ไม่สามารถเล่นวิดีโอนี้
ขออภัยในความไม่สะดวก
【ゆっくり解説】家康が恐れた男!加藤清正の謎
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 7 ธ.ค. 2023
- ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
にっぽんぽんTwitter 【制作の裏話など】
ni...
にっぽんぽんInstagram【偉人の名言】
www.instagram....
歴史は何のために学ぶのか。この疑問を持ったことがある方は少なくないでしょう。仕事では直接使うことはほとんどないですよね。
過去を学ぶことで未来に活かせると私は考えています。教養という意味でも社会で必要な知識でしょう。
先人たちはどのような暮らしでなぜそのような文化が形成されたのか。面白いことばかりです。
こういった考えから、このチャンネルでは社会人の方が、ゆっくり楽しく歴史上の偉人のことを学べ、更に、そこから日常でも役立てられるような動画を作っています。
このチャンネルを通して学び、役立てられる人が1人でも多くなるようにチャンネル運営を頑張っていきます。応援してもらえると嬉しいです。
ほぼ毎日17時に動画を配信中 にっぽんぽん 運営 山本陽太
※動画内の素材はすべて引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的はございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願いします。
osigotoiraihakotira@gmail.com
#ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説
清正公が築いたもので最も大きいものは熊本の街そのもの。今の熊本の街は氾濫地帯だったけど、清正公の治水で街として発展した。
熊本に行ったときに乗ったタクシーの運転手が「熊本の真の殿様は加藤清正。細川はしょせんよそ者」って言ったのを覚えている
相良なんだよなぁ()
熊本では清正公さん(せいしょこさん)と言われ、細川氏より親しまれています。私も大ファンです。熊本城が籠城に耐えられたのは食料となるものを築城にあれこれ使っていたり、銀杏をたくさん植えたりなどの工夫があったというのが好きです。
虎之助は豊臣の血筋なんだから豊臣家が残るよう もっと努力できたはずなんだけど やっぱり自分のお家大事だったのかな モチロン家康の策略で豊家の一大時でも駆けつけることが出来ないようにされてはいたんだけども……
朝鮮の役で飢餓に苦しんだ経験からか、晩年の節制ぶりは徹底していましたね。異説有りですが、同じく贅沢を戒めている福島正則が蓼で飯を食ったらうまかったと話したら、清正がそれは贅沢だと言ったなんて話も…。節制も行き過ぎると健康を害しかねず、一体何を食べていたやらという感じです。
地元の津島ってやっぱり誇れる街なんだなって思いました。
熊本城籠城戦は攻守逆な気が・・・・。
加藤家は清正の息子の代でお家断絶になってしまった
彼の遺産の熊本城は細川家が受け継ぎ守ってくれた
家康が恐れた奴、何人おんねんw
加藤清正がますます好きになりました。教えてくださってありがとうございますm(__)m
後、清正が三成を恨んだ気持ちもよくわかりました(´・ω・`)
二条城会見時の清正は紀州家の舅立場が強いんだよなぁ…今更豊臣家に未練は無い感じ