【DC-8】JAL初のジェット旅客機を整備士さんが解説!|乗りものチャンネル
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- เผยแพร่เมื่อ 21 พ.ย. 2021
- 今回はJALの格納庫に展示されている
JAL初のジェット旅客機「DC-8」を紹介します。
この機体は「ふじ号」と名付けられており、
1960年8月から約14年間にわたり、
国内外の空で活躍し、引退後は整備士の訓練用に使われていました。
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【出演者プロフィール】
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■自動車系TH-camr・欅まつや(けやきまつや)1995年6月21日 O型
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父が1960年代にDC-8の航空機関士をしていました。まさか60年後の今になって父も座っていたであろう機関士席を見られるとは思いませんでした。感謝! 5年前に亡くなった父にも見せたかった。
墓の前で見せてあげたら天国にいるお父様も喜びますよ
語りついであげてくださいね、お父様のためにも🎉
懐かしく拝見しました。若き日に Second officer, First officerとして乗務していました。
現在のようにコンピュータも半導体も『無い』時代で、全てメカニカルで動作していました。
さまざまな計器、レバー類などよく覚えていて、たいへん懐かしかったです。
操縦もケーブルで動翼を動かすシステムなので難しい機体でした。
整備士さんの説明がわかりやすく、現役時代のご苦労がリアルに想像できます。
たいへん貴重な機体だと思います。大事にお願いします。
飛行機は場所取るし維持管理大変だから鉄道みたいに丸ごと保存は出来ないんだろうけど日本初のジェット旅客機だから丸々保存して欲しかった
当時は革命だったろうなぁ今でも凄さを感じる
いつ見ても美しい機体ですなぁ〜
48年前、米オハイオ州シンシナティに出張時アラスカ迄DC8に搭乗、日付変更線を超えた時記念に日色紙を頂きました。懐かしいですね。
この日本最初のジェット旅客機、DC-8 JA8001号機は昭和47年2月にグアム島で26年もの間残留日本兵となっていた横井庄一さんが日本に帰国した時に搭乗されていた機体でもあります。昭和45年に鶴丸塗装になった際に「FUJI」の愛称は消されていました。昭和49年秋に退役後は整備訓練用機材として使用され、数年使用された後は羽田空港B滑走路横の格納庫の外に長らく放置され塗装もボロボロとなり朽ち果てたような無惨な姿を晒していましたが、昭和63年6月に突如、導入当初の塗装となり傷んだ箇所も修復され完全な状態で保存されるのかと思われましたが、諸事情に依り残念ながら機首部分のみの保存となってしまいました。
天測用の六分儀‼️
姿勢を表示するジャイロがすごいよね。
DC-8とCV880とB727は生で見てみたかったなぁー。
あと日本の航空会社にはなかったけどコンコルドも。
頭上の棚はハットラックと呼ばれたいてせいぜい帽子を置く程度、実際は毛布と枕が乗っていました。長距離国際専用の-62が蓋つきの荷物入れになって「ワイドボディールック」と宣伝されてアンカレジ経由ニューヨーク線などで通路前方にスクリーンを下ろして映画を上映していました。音声を聞くための聴診器のようなイヤホンの貸出は有料でした。
奥にあったのですね!
かっこいい
燃料屋からみても、翼下に燃料給油の接続口は有るけど、コントロールパネルは無い、B707も無いけど、エンジンナセルにインターホンを差し込みコックピットでタンクバルブを操作するメカと連絡取り合いながら給油してましたよ。
子供の頃何回か乗った事があります。
当時は鉛筆みたいな飛行機やなと思いましたね!
乗り心地は非常に良かった記憶があります。
昔の飛行機はパイロットの技量が要求されるのがよく分かります‼️
航空博物館で機体ごと残してほしかった。
great preservation
1982-0728乗りました!台北~大阪。
懐かしい❗️まだコックピットに機長の許可で入れた40年以上前、国際線で飛行中のコックピットに入れてもらいました。その時も終焉告げるDC8でしたがすでに2mens crewで衛星によるナビありましたが天窓見てビックリ‼️太陽や北極星など天則やロラン航法の設備が残ってました。
ダツカ赤軍事件の解決のお礼にcity of Tokyoのなのついた中古DC8を日本政府がバングラにプレゼントし唯一の長距離国際便として使われてそれを外務省時代の出張でダツカからバンコクまで客室に搭乗しました。とてもスマートな機体でしたが騒音、燃費などで引退しましたが本当に空の貴婦人❣️
空のSL見たいかな。
メチャクチャ興味深くて面白かったです。整備感が出る機体というところに魅力を感じました。
今は効率とかDXが求められる時代だけど、どこかに少し人力の余地は残してほしいなあ。
上空で逆噴射作動できるのが本機の特徴の一つだが、それが仇となった事件もあった。
昔 よく「逆噴射!」って聞いたけど これが発祥だったのか…
「キャプテン、止めてください‼️」
も当時流行語になった。
カタギリ機長だったかな?
このJA8001の主脚が名古屋空港にありましたが、セントレア移行で閉鎖後にどこへ行ったんでしょうかね?
あいち航空ミュージアムには777の主脚が展示してあります。
DC8はグランドサービスで貨物室によく潜り込んだ機体なので思い出もひとしお、
特に-55や-61のエンジンスターター音は生涯耳の奥にこびり付いて離れないでしょう。
天則なんて今できる人ほとんどいないやろなー
船乗りならできると思います。自分も六分儀扱えます
申し訳ありません。11:02はウェザーレーダーインジケーターです。ドップラーレーダーコントローラーがウェザーレーダーインジケーターの両隣にそれぞれに装着されて見えてましたね。ドップラーレーダーのドリフトアングルインジケーターが両インストゥルメントパネルにありましてドップラーシステムはスコープインジケーターのようなものはありませんね。勘違いしちゃいましたね。もう、35年も前の事ですものね。
子供の頃に羽田空港で凄まじい音をたてて離陸してたのを見ました。離陸の時の音はうるさい方が好きです(((^_^;)
ダグラスですね。日本エアシステムや、JALで使用してましたね。
ダグラスは、DC11までかな
何か寂しいけど
教材として使われてるなら、仕方がないかな
(本音はターミナルのどこかで・・・。)
DC-8 “Garden Jet”
そうそう、いつもスモークオン(黒煙)のまま飛行していましたね。
1987年頃に「羽田航空宇宙科学館」設立に併せ、”JA8001FUJI号保存会”の運動に賛同し(た人にはテレカをくれました)ました。
これが当時言っていた、部分保存の「科学館」?……
”貴婦人”なんだから、ちゃんと室内に飾ってほしいわ。
燃料タンクの中に入る作業は小柄な人がやらされてたのかな、大柄な私は話を聞いただけでゾッする。
DC8は初めて乗ったジェット機。正直言って80年代ではハズレ便だなぁって認識。機内は煩かった。