第1195回「生きているだけで意味がある」2024/4/15【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
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- เผยแพร่เมื่อ 27 ธ.ค. 2024
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■管長日記「生きているだけで意味がある」
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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先日は、円覚寺で、近藤瞳さんの地球を生きるワークショップを開催しました。
今回で三回目であります。
僧堂の雲水達と、普段僧堂にご縁の深い数名の方も参加してくれました。
遠く、松本市から神宮寺の谷川和尚もお越しくださいました。
「地球46億年を感じる旅」というものです。
前の二回とも、円覚寺周辺の山を近藤瞳さんと一緒に歩きながら、地球四十六億年の歴史を辿る旅をするのです。
四十六億年を約4.6kmの距離にみたてて歩くのです。
これは近藤瞳さんが、2016年、イギリスのシューマッハカレッジで体験したディープタイムウォークをベースにして、近藤さん独自の体験談・哲学・心理学などなど、あらゆる視野を投入して創作されたものです。
この学びを通じて、「今生きることが、自分が存在することが、どれだけ奇跡に溢れているのか」を実体験してゆくのです。
前の二回は、円覚寺の裏山をゆっくりとはだしで歩くことができました。
二回とも感動したものでした。
今回も楽しみにしていたのですが、なんと当日は強い雨となってしまいました。
雨天でもなんとかできないかと思ったのですが、今の時代でありますので、室内での研修となりました。
室内とは寂しいな、どんなものになるのか、少々不安に思ったのでしたが、雨の日には雨の日の良さがあって、すばらしい会になったのでした。
円覚寺の大方丈に集まってそこから近藤さんのお話が始まりました。
はじめに三時間かけて四十六億年を歩くのです。
室内だけにゆっくりと歩いたのでした。
一歩が五十万年に相当するのであります。
地球カレンダーというのがありますが、四十六億年を一年に見立てて説明してくださいます。
まず一月一日、地球誕生です。
私たちも生まれたときの姿と今とずいぶん違っているように、地球も生まれたときは今とは全く異なっていました。
ただいま地球の平均気温は十五度らしいのですが、地球は隕石がぶつかってできたので六千度を超える熱さだったということです。
自転も今二十四時間で一回回りますが、当時は五~六時間で一周していたそうです。
それから二酸化炭素、アンモニア、硫黄などとても臭かったというのです。
熱い、早い、臭いという地球だったのでした。
四十六億年経って、気温が十五度になり、自転が二十四時間になり、臭いもなくなったのでした。
一月十二日、四十五億年前に、月と地球が分かれました。
そもそも一つだったのが、大きな隕石があたって破壊されて月ができたのでした。
今も毎年月は3,8センチ地球から遠ざかっているそうなのです。
もともとはもっと近くにあったのでした。
破壊と再生を繰り返してゆくのが地球の歴史なのです。
満天の星空といいますが、私達が見上げる夜空の星は、宇宙を百とすると、どれくらいが見えているのかと近藤さんは質問されました。
なんと私たちに見えているのは3%だけしかないそうなのです。
97%は見えていないのです。
これは人間の意識にも通じて、顕在意識は3%、潜在意識は97%ということです。
二月九日、地球ができて五億年経つと、水ができました。
地球が水の惑星と言われますが、太陽と地球との絶妙な距離が関わっています。
水星のように太陽に近いと、水はすべて蒸発してしまいます。
金星でも四百度もあるので、水は気体になってしまいます。
逆に火星だと氷しかできないそうです。
ですからこの地球に水があるのは素晴らしいのです。
だから今日の雨もすばらしいのですと近藤さんは仰いました。
そうしてそこから雨の中を外に出て歩きました。
幸いにというか、良いお天気なら大勢の拝観で賑わうのですが、強い雨と風で境内には誰もいないような状況でしたので、雨の中をはだしで歩きました。
はだしで歩くのがいいのです。
これも今回の感動でした。
はだしになると足元に注意がゆきます。
それから、普段足袋をはいて草履で歩いていると、水たまりを避けるのですが、はだしになると水たまりに入りたくなるものです。
春のあたたかい水たまりは心地よいものです。
雨の中をゆっくり歩いて、仏殿、弁天堂、そして山門とまわり、更に仏殿でお話を拝聴しました。
この雨の中の歩みがとてもよかったのでした。
三十八億年前の二月二十五日、水が出来て、次に最初の生命が誕生しました。
海の中の微生物だそうです。
二十七億年前の五月三十一日、酸素ができました。
酸素のおかげで身体が大きくなることができます。
しかし、酸素は、有害でもあります。
海の中のバクテリアが進化して、シアノバクテリアが酸素を作りました。
しかし、酸素の為に死ぬものもあるのです。
自分たちが作り出したもので自分たちが死ぬこともあります。
そこで近藤さんは、プラスティックの問題に触れました。
プラスティックは便利なので作りすぎてしまいました。
それが今のマイクロプラスティックの問題です。
マイクロプラスティックをプランクトンが食べて、それを魚が食べて、その魚を人間が食べますので、一年でクレジットカード一枚分のマイクロプラスティックを身体に取り入れていることになるという説もあるそうです。
しかし生物は毒であった酸素を取り入れて生きるように、長い進化のうちには、プラスティックもやがて栄養にしてゆくことになるのではと近藤さんは仰っていたのが印象に残りました。
毒と栄養は紙一重なのです。
そんな話を雨の中うかがいながら、歩いていました。
山門の下で話を聴いていた時には、近藤さんのこれまでの歩みを話してくださっていました。
二十四才から二十七才まではアルバイト、ひたすらお金を稼いでいたそうです。
それが二十七才の時に東日本大震災があり、大きく考えが変わったのでした。
同じ年の人が震災で亡くなって、自分も死ぬかもと思ったのでした。
どういう人生を歩むのかを真剣に考えるようになって、シューマッハカレッジのサティシュ・クマール先生に会うのでした。
愛とは何か、近藤さんは真剣に考えたといいます。
いたり得た結論はサティシュのと同じでした。
愛とはすべてというのです。
大地は、毒の草も野菜もすべて区別なく育てます。
存在していることが愛だと仰っていました。
人はそこにいるだけで、愛なのだというのです。
なぜなら呼吸しているだけで、二酸化炭素を出して植物の為になっているのです。
人はそこにいるだけで意味があると仰っていました。
これこそが究極の愛であります。
二十四億年前の六月二十四日、氷河期がおきました。
二十一億年前の七月十日、真核生物ができました。
これによって原核生物から百万倍も大きくなり、多様性を生み出しました。
十一億年前にあたる九月二十七日、多細胞生物が生まれました。
1㎜くらいのミジンコが生まれたのでした。
多細胞生物というのは、今眼で見える生物のすべてです。
六億年前にあたる十一月十四日、オゾン層が形成されました。
厚さはわずか三ミリです。
この薄いオゾン層によって有毒な紫外線を遮ってくれるようになり、身体が大きくなりました。
五億年前にあたる十一月二十日、生物が多様化して魚類が現われました。
初めはなまこのようなものだそうです。
四億二千万年前、十一月二十八日頃、魚類から両生類に別れて陸にあがるようになりました。
海から陸にあがるのは、地球から火星にゆくほどたいへんなものとのことです。
前にうかがったつわりの話は印象的であります。
受精卵が胎内に宿って、受精卵が魚類から両生類になって陸にあがるときの苦しみがつわりになって現れるというのです。
三億年前の十二月三日昆虫が現れました。
その頃の虫は大きかったそうで、ムカデも一メートルもあったというのです。
大木もできて、シダ植物ですが、五十メートルくらいになったそうです。
木が倒れて土になりました。
水の中では、泥炭になり石炭になりました。
二億五千年前の十二月十三日、恐竜の時代になりました。
最古の哺乳類はネズミのような小さいものだっだそうです。
恐竜に襲われないように、夜行性になったというのです。
十二月二十五日、六千六百万年前に隕石があたり、火山が噴火したりして生物の75%が死にました。
恐竜も滅んだのでした。
十二月二十六日に鳥類が出て、十二月二十七日あたりから哺乳類が繁栄しました。
一年の残りわずか四日でようやく哺乳類がでてきたのです。
四百万年前、十二月三十一日午後四時になって、ようやくアウストラロピテクスが現われました。
今の人、ホモサピエンスは午後十一時四十分頃なのだそうです。
午後十一時五十八分五十二秒から農耕牧畜が始まったそうです。
五十九分三十秒になって宗教が始まりました。
二千五百年から二千年前で、お釈迦様やイエスキリストが出た頃です。
二百年前の五十九分五十八秒で産業革命が起りました。
地球カレンダーではたった二秒でこれだけの産業を発達させたのです。
コンクリート、プラスティックなどはこの二秒で出来たのです。
最後に近藤さんは三つのことを伝えてくださいました。
一つは、人は奇跡で生きていることです。
自分はここにいるだけですごいことなのだというのです。
二番目は自分のペースで生きることです。
今日は雨の中をはだしで歩いた、あのはだしのペースで歩いて欲しいと仰っていました。
そんな自分のペースで生きると直観がさえるのだというのです。
三番目はすべてのものはひとつだということです。
もとをたどれば電子や陽子中性子のはたらきにしか過ぎません。
この地球に生きている生命のみなもとはみな同じなのです。
近藤さんは三十九才だそうですが、百三十八億年プラス三十九才なのだと仰っていました。
午後からは最近の近藤さんの旅の話を楽しくうかがいました。
最後にみんなで感想を述べて終わりましたが、進化の過程がこんなにゆっくりなのに、なぜせかせか生きてしまうのかという修行僧の言葉が印象に残りました。
大いに反省させられます。
それから最後に近藤さんが嫌なことがあった時に、気持ちを切り替えるには言葉の力を用いるといいのだと教えてくださいました。
近藤さんにとってその言葉は「ありがとうございます」です。
「ありがとう」はあることが難しい、奇跡だということです。
「ございます」は今ここにあることです。
「ありがとうございます」で今ここに奇跡があるということになります。
この言葉を口にして今日のことを思い出して欲しいと仰ってくださり、みんなで「ありがとうございます」と言って終わったのでした。
今回は雨の中でしたが、生きているだけで意味があることを実感できた素晴らしい会となりました。
横田南嶺
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