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NIKKO懐かしい。マイナーではあったがオーディオに興味ある人は皆知っていたと思う。
輸出でも有名でしたし 当時の無線と実験あたりにもたまに広告でましたね
懐かしいですね。私が初めて買ったアンプがNIKKOのA-500でした。たしか398でした。意外と音良かった記憶があります。
おおー お持ちでしたか お目が高い
いやー懐かしいです、私64歳、高校生時代、毎週日曜日に秋葉原に行きました。日進、二光通販、丸善、青春時代の思い出です。A-300D所有しています。
当時のB級オーディオ、なんとも言えない魅力がありましたね
NIKKO、よく覚えています。64歳ですが。1970年代前半、秋葉原に通ってはカタログ集めてため息をつくオーディオ中坊でした。オーディオショップでもその製品を見ることは稀でしたが、輸出がメインだと聞いた覚えがあります。
渋いメーカーでしたね
宮甚さん、また1年後の今日、この動画を初めて拝見したのでコメントします。 私はこの日幸電機の製品は良く知っていました。それだけでなくて、’72年、大学2年の時だったと思いますが、友人が金は無いけどレコードは聴きたいというので、3万円程のニッコーのレシーバーを勧めて買わせました。コストパフォーマンスが最高だと思ったからです。草創期の「ステレオサウンド」は60チャンネルの切換システムを作って、毎号切換テストをやっていましたが、ニッコーのアンプやチューナーは常連でした。No.24、'72年秋号の特集は「FMチューナー最新45機種の受信テスト」ですが、そのトップバッター(つまり最廉価機)がこのニッコーFAM-300、定価¥19,900で、岡俊雄、山中敬三、長島達夫氏の総合評価は「推薦」と、かなり良い評価をしています。
因みにこの時の「推薦」機種はマッキンMR77、トリオKT-6005、ソニーST-5140等、錚々たるものでした。
北米でも人気だったようですね おそらく それほど広告も打たず やはり品物勝負だったんでしょうね
日幸、サーキットブレカーのメカーですね、昔雑誌で見て欲しかったですね。
最近は 日幸電気製作所はもうアンプはつくっていないみたいですね。
日幸電機製作所はサーキットブレーカーで有名です。世田谷区奥沢から川崎中原区に移転1962年 第11回日本オーディオ・フェアで日本ではじめてのオールトランジスタステレオアンプを発表。
もともとはサーキットブレーカーをヒューズの代わりにして有名なアンプでしたね
あいまいですがSTEREO誌の記事の片隅に、白黒の小さな広告が出ていたような。ニッコーと記されていたかと思います。マイナーでもエレガのようなプロ用機器には注目していたのですが、ニッコーはあまりプロ用の匂いがしなかったので忘れていました。
比較的ローコストの製品が多かったですね 当時は三流みたいなイメージでしょうか。でもそれはオーディオ評論家どもの評価で まともなマニアの評価とは違うと思います。雑誌も広告がすくないと 評価もあまりよくしないし・・・ろくでもない世界です。
50年近く前、NIKKOさんに採用試験を受けに行った事がありました。輸出がメインのようで、アメリカに行けますかと訪ねられ、断りました。
そんなことがありましたか 日幸はむしろ海外で人気があったんでしょうね。 うらやましいです わたしだだったら二つ返事で採用試験で返事していたと思います。 自動車会社でアメリカ転勤希望でしたが 結局メキシコと台湾だけでしたから・・・
50年近く前、NIKKOのプリメインアンプ、CECのプレーヤー、FOSTEXのスピーカー(確か10cm2発で正面が正方形の箱)でローコスト・システムを組みました。懐かしいです。
なんだか長岡鉄男の推奨しすてむみたいですね 最高の組み合わせでしょうね
@@miyazin-shoten 仰る通りです。スピーカーはG11だったと思います。私は宮城県人で、NIKKOは山元町に工場があり、NIKKOの技術者が知り合いでした。
1970年頃だと思います。懐かしい。同じようなデザインで小型で安価のプリメインアンプを買った覚えがあります。当時同クラスで人気のあったのは、トリオのTWシリーズで薄く小型の大変カッコイイものでしたが、シャーノイズが多くて散々でした。が。NIKKO のは大変静かで暫く使用した覚えがあります。何であまり聞かないメーカーの製品を買ったのか。モシカしたら、あの長岡鉄男氏の紹介記事でもあったのか。今や伝説のオーディオ評論家ですが。日本でのコストパフォーマンス創始者(?)でもありました。(今時はコスパなどと言っておりますが)
長岡鉄男は結構本音で 評論家らしからぬところがよかったですね
いつも楽しく観させて戴いています。ニッコーがDCアンプを出した頃,長岡鉄男さんが雑誌に「ニッコー,ケッコー」(いまなら「どうなの,このタイトル」という感じですが)という記事を書いていました。それで秋葉原まで見に行った覚えがあります。同じような値段の有名メーカー製のアンプより高級に見えました。昭和40年代の後半だったと思います。
「ニッコー,ケッコー」・・・今なら最高です! ナウい!
@@miyazin-shoten そんなものですかね(密かにクスッと笑ってしまいました)。
懐かしいです。当時、本社は世田谷の奥沢にあったと思います。私の実家には、スピーカーが2台、レシーバーが1台あります。もともとコンデンサーのメーカーさんでしたが、1960年代よりオーディオ製品も作ってました。
レシーバーも良いデザインでしたね。サーキットブレーカーでも有数のメーカーですね。
私は1970年代に、世田谷区等々力で下宿生活していましたが、深沢3丁目に隣接する等々力7丁目(いずれも現在の表示で)に日幸電機の表示のある大きな屋敷があったのを覚えています。関係者の自宅なのかそこで営業していたのか分かりませんでしたが。
このメーカー確かフロッピーディスクドライブも製造していたと思います。
そうですか 元がブレーカーみたいなので なんでも手を出したのでしょうねきっと
これは、知らなかったなぁ、雑誌の広告、懐かしい CECとか載ってましたね。 報告ですが、6BM8のハム音はLUXKITレベルまで落ちました。今回は2.2Ωでヒーターの電圧調整後の配線もアース線との撚線にしてみました。これで、落ちました。全波整流後の配線ってハムの原因なのかなぁ。ダイオードブリッジの出側に直接1000μF入れたんだけど効果なし。
かなり耳がいいですね わたしはほとんどハムは適当に作ったアンプでも聞こえなくて…笑
知識がすごい
制御盤の漏電遮断器を作っているメーカーさんですよね。田園調布と宮城県にあったように記憶しています。
そうですね。そっちが本業のようですね
日幸電機製作所は仕事で宮城県亘理町に一度行ったことあります。本社工場なのかなと思うが納入した製品が不良でその処理というあまり芳しくない用でした。もうそのときはオーディオから手を引いていたわけだが、元々は電源用パーツが本業のメーカーみたいで、オーディオが調子いいとき一時的に手を出したというだけみたいです。本業が別にあったからオーディオ売れなくなってもあまり影響がなかったのでしょう。スタンダード工業(現マランツ)もアンプを出していて当時はマイナーで似たような印象でしたね。
そういえば サーキットブレーカーあたりが本業でしたよね 社長さんの道楽でしょうか 笑
私、当時このチューナー購入して使っていました。多分電波科学に紹介記事があり、買ったのですよ。多分東京タワーから10キロか20キロのところでFMの八木アンテナ立ててバッチり受信しておりました。懐かしいなあああ
結構 このチューナーのユーザー多かったんですね
名前だけはなつかしく覚えてます。スイング・ジャーナルの別冊で、毎年出ていた「最新オーディオ・ガイド」(だったかな?)で、岩崎千明さんが最もローコストな組み合わせで、定番のように指定していたのが、これと、ペアのプリメインアンプでしたね。あと、レコードプレーヤーはCEC。スピーカーは何だったか忘れましたが、もしかしたら私が最初に買ったダイヤトーンのDS-24Bもあったかもしれません。
CEC・・・ いまでも製品をたまにみますね。プレーヤーの印象ですがローコストなアンプもあったような。 当時わたしも学生でコストパフォーマンスのいいオーディオ機器がすべてでした・・・当然いまでも 笑
確かに岩崎さんのお勧めでしたね。普段は、山水のアンプとJBLの大音響で、鳴らすのが、定番でした。当時の評論家とメーカーの忖度?は、紙面からも伺えた。でも自身も盲目的に信じてた(笑)
学生時代に最安値チューナーということで秋葉で買いました。アンプとセットで発売されましたね。自分はパイの確かSA-50というアンプとこのチューナーで使用していました。音がイマイチでトリオの2002というチューナーに交換したところ別次元の音の良さに驚いた記憶があります。懐かしさに感激です ! !
おおー わたしもパイオニアのSA-60使っていました
1973年頃のFMファンの、長岡鉄男の体験的製品ガイドには、FAM300とTMR300を合体させたレシーバー、ニッコーR2000が、お勧めになっていました。アンプのA500 A800の紹介もありました。ファイルしてあります。ちなみに私もハードオフで、T500という幻のチューナーをゲットしましたが、このすごさって、誰にも分からないだろうなぁ(笑)
たぶんだれにもわからないと思います そのすごさ・・・でもみんなしらないから そこがいいのだと思います。実力第一ですね
ローテルのレシーバーと似ている感じがします。チューナーとアンプが組み合わさったものを当時、レシーバーと呼んでいたと思います。
あれれ いまでもレシーバーって言いませんか? というかもうあまりレシーバー売っていませんね
素晴らしい修理技術に関心しました!
修理といっても電球交換レベルです でもありがとうございます
NIKKO良く知っていますよ、昔は真空管少年で良くアンプ作りました。昭和30~40年代ですがとうじは2A3とか42、6146が流行していました
6146ですか! ラジオ少年ではなく 本物の無線小僧ですね!
昭和48年頃電気関係の雑誌に通販広告がありアンプ2万円弱同じくチューナーもほぼ同じ値段特長はそれぞれマイナス3000円でキットも並行販売しておりキットを購入予定だったのですがいろんな条件で断念しました買っておけば良かったのに残念です (^^♪
このころのアンプやチューナーはみんな夢がありましたね
懐かしいです。fm fanとか週刊FMにレシーバーの広告があったような気がします。懐かしい響きです。ありがとうございます。
広告ありましたか! わたしは見たことがなかったので・・・ でも広告みたかたもいるようです 情報ありがとうございます
@@miyazin-shoten 日幸の広告は、私も知っています。レシーバーの広告です。昭和45年から50年にかけて初ラとFMfanを読んでいました。初ラで見たように思うのですが、FMfanだったのですね。当時はパイオニア・山水・トリオが一流ブランドだったので、日幸は三流ブランドぐらいのイメージでした。海外では人気があったようです。
貴重なチューナーを入手されましたね。昔、日幸電機は私が通っていた小学校の隣にあり今は横浜市へ移転しました。日本で最初にトランジスタのアンプを発売した会社というのは事実です。そのトランジスタアンプのカタログを持っていましたが現在は紛失したか捨てたかで見当たりません。
そうでしたか! 歴史がひもとけますね
なつかしくて連絡いたしました。昭和の親父です ニッコー電気製作所 現存していますよ。ブレーカーなどを製造しています福島県の亘理に工場がありましたが震災で被災されたあと再建されたようです。学生時代に工場研修があり夏休みにお世話になりました。確かトランジスタアンプでOCL回路を早期に採用されていた電子回路のプロのお顔も記憶しています。研修後にアンプをいただき長きに使用していました。東北震災に遭われて心を痛めておりました。日本の大きな町工場の中でプロ集団である会社ですよ。
そうですか 実際研修されていたなら 実力は把握済みですね。 ブレーカーではいまでも有名な会社ですね。本社は今当地に近い川崎市にあるようです。日本初のトランジスタアンプというのも 信憑性は高いかもしれませんね。(まあ当時はトランジスタ黎明期で どこもおらが一番最初と思っていたでしょうけど・・・笑)情報ありがとうございました
亘理町は宮城県ですが?福島にもありますか?
光波無線って中野にあった店ですかね?中2の時に友達と一緒にトランシーバのキットを買いに行きました。
行ったことはありませんが 中野の住所です。いまはあるのでしょうか?
日幸電機は知らなかったけど、雑誌の通販には心を鷲掴みされました。懐かしいです。
なんで今になってみると あれほどチープな通販広告のオーディオ機器やラジオ無線機が 当時は心ときめかしてみてため息ついていたんでしょうね。 本当になつかしいですね
昭和48年のころだと思いますが「日幸電機製作所」のステレオプリアンプを秋葉原で購入し使っていました。パイオニア、サンスイ、等と比べて名前も知られていませんですでしたがスピーカー出力回路にサーキットブレーカーが入っていたり、テープレコーダーの入出力回路などが独特のようだったと記憶しています。
輸出に強いメーカーだったみたいですね。 質実剛健のモノづくりでしょうかね
懐かしい 二光通販 丸善無線から真空管のFM・AM付きアンプ買いました。FMの周波数帯が海外の物でしたが日本の周波数で聞くことが出来ました。本当に安く買えたのを覚えてます。凄く懐かしくて嬉しいです。寺内タケシの運命を聞いて 今日は床に就きます。
二光通販 丸善無線・・・ ほんと懐かしいですよね じゃわたしも今日は寺内タケシで! 笑
NIKKOのチューナー、記憶にありますね。たしか、デザイン・サイズお揃いのプリメインアンプもあったような。そういえばいつの間にか見なくなりましたね。
その、ちょっと小ぶりなアンプとチューナー・・・なつかしいです
FMレコパル誌で、各メーカーの製品紹介の最後にいつも掲載されてた?コスパの良さげな、アンプやチューナーの写真の記憶が(笑)
FMレコパル・・・ありましたね。 たしかに値段もそれほど高くなかったので コスパはよかたのでしょうね
ニッコーは輸出を主力としたメーカーですね、パワーアンプ一時期使ってました、マイナーメーカーで有名?なのにCEC、A&E、スタンダードも使った事が有ります。船井も日本より海外での評価がありますね。
CEC・・ありましたね レコードプレーヤーの廉価版メーカーと思っていたら 結構輸出も強くて オーディオアンプも出していましたね。 まあマイナーメーカーは宣伝広告費用かけられないので実力勝負でしょうね
カメラのニコマートなら知ってるけどNIKKOは初めて聞きました。面白そうですね
たしかにニコンやニッコールとか 英文字にすると似ていますね
ダジャレが面白いです
NIKKOはadresユニットという意外なモノを製品化していました。開発した東芝以外でユニットを出していたメーカーには他にAKAIとONKYOがありましたが、この2社の中身が東芝のOEMだったのに対し、NIKKOは自社開発だったようです。
独創性 技術力のあるメーカーだったんですね
【NIKKO】ですかぁ、ローテルなんて言うオーディオメーカーも有った様な気がしていますが、今はどうなったんでしょうか・
ROTEL いま聞かないですね!
藤沢に住んでいた私にとってはアリック日進はしょっちゅう行ってました。スピーカーもアンプも、パーツも買った、懐かしい。20世紀とともに終わったような気がしますね。
アリック日進は普通の量販店ではなく、 オーディオや模型とか マニアックでしたね。SPも多く扱っていましたし・・・ 羽田に近い川崎にもありました。 いまはほとんどみないですね
懐かしい、本も動画で出てる奴とか毎月買ってました。その当時CQの広告ページで色んなオーディオ関連やパーツ等穴が開くくらい見てました。その後田舎の方でもサウンドシャックが売り出されるようになってからそればかり買ったり自作アンプの本格的な奴(メーカー忘れました)組み立てたりしてました。ああいうの又出ないかなあと、最近また思ってたりします。
いいですよね その手のアンプ なつかしいです
@@miyazin-shoten 今思い出しました。ラックスキットって言うメーカーでした。キューブスピーカーも良い感じでした。
@@nobueri142 ラックスキット トリオキット ありましたね
NIKKOは写真で見た事あります。'70年代後半には雑誌に記事が出てました。宮甚さんの影響でTU-555を1100円で買ってきましたw家にはKEの新品アンプが2台あります。それ以外にも日本サウンド等のBオーディオが数台あります。ノブもアルミ切出しで安かろう悪かろうっと言う事は無いですね。当時の小・中学生が小遣いで買っても気に入ったと思います。また懐かしいオーディオ紹介お願いします。
TU-555を1100円は安いですね わたしももう一台・・・笑当時のちょっとチープな機器って なつかしいですよね最近ヤフオクでも 化学教材社とか光波無線とか 異常に高いです 笑
@@miyazin-shoten NIKKOは途中から高級機を発売してStereo Sound 系の雑誌に記事が多く載ってましたね。社内にオーディオマニアが多かったんだと思います。当時は空前のオーディオブームだったので強電メーカーもSPを出したりしてました。ハムの世界でもアツデンやFDKとか無線機を発売してましたね。良い時代でした。
@@300bnori9 Stereo Sound ですか! そういえばStereo Sound は読んでいませんでした 当時はもっぱら初歩のラジオ!・・・ たしかにラインナップにはこのチューナと違いかなりの高級機がありますね
真空管アンプでEROICAやMACTONなど面白いブランド有りましたね。EROICAは高級なイメージ。 MACTONや ?は 少し普及品イメージ。?は思い出せません。 (笑)
@@yasudan7690 エロイカ・・・ありましたね。新入社員の大卒開発取締役・・・笑) 当時はアンプだけでなく プレーヤーもいろいろありましたね CECなどもアンプを出していた記憶が? (いまでもあるかも?)
日幸電機は昔世田谷区奥沢にあってTRアンプでもご三家辺りと違う確りした設計の物でした。ヒューズが常識の時代にサーキットブレーカーを世に出し技術レベルの高い会社。真空管アンプの安斉勝太郎氏と親しい寺田繁と言う役員がいて、正に今日のチューナーをいただき、最近まで照明が切れることもなく使っていました。今はTRIOのAFX-46、管球に交代。これまた元気。懐かしいクリップありがとうございました。
雑誌広告や、オーディオ業界で先生などと呼ばれているろくでもない輩や、そしてクズのオーディオ評論家どもに媚びを売らずに、品物本位で頑張った素晴らしいアンプメーカーだったんでしょうね。撤退されたのは残念ですな。
返信ありがとうございました。懐かしいので追記。日幸電機はHPに、1962年日本で始めてのオールTRステレオアンプ発表、1987年音響機器生産中止の記載があります。バブル破裂前の撤退、先見の明ですね。ご三家やONKYOと対照的。ちなみに最初と言われることのあるTRIO TW-30は1965年発売のはず。寺田氏は自宅を改装グランドピアノ、録音機材を備えたオーディオパークを開設。秋満義孝、尾田悟らを迎えジャズライブなどを行い、優れたCDもリリース、現在も活動中。アリック日進は確か創業者は出村氏でラジオ少年だったようです。そのため当初から家電外電子部品やホビー関連も扱っていました。横浜駅西口店終わりの頃オーディオ視聴室、さらに鉄道模型の大がかりなレイアウトもあってよく見に行ったものです。今はドン・キホーテにビルを貸し(本社は今もこの横浜駅西口のビル)、生麦店は今もアフターケアに当たっているようです。コメントにありますがこのチューナーには、サーキットブレーカーもヒューズも見当たりません。
@@fuchiryu コメントありがとうございます。たしかに言われてみると オーディオの撤退は 先見の明ありですね! いまはサーキットブレーカーで生き残っているのですからね。 当時春を謳歌していた サンスイもパイオニアもアカイも・・・どこもなくなってしまいましたね。
300型チューナー18歳の時に買いました。後に500番代のシリーズが出たはずですが、こちらは入手出来ませんでGT810を購入してました
いいデザインでしたね
日幸電機さんとは取引あるんですがオーディオを作っていたとは知らなかったです。営業担当さんに聞いてみようと思います。
そうですか! HPをみても形跡はないですが 社史のなかで 第11回オーディオフェアで日本初のオールTrアンプ発売とありました。
オーディオ全盛期の70年代にオーディオ誌(無実やラ技みたいなハイ・マニア誌じゃなくてFM番組誌)でプリメインアンプの試聴記事を見た記憶があります。結構好意的な評価で低価格だったのでプア・オーディオファンとしては店頭で見かければ買った可能性はありますが、幸か不幸か専門店頭で見た記憶は皆無です。本当に市販してるのか?どこで売ってるのか?まさに幻のNIKKOプリメインアンプでした。
秋葉原でみたことはありますが なかりマイナーでしたね
I saw tons of Nikko receivers at college dormitories in US in 70's. They kept breaking down and were obviously in poor quality. Akai, Funai , Sanyo, Sharp were becoming popular names at that time after Sony, Panasonic.
日幸電機は地元に工場があり、仕事でも行ったことがあります。友人が(宮甚さんと同じくらいのお年です)好きで、最近もプリを買って楽しんでいます。
たしか川崎市ではなかったかと 羽田方面からも近い?
@@miyazin-shoten いまでも工場がありますよ。宮城県山元町です。
@@やまちゃん-t2x6l 工場でしたか・・
NIKKO 懐かしいな
あまりメジャーではなかったようですが 一部マニアには熱烈ファンがいるようですね
初めて知りました!30代前半です。ちょっとハードオフでも見に行ってみます。
わたしも初めてハードオフではみたので おそらく滅多にはみないメーカーだと思います
初ラ、子供の頃の愛読書でした!二光さんも魅力的な製品ばかりでしたね。
二光通販、 ちょっとグレーで微弱電波・・・2W改造あとでできます・・なんて心躍りました
カッコいい!!いいデザインです。日幸電機はさすがに自分の世代は知りませんでした。昔のメーカーいろいろあったのですね。そうそう懐かしいです!先輩!!二光通販。広告を見始めると欲しいものだらけ。布団の中でラ製を開き、眠れぬ夜を過ごしたけど、夢いっぱいだった頃を思い出します。どうやって1万円作ろうかと!無線機欲しい!!そんな中学1年の自分を思い出します。自分も何一つ買えませんでした。なかなか憎い直し方ですね。おまけにきれいに透過しています。自分の家も少なからず古物があふれてます。捨てられん!!大切にしてやってください。
コメントご丁寧にありがとうございます。 布団の中で夢見た初歩のラジオやラジオの製作の広告。あのワクワク感はわすれませんね。そんな思いでオーディオや無線をいまでもやっているジジイたちの まさに青春のい思い出でですね
最近まで、ニコーと云う通販のTV宣伝が有りましたが、今は聞きませんね。
@@yasudan7690 そういえばニコーのTVショッピングみたいのありましたね
とても懐かしいですね。昔、実家から近いところに「NIKKO FMサーキットブレーカー」という看板がありました。製品の広告も雑誌で見た記憶があります。動画で拝見したNECのICがFMステレオマルチプレックスですね。それ以外はオールディスクリートのように見えましたが。物を増やしてしまうようで申し訳ないですが、是非、分解せずに大切にお使いください!!
ありがとうございます 今回みな様から壊すな!とコメント多いので しっかり保存します! 笑
@@miyazin-shoten さん小型で良かったですね。標準の43㎝はでか過ぎですよね。 しかもガラガラ。 (笑)
@@yasudan7690 ほとんどのメーカーはガラガラですね
昔 パイオニアのヘルパーバイトを40年代にしておりましたので思い出しました 日幸電機は発電機等のメインブレーカ-企業でした仙台に本社があったと思います動画の最中にブレーカ-という言葉を聞き懐かしく感じます自分もプレ-ヤ-殆んど使ってない三洋オット-ダイレクトドライブ同時6万位したと思いますバランスがとれておりません一部不足かも よかったら送ります山水JBL505J 251もよかったら使える方に使って欲しいです今後も楽しく 見させてください
実は私も日幸電機製作所という会社自体はよく知らないのですが ブレーカーで有名とのことですね。ネットでみるといまでもブレーカーの会社としてあるようです。お申し出の件はありがとうございます。動画ネタとしてはSPもプレーヤーもどれも面白そうな機種ですね。でも特に505Jあたりはハードオフあたりに持っていけば 数万円もするような高級機では?
NIKKO: 知っていますよ。一時期だけしか存在しませんでしたが、普及家電のイメージでしたね。70年代初め頃に「無線と実験」か「電波科学」か「ラジオ技術」かその他 の後ろの方の宣伝ページか裏表紙でアンプの宣伝を観た記憶が有ります。 値段の割に出力が大きかった様な?
私は秋葉原店頭でよくみました。非常にチープなこのようなチューナーや小さなアンプがある一方、プロ用の比較的大型のトランジスタアンプも存在しましたね。総合アンプは たまにパイオニアやサンスイによく似たフェイスもあり、デザインに迷いのあった時期もあるようです。日本で初めてトランジスタアンプをつくったメーカーとありますが、ここの事実確認はむずかしいでしょうね。当時は技術革新も日進月歩でしたから ほぼ同時期にトランジスタアンプを発売したメーカーは多いはず
要は安かったんですよ、パワーアンプとか、10Wあたり1万円切っていたような。音楽専科で広告が載ってた記憶が。。初級用には結構推薦されてましたネ、ロック小僧でしたので。
おぉー 懐かしすぎですわわわぁ! オーディオをはじめて、最初に買ったA級モノパワーがニッコーのM-202とかいうやつだったなぁ とにかくやさしい?好きだけど少し頼りない音色だったのと、重量級アンプが多かった時代にペラペラで軽かった記憶が。まだ若かったので、うまく使いこなせていなかっただけかもしれないですけどねw
思い出よみがえりましたね アップした甲斐ありました!
日進はもうありませんね。建物はドンキホーテになってますね。NIKKOといえば日進でしたね。
日進はもうなくなりましたか! さみしいですね。
日進電気懐かしいです。横浜在住の頃、オンキヨーのアンプとチューナー(チューナーはトリオにしたかったけど予算が😢)、ビクターのカセットデッキ、パイオニアのプレイヤーを、ボーナス全てと、なけなしの貯金を注ぎ込んで、日進電気で揃えました。40年以上経過しましたが現役で稼働中です。もちろんメンテしながらですが、最近のミニコンポと違い、当時のものはゆったり組んであるのでメンテも楽です。
そうですね オーディオは特にアンプやチューナーは可動部分がすくなく比較的丈夫です。 50年以上前の真空管式セットになるとさらに整備性がよく、素子もトランジスタは壊れやすいですが 真空管は太平洋戦争当時のものもメンテ次第で立派にうごきます
お金のない中学生時代、ラ製誌の広告をみて大阪のデンケンパーツから通販で買った8トラックレシーバーのブランドはコベスといって神戸生糸の音響事業部によるものでした。ニッコーは存じていました。マイナー系の中でも比較的有名なメーカーはブラザーとかローテルあたりでしょうか? キットメーカーとしては動画でも仰っていたモナークサウンド、京浜電子、日本サウンド、サウンドシャックなど覚えています。ともあれ一流メーカー品には縁がない私でした。
いやー 懐かしいメーカー名が・・・ でも少年のころはお金もないし こうしたメーカーのものでも高値の花でしたから かえって当時の憧れでいうと 有名一流品よりも手がどどくところにいる 隣の美代ちゃんみたいなもんですね
福音電機とかコーラルとか、オーディオの黎明期でしたね。とても買えませんでしたが。
@@AiRobi コーラルやパイオニアのスピーカー・・・いいですね 今でも
@@AiRobi コーラル 能率が高くて、100db/mW超えていた。但しバックロードじゃないと低音が全く無い。A級シングル0.45wでロックしてました。
nikko商品、妙に高くなるんですよね〜。(ヤフオク)
なんか最近ヤフオクも変ですね マニアックです
@@miyazin-shoten 訳も無くぼろくそな古道具が高値だったり。腐ったコーンの磁気が消え損なったアルニコ磁石のスピーカー等。着磁に二万円も掛かるのにどーするの?
ニッコー ケッコウ ダイワカンコウ (笑)
@@yasudan7690 ダイヤトーンのP610のエッジレスSPを ありがたがってヤフオクで買う時代ですから まさにイワシの頭も信心ですね。
@@yasudan7690 ニッコー見ぬうち もう結構って感じですかね 笑)
NIKKOブランドでローエンドのプリメインアンプなど出していましたね。パイオニア、トリオ、サンスイなどのローエンドよりもっと安いくらいだった。日幸電機製作所はブレーカーなど配電盤関連メーカーとして、それなりに知られていますが、当時はオーディオブームだったからアンプも出していたんだと思います。その当時一時スタンダード無線工業もスタンダードブランドでアンプを出していました。もっとマイナーだったといえるが、現在は日本マランツになっています。
当時はオーディオブームだったので まさに雨後の筍のようにアンプを作るメーカーがでてきましたね。日本で初めてトランジスタアンプと発売したとか 本業のサーキットブレーカーを日本で初搭載したアンプを発売とか ホームページに自慢げに書いてありますね。(本当に日本初だったかどうか?はわかりませんが)。 ただ、アンプづくりからの撤退はある意味正解だったんでしょうね。サンスイやラックス、パイオニアでさえその後は倒産や経営難をむかえたわけですから。
ずいぶん昔のハイコストパフォーマンスのメーカーでしたね、その後どうなったんだろうROTELもそんな感じでしたが、今は十数万の少し高級な路線のようですねCECのプレーヤーとか色々ありましたね、学生や新人にはありがたい、今のオーディオは二極化し過ぎてつまりません横に写ってるカッパマイクも懐かしい、安いやつのマイク部だけコンデンサマイクに交換してました
NIKKOはその後ブレーカメーカーですね というか最初からブレ―カー屋みたいです
薄型で本棚に入るサイズのを秋葉原のガード下に売られていた記憶が有りますよね。欲しいな~と思いましたが少し高かったので諦めた記憶が有ります。
比較的秋葉原ではよく見ましたね
NIKKOはA級アンプを持っていましたがダイナミックさは無いですがきめ細かい聴き疲れの無い音でした。YAHOO!Auctionでも時々見掛けますね。
アンプもいいですね! 今度見かけたらぜひゲットします!
知ってます アドレスNRユニットを出してましたから しってます
ノイズリダクションですか?
@@miyazin-shoten さま はい ノイズリダクションユニットだしてましま 東芝のアドレス方式で
「日幸電機製作所」は今回初めて知りましたが、「二光通販」や「丸善無線」は特に馴染みが有って懐かしく思いました。「ニコルス」の無線機は当時雑誌広告であちこちで掲載されてて、「CB無線機」を作った後で「HAM免許」取得後はHAM用に改造して楽しめる!?…とか言ってた覚えが有りました。結局買わなかったけど気になってましたね。
ありましたね 「ニコルス」・・ ちょとチープで ちょといい感じ 子供心をくすぐられましたね
同じ思いです。懐かしいね👍
懐かしい機器の映像有難うございました。当時、どうしてブレーカーのメーカーから、オーディオ製品が発売されるのかなと思ってました。田舎だったので丸善通販にはお世話になりました。時効ですが、当時中学生だったので普通の封筒に現金入れてもちゃんと送って来ました。輸出向けのトランシーバーとかスピーカーとか入手でき助かりました。
オーディオは当時男のロマンでしたから~何処の企業も一度は商品化してみたいみたいな・・・☺️
そういえば 昔の通販の現金書留めんどうでしたね 封筒買って 糊付け3回くらいして・・・到着に一週間 そして到着まで一週間 待ちどうしかったですね
NIKKOのツィーターJST30H今も所有しているけれどスペックも不明で使い道が無く外ってある。
SPもあったんですか!・・・
今回はLED照明に妥協しましたね。通常の豆電球でも中身がLEDになっている時代ですから仕方ないですが昔の電球を安く手に入れる方法はないものですかね。
とにかく管ヒューズ型は 入手難ですし 多分あっても高い・・・ そして管ヒューズ型LEDも2本千円くらいするし・・・ 秋原日米商事にもないし 笑 いっそ普通のスワン電球ソケットを管ヒューズのホルダにはんだ付け? もうここは仰るように コストがかかるならこだわりは捨てないとだめですね。まあ 中身もトランジスタチューナなので妥協します!
@@miyazin-shotenさん。コメントバックありがとうございます。需要がないので高額にしないとやっていけないのでしょうね。それでも採算は合わない気もしますが・・・。まあ昔を懐かしむ様になったら年寄りの仲間入りなのでそれは避けたいかな(笑)。
LED も秋葉原に行くと揃わない色は無い常態なので致し方無いでしょうイルミネーションも設計が悪いと、思いの外電気を食うので、LED 化した方が良い機器も実際存在する😒豆電球とヒーターは軽い気持ちで、その辺から取ると、本体のパフォーマンスに影響するレベルでレギュレーションか低下する・・😣💢
@@currently-cat 豆球でも1Wくらいのが多いですからね
@@吉田重雄-w9g たしかに需要は もうないですねほとんど
このようなチューナーがジャンク(結局使えるようになりましたが)でハードオフにあるとは、びっくりです。50年以上オーディオをやっていますが、NIKKOの記憶はほとんどありません。しかし、このメーカーはブレーカーを作っているので、当時(いつだったか忘れたが)、電源部に初めてサーキットブレーカーを採用した、プリメインアンプを発売したという記憶があります。ほぼ全てのメーカーがヒューズを使っていた時代だけに、ちょっと話題になりました。ブレーカーのシェアでは有名なメーカー(今も)なんでしょうが、オーディオにもちょっと顔を出してみたというところでしょうか?ただ、このチューナーにはブレーカーが使われていないようですので、コストの関係なのか、音質の問題なのか、その後採用は止めたのでしょう。考えてみれば、ブレーカーがしょっちゅう落ちることはないし、落ちた時、入れ直せばいいというものでもないのですから、ヒューズで良いのでしょうね。懐かしい、というより珍しい名前のメーカーに出会いました。
テクニクスのスピーカーにある時期、サーキットブレーカーが搭載されてたのも、松下電工の影響とかあるかもしれませんね😏
ネットをみるとサーキットブレーカーを武器にしている記述もありますね。ただチューナーにサーキットブレーカーはさすがに不要だと思います 笑)わたしも秋葉原で見た以外は一切広告も 製品もみたことがありませんでした。ネットにはオーディオフェアで日本初のトランジスタアンプを発売という記述がありますが これはちょっとどうか?という感じです
たしかに松下の電工器具は日本では事実上独占ですね
@@currently-cat さん そうですか、それは知りませんでした。普通、スピーカーには保護回路は入ってませんが(音質への影響で)それは、PA用ですか?確か、BOSEのスピーカーには電球が使われていたそうですね。これは過大入力に効果があり、ダイナミックレンジが抑えられ、ある意味BOSEの音の特徴を作っていたのでしょうね。
@@パパソナス 1980年始め頃までTECHNICSの3way等に保護用ブレーカーが入っていました。小さなリセットボタン付きです。「オーディオの歴史」でTECHNICSのスピーカー記事を見て下さい。
私は良く知ってます。日本で一番最初に半導体アンプを発売したメーカーは事実です。輸出主力ですから広告はあまり出てきません。当時の大手メーカーより高級な筐体です。th-cam.com/video/-nqB5HiJ588/w-d-xo.htmlこのFAM-300チューナーは、長岡鉄男氏がお勧めしていた超低価格品でした。ですから市場に出てます。
おおー! こんなのあったんですね! いいですねこれところでVUメーターも最高ですね情報ありがとうございます
@@miyazin-shoten さん日幸電機電機製作所は、音響製品の生産拠点が宮城県旧山本町にありました。フォノイコに昭和40年代初めに複合IC使ったり、先進的でした。FMサーキットブレーカーが有名な商品です。そのチューナーは長岡氏が、電波科学に執筆していた時代に良く出てきます。VUメーターはレプリカ品です。動作電圧は正規と同じです。+4dB=0VUですから変換アンプがないと民生では使いにくいです。
@@yapsystem6276 情報ありがとうございます。
自分が拾った奴は、ランプ交換しまら~僅かにハムが出ました!ケミコン増量したら解消しましたが、電源が足りない印象でしたね・・😒ランプが電気食いすぎなので、今ならLED に変えますね・・😌大手の修理担当者があのメーカーはなかなか良いメーカーだとおっしゃてました☺️
まったく同じパターンですね わたしはコンデンサ液漏れ気味だったのではじめから変えてしまいました そのせいか?ハムは大丈夫でした
@@miyazin-shoten コンデンサの容量不足でハムってメーカー製だと殆どあり得ないので、トランスがオーバーワークになって、完全にレギュレーションが低下している感じですね😒
日本初かどうかは知りませんが、トランジスタアンプで最初に有名になったのはSONYのTA-1120かTA-1120Fだったと思います。真空管アンプと比較して冷たくて機械的な音と評価されていました。ブロック化されたアンプ基板が沢山縦に並んでいました。まだ、真空管の造り方のイメージが残っていた様です。
なつかしいですね TAシリーズの初期・・わたしは今でもTA2000FやTA初期の1120などのシリーズを数台持っています。意外と初期のころのSONYのトランジスタアンプは丈夫で 驚くことにまだほとんど生きています。 真空管アンプと比べて機械的な音というのは おそらく その評価は違うと思います。当時のろくでもない(いまでもロクでもない音楽評論家やオーディオ評論家ども)は、おそらく石=トランジスタでそういったのだと思います。ヒーターが点灯しないから冷たい音・・・その程度なのです。評論家なんて・・・ いま自分で経験してそう思います。 余計なことかもしれませんが、あまり評論家のいい加減なコメントは鵜呑みにされず、ぜひ自身で聞き比べてご評価されたほうがいいと思います。
@@miyazin-shoten TA-1120Fの正当な評価ありがとうございます。実は、TA-1120Fの開発者は私がSONYに入社した時のHiFiテープレコーダー設計課の鬼課長さんだったんです。 永見さんと云いました。何しろ、気短な人でいつも全速力で話したりしていました。TA1120Fの内部を観たら、基板と基板の配線が山ほどあって手間のかかったアンプだなあと思いました。当時は既にあまり沢山の基板を使う設計では無くなって、合理的な設計になって居ました。オープンリールデッキの設計手伝いや主設計をして、カセットデンスケの省エネ設計改良を行って電池寿命を4倍以上に伸ばしました。録音アンプの電源電圧を下げるため電流出力アンプを設計しました。当時は高電圧アンプに高抵抗をつないで電力効率が1/10以下だったので無駄に電力消費していたのです。再生アンプ用電源だけをそれまでの半分の12Vに昇圧して、録音や消去は電池電圧6Vで駆動しました。また、3ヘッドカセットデッキのアジマス合わせの検出器にナカミチが3千円掛けていたのを150円で実現しました。TC-6150SDAです。Aはアジマス合わせの改良品です。その後、デジタルオーディオの開発を行い世界初のプロセッサ:PCM-1を商品化して、その後、EIAJ規格の14/16bit録音用のLSIやプロセッサ:PCM-F1を開発商品化しました。その後も、据え置きのPCM-701、-501等を商品開発して、その後、CD-ROMの開発や⊿ΣD/Aや⊿ΣA/Dの開発やサンプリングレートコンバーターLSIの開発やその技術を応用したフルデジタルアンプの開発などしていました。 また、EIAJやJATAで委員をしたり、IEC規格策定にフィリップスやドルビーなどと交渉しました。SPDIF規格:IEC60958や5.1cH IF: IEC16937規格等を策定しました。その後、一通りやり切ったので、早期退職して今はアパート経営しています。また、アナログアンプやスピーカーの設計や自作を行っています。去年、17畳の本格的なAV音響防音室を完成しました。 発泡コンクリート20㎝壁と二重窓とダイケンの47db防音ドアと吸音反射壁天井で残響時間0.6秒の天井方向の拡散反射が上手く行きました。正面壁は完全吸音で天井裏の吸音部と連結して定在波を無くしました。横壁は上向きの反射板と下向きの吸音域の縦方向波構造です。この構造で、一次反射を聴取者に向けずに、反射音を上空に響かせています。天井は高さ3.5mで前後方向に波板の反射構造です。これで部屋中に拡散します。波の角度が重要で対抗面からの反射を元の方向に戻さない様に設計します。床は厚板の上に防振ゴムを敷いて、サントリーのウイスキー熟成樽をリサイクルしたビンテージホワイトオーク樽材製の樹脂含浸硬質フローリング仕上げで、縄跳びしても音もしません。プリアンプのフォノEQアンプは垂直方向信号打消し方式で、LP盤が反っていてもウーハーが揺れません。ローカットではないので数Hz以下までフラットf特です。種明かしは、水平信号はLR信号が同相で、垂直信号は逆相なので、LR信号を加えると水平信号は同相で二倍になって、垂直信号は打ち消し合って消滅します。だから、フィルターで超低音域の10Hz以下の信号だけをL→R、R→Lと加えて超低域を二倍にして、アンプのEQはその分を低域持ち上げない時定数に変更して低域上昇を下げて平坦にして、同時に更に1Hz以下の超低域カットフィルターでLPの芯ずれの水平信号も除去して、無駄な電圧変動信号成分の発生防止して混変調歪を最小化しています。電源もLi電池で駆動します。 ボリュームは24Pセレクタで等抵抗型IOにしています。2dbステップなので、微調とL/Rバランスは巻き線抵抗でセレクタボリューム駆動アンプの帰還量を可変でゲイン調整しています。 トーン回路もグライコ構造でf0切替可変設定と11Pセレクタで中音域も調整できるようにしています。プリアンプもまだまだやることありますよね。 メーカーは必要なことしないで、意味のないことばかりやっている。 使えないトーン回路だから通過機能付けて、無意味に場所や費用を使っている。プリもパワ-アンプもアンプの土台は合成大理石のデュポンコーリアン 10㎜です。鉄板やアルミ板よりも無共振でGoodです。重量のあるトランスの下にも足を設けて支える構造です。 百均の地震対策の滑り止め樹脂が振動吸収にはGoodです。まあ、色々やることはまだまだあるんですね。 (笑)
コメントご丁寧にありがとうございます。 そうでしたか・・当時はトランジスタ黎明期で一斉にトランジスタ機器が発売されていたので どこも綿が社が日本初というのが集中したんでしょうね。 トランジスタラジオでさえ SONYよりうちのほうが早かった・・なんてところもあるかもしれませんね。 よくSONYタイマーなんて揶揄されているようですが、私は初期のトランジスタラジオや 初期のSONYのオーディオ機器はかなり持っているのですが 意外と50年以上前のものは ほとんど稼働しますね(メカ部分は別として)。 やはりトランジスタも初期のころは まだ手探りで スペック的にも良い材料と余裕をもった設計だったのでしょうね。 わたしは ほとんどプリアンプは真空管しかつくりませんが、いまでも完成すると必ずTA2000Fで鳴き合わせして確認しています。50年変わらない原器のような音を出すアンプはすばらしいと思います。 やはり当時の真空管アンプの雄をラックスとすれば トランジスタの雄は まさしくSONY以外ありませんね。 特にTA1150くらいまでの 筐体やツマミの作りの良さは今見てもほれぼれしますね。内部構造もヤエスの無線機のような構造で 一般のオーディオメーカーのトランジスタアンプとくらべて まるで測定器のような感じをうけました。
@@miyazin-shoten 様そうなんですよ。アンプを開けると何じゃこりゃァって驚きます。めちゃ高そうな造りだなって思いました。それが、音質的に是か否か難しいところです。基板が固定されている方が良いので、後年高級機のようにブロックモジュールに固めるとか。 修理出来ませんけどね。90年代のハイエンドはモジュール化していましたね。自作では、透明な振動吸収樹脂を基板裏に貼り付けるなどが良い方法です。百均で廉いです。吸音材もぬいぐるみ用のポリエステル綿が廉くて良いですよ。エアコンのパテも簡単で廉くてお勧めですが、手がベタベタに成るので使い捨てのポリ手袋がお勧めです。
@@yasudan7690 たしかにSONYのアンプは剛性もけっこう気にしていますよね 先日買ったAVアンプも剛性感あるシャシーに乗っていてまるでクルマのシャーシーみたいでした。 最新のウオークマンも40万円の銅の削りだしとか・・・ おどろくばかりですね
知らないメーカーが出てきました。でも明かりが点くと良い雰囲気コンパクトで良いですね。FMが壊れたの物を持っていてトランジスタを全交換してみようと思い3年位経つんですが、チューナーは調整するところがあるんですかねえ。
チューナーはトランジスタ式ならほとんど調整はずれていないケースが多いのでは? SSGがあれば一通り信号強度強いところにして十分実用になると思います。
@@miyazin-shoten 調整するところがないのであれば交換するかもです。返信ありがとうございました。
@@1613ppp IF アンプの石を変えると入力容量などが変わるので調整が必要に成ることも多いです。 IFの石が生きていれば良いのですけどね。
@@yasudan7690 さんIF アンプの石が生きていれば調整しなくてよいので、悪い石だけを交換するのが良いと言う事ですね。ありがとうございました。
ブレーカー屋さんが制作ですか。
もともとはブレーカー屋さんみたいですね。いまでもブレーカー屋さんだと思いますが。そのブレーカーをアンプに搭載したのも売りだったみたいですね
我が蔵書のトラ技の1967年に日幸プリメインアンプTRM50の写真が出てました。米国にも進出しているとか紹介されています。
輸出も結構あったみたいですね やはり宣伝力ではなく コストパフォーマンスと実力の製品ですね
@@miyazin-shoten 自分も、初ラ卒業して最初のトラ技で読んだので、この写真は印象が強かったです。ゆえに当時の自分には、日幸はトリオやSONYと同格のメーカーの印象を受けました。
@@no882323 そうですか! わたしはつい二光通販のイメージがあって・・・笑) 失礼ですね 日幸に・・・
業務用カラオケアンプメーカーですよ
audio-heritage.jp/NIKKO/tuner/index.htmlオーディオの足跡というWebサイトに商品群でていました
NIKKO懐かしい。マイナーではあったがオーディオに興味ある人は皆知っていたと思う。
輸出でも有名でしたし 当時の無線と実験あたりにもたまに広告でましたね
懐かしいですね。私が初めて買ったアンプがNIKKOのA-500でした。たしか398でした。意外と音良かった記憶があります。
おおー お持ちでしたか お目が高い
いやー懐かしいです、私64歳、高校生時代、毎週日曜日に秋葉原に行きました。日進、二光通販、丸善、青春時代の思い出です。A-300D所有しています。
当時のB級オーディオ、なんとも言えない魅力がありましたね
NIKKO、よく覚えています。64歳ですが。
1970年代前半、秋葉原に通ってはカタログ集めてため息をつくオーディオ中坊でした。
オーディオショップでもその製品を見ることは稀でしたが、輸出がメインだと聞いた覚えがあります。
渋いメーカーでしたね
宮甚さん、また1年後の今日、この動画を初めて拝見したのでコメントします。 私はこの日幸電機の製品は良く知っていました。それだけでなくて、’72年、大学2年の時だったと思いますが、友人が金は無いけどレコードは聴きたいというので、3万円程のニッコーのレシーバーを勧めて買わせました。コストパフォーマンスが最高だと思ったからです。
草創期の「ステレオサウンド」は60チャンネルの切換システムを作って、毎号切換テストをやっていましたが、ニッコーのアンプやチューナーは常連でした。No.24、'72年秋号の特集は「FMチューナー最新45機種の受信テスト」ですが、そのトップバッター(つまり最廉価機)がこのニッコーFAM-300、定価¥19,900で、岡俊雄、山中敬三、長島達夫氏の総合評価は「推薦」と、かなり良い評価をしています。
因みにこの時の「推薦」機種はマッキンMR77、トリオKT-6005、ソニーST-5140等、錚々たるものでした。
北米でも人気だったようですね おそらく それほど広告も打たず やはり品物勝負だったんでしょうね
日幸、サーキットブレカーのメカーですね、昔雑誌で見て欲しかったですね。
最近は 日幸電気製作所はもうアンプはつくっていないみたいですね。
日幸電機製作所はサーキットブレーカーで有名です。世田谷区奥沢から川崎中原区に移転1962年 第11回日本オーディオ・フェアで日本ではじめてのオールトランジスタステレオアンプを発表。
もともとはサーキットブレーカーをヒューズの代わりにして有名なアンプでしたね
あいまいですがSTEREO誌の記事の片隅に、白黒の小さな広告が出ていたような。ニッコーと記されていたかと思います。マイナーでもエレガのようなプロ用機器には注目していたのですが、ニッコーはあまりプロ用の匂いがしなかったので忘れていました。
比較的ローコストの製品が多かったですね 当時は三流みたいなイメージでしょうか。でもそれはオーディオ評論家どもの評価で まともなマニアの評価とは違うと思います。雑誌も広告がすくないと 評価もあまりよくしないし・・・ろくでもない世界です。
50年近く前、NIKKOさんに採用試験を受けに行った事がありました。輸出がメインのようで、アメリカに行けますかと訪ねられ、断りました。
そんなことがありましたか 日幸はむしろ海外で人気があったんでしょうね。
うらやましいです わたしだだったら二つ返事で採用試験で返事していたと思います。 自動車会社でアメリカ転勤希望でしたが 結局メキシコと台湾だけでしたから・・・
50年近く前、NIKKOのプリメインアンプ、CECのプレーヤー、FOSTEXのスピーカー(確か10cm2発で正面が正方形の箱)でローコスト・システムを組みました。懐かしいです。
なんだか長岡鉄男の推奨しすてむみたいですね 最高の組み合わせでしょうね
@@miyazin-shoten 仰る通りです。スピーカーはG11だったと思います。私は宮城県人で、NIKKOは山元町に工場があり、NIKKOの技術者が知り合いでした。
1970年頃だと思います。懐かしい。
同じようなデザインで小型で安価のプリメインアンプを買った覚えがあります。
当時同クラスで人気のあったのは、トリオのTWシリーズで薄く
小型の大変カッコイイものでしたが、シャーノイズが多くて散々でした。が。
NIKKO のは大変静かで暫く使用した覚えがあります。
何であまり聞かないメーカーの製品を買ったのか。
モシカしたら、あの長岡鉄男氏の紹介記事でもあったのか。
今や伝説のオーディオ評論家ですが。日本でのコストパフォーマンス創始者(?)
でもありました。(今時はコスパなどと言っておりますが)
長岡鉄男は結構本音で 評論家らしからぬところがよかったですね
いつも楽しく観させて戴いています。ニッコーがDCアンプを出した頃,長岡鉄男さんが雑誌に「ニッコー,ケッコー」(いまなら「どうなの,このタイトル」という感じですが)という記事を書いていました。それで秋葉原まで見に行った覚えがあります。同じような値段の有名メーカー製のアンプより高級に見えました。昭和40年代の後半だったと思います。
「ニッコー,ケッコー」・・・今なら最高です! ナウい!
@@miyazin-shoten そんなものですかね(密かにクスッと笑ってしまいました)。
懐かしいです。
当時、本社は世田谷の奥沢にあったと思います。
私の実家には、スピーカーが2台、レシーバーが1台あります。
もともとコンデンサーのメーカーさんでしたが、1960年代よりオーディオ製品も作ってました。
レシーバーも良いデザインでしたね。サーキットブレーカーでも有数のメーカーですね。
私は1970年代に、世田谷区等々力で下宿生活していましたが、深沢3丁目に隣接する等々力7丁目(いずれも現在の表示で)に日幸電機の表示のある大きな屋敷があったのを覚えています。関係者の自宅なのかそこで営業していたのか分かりませんでしたが。
このメーカー確かフロッピーディスクドライブも製造していたと思います。
そうですか 元がブレーカーみたいなので なんでも手を出したのでしょうねきっと
これは、知らなかったなぁ、雑誌の広告、懐かしい CECとか載ってましたね。 報告ですが、6BM8のハム音はLUXKITレベルまで落ちました。今回は2.2Ωでヒーターの電圧調整後の配線もアース線との撚線にしてみました。これで、落ちました。全波整流後の配線ってハムの原因なのかなぁ。ダイオードブリッジの出側に直接1000μF入れたんだけど効果なし。
かなり耳がいいですね わたしはほとんどハムは適当に作ったアンプでも聞こえなくて…笑
知識がすごい
制御盤の漏電遮断器を作っているメーカーさんですよね。田園調布と宮城県にあったように記憶しています。
そうですね。そっちが本業のようですね
日幸電機製作所は仕事で宮城県亘理町に一度行ったことあります。本社工場なのかなと思うが納入した製品が不良でその処理というあまり芳しくない用でした。もうそのときはオーディオから手を引いていたわけだが、元々は電源用パーツが本業のメーカーみたいで、オーディオが調子いいとき一時的に手を出したというだけみたいです。本業が別にあったからオーディオ売れなくなってもあまり影響がなかったのでしょう。スタンダード工業(現マランツ)もアンプを出していて当時はマイナーで似たような印象でしたね。
そういえば サーキットブレーカーあたりが本業でしたよね 社長さんの道楽でしょうか 笑
私、当時このチューナー購入して使っていました。多分電波科学に紹介記事があり、買ったのですよ。多分東京タワーから10キロか20キロのところでFMの八木アンテナ立ててバッチり受信しておりました。懐かしいなあああ
結構 このチューナーのユーザー多かったんですね
名前だけはなつかしく覚えてます。スイング・ジャーナルの別冊で、毎年出ていた「最新オーディオ・ガイド」(だったかな?)で、岩崎千明さんが最もローコストな組み合わせで、定番のように指定していたのが、これと、ペアのプリメインアンプでしたね。あと、レコードプレーヤーはCEC。スピーカーは何だったか忘れましたが、もしかしたら私が最初に買ったダイヤトーンのDS-24Bもあったかもしれません。
CEC・・・ いまでも製品をたまにみますね。プレーヤーの印象ですがローコストなアンプもあったような。 当時わたしも学生でコストパフォーマンスのいいオーディオ機器がすべてでした・・・当然いまでも 笑
確かに岩崎さんのお勧めでしたね。
普段は、山水のアンプとJBLの大音響で、鳴らすのが、定番でした。
当時の評論家とメーカーの忖度?は、紙面からも伺えた。でも自身も盲目的に信じてた(笑)
学生時代に最安値チューナーということで秋葉で買いました。アンプとセットで発売されましたね。自分はパイの確かSA-50というアンプとこのチューナーで使用していました。音がイマイチでトリオの2002というチューナーに交換したところ別次元の音の良さに驚いた記憶があります。懐かしさに感激です ! !
おおー わたしもパイオニアのSA-60使っていました
1973年頃のFMファンの、長岡鉄男の体験的製品ガイドには、FAM300とTMR300を合体させたレシーバー、ニッコーR2000が、お勧めになっていました。アンプのA500 A800の紹介もありました。ファイルしてあります。ちなみに私もハードオフで、T500という幻のチューナーをゲットしましたが、このすごさって、誰にも分からないだろうなぁ(笑)
たぶんだれにもわからないと思います そのすごさ・・・
でもみんなしらないから そこがいいのだと思います。実力第一ですね
ローテルのレシーバーと似ている感じがします。
チューナーとアンプが組み合わさったものを当時、レシーバーと呼んでいたと思います。
あれれ いまでもレシーバーって言いませんか? というかもうあまりレシーバー売っていませんね
素晴らしい修理技術に関心しました!
修理といっても電球交換レベルです でもありがとうございます
NIKKO
良く知っていますよ、昔は真空管少年で良くアンプ作りました。昭和30~40年代ですが
とうじは2A3とか42、6146が流行していました
6146ですか! ラジオ少年ではなく 本物の無線小僧ですね!
昭和48年頃電気関係の雑誌に通販広告がありアンプ2万円弱同じくチューナーもほぼ同じ値段特長はそれぞれマイナス3000円でキットも並行販売しておりキットを購入予定だったのですがいろんな条件で断念しました買っておけば良かったのに残念です (^^♪
このころのアンプやチューナーはみんな夢がありましたね
懐かしいです。
fm fanとか週刊FMにレシーバーの広告があったような気がします。
懐かしい響きです。ありがとうございます。
広告ありましたか! わたしは見たことがなかったので・・・ でも広告みたかたもいるようです 情報ありがとうございます
@@miyazin-shoten 日幸の広告は、私も知っています。レシーバーの広告です。昭和45年から50年にかけて初ラとFMfanを読んでいました。初ラで見たように思うのですが、FMfanだったのですね。当時はパイオニア・山水・トリオが一流ブランドだったので、日幸は三流ブランドぐらいのイメージでした。海外では人気があったようです。
貴重なチューナーを入手されましたね。
昔、日幸電機は私が通っていた小学校の隣にあり今は横浜市へ移転しました。
日本で最初にトランジスタのアンプを発売した会社というのは事実です。
そのトランジスタアンプのカタログを持っていましたが現在は紛失したか捨てたかで見当たりません。
そうでしたか! 歴史がひもとけますね
なつかしくて連絡いたしました。昭和の親父です ニッコー電気製作所 現存していますよ。ブレーカーなどを製造しています福島県の亘理に工場がありましたが震災で被災されたあと再建されたようです。学生時代に工場研修があり夏休みにお世話になりました。確かトランジスタアンプでOCL回路を早期に採用されていた電子回路のプロのお顔も記憶しています。研修後にアンプをいただき長きに使用していました。東北震災に遭われて心を痛めておりました。日本の大きな町工場の中でプロ集団である会社ですよ。
そうですか 実際研修されていたなら 実力は把握済みですね。 ブレーカーではいまでも有名な会社ですね。本社は今当地に近い川崎市にあるようです。日本初のトランジスタアンプというのも 信憑性は高いかもしれませんね。(まあ当時はトランジスタ黎明期で どこもおらが一番最初と思っていたでしょうけど・・・笑)
情報ありがとうございました
亘理町は宮城県ですが?福島にもありますか?
光波無線って中野にあった店ですかね?中2の時に友達と一緒にトランシーバのキットを買いに行きました。
行ったことはありませんが 中野の住所です。いまはあるのでしょうか?
日幸電機は知らなかったけど、雑誌の通販には心を鷲掴みされました。懐かしいです。
なんで今になってみると あれほどチープな通販広告のオーディオ機器やラジオ無線機が 当時は心ときめかしてみてため息ついていたんでしょうね。 本当になつかしいですね
昭和48年のころだと思いますが「日幸電機製作所」のステレオプリアンプを秋葉原で購入し使っていました。パイオニア、サンスイ、等と比べて名前も知られていませんですでしたが
スピーカー出力回路にサーキットブレーカーが入っていたり、テープレコーダーの入出力回路などが独特のようだったと記憶しています。
輸出に強いメーカーだったみたいですね。 質実剛健のモノづくりでしょうかね
懐かしい 二光通販 丸善無線から真空管のFM・AM付きアンプ買いました。FMの周波数帯が海外の物でしたが日本の周波数で聞くことが出来ました。
本当に安く買えたのを覚えてます。凄く懐かしくて嬉しいです。寺内タケシの運命を聞いて 今日は床に就きます。
二光通販 丸善無線・・・ ほんと懐かしいですよね じゃわたしも今日は寺内タケシで! 笑
NIKKOのチューナー、記憶にありますね。たしか、デザイン・サイズお揃いのプリメインアンプもあったような。
そういえばいつの間にか見なくなりましたね。
その、ちょっと小ぶりなアンプとチューナー・・・なつかしいです
FMレコパル誌で、各メーカーの製品紹介の最後にいつも掲載されてた?コスパの良さげな、アンプやチューナーの写真の記憶が(笑)
FMレコパル・・・ありましたね。 たしかに値段もそれほど高くなかったので コスパはよかたのでしょうね
ニッコーは輸出を主力としたメーカーですね、
パワーアンプ一時期使ってました、
マイナーメーカーで有名?なのにCEC、
A&E、スタンダードも使った事が有ります。
船井も日本より海外での評価がありますね。
CEC・・ありましたね レコードプレーヤーの廉価版メーカーと思っていたら 結構輸出も強くて オーディオアンプも出していましたね。 まあマイナーメーカーは宣伝広告費用かけられないので実力勝負でしょうね
カメラのニコマートなら知ってるけどNIKKOは初めて聞きました。
面白そうですね
たしかにニコンやニッコールとか 英文字にすると似ていますね
ダジャレが面白いです
NIKKOはadresユニットという意外なモノを製品化していました。開発した東芝以外でユニットを出していたメーカーには他にAKAIとONKYOがありましたが、この2社の中身が東芝のOEMだったのに対し、NIKKOは自社開発だったようです。
独創性 技術力のあるメーカーだったんですね
【NIKKO】ですかぁ、ローテルなんて言うオーディオメーカーも有った様な気がしていますが、今はどうなったんでしょうか・
ROTEL いま聞かないですね!
藤沢に住んでいた私にとってはアリック日進はしょっちゅう行ってました。スピーカーもアンプも、パーツも買った、懐かしい。20世紀とともに終わったような気がしますね。
アリック日進は普通の量販店ではなく、 オーディオや模型とか マニアックでしたね。SPも多く扱っていましたし・・・ 羽田に近い川崎にもありました。 いまはほとんどみないですね
懐かしい、本も動画で出てる奴とか毎月買ってました。その当時CQの広告ページで
色んなオーディオ関連やパーツ等穴が開くくらい見てました。その後
田舎の方でもサウンドシャックが売り出されるようになってからそればかり買ったり
自作アンプの本格的な奴(メーカー忘れました)組み立てたりしてました。
ああいうの又出ないかなあと、最近また思ってたりします。
いいですよね その手のアンプ なつかしいです
@@miyazin-shoten 今思い出しました。ラックスキットって言うメーカーでした。キューブスピーカーも良い感じでした。
@@nobueri142 ラックスキット トリオキット ありましたね
NIKKOは写真で見た事あります。'70年代後半には雑誌に記事が出てました。
宮甚さんの影響でTU-555を1100円で買ってきましたw
家にはKEの新品アンプが2台あります。それ以外にも日本サウンド等のBオーディオが数台あります。ノブもアルミ切出しで安かろう悪かろうっと言う事は無いですね。当時の小・中学生が小遣いで買っても気に入ったと思います。
また懐かしいオーディオ紹介お願いします。
TU-555を1100円は安いですね わたしももう一台・・・笑
当時のちょっとチープな機器って なつかしいですよね
最近ヤフオクでも 化学教材社とか光波無線とか 異常に高いです 笑
@@miyazin-shoten NIKKOは途中から高級機を発売してStereo Sound 系の雑誌に記事が多く載ってましたね。
社内にオーディオマニアが多かったんだと思います。
当時は空前のオーディオブームだったので強電メーカーもSPを出したりしてました。
ハムの世界でもアツデンやFDKとか無線機を発売してましたね。良い時代でした。
@@300bnori9 Stereo Sound ですか! そういえばStereo Sound は読んでいませんでした 当時はもっぱら初歩のラジオ!・・・ たしかにラインナップにはこのチューナと違いかなりの高級機がありますね
真空管アンプでEROICAやMACTONなど面白いブランド有りましたね。
EROICAは高級なイメージ。 MACTONや ?は 少し普及品イメージ。
?は思い出せません。 (笑)
@@yasudan7690 エロイカ・・・ありましたね。新入社員の大卒開発取締役・・・笑) 当時はアンプだけでなく プレーヤーもいろいろありましたね CECなどもアンプを出していた記憶が? (いまでもあるかも?)
日幸電機は昔世田谷区奥沢にあってTRアンプでもご三家辺りと違う確りした設計の物でした。ヒューズが常識の時代にサーキットブレーカーを世に出し技術レベルの高い会社。真空管アンプの安斉勝太郎氏と親しい寺田繁と言う役員がいて、正に今日のチューナーをいただき、最近まで照明が切れることもなく使っていました。今はTRIOのAFX-46、管球に交代。これまた元気。懐かしいクリップありがとうございました。
雑誌広告や、オーディオ業界で先生などと呼ばれているろくでもない輩や、そしてクズのオーディオ評論家どもに媚びを売らずに、品物本位で頑張った素晴らしいアンプメーカーだったんでしょうね。撤退されたのは残念ですな。
返信ありがとうございました。懐かしいので追記。日幸電機はHPに、1962年日本で始めてのオールTRステレオアンプ発表、1987年音響機器生産中止の記載があります。バブル破裂前の撤退、先見の明ですね。ご三家やONKYOと対照的。ちなみに最初と言われることのあるTRIO TW-30は1965年発売のはず。寺田氏は自宅を改装グランドピアノ、録音機材を備えたオーディオパークを開設。秋満義孝、尾田悟らを迎えジャズライブなどを行い、優れたCDもリリース、現在も活動中。
アリック日進は確か創業者は出村氏でラジオ少年だったようです。そのため当初から家電外電子部品やホビー関連も扱っていました。横浜駅西口店終わりの頃オーディオ視聴室、さらに鉄道模型の大がかりなレイアウトもあってよく見に行ったものです。今はドン・キホーテにビルを貸し(本社は今もこの横浜駅西口のビル)、生麦店は今もアフターケアに当たっているようです。
コメントにありますがこのチューナーには、サーキットブレーカーもヒューズも見当たりません。
@@fuchiryu コメントありがとうございます。たしかに言われてみると オーディオの撤退は 先見の明ありですね! いまはサーキットブレーカーで生き残っているのですからね。
当時春を謳歌していた サンスイもパイオニアもアカイも・・・どこもなくなってしまいましたね。
300型チューナー
18歳の時に買いました。後に500番代のシリーズが出たはずですが、こちらは入手出来ませんでGT810を購入してました
いいデザインでしたね
日幸電機さんとは取引あるんですがオーディオを作っていたとは知らなかったです。営業担当さんに聞いてみようと思います。
そうですか! HPをみても形跡はないですが 社史のなかで 第11回オーディオフェアで日本初のオールTrアンプ発売とありました。
オーディオ全盛期の70年代にオーディオ誌(無実やラ技みたいなハイ・マニア誌じゃなくてFM番組誌)でプリメインアンプの試聴記事を見た記憶があります。
結構好意的な評価で低価格だったのでプア・オーディオファンとしては店頭で見かければ買った可能性はありますが、幸か不幸か専門店頭で見た記憶は皆無です。
本当に市販してるのか?どこで売ってるのか?まさに幻のNIKKOプリメインアンプでした。
秋葉原でみたことはありますが なかりマイナーでしたね
I saw tons of Nikko receivers at college dormitories in US in 70's. They kept breaking down and were obviously in poor quality. Akai, Funai , Sanyo, Sharp were becoming popular names at that time after Sony, Panasonic.
日幸電機は地元に工場があり、仕事でも行ったことがあります。
友人が(宮甚さんと同じくらいのお年です)好きで、最近もプリを買って楽しんでいます。
たしか川崎市ではなかったかと 羽田方面からも近い?
@@miyazin-shoten いまでも工場がありますよ。
宮城県山元町です。
@@やまちゃん-t2x6l 工場でしたか・・
NIKKO 懐かしいな
あまりメジャーではなかったようですが 一部マニアには熱烈ファンがいるようですね
初めて知りました!
30代前半です。
ちょっとハードオフでも見に行ってみます。
わたしも初めてハードオフではみたので おそらく滅多にはみないメーカーだと思います
初ラ、子供の頃の愛読書でした!
二光さんも魅力的な製品ばかりでしたね。
二光通販、 ちょっとグレーで微弱電波・・・2W改造あとでできます・・なんて心躍りました
カッコいい!!いいデザインです。日幸電機はさすがに自分の世代は知りませんでした。
昔のメーカーいろいろあったのですね。
そうそう懐かしいです!先輩!!二光通販。広告を見始めると欲しいものだらけ。
布団の中でラ製を開き、眠れぬ夜を過ごしたけど、夢いっぱいだった頃を思い出します。
どうやって1万円作ろうかと!無線機欲しい!!そんな中学1年の自分を思い出します。
自分も何一つ買えませんでした。
なかなか憎い直し方ですね。おまけにきれいに透過しています。
自分の家も少なからず古物があふれてます。捨てられん!!
大切にしてやってください。
コメントご丁寧にありがとうございます。 布団の中で夢見た初歩のラジオやラジオの製作の広告。あのワクワク感はわすれませんね。そんな思いでオーディオや無線をいまでもやっているジジイたちの まさに青春のい思い出でですね
最近まで、ニコーと云う通販のTV宣伝が有りましたが、今は聞きませんね。
@@yasudan7690 そういえばニコーのTVショッピングみたいのありましたね
とても懐かしいですね。昔、実家から近いところに「NIKKO FMサーキットブレーカー」という看板がありました。製品の広告も雑誌で見た記憶があります。
動画で拝見したNECのICがFMステレオマルチプレックスですね。それ以外はオールディスクリートのように見えましたが。
物を増やしてしまうようで申し訳ないですが、是非、分解せずに大切にお使いください!!
ありがとうございます 今回みな様から壊すな!とコメント多いので しっかり保存します! 笑
@@miyazin-shoten さん
小型で良かったですね。
標準の43㎝はでか過ぎですよね。 しかもガラガラ。 (笑)
@@yasudan7690 ほとんどのメーカーはガラガラですね
昔 パイオニアのヘルパーバイトを40年代にしておりましたので
思い出しました 日幸電機は発電機等のメインブレーカ-企業でした仙台に本社があったと思います
動画の最中にブレーカ-という言葉を聞き懐かしく感じます
自分もプレ-ヤ-殆んど使ってない
三洋オット-ダイレクトドライブ同時6万位したと思いますバランスがとれておりません一部不足かも よかったら送ります山水JBL505J 251もよかったら
使える方に使って欲しいです
今後も楽しく 見させてください
実は私も日幸電機製作所という会社自体はよく知らないのですが ブレーカーで有名とのことですね。ネットでみるといまでもブレーカーの会社としてあるようです。
お申し出の件はありがとうございます。動画ネタとしてはSPもプレーヤーもどれも面白そうな機種ですね。でも特に505Jあたりはハードオフあたりに持っていけば 数万円もするような高級機では?
NIKKO: 知っていますよ。
一時期だけしか存在しませんでしたが、普及家電のイメージでしたね。
70年代初め頃に「無線と実験」か「電波科学」か「ラジオ技術」かその他 の後ろの方の宣伝ページか裏表紙でアンプの宣伝を観た記憶が有ります。 値段の割に出力が大きかった様な?
私は秋葉原店頭でよくみました。非常にチープなこのようなチューナーや小さなアンプがある一方、プロ用の比較的大型のトランジスタアンプも存在しましたね。総合アンプは たまにパイオニアやサンスイによく似たフェイスもあり、デザインに迷いのあった時期もあるようです。日本で初めてトランジスタアンプをつくったメーカーとありますが、ここの事実確認はむずかしいでしょうね。当時は技術革新も日進月歩でしたから ほぼ同時期にトランジスタアンプを発売したメーカーは多いはず
要は安かったんですよ、パワーアンプとか、10Wあたり1万円切っていたような。
音楽専科で広告が載ってた記憶が。。
初級用には結構推薦されてましたネ、ロック小僧でしたので。
おぉー 懐かしすぎですわわわぁ!
オーディオをはじめて、最初に買ったA級モノパワーがニッコーのM-202とかいうやつだったなぁ
とにかくやさしい?好きだけど少し頼りない音色だったのと、重量級アンプが多かった時代にペラペラで軽かった記憶が。
まだ若かったので、うまく使いこなせていなかっただけかもしれないですけどねw
思い出よみがえりましたね アップした甲斐ありました!
日進はもうありませんね。建物はドンキホーテになってますね。NIKKOといえば日進でしたね。
日進はもうなくなりましたか! さみしいですね。
日進電気懐かしいです。横浜在住の頃、オンキヨーのアンプとチューナー(チューナーはトリオにしたかったけど予算が😢)、ビクターのカセットデッキ、パイオニアのプレイヤーを、ボーナス全てと、なけなしの貯金を注ぎ込んで、日進電気で揃えました。40年以上経過しましたが現役で稼働中です。もちろんメンテしながらですが、最近のミニコンポと違い、当時のものはゆったり組んであるのでメンテも楽です。
そうですね オーディオは特にアンプやチューナーは可動部分がすくなく比較的丈夫です。 50年以上前の真空管式セットになるとさらに整備性がよく、素子もトランジスタは壊れやすいですが 真空管は太平洋戦争当時のものもメンテ次第で立派にうごきます
お金のない中学生時代、ラ製誌の広告をみて大阪のデンケンパーツから通販で買った8トラックレシーバーのブランドはコベスといって神戸生糸の音響事業部によるものでした。ニッコーは存じていました。マイナー系の中でも比較的有名なメーカーはブラザーとかローテルあたりでしょうか? キットメーカーとしては動画でも仰っていたモナークサウンド、京浜電子、日本サウンド、サウンドシャックなど覚えています。ともあれ一流メーカー品には縁がない私でした。
いやー 懐かしいメーカー名が・・・ でも少年のころはお金もないし こうしたメーカーのものでも高値の花でしたから かえって当時の憧れでいうと 有名一流品よりも手がどどくところにいる 隣の美代ちゃんみたいなもんですね
福音電機とかコーラルとか、オーディオの黎明期でしたね。とても買えませんでしたが。
@@AiRobi コーラルやパイオニアのスピーカー・・・いいですね 今でも
@@AiRobi コーラル 能率が高くて、100db/mW超えていた。但しバックロードじゃないと低音が全く無い。
A級シングル0.45wでロックしてました。
nikko商品、妙に高くなるんですよね〜。(ヤフオク)
なんか最近ヤフオクも変ですね マニアックです
@@miyazin-shoten
訳も無くぼろくそな古道具が高値だったり。
腐ったコーンの磁気が消え損なったアルニコ磁石のスピーカー等。
着磁に二万円も掛かるのにどーするの?
ニッコー ケッコウ ダイワカンコウ (笑)
@@yasudan7690 ダイヤトーンのP610のエッジレスSPを ありがたがってヤフオクで買う時代ですから まさにイワシの頭も信心ですね。
@@yasudan7690 ニッコー見ぬうち もう結構って感じですかね 笑)
NIKKOブランドでローエンドのプリメインアンプなど出していましたね。パイオニア、トリオ、サンスイなどのローエンドよりもっと安いくらいだった。日幸電機製作所はブレーカーなど配電盤関連メーカーとして、それなりに知られていますが、当時はオーディオブームだったからアンプも出していたんだと思います。その当時一時スタンダード無線工業もスタンダードブランドでアンプを出していました。もっとマイナーだったといえるが、現在は日本マランツになっています。
当時はオーディオブームだったので まさに雨後の筍のようにアンプを作るメーカーがでてきましたね。日本で初めてトランジスタアンプと発売したとか 本業のサーキットブレーカーを日本で初搭載したアンプを発売とか ホームページに自慢げに書いてありますね。(本当に日本初だったかどうか?はわかりませんが)。
ただ、アンプづくりからの撤退はある意味正解だったんでしょうね。サンスイやラックス、パイオニアでさえその後は倒産や経営難をむかえたわけですから。
ずいぶん昔のハイコストパフォーマンスのメーカーでしたね、その後どうなったんだろう
ROTELもそんな感じでしたが、今は十数万の少し高級な路線のようですね
CECのプレーヤーとか色々ありましたね、学生や新人にはありがたい、今のオーディオは二極化し過ぎてつまりません
横に写ってるカッパマイクも懐かしい、安いやつのマイク部だけコンデンサマイクに交換してました
NIKKOはその後ブレーカメーカーですね というか最初からブレ―カー屋みたいです
薄型で本棚に入るサイズのを秋葉原のガード下に売られていた記憶が有りますよね。欲しいな~と思いましたが少し高かったので諦めた記憶が有ります。
比較的秋葉原ではよく見ましたね
NIKKOはA級アンプを持っていましたがダイナミックさは無いですがきめ細かい聴き疲れの無い音でした。YAHOO!Auctionでも時々見掛けますね。
アンプもいいですね! 今度見かけたらぜひゲットします!
知ってます アドレスNRユニットを出してましたから しってます
ノイズリダクションですか?
@@miyazin-shoten さま はい ノイズリダクションユニットだしてましま 東芝のアドレス方式で
「日幸電機製作所」は今回初めて知りましたが、「二光通販」や「丸善無線」は特に馴染みが有って懐かしく思いました。「ニコルス」の無線機は当時雑誌広告であちこちで掲載されてて、「CB無線機」を作った後で「HAM免許」取得後はHAM用に改造して楽しめる!?…とか言ってた覚えが有りました。結局買わなかったけど気になってましたね。
ありましたね 「ニコルス」・・ ちょとチープで ちょといい感じ 子供心をくすぐられましたね
同じ思いです。懐かしいね👍
懐かしい機器の映像有難うございました。
当時、どうしてブレーカーのメーカーから、オーディオ製品が発売されるのかなと思ってました。
田舎だったので丸善通販にはお世話になりました。時効ですが、当時中学生だったので普通の封筒に現金入れてもちゃんと送って来ました。輸出向けのトランシーバーとかスピーカーとか入手でき助かりました。
オーディオは当時男のロマンでしたから~何処の企業も一度は商品化してみたいみたいな・・・☺️
そういえば 昔の通販の現金書留めんどうでしたね 封筒買って 糊付け3回くらいして・・・到着に一週間 そして到着まで一週間 待ちどうしかったですね
NIKKOのツィーターJST30H今も所有しているけれどスペックも不明で使い道が無く外ってある。
SPもあったんですか!・・・
今回はLED照明に妥協しましたね。
通常の豆電球でも中身が
LEDになっている時代ですから
仕方ないですが
昔の電球を安く手に入れる方法はないものですかね。
とにかく管ヒューズ型は 入手難ですし 多分あっても高い・・・ そして管ヒューズ型LEDも2本千円くらいするし・・・ 秋原日米商事にもないし 笑 いっそ普通のスワン電球ソケットを管ヒューズのホルダにはんだ付け?
もうここは仰るように コストがかかるならこだわりは捨てないとだめですね。まあ 中身もトランジスタチューナなので妥協します!
@@miyazin-shotenさん。
コメントバックありがとうございます。
需要がないので高額にしないと
やっていけないのでしょうね。
それでも採算は合わない気もしますが・・・。
まあ昔を懐かしむ様になったら
年寄りの仲間入りなので
それは避けたいかな(笑)。
LED も秋葉原に行くと揃わない色は無い常態なので致し方無いでしょう
イルミネーションも設計が悪いと、思いの外電気を食うので、LED 化した方が良い機器も実際存在する😒
豆電球とヒーターは軽い気持ちで、その辺から取ると、本体のパフォーマンスに影響するレベルでレギュレーションか低下する・・😣💢
@@currently-cat 豆球でも1Wくらいのが多いですからね
@@吉田重雄-w9g たしかに需要は もうないですねほとんど
このようなチューナーがジャンク(結局使えるようになりましたが)でハードオフにあるとは、びっくりです。50年以上オーディオをやっていますが、NIKKOの記憶はほとんどありません。しかし、このメーカーはブレーカーを作っているので、当時(いつだったか忘れたが)、電源部に初めてサーキットブレーカーを採用した、プリメインアンプを発売したという記憶があります。ほぼ全てのメーカーがヒューズを使っていた時代だけに、ちょっと話題になりました。ブレーカーのシェアでは有名なメーカー(今も)なんでしょうが、オーディオにもちょっと顔を出してみたというところでしょうか?ただ、このチューナーにはブレーカーが使われていないようですので、コストの関係なのか、音質の問題なのか、その後採用は止めたのでしょう。考えてみれば、ブレーカーがしょっちゅう落ちることはないし、落ちた時、入れ直せばいいというものでもないのですから、ヒューズで良いのでしょうね。懐かしい、というより珍しい名前のメーカーに出会いました。
テクニクスのスピーカーにある時期、サーキットブレーカーが搭載されてたのも、松下電工の影響とかあるかもしれませんね😏
ネットをみるとサーキットブレーカーを武器にしている記述もありますね。ただチューナーにサーキットブレーカーはさすがに不要だと思います 笑)
わたしも秋葉原で見た以外は一切広告も 製品もみたことがありませんでした。ネットにはオーディオフェアで日本初のトランジスタアンプを発売という記述がありますが これはちょっとどうか?という感じです
たしかに松下の電工器具は日本では事実上独占ですね
@@currently-cat さん そうですか、それは知りませんでした。普通、スピーカーには保護回路は入ってませんが(音質への影響で)それは、PA用ですか?
確か、BOSEのスピーカーには電球が使われていたそうですね。これは過大入力に効果があり、ダイナミックレンジが抑えられ、ある意味BOSEの音の特徴を作っていたのでしょうね。
@@パパソナス
1980年始め頃までTECHNICSの3way等に保護用ブレーカーが入っていました。小さなリセットボタン付きです。
「オーディオの歴史」でTECHNICSのスピーカー記事を見て下さい。
私は良く知ってます。日本で一番最初に半導体アンプを発売したメーカーは事実です。
輸出主力ですから広告はあまり出てきません。当時の大手メーカーより高級な筐体です。
th-cam.com/video/-nqB5HiJ588/w-d-xo.html
このFAM-300チューナーは、長岡鉄男氏がお勧めしていた超低価格品でした。
ですから市場に出てます。
おおー! こんなのあったんですね! いいですねこれ
ところでVUメーターも最高ですね
情報ありがとうございます
@@miyazin-shoten さん
日幸電機電機製作所は、音響製品の生産拠点が宮城県旧山本町にありました。フォノイコに昭和40年代初めに複合IC使ったり、先進的でした。FMサーキットブレーカーが有名な商品です。そのチューナーは長岡氏が、電波科学に執筆していた時代に良く出てきます。
VUメーターはレプリカ品です。動作電圧は正規と同じです。+4dB=0VUですから変換アンプがないと民生では使いにくいです。
@@yapsystem6276 情報ありがとうございます。
自分が拾った奴は、ランプ交換しまら~僅かにハムが出ました!ケミコン増量したら解消しましたが、電源が足りない印象でしたね・・😒
ランプが電気食いすぎなので、今ならLED に変えますね・・😌
大手の修理担当者があのメーカーはなかなか良いメーカーだとおっしゃてました☺️
まったく同じパターンですね わたしはコンデンサ液漏れ気味だったのではじめから変えてしまいました そのせいか?ハムは大丈夫でした
@@miyazin-shoten
コンデンサの容量不足でハムってメーカー製だと殆どあり得ないので、トランスがオーバーワークになって、完全にレギュレーションが低下している感じですね😒
日本初かどうかは知りませんが、トランジスタアンプで最初に有名になったのは
SONYのTA-1120かTA-1120Fだったと思います。
真空管アンプと比較して冷たくて機械的な音と評価されていました。
ブロック化されたアンプ基板が沢山縦に並んでいました。
まだ、真空管の造り方のイメージが残っていた様です。
なつかしいですね TAシリーズの初期・・わたしは今でもTA2000FやTA初期の1120などのシリーズを数台持っています。意外と初期のころのSONYのトランジスタアンプは丈夫で 驚くことにまだほとんど生きています。
真空管アンプと比べて機械的な音というのは おそらく その評価は違うと思います。当時のろくでもない(いまでもロクでもない音楽評論家やオーディオ評論家ども)は、おそらく石=トランジスタでそういったのだと思います。ヒーターが点灯しないから冷たい音・・・その程度なのです。評論家なんて・・・
いま自分で経験してそう思います。
余計なことかもしれませんが、あまり評論家のいい加減なコメントは鵜呑みにされず、ぜひ自身で聞き比べてご評価されたほうがいいと思います。
@@miyazin-shoten
TA-1120Fの正当な評価ありがとうございます。
実は、TA-1120Fの開発者は私がSONYに入社した時のHiFiテープレコーダー設計課の鬼課長さんだったんです。 永見さんと云いました。何しろ、気短な人でいつも全速力で話したりしていました。
TA1120Fの内部を観たら、基板と基板の配線が山ほどあって手間のかかったアンプだなあと思いました。当時は既にあまり沢山の基板を使う設計では無くなって、合理的な設計になって居ました。
オープンリールデッキの設計手伝いや主設計をして、カセットデンスケの省エネ設計改良を行って電池寿命を4倍以上に伸ばしました。録音アンプの電源電圧を下げるため電流出力アンプを設計しました。当時は高電圧アンプに高抵抗をつないで電力効率が1/10以下だったので無駄に電力消費していたのです。再生アンプ用電源だけをそれまでの半分の12Vに昇圧して、録音や消去は電池電圧6Vで駆動しました。
また、3ヘッドカセットデッキのアジマス合わせの検出器にナカミチが3千円掛けていたのを150円で実現しました。TC-6150SDAです。Aはアジマス合わせの改良品です。
その後、デジタルオーディオの開発を行い世界初のプロセッサ:PCM-1を商品化して、その後、EIAJ規格の14/16bit録音用のLSIやプロセッサ:PCM-F1を開発商品化しました。
その後も、据え置きのPCM-701、-501等を商品開発して、その後、CD-ROMの開発や⊿ΣD/Aや⊿ΣA/Dの開発やサンプリングレートコンバーターLSIの開発やその技術を応用したフルデジタルアンプの開発などしていました。 また、EIAJやJATAで委員をしたり、IEC規格策定にフィリップスやドルビーなどと交渉しました。SPDIF規格:IEC60958や5.1cH IF: IEC16937規格等を策定しました。その後、一通りやり切ったので、早期退職して今はアパート経営しています。
また、アナログアンプやスピーカーの設計や自作を行っています。
去年、17畳の本格的なAV音響防音室を完成しました。 発泡コンクリート20㎝壁と二重窓とダイケンの47db防音ドアと吸音反射壁天井で残響時間0.6秒の天井方向の拡散反射が上手く行きました。
正面壁は完全吸音で天井裏の吸音部と連結して定在波を無くしました。
横壁は上向きの反射板と下向きの吸音域の縦方向波構造です。
この構造で、一次反射を聴取者に向けずに、反射音を上空に響かせています。
天井は高さ3.5mで前後方向に波板の反射構造です。これで部屋中に拡散します。
波の角度が重要で対抗面からの反射を元の方向に戻さない様に設計します。
床は厚板の上に防振ゴムを敷いて、サントリーのウイスキー熟成樽をリサイクルしたビンテージホワイトオーク樽材製の樹脂含浸硬質フローリング仕上げで、縄跳びしても音もしません。
プリアンプのフォノEQアンプは垂直方向信号打消し方式で、LP盤が反っていてもウーハーが揺れません。ローカットではないので数Hz以下までフラットf特です。種明かしは、水平信号はLR信号が同相で、垂直信号は逆相なので、LR信号を加えると水平信号は同相で二倍になって、垂直信号は打ち消し合って消滅します。
だから、フィルターで超低音域の10Hz以下の信号だけをL→R、R→Lと加えて超低域を二倍にして、アンプのEQはその分を低域持ち上げない時定数に変更して低域上昇を下げて平坦にして、同時に更に1Hz以下の超低域カットフィルターでLPの芯ずれの水平信号も除去して、無駄な電圧変動信号成分の発生防止して混変調歪を最小化しています。
電源もLi電池で駆動します。 ボリュームは24Pセレクタで等抵抗型IOにしています。
2dbステップなので、微調とL/Rバランスは巻き線抵抗でセレクタボリューム駆動アンプの帰還量を可変でゲイン調整しています。 トーン回路もグライコ構造でf0切替可変設定と11Pセレクタで中音域も調整できるようにしています。
プリアンプもまだまだやることありますよね。 メーカーは必要なことしないで、意味のないことばかりやっている。 使えないトーン回路だから通過機能付けて、無意味に場所や費用を使っている。
プリもパワ-アンプもアンプの土台は合成大理石のデュポンコーリアン 10㎜です。
鉄板やアルミ板よりも無共振でGoodです。重量のあるトランスの下にも足を設けて支える構造です。 百均の地震対策の滑り止め樹脂が振動吸収にはGoodです。
まあ、色々やることはまだまだあるんですね。 (笑)
コメントご丁寧にありがとうございます。
そうでしたか・・当時はトランジスタ黎明期で一斉にトランジスタ機器が発売されていたので どこも綿が社が日本初というのが集中したんでしょうね。 トランジスタラジオでさえ SONYよりうちのほうが早かった・・なんてところもあるかもしれませんね。
よくSONYタイマーなんて揶揄されているようですが、私は初期のトランジスタラジオや 初期のSONYのオーディオ機器はかなり持っているのですが 意外と50年以上前のものは ほとんど稼働しますね(メカ部分は別として)。 やはりトランジスタも初期のころは まだ手探りで スペック的にも良い材料と余裕をもった設計だったのでしょうね。
わたしは ほとんどプリアンプは真空管しかつくりませんが、いまでも完成すると必ずTA2000Fで鳴き合わせして確認しています。50年変わらない原器のような音を出すアンプはすばらしいと思います。
やはり当時の真空管アンプの雄をラックスとすれば トランジスタの雄は まさしくSONY以外ありませんね。 特にTA1150くらいまでの 筐体やツマミの作りの良さは今見てもほれぼれしますね。内部構造もヤエスの無線機のような構造で 一般のオーディオメーカーのトランジスタアンプとくらべて まるで測定器のような感じをうけました。
@@miyazin-shoten 様
そうなんですよ。アンプを開けると
何じゃこりゃァって驚きます。
めちゃ高そうな造りだなって思いました。
それが、音質的に是か否か難しいところです。
基板が固定されている方が良いので、
後年高級機のようにブロックモジュールに固めるとか。 修理出来ませんけどね。
90年代のハイエンドはモジュール化していましたね。
自作では、透明な振動吸収樹脂を基板裏に貼り付けるなどが良い方法です。百均で廉いです。吸音材もぬいぐるみ用のポリエステル綿が廉くて良いですよ。
エアコンのパテも簡単で廉くてお勧めですが、手がベタベタに成るので使い捨てのポリ手袋がお勧めです。
@@yasudan7690 たしかにSONYのアンプは剛性もけっこう気にしていますよね 先日買ったAVアンプも剛性感あるシャシーに乗っていてまるでクルマのシャーシーみたいでした。 最新のウオークマンも40万円の銅の削りだしとか・・・ おどろくばかりですね
知らないメーカーが出てきました。でも明かりが点くと良い雰囲気コンパクトで良いですね。
FMが壊れたの物を持っていてトランジスタを全交換してみようと思い3年位経つんですが、チューナーは調整するところがあるんですかねえ。
チューナーはトランジスタ式ならほとんど調整はずれていないケースが多いのでは? SSGがあれば一通り信号強度強いところにして十分実用になると思います。
@@miyazin-shoten 調整するところがないのであれば交換するかもです。返信ありがとうございました。
@@1613ppp
IF アンプの石を変えると入力容量などが変わるので調整が必要に成ることも多いです。 IFの石が生きていれば良いのですけどね。
@@yasudan7690 さん
IF アンプの石が生きていれば調整しなくてよいので、悪い石だけを交換するのが良いと言う事ですね。ありがとうございました。
ブレーカー屋さんが制作ですか。
もともとはブレーカー屋さんみたいですね。いまでもブレーカー屋さんだと思いますが。そのブレーカーをアンプに搭載したのも売りだったみたいですね
我が蔵書のトラ技の1967年に日幸プリメインアンプTRM50の写真が出てました。
米国にも進出しているとか紹介されています。
輸出も結構あったみたいですね やはり宣伝力ではなく コストパフォーマンスと実力の製品ですね
@@miyazin-shoten
自分も、初ラ卒業して最初のトラ技で読んだので、この写真は印象が強かったです。
ゆえに当時の自分には、日幸はトリオやSONYと同格のメーカーの印象を受けました。
@@no882323 そうですか! わたしはつい二光通販のイメージがあって・・・笑) 失礼ですね 日幸に・・・
業務用カラオケアンプメーカーですよ
audio-heritage.jp/NIKKO/tuner/index.html
オーディオの足跡というWebサイトに商品群でていました