
こいつも1985年の『ブルーリボン賞』を受賞しました。
国鉄はわざわざ名鉄にこのデザイン使っていいかお伺い立てたと言う。
しまかぜっぽさもあるよね
当時の名鉄は観光に力を入れてましたね。ですが、それが仇となり、都市間輸送というドル箱に力を入れることをやらなかった。結果、早朝ラッシュ時に2扉のSR車を充当しなければならず、ツリカケ車8連とかで捌いていました。近郊型6000系が出た時に、やっと観光と都市間輸送との両立が構築されたと思いましたね。
それは「第一次オイルショック」がきっかけでした。
予想外の短命に終わりましたね。
お疲れ様です。中は結構豪華ですよね。惜しいです。たしか7000系の足回りは良いとしても2M1Tではなかったかしら?これでは本線は無理ですよね。😂😂😂😂
中学校の行事で南知多に行く事があって、8800系で最寄駅から内海まで乗りました。
団体で3両一編成貸切、原型車両だったから楽しめました。
名鉄の辛いとこは秀でた観光地がなくてましてや閑散とする始末。厳しいね。
その点観光資源豊富な近鉄が羨ましいですね😅
名古屋本線が浜松まで伸びていたら良かったのに。
無い訳じゃないし、寧ろ豊富。
ただ、三河湾とか知多の海水浴場とか生活様式の変化で寂れてしまった所が幾つかあるんだよ…
名古屋ー谷汲を直通しなかった事が間違いやった😫😭
物理的に無理です。
デビューしてすぐに乗車したはいいが、パノラマ席を確保できなかったのを覚えてます。特急料金が当時の指定席料金250円だったのが、デラックス特急料金500円が必要でした。しかしその豪華さには恥じない程の設備で、500円という料金は納得がいきました。晩年西尾線で何度か乗る機会もあり、その都度パノラマ席を指定して乗ってました。西尾線内では西尾から蒲郡から来た3両を連結しパノラマDXの6両という豪華な編成が見られました。
観光目的で乗ったことは一度もないけど
職場で嫌なことあったときにこれに乗って癒されたりしてた
本線等の系統的には長いので、コンパートメントもいいですが、名古屋から見たら少し短かったのが痛かったですね。
名鉄8800系パノラマデラックスのハイデッカーの前面構造はこの後に登場する名鉄1000系パノラマスーパーに活かされて行くのですね。
登場当時は私鉄の車両が模型で製品化されるのが
珍しかった(全く無いと言う訳では無い)頃にトミックスで製品化されました
3:39 親子3人で座れるようにしたのは2次車。
扉のついた個室はスペーシアより先でした。
個人の感想ですが前面展望は1000系より見やすかった。
この系式も、パノラマスーパー1000系も名鉄沿線の特性の悪さに足を取られた。動画の通り近鉄、東武、小田急の様な世界的観光地、宿泊地が無いこと、観光客、通勤客に対し波動が大きい事が災いした。1000系は一般車と混結という様になり、展望席はあっても「豪華特急」というイメージは薄れた。確かにラッシュ時に満員の7000系を昼間に300円以上徴収する特急も問題無かったとは言えなかったが。
只でさえ車社会と言う大敵の中でここまでやれるだけでも天晴ですな!(^^)b
せめて120km/h対応出来ていたらもう少し変わっていたのでしょうがね(;^_^A
海外旅行が「ブーム」だなんて
いい時代だったんだろうな
需要と供給を読み間違えた、名鉄のピーチライナー(殴
名鉄沿線は特に観光地と胸を張れる地域無いからね、しかしこれもう無いのか、ろくすっぽ乗った記憶が無いわ
バブル時代の頃、会社(職場)忘年会で新鵜沼集合で新鵜沼発河和行⇒日間賀島の一泊二日旅行で乗りました。(往復)
当時の特急券が、片道500円以上(他の通常特急券が今と変わらない価格だったはず。)
車移動がメインだったので、1往復のみだったけど、若い頃にデラックスやぁと喜んで乗っていた記憶があります。
最大のネックは、名鉄が名古屋を中心に放射状に広がっており、乗車時間が短すぎること。
このような豪華特急が私鉄で成立するのは、私鉄にしては長距離で、片端が大都市圏で、片端が日本を代表する観光地の東武日光特急、近鉄の名古屋、大阪、京都発の伊勢志摩特急、あと距離が?だが、小田急の小田原箱根特急くらいだろう。
小田急の江ノ島線でも南海高野線でも距離が足りない。
それと、大都市圏を両端に持ち、私鉄にしては長距離の近鉄名阪特急も合格だろう。
あまり関係ないが受験終わってからの迷列車は最高
下回りに廃車発生品を利用するあたり、元々実験的な要素も含んでいたのでは?
地鉄や長電、富士急や秩鉄をはじめとした地方鉄道は、もし下回りが年数や勾配などに耐えられるならば、この車輌を何かしらの改造の上で導入しても良かったんじゃないかな~
これほどの出物はなかなか無いだけに、なんだか勿体ない。
実はこの頃の名鉄はお金が無かったから廃車発生品を少しでも多く使い回す傾向にあったのよね。(実際DX作るために生贄になった7000系中間車の冷房装置は6600系に流用されたり、5000・5200系の機器を使い回して5300系作ったりしてた)
ちなみに最近の例だと特急政策で不要になった全特パノスパの機器を流用して5000系作ったりしてる
名鉄は面白いです
変わっているのが良かった
パノラマDX‼️
懐かしい‼️
確か名古屋~内海迄乗った記憶
有りました❗1号車・3号車は展望が素晴らしかった🎵
鉄道ファンの雑誌で初めて見た時、インパクト強いというか、すこし奇妙な顔立ちにすら見えたが、内装見ると、展望の客席を上で運転室を下にという、従来のパノラマカーを逆にした、展望席も高くするなんてイキじゃん…と思った反面、運転席は低くなって見通し悪くないのか…と気にもなったものだった。
名鉄初となる本格的な特急型電車でした。
DXは名鉄最大の汚点
大した観光地もなく、ほぼ県内完結で「遠出をする」感もなく、均等法制定で採用されたパノラマメイツのやる気のなさ…これで特急料金が2倍じゃあねぇ。
8800系の製造意図として恐らくこの頃から観光バスが豪華になってきて、都市部からの小団体やバスツアーのグレードアップに対抗したのだと思います。
4人席、6人席サロンシートはほぼそれを意識したデザインですね。
8800系って確か、
車庫で保存されていますよね。
※カットボディ
ミュージックホーンも鳴ったはず
舞木に展示されています。
あの車両、クリーム色が印象的で、模型化もされました。私も誕生日プレゼントでもらって今でも家にあります…
パノラマDXは登場した年と知多新線が計画通りにいけばパノラマカーの様に良い結果を残せたと思います。
後はパノラマカー(名鉄7000系)の廃車発生品を流用しなければ
今犬山地区は外国人に人気の観光地になってるだけに登場時期が惜しまれる気がしますね
8:23朝蒲郡始発の特急は西尾まで3両、西尾で更に3両増結して堂々と6両で新安城から本線に入り、名古屋への通勤客を運んだ。8800系の区分室のレイアウト、どこか欧州のコンパートメントに通ずるところがあるように見えて、今のミュースカイに1/2両でも採用したら、欧州から来た客にウケるのでは?と思った。
名鉄もまた展望席ついた車両開発してくれないかな。
パノラマDXが無理ならパノラマCXとかパノラマEXでも良いから。
そんな贅沢な。
東海道線は国鉄時代と違って、都市近郊輸送に力を入れてるんですよ。
今では攻守逆転です。
どうせなら、名鉄博物館で、昔計画されたが幻に終わって模型としてのみ展示されてる、パノラマカーDXを、実現させて欲しい…☝️😁✨️…って、無理なアホな話は承知…(^-^;😅-w-w
内海から新鵜沼迄、家族で乗りました。
運転席を下に、展望席を上にした車体はパノラマスーパーに引き継がれました。
知多新線は折角複線分の用地を確保しているにも拘わらず、遊ばせているし、師崎への延伸はしなくなった。
名古屋本線の「名鉄豊橋駅」も、名古屋本線の浜松延伸も実現しなかった。
もしこれらの構想が実現していたら、8800系の運命は変わっていたかもしれない。
舞木で生首状態にされてしまった悲しい子。初代の奥に2連ででも保存されたら良かったのになぁ。
にしても、名鉄の8000番代系式って不遇なのが多いのは気のせいか…??🤔
お〜2階建てのパノラマカーDX懐かしい〜。
迷鉄万歳!
もう少し登場が遅れていたら、中部国際空港とのアクセスの一端を担えたと思うのだが、
岐阜~中部国際空港
パノラマDX、需要無かったのかなあ・・・・
営業最高速度が時速110KMでは、ミュースカイの邪魔になっていたでしょうね
実際西尾線特急やってた頃も120km出せないからって知立通過なんて荒業してた位だし…
混雑緩和のため大衆化すればよかった
初代のパノラマカーに比べると、顔も色も「まとも」というか地味だったかな?
社内販売があったのはいいね!
新快速タイプ特急しかなかった名鉄に「ガチ特急」を導入出来たのがこのお方の最大の功績だと思いますけどね……短命さも含めて、近鉄の初代ビスタカーに通じますよ。
パノラマDXはDX特急として運用しているときは2回乗っただけかな。
そのうち1回は豊川稲荷の正月輸送で豊川稲荷から名古屋まで乗った。
それ以外は格下げされて西尾線系統の吉良吉田~佐屋特急や
少し設定されていた名古屋発常滑行き特急で乗ったぐらい。
もちろん変な相席が無いようにリクライニングシートの展望車か中間車を指定して
座席指定券を買っていたけど。
一応4両編成にする構想があったんだけどね…
初期に運転された沿線民に(犬山・常滑・河和線系統)とってはダイヤパターンをぶっ壊し、その設備の割にはパノラマカーの250円(当時)に比べ500円の指定席料金をボッタクると言う邪魔な存在だった。←
かなり強気な価格設定だなと…
パノラマDXが高すぎるのかパノラマカーが高すぎるのか…
どこぞやのQシートに比べれば安いと思う関東民。特別な列車はある程度の乗車時間が必要と言う事ですね。
民営化後にJR東海が運賃値上げせずに新快速への新車投入(117系→311系→313系)で品質(接客設備と運転速度、運行頻度)向上を図ったのも名鉄には痛手だったかと。
@@N--jv3go
当時の最低時給を考慮すると通貨価値は違いますよね。
鬼ころし清洲桜醸造ってこの頃から今でも広告出してるんだな。現専務が高校の部活の先輩でめちゃくちゃ怖かった思い出。
セミコンパートメントボックス席に座席指定を割り当てられると、見知らぬサラリーマン叔父様方との有難いお見合い大会が…………………
新車で作らなかった、近鉄特急、あおによし、青のシンフォニーの先駆けになったのかな?
こちらは内装リニューアルではなく車体ごと交換したけど。
3:02 、このガラスのパーティションの柄が、「場末のスナック…」って、あのロンちゃんこと、吉村光夫さんが当時、
「鉄道ファン」のリポートで酷評しておられたな…
3:25 、あの通路挟んだ6人向かい合わせの席は必要あったのか…?
って当時から(名鉄らしいっちゃあらしいか…)疑問に思った…
現に吉村御大も、「このロングシートは、気分が悪くなった方へのベッドですか(笑)?…」って皮肉って書いておられたな…😅(因みにデビュー当時は、真ん中のひじ掛けがなかったから尚更…(^-^;)
第一、車内販売があったのにも関わらず、最初はトイレ🚻がなかったのも致命的だったな…d(* ̄∇ ̄*)-w-w
観光目的に登場したパノラマDX
指定席券は、他の特急よりも高めでした。
多分おそらく、日本初のハイデッカー列車として登場。
だがしかし、ほぼ愛知県内で路線が完結するメー鉄では観光列車の需要は少なく、やがて内装を他の特急並みに改造され、晩年は津島、佐屋から西尾、吉良吉田間を往復する特急として運用され、2005年に引退。
先輩のパノラマカーよりも先に天に召されました。
しかし2両編成じゃなあ…。
バブル時代の流れ
一度だけ新名古屋→新安城で乗りました(8803F)
近鉄との相互乗り入れができれば良かった…と
1953年頃まで狭軌時代の近鉄と、近畿日本名古屋 新名古屋を介して、団体臨時列車限定で、相互乗り入れが実施されてました
現在の名鉄名古屋ホーム北側の広い空洞が、近鉄の近畿日本名古屋(近鉄名古屋)への連絡軌道跡です
お正月ダイヤの豊川稲荷行DX特急は満席でした。
DXがデジタルトランスメーションでなくデラックスの略であった頃。
名鉄は、名古屋ー谷汲を直通しなかった事が間違いやった😫
後、要らん特急車製造しない事。6500系の魔改造するより 9000系をワンマン使用にせや良かった なんせオールマイティーに走れるからな😄
8800短命だった??結構長い間見ていた様な気がするけど
もうそろそろワイドFMラジオ用のアンテナの山へリサイクルして行きます。
8800系って、近鉄の「しまかぜ」や「ひのとり」にも影響を与えた先駆的な車輌なんじゃ…。
他の方々も仰るとおり、名鉄の地域特性と8800系が合わなかったのでしょうね。
※80年代にNHKの教育番組に出演していた気がするのですが、気のせいでしょうか?
ゆうとぴあ和倉やエーデル兄弟と
雰囲気が似ている。
当時は凄い憧れでしたが、今思えば、中途半端!やっぱり、KのiRの方が当たってる。
スマホに飼われてる人は窓なしが好まれるそうな
223系新快速の、Aシート💺改造車がその再来だね…😁-w-w
時代が早すぎたのか😢
上り聚楽園で急行を運転停車させて追い抜いていた DXが運転しない日の急行は通過駅に謎の運転停車 今なら確実に動画ネタになったろう
8800系って、1985年予定だった国鉄高山線電化開業による北アルプスの電車化を見据えてたんじゃないかなあ。
国鉄もパノラマDXと同時期にハイデッカー展望席を採用したアルファコンチネンタルエクスプレスをデビューさせていることから、この構造であれば入線可能だったと思いますし。
7000系の機器流用車で最高速度110㎞/hしか出せなかったのがネックに
今流行りのDX
この車両の失敗の思い出で
「しまかぜ」も、どうせ失敗でしょうと思っていた。
近鉄さん、すみませんでした。
名鉄は、昭和50年頃迄は観光客の需要があったが、この頃、特にこの地方では、自動車でのレジャーが主流になっていて、時代遅れだった。
パノラマスーパーの原点、パノラマDXやな。
今更ですが、メンテ費は高くとも、大井川鐡道や当時の名鉄グループに移動出来たのでは。。
将来はいよいよワイドFMラジオ用のアンテナへリサイクルして行きます。だから忘れては嫌ですよね。現金大金の持ち歩きにさよならじゃありませんか。だからキャッシュレス決済が最高ですよね。現金大金などの盗難にお別れしたいですよね。冗談抜きのお話ですよね。環境やお財布などに優しいお話ですよね。ドンと来なさいよ、シンプルなお話よ。まるごとリサイクル。ビックリどっきりリサイクル。ぎっしりどっさりリサイクル。爛々リサイクル。熱血リサイクルですよね。
今の時代、観光特急は流行らない
近鉄の「しまかぜ」や「あをによし」の成功例はあるよ😏✨️
昔の特急列車は限られた人間しか利用しませんでした。
ですが、今は新幹線で通勤通学しますから。
名古屋関内は、観光地へ行くにしても。車の移動がメインやからさ😄 名鉄の場合、名古屋ー谷汲を直通しなかった事が間違いやったよ😫 直通していたら·········😞