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大和さんは、やはり人として素晴らしいですね。楽しい対談でした。ありがとうございます
素晴らしい対談を上げて下さってありがとうございます。武道格闘技が好きでいくつかのTH-camチャンネルを見てきましたが、合氣道ではこちらの動画の先生の穏やかに丁寧に説明される姿、精神面を語られた内容が私としては一番聞きやすく腑に落ち勉強になりました。学生時代に古典か歴史かで習った四知『天知る地知る我知る人知る』と、先代の藤平先生の人柄慈眼温容の箇所は 何かで見聞きした孔子の性格『温和であるが厳格であり、威厳を備えながらも威圧感はなく、礼儀正しいが側に居て窮屈さを感じさせなかった(うろ覚えなのですが)』がずっと心に残っており、このお話を聞きながら思い出していました。四知では誰か分からないからとコメント欄に誹謗中傷の書き込みをする人間が多くなってきていますが、その行いは自分自身が知っているし、自分の核である思いは人格として表面に顕れることに気付いて欲しいものです。また、最近の格闘家達の煽りという、集客の貢献という名分での会見等の罵詈雑言パフォーマンスの過剰さは見るのが辛く残念です。街の喧嘩ではなく、身体を整え技を磨き戦略を練り恐怖に打ち勝ち精神を研ぎ澄まし全身全霊で闘う。心技体揃った素晴らしい格闘を見せてもらうことに観る者は魂が奮え感動します。氣・言霊 身口意揃った武道家。武道を通して『求道』人の道・この世界とは、と精神面を求めておられるのではと思う格闘家の方々を応援しています。対談された戸田師範と大和選手、この動画を上げて下さってありがとうございました。
ppp
大和さんが氣のことなんて知らないのに氣と入れていたというところまで見て思わずコメントを書かなくてはと思いました、私は近年、偶然縁あって心身統一合氣道を学び始めました、私も合気道以外の武道を10代に始めた時に急に掛け軸を作りたくなり、パッと思いついて書いたのが「心身統一」でした、実際は作る機会がありませんでしたが、筆ペンで練習した紙を今も持ってるんです。近々掛け軸を作ろうかなと思います。
貴重な動画ありがとうございます。この動画からたくさんの氣づきがありました。海の水交流の話は、宇宙の在り方についても通じるなと思いました。
面白かった!氣の呼吸法のエクササイズ動画とか、上げてもらえると嬉しい。
「武」の漢字の成り立ちは、「戈+止」ではなく、「戈+足」です。戈を持って進むというような意味です。戈を止むという解釈の哲学性は尊重しますが、漢字の成り立ちとしては間違っています。事実に立脚せず理念に寄せた解釈は物事を見通す目を曇らせ、合気道の深化の障害となりかねません。合気道の発展の為に書いています。同様に、オーラという言葉も曖昧です。多くの方が何となくオーラという言葉を使っていますが、オーラを見れる人などまず居ないのではないでしょうか。そのような状態でオーラという言葉を使えば、不確かなものを深く見ていく視点を失ってしまいます。それではさらなる進化は望めません。藤平光一氏の師匠、中村天風氏は曖昧なものを徹底的に疑い、その先に獲得した能力でオーラを語りました。
不確かなものを疑うという姿勢は合理を目指すうえで大切と思いますオーラは、道を究めた先にしか使ってはいけない、曖昧に使ってはブレてしまい深化しないのだ確かに一理あるかもしれません。と同時にそこに重々しい囚われを感じます。それも今時に言う認知バイアスではないですか?物事をそのまま直観していないと思いますよ。重々しく固くこうあるべきだというのは、それもまた物事を真っすぐ見ることを妨げます。偉大な先達がおられると、そういう畏れ多さとともに真面目に固くなるのは自然と思いますがその認知の枠組みは純粋な直観や理解を妨げる罠にもなっていると私は思います。この頃大和選手はあまり勝てておらず、その後にブレイクスルーして華々しい勝利を飾ります。彼は語りました「氣を静めるということにとらわれ過ぎていた、と」真面目さは素晴らしいのですが、同時に囚われになってしまうのではないでしょうか。
良い人も居るけど鬼畜鬼人で世の中は充ちている。そこが武道を学ぶ機会を与える。
姿勢の差・・・
哲也さん、本当に戸田さんの話に心から納得してるのかな?私は、話を聞いていて、大して稽古されてないような印象しか持たないけどな・・・
大和さんは、やはり人として素晴らしいですね。楽しい対談でした。ありがとうございます
素晴らしい対談を上げて下さってありがとうございます。
武道格闘技が好きでいくつかのTH-camチャンネルを見てきましたが、合氣道ではこちらの動画の先生の穏やかに丁寧に説明される姿、精神面を語られた内容が私としては一番聞きやすく腑に落ち勉強になりました。
学生時代に古典か歴史かで習った四知『天知る地知る我知る人知る』と、先代の藤平先生の人柄慈眼温容の箇所は 何かで見聞きした孔子の性格『温和であるが厳格であり、威厳を備えながらも威圧感はなく、礼儀正しいが側に居て窮屈さを感じさせなかった(うろ覚えなのですが)』がずっと心に残っており、このお話を聞きながら思い出していました。
四知では誰か分からないからとコメント欄に誹謗中傷の書き込みをする人間が多くなってきていますが、その行いは自分自身が知っているし、自分の核である思いは人格として表面に顕れることに気付いて欲しいものです。また、最近の格闘家達の煽りという、集客の貢献という名分での会見等の罵詈雑言パフォーマンスの過剰さは見るのが辛く残念です。
街の喧嘩ではなく、身体を整え技を磨き戦略を練り恐怖に打ち勝ち精神を研ぎ澄まし全身全霊で闘う。心技体揃った素晴らしい格闘を見せてもらうことに観る者は魂が奮え感動します。
氣・言霊 身口意揃った武道家。武道を通して『求道』人の道・この世界とは、と精神面を求めておられるのではと思う格闘家の方々を応援しています。
対談された戸田師範と大和選手、この動画を上げて下さってありがとうございました。
ppp
大和さんが氣のことなんて知らないのに氣と入れていたというところまで見て思わずコメントを書かなくてはと思いました、私は近年、偶然縁あって心身統一合氣道を学び始めました、私も合気道以外の武道を10代に始めた時に急に掛け軸を作りたくなり、パッと思いついて書いたのが「心身統一」でした、実際は作る機会がありませんでしたが、筆ペンで練習した紙を今も持ってるんです。近々掛け軸を作ろうかなと思います。
貴重な動画ありがとうございます。この動画からたくさんの氣づきがありました。海の水交流の話は、宇宙の在り方についても通じるなと思いました。
面白かった!氣の呼吸法のエクササイズ動画とか、上げてもらえると嬉しい。
「武」の漢字の成り立ちは、「戈+止」ではなく、「戈+足」です。戈を持って進むというような意味です。戈を止むという解釈の哲学性は尊重しますが、漢字の成り立ちとしては間違っています。
事実に立脚せず理念に寄せた解釈は物事を見通す目を曇らせ、合気道の深化の障害となりかねません。合気道の発展の為に書いています。
同様に、オーラという言葉も曖昧です。多くの方が何となくオーラという言葉を使っていますが、オーラを見れる人などまず居ないのではないでしょうか。そのような状態でオーラという言葉を使えば、不確かなものを深く見ていく視点を失ってしまいます。それではさらなる進化は望めません。藤平光一氏の師匠、中村天風氏は曖昧なものを徹底的に疑い、その先に獲得した能力でオーラを語りました。
不確かなものを疑うという姿勢は合理を目指すうえで大切と思います
オーラは、道を究めた先にしか使ってはいけない、曖昧に使ってはブレてしまい深化しないのだ
確かに一理あるかもしれません。
と同時にそこに重々しい囚われを感じます。
それも今時に言う認知バイアスではないですか?
物事をそのまま直観していないと思いますよ。
重々しく固くこうあるべきだというのは、それもまた物事を真っすぐ見ることを妨げます。
偉大な先達がおられると、そういう畏れ多さとともに真面目に固くなるのは自然と思いますが
その認知の枠組みは純粋な直観や理解を妨げる罠にもなっていると私は思います。
この頃大和選手はあまり勝てておらず、その後にブレイクスルーして華々しい勝利を飾ります。
彼は語りました「氣を静めるということにとらわれ過ぎていた、と」
真面目さは素晴らしいのですが、同時に囚われになってしまうのではないでしょうか。
良い人も居るけど鬼畜鬼人で世の中は充ちている。そこが武道を学ぶ機会を与える。
姿勢の差・・・
哲也さん、本当に戸田さんの話に心から納得してるのかな?私は、話を聞いていて、大して稽古されてないような印象しか持たないけどな・・・