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井上は守護神としては歴代ホークスの中でもよく頑張ったほうだと思う。
秋山のHRの見送り方が、バックスクリーン三連発のクロマティを彷彿とさせるw
森監督も「10/12の近鉄とのダブルヘッダーよりも、10/5のダイエー戦を落としたのが痛かった」と、後に振り返っていましたね。
西武がこの試合に勝っていたら近鉄とのダブルヘッダーに連敗しても優勝だった
このとんでもない大逆転劇が近鉄の奇跡へ繋がるんだ。本当に凄い年だったんだな。
優勝した近鉄バファローズも、この年の対戦成績で負け越しました。ダイエーホークスは手強い相手だった。
若かりし藤本が試合を決める一発を打つとは。この男が30年後ホークスの監督になるとはな。
どこからでも点を取れる打線と、どこからでも点を取られる投手陣を併せ持つ当時のダイエーホークス。
守備もザルだったね
この試合の大逆転負けが後々響いたこれが10.12の呼び水になった
このダイエーの強さを見て来年こそはAクラスと思ってたよ…
同時ライオンズファンで、この試合は未だに覚えています!負けて愕然としたけど、他のスポーツにはない野球の面白さが詰まっていたのを記憶してます!
2021年の秋、この試合で未来のホークスを日本一に2度導いた秋山幸二監督の頭上を超える殊勲の一発を放った藤本博史さんが、まさかホークスの次期監督になろうとは…
結果的に西武はこの1敗がパリーグ5連覇を逃すポイントになる試合になりました。
翌年、田淵監督が就任して、バナザードとアップショーが田淵監督と対立して途中帰国しました。
これ生で見ました。ホークスファンで良かった。
この頃のダイエーは好きでした。
佐々木、小川、藤本、岸川、広永、村田とかホークスはメンツが良かった記憶。
ホークスは2日後も西武に競り勝って混パを大いに盛り上げたが、それが目の前で近鉄に優勝される事に繋がったのは皮肉。
1死から森脇三塁打→若井内野安打で1点→小川ヒット→バナザードタイムリーで渡辺久降板→小田から山本タイムリーで2点差→石井から岸川2点二塁打で同点→佐々木敬遠→藤本博12号3ランで逆転これが閉店間際の恐怖か…
森脇と小川は守備の人だったから、その2人が出塁してつないだのがミソやね。
この年の西武って、工藤が絶不調で先発から敗戦処理をやってて、打線もいまいちパッとせずシーズン途中にデストラーデが加入してある程度盛り返したが、清原が平沼からデッドボールを受けて、乱闘騒ぎを起こして出場停止になって、トドメは近鉄とのダブルヘッダーでブライアントのホームランでジ・エンドだった。
このころのホークスが一番面白かった
近年のしみったれた打低野球では、このような大逆転とか展開が二転三転する乱打戦が観れなくなってる‥試合が動いたほうが面白い!
この試合がダイエーファン(当時)になったきっかけ。テレビ埼玉で観ていたが、西武が8-0とリードしたあとの2:22のタッチは実は空タッチ。テレビ埼玉のアナウンサーも気付いてました。バナザードのHRが出てからテレビ消してたんですが、巨人戦の中継で9回ダイエーが3点返したという途中経過を聞いて再びテレビ埼玉に。直後に岸川の同点二塁打、藤本博の勝ち越しスリーラン。こんな展開あるのか?衝撃受けた。ちなみに両チームでひとりを除いて先発全員安打。そのひとりというのが清原で6タコ。さらに、のちのノック名人森脇浩司は9番スタメンで9回の猛攻の口火を切る三塁打、最後ホームランが出ればサイクルでした。
この年のパリーグ面白かったよなぁ
ニャンコ先生目当てに会社帰りに駆けつけ、球場入りした時は降板後でした、漠然と現実を受け止めつつ観ていました。終盤、応援団含めて数えるほどしか居なかったレフト側外野席の皆様は自分を含め例外なく弾けていました。(入りの悪い試合では立入禁止だった)芝生席でゴロゴロ転がりたかったですね~。
ホークスにもこんな時期があったライオンズにもそんな時期があった
野球の醍醐味である試合。ゲームセットになるまでは何が起こるかわからないのが、1つの試合の怖いとこ、面白いとこ、恐ろしいとこである!
凄いね…懐かしい!最後の打者が清原さんというのも絵になる…
89年の西武は、先発投手陣は良かったが、クローザーにこれといった人がいなかった。シーズン終盤になり、先発投手陣に疲れが見えると、その弱点が露呈し、この日のまさかの大逆転負け。そしてV逸。すると、そのシーズンオフは巨人から鹿取を獲得し、さらにドラ1で潮崎を単独指名してWストッパーを確立。そして翌90年は他を寄せ付けない強さで日本一になった。
マジック点灯さらにロッテ戦が残り6試合もあるという、まさにボーナスステージに突入したオリックスさん・・・
バナザード、いいバッターだった😮今頃、何してるんだろうか?
巷では10月12日のダブルヘッダーを負けたことが痛いと言われるが、この10月5日の試合を落とした方が痛かった気がする。
リリーフ投手の重要性をよりいっそう痛感したんじゃないかな?森監督は
そうだね。工藤がずっと不調で西武投手陣がかなり後半はへばってましたからね。
この年もリリーフでは西本和人が絶好調だったが、後半に息切れし始めてから西武は終盤にゲームを落とすようになった。そして次年度より潮崎&鹿取のダブルストッパー確率により、完全無欠のチームになった。
10月10日の近鉄戦も9回にリベラに決勝2ラン打たれて負け。それも痛かったがあまり語られない試合。
89年(平成1年)のライオンズのV逸は、10.12の天王山に於けるブライアントの4連弾を食らったことが語り継がれていますが、それ以前に此日ホークス戦に大逆転負けを喫したことが物語ってますように、救援エースの不在や主力投手たちのホームラン病もやはり痛手だったように思います。
ダイエーまでは、西武の方が強かったのに、ソフトバンクに変わってから立場逆転してしまった。
これが当時のパリーグを震撼させた、閉店間際のダイエー野球か〜
当時のホークスはある意味スゴい球団でしたね。閉店間際の売り尽くしやら、打線は何処からでも打てる半面、投手や守備は崩壊状態たけに、ザル水状態だったんですよね。
吉竹さんいきなり阪神時代の応援歌の流用か
優勝できなかった年で悔しさ倍増な年でしたが、ある意味ではこの試合のお陰?で翌年、鹿取投手、潮崎投手のダブルストッパーが生まれた
そして完全無欠の最強チームが完成した。
吉竹の応援歌も阪神から移籍されてたのか
近鉄もう無理かな〜みたいな雰囲気で報じてたけど、89年って近鉄優勝よね?
この逆転負けがなかったら、西武優勝していた。
本当にこの試合・・・この試合なんだよ!
閉店間際のなんとやらというヤツだな
ダイエー、閉店間際の大逆転
大矢さんこんな感じだったのか?この日は京阪電車が出町柳まで延長した日
この年のダイエーは西武に11勝13敗2分、オリックスに12勝13敗1分、近鉄に13勝11敗2分と、上位3強とは互角の成績を残した。日本ハムにも勝ち越したけど、ロッテの牛島に7敗したのがBクラス(4位)に沈んだ最大の要因だった。
上位チームに強く下位チームに弱いホークスは「弱きを助け、強きを倒す」と言われて人気ありましたね。逆に上位チームに弱く下位チームに強いロッテは、「強いチームのやられ役」といわれて人気無かったですね。
当時、中3だった私がダイエーホークスのファンになろうと決めた試合でした。この後、長い暗黒時代が続くとは知らず…
西武はこの試合に勝ってれば優勝、更にV10だったので痛過ぎる逆転負けだった。
もしそうなったら巨人に負けて、森さんの日本シリーズの連勝記録が止まっていたと思います。クローザーが不在だったので。
@@吉成恵祐 ?なんで?
@@吉成恵祐殿そろは言えますよね?1990年(平成2年)の日本シリーズGLでは 西武が完勝(4タテ)でしたが、前年(平成1年)に西武vs巨人で当たっていたら、色々苦しみながらも巨人が日本一を勝ち取ったと思います。藤田巨人のV2に関して、ペナントレースだけで見ると、後年(平成2年)の方がズバ抜けて強かったように見えるけど、安定した強さという点では前年(平成1年)の方が上だったはずです。
エースは不調でも完投が当たり前の時代…
藤本博史監督の選手時代の、値千金の逆転スリーランのシーン。8-0で敗色濃厚だった試合も、9回表に、同点に追いついて、藤本博史はんの逆転スリーランで、最終13ー12で勝利した試合でした。 藤本修二がボコボコに打たれて序盤でKOされて、9回で藤本博史がとどめの3ランで逆転した試合でしたね。藤本(修)が打たれて藤本(博)で逆転する。なんというミラクルな試合だったんですかあ?
初っ端からアップショーwwしかし、この試合だけなのか分からないけどダイエー打線もエゲツないなあ。この頃は順位がふるってないから弱いイメージだったけど当時の西武相手に最終回の8点は凄い。100打点カルテットの頃の試合ならありそうな展開だけど弱かった頃のダイエーだからなあ。
89年のホークスは前年まで4年連続年間失策数100以上という守備崩壊(当時はまだ130試合制)からようやく脱出したんだよね。
大けちんぼ えーっ⁉️年間失策100以上❓前年までそんな状態だったんですか…。点は取るけどそれ以上に取られる感じですよね。ちょっと前の横浜みたいな感じですかね。
投手陣は壊滅的だったけど打線だけは結構良かった。ふだんは弱かったけど、年に数回は強いチーム相手に予想外の大逆転やワンサイドゲームをやってた。
ランナーがヘルメットかぶってないのなんか新鮮
5失点してても、先発のなべキューが9回のマウンドにいるって。現代野球じゃ考えられない起用だな。
もし、この試合を引き分けにさえ持ちこんでいれば西武はリーグ優勝はできた。
野球は筋書きのないドラマだね❗野球って素晴らしい‼️
物の怪スコアはここにあったか、この後川崎オリオンズが88年に続きまたしても…
この翌日の読売新聞福岡版が面白かった。なんちゅう試合とか馬鹿げた試合とか
バナザードが意外にも32本塁打を打っているとは。
正しくは、34本。
この試合までで32本、翌日の川崎で2本追加、翌々日のホーム最終戦をもってこの年は帰国。
@@totsugeki-toppa帰国ってのは退団ってこと?34本打って退団なんて今じゃ考えられない。
西武・吉竹の応援歌、阪神時代の使ってるやないの。ダイエーの先発はニャンコ・藤本修二か。今は阪神の寮長らしいね。それにしてもスゴイ試合だな。
久慈や沖原の応援歌
これ見てた時からしたら、今のホークスはうまく立て直したなと。それも根本さんのお陰かもしれんけど。ただ西武ファンだけど、王者みたいな雰囲気が好きじゃなかったし球団が必死になってきた最近の西武の方が好きになるよ。
0:05の右、ハイディ古賀(古賀英彦)さんや
森さんは後年著書で、ブライアントの3連発よりこの試合落としたのが痛かったって書いてたな。落としたら行けない試合落としたと
この日の一週間後にブライアント1人にやられる日であったね。この日の試合はまさに野球の醍醐味で、ゲームセットになるまでは何が起こるかわからない試合でしたね…。
この試合でダイエーにやられてなければ、最後の近鉄戦消化試合だったのに。
V9巨人ははぎりぎり優勝が多かったですが大事な試合にはすべて勝ったと言っていました。
考えてみりゃダイエーの縦縞ユニフォームも四年間(89~92年)しか使われなかったんやな。
ビジターは途中で地色がベージュからグレーに変わったんですよね。ベージュだとキャッチャーからのサインが見えないと投手陣からクレームが来ちゃって。
100%引っ張りしかないバナザードに対して全くシフトを取らないのは時代なんでしょうか。
観戦者凄く興奮しただろうね‼️
この試合はNHKラジオ第1でも放送されていて、最終回の西武の攻撃はハラハラしながら聴いていました。当時のオイラはオリックスファンで「井上、何とか抑えてくれ!!」と念じながら聴いていましたが、ダイエーの「閉店間際の大バーゲン」は本当に心臓に悪いものでしたwww
当日レフトスタンドで応援していたのですが、近くにいた親子連れが途中で諦めて帰ってしまって、試合後に可哀そうだなと思ったのを思い出します少人数ながら場外の二次会も大いに盛り上がり、今までで一番印象に残る西武戦です
西武はこの負けが痛すぎたね。
ライオンズ⚾️🦁この敗戦が尾を引いて近鉄ダブルヘッダー戦でも負けた😰
この試合に代表されるように試合終盤で逆転されるのが何試合かあったのがこの年西武が優勝を逃した原因で、頼れるリリーフ投手が不在だったのが致命的だった。その弱点も翌年の鹿取・潮崎の加入であっけなく解消されてしまうのだが…
しかし優勝はこの年近鉄でした!勝負はわからないものです😌
開幕から10連勝したオリックスが優勝すると思っていた。
この頃のプロ野球は面白かったが、特にこの年のパリーグはハラハラドキドキさせられた。今みたいにクライマックスシリーズなんか無かったから、ペナントレース優勝しないと日本シリーズ出場権を得られないから、3位以内に入れば日本シリーズ出場の可能性がある今とは緊張感が違った。
ダイエーも打線は良いな。
ガッチャマンやね
解説の気楽な結果評論。
この時代のホークスの楽しみかたやね(笑)トータルすると負けなんやけど、たまに強い西武に考えられんような一泡吹かせると言う。なんかパチンコでトータル負けなんやけどたまにMAX打って20万位勝つみたいな(笑)
89年のダイエー打線は破壊力ありました、防御率が悪くBクラスでしたね、確かチーム防御率最下位だったかな?
そして本塁打数だけはリーグ最多。
その後、93年までチーム防御率最下位でした。
@@aaaa3042 この年のダイエーのチーム本塁打は166本で、170本のオリックスに次いでリーグ2位でしたよ。
その約30年後…チームはダイエーからソフトバンクに変わり、チーム防御率も12球団でトップクラスになるほど大幅に向上し何年も日本一を達成する球団になるのであった…ただ、打線は当時よりしょぼくなったがw
失策数も相当多かった記憶がある。
この年ダイエーが上位いじめしてた
対戦成績も西武・近鉄・オリックスに対しては互角だった。
この負けがなければパリーグ10連覇できたかも
西武は自滅したが巨人を捕まえた。🏊️
中継ぎ抑えのレベル低い
三宅さん変わらんw
巨人まだ諦めるのは早い😺
井上は守護神としては歴代ホークスの中でもよく頑張ったほうだと思う。
秋山のHRの見送り方が、バックスクリーン三連発のクロマティを彷彿とさせるw
森監督も「10/12の近鉄とのダブルヘッダーよりも、10/5のダイエー戦を落としたのが痛かった」と、後に振り返っていましたね。
西武がこの試合に勝っていたら近鉄とのダブルヘッダーに連敗しても優勝だった
このとんでもない大逆転劇が近鉄の奇跡へ繋がるんだ。本当に凄い年だったんだな。
優勝した近鉄バファローズも、この年の対戦成績で負け越しました。
ダイエーホークスは手強い相手だった。
若かりし藤本が試合を決める一発を打つとは。
この男が30年後ホークスの監督になるとはな。
どこからでも点を取れる打線と、どこからでも点を取られる投手陣を併せ持つ当時のダイエーホークス。
守備もザルだったね
この試合の大逆転負けが後々響いた
これが10.12の呼び水になった
このダイエーの強さを見て来年こそはAクラスと思ってたよ…
同時ライオンズファンで、この試合は未だに覚えています!
負けて愕然としたけど、他のスポーツにはない野球の面白さが詰まっていたのを記憶してます!
2021年の秋、この試合で未来のホークスを日本一に2度導いた秋山幸二監督の頭上を超える殊勲の一発を放った藤本博史さんが、まさかホークスの次期監督になろうとは…
結果的に西武はこの1敗がパリーグ5連覇を逃すポイントになる試合になりました。
翌年、田淵監督が就任して、バナザードとアップショーが田淵監督と対立して途中帰国しました。
これ生で見ました。
ホークスファンで良かった。
この頃のダイエーは好きでした。
佐々木、小川、藤本、岸川、広永、村田とかホークスはメンツが良かった記憶。
ホークスは2日後も西武に競り勝って混パを大いに盛り上げたが、それが目の前で近鉄に優勝される事に繋がったのは皮肉。
1死から森脇三塁打→若井内野安打で1点→小川ヒット→バナザードタイムリーで渡辺久降板→小田から山本タイムリーで2点差→石井から岸川2点二塁打で同点→佐々木敬遠→藤本博12号3ランで逆転
これが閉店間際の恐怖か…
森脇と小川は守備の人だったから、その2人が出塁してつないだのがミソやね。
この年の西武って、工藤が絶不調で先発から敗戦処理をやってて、打線もいまいちパッとせずシーズン途中にデストラーデが加入してある程度盛り返したが、清原が平沼からデッドボールを受けて、乱闘騒ぎを起こして出場停止になって、トドメは近鉄とのダブルヘッダーでブライアントのホームランでジ・エンドだった。
このころのホークスが一番面白かった
近年のしみったれた打低野球では、このような大逆転とか展開が二転三転する乱打戦が観れなくなってる‥
試合が動いたほうが面白い!
この試合がダイエーファン(当時)になったきっかけ。
テレビ埼玉で観ていたが、西武が8-0とリードしたあとの2:22のタッチは実は空タッチ。テレビ埼玉のアナウンサーも気付いてました。
バナザードのHRが出てからテレビ消してたんですが、巨人戦の中継で9回ダイエーが3点返したという途中経過を聞いて再びテレビ埼玉に。
直後に岸川の同点二塁打、藤本博の勝ち越しスリーラン。こんな展開あるのか?衝撃受けた。
ちなみに両チームでひとりを除いて先発全員安打。そのひとりというのが清原で6タコ。
さらに、のちのノック名人森脇浩司は9番スタメンで9回の猛攻の口火を切る三塁打、最後ホームランが出ればサイクルでした。
この年のパリーグ面白かったよなぁ
ニャンコ先生目当てに会社帰りに駆けつけ、球場入りした時は降板後でした、漠然と現実を受け止めつつ観ていました。終盤、応援団含めて数えるほどしか居なかったレフト側外野席の皆様は自分を含め例外なく弾けていました。(入りの悪い試合では立入禁止だった)芝生席でゴロゴロ転がりたかったですね~。
ホークスにもこんな時期があった
ライオンズにもそんな時期があった
野球の醍醐味である試合。
ゲームセットになるまでは何が起こるかわからないのが、1つの試合の怖いとこ、面白いとこ、恐ろしいとこである!
凄いね…懐かしい!最後の打者が清原さんというのも絵になる…
89年の西武は、先発投手陣は良かったが、クローザーにこれといった人がいなかった。
シーズン終盤になり、先発投手陣に疲れが見えると、その弱点が露呈し、この日のまさかの大逆転負け。そしてV逸。
すると、そのシーズンオフは巨人から鹿取を獲得し、さらにドラ1で潮崎を単独指名してWストッパーを確立。
そして翌90年は他を寄せ付けない強さで日本一になった。
マジック点灯さらにロッテ戦が残り6試合もあるという、まさにボーナスステージに突入したオリックスさん・・・
バナザード、いいバッターだった😮
今頃、何してるんだろうか?
巷では10月12日のダブルヘッダーを負けたことが痛いと言われるが、この10月5日の試合を落とした方が痛かった気がする。
リリーフ投手の重要性をよりいっそう痛感したんじゃないかな?森監督は
そうだね。
工藤がずっと不調で西武投手陣がかなり後半はへばってましたからね。
この年もリリーフでは西本和人が絶好調だったが、後半に息切れし始めてから西武は終盤にゲームを落とすようになった。そして次年度より潮崎&鹿取のダブルストッパー確率により、完全無欠のチームになった。
10月10日の近鉄戦も9回にリベラに決勝2ラン打たれて負け。それも痛かったがあまり語られない試合。
89年(平成1年)のライオンズのV逸は、10.12の天王山に於けるブライアントの4連弾を食らったことが語り継がれていますが、それ以前に此日ホークス戦に大逆転負けを喫したことが物語ってますように、救援エースの不在や主力投手たちのホームラン病もやはり痛手だったように思います。
ダイエーまでは、西武の方が強かったのに、ソフトバンクに変わってから立場逆転してしまった。
これが当時のパリーグを震撼させた、閉店間際のダイエー野球か〜
当時のホークスはある意味スゴい球団でしたね。
閉店間際の売り尽くしやら、
打線は何処からでも打てる半面、投手や守備は崩壊状態たけに、
ザル水状態だったんですよね。
吉竹さんいきなり阪神時代の応援歌の流用か
優勝できなかった年で悔しさ倍増な年でしたが、ある意味ではこの試合のお陰?で
翌年、鹿取投手、潮崎投手のダブルストッパーが生まれた
そして完全無欠の最強チームが完成した。
吉竹の応援歌も阪神から移籍されてたのか
近鉄もう無理かな〜みたいな雰囲気で報じてたけど、89年って近鉄優勝よね?
この逆転負けがなかったら、西武優勝していた。
本当にこの試合・・・
この試合なんだよ!
閉店間際のなんとやらというヤツだな
ダイエー、閉店間際の大逆転
大矢さんこんな感じだったのか?この日は京阪電車が出町柳まで延長した日
この年のダイエーは西武に11勝13敗2分、オリックスに12勝13敗1分、近鉄に13勝11敗2分と、上位3強とは互角の成績を残した。
日本ハムにも勝ち越したけど、ロッテの牛島に7敗したのがBクラス(4位)に沈んだ最大の要因だった。
上位チームに強く下位チームに弱いホークスは「弱きを助け、強きを倒す」と言われて人気ありましたね。
逆に上位チームに弱く下位チームに強いロッテは、「強いチームのやられ役」といわれて人気無かったですね。
当時、中3だった私がダイエーホークスのファンになろうと決めた試合でした。この後、長い暗黒時代が続くとは知らず…
西武はこの試合に勝ってれば優勝、更にV10だったので痛過ぎる逆転負けだった。
もしそうなったら巨人に負けて、森さんの日本シリーズの連勝記録が止まっていたと思います。クローザーが不在だったので。
@@吉成恵祐 ?なんで?
@@吉成恵祐殿
そろは言えますよね?
1990年(平成2年)の日本シリーズGLでは 西武が完勝(4タテ)でしたが、
前年(平成1年)に西武vs巨人で当たっていたら、色々苦しみながらも巨人が日本一を勝ち取ったと思います。
藤田巨人のV2に関して、ペナントレースだけで見ると、後年(平成2年)の方がズバ抜けて強かったように見えるけど、安定した強さという点では前年(平成1年)の方が上だったはずです。
エースは不調でも完投が当たり前の時代…
藤本博史監督の選手時代の、値千金の逆転スリーランのシーン。8-0で敗色濃厚だった試合も、9回表に、同点に追いついて、藤本博史はんの逆転スリーランで、最終13ー12で勝利した試合でした。 藤本修二がボコボコに打たれて序盤でKOされて、9回で藤本博史がとどめの3ランで逆転した試合でしたね。藤本(修)が打たれて藤本(博)で逆転する。なんというミラクルな試合だったんですかあ?
初っ端からアップショーww
しかし、この試合だけなのか分からないけど
ダイエー打線もエゲツないなあ。
この頃は順位がふるってないから弱いイメージだったけど
当時の西武相手に最終回の8点は凄い。
100打点カルテットの頃の試合ならありそうな展開だけど
弱かった頃のダイエーだからなあ。
89年のホークスは前年まで4年連続年間失策数100以上という守備崩壊(当時はまだ130試合制)からようやく脱出したんだよね。
大けちんぼ えーっ⁉️年間失策100以上❓前年までそんな状態だったんですか…。
点は取るけどそれ以上に取られる感じですよね。
ちょっと前の横浜みたいな感じですかね。
投手陣は壊滅的だったけど打線だけは結構良かった。
ふだんは弱かったけど、年に数回は強いチーム相手に予想外の大逆転やワンサイドゲームをやってた。
ランナーがヘルメットかぶってないのなんか新鮮
5失点してても、先発のなべキューが9回のマウンドにいるって。現代野球じゃ考えられない起用だな。
もし、この試合を引き分けにさえ持ちこんでいれば西武はリーグ優勝はできた。
野球は筋書きのないドラマだね❗野球って素晴らしい‼️
物の怪スコアはここにあったか、この後川崎オリオンズが88年に続きまたしても…
この翌日の読売新聞福岡版が面白かった。
なんちゅう試合
とか
馬鹿げた試合とか
バナザードが意外にも32本塁打を打っているとは。
正しくは、34本。
この試合までで32本、翌日の川崎で2本追加、翌々日のホーム最終戦をもってこの年は帰国。
@@totsugeki-toppa
帰国ってのは退団ってこと?
34本打って退団なんて今じゃ考えられない。
西武・吉竹の応援歌、阪神時代の使ってるやないの。ダイエーの先発はニャンコ・藤本修二か。今は阪神の寮長らしいね。それにしてもスゴイ試合だな。
久慈や沖原の応援歌
これ見てた時からしたら、今のホークスはうまく立て直したなと。それも根本さんのお陰かもしれんけど。ただ西武ファンだけど、王者みたいな雰囲気が好きじゃなかったし球団が必死になってきた最近の西武の方が好きになるよ。
0:05の右、ハイディ古賀(古賀英彦)さんや
森さんは後年著書で、ブライアントの3連発よりこの試合落としたのが
痛かったって書いてたな。落としたら行けない試合落としたと
この日の一週間後にブライアント1人にやられる日であったね。
この日の試合はまさに野球の醍醐味で、ゲームセットになるまでは何が起こるかわからない試合でしたね…。
この試合でダイエーにやられてなければ、最後の近鉄戦消化試合だったのに。
V9巨人ははぎりぎり優勝が多かったですが大事な試合にはすべて勝ったと言っていました。
考えてみりゃダイエーの縦縞ユニフォームも四年間(89~92年)しか使われなかったんやな。
ビジターは途中で地色がベージュからグレーに変わったんですよね。
ベージュだとキャッチャーからのサインが見えないと投手陣からクレームが来ちゃって。
100%引っ張りしかないバナザードに対して全くシフトを取らないのは時代なんでしょうか。
観戦者凄く興奮しただろうね‼️
この試合はNHKラジオ第1でも放送されていて、最終回の西武の攻撃はハラハラしながら聴いていました。
当時のオイラはオリックスファンで「井上、何とか抑えてくれ!!」と念じながら聴いていましたが、ダイエーの「閉店間際の大バーゲン」は本当に心臓に悪いものでしたwww
当日レフトスタンドで応援していたのですが、近くにいた親子連れが途中で諦めて帰ってしまって、試合後に可哀そうだなと思ったのを思い出します
少人数ながら場外の二次会も大いに盛り上がり、今までで一番印象に残る西武戦です
西武はこの負けが痛すぎたね。
ライオンズ⚾️🦁この敗戦が尾を引いて
近鉄ダブルヘッダー戦でも負けた😰
この試合に代表されるように試合終盤で逆転されるのが何試合かあったのがこの年西武が優勝を逃した原因で、頼れるリリーフ投手が不在だったのが致命的だった。
その弱点も翌年の鹿取・潮崎の加入であっけなく解消されてしまうのだが…
しかし優勝はこの年近鉄でした!勝負はわからないものです😌
開幕から10連勝したオリックスが優勝すると思っていた。
この頃のプロ野球は面白かったが、特にこの年のパリーグはハラハラドキドキさせられた。今みたいにクライマックスシリーズなんか無かったから、ペナントレース優勝しないと日本シリーズ出場権を得られないから、3位以内に入れば日本シリーズ出場の可能性がある今とは緊張感が違った。
ダイエーも打線は良いな。
ガッチャマンやね
解説の気楽な結果評論。
この時代のホークスの楽しみかたやね(笑)トータルすると負けなんやけど、たまに強い西武に考えられんような一泡吹かせると言う。なんかパチンコでトータル負けなんやけどたまにMAX打って20万位勝つみたいな(笑)
89年のダイエー打線は破壊力ありました、防御率が悪くBクラスでしたね、確かチーム防御率最下位だったかな?
そして本塁打数だけはリーグ最多。
その後、93年までチーム防御率最下位でした。
@@aaaa3042 この年のダイエーのチーム本塁打は166本で、170本のオリックスに次いでリーグ2位でしたよ。
その約30年後…
チームはダイエーからソフトバンクに変わり、チーム防御率も12球団でトップクラスになるほど大幅に向上し何年も日本一を達成する球団になるのであった…
ただ、打線は当時よりしょぼくなったがw
失策数も相当多かった記憶がある。
この年ダイエーが上位いじめしてた
対戦成績も西武・近鉄・オリックスに対しては互角だった。
この負けがなければパリーグ10連覇できたかも
西武は自滅したが巨人を捕まえた。🏊️
中継ぎ抑えのレベル低い
三宅さん変わらんw
巨人まだ諦めるのは早い😺