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ギャランΣとΛを出した頃の三菱はイケイケだった
当時の三菱はイケイケで、格好いい車を出してました。ΣとΛにエテルナバージョンと多岐に渡り、モデル展開してたなぁ。
1977年放送開始の三本和彦氏司会の新車情報の第1回目に取り上げたのが「ギャラン∑1600SLスーパー」でした。
親父が乗ってた。ガキの頃はなんとも思って無かったけど、いま改めて見ると男くさい中々カッコいいデザインの車だった事に気づいた😊
泣きそう。父との思い出の車。
1976年の春にこのシグマとホンダ初代アコードがデビューし、どちらもそれまでの日本のミドルクラスのイメージを払拭してて、当時小学生だった自分も「どっちも欲しい!」と思ったものでした。
6:55これはGSRではありません。おそらく1600か1850のSLではないでしょうか。GSRはフロントのエアダムスカートにGSRの反転ロゴプリントが付き、フェンダーミラーはリモコン(やや角張ったタルボ型筐体にメッキの縁が付加されてるのが外観上の特徴)式。角目4灯にフェイスリフトする一つ前のマイナーチェンジ時に消滅しますが、かなり時代にそぐわない仕様だった。ツインキャブだが、それほどパワーはないのに加えて有鉛ハイオク指定でマニュアルチョークでした。トヨタや日産なら電子燃料噴射で面目上でもスペックを保ったでしょうが、三菱はかなり遅くまで(電子制御まで取り入れて)キャブレター式に固執していました。ディーゼルエンジンの開発ノウハウがあるのでインジェクションなど容易いと思うけど、各事業所間の対抗意識が強く残って頼ることが出来なかったのかもしれないですね…。
私が幼少期に親がシグマでは無くラムダに乗ってました。ラムダにした理由は走行中私が間違えて後部座席ドアを開けられないよう予防する為敢えて2ドアのラムダにした理由だったと言ってましたが、特に母がラムダのデザインに一目惚れしたのもあったようです。私も物心ついたときラムダの他にシグマの存在を知りシグマもカッコイイと思いながらラムダの助手席、後部座席に乗せていろいろ連れて行ってもらってました。ラムダは私が免許取る前に親が買い替えで手放しましたが、今では忘れられない車です。
当時の親御さんはそういう考え持った方少なくなかったね。私も子どもながら窮屈に思いましたよ。
三代目ギャランシグマ好きでした。当時は高校生になったばかりで通学途中の隣町に三菱の販売店があってそこにこの車が展示されていた。スーパーカーブームもあり多少車に興味が出てきた頃にスタイリッシュなデザインの車が出て一目惚れ。特に逆スラントノーズの顔が好きでした。ところがマイナーチェンジ後に逆スラントノーズでなくなって見た目も若くて挑戦的な顔つきからマイルド?ラグジュアリー?な感じに変わってしまい拍子抜け。ボディデザインは好きだけどなんだかオジサン車になったように見えてしまい...
これも『セッサーノ(の影響を受けた)デザイン』で大ヒットしましたね。『エステートバン』も中々スタイリッシュで 2000ccの上級モデルをワゴン代わりに購入するユーザーも多くいたそう。(そして当時は 排ガス規制の緩いバンの方が 馬力があった。)面白いオプションでは 狩猟などでトランクに大型犬を乗せた時に ワンちゃんが不安にならないよう ボディとトランクリッドの間に咬ませる 高さ15cm程度の『鉄格子状のスペーサー』が用意されていました。(暗いトランクに閉じ込められたワンちゃんが テールランプ配線を噛み切って 大事故になった事例があった為。)
父がΛに乗っていましたが、∑も含めカッコいい車だと思っていました。4代目も好きでしたが確かに地味でしたね。「惚れ惚れシグマ」ことFFシグマは、シンプルすぎて高級感がないと言われていましたが、私は好きでしたし、「インディビジュアル4ドア」の6代目モデルなんて、今でも傑作デザインだと考えています。要は三菱車のデザインは好きなモデルが多いんですよね。
そしてディアマンテが登場し3ナンバー車の革命を起こしました。
シグマはそこら中を走っていましたが、2代目ギャランはまさに今初めて見る車という印象です。本当に売れない車だったのでしょうね。
3代目初期型はフロントライト周りが初代セリカ似ている。売れるのも納得。
このギャランΣは、いつ見てもカッコいいです。トミカダンディにもありました。Cm では、走行シーンやベンツとBMW とハンドルやシートの比べたCm でした。ただし、全て森山周一郎のナレーションでした。また、森山周一郎本人も出演していました。ドラマでは、華麗なる刑事でパトカー🚓に出演していました。破壊シーンでは、ゴリラ警視庁捜査第8班で、博多ロケで、2代目後期型カリーナハードトップとミサイルにやられていました。
縮尺差(1/45と1/40)はあったけど、ダイヤペットもあった。販売促進のため情報提供を積極的に行なったのか、どちらもディテールに優れたミニカーでした。ダンディは2000GSRを、ダイヤペットは2000のベースグレードだったGLXを製品化していましたね。
サイレントシャフトはのちにポルシェが特許を買って944に搭載したほど、優れた発明。特許が切れた後に他社から出たバランスシャフト付きというエンジンは、実質的にはサイレントシャフトのこと。
2代目は全く記憶に残っていませんが、Σが登場したときは各自動車雑誌が積極的に取り上げていたように記憶しています。BMW2002ターボやポルシェ930ターボなどでフロントスポイラーの役目の認知度も上がった時期で、Σの特集ではエアダムの解説なども載っていました。
当時三菱では直66G34と直44G52を上皿天秤に載せて「何故 三菱は4気筒に拘るのか?それは 4気筒のほうが軽いからです。」と云うCMを流していましたね。
ラムダは友達の親のクルマでした。Cピラーにウインカー着いてました。リヤガラスがサイドまでラウンドしていて解放感あった記憶ある😊4ドアはタクシーで使われてましたね。バンは業務用で見たことありました。当時のスカイラインに見劣りしないと思いました。
ワシはラムダに乗っとりました。後席に座った友人が『横を見ると世の中が歪んで見える』と言ってました😸
この型のΣとΛはデザインが良かったけど、まさかここまでデザインに拘っていたとは。その甲斐ありましたね。いま見てもカッコイイ。ちなみに徳大寺有恒は飛行機屋が作ったクルマなのに重いと批判していました。
三菱は戦時中の海軍機でよくあったけどエンジンが重くオイル漏れもしがちだったのでよく中島(スバル)製のエンジンに換装されて採用されることが多かった。雷電の例を見るに頑丈さは折り紙付きなんだがその辺り昭和が終わるまでなかなか克服されなかった。
カッコ良さに痺れた初代ギャランΣ!
10年位前まで実家の近所に黄土色?肌色?の明らかに新車からこの車乗ってた人がいた。壊れたのかいつの間にかヴィッツにかわってた🤔うちの母ちゃんの実家ではじいさんがラムダに乗っていたからか、シグマという車をわかってたので「シグマのおやじ」とよんでた😂
事実上三菱グループの役員車専用になってしまったデボネアに代わって事実上三菱の最上級車としてマークⅡやローレル、ルーチェの領域までカバーするため、三菱グループ社員の部課長クラスの自家用車としてスーパーサルーンは必要以上に背伸びしていてそれでも足りなくてロイヤルを出してました。デビュー当時のライバルの中でもデザインがパッとせず機構的にも四独から後輪リーフにされてしまった(MCでコイルリジッドに変更された)ブル810を食うヒット作になりました。三菱らしい低速トルクが強く乗りやすいクルマでした。
ギャランΣは教習車でした。ペーパークラフト(誉め言葉)のようなエッジの立ったボディはかっこよかったです。丸眼4灯は117クーペにも似ていてスタイリッシュですね。
ギャランシグマは大人のハイクラス車に相応しい見た目が良く、警察の覆面パトカー仕様で納入の候補車両でしたが、ラリーアートブランドで後に強化もされましたよね?
子供の私には「ギャランΣ」「ギャランλ」「エテルナΣ」「エテルナλ」の違いが分かるはずもなく、下のランクにも「トレディア」「コルディア」がありましたが、分かった頃にはとっくに販売終了していました。
この後のシグマは国産ターボが初搭載。ターボへ送るオイル配管がストローのように細く、配管が詰まりターボが焼きついた。修理に10万近くかかったけど、今考えるとリコール隠しだったのでは。
僕は、トミカヴィンテージネオの2000スーパーサルーンの2台と2000GSRと1600GLのミニカーを持っています‼️い~や~ギャランΣって、本当にいい車ですね👍🚙
ABCΣ(アコード、ブル、コロナ、シグマ)戦争と言われました。本当にカッコイイセダン。教習車が格目4灯のΣでした。
これに乗っていました。今年60歳になるおじさんより。
バイトに行った先の社長がYCのΛ所有していたけど、たしかにレザー張りのバブリーな内装で社用車のミニキャブのついでに勧められたものと思ったものだw
私の兄も購入しました、時々借りて乗ったことも有り、一般道では快適でしたが、高速道路では加速時に力不足を感じる場面もありましたね!! 燃費も一般道では6km程度、高速でも8km程度でしたね!!ガソリン代も当時レギュラーで160円程度で今と同じくらいでしたね!!
三代目(マイチェン車)のタクシー仕様はなかなか良かったですよ。車内が広く、シートも黒一色ではなくグレーのツートンのビニールレザーを採用するなど、コロナ、ブルーバードのタクシー仕様よりも乗り得でしたね。
京都では昭和40年代の『コルト1500』から 三菱車のタクシーが多かった印象です。『A16○系シグマ』の時代になっても 既に10年落ちだった『コルトギャラン』『ニューギャラン』そしてこの『初代シグマ』の黄緑色のタクシーも走っていました。
田中邦衛/草刈正雄....だったかな。と思ったら、 Σではなくセレステだった(w) λは間違いなかったけど(ってのが判るのは年がいってる人かな) Σは、友人の父親が乗ってましたが、ボディデザインはめちゃくちゃシンプルで、「端正」という言葉が似合う車でした。今では安全性確保のため、無理な逆スラントノーズ、「ほぼ素で飾り気も何も無い」ポジション/ウィンカー周りのデザイン、当時としては(今もかな)ものすごくエッジが効いたフロントフェンダー上部のプレスライン、どれを取っても「飾り気をそぎ落としたデザインなのに、逆にそれが琴線に触れる」ような印象を受けました。多分、今持ってきても普通に通る、美しい車だと思います。
発表展示会に30万人の来場者とは凄いですね😂実は私もその中のひとりです😅 当時、私はハタチそこそこの若者で父親のクルマが買い替え時期だったこともあり、Σのカタログを貰いました😢購入には至りませんでしたが、今でもそのカタログは大切に保管しています。
昔家も父親がシグマの1600SLスーパーに乗っていました。😊名前忘れましたけどカラーも肌色みたいな色でしたね。親戚のあんちゃんがラムダに乗っててどちらもとてもいい車でした。懐かしいですね。😊
後席 シートクッションの後端中央に リクライニングのレバーがあったでしょ?
小さい頃なので詳しい記憶が無いのですが、乗ってた父親に聞いてみようと思います。😊
うちも父親が1600SLに乗ってました。アルミホイールで無くマグネシウムホイールを履いていたが次の車以後使える車が無く処分。
当時でマグホイールは凄いですね。家もメッシュのアルミホイールを付けていた記憶があります。懐かしいです。😊
当時で『マグホイール』といえば『トヨタ2000GT』や『ランボルギーニ・ミウラ』位しか思い浮かびません。どちらのお父様も 本当にクルマ好きだったんですね☺️
名前が良い車です
中2の頃、担任が乗ってました🎉
教習車がコレだった✌️教習車で7連メーターだったのでビックリ‼️
このあとのモデルが教習車やパトカーで平成の初め頃迄使われてました。
車とは関係ないけど『死喰魔』っていうステッカー…が流行りましたね😅
昔は結構タクシーで見かけた。2000年頃までは三菱車がタクシーに使われていた
三菱との取引してるとこは三菱車じゃないと入場出来ないとかあったしやっと買ってもいいかって車が出来たぐらいなんだろうな
この時の4気筒とは思えない程滑らかに回るエンジンだったな…音も振動も吹け上がりも凄かった6気筒か?と思える程しかしやはり効率が落ちるのかロスが多いのか燃費面で不利だったのかサイレントシャフトは廃れてしまったな…
ラムダと言えばターボ、ありましたね、買いたかったなぁ、高嶺の花でしたが(笑)
親戚の人 兄弟車ギャランΣエテルナに乗っていました
高校のギヤランΣのカタログを何回か取り寄せていた
この車、トミーとマツを思い出す
トミマツで使われていたのは、4代目のΣだったけどね。
@@SIRIUSDASH3X2シルバーとブラウンメタの二台で、ギャランとエテルナだったな。
初代は「華麗なる刑事」でメインの二人じゃなく、加納竜と新克利が乗っていた。あと、前番組だった「刑事物語 星空に撃て!」が刑事ドラマでの初出で地井武男や江藤潤が乗っていた。当時のフジテレビ月曜20時枠のメインスポンサーが三菱自動車だったからね…。
@@マキノツヨシナゴヤ 後番組の「秘密の刑事ちゃん」にもそのままスライドで使われていた。
シグマ、ラムダともにスタイリッシュでそれまでの三菱とはまったく違った雰囲気でした。
後にディアマンテにフルチェンジでした。
今見ても端正なデザインで良いですね。当時の「あるある」でしたが、なんでモデルチェンジで劣化させちゃうんだろう、もっと丁寧にマイナーチェンジしろよって当時は思ってました。
公式には言われなかったけどランサーEXと同じイタリアのセッサーノなるデザイナーが手掛けてたようですね。
Σは篠田三郎の顔と似ているハンサム顔なんて思っていた幼少期
マイナー後のS54年式SuperSaloonが当時我が家の愛車でした。フローリアンも良かったが、∑も格好良かったです。でも、子供の目にはΛのほうがずっと.....草刈正雄も好きだったしw
会社の代車で、1850のSLに乗っていました🚙‼️当時としては、パワステは、ついていないし、5速ミッションで、重たかったなぁという印象を覚えています
懐かしい
マイナーチェンジで格好悪くなるのは、日本車の、性(さが)なのでしょうか?初期型のGSRが至高です。……「三代目」と言われると、ギャランとしてはそうなんですが、初代Σと呼びたい。
2代目ギャランはタクシーのイメージしかない…
同級生の兄ちゃんがシグマに乗ってた。かっちょよかったです。(・ω・`)
これから一気にFTOやGTOと考えると…
ラムダ好きだったなぁ。まともなプラモがないからハセガワに期待しよう。
Σのプラモも出ないかな?かなり昔はあったけど。
いま、三菱のディーラー自体、激減しているし、GDIの失敗作とか、敢えて三菱を選ぶ理由がない。
同級生がそろそろみんなクルマに乗り始めた頃、ちょっちアホな子のツレが最初に乗ったのがコレ高校時代「シグマって太いタイヤ履けるってさ」(つーても205くらいよ) で、買ったと思われる。 当時、ホイルはスピードスターとかじゃないと変なサイズも買えなくて、しかも当局の取り締まりであった「車検通らない=違法=故障車」(スピードスターが当時車検取れなかった) のでビビリなヤツはシグマ乗ってる間中 ホイルもタイヤも純正ホイル 純正サイズのタイヤであった。個人的には加工鉄チンが似合うクルマだね。o/h!My街道レーサー御用達
ギャランΣとΛを出した頃の三菱はイケイケだった
当時の三菱はイケイケで、格好いい車を出してました。ΣとΛにエテルナバージョンと多岐に渡り、モデル展開してたなぁ。
1977年放送開始の三本和彦氏司会の新車情報の第1回目に取り上げたのが「ギャラン∑1600SLスーパー」でした。
親父が乗ってた。
ガキの頃はなんとも思って無かったけど、いま改めて見ると男くさい中々カッコいいデザインの車だった事に気づいた😊
泣きそう。父との思い出の車。
1976年の春にこのシグマとホンダ初代アコードがデビューし、どちらもそれまでの日本のミドルクラスのイメージを払拭してて、当時小学生だった自分も「どっちも欲しい!」と思ったものでした。
6:55
これはGSRではありません。おそらく1600か1850のSLではないでしょうか。GSRはフロントのエアダムスカートにGSRの反転ロゴプリントが付き、フェンダーミラーはリモコン(やや角張ったタルボ型筐体にメッキの縁が付加されてるのが外観上の特徴)式。角目4灯にフェイスリフトする一つ前のマイナーチェンジ時に消滅しますが、かなり時代にそぐわない仕様だった。ツインキャブだが、それほどパワーはないのに加えて有鉛ハイオク指定でマニュアルチョークでした。トヨタや日産なら電子燃料噴射で面目上でもスペックを保ったでしょうが、三菱はかなり遅くまで(電子制御まで取り入れて)キャブレター式に固執していました。ディーゼルエンジンの開発ノウハウがあるのでインジェクションなど容易いと思うけど、各事業所間の対抗意識が強く残って頼ることが出来なかったのかもしれないですね…。
私が幼少期に親がシグマでは無くラムダに乗ってました。ラムダにした理由は走行中私が間違えて後部座席ドアを開けられないよう予防する為敢えて2ドアのラムダにした理由だったと言ってましたが、
特に母がラムダのデザインに一目惚れ
したのもあったようです。
私も物心ついたときラムダの他にシグマの存在を知りシグマもカッコイイと思いながらラムダの助手席、後部座席に乗せていろいろ連れて行ってもらってました。ラムダは私が免許取る前に親が買い替えで手放しましたが、今では忘れられない車です。
当時の親御さんはそういう考え持った方少なくなかったね。私も子どもながら窮屈に思いましたよ。
三代目ギャランシグマ好きでした。当時は高校生になったばかりで通学途中の隣町に三菱の販売店があってそこにこの車が展示されていた。スーパーカーブームもあり多少車に興味が出てきた頃にスタイリッシュなデザインの車が出て一目惚れ。特に逆スラントノーズの顔が好きでした。ところがマイナーチェンジ後に逆スラントノーズでなくなって見た目も若くて挑戦的な顔つきからマイルド?ラグジュアリー?な感じに変わってしまい拍子抜け。ボディデザインは好きだけどなんだかオジサン車になったように見えてしまい...
これも『セッサーノ(の影響を受けた)デザイン』で大ヒットしましたね。
『エステートバン』も中々スタイリッシュで 2000ccの上級モデルをワゴン代わりに購入するユーザーも多くいたそう。
(そして当時は 排ガス規制の緩いバンの方が 馬力があった。)
面白いオプションでは 狩猟などでトランクに大型犬を乗せた時に ワンちゃんが不安にならないよう ボディとトランクリッドの間に咬ませる 高さ15cm程度の『鉄格子状のスペーサー』が用意されていました。
(暗いトランクに閉じ込められたワンちゃんが テールランプ配線を噛み切って 大事故になった事例があった為。)
父がΛに乗っていましたが、∑も含めカッコいい車だと思っていました。4代目も好きでしたが確かに地味でしたね。「惚れ惚れシグマ」ことFFシグマは、シンプルすぎて高級感がないと言われていましたが、私は好きでしたし、「インディビジュアル4ドア」の6代目モデルなんて、今でも傑作デザインだと考えています。要は三菱車のデザインは好きなモデルが多いんですよね。
そしてディアマンテが登場し3ナンバー車の革命を起こしました。
シグマはそこら中を走っていましたが、2代目ギャランはまさに今初めて見る車という印象です。
本当に売れない車だったのでしょうね。
3代目初期型はフロントライト周りが初代セリカ似ている。
売れるのも納得。
このギャランΣは、いつ見てもカッコいいです。トミカダンディにもありました。Cm では、走行シーンやベンツとBMW とハンドルやシートの比べたCm でした。ただし、全て森山周一郎のナレーションでした。また、森山周一郎本人も出演していました。ドラマでは、華麗なる刑事でパトカー🚓に出演していました。破壊シーンでは、ゴリラ警視庁捜査第8班で、博多ロケで、2代目後期型カリーナハードトップとミサイルにやられていました。
縮尺差(1/45と1/40)はあったけど、ダイヤペットもあった。販売促進のため情報提供を積極的に行なったのか、どちらもディテールに優れたミニカーでした。ダンディは2000GSRを、ダイヤペットは2000のベースグレードだったGLXを製品化していましたね。
サイレントシャフトはのちにポルシェが特許を買って944に搭載したほど、優れた発明。
特許が切れた後に他社から出たバランスシャフト付きというエンジンは、実質的にはサイレントシャフトのこと。
2代目は全く記憶に残っていませんが、Σが登場したときは各自動車雑誌が積極的に取り上げていたように記憶しています。
BMW2002ターボやポルシェ930ターボなどでフロントスポイラーの役目の認知度も上がった時期で、Σの特集ではエアダムの解説なども載っていました。
当時三菱では直66G34と直44G52を上皿天秤に載せて「何故 三菱は4気筒に拘るのか?それは 4気筒のほうが軽いからです。」と云うCMを流していましたね。
ラムダは友達の親のクルマでした。Cピラーにウインカー着いてました。リヤガラスがサイドまでラウンドしていて解放感あった記憶ある😊
4ドアはタクシーで使われてましたね。バンは業務用で見たことありました。
当時のスカイラインに見劣りしないと思いました。
ワシはラムダに乗っとりました。後席に座った友人が『横を見ると世の中が歪んで見える』と言ってました😸
この型のΣとΛはデザインが良かったけど、まさかここまでデザインに拘っていたとは。その甲斐ありましたね。いま見てもカッコイイ。
ちなみに徳大寺有恒は飛行機屋が作ったクルマなのに重いと批判していました。
三菱は戦時中の海軍機でよくあったけどエンジンが重くオイル漏れもしがちだったのでよく中島(スバル)製のエンジンに換装されて採用されることが多かった。
雷電の例を見るに頑丈さは折り紙付きなんだがその辺り昭和が終わるまでなかなか克服されなかった。
カッコ良さに痺れた初代ギャランΣ!
10年位前まで実家の近所に黄土色?肌色?の明らかに新車からこの車乗ってた人がいた。
壊れたのかいつの間にかヴィッツにかわってた🤔
うちの母ちゃんの実家ではじいさんがラムダに乗っていたからか、シグマという車をわかってたので「シグマのおやじ」とよんでた😂
事実上三菱グループの役員車専用になってしまったデボネアに代わって事実上三菱の最上級車としてマークⅡやローレル、ルーチェの領域までカバーするため、三菱グループ社員の部課長クラスの自家用車としてスーパーサルーンは必要以上に背伸びしていてそれでも足りなくてロイヤルを出してました。デビュー当時のライバルの中でもデザインがパッとせず機構的にも四独から後輪リーフにされてしまった(MCでコイルリジッドに変更された)ブル810を食うヒット作になりました。三菱らしい低速トルクが強く乗りやすいクルマでした。
ギャランΣは教習車でした。ペーパークラフト(誉め言葉)のようなエッジの立ったボディはかっこよかったです。丸眼4灯は117クーペにも似ていてスタイリッシュですね。
ギャランシグマは大人のハイクラス車に相応しい見た目が良く、警察の覆面パトカー仕様で納入の候補車両でしたが、ラリーアートブランドで後に強化もされましたよね?
子供の私には「ギャランΣ」「ギャランλ」「エテルナΣ」「エテルナλ」の違いが分かるはずもなく、下のランクにも「トレディア」「コルディア」がありましたが、分かった頃にはとっくに販売終了していました。
この後のシグマは国産ターボが初搭載。ターボへ送るオイル配管がストローのように細く、配管が詰まりターボが焼きついた。修理に10万近くかかったけど、今考えるとリコール隠しだったのでは。
僕は、トミカヴィンテージネオの2000スーパーサルーンの2台と2000GSRと1600GLのミニカーを持っています‼️い~や~ギャランΣって、本当にいい車ですね👍🚙
ABCΣ(アコード、ブル、コロナ、シグマ)戦争と言われました。本当にカッコイイセダン。教習車が格目4灯のΣでした。
これに乗っていました。今年60歳になるおじさんより。
バイトに行った先の社長がYCのΛ所有していたけど、たしかにレザー張りのバブリーな内装で社用車のミニキャブのついでに勧められたものと思ったものだw
私の兄も購入しました、時々借りて乗ったことも有り、一般道では快適でしたが、高速道路では加速時に力不足を感じる場面もありましたね!! 燃費も一般道では6km程度、高速でも8km程度でしたね!!ガソリン代も当時レギュラーで160円程度で今と同じくらいでしたね!!
三代目(マイチェン車)のタクシー仕様はなかなか良かったですよ。
車内が広く、シートも黒一色ではなくグレーのツートンのビニールレザーを採用するなど、コロナ、ブルーバードのタクシー仕様よりも乗り得でしたね。
京都では昭和40年代の『コルト1500』から 三菱車のタクシーが多かった印象です。『A16○系シグマ』の時代になっても 既に10年落ちだった『コルトギャラン』『ニューギャラン』そしてこの『初代シグマ』の黄緑色のタクシーも走っていました。
田中邦衛/草刈正雄....だったかな。と思ったら、 Σではなくセレステだった(w) λは間違いなかったけど(ってのが判るのは年がいってる人かな)
Σは、友人の父親が乗ってましたが、ボディデザインはめちゃくちゃシンプルで、「端正」という言葉が似合う車でした。
今では安全性確保のため、無理な逆スラントノーズ、「ほぼ素で飾り気も何も無い」ポジション/ウィンカー周りのデザイン、当時としては(今もかな)ものすごくエッジが効いたフロントフェンダー上部のプレスライン、どれを取っても「飾り気をそぎ落としたデザインなのに、逆にそれが琴線に触れる」ような印象を受けました。
多分、今持ってきても普通に通る、美しい車だと思います。
発表展示会に30万人の来場者とは凄いですね😂実は私もその中のひとりです😅 当時、私はハタチそこそこの若者で父親のクルマが買い替え時期だったこともあり、Σのカタログを貰いました😢購入には至りませんでしたが、今でもそのカタログは大切に保管しています。
昔家も父親がシグマの1600SLスーパーに乗っていました。😊名前忘れましたけどカラーも肌色みたいな色でしたね。親戚のあんちゃんがラムダに乗っててどちらもとてもいい車でした。懐かしいですね。😊
後席 シートクッションの後端中央に リクライニングのレバーがあったでしょ?
小さい頃なので詳しい記憶が無いのですが、乗ってた父親に聞いてみようと思います。😊
うちも父親が1600SLに乗ってました。アルミホイールで無くマグネシウムホイールを履いていたが次の車以後使える車が無く処分。
当時でマグホイールは凄いですね。家もメッシュのアルミホイールを付けていた記憶があります。懐かしいです。😊
当時で『マグホイール』といえば『トヨタ2000GT』や『ランボルギーニ・ミウラ』位しか思い浮かびません。
どちらのお父様も 本当にクルマ好きだったんですね☺️
名前が良い車です
中2の頃、担任が乗ってました🎉
教習車がコレだった✌️
教習車で7連メーターだったのでビックリ‼️
このあとのモデルが教習車やパトカーで平成の初め頃迄使われてました。
車とは関係ないけど『死喰魔』っていうステッカー…が流行りましたね😅
昔は結構タクシーで見かけた。2000年頃までは三菱車がタクシーに使われていた
三菱との取引してるとこは三菱車じゃないと入場出来ないとかあったし
やっと買ってもいいかって車が出来たぐらいなんだろうな
この時の4気筒とは思えない程滑らかに回るエンジンだったな…
音も振動も吹け上がりも凄かった
6気筒か?と思える程
しかしやはり効率が落ちるのかロスが多いのか
燃費面で不利だったのか
サイレントシャフトは廃れてしまったな…
ラムダと言えばターボ、ありましたね、買いたかったなぁ、高嶺の花でしたが(笑)
親戚の人 兄弟車ギャランΣエテルナに
乗っていました
高校のギヤランΣのカタログを何回か取り寄せていた
この車、トミーとマツを思い出す
トミマツで使われていたのは、4代目のΣだったけどね。
@@SIRIUSDASH3X2
シルバーとブラウンメタの二台で、ギャランとエテルナだったな。
初代は「華麗なる刑事」でメインの二人じゃなく、加納竜と新克利が乗っていた。あと、前番組だった「刑事物語 星空に撃て!」が刑事ドラマでの初出で地井武男や江藤潤が乗っていた。当時のフジテレビ月曜20時枠のメインスポンサーが三菱自動車だったからね…。
@@マキノツヨシナゴヤ 後番組の「秘密の刑事ちゃん」にもそのままスライドで使われていた。
シグマ、ラムダともにスタイリッシュで
それまでの三菱とはまったく違った雰囲気でした。
後にディアマンテにフルチェンジでした。
今見ても端正なデザインで良いですね。
当時の「あるある」でしたが、なんでモデルチェンジで劣化させちゃうんだろう、もっと丁寧にマイナーチェンジしろよって当時は思ってました。
公式には言われなかったけどランサーEXと同じイタリアのセッサーノなるデザイナーが手掛けてたようですね。
Σは篠田三郎の顔と似ているハンサム顔
なんて思っていた幼少期
マイナー後のS54年式SuperSaloonが当時我が家の愛車でした。
フローリアンも良かったが、∑も格好良かったです。
でも、子供の目にはΛのほうがずっと.....草刈正雄も好きだったしw
会社の代車で、1850のSLに乗っていました🚙‼️当時としては、パワステは、ついていないし、5速ミッションで、重たかったなぁという印象を覚えています
懐かしい
マイナーチェンジで格好悪くなるのは、
日本車の、性(さが)なのでしょうか?
初期型のGSRが至高です。
……「三代目」と言われると、ギャランとしてはそうなんですが、
初代Σと呼びたい。
2代目ギャランはタクシーのイメージしかない…
同級生の兄ちゃんがシグマに乗ってた。かっちょよかったです。(・ω・`)
これから一気にFTOやGTOと考えると…
ラムダ好きだったなぁ。まともなプラモがないからハセガワに期待しよう。
Σのプラモも出ないかな?かなり昔はあったけど。
いま、三菱のディーラー自体、激減しているし、GDIの失敗作とか、敢えて三菱を選ぶ理由がない。
同級生がそろそろみんなクルマに乗り始めた頃、ちょっちアホな子のツレが最初に乗ったのがコレ
高校時代「シグマって太いタイヤ履けるってさ」(つーても205くらいよ) で、買ったと思われる。 当時、ホイルはスピードスターとかじゃないと
変なサイズも買えなくて、しかも当局の取り締まりであった「車検通らない=違法=故障車」(スピードスターが当時車検取れなかった) のでビビリな
ヤツはシグマ乗ってる間中 ホイルもタイヤも純正ホイル 純正サイズのタイヤであった。個人的には加工鉄チンが似合うクルマだね。o/h!My街道レーサー御用達