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何時も行った気にさせてくれますね😃✌️話を聴いて居ると第七師団の話がでてきてゴールデンカムイを思い出しました👍️
道道94号線探索お疲れ様でした😊前半の「良いですねぇ…不安ですねぇ」ww旧道は哀愁漂ってたまりませんね♪またどこか連れて行って下さい🙇🏻♂️
増毛とか留萌とか、鉄道ファンには哀愁を漂わせる地名ですなぁ。道路的にもなかなか奥が深いようで。ゾヌさんの解説の秀逸さもいつも通り。今回も楽しませて頂きました。
今回のスタート地点。左折した国道交差点は、札沼線(一次廃止区間)の「和駅」があったところです(駅跡は右折した側)。当時のレンガ積みの立派な農業倉庫群が遺ってます。
妹背牛高校女子バレー部昔々スゴく強くて全道大会で優勝し全国でも有名だったなぁ。道って人と共にありますよね、開拓時は人がもっとたくさん来ることを予想してたんだろうなぁ。廃道ってあんまり顧みられることがないだけに切ない。説明が助手席にいて、ゾヌさんが話しているようで耳に入りますね😊
旅情を感じて頂けると幸いです
ゾヌたんお疲れ様です。普段何気なく走るこの道にも沢山の由縁があるのを再確認出来ました。ありがとうございます。
どう炒めまして。
幻の橋の橋脚は何ともロマンがありますね👍遠山の金さんの父親が出てきたりと雨竜の歴史は深くとても面白いです😊道道94号線は自然豊かなでドライブが心地よさそうです✨次回作も楽しみにしております🎵
いつも、増毛側からしか走った事が無いので、北竜側からだと新鮮ですね。この道にもそんな歴史があったのかと再認識させて頂きました。来年通る時には、この動画を思い出して走りたいと思います。ありがとうございました。
この道は大好きです 今年も走りました ゴールデンウィークの次の日曜日あたりが 残雪があり景色最高です
いやー、今回も素晴らしい😀地図見ながら、動画を見て、さらにビールを飲むという至福ほんとに道路には深い歴史があるんですね…未成道、旧道、廃道、廃線…歴史を感じずにはいられない。私もいつか訪ねたい
ありがたいやら恥ずかしいやら😅
稲田線、久々に走った気分になり嬉しかったです! 青山と結ぶ道路建設の計画が有ったとはビックリ。増毛の人にとって、稲田線はわざわざ留萌を廻らなくても深川や旭川、札幌方面に抜けられるので便利だそうです。峠の頂上付近は、やや高山の趣もあり、これからも存続してほしい道です♡
「いいですね~」と言っちゃう気持ち 受けて立ちましょう的な感じ?ですよね? 萌えるぅ~!
仁奈良駅逓跡地に触れられてましたが、国道275号から道道94号に入ってすぐ右側の更地(プランターが三個あり)が和(やわら)駅逓跡地だそうです。また動画1:54あたりの画面右側に恵岱別駅逓跡地があります(石碑有り)。ちなみに明治40年に恵岱別から和に移転したそうです。
ありがとうございます。
お晩です🙂分断道道、今回紹介した幻の増毛当別線など、道内には旧道だけでなく、計画止まりや工事を途中で断念した道道がまだまだありそうですね・・😌
四番川につなげる道路計画あったんだ、、知らんかった
増毛雄冬間が旧道だった頃、1度信砂側から走ったことがあります。春先だったかな。こっち通った方が近いよ(留萌周りで札幌まで)という事でしたが、途中眠くなり寝てしまい余計に時間がかかった記憶がありますww
ハハハ😅
御料峠の旧道ヘアピンカーブが気になってます。1086号がもし完成していたら、札幌→当別→青山→四番川→御料峠→増毛というガソリン満タンじゃなければ走れない壮大なドライブルートが完成してたことになりますね。
途中に何も無さすぎますね😅
昔は893ヤクザ道路と言ってました!増毛から旭川市まで45分で昔は行けましたよ!
確かにヤクザだw
45分では絶対無理 盛りすぎ
この世に絶対はありません!
お疲れさまです、造りかけの橋梁ぜひ見たいですね(笑)!
再訪したいと思います。
「増毛稲田線」とは、某コンビ芸人の一人みたいですね😁
二十何年か前に橋台か橋脚の杭打ちを2カ所行きましたわー谷を挟んで道路見えてましたから多分動画で写っている2カ所です杭打ちはちょうど12月になるかならなかった頃から3月くらいまでは施行してたと記憶してますどの場所を施工したかGoogle Maps等で見ても分からなかったんですがこの動画を見て分かりました👍結局橋として使われなかったのは残念ですけど自分でやった仕事がこうやって見えたのは嬉しかったですね😄
なんと!関係者の方ですか!今回実物見れなかったのは残念ですが、次は季節を選んで確認したいです。
もしかしたら、旧道探索の折に、今後に繋がる…かもしれない噺(定期)
通行量も極端に少ないようで、快適なドライブルートみたいですね。
昔の動画にコメ恐縮ですが7:49 恵岱別大橋の建設中止された橋脚跡への実踏レポートが、あのヨッキれんさんのサイトでついに始まりましたのでご連絡。こちらの動画の復習も兼ねて楽しみです。
マップ見てたら工事用道路跡と思われる道を見つけたので私もトライしたい。
行ってきました
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 なんと!!!。早すぎです☺。ヨッキれんさんの動画は考察が超深いですが、段階公開のため完結まで時間がかかるので、初雪前の動画うp楽しみにしとります。
@@Su---- 横取りみたいなのは避けたかったのでヨッキれんさんの記事は一切読まずトライしました。結構大変でした。今週の動画にするつもりです。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 😍
なぜかはわからないけど増毛町にいかないといけない気がする
ツーリングで毛無峠通った後は増毛行かないといけませんね😢
信砂と言う地名が印象的。ずーっと前信砂に、フクロウがとまってました。
うぐぐ…
北竜町はたまに通るけどこの道はあまり気にしないですね。もしかすると札幌から増毛への一般道路最速ルートなのかもしれない、留萌に行っても良いし。でも途中に何もなさすぎるかも、せっかくのダムも近くでは見られないみたいだし。
約180度あるカーブを超えた先の何も無い原っぱは去年か一昨年までは木が生い茂っていて、いつ鹿やクマ、タヌキが出てくるか怯えながら毎回通ってました笑
旭川市の神楽地区にも「御料地」がありますね。朧な記憶ですが、第七師団のある北鎮の地として、御用邸を建設する計画だったとか。私の親戚が住んでいたのでもしかすると立ち退きタナボタがあったかも。
永山武四郎の夢ですね確か第七師団以前の話だったかと
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 そんな昔でしたか。するってえと、ろくな道路もなかった時代に皇族の別荘地を作ろうとしたのですね。御用邸どころか人が住めるかどうか難しい。
雨竜越開作にはあの遠山の金さん(景元)の父親(景普)が幕府の要請で北海道に渡ったのですね!?土地の開拓は当時としては大変な事だったのでしょうね!!現代では想像もできません!!!凄いなぁー😱 今回の94号線増毛.稲田線、ホントに見所ありました。ありがとうございました👍 留萌本線の橋梁・・橋だけ??😂💦
調べるまで金さんの父親が関係しているとは知りませんでした。未成道の橋脚を見れなかったのでまた訪れようと思います。
人家も店もGSもない北海道らしい自然豊かな道路は見ていて楽しいのですがこんなところでガス欠になったら怖いなあ😱と思ってしまいます😅北海道で産まれ育ったお姑さんがしつこいぐらいに油大丈夫⁉️としょっちゅう聞いてくる理由がわかるような気がします😅
確かに何も無さすぎなんですよね
増毛、留萌、臼谷、鬼鹿、50年くらい昔に父に連れられて一夏に一回の海水浴。あの頃に戻りたい。寒かったけど。
8:40 ここの道路も鈴鹿サーキットのヘアピン有るのね
札幌から増毛の祖父の家に行くのによく使ってました、この道を知らなかった時はひたすら231か275→留萌経由だったなー
恵岱別大橋の橋台は12月の中ぐらいに行ったら、走行中の車でもよく見えますよ。 増毛側の進行方向左は信砂、右は御料で、昭和50年代まではここも戦後開拓が入って営農をしていましたが、いろいろあって結局無人の地になってしまいました。残念なことです。
昭和43年の地形図では、その開拓農家の家が点在する一帯は「信砂御料」という地名表記となっていますが、実際は分かれていたんですね。ヘアピンカーブの中央部にも農家があったようです。
ああ、だから信砂御料なんですね
かつては留萌より増毛の方が重点地域でしたか。その後結果的には地形の違いが街の発展の違いに結びついたのかしら。
増毛側から和に下りるトンネル入口の所からダム方向を見ると橋の橋脚は普通に見えますよ
2009年4月中旬頃に行きましたが春先が綺麗に見えますね。あと 作業道が気になるところです。
確かにどうやって行ったのやら
駅逓所の標柱と御料峠の間にサイロが点在して現存しています。知人が信砂御料出身者に聴き取り調査を行ったのですが、かつてその中の一基にはその方の名字が赤いペンキで大きく描かれていたそうです。信砂御料小中学校の跡地もここだと言われなければ判らないただの空き地となっています。
あのような奥地にも集落があったんですね
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 信砂御料は明治後期、駅逓所の設置に併せて開拓が入ったものの昭和初期には一度数戸まで減少しました。その後、戦後開拓で再び人口が増加しましたがやはり雪解けの遅さ・日照時間の短さに加え冷害や台風被害によって離農者が増え続け昭和52年には学校が廃止となり、平成に入るまでには開拓以前同様の無人地帯へと逆戻りしたという場所になります。
12:54「えっ、な..なんだって?😒」
留萌本線のチラッと見えた橋だけ の橋はかつて列車転落事故が起きた橋ですよね??違ったかな?!
昭和21年の春先に客車が信砂川に転落し、多くの学生さんが亡くなった事故の現場だと思います。
石碑がある様ですね
恵岱別峠の急なカーブから真っすぐ真方位南下10キロほどの地点に国領があります。そこは昭和47年まで人が住んで居て今は条件が良ければ車で行く事も出来ますが当時は尾白利加川がある為に雨竜には出る事が出来なくて春になって山越えが出来る時期になると歩いて増毛まで干し魚などの食糧を求めて山越えをして来たそうです。国領の人達はお金は殆ど無かったと思われますが何を対価に持って行ったのか それは等価交換になったのか歩いて一度シュウリ沢に出てから仁奈良山道を通り増毛に出たと思いますが歩きやすい堅雪でも片道2日は掛かります 何処で寝たのかその人を増毛の人達はどう迎えたのか雪崩があった処は夫婦で造材山で犠牲になって子供達だけが残された家があり長男は学校も行かずに近所の農家の手間賃仕事をしながら兄弟を育て上げたそうです。苦が有れば楽ありと言うけれどその人は最後まで苦ばかりでしたと言います。この道には夜中もカーテンを閉める事をしないで灯りを灯す家が多いのはそう言う歴史があるからかも知れないと思うのです。この地の戦後開拓に入った人の書いた本があります 丸山靖生 著 D級地帯
国領、むかし学校跡を見に行った事があります。途中のダートが不安でした。
今更気づきましたが車載カメラが振子式特急になってるんですね。
コレなんとかならんかなと思ってるんですけどね。
端に橋だけ 久々ダジャレがでた😂🎉 北海道は、読めない地名ばかりですね。
気付かれた😅
冬だと見られたような?見た記憶があるのですよ。何か有るのを。
今度行ってみます。
今回も遠山の金さん情報とかためになった。個人的には最初の役者さん(名前が分からん)の方が良かった。杉良になってからは金さんと言うより杉良を見せる時代劇になってしまって残念だった・・・と毎度、動画の趣旨とは無関係なコメントをする定期。ちなみに動画最後の方で「端の方にチラッとだけ見えます」の後「橋だけに」とチラッと聞こえた気がするが気のせいだろう。
エッ!?気のせい…
電柱の無い道路(携帯圏外)、そして対向車が居ない。なんか、背中がゾクゾクします。
普通ですよ〜
♪ お江戸の空に、春を呼ぶ~、花もうれしい遠山ざくら~。ご存じ長屋の金さんが~、諸肌脱いで、べらんめぇ~おっと金さん、名調子~
あり?竜西峠のはずじゃ?通行止時の電光表示は竜西峠のはず。昔は御料峠って言われていたけど、旧札幌土木現業所深川出張所における峠の名称は竜西峠のはず。因みにラジオとかで通行止が発生した時の名称も竜西峠のはず。実は峠の名称・・・北竜側と増毛側で違っていたと言う話も聞いてます。北竜側は竜西峠、増毛側は御料峠だったそうです。あと恵岱別ダム周辺の道道と旧道道と旧旧道道。トンネルが出来る前までは恵岱別ダムの堤頂入口を通る形で通行していて、冬は冬期通行止になっていました。(昔、通行した事あります。)んで、ゾヌさんが言っていた山側の藪になってしまった道路・・・あれは旧旧道道です。藪に覆われた所から緩い傾斜で登り、恵岱別ダムのすぐ脇の山の上を通り、現在の道路に接続してました。ただ緩い傾斜の道路側のほぼ全体が非常に崩れやすく不安定なため、この道路は放棄されて恵岱別ダムの脇を通る道になり、最後にトンネルによって冬期通行止が解消されました。(私が車を初めて乗ったのが34年前でしたが、その時は既に旧旧道道は廃棄された後でした。その道路に突撃した事があって、道路は車1台分の幅しか無くて、しかも途中崩れかかっている所も複数あって、天辺まで行ったら簡易柵で道が途切れていました。)最後に何故色々知っていたかと言うと・・・元地元民であったのと、この増毛稲田線の維持管理の仕事をしていたからです。(詳しい事はナイショ。)増毛当別線の恵岱別大橋の橋台と橋脚の件も知っていますが・・・それは気が向いたら話そう。
その旧旧道ですが、1997年のマップには格落ちした未舗装道として記載があるものの、実際は完走不能だったのですね。35年前(1988年)のマップでは、旧旧道入口手前からダム湖脇を通り恵岱別大橋への分岐予定地あたりまでが未舗装道。一方、その先は無人地帯なのにオール舗装道となっていますので、まさに(幻の)増毛当別線の開通を前提として増毛側が優先的に舗装されていたという裏事情はあったりしませんでしょうか?
@@Su---- その辺について知っているのは、北竜トンネルを何処に通すかで難儀したそうです。現在の北竜トンネルは、結局は予算の都合であの場所になったと聞いています。最初の計画では北竜側の入口はそのままだったのですが、増毛側は抗口位置は不明ですが、峠頂上にある旋回場の所で今の道路と接続する予定でした。当初設計の通りトンネルの延長が長ければ、北竜・増毛境界付近の急カーブは出来なかったのです。あと旧旧道道の件ですが、あの道路を廃棄した理由はもう一つありまして・・・前にお話した天辺以降の道路なんですが、あの先は大規模な地滑りがあったため通行不能となった模様です。あの辺は地山が脆く地滑りが発生しやすい箇所なのです。北竜トンネルの増毛側がすぐに橋梁になっているのは、その辺が関係しています。北竜トンネルの掘削も難儀したと聞いています。あと現在でも峠頂上とトンネルの区間には通行止を引き起こす可能性が高いウィークポイントが数カ所あります。道路を横断する横断管渠や函渠が何らかの事情で塞がり、排水出来なくなった場合、状況によっては道路ごと崩壊してしまう箇所があります。維持管理のパトロールにおいて重要な監視箇所になっています。増毛当別線については、はっきりした事情は判らなかったです。当時維持管理の業務を引き継いだ際に話しは出て来ませんでした。当方もネットが普及してから増毛当別線の事を知りました。ただ、維持管理を担当した時に偶然ダム湖を渡っている仮設橋を見つけて、対岸の細々とした仮設道路を登っていくと橋脚と橋台の所にたどり着きました。あと対岸から再度ダム湖を渡った先(つまり、増毛稲田線側)にもう1本橋脚があった事を覚えています。その後時期不明ですが2本の仮設橋は知らない間に撤去されて、二度と橋台や橋脚の所に行く事は出来なくなりました。大した情報でなくて申し訳ないです。・・・しかし増毛稲田線、維持担当していた当時が懐かしいです。あの峠は冬は難所で夜中に警察から連絡が来て峠頂上付近で5~6台の車が雪で動けなくなり、さらに様子を見に行ったパトカーまで身動き取れなくなって、大慌てで除雪車部隊を呼び出して助けに行った事がありました。余りにも雪が多くて、増毛側の維持担当にも連絡を入れて双方の除雪車を相手側の区間まで走ってもらって通路を確保した事がありました。ちなみに現在はどうか判りませんが、当時の峠付近は携帯電話は通じなかったので、パトカーが行くまで一般の車はどうにもならない状態だったそうです。(あ、つまらん事まで書いてしまった・・・。)
@@asahiyamakumasan999 道路管理に携わった地元の方の強力な裏情報、大変貴重です!北竜トンネルがまさか、峠まで貫通する計画だったとは恐れ入りました。しかしながらその区間のその方向だと、あまりトンネルの深度が取れなそうな気がしますが、もしかして峠よりさらに増毛寄りにぶち抜こうとしていた…ってことはないでしょうかね。初代ヘアピンカーブは昭和20年代には既に存在しており、昭和52年のカラー空中写真では、ちょうど新ヘアピンカーブ(現道)への改良のため、地盤を掘って慣らし中!の様子が伺えますので、それ以前(昭和40年代)に既に、"長大版" 北竜トンネルの建設はあきらめていたということになるのでしょう。私の単独コメントにも記したのですが、御料峠(町界)は元は信砂川が暑寒別岳から流れて来ていたものが、はるか昔にここで巨大地滑りが起きたことで生まれた「地滑り台地」で、地盤は信砂川の河岸段丘堆積物なのだそう。なので安定性が低いため、平成初期~中期に大規模な治山と植林が行われたようです(空中写真より)。おそらく地滑りの未然防止で保水力を高めるためではないかと…。同時に(出典の書籍では)現北竜トンネル一帯は砂岩層となっていますので、旧旧道道も含めここ一帯も地滑りが起きやすく隧道掘削も難儀したというのはうなづける話です。増毛当別線の橋脚の件。仰る通りたしかに平成16年の空中写真で『3本の橋脚』がクッキリと確認できました。そしてこれも証言通り、ダム湖を渡り(仮説橋らしきものは確認できず)、対岸の山中を等高線に沿う形で作業道が通じ、その終点が消滅した3本目の橋脚のところで止まっています。ただし、その前後は全く道道としての調査用道なども敷かれた様子はなさそうです。この区間がいつから通年通行可になったのか知りませんが、自分の所持している地図から推定すると1998-99年頃のようですね。大雪で動けなくなった話を伺って納得です。冬季の留萌・増毛などの日本海側は大雪・風雪で知られるところですが、この御料峠が「峠らしくなく」比較的緩やかなため、雪雲や風の格好の通り道になっているからだ!というのは想像にたやすいです。ともあれ、町史などの文献などをいくら調べてもわからないようなお話を「暴露」いただき、ありがとうございました。
竜西峠の名は初めて知りました。あの道は旧旧道なんですね。旧道含めて藪の薄い時に探索したいです。
「増毛」と聞いて振り向いた人は、素直に手を挙げなさい。w
ハイ!
はいはいはい!!
勝手な希望だがドローンを使って人が入れないところも散策してほしい
1979年そしえて発刊「地図の風景 北海道編①」で堀淳一先生(ほか2名)が、この道を探索し地形に関して詳しく考察をされています(めずらしく廃道や旧道視点ではない)。それに掲載されたS43の地形図でのΩカーブは、今より手前インコースを短絡して御料峠駐車場へとつながっており、曲線半径こそやや急ですが「Ω度」は今より極端じゃなかった模様。おそらく勾配が緩くなる方を選択したのでしょう。またその記事で興味深いのは、峠手前Ωカーブの上流(西)側はもともと信砂川でしたが、Ωループ北西側の小扇状地の押し出しが起こり恵岱別川に押し付けてせき止めてしまった結果、信砂川は「上流を奪われた川」となり、さらには長い年月を経て恵岱別川に浸食され、その流れは日本海(信砂の河口)ではなく、雨竜川へと注ぐ「進路変更」を余儀なくされたとのこと。御料峠が全くもって "峠らしくなく平坦" なのは、このΩカーブ北西側斜面の地滑りにより埋められた旧信砂川の河岸段丘上にあるため…というのが真実のようです。
旧カーブも含めて探索したいところですね。堀先生の考察、面白そうですね。書籍購入しようと思います。
何時も行った気にさせてくれますね😃✌️
話を聴いて居ると第七師団の話がでてきてゴールデンカムイを思い出しました👍️
道道94号線探索お疲れ様でした😊
前半の「良いですねぇ…不安ですねぇ」ww旧道は哀愁漂ってたまりませんね♪またどこか連れて行って下さい🙇🏻♂️
増毛とか留萌とか、鉄道ファンには哀愁を漂わせる地名ですなぁ。道路的にもなかなか奥が深いようで。ゾヌさんの解説の秀逸さもいつも通り。今回も楽しませて頂きました。
今回のスタート地点。左折した国道交差点は、札沼線(一次廃止区間)の「和駅」があったところです(駅跡は右折した側)。当時のレンガ積みの立派な農業倉庫群が遺ってます。
妹背牛高校女子バレー部昔々スゴく強くて全道大会で優勝し全国でも有名だったなぁ。道って人と共にありますよね、開拓時は人がもっとたくさん来ることを予想してたんだろうなぁ。廃道ってあんまり顧みられることがないだけに切ない。説明が助手席にいて、ゾヌさんが話しているようで耳に入りますね😊
旅情を感じて頂けると幸いです
ゾヌたんお疲れ様です。
普段何気なく走るこの道にも沢山の由縁があるのを再確認出来ました。
ありがとうございます。
どう炒めまして。
幻の橋の橋脚は何ともロマンがありますね👍
遠山の金さんの父親が出てきたりと雨竜の歴史は深くとても面白いです😊
道道94号線は自然豊かなでドライブが心地よさそうです✨
次回作も楽しみにしております🎵
いつも、増毛側からしか走った事が無いので、北竜側からだと新鮮ですね。この道にもそんな歴史があったのかと再認識させて頂きました。来年通る時には、この動画を思い出して走りたいと思います。ありがとうございました。
この道は大好きです 今年も走りました ゴールデンウィークの次の日曜日あたりが 残雪があり景色最高です
いやー、今回も素晴らしい😀
地図見ながら、動画を見て、さらにビールを飲むという至福
ほんとに道路には深い歴史があるんですね…未成道、旧道、廃道、廃線…歴史を感じずにはいられない。私もいつか訪ねたい
ありがたいやら恥ずかしいやら😅
稲田線、久々に走った気分になり嬉しかったです! 青山と結ぶ道路建設の計画が有ったとはビックリ。増毛の人にとって、稲田線はわざわざ留萌を廻らなくても深川や旭川、札幌方面に抜けられるので便利だそうです。峠の頂上付近は、やや高山の趣もあり、これからも存続してほしい道です♡
「いいですね~」と言っちゃう気持ち 受けて立ちましょう的な感じ?ですよね? 萌えるぅ~!
仁奈良駅逓跡地に触れられてましたが、国道275号から道道94号に入ってすぐ右側の更地(プランターが三個あり)が和(やわら)駅逓跡地だそうです。
また動画1:54あたりの画面右側に恵岱別駅逓跡地があります(石碑有り)。
ちなみに明治40年に恵岱別から和に移転したそうです。
ありがとうございます。
お晩です🙂
分断道道、今回紹介した幻の増毛当別線など、道内には旧道だけでなく、計画止まりや工事を途中で断念した道道がまだまだありそうですね・・😌
四番川につなげる道路計画あったんだ、、知らんかった
増毛雄冬間が旧道だった頃、1度信砂側から走ったことがあります。春先だったかな。こっち通った方が近いよ(留萌周りで札幌まで)という事でしたが、途中眠くなり寝てしまい余計に時間がかかった記憶がありますww
ハハハ😅
御料峠の旧道ヘアピンカーブが気になってます。1086号がもし完成していたら、札幌→当別→青山→四番川→御料峠→増毛というガソリン満タンじゃなければ走れない壮大なドライブルートが完成してたことになりますね。
途中に何も無さすぎますね😅
昔は893ヤクザ道路と言ってました!
増毛から旭川市まで45分で昔は行けましたよ!
確かにヤクザだw
45分では絶対無理 盛りすぎ
この世に絶対はありません!
お疲れさまです、造りかけの橋梁ぜひ見たいですね(笑)!
再訪したいと思います。
「増毛稲田線」とは、某コンビ芸人の一人みたいですね😁
二十何年か前に橋台か橋脚の杭打ちを2カ所行きましたわー
谷を挟んで道路見えてましたから多分動画で写っている2カ所です
杭打ちはちょうど12月になるかならなかった頃から3月くらいまでは施行してたと記憶してます
どの場所を施工したかGoogle Maps等で見ても分からなかったんですがこの動画を見て分かりました👍
結局橋として使われなかったのは残念ですけど自分でやった仕事がこうやって見えたのは嬉しかったですね😄
なんと!関係者の方ですか!
今回実物見れなかったのは残念ですが、次は季節を選んで確認したいです。
もしかしたら、旧道探索の折に、今後に繋がる…かもしれない噺(定期)
通行量も極端に少ないようで、快適なドライブルートみたいですね。
昔の動画にコメ恐縮ですが
7:49 恵岱別大橋の建設中止された橋脚跡への実踏レポートが、あのヨッキれんさんのサイトでついに始まりましたのでご連絡。
こちらの動画の復習も兼ねて楽しみです。
マップ見てたら工事用道路跡と思われる道を見つけたので私もトライしたい。
行ってきました
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 なんと!!!。早すぎです☺。ヨッキれんさんの動画は考察が超深いですが、段階公開のため完結まで時間がかかるので、初雪前の動画うp楽しみにしとります。
@@Su----
横取りみたいなのは避けたかったのでヨッキれんさんの記事は一切読まずトライしました。結構大変でした。
今週の動画にするつもりです。
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なぜかはわからないけど増毛町にいかないといけない気がする
ツーリングで毛無峠通った後は増毛行かないといけませんね😢
信砂と言う地名が印象的。ずーっと前信砂に、フクロウがとまってました。
うぐぐ…
北竜町はたまに通るけどこの道はあまり気にしないですね。もしかすると札幌から増毛への一般道路最速ルートなのかもしれない、留萌に行っても良いし。でも途中に何もなさすぎるかも、せっかくのダムも近くでは見られないみたいだし。
約180度あるカーブを超えた先の何も無い原っぱは去年か一昨年までは木が生い茂っていて、いつ鹿やクマ、タヌキが出てくるか怯えながら毎回通ってました笑
旭川市の神楽地区にも「御料地」がありますね。朧な記憶ですが、第七師団のある北鎮の地として、御用邸を建設する計画だったとか。私の親戚が住んでいたのでもしかすると立ち退きタナボタがあったかも。
永山武四郎の夢ですね
確か第七師団以前の話だったかと
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 そんな昔でしたか。するってえと、ろくな道路もなかった時代に皇族の別荘地を作ろうとしたのですね。御用邸どころか人が住めるかどうか難しい。
雨竜越開作にはあの遠山の金さん(景元)の父親(景普)が幕府の要請で北海道に渡ったのですね!?土地の開拓は当時としては大変な事だったのでしょうね!!現代では想像もできません!!!凄いなぁー
😱 今回の94号線増毛.稲田線、ホントに見所ありました。ありがとうございました👍 留萌本線の橋梁・・橋だけ??😂💦
調べるまで金さんの父親が関係しているとは知りませんでした。未成道の橋脚を見れなかったのでまた訪れようと思います。
人家も店もGSもない北海道らしい自然豊かな道路は見ていて楽しいのですがこんなところでガス欠になったら怖いなあ😱と思ってしまいます😅北海道で産まれ育ったお姑さんがしつこいぐらいに油大丈夫⁉️としょっちゅう聞いてくる理由がわかるような気がします😅
確かに何も無さすぎなんですよね
増毛、留萌、臼谷、鬼鹿、50年くらい昔に父に連れられて一夏に一回の海水浴。あの頃に戻りたい。寒かったけど。
8:40 ここの道路も鈴鹿サーキットのヘアピン有るのね
札幌から増毛の祖父の家に行くのによく使ってました、この道を知らなかった時はひたすら231か275→留萌経由だったなー
恵岱別大橋の橋台は12月の中ぐらいに行ったら、走行中の車でもよく見えますよ。
増毛側の進行方向左は信砂、右は御料で、昭和50年代まではここも戦後開拓が入って営農をしていましたが、いろいろあって結局無人の地になってしまいました。残念なことです。
昭和43年の地形図では、その開拓農家の家が点在する一帯は「信砂御料」という地名表記となっていますが、実際は分かれていたんですね。ヘアピンカーブの中央部にも農家があったようです。
ああ、だから信砂御料なんですね
かつては留萌より増毛の方が重点地域でしたか。その後結果的には地形の違いが街の発展の違いに結びついたのかしら。
増毛側から和に下りるトンネル入口の所からダム方向を見ると橋の橋脚は普通に見えますよ
2009年4月中旬頃に行きましたが
春先が綺麗に見えますね。
あと 作業道が気になるところです。
確かにどうやって行ったのやら
駅逓所の標柱と御料峠の間にサイロが点在して現存しています。知人が信砂御料出身者に聴き取り調査を行ったのですが、かつてその中の一基にはその方の名字が赤いペンキで大きく描かれていたそうです。
信砂御料小中学校の跡地もここだと言われなければ判らないただの空き地となっています。
あのような奥地にも集落があったんですね
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北
信砂御料は明治後期、駅逓所の設置に併せて開拓が入ったものの昭和初期には一度数戸まで減少しました。その後、戦後開拓で再び人口が増加しましたがやはり雪解けの遅さ・日照時間の短さに加え冷害や台風被害によって離農者が増え続け昭和52年には学校が廃止となり、平成に入るまでには開拓以前同様の無人地帯へと逆戻りしたという場所になります。
12:54
「えっ、な..なんだって?😒」
留萌本線のチラッと見えた橋だけ の橋はかつて列車転落事故が起きた橋ですよね??
違ったかな?!
昭和21年の春先に客車が信砂川に転落し、多くの学生さんが亡くなった事故の現場だと思います。
石碑がある様ですね
恵岱別峠の急なカーブから真っすぐ真方位南下10キロほどの地点に国領があります。
そこは昭和47年まで人が住んで居て今は条件が良ければ車で行く事も出来ますが
当時は尾白利加川がある為に雨竜には出る事が出来なくて春になって山越えが出来る時期になると歩いて増毛まで干し魚などの食糧を求めて山越えをして来たそうです。
国領の人達はお金は殆ど無かったと思われますが
何を対価に持って行ったのか それは等価交換になったのか
歩いて一度シュウリ沢に出てから仁奈良山道を通り増毛に出たと思いますが歩きやすい堅雪でも片道2日は掛かります
何処で寝たのかその人を増毛の人達はどう迎えたのか
雪崩があった処は夫婦で造材山で犠牲になって子供達だけが残された家があり
長男は学校も行かずに近所の農家の手間賃仕事をしながら兄弟を育て上げたそうです。
苦が有れば楽ありと言うけれどその人は最後まで苦ばかりでしたと言います。
この道には夜中もカーテンを閉める事をしないで灯りを灯す家が多いのはそう言う歴史があるからかも知れないと思うのです。
この地の戦後開拓に入った人の書いた本があります 丸山靖生 著 D級地帯
国領、むかし学校跡を見に行った事があります。途中のダートが不安でした。
今更気づきましたが車載カメラが振子式特急になってるんですね。
コレなんとかならんかなと思ってるんですけどね。
端に橋だけ 久々ダジャレがでた😂🎉
北海道は、読めない地名ばかりですね。
気付かれた😅
冬だと見られたような?見た記憶があるのですよ。何か有るのを。
今度行ってみます。
今回も遠山の金さん情報とかためになった。個人的には最初の役者さん(名前が分からん)の方が良かった。杉良になってからは金さんと言うより杉良を見せる時代劇になってしまって残念だった・・・と毎度、動画の趣旨とは無関係なコメントをする定期。ちなみに動画最後の方で「端の方にチラッとだけ見えます」の後「橋だけに」とチラッと聞こえた気がするが気のせいだろう。
エッ!?気のせい…
電柱の無い道路(携帯圏外)、そして対向車が居ない。なんか、背中がゾクゾクします。
普通ですよ〜
♪ お江戸の空に、春を呼ぶ~、花もうれしい遠山ざくら~。
ご存じ長屋の金さんが~、諸肌脱いで、べらんめぇ~
おっと金さん、名調子~
あり?
竜西峠のはずじゃ?通行止時の電光表示は竜西峠のはず。昔は御料峠って言われていたけど、旧札幌土木現業所深川出張所における峠の名称は竜西峠のはず。因みにラジオとかで通行止が発生した時の名称も竜西峠のはず。
実は峠の名称・・・北竜側と増毛側で違っていたと言う話も聞いてます。北竜側は竜西峠、増毛側は御料峠だったそうです。
あと恵岱別ダム周辺の道道と旧道道と旧旧道道。トンネルが出来る前までは恵岱別ダムの堤頂入口を通る形で通行していて、冬は冬期通行止になっていました。(昔、通行した事あります。)んで、ゾヌさんが言っていた山側の藪になってしまった道路・・・あれは旧旧道道です。藪に覆われた所から緩い傾斜で登り、恵岱別ダムのすぐ脇の山の上を通り、現在の道路に接続してました。ただ緩い傾斜の道路側のほぼ全体が非常に崩れやすく不安定なため、この道路は放棄されて恵岱別ダムの脇を通る道になり、最後にトンネルによって冬期通行止が解消されました。(私が車を初めて乗ったのが34年前でしたが、その時は既に旧旧道道は廃棄された後でした。その道路に突撃した事があって、道路は車1台分の幅しか無くて、しかも途中崩れかかっている所も複数あって、天辺まで行ったら簡易柵で道が途切れていました。)
最後に何故色々知っていたかと言うと・・・元地元民であったのと、この増毛稲田線の維持管理の仕事をしていたからです。(詳しい事はナイショ。)
増毛当別線の恵岱別大橋の橋台と橋脚の件も知っていますが・・・それは気が向いたら話そう。
その旧旧道ですが、1997年のマップには格落ちした未舗装道として記載があるものの、実際は完走不能だったのですね。
35年前(1988年)のマップでは、旧旧道入口手前からダム湖脇を通り恵岱別大橋への分岐予定地あたりまでが未舗装道。一方、その先は無人地帯なのにオール舗装道となっていますので、まさに(幻の)増毛当別線の開通を前提として増毛側が優先的に舗装されていたという裏事情はあったりしませんでしょうか?
@@Su---- その辺について知っているのは、北竜トンネルを何処に通すかで難儀したそうです。現在の北竜トンネルは、結局は予算の都合であの場所になったと聞いています。最初の計画では北竜側の入口はそのままだったのですが、増毛側は抗口位置は不明ですが、峠頂上にある旋回場の所で今の道路と接続する予定でした。当初設計の通りトンネルの延長が長ければ、北竜・増毛境界付近の急カーブは出来なかったのです。
あと旧旧道道の件ですが、あの道路を廃棄した理由はもう一つありまして・・・前にお話した天辺以降の道路なんですが、あの先は大規模な地滑りがあったため通行不能となった模様です。あの辺は地山が脆く地滑りが発生しやすい箇所なのです。北竜トンネルの増毛側がすぐに橋梁になっているのは、その辺が関係しています。北竜トンネルの掘削も難儀したと聞いています。
あと現在でも峠頂上とトンネルの区間には通行止を引き起こす可能性が高いウィークポイントが数カ所あります。道路を横断する横断管渠や函渠が何らかの事情で塞がり、排水出来なくなった場合、状況によっては道路ごと崩壊してしまう箇所があります。維持管理のパトロールにおいて重要な監視箇所になっています。
増毛当別線については、はっきりした事情は判らなかったです。当時維持管理の業務を引き継いだ際に話しは出て来ませんでした。当方もネットが普及してから増毛当別線の事を知りました。ただ、維持管理を担当した時に偶然ダム湖を渡っている仮設橋を見つけて、対岸の細々とした仮設道路を登っていくと橋脚と橋台の所にたどり着きました。あと対岸から再度ダム湖を渡った先(つまり、増毛稲田線側)にもう1本橋脚があった事を覚えています。その後時期不明ですが2本の仮設橋は知らない間に撤去されて、二度と橋台や橋脚の所に行く事は出来なくなりました。
大した情報でなくて申し訳ないです。
・・・しかし増毛稲田線、維持担当していた当時が懐かしいです。あの峠は冬は難所で夜中に警察から連絡が来て峠頂上付近で5~6台の車が雪で動けなくなり、さらに様子を見に行ったパトカーまで身動き取れなくなって、大慌てで除雪車部隊を呼び出して助けに行った事がありました。余りにも雪が多くて、増毛側の維持担当にも連絡を入れて双方の除雪車を相手側の区間まで走ってもらって通路を確保した事がありました。ちなみに現在はどうか判りませんが、当時の峠付近は携帯電話は通じなかったので、パトカーが行くまで一般の車はどうにもならない状態だったそうです。(あ、つまらん事まで書いてしまった・・・。)
@@asahiyamakumasan999 道路管理に携わった地元の方の強力な裏情報、大変貴重です!
北竜トンネルがまさか、峠まで貫通する計画だったとは恐れ入りました。しかしながらその区間のその方向だと、あまりトンネルの深度が取れなそうな気がしますが、もしかして峠よりさらに増毛寄りにぶち抜こうとしていた…ってことはないでしょうかね。
初代ヘアピンカーブは昭和20年代には既に存在しており、昭和52年のカラー空中写真では、ちょうど新ヘアピンカーブ(現道)への改良のため、地盤を掘って慣らし中!の様子が伺えますので、それ以前(昭和40年代)に既に、"長大版" 北竜トンネルの建設はあきらめていたということになるのでしょう。
私の単独コメントにも記したのですが、御料峠(町界)は元は信砂川が暑寒別岳から流れて来ていたものが、はるか昔にここで巨大地滑りが起きたことで生まれた「地滑り台地」で、地盤は信砂川の河岸段丘堆積物なのだそう。なので安定性が低いため、平成初期~中期に大規模な治山と植林が行われたようです(空中写真より)。おそらく地滑りの未然防止で保水力を高めるためではないかと…。同時に(出典の書籍では)現北竜トンネル一帯は砂岩層となっていますので、旧旧道道も含めここ一帯も地滑りが起きやすく隧道掘削も難儀したというのはうなづける話です。
増毛当別線の橋脚の件。仰る通りたしかに平成16年の空中写真で『3本の橋脚』がクッキリと確認できました。そしてこれも証言通り、ダム湖を渡り(仮説橋らしきものは確認できず)、対岸の山中を等高線に沿う形で作業道が通じ、その終点が消滅した3本目の橋脚のところで止まっています。ただし、その前後は全く道道としての調査用道なども敷かれた様子はなさそうです。
この区間がいつから通年通行可になったのか知りませんが、自分の所持している地図から推定すると1998-99年頃のようですね。大雪で動けなくなった話を伺って納得です。冬季の留萌・増毛などの日本海側は大雪・風雪で知られるところですが、この御料峠が「峠らしくなく」比較的緩やかなため、雪雲や風の格好の通り道になっているからだ!というのは想像にたやすいです。
ともあれ、町史などの文献などをいくら調べてもわからないようなお話を「暴露」いただき、ありがとうございました。
竜西峠の名は初めて知りました。
あの道は旧旧道なんですね。
旧道含めて藪の薄い時に探索したいです。
「増毛」と聞いて振り向いた人は、素直に手を挙げなさい。w
ハイ!
はいはいはい!!
勝手な希望だがドローンを使って人が入れないところも散策してほしい
1979年そしえて発刊「地図の風景 北海道編①」で堀淳一先生(ほか2名)が、この道を探索し地形に関して詳しく考察をされています(めずらしく廃道や旧道視点ではない)。それに掲載されたS43の地形図でのΩカーブは、今より手前インコースを短絡して御料峠駐車場へとつながっており、曲線半径こそやや急ですが「Ω度」は今より極端じゃなかった模様。おそらく勾配が緩くなる方を選択したのでしょう。
またその記事で興味深いのは、峠手前Ωカーブの上流(西)側はもともと信砂川でしたが、Ωループ北西側の小扇状地の押し出しが起こり恵岱別川に押し付けてせき止めてしまった結果、信砂川は「上流を奪われた川」となり、さらには長い年月を経て恵岱別川に浸食され、その流れは日本海(信砂の河口)ではなく、雨竜川へと注ぐ「進路変更」を余儀なくされたとのこと。
御料峠が全くもって "峠らしくなく平坦" なのは、このΩカーブ北西側斜面の地滑りにより埋められた旧信砂川の河岸段丘上にあるため…というのが真実のようです。
旧カーブも含めて探索したいところですね。
堀先生の考察、面白そうですね。書籍購入しようと思います。