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相手の名前をただ呼ぶこと。それだけで「愛している」以上に愛を伝える行為になるって言いますよね。
あんなに合理性の塊だったメルエムが最後に愛するコムギも毒で殺してしまう事になるけどそれでもコムギに会いたいという一種の我儘が芽生えたとき、メルエムはある意味人間になったんだと思う人間の不合理が生む愛と欲望をメルエムコムギと貧者の薔薇で表現しているように見えた
コムギとエルエムの最後、泣いた!「すぐ…起きる…から」「それまで…そばにいて…くれる…か?」「はなれたことありませんよ」「ずっと…いっしょです!」「コムギ…」「はいはい何ですか?」「ありがとう」「こちらこそ」メルエムとコムギのやり取りが前回はきゅんきゅんする初々しいカップルのそれならば、今回の2人のやり取りは思わずほっこりする何十年も連れ添った老夫婦のそれ。そして、静かに穏やかに儚く優しく安らかに最期を迎えました。「おやすみなさい…メルエム…」
マジでコムギとメルエムの関係は愛してるを行動で示せれてて本当に好き
超同意
愛ってこういうことか…って悟ったもんね
自分が理解する事より、その理解を人に伝える方が何倍も難しいと思います。岡田さんは仕事柄もあるでしょうが、自身の理解をかみ砕いて伝えるのが上手ですね。凄く参考になります。
見た目がタイプとかで始まった恋愛より、仕事や趣味の共有から芽生える関係性の方が、より気持ちが深く広く広がる気がします。(大事な人だけれど、この感情は果たしてなんだろう?)って、言葉にならない感じが心のなかでうごめき発酵し、表に出てくる時にはもう、自分でも制御できないほどになっている。素敵な恋愛物語だと思って感動する人も多いんでしょうけど、私はすごく、エロティックなものを感じます。
メルエムとコムギの関係がほんとに好きで、でもなんでこんなに惹かれるか考えてみると、上手く言語化できないというか、「理屈じゃないんだよな〜」くらいしか言えなかった。でも今岡田先生の話を聞いて、全部じゃないけど納得いった。他の漫画がこんだけ休載してたらもうとっくに愛想尽かしてるけど、私がHUNTER × HUNTERをずっと待てるのは、蟻編があったから。やっぱり冨樫先生の描く漫画が私は好きだし、とにかくメルエムとコムギ尊い。
冨樫先生も凄いけど、読み解く側にも凄いやつがいるよなぁ
「出来たキャラクターは自ら動き出す」漫画家の巨匠と言われる方が、何人も述べていたと思います。
9:24 これやばいくらい解る。妊娠させてようやく落ち着くんだよなぁ。そして自分の幸せを追うことが本当にくだらなく思えてきて、最終的に自分は子々孫々のために生きてきたんだってことを悟る。そしてその子供らも多分同じこと繰り返していく。
なるほどなぁ。自分の子孫に、自分が食い潰されないように逃げる者が居るのも、わかる気がする。
二人のあの言葉が、「月が綺麗ですね」「死んでもいいわ」というような凄く素敵な言葉になるんだよな
キャラクターに作者が引っ張られるのは他の作家でもありそうですね。永井豪はデビルマンで飛鳥了を最初だけ出して退場させようとしたら、彼なしでは物語が進まなくなったと感じたらしく、描きながら「こいつ何者だ?」って思ったらしいですし。
富樫はガチで天才すぎる
漫画で最後に画面背景(コマ)が黒くなって、あるのは2人のセリフだけが続いて、そのページ達では優しく、どこかポカポカでもしそうな柔らかいやり取りが、ある意味淡々と続くけれど、最後にコムギの膝でねむるメルエムのシーンが見開きで出た時に一気に感じた命の重みと儚さがグッと胸にやってきたあの演出も、本当にすごいと感じました。
メルエムとコムギの話を描いたから王位継承編は更に高度に難しくなったというのは確かにありそう
王位継承編が登場人物が多くて、対立関係も多くて、頭脳戦で、頭脳使えるキャラも多いっていう、普通の作者なら余裕で物語が破綻する環境設定になってるのって、前作であるキメラアント編を超えるためってこと?
選挙編の辺りから「政治の難しさ」みたいなのを語りたそうな気配はあったけど…(なんならネテロの死もその布石?)今、まともに冨樫の思考を追えてる読者はどれほど居るんだろう?
グリード編からカードバトルが念という形で蟻編で活かされてさらに念も明確化されて王位継承編 ヨークションの第2幕 マフィア出せばリアリティも出て面白いし暗黒大陸はもうオマケみたいなもんでしょう そのまま着いてサラッとやって終わる可能性すらある 未完の可能性の方がデカイけど
薔薇はよく愛の告白に用いられる花だから兵器の名称に使われるなんて皮肉だなぁと思っていたけどこれを観ると、貧者の薔薇は意図的な名称だったんだねコムギを愛したことにより、メルエムは死んだと言ってもいい愛はどのような兵器よりも恐ろしい毒になり得る、という怖さ恋(性)ではなく愛だというのが重要な点で種の本能ではなく、知的生物として芽生えた感情だったのだろう自覚していたかどうかさえ、最期まで分からないところも素晴らしい
コムギが出てきた時点でキーになるキャラとは思ってたけど、まさかこんなラストになるとは誰も思いつかなかったろうな。
人間が個人主義的で、蟻(などの人間以外の生物)は共同体的、というのは普遍的なモチーフで、それがこんなにも分かりやすく、ドラマチックに漫画で表現できるのは凄いと思う。歴史哲学の観点から見ると「個人」という概念が人類史上明確に、存在様式(生活の中に)として出てきたのは「近代」とされていて、それまでは「村」に代表される共同体の決定が個人の意思よりも優先されていた。メルエムは”弱者”が持つ”悪意”に気付かなかったから、「弱者代表」のコムギがなぜこれほどまでに”強い”のかを理解したかったんじゃないかな。(ココリコに秘められた、人間だけが持つ悪意=親殺しまたは息子殺し=ギリシャ悲劇に通じる個人主義の萌芽=キリストの弟子との巡礼(集団主義)とユダの裏切り(個人主義))そこにこそ、メルエムからしたら、自分がどれほど物理的に強くなっても、書物を通して学んでも、絶対に理解できないものがあると直感していたのではないか。メルエムが人間の個や社会集団が孕む”矛盾”を理解できない(なぜあんな弱い者がこの国の王なのだ、と言って一瞬で王を殺すというところに表現されているように)のは、人間が持っている「自我」(矛盾の核心)を蟻は持っていないから。(蟻には個人主義などないから。あくまで、王こそ種の保存に必要不可欠な存在で、王がいなくなれば、彼らは存在意義を失うか、自らを王として地方で生き延びようとして、人間の悪意にも気付かず、人間と協力関係を築くこともできず、容易に敗北する。逆にいうと、人間と協力関係を持って生き延びる蟻が描かれるが、それは人間の時の記憶があり、かつ、それを受け入れてくれる人間がいる場合、という奇跡的なケースであるということが作品中で示されてもいる)一方で人間社会は、近代になり王の首を「すげ替え」て、国民に主権を持たせ(蟻の社会が弱い蟻を階級の最上位に置くわけがない)、かつそれぞれに「自由」(思想の自由、という人類史上、権力者が絶対に手放さなかった自由)を与え、憲法で国を縛るという形を整えさえしている。しかし今の世界はそういったフランス革命以降で掲げた近代社会の枠組みをぶっこわそうとしているマッチョな国が幅を利かせ、あらゆる自由主義・左派陣営は超合理的な右派の前に誰一人としてまともな代案を出せていない。「自由」という名の下に、資本を持っている人間が一人勝ちしているような幻想を抱かせ、行動経済学的マーケティングで人々を洗脳することで、あらゆる日本人を資本家(日本の場合は、大企業の大株主=アングロサクソン・中国系資本) の奴隷として働かせることに成功している。(そしてNISAでまた、日本の貯蓄はアメリカに流れ、大衆はさらに養分と化す)要するに、メルエムという理想主義者・左派の代表が強大な力(軍事力・核武装)を持ったとて、「たくさんの弱者(大衆)=近代社会の主人公」には到底勝つことができない、という暗示(または普遍的なメッセージ)でもあるのではないか。そしてこれら(メルエムという物理的にも最強の理想主義者と、悪意の塊となることが許される個人主義を保障された無責任な弱者集団)を止揚しているのは、そうした「たくさんの弱者(大衆)=近代社会の主人公」を束ね(イーロンがXを買収したように)、かつ、物理的に莫大な富とテクノロジーを生み出している(欧米の超大富豪たちは自らの富をイーロンに全てギブする人が何人もいる)両者を兼ね備えた存在。sそうした存在とは誰なのか。無限大のリソース(暗黒大陸=現実社会にとっての宇宙)に漕ぎ出す特殊な能力を持った人間たち(暗黒大陸出身者=テック・リバタリアン/レプテリアン?)なのではないか?とも思えてくる。ハンターハンターは今の世界の先進国の状況を10年以上も前に予言しているとも言える。
孤独狸固はかつて、コムギが息の根を止めた。が、メルエムとの対戦を重ね、生き返らせたのもコムギ。
もはや底が見えない永遠のテーマ
コムギこそもっとも気のままに生きたよ。最愛を手にして至福と共に逝くことができた、なんと羨ましいことか。
「巨人の星っていうマンガがあるんですけど」ってサラリと言ってる岡田先生凄い。この年齢の方だと巨人の星はスーパースタンダードなのに世代じゃない人向けの言い回しが瞬時にできてる。私の職場なんていまだにマイルドセブンくださいって人たくさんいるのに。
大学の先生してたからですかね視聴者層が比較的若いってこと意識して話してますよね
あー確かに意外とできる人少ないかも。自分も友達もポケモンのダイアモンドパールってゲームソフトの事、知ってて当たり前っていう前提で話すことあるわ。「ダイパでさ、」って
別にすごくねえだろ😂
@@Iplayasoccerhowaboutyou 名は体を表す
本音「それに気づける私凄い」
もう一つの貧者の薔薇て表現好き
コムギは、若い頃のネテロ会長が正拳突きする姿と似ているのかも?不幸な境遇で生まれ、一心に願い、叶えた。
予想外過ぎる展開で感動したよなぁ。。メルエム。。
好きや愛しているという言葉がなかったらどのように相手に好意を伝えるのかということは考えたことがなかったです僕も蟻編が一番好きですがここまで奥深く読んだことはなかったです言葉にしなくても伝え合える関係や行動って素敵ですねあたりまえのようにあるものが無くなった時に自分はどのように表現するのか色々な場面で考えてみます!岡田さんいつもありがとうございます!
コムギとメルエムの話も泣いたが、からくりサーカスのフランシーヌ人形のべろべろばあにも泣いた。たしかにあれも、人外の愛情を知らなかった存在が愛情を知って、愛情の限りを尽くすシーンだった。もう、人外が出てきたら、最後泣かせにかかってくると覚悟した方が良いのかも。
自分さえ生き残ればいいという悪意から我が子である孤独狸固を殺したというのは違う気がする。生き残りたいからやったのなら、メルエムに殺されそうになった時の「私を殺すなら軍儀で」とか、カラスに襲われた時にメルエムに助けられた時とか、生き残ろうとしてないじゃん。
いつも、いじめられることが当たり前で、その中で見つけた最強の手、それが狐独狸固だったのでしょう。そんな中で、きちんと答えてくれたのが、メルエムだった。メルエムとなら、もっと素晴らしい子(=戦術)と出逢える。その気持ちを岡田氏は悪意と呼んだのか?
@@らせ-h9u もしそうなら、「悪意」よりも「愛」とかの方が適切じゃないかな?
@@ルナタイト 一般的に、そう呼びますね。しかし、素晴らしい子供は、手がかかったり、大食いだったり、育つのに時間がかかったり、コストが高いと思われます。つまり、良い対戦相手や仲間に巡り会うことが難しいです。死路です。悪意では、有りませんが、良い手ではありません。
流石に今後コムギとメルエムのシーンを越えることはできないでしょ
コムギは一見こ汚い人間だが宇宙空間から観てる神に近い生き物に近い
軍隊主義の蟻と個人主義の人間は最後のウルフィンと王の問答で王のために死ぬ覚悟で答えるプフと生きる為に答えるウルフィンを対比して描かれてるよね
8:45こんないい話ししているのに「蟻が10」は草
男のセックス後の虚しさって、生物としての自分の価値がそれで終わるって本能が理解しちゃうからなのかー!確かに雄は種付けしたら終わりって野生ではザラ(むしろその為だけに存在するまである)だからそれが終わると全部どうでもいい、役目を終えた感はある。これからは「ふぅ…」に対して哀愁を感じてしまいそう。
コムギは生き延びたいからというよりも、軍議が生き甲斐で有り、一度でも負けた時は自分の生涯を閉じようという信念からの軍議の強さ。だと。
契約と制約と同じ原理だね。コムギは系統でいえば間違いなく特質系ですね
@@コチョコチョ-i3r 冨樫展だと強化系に属してますね
@@ricky6232 うそやろ!?!?
強化系も特質系も根底の信念が特に強い性格してるから似てると思う。特質系でも納得できるし強化系でも「確かにな」ってなる。
@@コチョコチョ-i3r 本当でしょう。
この人関西人なのによくこんなきれいな標準語話せるな
コムギがもう一つの貧者の薔薇とは…なるほどそしてゴン、会長、ナックル、シュート、カイトなんかの「俺さえ生き延びれば」ではない人間ヂートゥ、レオル、ザザンなんかの「俺さえ生き延びれば」の蟻蟻編のエンディングが「表裏一体」なのも痺れた
富樫先生マジで特質系能力者
コムギの孤独狸固は、キメラアントの女王アリが自身の生存は全く望まず最期まで子であるメルエムの事しか望んでいなかったこともそれの対比なんでしょうね
コムギとしての、命を賭けた最強の戦術であり、我が子だった、と。そして、その子を◯◯してまで、メルエムと戦いたかった。このメルエムとなら、もっと素晴らしい子(=戦術)が生まれると感じたのか。
子を産んだ後役目を終えた親を殺しても厭わない種の繁栄のための蟻と、生存本能で自分が助かるために子を殺す人間かぁ
凄い能力を得る代償と制限が、まともに座ってることも苦痛な腰痛そして長期間救済
4:25コムギ==貧者の薔薇この発想は無かった!!
コムギが傷ついても王がブちぎれないところが本当に良かった一般的にあの流れはコムギが傷ついたことで王の精神が崩壊し、殺戮の限りを尽くす流れだがそうじゃないあの流れでネテロに対話をもちかける、・・・戦いにならない世界線も見てみたい
もう一つの貧弱の薔薇は非常に文学的で感動しました。爆弾の名前のアイロニーに、そういうメタファーが込められているとは、素晴らしい解釈だと思います。
星一徹はかめ仙人が天下一武道会に出場したみたいな感じ。
命令とは言えど、ネフェルピトーがいちばんわかりやすい。
「君はあの時、ハナゲが出てたんだ」
最高の告白だったぜ斑目
タイトル”孤孤”狸固じゃなくて”孤独”狸固になってるよ
孤狐狸固?
そうですよね🙏
うんちくは好きやないけど、素晴らしい考察やな
なぜ人間は、そこまでして生き延びたいのだろうか……。
コムギのイントネーションがすごい気になる。「コムギ↓」じゃなくて「コムギ→」が正しいんじゃないかな。アニメでの発音だから正しいか知らないけど
言葉のあやってやつでしょうか、さらっととんでもない言葉を聞いた気がします。
こんなに「ですね」多かったかな、、、
どうしておじさんって名前とかのイントネーションを作中で呼ばれてる正しい発音で言えないんだろう?岡田斗司夫先生自身で分析してほしい
なるほど、
いや、単純に陳腐を嫌うからだと思う。
こいつマジで妄想やばいや
この人ジブリ以外見てるんやな笑笑
よく分からんな別にコムギに時間使おうが使うまいが、被害の差あれどメルエムは死んだだろうし、その死にコムギは関与していないのでは?
ココリコ?
か
こいつは考えすぎだよ。いい歳して悲しくならないのかね。
相手の名前をただ呼ぶこと。それだけで「愛している」以上に愛を伝える行為になるって言いますよね。
あんなに合理性の塊だったメルエムが最後に愛するコムギも毒で殺してしまう事になるけどそれでもコムギに会いたいという一種の我儘が芽生えたとき、
メルエムはある意味人間になったんだと思う
人間の不合理が生む愛と欲望をメルエムコムギと貧者の薔薇で表現しているように見えた
コムギとエルエムの最後、
泣いた!「すぐ…起きる…から」「それまで…そばにいて…くれる…か?」
「はなれたことありませんよ」「ずっと…いっしょです!」
「コムギ…」
「はいはい何ですか?」
「ありがとう」
「こちらこそ」
メルエムとコムギのやり取りが前回はきゅんきゅんする初々しいカップルのそれならば、
今回の2人のやり取りは思わずほっこりする
何十年も連れ添った老夫婦のそれ。そして、静かに穏やかに儚く優しく安らかに最期を迎えました。
「おやすみなさい…メルエム…」
マジでコムギとメルエムの関係は愛してるを行動で示せれてて本当に好き
超同意
愛ってこういうことか…って悟ったもんね
自分が理解する事より、その理解を人に伝える方が何倍も難しいと思います。岡田さんは仕事柄もあるでしょうが、自身の理解をかみ砕いて伝えるのが上手ですね。凄く参考になります。
見た目がタイプとかで始まった恋愛より、仕事や趣味の共有から芽生える関係性の方が、より気持ちが深く広く広がる気がします。
(大事な人だけれど、この感情は果たしてなんだろう?)
って、言葉にならない感じが心のなかでうごめき発酵し、表に出てくる時にはもう、自分でも制御できないほどになっている。
素敵な恋愛物語だと思って感動する人も多いんでしょうけど、私はすごく、エロティックなものを感じます。
メルエムとコムギの関係がほんとに好きで、でもなんでこんなに惹かれるか考えてみると、上手く言語化できないというか、「理屈じゃないんだよな〜」くらいしか言えなかった。でも今岡田先生の話を聞いて、全部じゃないけど納得いった。他の漫画がこんだけ休載してたらもうとっくに愛想尽かしてるけど、私がHUNTER × HUNTERをずっと待てるのは、蟻編があったから。やっぱり冨樫先生の描く漫画が私は好きだし、とにかくメルエムとコムギ尊い。
冨樫先生も凄いけど、読み解く側にも凄いやつがいるよなぁ
「出来たキャラクターは自ら動き出す」
漫画家の巨匠と言われる方が、
何人も述べていたと思います。
9:24 これやばいくらい解る。妊娠させてようやく落ち着くんだよなぁ。そして自分の幸せを追うことが本当にくだらなく思えてきて、最終的に自分は子々孫々のために生きてきたんだってことを悟る。そしてその子供らも多分同じこと繰り返していく。
なるほどなぁ。
自分の子孫に、自分が食い潰されないように逃げる者が居るのも、わかる気がする。
二人のあの言葉が、「月が綺麗ですね」「死んでもいいわ」というような凄く素敵な言葉になるんだよな
キャラクターに作者が引っ張られるのは他の作家でもありそうですね。永井豪はデビルマンで飛鳥了を最初だけ出して退場させようとしたら、彼なしでは物語が進まなくなったと感じたらしく、描きながら「こいつ何者だ?」って思ったらしいですし。
富樫はガチで天才すぎる
漫画で最後に画面背景(コマ)が黒くなって、あるのは2人のセリフだけが続いて、
そのページ達では優しく、どこかポカポカでもしそうな柔らかいやり取りが、ある意味淡々と続くけれど、
最後にコムギの膝でねむるメルエムのシーンが見開きで出た時に一気に感じた命の重みと儚さがグッと胸にやってきたあの演出も、本当にすごいと感じました。
メルエムとコムギの話を描いたから王位継承編は更に高度に難しくなったというのは確かにありそう
王位継承編が登場人物が多くて、対立関係も多くて、頭脳戦で、頭脳使えるキャラも多いっていう、普通の作者なら余裕で物語が破綻する環境設定になってるのって、前作であるキメラアント編を超えるためってこと?
選挙編の辺りから「政治の難しさ」みたいなのを語りたそうな気配はあったけど…(なんならネテロの死もその布石?)
今、まともに冨樫の思考を追えてる読者はどれほど居るんだろう?
グリード編からカードバトルが念という形で蟻編で活かされてさらに念も明確化されて王位継承編 ヨークションの第2幕 マフィア出せばリアリティも出て面白いし暗黒大陸はもうオマケみたいなもんでしょう そのまま着いてサラッとやって終わる可能性すらある 未完の可能性の方がデカイけど
薔薇はよく愛の告白に用いられる花だから
兵器の名称に使われるなんて皮肉だなぁと思っていたけど
これを観ると、貧者の薔薇は意図的な名称だったんだね
コムギを愛したことにより、メルエムは死んだと言ってもいい
愛はどのような兵器よりも恐ろしい毒になり得る、という怖さ
恋(性)ではなく愛だというのが重要な点で
種の本能ではなく、知的生物として芽生えた感情だったのだろう
自覚していたかどうかさえ、最期まで分からないところも素晴らしい
コムギが出てきた時点でキーになるキャラとは思ってたけど、まさかこんなラストになるとは誰も思いつかなかったろうな。
人間が個人主義的で、蟻(などの人間以外の生物)は共同体的、というのは普遍的なモチーフで、それがこんなにも分かりやすく、ドラマチックに漫画で表現できるのは凄いと思う。
歴史哲学の観点から見ると「個人」という概念が人類史上明確に、存在様式(生活の中に)として出てきたのは「近代」とされていて、それまでは「村」に代表される共同体の決定が個人の意思よりも優先されていた。
メルエムは”弱者”が持つ”悪意”に気付かなかったから、「弱者代表」のコムギがなぜこれほどまでに”強い”のかを理解したかったんじゃないかな。(ココリコに秘められた、人間だけが持つ悪意=親殺しまたは息子殺し=ギリシャ悲劇に通じる個人主義の萌芽=キリストの弟子との巡礼(集団主義)とユダの裏切り(個人主義))
そこにこそ、メルエムからしたら、自分がどれほど物理的に強くなっても、書物を通して学んでも、絶対に理解できないものがあると直感していたのではないか。
メルエムが人間の個や社会集団が孕む”矛盾”を理解できない(なぜあんな弱い者がこの国の王なのだ、と言って一瞬で王を殺すというところに表現されているように)のは、人間が持っている「自我」(矛盾の核心)を蟻は持っていないから。(蟻には個人主義などないから。あくまで、王こそ種の保存に必要不可欠な存在で、王がいなくなれば、彼らは存在意義を失うか、自らを王として地方で生き延びようとして、人間の悪意にも気付かず、人間と協力関係を築くこともできず、容易に敗北する。逆にいうと、人間と協力関係を持って生き延びる蟻が描かれるが、それは人間の時の記憶があり、かつ、それを受け入れてくれる人間がいる場合、という奇跡的なケースであるということが作品中で示されてもいる)
一方で人間社会は、近代になり王の首を「すげ替え」て、国民に主権を持たせ(蟻の社会が弱い蟻を階級の最上位に置くわけがない)、かつそれぞれに「自由」(思想の自由、という人類史上、権力者が絶対に手放さなかった自由)を与え、憲法で国を縛るという形を整えさえしている。
しかし今の世界はそういったフランス革命以降で掲げた近代社会の枠組みをぶっこわそうとしているマッチョな国が幅を利かせ、あらゆる自由主義・左派陣営は超合理的な右派の前に誰一人としてまともな代案を出せていない。
「自由」という名の下に、資本を持っている人間が一人勝ちしているような幻想を抱かせ、行動経済学的マーケティングで人々を洗脳することで、あらゆる日本人を資本家(日本の場合は、大企業の大株主=アングロサクソン・中国系資本) の奴隷として働かせることに成功している。(そしてNISAでまた、日本の貯蓄はアメリカに流れ、大衆はさらに養分と化す)
要するに、メルエムという理想主義者・左派の代表が強大な力(軍事力・核武装)を持ったとて、「たくさんの弱者(大衆)=近代社会の主人公」には到底勝つことができない、という暗示(または普遍的なメッセージ)でもあるのではないか。
そしてこれら(メルエムという物理的にも最強の理想主義者と、悪意の塊となることが許される個人主義を保障された無責任な弱者集団)を止揚しているのは、そうした「たくさんの弱者(大衆)=近代社会の主人公」を束ね(イーロンがXを買収したように)、かつ、物理的に莫大な富とテクノロジーを生み出している(欧米の超大富豪たちは自らの富をイーロンに全てギブする人が何人もいる)両者を兼ね備えた存在。s
そうした存在とは誰なのか。無限大のリソース(暗黒大陸=現実社会にとっての宇宙)に漕ぎ出す特殊な能力を持った人間たち(暗黒大陸出身者=テック・リバタリアン/レプテリアン?)なのではないか?とも思えてくる。
ハンターハンターは今の世界の先進国の状況を10年以上も前に予言しているとも言える。
孤独狸固はかつて、コムギが息の根を止めた。
が、メルエムとの対戦を重ね、生き返らせたのもコムギ。
もはや底が見えない永遠のテーマ
コムギこそもっとも気のままに生きたよ。
最愛を手にして至福と共に逝くことができた、なんと羨ましいことか。
「巨人の星っていうマンガがあるんですけど」ってサラリと言ってる岡田先生凄い。この年齢の方だと巨人の星はスーパースタンダードなのに世代じゃない人向けの言い回しが瞬時にできてる。私の職場なんていまだにマイルドセブンくださいって人たくさんいるのに。
大学の先生してたからですかね
視聴者層が比較的若いってこと意識して話してますよね
あー確かに意外とできる人少ないかも。自分も友達もポケモンのダイアモンドパールってゲームソフトの事、知ってて当たり前っていう前提で話すことあるわ。「ダイパでさ、」って
別にすごくねえだろ😂
@@Iplayasoccerhowaboutyou 名は体を表す
本音「それに気づける私凄い」
もう一つの貧者の薔薇て表現好き
コムギは、若い頃のネテロ会長が正拳突きする姿と似ているのかも?
不幸な境遇で生まれ、一心に願い、叶えた。
予想外過ぎる展開で感動したよなぁ。。メルエム。。
好きや愛しているという言葉がなかったらどのように相手に好意を伝えるのかということは考えたことがなかったです
僕も蟻編が一番好きですがここまで奥深く読んだことはなかったです
言葉にしなくても伝え合える関係や行動って素敵ですね
あたりまえのようにあるものが無くなった時に自分はどのように表現するのか
色々な場面で考えてみます!
岡田さんいつもありがとうございます!
コムギとメルエムの話も泣いたが、からくりサーカスのフランシーヌ人形のべろべろばあにも泣いた。たしかにあれも、人外の愛情を知らなかった存在が愛情を知って、愛情の限りを尽くすシーンだった。
もう、人外が出てきたら、最後泣かせにかかってくると覚悟した方が良いのかも。
自分さえ生き残ればいいという悪意から我が子である孤独狸固を殺したというのは違う気がする。
生き残りたいからやったのなら、メルエムに殺されそうになった時の「私を殺すなら軍儀で」とか、カラスに襲われた時にメルエムに助けられた時とか、生き残ろうとしてないじゃん。
いつも、いじめられることが当たり前で、その中で見つけた最強の手、それが狐独狸固だったのでしょう。
そんな中で、きちんと答えてくれたのが、メルエムだった。
メルエムとなら、もっと素晴らしい子(=戦術)と出逢える。その気持ちを岡田氏は悪意と呼んだのか?
@@らせ-h9u もしそうなら、「悪意」よりも「愛」とかの方が適切じゃないかな?
@@ルナタイト
一般的に、そう呼びますね。
しかし、素晴らしい子供は、手がかかったり、大食いだったり、育つのに時間がかかったり、コストが高いと思われます。
つまり、良い対戦相手や仲間に巡り会うことが難しいです。死路です。
悪意では、有りませんが、良い手ではありません。
流石に今後コムギとメルエムのシーンを越えることはできないでしょ
コムギは一見こ汚い人間だが
宇宙空間から観てる神に近い生き物に近い
軍隊主義の蟻と個人主義の人間は最後のウルフィンと王の問答で王のために死ぬ覚悟で答えるプフと生きる為に答えるウルフィンを対比して描かれてるよね
8:45こんないい話ししているのに「蟻が10」は草
男のセックス後の虚しさって、生物としての自分の価値がそれで終わるって本能が理解しちゃうからなのかー!
確かに雄は種付けしたら終わりって野生ではザラ(むしろその為だけに存在するまである)だからそれが終わると全部どうでもいい、役目を終えた感はある。
これからは「ふぅ…」に対して哀愁を感じてしまいそう。
コムギは生き延びたいからというよりも、軍議が生き甲斐で有り、一度でも負けた時は自分の生涯を閉じようという信念からの軍議の強さ。
だと。
契約と制約と同じ原理だね。コムギは系統でいえば間違いなく特質系ですね
@@コチョコチョ-i3r 冨樫展だと強化系に属してますね
@@ricky6232 うそやろ!?!?
強化系も特質系も根底の信念が特に強い性格してるから似てると思う。特質系でも納得できるし強化系でも「確かにな」ってなる。
@@コチョコチョ-i3r
本当でしょう。
この人関西人なのによくこんなきれいな標準語話せるな
コムギがもう一つの貧者の薔薇とは…なるほど
そしてゴン、会長、ナックル、シュート、カイトなんかの「俺さえ生き延びれば」ではない人間
ヂートゥ、レオル、ザザンなんかの「俺さえ生き延びれば」の蟻
蟻編のエンディングが「表裏一体」なのも痺れた
富樫先生マジで特質系能力者
コムギの孤独狸固は、キメラアントの女王アリが自身の生存は全く望まず最期まで子であるメルエムの事しか望んでいなかったこともそれの対比なんでしょうね
コムギとしての、命を賭けた最強の戦術であり、我が子だった、と。
そして、その子を◯◯してまで、メルエムと戦いたかった。
このメルエムとなら、もっと素晴らしい子(=戦術)が生まれると感じたのか。
子を産んだ後役目を終えた親を殺しても厭わない種の繁栄のための蟻と、生存本能で自分が助かるために子を殺す人間かぁ
凄い能力を得る代償と制限が、まともに座ってることも苦痛な腰痛
そして長期間救済
4:25
コムギ==貧者の薔薇
この発想は無かった!!
コムギが傷ついても王がブちぎれないところが本当に良かった
一般的にあの流れはコムギが傷ついたことで王の精神が崩壊し、殺戮の限りを尽くす流れだがそうじゃない
あの流れでネテロに対話をもちかける、・・・戦いにならない世界線も見てみたい
もう一つの貧弱の薔薇は非常に文学的で感動しました。爆弾の名前のアイロニーに、そういうメタファーが込められているとは、素晴らしい解釈だと思います。
星一徹はかめ仙人が天下一武道会に出場したみたいな感じ。
命令とは言えど、ネフェルピトーがいちばんわかりやすい。
「君はあの時、ハナゲが出てたんだ」
最高の告白だったぜ斑目
タイトル
”孤孤”狸固じゃなくて”孤独”狸固になってるよ
孤狐狸固?
そうですよね🙏
うんちくは好きやないけど、素晴らしい考察やな
なぜ人間は、そこまでして生き延びたいのだろうか……。
コムギのイントネーションがすごい気になる。
「コムギ↓」じゃなくて「コムギ→」が正しいんじゃないかな。
アニメでの発音だから正しいか知らないけど
言葉のあやってやつでしょうか、さらっととんでもない言葉を聞いた気がします。
こんなに「ですね」多かったかな、、、
どうしておじさんって名前とかのイントネーションを作中で呼ばれてる正しい発音で言えないんだろう?
岡田斗司夫先生自身で分析してほしい
なるほど、
いや、単純に陳腐を嫌うからだと思う。
こいつマジで妄想やばいや
この人ジブリ以外見てるんやな笑笑
よく分からんな
別にコムギに時間使おうが使うまいが、被害の差あれどメルエムは死んだだろうし、その死にコムギは関与していないのでは?
ココリコ?
か
こいつは考えすぎだよ。
いい歳して悲しくならないのかね。