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チャン登録者です。EH10が引くコキやク5000をリアルで見てました。今55歳ですが当時5歳の頃です✨映像内の写真も大変貴重な物ですね。ありがとうございます🌈
冒頭で『2代目ギャラン』『初代セリカクーペ』『初代サニークーペ』の写真を使うところは憎いですね😊宮脇俊三先生が『時刻表二万キロ』の中で (多分)この貨車に積まれたクルマを見て「鉄道に運んでもらって しまいには鉄道のライバルになるのだからちゃっかりしている。」と書いていましたがそんな『車運車も』国鉄末期の頃 どこかの駅で大量に錆びついた状態で放置されているのを見た時は なんだか悲しくなりました。後の『ピギーバック輸送貨車』もそうですが クルマを載せる貨車は長続きしませんね。
後にコキ71(カーラック)が登場したが、ミニバンやSUVなどの大型化に対応できずに引退している。
カーラックコンテナは伯備線貨物でしか見かけなかったって本当ですか?
笠寺駅に何年も放置されていましたが数年前に解体されてしまいました。
モータリゼーションでの車の普及を陰で支えた隠れた迷車ですね因みにヨーロッパでこのタイプの貨車は今でも現役ですよ
ク5000の専用貨物列車は通過時のジョイント音が違うんだよ😆重みのある通過音が・・・クゥーッたまらん!今も思い出しますよ🎉懐かしいなぁ😍
現在のJR中央線東小金井駅がまだ地上駅だった随分前。廃止された貨物ヤード跡に用途を無くしたク5000が大量に留置。中央線の車内から毎日目にした光景は、かつて隆盛を極めた自動車運搬列車の衰退を嫌でも実感する光景でした。
制輪子の粉が新車のボディに刺さりまくって納車前の洗浄が大変だったとか…
相模線の側線に放置されてたなぁ。
面白い貨車だなぁ。KATOからNゲージで、出ています。
少なくとも40年くらい前には、TOMIXからも出ていましたね。
去年から今年にかけてヤフオクからtomix版/河合商会版ク5000を集めてます。比較的状態が良い物を気長に集めて14両あります。比較的コケやすい貨車ゆえ前から重い順に組成するのが必須です。このtomix版ク5000は1976年トミーナインスケール→1977年tomixとブランド名を変えて売られてました。これはケーダー社に委託した香港製品群の1つでした。なおtomixブランドでの香港製造物は1986年にまとめて生産打ち切り後、これらの金型は河合商会→ポポンデッタと引き継がれだものの、おそらく2010年あたりにポポンで製造されたのが最後になったとは思います。ただし当方は正確に把握してません。なおトミーナインスケール→tomix前期仕様は台車が挿し込みピン留め、台車枠の上面に床板のピン受けが載るため少し腰が高いのです。それゆえ些か安定性が悪いです。当時から台車直上のウェイト板を撤去し、挿し込みピンとその受けを2ミリほど詰め腰を落とすのが定番工作だったと聞きます。今さらになってこれを施工しました。tomix後期仕様→河合商会→ポポンデッタは台車がネジ留めとなり、台車枠の形状変更により前期仕様より2ミリほど腰が落とせてます。よって先述の加工は不要でした。赤い枠状の車体と上段床板は一体成型、下段床板は別パーツで嵌め込まれてます。ただしこれらのバリや微妙な歪みにより下段床板が車体にきっちり嵌まっておらず、台車枠のカプラーポケットと床板が擦れて台車の首振りに差し支え脱線起こすことがありました。先述の腰を落とす加工のついでに車体への床板嵌まり具合を確認し、床板が嵌まり切っていない場合は床板または車体を微妙に削って収まりを良くするよう調整しました。積み荷はKATOクラウンとシート装着仕様の車(カローラ?)を載せてます。長々とヲタ語りで申し訳ない……
プラレールにもあったような・・・ 数年前に復活したらトミカが載ってるという
KATO製は手すりが脆弱ですぐ折れてましたTOMIX製は手すりが太めだった分見栄えが劣りました
@@AlcoholBoatraceCarpDining さまただまあ……両社ともプラ製ゆえ年数が経つほど劣化し折れやすくなる可能性はありますね。
昭和40年代相模線でDD13がこれの長い編成を引っ張ってたのを思い出す。あれはかつての高度成長をとげた日本の勇姿だったのであろうもう貨物編成もありきたりなコンテナ編成しかみれなくなった。
皮肉なことに、現在の日本ではトラック運転手の不足や二酸化炭素の排出削減で、鉄道や船舶での輸送がまた見直される時代が来ています。(少年だった頃、川西池田駅外れに留置されていたク5000をよく見に行っていました。)
色々発着側の整備が必要ですが、トラックドライバー不足が深刻になると復活しそう。三菱自動車は一部地域向けに今でも軽自動車をコンテナに入れて貨物列車で運んでるよね。
ギリギリ12FTコンテナに入るんですよね
ちなみに最近になってリアルクラス以外のプラレールでそれも新規金型で発売された珍しい国鉄型車両でもあるおまけに機関車は旧メカ
今は軽自動車をコンテナに乗っけてなんてのをWEBニュースでみた事があります。
かつてカートレインというのがありましたね、車はパレット車に積み、客は寝台車に乗車させてましたね
カートレインはワキとか「有蓋貨車」にパレットの上に乗用車を載せてフォークリフトで積み込むスタイルが主だったと思います。仰られる様な専用の車運車+寝台車のパターンの列車はドイツとかであったと思われます。寝台車はクシェット(日本で言うB寝台に相当)のみです。欧州型鉄道模型からの情報ですが。
@@坂田庄司-g6n アムトラックがワシントンDCとフロリダ間でニュー・オート・トレインっていうサービスやってます。大都市からリゾート地までクルマを持っていってバカンス先で利用って感じでしょうか?
一応、車を運ぶということでカートレインにも利用されましたが、最高速度が時速65㎞なので客車との併結運用がむずかしかったというのがありましたな結局、時速100㎞に対応したワキ10000形が流用されることとなったそうな
宇都宮貨物ターミナルに専用の自連付き積載地上スロープと上段に乗せるスロープの移動用ワイヤーリールがまだ残ってます。積載時にパンクする事が度々あったそうです。
那珂川清流鉄道保存会に見に行ったことあります。てっぱくみたいに立派なものではなく半分放置みたいな状態ですが、それでも実物が見られるのは貴重です。
たまにキャリアカーの事故をニュースで聞くたびいろいろ思うところが出てきます。
何時も、中央線東小金井駅に留置されていましたね!TR63台車の、ガチャンガチャンというジョイント音を思い出します。
中央線東小金井に貨物ターミナルがあり、日産車をコレに積み込んでいました。アイデアは良かったと思いますが😭
職員が必要以上にストライキしたから、鉄道は見捨てられたんだよね。
外国の車両の落書きみたいに給料上げろとか書いてましたね。
当時の岡多線にトヨタ車積出の専用駅を作ったけど、ストが多くて納車の期日が守れないとして逃げられました。
子供の時、貨物と言えばク型でした。平野駅でよく見ました。貨物の次の駅が百済駅だったので。何連かは子供の時でしたので覚えてませんが、模型で5連+ヨで走らせて昔を思い出してます。
確か水島臨海鉄道からJR貨物経由でコンテナを利用して三菱自動車、日産自動車の軽自動車を輸送していたと記憶しています。
御殿場線でも岩波にある関東自動車東富士工場からのトヨタ車輸送の列車が走っていました。DE11+ク5000×8車+(たまにカバー返却用らしきワム1車)+ヨの編成で御殿場線の25パーミル勾配を上がっていく姿は今でも脳裏に残っています。
その工場に勤めていた者です。鉄道輸送終了後には下土狩駅構内などに留置されていて寂しそうにしていたのを覚えています。今ではその自動車工場も無くなってしまいましたね。
大好きな貨車。小学生の頃、ホームで待っていると車運車の返空が目の前に停車。ちょっとだけでいいから乗ってみたいなと思ったけど動き出すかもしれないから止めたのが懐かしい。
中央線東小金井駅で自動車輸送をやってたが輸送が船舶に切り替わって廃止された。高架化前は改札出て北側へ長い橋あったし。高架化工事の際は敷地確保が早かったような。
防汚カバーはパンタグラフと架線の摩擦で発生する鉄粉から積み荷を守るのに非常に重要当初は積載全車にカバーを付けていたが、カバー付け外しおよび空車時のカバーの収納(車体床下に収納ボックスがある)作業が非常に手間だったため、だんだん省かれてきた(破損すると高いし)動画内でも機関車の次位の積載車にだけカバーが付けられているのがわかると思うまた、自動車はああ見えて非常に軽い(鉄とはいえ中身がほぼ空洞なので当たり前)ので、20m級の大型車体でも積載重量記号なしの「ク」平成一桁に関東圏で日産が使ってた最終期でも、積み荷はR32スカイラインやR31ローレルクラスなので1台当たり1.5トンも無いつまり8台満載しても10~12トンコメ満載のワキや石油満載のタキはいうに及ばず、ロール紙15トン積んでるワム80000より荷重は3トン以上も軽いだから動画内みたいに「(積み荷が)重い~」なんてことはない(ただしク5000は自重が22トンもあるので積車換算3.5になる)で、自動車はその「軽いのにかさばる」せいで運賃設定が難問だった(一般貨物と同様にすると運賃がめちゃめちゃ安くなる)貨車を新造してまで顧客を取り込もうと努力したのに、重量換算で運賃が安くては元が取れないそれでいて帰路は100%空車の文字通りお荷物仕方ないので割高運賃を設定したが、もちろんそれでは荷主が不満を抱き、最終的に荷主離れの原因にもなったたしか自走積み込みのため必然的にガソリンも大量に(といっても1台5リットル程度だけど)積むことになり、積載時は青函トンネル通過禁止だったはず
訂正:R31ローレル→C33ローレル
私も「重い〜」が気になりました。キャリアトレーラーも1軸だし、サイズの割に軽いのが自動車ですね。
未だに鉄道模型で人気ある。クラウンミニチュア車つき
昭和50年代相武台下駅に長い間留置していたと記憶しています 座間に日産の工場があったからなのかなぁ
カートレインやモトトレイン、復活して欲しいですね。😢
ドイツのライン河岸にて、片側の岸を優等旅客列車が走り、反対側を貨物列車が走っていた。その時あちらのク5000形タイプが長大編成で仕立てられ、目一杯積載した自動車がピカピカに見えた。自動車の貨物輸送は勿論、「カートレイン」には車運車+クシェット(簡易寝台=日本のB寝台に相当)というのも珍しく無かったとの事。1990年代後半の話ですが。
根岸線沿線なんでたまに見ましたね。あれが今にして思えは日本で最後の運用だったんだなぁ
軽自動車ならいまも5tコンテナで輸送していますね
ク9000は横須賀線の横須賀駅でよく見た。ク9000への自動車の積み込み設備もあった。江ノ電を撮影に行ったとき、江ノ電の鎌倉駅から旧型機関車に牽引されたク9000の編成も撮影出来ました。横須賀線には貨物列車の運用はなく、今の江ノ電の鎌倉駅から撮影が出来ない光景になってしまいました
私の頃は既に車輸送は終わっていたらしく、横須賀駅にクがずっと留置されてて、ある日突然いなくなってました出ていくところを見たかったと今でも思います
北伊丹からのダイハツの出荷の写真ではフェローが横並びで載せれてたな…
ク5000の台枠がJR九州の西小倉駅に使用されていて。見上げればそれとなく確認出来ます。
日産が最後まで使っていたような…今だと背の高いのが多いから2段積みは厳しいかも
この貨車でオーナーの元にいき、乗ったあとに草ヒロとかになった車も中にはいるんだろうな。
昭和50年代、浜松付近の東海道新幹線の車窓からク5000の積み込み施設あった貨物駅を見た記憶がある。多分はスズキのクルマの出荷用だったんだろうか?
西浜松貨物駅のこの場所は当時スズキ車の積み込みを行う施設でした。貨物輸送廃止直後は、廃車になったEF18が留置されていて、国鉄貨車の展示販売所となって、現在は大型パチンコ店の敷地となっています。
現在でも水島タ→新潟タには軽自動車をコンテナに入れて輸送しているとか
児童向けの絵本には載ってたけど実際に見た記憶の無い車両。田舎に来るわけないから当然か。今思えば積み下ろしが面倒なのは構造的に理解しました。車運トレーラーは道路に下ろせるから良いけど鉄道だとそうはイカンよね。現状で実現するなら箱付き車体の中にパレット収納型しかない気がする。
なるほど、これは一概に言えませんが自動車🚗輸送はトラック兼トレーラー,船舶が主流(遠隔地及び海外)となり自動車の鉄道輸送はいつの間にか消えてしまったんですね
自動車の歴史書籍には、高い確率で紹介される、鉄道車輌..😅
まぁ、ヨーロッパにも似たような乗用車運搬車があったので…。っていうか、この車両が宇都宮貨物ターミナルで、日産自動車の車両を運んでいたのが、懐かしいです😢。
唯一現存する那珂川清流鉄道保存会の1両って確か元々宇都宮貨物ターミナル駅の新幹線高架下に保存されてた車両だった気がします。
2段式を1段にしてトレーラーやトラックを積載できる様にしたら津軽海峡がシケで函館-青森間のフェリーが欠航した時に客車と連結して青函トンネルを夜間走行したら運輸業界の役に立ちそう。あとJR貨物とJR北海道、JR東日本、道南いさりび鉄道の収益にも少しは貢献できるかも?
昔、西浜松駅に車の積み卸しが出来る施設があったんよ~コンテナヤードの新幹線をまたいだ側でなんだけどね今はどーだか解らないけど~跡地はパチ屋になったんだけどね~高塚駅の駅寄りの留置線にこの貨車が置いてあったな~まあ~鈴木がメインでやってたけど~どこえ持って行ったのか不思議だわ~
五トンコンテナに軽自動車を入れて運んでいます
ある自動車メーカーは、コンテナで運んでるらしい。
今の背の高い車だと、輸送コストが嵩みそう。メキシコで生産された車は、鉄道でアメリカに輸送しているそうなので、国情に依るのでしょうね。
まあ、これはあまり知られていませんが、実は一般的な自動車の左右のタイヤの中心から図った幅は、鉄道の標準軌と同じ1435㎜になっていますこれは自動車も馬車から発展していったので、鉄道の軌間と同じ幅になっています標準軌の鉄道では移動する距離と台数のの関係から自動車の鉄道輸送が主流ですが、日本だと距離が近く少数なのでトラックに積んだほうが早いということになります
トミーのスーパーレールでこの貨車持ってたなあ。トミカがジャストサイズ。
最後の動画、浦和駅で撮られたんですか?私の地元なのでわかってしまいました…
改めて鉄道による自動車輸送があるとしても、こんなオープントレーラーみたいな貨車が使われることはなく、有蓋車の中に積み込むスタイルになるだろうね。
船での輸出入だと自動車運搬船じゃなくて海上コンテナに詰めて運ぶ事があるので鉄道で再びやるなら鉄道貨物の多くがコンテナで運ばれてる現在の状況だと多分専用貨車は作らずに以前あったカーラックコンテナをまた利用するか船と同じで海上コンテナに入れて運ぶと思いますよ
最近では日産が、U41Aコンテナを使って自動車を運んでいたようです。結局コンテナのほうが自由度が高い気がします。
スーパーハイトワゴンは高さ制限で運べないね。
国鉄貨車で1番好き赤1色ならなお良し北米で今も走ってる車運貨車は2段だが有蓋のため眺める楽しみはない有蓋のため汚損の心配はないが
水島臨海鉄道の栄町操車場でよく見た。
ちなみに鉄道に関わる自動車運搬の面白い話があります。それが見られたのは愛知県の国鉄岡多線…現在は瀬戸市などが高蔵寺までの延伸を行い、第三セクター愛知環状鉄道として運用している路線です。この路線の北野桝塚(きたのますづか)駅周辺には三菱自動車岡崎工場や、トヨタ自動車上郷工場があり、ここからも当然自動車輸送が行われていました。つまり…国鉄、三菱自動車、トヨタ自動車という犬猿の仲としか言いようがない3つの会社が仲良く同じ線路の上をゆくという珍風景が見れた訳です。当時の国鉄運転士は何を思ったのやら…
この貨車のプラレール持ってた
一般車とトラック積込可能で時速200キロ対応の貨車作って、青函トンネルでカートレイン走らせれば面白いのに。
ク5000は外国のを参考だったんだな日本オリジナルじゃなくてな
ああ、車運車よどこへ。
結果論ですが、旅客を自家用車に奪われる幇助をしてしまった “苦5000” …😅
山田君、座布団3枚上げなさい😂
チャン登録者です。
EH10が引くコキやク5000をリアルで見てました。今55歳ですが当時5歳の頃です✨映像内の写真も大変貴重な物ですね。ありがとうございます🌈
冒頭で『2代目ギャラン』『初代セリカクーペ』『初代サニークーペ』の写真を使うところは憎いですね😊
宮脇俊三先生が『時刻表二万キロ』の中で (多分)この貨車に積まれたクルマを見て「鉄道に運んでもらって しまいには鉄道のライバルになるのだからちゃっかりしている。」と書いていましたが
そんな『車運車も』国鉄末期の頃 どこかの駅で大量に錆びついた状態で放置されているのを見た時は なんだか悲しくなりました。
後の『ピギーバック輸送貨車』もそうですが クルマを載せる貨車は長続きしませんね。
後にコキ71(カーラック)が登場したが、ミニバンやSUVなどの大型化に対応できずに引退している。
カーラックコンテナは伯備線貨物でしか見かけなかったって本当ですか?
笠寺駅に何年も放置されていましたが数年前に解体されてしまいました。
モータリゼーションでの車の普及を陰で支えた隠れた迷車ですね
因みにヨーロッパでこのタイプの貨車は今でも現役ですよ
ク5000の専用貨物列車は通過時のジョイント音が違うんだよ😆重みのある通過音が・・・クゥーッたまらん!今も思い出しますよ🎉懐かしいなぁ😍
現在のJR中央線東小金井駅がまだ地上駅
だった随分前。
廃止された貨物ヤード跡に用途を無くした
ク5000が大量に留置。
中央線の車内から毎日目にした光景は、かつて隆盛を極めた自動車運搬列車の衰退を嫌でも実感する光景でした。
制輪子の粉が新車のボディに刺さりまくって納車前の洗浄が大変だったとか…
相模線の側線に放置されてたなぁ。
面白い貨車だなぁ。
KATOからNゲージで、出ています。
少なくとも40年くらい前には、TOMIXからも出ていましたね。
去年から今年にかけてヤフオクからtomix版/河合商会版ク5000を集めてます。比較的状態が良い物を気長に集めて14両あります。比較的コケやすい貨車ゆえ前から重い順に組成するのが必須です。
このtomix版ク5000は1976年トミーナインスケール→1977年tomixとブランド名を変えて売られてました。これはケーダー社に委託した香港製品群の1つでした。
なおtomixブランドでの香港製造物は1986年にまとめて生産打ち切り後、これらの金型は河合商会→ポポンデッタと引き継がれだものの、おそらく2010年あたりにポポンで製造されたのが最後になったとは思います。ただし当方は正確に把握してません。
なおトミーナインスケール→tomix前期仕様は台車が挿し込みピン留め、台車枠の上面に床板のピン受けが載るため少し腰が高いのです。それゆえ些か安定性が悪いです。当時から台車直上のウェイト板を撤去し、挿し込みピンとその受けを2ミリほど詰め腰を落とすのが定番工作だったと聞きます。今さらになってこれを施工しました。
tomix後期仕様→河合商会→ポポンデッタは台車がネジ留めとなり、台車枠の形状変更により前期仕様より2ミリほど腰が落とせてます。よって先述の加工は不要でした。
赤い枠状の車体と上段床板は一体成型、下段床板は別パーツで嵌め込まれてます。ただしこれらのバリや微妙な歪みにより下段床板が車体にきっちり嵌まっておらず、台車枠のカプラーポケットと床板が擦れて台車の首振りに差し支え脱線起こすことがありました。
先述の腰を落とす加工のついでに車体への床板嵌まり具合を確認し、床板が嵌まり切っていない場合は床板または車体を微妙に削って収まりを良くするよう調整しました。積み荷はKATOクラウンとシート装着仕様の車(カローラ?)を載せてます。
長々とヲタ語りで申し訳ない……
プラレールにもあったような・・・ 数年前に復活したらトミカが載ってるという
KATO製は手すりが脆弱ですぐ折れてました
TOMIX製は手すりが太めだった分見栄えが劣りました
@@AlcoholBoatraceCarpDining さま
ただまあ……両社ともプラ製ゆえ年数が経つほど劣化し折れやすくなる可能性はありますね。
昭和40年代相模線でDD13がこれの長い編成を引っ張ってたのを
思い出す。あれはかつての高度成長をとげた日本の勇姿だったのであろう
もう貨物編成もありきたりなコンテナ編成しかみれなくなった。
皮肉なことに、現在の日本ではトラック運転手の不足や二酸化炭素の排出削減で、鉄道や船舶での輸送がまた見直される時代が来ています。(少年だった頃、川西池田駅外れに留置されていたク5000をよく見に行っていました。)
色々発着側の整備が必要ですが、トラックドライバー不足が深刻になると復活しそう。
三菱自動車は一部地域向けに今でも軽自動車をコンテナに入れて貨物列車で運んでるよね。
ギリギリ12FTコンテナに入るんですよね
ちなみに最近になってリアルクラス以外のプラレールでそれも新規金型で発売された珍しい国鉄型車両でもある
おまけに機関車は旧メカ
今は軽自動車をコンテナに乗っけてなんてのをWEBニュースでみた事があります。
かつてカートレインというのがありましたね、車はパレット車に積み、客は寝台車に乗車させてましたね
カートレインはワキとか「有蓋貨車」にパレットの上に乗用車を載せてフォークリフトで積み込むスタイルが主だったと思います。仰られる様な専用の車運車+寝台車のパターンの列車はドイツとかであったと思われます。寝台車はクシェット(日本で言うB寝台に相当)のみです。欧州型鉄道模型からの情報ですが。
@@坂田庄司-g6n アムトラックがワシントンDCとフロリダ間でニュー・オート・トレインっていうサービスやってます。
大都市からリゾート地までクルマを持っていってバカンス先で利用って感じでしょうか?
一応、車を運ぶということでカートレインにも利用されましたが、最高速度が時速65㎞なので客車との併結運用がむずかしかったというのがありましたな
結局、時速100㎞に対応したワキ10000形が流用されることとなったそうな
宇都宮貨物ターミナルに専用の自連付き積載地上スロープと上段に乗せるスロープの移動用ワイヤーリールがまだ残ってます。
積載時にパンクする事が度々あったそうです。
那珂川清流鉄道保存会に見に行ったことあります。
てっぱくみたいに立派なものではなく半分放置みたいな状態ですが、それでも実物が見られるのは貴重です。
たまにキャリアカーの事故をニュースで聞くたびいろいろ思うところが出てきます。
何時も、中央線東小金井駅に留置されていましたね!TR63台車の、ガチャンガチャンというジョイント音を思い出します。
中央線東小金井に貨物ターミナルがあり、日産車をコレに積み込んでいました。アイデアは良かったと思いますが😭
職員が必要以上にストライキしたから、鉄道は見捨てられたんだよね。
外国の車両の落書きみたいに給料上げろとか書いてましたね。
当時の岡多線にトヨタ車積出の専用駅を作ったけど、ストが多くて納車の期日が守れないとして逃げられました。
子供の時、貨物と言えばク型でした。平野駅でよく見ました。貨物の次の駅が百済駅だったので。
何連かは子供の時でしたので覚えてませんが、模型で5連+ヨで走らせて昔を思い出してます。
確か水島臨海鉄道からJR貨物経由でコンテナを利用して三菱自動車、日産自動車の軽自動車を輸送していたと記憶しています。
御殿場線でも岩波にある関東自動車東富士工場からのトヨタ車輸送の列車が走っていました。
DE11+ク5000×8車+(たまにカバー返却用らしきワム1車)+ヨの編成で御殿場線の25パーミル勾配を上がっていく姿は
今でも脳裏に残っています。
その工場に勤めていた者です。
鉄道輸送終了後には下土狩駅構内などに留置されていて寂しそうにしていたのを覚えています。
今ではその自動車工場も無くなってしまいましたね。
大好きな貨車。
小学生の頃、ホームで待っていると車運車の返空が目の前に停車。ちょっとだけでいいから乗ってみたいなと思ったけど動き出すかもしれないから止めたのが懐かしい。
中央線東小金井駅で自動車輸送をやってたが輸送が船舶に切り替わって廃止された。高架化前は改札出て北側へ長い橋あったし。
高架化工事の際は敷地確保が早かったような。
防汚カバーはパンタグラフと架線の摩擦で発生する鉄粉から積み荷を守るのに非常に重要
当初は積載全車にカバーを付けていたが、カバー付け外しおよび空車時のカバーの収納(車体床下に収納ボックスがある)作業が
非常に手間だったため、だんだん省かれてきた(破損すると高いし)
動画内でも機関車の次位の積載車にだけカバーが付けられているのがわかると思う
また、自動車はああ見えて非常に軽い(鉄とはいえ中身がほぼ空洞なので当たり前)ので、20m級の大型車体でも積載重量記号なしの「ク」
平成一桁に関東圏で日産が使ってた最終期でも、積み荷はR32スカイラインやR31ローレルクラスなので1台当たり1.5トンも無い
つまり8台満載しても10~12トン
コメ満載のワキや石油満載のタキはいうに及ばず、ロール紙15トン積んでるワム80000より荷重は3トン以上も軽い
だから動画内みたいに「(積み荷が)重い~」なんてことはない
(ただしク5000は自重が22トンもあるので積車換算3.5になる)
で、自動車はその「軽いのにかさばる」せいで運賃設定が難問だった(一般貨物と同様にすると運賃がめちゃめちゃ安くなる)
貨車を新造してまで顧客を取り込もうと努力したのに、重量換算で運賃が安くては元が取れない
それでいて帰路は100%空車の文字通りお荷物
仕方ないので割高運賃を設定したが、もちろんそれでは荷主が不満を抱き、最終的に荷主離れの原因にもなった
たしか自走積み込みのため必然的にガソリンも大量に(といっても1台5リットル程度だけど)積むことになり、積載時は青函トンネル通過禁止だったはず
訂正:R31ローレル→C33ローレル
私も「重い〜」が気になりました。
キャリアトレーラーも1軸だし、サイズの割に軽いのが自動車ですね。
未だに鉄道模型で人気ある。クラウンミニチュア車つき
昭和50年代相武台下駅に長い間留置していたと記憶しています 座間に日産の工場があったからなのかなぁ
カートレインやモトトレイン、復活して欲しいですね。😢
ドイツのライン河岸にて、片側の岸を優等旅客列車が走り、反対側を貨物列車が走っていた。その時あちらのク5000形タイプが長大編成で仕立てられ、目一杯積載した自動車がピカピカに見えた。自動車の貨物輸送は勿論、「カートレイン」には車運車+クシェット(簡易寝台=日本のB寝台に相当)というのも珍しく無かったとの事。1990年代後半の話ですが。
根岸線沿線なんでたまに見ましたね。あれが今にして思えは日本で最後の運用だったんだなぁ
軽自動車ならいまも5tコンテナで輸送していますね
ク9000は横須賀線の横須賀駅でよく見た。ク9000への自動車の積み込み設備もあった。江ノ電を撮影に行ったとき、江ノ電の鎌倉駅から旧型機関車に牽引されたク9000の編成も撮影出来ました。横須賀線には貨物列車の運用はなく、今の江ノ電の鎌倉駅から撮影が出来ない光景になってしまいました
私の頃は既に車輸送は終わっていたらしく、横須賀駅にクがずっと留置されてて、ある日突然いなくなってました
出ていくところを見たかったと今でも思います
北伊丹からのダイハツの出荷の写真ではフェローが横並びで載せれてたな…
ク5000の台枠がJR九州の西小倉駅に使用されていて。見上げればそれとなく確認出来ます。
日産が最後まで使っていたような…
今だと背の高いのが多いから2段積みは厳しいかも
この貨車でオーナーの元にいき、乗ったあとに草ヒロとかになった車も中にはいるんだろうな。
昭和50年代、浜松付近の東海道新幹線の車窓からク5000の積み込み施設あった貨物駅を見た記憶がある。
多分はスズキのクルマの出荷用だったんだろうか?
西浜松貨物駅のこの場所は当時スズキ車の積み込みを行う施設でした。
貨物輸送廃止直後は、廃車になったEF18が留置されていて、国鉄貨車の展示販売所となって、現在は大型パチンコ店の敷地となっています。
現在でも水島タ→新潟タには軽自動車をコンテナに入れて輸送しているとか
児童向けの絵本には載ってたけど実際に見た記憶の無い車両。田舎に来るわけないから当然か。
今思えば積み下ろしが面倒なのは構造的に理解しました。
車運トレーラーは道路に下ろせるから良いけど鉄道だとそうはイカンよね。
現状で実現するなら箱付き車体の中にパレット収納型しかない気がする。
なるほど、これは一概に言えませんが自動車🚗輸送はトラック兼トレーラー,船舶が主流(遠隔地及び海外)となり自動車の鉄道輸送はいつの間にか消えてしまったんですね
自動車の歴史書籍には、高い確率で紹介される、鉄道車輌..😅
まぁ、ヨーロッパにも似たような乗用車運搬車があったので…。っていうか、この車両が宇都宮貨物ターミナルで、日産自動車の車両を運んでいたのが、懐かしいです😢。
唯一現存する那珂川清流鉄道保存会の1両って確か元々宇都宮貨物ターミナル駅の新幹線高架下に保存されてた車両だった気がします。
2段式を1段にしてトレーラーやトラックを積載できる様にしたら津軽海峡がシケで函館-青森間のフェリーが欠航した時に客車と連結して青函トンネルを夜間走行したら運輸業界の役に立ちそう。
あとJR貨物とJR北海道、JR東日本、道南いさりび鉄道の収益にも少しは貢献できるかも?
昔、西浜松駅に車の積み卸しが出来る施設があったんよ~
コンテナヤードの新幹線をまたいだ側でなんだけどね
今はどーだか解らないけど~跡地はパチ屋になったんだけどね~
高塚駅の駅寄りの留置線にこの貨車が置いてあったな~
まあ~鈴木がメインでやってたけど~どこえ持って行ったのか不思議だわ~
五トンコンテナに軽自動車を入れて運んでいます
ある自動車メーカーは、コンテナで運んでるらしい。
今の背の高い車だと、輸送コストが嵩みそう。メキシコで生産された車は、鉄道でアメリカに輸送しているそうなので、国情に依るのでしょうね。
まあ、これはあまり知られていませんが、実は一般的な自動車の左右のタイヤの中心から図った幅は、鉄道の標準軌と同じ1435㎜になっています
これは自動車も馬車から発展していったので、鉄道の軌間と同じ幅になっています
標準軌の鉄道では移動する距離と台数のの関係から自動車の鉄道輸送が主流ですが、日本だと距離が近く少数なのでトラックに積んだほうが早いということになります
トミーのスーパーレールでこの貨車持ってたなあ。
トミカがジャストサイズ。
最後の動画、浦和駅で撮られたんですか?
私の地元なのでわかってしまいました…
改めて鉄道による自動車輸送があるとしても、こんなオープントレーラーみたいな貨車が使われることはなく、有蓋車の中に積み込むスタイルになるだろうね。
船での輸出入だと自動車運搬船じゃなくて海上コンテナに詰めて運ぶ事があるので
鉄道で再びやるなら鉄道貨物の多くがコンテナで運ばれてる現在の状況だと多分専用貨車は作らずに
以前あったカーラックコンテナをまた利用するか船と同じで海上コンテナに入れて運ぶと思いますよ
最近では日産が、U41Aコンテナを使って自動車を運んでいたようです。
結局コンテナのほうが自由度が高い気がします。
スーパーハイトワゴンは高さ制限で運べないね。
国鉄貨車で1番好き
赤1色ならなお良し
北米で今も走ってる車運貨車は2段だが有蓋のため眺める楽しみはない
有蓋のため汚損の心配はないが
水島臨海鉄道の栄町操車場でよく見た。
ちなみに鉄道に関わる自動車運搬の面白い話があります。それが見られたのは愛知県の国鉄岡多線…現在は瀬戸市などが高蔵寺までの延伸を行い、第三セクター愛知環状鉄道として運用している路線です。この路線の北野桝塚(きたのますづか)駅周辺には三菱自動車岡崎工場や、トヨタ自動車上郷工場があり、ここからも当然自動車輸送が行われていました。
つまり…国鉄、三菱自動車、トヨタ自動車という犬猿の仲としか言いようがない3つの会社が仲良く同じ線路の上をゆくという珍風景が見れた訳です。当時の国鉄運転士は何を思ったのやら…
この貨車のプラレール持ってた
一般車とトラック積込可能で時速200キロ対応の貨車作って、青函トンネルでカートレイン走らせれば面白いのに。
ク5000は外国のを参考だったんだな
日本オリジナルじゃなくてな
ああ、車運車よどこへ。
結果論ですが、旅客を自家用車に奪われる幇助をしてしまった “苦5000” …😅
山田君、座布団3枚上げなさい😂