【ゆっくり解説】半世紀以上も前なのに未だに名作!『2001年宇宙の旅』超貴重な淀川長治解説動画と共に楽しみましょう!
ฝัง
- เผยแพร่เมื่อ 13 ต.ค. 2024
- 【ゆっくり解説】半世紀以上も前なのに未だに名作!『2001年宇宙の旅』超貴重な淀川長治解説動画と共に楽しみましょう!「謎の円盤UFO」での出演者及び共通の点も注目
チャンネル登録
/ @rindarinda
「VOICEVOX:九州そら」
「VOICEVOX:四国めたん」
「VOICEVOX:青山龍星」
「VOICEVOX:剣崎雌雄」
当チャンネルは著作権、肖像権の侵害を目的としているチャンネルではご在ません。
よって、当チャンネルに掲載されている、文章・画像・動画等の著作権は、各権利所有者・団体に帰属します。
掲載物において問題がある場合は権利者本人様より直接ご連絡をお願い致します。
確認後、即座に修正・削除等の対応をさせて頂く所存でございます。
#昭和
#ゆっくり解説
#懐かしい
#ドラマ
#特撮
#2001年宇宙の旅
#宇宙
#ufoキャッチャー
#美女
#テレビ
#解説
#2001
#宇宙の旅
#モノリス
#淀川長治
#ゆっくり解説
ぶっちゃけ久し振りにみた淀川さんの解説が1番感動した😊
日曜洋画劇場懐かしいですね。淀川さんの解説と次週予告の後に流れるメロディーが、「ああ、日曜日が終わっちゃうか・・・」という少し寂しい気持ちだった思い出を呼び起こしました。
レンタルビデオ📼すらなかった時代、淀川長治の解説で TV📺で映画を観るのは楽しみだった😃
子供の頃、たいていの映画はテレビの洋画劇場で観た
1980年代の始めにこの映画のビデオテープが欲しくて、100万円払ってもいいと思っていたそれをを当時まだ現金送金だった通販で見つけて27000円という安さで手に入れた時の感激は素晴らしかった
当初は《土曜洋画劇場》として67年4月からスタートでしたが、半年後の10月から、本格的にカラー放送が始まると、日曜午後9時から《日曜洋画劇場》が開始されました。淀川さんは98年の秋まで通算32年間、正にTV映画の先駆者としての夢先案内人でした。部屋の明かりを落し、布団に潜り込んで観る映画は格別でしたね~っ。そして、最後に再び淀川さんが登場し、余韻に浸りながらの答え合わせ等も有り、あの頃がとても懐かしく感じます。そして、お別れは「はいっ、もう時間が来ました。其れでは次週をお楽しみ下さい。サヨナラ・サヨナラ・🤓サヨナラ」三度目に少し間を開けるサヨナラの切なさと、現実へ引き戻されるエンディングの《So in Love》のメロディー 😢
淀川さんの解説見れて嬉しかったです。
涙が出そうになりました。
よくもまあ こんな貴重な資料が残っていましたね~ 驚きです。
映画も 淀川さんも ^^v
初のTV放映だったので、いいビデオテープを購入して標準モード(笑)で録画していたのだが
TVの横で電話をしていた姉が肘でビデオの電源を押して録画が停止!
それで大喧嘩したことも今やいい思い出・・・いや、思い出したら今でも腹立たしい
その時の怒りと絶望感は実によくわかる。もう人生も終わりだったのに違いない。
私も経験あります!
当時(初期?)のデッキって電源スイッチっていつでも効いてしまい、何度も録画失敗してしまいました!
あと、保存用のつもりで録画した番組に間違って上書き録画してしまった絶望感も何度か味わいましたね!
2001年宇宙の旅がテレビ放送されるのではじめてビデオデッキ買いました! この日曜洋画劇場の解説はたぶん2回目放送時です。淀川長治さんは 今夜は2001年宇宙の旅です!こんな時代が来たのですね!と興奮気味に語ってました。それにしてもキレイな画面で嬉しいアップでした。永遠の名作ですね。
淀川さんは昭和44年のテレビアニメ「怪物くん」の何とナレーターとして当時小学生だった私の前に現れました。子供向けと云っても一切手を抜かず、後の日曜映画劇場の語り口のままでした。水曜映画劇場の水野さん、他にも荻昌弘さん、小森のおばちゃまなど、あの頃はTVの映画番組の冒頭に登場する映画評論家も個性的でした。
うわ〜!懐かしい!子どもの頃、淀川さんを面白いおじいちゃんだな〜なんて思いながら眺めていましたが、今こうして改めて見返すと、本当に素敵な個性をお持ちの方でしたね。貴重な動画、本当にありがとうございます😌
淀川氏の 後ろには
作品の オリジナルタイトルが
写されていて 邦題しか知らない 私には 良い勉強になりました。
HALがIBMと一字違いになってるのを聞いてこだわりというか遊び心がすごいと思った思い出。あの頃は毎日毎晩映画の時間がありました。
「さよなら、さよなら、さよなら」が懐かしい。
水野さんの「映画ってホントにいいものですね」もあったな〜。
自分が生まれるよりずっと以前に作られた映画なのに宇宙船の特撮とか、あと船内のモニターがブラウン管テレビの様な曲面ではなく今のデジタルテレビと同じ平面タイプにしてあるのが凄すぎる
エンディング・テーマはコール・ポーター作曲の「ソー・イン・ラブ」。軽妙洒脱な作風のコール・ポーターが作ったバラードを、モートン・グールドが、ラフマニノフのピアノ協奏曲的な風味を加えた編曲を施したもの。他の方のコメントにある通り、我々の世代はこの響きに「明日は学校だぁ」と思ったものです。
スペースプレーンの運航会社がパンナムというので思わず涙が出た(笑
そうだよなぁ。この映画当時はまさかアメリカのフラッグキャリアが倒産するなんて思わないもんな
映画の中には出て来ないが「Playboy」の出版社もスポンサーに加わっていたとみえて、宇宙服を着たボーマン船長がプレイボーイの雑誌を小脇に抱えている写真が当時あった。
懐かしい。この番組のエンディングの音楽を聴くと「日曜日も終わりかあ」と寂しい気持ちになったものです。
@@tobi35351 そしてこのエンディングを聴いて心なしか憂鬱になリました。
@@長尾英徳 あの重い旋律が子供心に切なかったです。
一時期「サザエさん症候群」なんて言われましたが、サザエさんより日曜映画劇場の方が憂鬱になりましたよね。
綺麗な映像で保存している事に感動しました。
名作って何度観ても飽きないよねぇ!
メカ描写、その計器類のデザインがリアルすぎるんですよね。シドミード、ジャンジロー、松本零士の要素が入ってない未来世界観が清楚で素敵です。
子供ながらに淀川さんのさよならさよならは好きだった
淀川さん懐かしいな、さよなら、さよなら、さよなら、の笑顔の素晴らしい事、それにしても、今見ても、古さどころか斬新なメカにモノリスに象徴される神の存在感。すごいとしか言いようがない。
「2001年」は一種のオーパーツだと思ってます。
当時の映画解説者4人の中でも映画の楽しさを独自の話術で解説からもう映画の世界へ誘ってくれた淀川さん。娯楽情報が📺と雑誌の時代…時間がゆっくり流れてた良い時代だったとしみじみと思います。
特撮を担当したダグラス・トランブルは本作では技術的に土星を描けず木星に変更されたが、その後制作したサイレント・ランニングでは見事に土星を描きリベンジを果たした!
淀川さん、やたら肌艶がいいのに驚いた。この映画が撮られた時は2001年が遥かな未来だったんだなあと考えると感無量ですね。この映画の前は宇宙船と言えばツルツルの表面のいわゆるロケットだったのが複雑な形をしたものに代わり、スターウォーズのオープニングシーンもこれの影響な気がする。戦車や戦艦、自動車などの日本製のプラモデルのパーツを一面に貼り付けたとどこかで読んだ記憶がある。
淀川さんと黒澤明監督との対談で黒澤監督が「僕は映画評論っていらないと思うんだ。映画の感想は観客それぞれが持てばいいので、評論家が押し付けるものじゃない」というと、淀川さんは「僕はスタッフの説明をしているだけだよ」と答えました。この解説を聞くとたしかにそうだなと思います。
公開直後に親に連れられて生まれて初めて映画館で見た洋画だった
最後の年齢が変化するシーンが子供心にはめっちゃ怖かった、もちろん意味は分かりませんでしたけど
淀川長治氏、懐かしいなぁ。
あの頃は、ハリウッド映画が輝いていた映画の華やかな時代でした❤
フランス映画も輝いていました。
そしてちょっとエッチなイタリア映画にマカロニウエスタン。
淀川さんと深沢さんが「あんな物は西部劇とは言えませんね、いわばマカロニ・ウエスタンってな所」とこき下ろしてくれたおかげで新ジャンルとして独立!
古臭い開拓精神だけでは「荒野の無頼漢」やら「風来坊」等は制作不可能です。
淀川さんと深沢さんが「あんな物は西部劇とは言えませんね、いわばマカロニ・ウエスタンってな所」とこき下ろしてくれたおかげで新ジャンルとして独立!
古臭い開拓精神だけでは「荒野の無頼漢」やら「風来坊」等は制作不可能です。
手塚治虫先生のコメントで「2001年宇宙の旅の撮影前に美術監督への依頼の手紙が来たが忙しすぎて断った(断念した)。」というのがありました。
キューブリックが手塚先生を知るきっかけはアニメの鉄腕アトムを観たことで
AI公開時にアトムとのストーリーの類似性について色々と話題になりましたが
「キューブリックがアトムを知ってるはずないから、あれはスピルバーグが
インスパイアしたんだろう」という意見が結構出回っていて
このエピソードを知っていれば特に驚くことでもないのに
意外と知られていないんだなぁと驚いた記憶が
しかも大切なその手紙を、手塚先生のお母さまが間違って捨ててしまうというハプニングがありました。
手塚先生も悔しがられていましたが、私もその手紙を見たかった。😄
@@SAMAKIA-
アニメの鉄腕アトム1963年にはアメリカでテレビ放送されているから知っているはずはないというのはおかしな話だと思う。キューブリックなら原作漫画を取り寄せて誰かに翻訳させて読んでいてもおかしくないでしょう。
キューブリックはそれまであまり知られていなかったせいでその頃のSFマガジン上では「カブリック」と書かれていた。
2000年代になってからどこかのテレビで放映された時にはボーマン船長のキア・デュリアが日本語では「ケア・ダレー」になっていて、「それ、ダレー?」と思ったものだがなんだってこんなふうに書いたんだ?
何度も見ているのに、小林昭二さんが主人公の声をやっていたとは初めて知った。
高校生のころ、リバイバル上映で初めて観ました。(1980年代初頭)
その後テレビの洋画劇場やビデオ(DVDやBlu-ray等)で何回も観ましたが、
いまだに良く解らない映画ですね。
本当に素晴らしい解説。映画の中にスッと入り込めるのはなんと幸せな事だろうと思います。
素晴らしい構成✨淀川さんの名ナレーションに、あらすじ、メカの紹介と完璧👏👏👏
懐かしい淀川さん!
倍速だと聞き取れない。当時から聞き取り難しかった記憶だけど。
60年前の映画なのに、テーブルに置いたタブレットで動画見ながら食事してるの見て「俺かよ」って思ったわ。
なんでブラウン管が斜めになってるんだろう。
というのが当時の感想。
ながら見だったとはね。
お行儀の悪い。
映画は本当に美しい映像だと感心しましたが、ストーリーは映画だけを何回観ても、サッパリ分かりませんでしたねぇw 小説を読んで初めて、
いろいろ置き去りにされていた話の根幹部分が理解できました。 小説と映画、ワンセットでより一層楽しめる作品だと思います。
それにしても淀川先生、お懐かしい ...
日曜洋画劇場、淀川長治氏の解説、2001年宇宙の旅。感動で涙が出ました。私には神回です。50年前に映画館で見て以降、探し求めVHS、DVD、BRD、と購入して見返して来ました。2010も映画館で見て、BRDを購入して見返しています。HAL9000が殺人をしたのは秘密司令を隠匿する矛盾からだと感じます。2010の最終、地球にメッセージを送信する指示をしたボーマン船長に、HALが死後の恐怖を吐露し感謝する会話では毎回泣けます。
続編の2010年でHALは復活。木星太陽化から逃れるクルーを助けるべく身?を犠牲にすることに。今度は命令に逆らわず、「父親」のチャンドラー博士に淡々と別れを告げるHALの方に私は泣けました。
HALにはSALという妹もいることが2010年で判明しましたね。ドラえもんとドラミちゃんみたいなものか?
@@レッドバロン-z4q さん
チャンドラー博士、私は夢を見ますか?
わからない。
破壊(死)を論理的に受け入れつつも、来世が有る事を願っていますね。HALに人間らしい感情が感じられます。2001で無機質な機械から自己保存の本能的狂暴さを感じさせましたが、本質は、こうだったのかとチャンドラー博士の功績も感じます。おそらくチャンドラー博士の思考パターンや倫理観がプログラムされたのかと。
@@レッドバロン-z4q さん
私は夢を見ますか? わからない。
木星の核融合に呑まれるディスカバリー号でも泣けます。
初代劇場版スタートレックを観てから、松任谷由実のボイジャーでも泣けるし、ハヤブサ帰還で燃え尽きる映像でも泣けた。機械を擬人化して感情移入し過ぎです。でも、これが日本人だと確信します。
@@レッドバロン-z4q さん
チャンドラー博士、私は夢を見ますか?
わからない、HAL、わからないんだ。
名作中の名作ですね。レーザーディスクで購入(高かった)して何度も見ていました。
ストーリーはよくわかりませんでした💦
ただ、無重力感、極端なセリフの少なさ、での宇宙の表現、絶品です。
小説でストーリーは理解できて、再度見ると、また素晴らしい。
これを超えるSF作品は出ていないと感じます。
お~淀川さん懐かしい😆やはり淀川さんの解説やはり最高ですね。
この映画の中で一番怖いシーンは、HALがボーマンと副操縦士の会話の唇の動きを、赤いランプでジッと盗み読みするところ。
ボーマンがモノリスに導かれてスターゲートを進む途中に出て来る青と黄色の二色で表現された山岳地帯のシーンで、この映画の撮影の際の飛行機の音に驚いたとみられる鹿の群れが駈けていくのが画面の下の方に映っている。これはシネラマの大画面が映せる大劇場でないとわからないほど小さい。
その鹿の数を数えるためだけが目的ではなかったがこの映画を23回見て10頭以上確認した。テレビの画面では論外だが普通の映画館の画面サイズでは小さく潰れてしまってまったく鹿の動きは見えなかった。
70mmフィルムで撮影されただけあって驚異的な高画質
めちゃくちゃキレイな映像に驚嘆!
淀川さんのこの解説は、「2001年」のテレビ初放映時の時とは別バージョンの解説だと思います。(おそらく2回目)
日本でのテレビでの初放送は日曜洋画劇場で間違いありませんが、後の解説に出て来る映画「2010年」は、形にもなっていなかった時期だったと思います。
私の記憶では淀川さんが冒頭に、「ついに、この映画がテレビで放送される時代がやって来たんですね」と、何か感慨深そうな表情でおっしゃられたという記憶があります。
スペースボッドの腕部分がウオルドという名称なのは知りませんでしたが(もしくは忘れていた)、この名称はクラークと並ぶ3大SF作家のひとりであるロバート・A・ハインラインの小説からきていますね。NASAでも同様のマニュピレーターはウオルドと言っているらしいですね。
「軌道の天才」ですね
TV初放送は1981年10月だったでしょうか。
「2010年」は1984年封切りでした。
「2001年宇宙の旅」はテレビ初放送時に見ました。雑誌「スターログ」を読み漁っていたSF少年にとって、念願とも言える神映画との初邂逅。この映画と「惑星ソラリス(オリジナルの方)」は、見ているかいないかが当時のSF映画ファンの間では非常に重要なポイントでしたから…確かに中学生にはやや退屈でしたが笑、映像表現には本当に度肝を抜かれました。見終わったときには、胸のつかえが取れた気がしましたね。「これで本当のSF映画ファンになれた」そんな気がしたのかなと思います。今でも忘れられない、私にとってはある意味青春の1ページでもある名作映画です。
私もスターログは創刊号から読んでました。表紙はダースベイダーでしたね。東京、大阪だけオープンしたスターログショップでエンタープライズ号の輸入プラモデルを買いました。惑星ソラリスも難解でしたね。同好の志に逢えて嬉しいですね。
スターログの創刊号は表紙がダースベイダーでしたね。
惑星ソラリスは地元の名画座の昔のSF映画特集で観ました。都市の中を縫うように走る首都高は当時の製作者にはさぞ未来都市に見えたのでしょうね(笑)。そのシーンで登場人物がテレビ電話をかけ、「私は今車を自動運転にして電話している」とわざわざ説明しているセリフが今でも印象に残っています…
多分このテレビ放映をリアルタイムで見たと思う。淀川さんあの投げ上げた骨を原罪と言っていたのか
NHKが8K放送の最初の番組としてワーナーブラザーズにわざわざ8Kレストア&リマスターを依頼するほどです。
1992年の大晦日が終わろうとしていた時、『ああ、今年イリノイ州のアーバナで建造されたはずのHAL9000型コンピューターはとうとう実現しなかったんだなあ』という感慨が胸に迫ったものだった
アップ主様の構成力に脱帽しました😅
「サヨナラ。サヨナラ。サヨナラ。」懐かしい。
素晴らしい❤
淀川さん、懐かしい
淀川さんの解説+エンディング(博士役で小林昭二さんが!)紹介ありがとうございます。キューブリックは『2001年宇宙の旅』の美術監督への依頼の手紙を手塚治虫先生に送りまましたが、当時『鉄腕アトム』で多忙だった手塚先生は乗り気だったものの周囲の猛反対でこれを断念しキューブリックから「残念だ」という旨の返信が届いたそうで実現していれば…と残念に思いますね。
その話の信憑性はおくとして「手塚がやらんで本当によかった」と思うw
(だいたいどういうものになるかは想像がつくw)
あの、脱色された真っ白な世界+ソビエト風オレンジの宇宙服って美術は手塚じゃ絶対無理だw
@@sepa3435 大喧嘩をキューブリック氏とする気が(完全主義者同士なので(笑))。
@@アフサラールジャラル みえるみえるw目にうかんでみえるww
丸っこいアモルファスな造形が好きな手塚は、むしろタルコフスキーの方が相性が良いような気もするが、あっちでもタルさんと大喧嘩になるなw
@@sepa3435 あの清潔一点張りの宇宙船の内部はいかにもSFという感じでファンをわくわくさせた。ストーリー上から恐怖を感じさせる真っ白な外観と窓が真っ黒なスペースポッドのデザインも素晴らしい。手塚の画風はああしたリアリズムとは相容れなさそうに思えるがキューブリックはなぜ手塚をスタッフに望んだのだろう。
猿人が投げた骨が宇宙船に変わるシーン
一瞬にして人類の進化を表現してるのを見て凄いなあと思った 他にも革新的な映像表現が沢山あって、これは映画史上最高の作品かも知れないと思った 今でもこの映画を越える作品は無いと個人的には思っている
映画の時代設定から23年以上経過していますが、人類は未だに巨大な宇宙ステーションも月面基地も木星探査に向かう有人宇宙船も開発していませんね…
あ、ソ連は無くなったけどね~
いくら技術が進歩しても「2001年宇宙の旅」を超えるSF映画が作られることはないと信じています。
それほど映像表現や音楽、ストーリー展開が神がかった高い次元でバランスしている奇跡の映画だと個人的に思っています。
初めてのTV放送の際には死ぬほど気合を込めてCMカットをしながら録画しました。いやあ懐かしいですね。そんな2001年も今では配信や円盤で気軽に視聴することができます。
いい時代になりました。ただこうした格調高いSF映画もよいのですがどうしようもない三流のB・C級SF映画も捨てがたい魅力があります。
キューブリックとクラークはこの映画の制作にあたって「後々の語り草になるような映画を作ろう」と言ったそうです。そして実際にそうなりました。冒頭の「ツァラトゥストラはかく語りき」はこの映画の象徴のように思われているし、宇宙を背景にした「青きドナウ」も衝撃的だったと思います。そしてHALまたはディスカバリー号のテーマになっている「ガイーヌ」からの「アダージョ」も結果的に素晴らしく合っていると思います。
なつかしい!子供の頃を思い出しました。
そういや?この淀川氏の顔マネを小松政夫がよくマネしてたなぁ~👍️ありゃ😂大爆笑🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣🤣
この長い解説よく残しといたね。この人の映画解説集としてBD集にして発売してくんないかな。
淀川長治さん解説の日曜洋画劇場は懐かしいですね。ヨドチョーさんがいい映画をピックアップありきの映画枠は貴重でした。2001年のストーリーはだいたい把握しているのですが、2010年はあやふやだ😅 その後2300年未来の旅という続編なのか怪しい洋画もレンタルで観たのですが、けっこう好きな内容でした。2001年シリーズの映画はスタイリッシュなデザインの調度が出てきていいですよね😊
オープニング、エンディング、懐かしい❗
ハイ、淀川先生の解説聞いていると、もう映画見終わった気になりますね。見事ですね。またお会いしたいですね。でも、既にお亡くなりになってます。残念ですね。会えませんね。サイナラ、サイナラ、サイナラ
この映画は絶対にオールナイトで観るべき、何か不思議な感覚が有った
スターウォーズやETを当時映画館で観て面白かったなーって感想だったけど、レンタルビデオ屋が出来はじめて何気に借りたのがこの2001年宇宙の旅で、あまりに凄い映像と撮影技術に驚き、はじめて映画を観て感動するという経験をした記念の一作です。
@@松葉柿 「Hyper Algolithmic Computer」の略称ということになっていましたね。ただ、本当にそうだったのかどうかはクラークとキューブリックしか知らないかもしれません。
フロイド博士の声は、キャップだったのですね
2010年では、ロイシャイダーだったので、銭形警部でしたね
中学生の時今は無きテアトル東京でリバイバル上映で観ました。正直いって意味はよくわからなかったが映像の美しさは印象に残ってます
あっ、2001年が初めてTVでオンエアされた日曜洋画劇場の淀川さんの解説ですね、懐かしいです。
ボーマン船長がハルのメモリールームに入る時、緑色のヘルメットをしている。これが赤い光に照らされると補色効果で真っ黒になってしまう。人間の業というか、ボーマンの真っ黒な心の状態を映像的に示しているんだよね。さすがキューブリックだよね。
なんと数日前アマプラで「2001年宇宙の旅」を観たばかりでした。この動画を見てからにすればよかったですね。
淀川さん、なつかしいです。どんな映画でも観る前にドキドキワクワクさせる天才でしたね。
テアトル東京では二回、その後、新世紀特別版(このときはサイケデリック時代の『魂の戦士(by
岡田斗司夫)』感を追体験すべく、魔法のキノコ持ち込み...)も観ました。
ディスカバリー号は70mmの大画面のためにあり!ですよ。
むっちゃ懐かしい😭
コンピューターHALは、IBMを超えるという意味で名付けられたと聞きました。IBMをアルファベットで1文字ずつ繰り上げるとHALになります。本当か嘘は知りません。非常に懐かしかったです
最初はIBMも協力に乗り気だったけどHAL(コンピューター)が人を〇す設定になったので
途中からアドバイザー的な立ち位置になってしまったとか
未だに一番好きな映画です。2001年宇宙の旅。キューブリック監督のマスターピースですね。今ようやく、HALに少しだけ近づけたかな、ChatGPT
解説の素晴らしさを知った人でした
2010年は入院中に見ました。
2001年の秋、NYテロの数日前でしたが、午後からの適当な時間なんぞにテレビ愛知でやるから不審に感じてたら、案の定アレな映画でした。
淀川さんの解説だけで、番組を作ってくれないかな! TH-camでも地上波でも、なんでも良いけれど
この映画を観てアレハンドロ・ホドロフスキーは宇宙船のデザインに拒否反応を示したとか。その後自分が撮ろうとした「デューン」ではメビウスやらクリス・フォスやらに「2001年みたいなデザインにはするな!」と注文をつけたそうな
エンディング曲で、一気に当時の日曜夜のやるせない気分を思い出しました。
日本では不遇な扱いを受けてる「スペースキャンプ」
スピルバーグの奥さんであるケイト·キャプショーやリー·トンプソン、まだ全然あどけない頃のホアキン・フェニックスが出演し、音楽はあのジョン・ウィリアムズというなかなか豪華な映画ですが_日本版ブルーレイ出して欲しいなぁ。
インポート版、ちょいとお高いですね...
スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事件の後に公開されたものだから日米共にヒットしなかった。なお、・チャレンジャー号には小学校の先生をクルーとして搭乗させ、宇宙授業を行う予定だったそうな
この映画が名作と言われる理由は誰も見たことのない驚異の映像に尽きると思います。
なのでこの映画の特撮のお話も動画になるとうれしいな。ダグラス・トランブルバンザーイ!
この作品は
見れば見るほど
謎が出てきて
奥行きが深い映画です。
ちなみにこの作品の
美術にあの
手塚治虫氏が起用される予定でした。
手塚氏はこの当時
漫画連載で忙しすぎて
断りの電話を入れたそうです。
でも実現していたら
そごかったのに残念です。
50過ぎだけど未だに、この作品がベスト5の一つ
「スペースキャンプ」も観てみたく成りました。あと、吹き替えの声優さんも懐かしい。フロイト博士をムラマツキャップが演ってたとはw。
続編の「2010年」を観ないと謎だらけで難解な作品。
HALL9000は全く狂ってなかったのですが、相反するコマンドが大惨事を招いた原因ですね。😢
相反するコマンドが命令された時、コンピュータ(人間もだけど)がどのように振る舞うのかという事象については色々と想起させられますよね…
日曜映画劇場は毎週見ていた。映画よりも淀川長治氏が解説するシーンを見たかったからだ。
007シリーズの解説も全部見たが「私は007のストーリーを真面目に語るほどバカではありません」というシーンは吹いたww
映像も音楽も超一流だし、もう二度とこんな映画は作れないだろ。
淀川長治さんの解説懐かしいです
毎週日曜洋画劇場見るの楽しみだったな〜
ベラクルス、禁断の惑星、など沢山この番組で楽しませてもらいました
ビデオもない時代だから、映画館に観に行くか、テレビで見るしか方法が他になかったからね
淀川長治さんの様に、キチンとして落ち着いた品のある人って、最近余り見ない気がする
やたらギスギスしてて、大きな声で主義主張喚き散らす大人多過ぎて、ウンザリする今日この頃
『ジュラシック…』の映像は見馴れて、『マトリックス』も『アバター』も古く感じてきたが、『2001年』は、何度視ても感動する。アマプラで購入してあり、ディスカバリー号のシーンから繰返し視ています。字幕なのが残念ですが…
日曜洋画劇場の放送時、中学生でしたが、猿のシーンで寝てしまいました。
猿のシーンでは寝なかったが、
ワープのシーンでは寝てしまった。
あのワープ映像は長すぎる。
ラスト10分前ですね。
CGの無い時代の最新技術の特殊画像です。もう少しで、船長が『ホテルの一室』で、老いて生まれ変わりスターチャイルドになるラストだったのに、惜しかったですね。でも、眠い時視ても意味が解らなかったと思います。😄
あの中で光のラインが交錯するシーンはスターゲートコリドーと名付けられた特撮で、スリットから接近させた一つの光で一本の線を撮影したらまたフィルムを戻して次には別の光で撮影するという方法を幾つも重ねていると聞きました
超時空世紀オーガスというアニメを見るとコクピットのインテリアが2001年の影響を受けまくりなんだけど、
実はこれが放映された1983年にビデオ (LD) の初版が出たんですよね。
もちろん自分も買いましたw
淀川さんがここまで下手褒めしたのが嬉しかった。
これは淀川さんためにキューブリック再編集ですね!
淀川さん、久しぶりですね。
私が子供の頃からおじいちゃんだと思ってたけど今見たら顔ツヤツヤですね。
ほうれい線以外シワひとつ無い!
私は『2010』のLDから視て文庫版(両方)読んで、それから『2001年』みたけど両方面白かった。 周りでは難解とか評判悪く書いてたけど私は頭にすーっと入ったけどなぁ😮
文庫本読んでたので理解できたのかな。
後に海外映画の上映作品の変なシーンを集めたTV?ビデオ?でキューブリックの緻密な宇宙描写のなかでステーションに向かうシャトルの客室で博士がストローで飲み物を飲んでたけど無重量なのにストローの中の液体が下に下がるシーンが一瞬映ってました。 人間だれでもどこでもポカやるよね🥴
それはよく、「『2001年』のポカシーンはこれだ!(ドヤァ)」として紹介されるが、ストローで吸ったら容器内の気圧が下がるので上がるけど、口から離せば戻る…ので、ミスとは言えない。そっちより、「メモリーセンターに入るボーマンの宇宙服から素肌が見えている」カットの方がミスだろう。アングルその他から分かりにくいシーンではあるけど。
淀川先生とか水野さんが解説をやっていた頃のテレビ映画劇場はホント良かった。最悪なのはタモリがやったスター・ウォーズエピソードⅣなのは言うまでも無い。
ところで2001年宇宙の旅にはファーストガンダムの元ネタがいっぱいある。
スターウォーズが初めてテレビ放送された時ですね。3時間の枠で、1時間ダラダラトークして、本編放送もやたらCM流しまくってましたね。
クラークが脚本を書かされてて、ニューヨークの
ホテルに缶詰になっているところにキューブリックが来て、二人でニューヨーク上空に当時流行りだったいわゆる「空飛ぶ円盤」を目撃してしまう。
クラークのエッセイ(たぶんスリランカから
世界を眺めてかなにか)に出ていたエピソードです。
淀川さんは、白黒のテレビアニメの「怪物君」の解説を、番組内でしていたな。
2001年の日本SF大会の会場にモノリスが設置されていましたが、参加者の行動は主催者側が予想しない物に・・・
大明神w😅
この映画が公開された1968年って、米ソの宇宙開発競争が最盛期だった頃だよね。
翌1969年には人類が初めて月にに到達! その時の月の石が70年の大阪万博で公開される。
そんな時代だからこそ作れた作品だけどそれと同時に、時代を超越した名作だよな。
そして最後に 18:41 やっぱこれだよ😭
今だに色褪せない名作ですね これ程の作品が半世紀以上も昔に完成したというのは驚きしかない
しかし今だにこの作品内の様な時代に達していないのはキューブリックが知ったらどう思うのだろう...ガッカリするのかな発展が遅いとかね
自分が生きてる内に気軽に宇宙に旅行.....は無理かなぁ 夢を感じさせる作品でしたね哲学も多いに含みながら
翌週は、「スペースキャンプ」でしたかー‼️懐かしい✨素晴らしい、映画の日々でした🛰️
ユバァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」よりも50年以上前にクラークの小説とキューブリックの映画が存在した驚き。サピエンスの認知革命の一つの仮説ですよね。
「さよなら、さよなら、さよなら」
といえば、淀川長治か小田和正かというくらい有名よね🤔
月着陸船のパイロットは沈着冷静なストレイカー司令官