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88年89年のパは本当に面白かったですね
猛牛ファンの忘れられない1日永遠に語り継がれるであろうありがとうブライアント!
タフィ ローズの55本の記録よりも記憶に残ってる
令和の時代に改めて見返しました。この日のブライアント選手は本当に神がかっていた。Unbelievable!!時がどれだけ流れても感動を覚えます。
打ったブライアントがスゴいのはもちろんだけど、あの場面でそれまで打たれていない渡辺久信で勝負に行く森監督、真っ直ぐで勝負に行く渡辺の向うっ気も素晴らしいと思う。やっぱり、勝負はこうであって欲しい。それにしても、年に4試合も3本打つなんて、ブライアントが規格外過ぎる・・・
当時 近鉄ファンで感動したなぁ。この頃の西武はめちゃくちゃ強かった。完璧なチームと言っても過言ではないくらい。
西武ファンです。にっくきブライアントさん。本当、顔も見たくないほど。つまり、それほどに素晴らしい選手でした。
しかし、西武の投手陣が情けない。特に2試合目はほんと酷い。なんでかな?
@@rairai1030 シーズン終盤で満身創痍だったんでしょうね。しかもV8時代経験のない終盤までもつれるペナントレースの直接対決。結果、荒れた展開になりましたね。
@@rairai1030 打った方を褒めればいいのに何で相手を下げる必要があるんだ?情けないのはお前だよ
この年のパリーグは本当に接戦で面白かった。自分は西武ファンだったけど、それ以上にプロ野球ファンとして楽しませて貰ったシーズンでした。
渡辺久信の唖然とした表情が忘れられない。ブライアントはそれまで久信の高めの速球は必ず空振りしていたから。やはり野球の神様が舞い降りてきていたんだろうなと思う。
あれ以降、残毛が抜けたらしい
仰木監督と中西ヘッドの名コンビ!カッコいいなぁ!
1989年の26年前に西鉄最後の優勝が前年の1988年そっくりでしたよねw。その時に中西太監督に仰木彬選手
近鉄は実にドラマチックなチームだった。消滅して欲しくなかったなぁ。それにしても西武の強さも今のどのチームと比べても圧倒的に勝る強者振り。阪急〜西武という強者がいたからこそ近鉄の数々のドラマが生まれたのは間違いない。西本、仰木監督も最高でした。
近鉄は鉄道に利益をもたらさない場所にある大阪ドームに移らなければ消滅しなかったかも…
結果消滅しちゃったけど2004年まででパで唯一50年持たせました(それがゆえに大赤字で強引だったかもしれませんが)。他の5球団はすでにいろいろと身売り買収と。
ブライアント好きだった。第二節を終わって9安打で、それが全て本塁打だったと言うことがあった。
この当時、中学生で勉強を終えるのがプロ野球ニュースが始まる時間だったんだよね。たまたま観たプロ野球ニュースに中井美穂さん出てるのを見て一目惚れして、何度か好意のファンレターを送ったら、受験勉強頑張ってねって返事をくれた事は今も忘れない。永井美奈子と中井美穂本当に好きだった。
そんな時間まで勉強してるあんたは偉い。俺はたぶんシムシティしてたよ。
西武「球場」の打球音が他に類を見ないものでした。この独特な打球音に惚れてライオンズファンになったものでした
西武電車から青空の下に出て、試合開始の夕暮れから試合が進むにつれて薄暗くなり選手とファンがカクテル光線に照らされていく・・・綺麗な空気と開放感溢れるなだらかなすり鉢の中で野球を観られる自分は近鉄ファンですが、西武「球場」は敵地ながら白いボールのファンタジーが似合う本当に素晴らしい野球場でした。ときどき帰りの電車でバークレオファミリーと同じ車両になっちゃったりしたけどw
2:57 これ投げる方も打つ方も迫力、躍動感が凄い。THEプロ野球って感じ
広岡監督時代からの西武ファンですが、平成で一番面白くて記憶に残るシーズンは、1989年をおいて他にありません。リアルタイムでこの壮絶な戦いを体感できたことに感謝。
優勝を逃したのに1989年が一番面白かったというのは大人ですね
西武ファンだが、この前年とこの年の近鉄の戦いぶりは、生涯忘れない
ありがとう。近鉄ファンを代表してお礼を言うよ。
中日10月8日最終決戦、斬られ役の悲哀を思い出す
僕も近鉄ファンでした。とっても良いチームでした。無くなるなら、livedoorに身売りの方が良かった
@@たなか角栄-n3r さんアレは中日が巨人に勝って優勝して欲しかった
1988年10月19日から始まった大河ドラマは1989年10月12日でクライマックスを迎え10月14日で完結する
そして日本シリーズでオチがついた
前年の10.19があってこそのこの盛り上がりなので、気分マックスでしたね
この頃はホントに興奮して野球見ていたなぁ。これぞ助っ人、ってのを見させてもらいました。
私も当時、近鉄バファローズのファンで、この規格外のブライアントの3打席連続ホームランには、嬉し過ぎましたよ!
安打製造機イチローを育てた元祖安打製造機の新井さんのシュアな打撃に痺れました。その天才打者に自分を上回る逸材と言わせるイチローはメジャー記録を次々に更新する、とんでもない選手へと成長しました。
近鉄は、江夏の21球、ブライアントの4連発、北川の代打優勝決定サヨナラ満塁ホームランなど、ドラマチックな強烈なインパクトを与えるチームだった。
2001年の北川のホームランの前の試合も西武戦中村紀洋が松坂からサヨナラホームランも凄かったですよね!
規格外の選手を輩出し続けたこのユニフォームの近鉄が大好きだった。
あと「10・19のダブルヘッダー」「3連勝からの4連敗の日本シリーズ」なんかもありましたよね。
@@omusubi_0629 こんな派手派手なチームカラーのチームが出てこないかな。
ここまでやって一回も日本一になってないのが凄い
1番から9番までフルスイングの近鉄打線。パ・リーグはこの頃から豪快だった。
1番から9番までフルスイング 日本ハムの片岡が近鉄戦は恐かったらしいとw みんな引っ張り倒すから強烈な三塁ゴロが怖くてwって
ブライアント 懐かしいねぇ!近鉄ファンでしたから!懐かしい動画ありがとうございました!
ブライアントは近鉄が好きで退団することになっても、ファン感謝祭に参加したんだよな。こういう規格外の本塁打を打てるのが、日本人にはない外国人選手ならではの魅力なんだよな。
あの優勝から30年経っても ブライアントは近鉄ファンの記憶に刻まれてる 西武ファンの記憶にはトラウマとして刻まれてるがw
ブライアントの逆転ホームラン+近鉄の優勝がなければ、なんと西武が85年~94年で10連覇していたという事実。
退団の経緯はどんな内容だったんですか?
@@麻ひでたこ 確か膝のけがで成績悪化が原因だったんじゃなかったのかなぁ…
K TANAKA そうなんですね!。ありがとうございました。
30年前ですが忘れはしません👍
ブライアントくじの当たり率がイカれてた伝説の日
5:00藤井さんのホームランは、いつ見ても綺麗でした
この時のブライアントはバースより凄い
流石にバース
こんなとこまで出張ってくんな慢カス
Im
未だにシーズン三振記録の1位~4位までブライアントっての好きだわ。
これって実は平成最大の名勝負
80年代のプロ野球が一番面白かった!ゲームではファミスタ!落合、ブライントにデービス、バース、クロマティ、ランス、ホーナー、門田等、まだまだキリがないけど良き時代だった。
平日の昼間開始のダブルヘッダー川崎球場は普通の客の入り。西武球場の大盛況がすごい。
川崎の方が行きやすくて今の西武ドームとか行きたくない球場で有名なのを考えると信じられない時代ですよね。
バファローズファンやけれど、ナベQの打たれっぷりもカッコ良かった。
ブライアントの凄さと鈴木貴久さんと佐藤秀明さんが物故された悲しさに泣いてしまいました
俺のなかではプロ野球史上1番の名場面 間違えなくパ・リーグの全盛期 近鉄は10.19の屈辱があったからこそ野球の神様はまた新たな名勝負(10.12)を生んでくれたこういう時近鉄は数々のドラマを作るからな
衝撃的な2年間だったよね。熱かった。北川の例の優勝の時のホームランといい、この球団は、ドラマチックすぎる。フロントのくそ加減も本当の例を見ないくそ加減。ホリエモンに任せておいたらよかったのに。
ブライアント、今シーズン4度目の1試合3ホーマーっていうのが凄すぎる
しかも西武球場で2度目。1度目では3本中2本が場外、6打数5安打8打点の大暴れ
今でも破られていないシーズン記録だもんね。しかもブライアントは通算で8回という日本記録も保持するだけでなく、204三振というシーズン最多記録(しかも130試合制当時に記録)も残す等、ほんまおもろい選手だった。
中日2軍でまったく機能しなかったのに近鉄行ったら化け物になった😂
二軍では打ってたぞ一軍のメンツがそろってたから試合に出られなかった
1988年、中日2軍でのブライアントの成績は26試合で.275 HR6本、まずまずといったところでしょうか。その年の6月の終わりに近鉄にトレードされ、74試合で.307 34HR、『ミスター2ラン』と呼ばれます。(翌1989年には.283 49HR 121打点を記録、更に進化して『ミスター3ラン』『ミスター1試合3ホーマー』に!😵💫)
この時代はパ・リーグ好きだったなぁ…特に西武近鉄戦はワクワクしかなかった!常勝西武を苦しめる近鉄とオリックス、いい時代やったよ
エリート常勝集団で本当に強かった西武と、チンピラとかならず者みたいな連中の集まりの近鉄でねw広岡さんなんかは、「近鉄みたいなのが優勝して良いわけがない」みたいな事いってたよね当時。
当時のライオンズファンが最も恐れたバッターがブライアントでした。
ブライアント4本目の後、リベラ、鈴木が続くところは爽快
西武というパーフェクトチームがあったからその対比として近鉄のハチャメチャさがさらに際立ってた時代。大阪の俺はもちろん近鉄応援してた。
近鉄も駒が揃っていたとはいえ、当時の西武のメンツみたら勝てる感じはしないんですよね。この試合を振り返る動画か何かでナベQも言ってましたが、この年はブライアントに全然打たれてなかったそうです。前年の10.19からこの年の近鉄は、本当に神がかっていましたね。それもこれも全て、仰木マジックだったんでしょうか。
@@タックマン-i6g ブライアントの対渡辺久の通算での唯一の本塁打が、第一試合の決勝本塁打ですからねw 本当に神がかってますよねw
giant killingの醍醐味ですよね。
パーフェクトチーム???当時の西武はただ単に憎たらしいチームでしょう(笑)
@@ロゼの赤 アホかお前この頃何度優勝と日本1をとったと思ってんの。誰がどう見ても巨人vナイン並のパーフェクトチーム
ブライアントさん、ありがとう☺💕日本人の心にいつまでも‥‥
平成元年のパリーグはまさにまれに見る3強でした。この試合、西武の5連覇もかかっていたのと、オリックスも5年ぶりの優勝チャンスでしたが、近鉄が前年の88/10/19のロッテのダブルヘッダーの悔しい思いがあったこともあり、まさにこの試合に現れていました。ミラクルブライアントでした。
この頃のパリーグはすごい面白かった
1989年優勝逃したオリックスは開幕から8連勝だったんですけどね^^わからんもんだw。
@@koichioyama3086殿ブルーサンダー打線とか言われましたからね。強力なHR打者・門田も加入し、スタメン全員クリーンナップといっても言い過ぎでない勢いでしたもんね。当時ブレーブスは打高投低かつ年寄り選手が占めていたせいもあり、夏に大ブレーキになった一方で、AKD砲擁する破壊力抜群の打線と、リーグ1の投手力の西武と、ブライアントを含むいたまえ打線に、小野&阿波野の両左腕投手の安定によりはり這い上がってきた近鉄の二チームが這い上がってきた事で、熱パが繰り広げられたんです。
この試合、よく覚えてるよ中学生の頃のとある夕方、怒られに職員室に行ったんだけども、先生達が夢中で「お前も観てけ」と言われ、みんな興奮して怒られずに帰ったよマジ、ブライアント様々
なにそれアツい!
君はヤンチャな生徒だったんか
@@喧嘩上等-y2x 子供はヤンチャくらいが丁度いい
@@itnau331mnr 親を高校呼び出すような停学処分受けるやんちゃは恥ずかしい親を高校呼び出したり、親に退学届けに判子押さしたりしたら情けねえわな停学処分退学しない程度のやんちゃなら問題ないが、親に迷惑かける停学処分は恥ずかしい
@@itnau331mnr 勉強嫌いで高校受験しない選択する中卒は情けねえ高校いかない選択して失業者なら尚更恥ずかしい
ブライアントは伝説近鉄と西武の熱い戦いが好きだった
このダブルヘッダーは2度と忘れない。
一回忘れたん?😂
10.19しかり、10.12しかり近鉄ファンはおろか、当時西武ファンだった人間としても永遠に消えることはないだろう。
世の中はバブルで好景気で、これまで目が当てられなかったものに目を当て始めたこの試合フジテレビも気合が入っていて、様々な方向からカメラを回して、色々な人の顔の変化が写っていて本当に面白い
この頃の西武は安定して最強野球エリート、近鉄は波に乗ると止まらない猛牛軍団に相応しい粗々しいパワーがあって本当に面白いペナントレースをしていた。30年以上経った今でもこの試合の感動、興奮をよく覚えています!本当にこの年のブライアントは凄かった!
近鉄側にいる仰木、中西太の両名がもともとは西鉄ライオンズで近鉄のやっている野球をやっていたんだと思うw。1989年の26年前に1988年と酷似した状況で勝って(西鉄として最後の優勝)いるしw
ファミスタでも最強のイメージがある 西武の水色のユニフォームに戻してほしいわ それにしても秋山の走るスピード凄すぎるだろ
走るスピードなければトリプルスリー獲得もなかったやろ。
この頃の西武は憎らしいほど強かったから、ブライアントの4発はホントにスッキリしたなあ。
試合は関係ないけどこの頃の西武ドームはきれいだね。球場が。これで中には何もなかった方なんだね。今はずいぶん賑やかになってる。売店とか。西武王国と言われていたのも昭和の話、か。
@@nontitled987そもそもドー厶ではないです
優勝を決めた日に村上隆行選手が「西武に消化試合をやらせたいと思っていた」と話していたが、そのくらいあの当時の西武は強かった。
35年経ってこの頃のロッテより弱くなった模様。弱くしたのはブライアントに3本目打たれた人。
@@UETCHY ロッテの監督はクローザーの吉井さんという…辻に石毛にスター揃いでしたねぇ…大石新井の12番もアツい。
プロ野球ニュース観てたなぁ、試合ごとに解説者も変わり詳しく試合を、内容をやってくれていましたね!今も、こんなに詳しくやって欲しい!
10.19と10.12の伝説は永遠に語り継がねばならない
しかも10.19の場合近鉄の監督仰木さんとヘッドコーチの中西さんは1963年の西鉄最後の優勝時で1988年とほぼ酷似な状況で優勝していた。南海に一時は14.5差つけられたところから西鉄が猛追し、南海が全日程終了し、西鉄は対近鉄4試合を3勝1分以上で優勝しなきゃいけないところを4勝した。3勝1敗ならパでのプレーオフだったそうで。2日連続のダブルヘッダーで西鉄が全勝。
@@koichioyama3086殿二日間で4試合、すなわち連日ダブルヘッダーで4戦全て勝たないと優勝できないんじゃなかったでしたっけ?3勝1敗だとホークスに逃げ切られてしまう(3勝1分けならプレイオフ)んではなかったでしたっけ?うろおぼえですが・・・。まぁどちらにしても、計4連戦のうち1つでも落とすと・・・といった状況ですべて勝利したのは大したものやし、並大抵でない底力ある球団だと言えますがね。
いや3勝1分で優勝で3勝1敗でプレーオフだったそうですよ。1988.10.19のニュースステーションでも解説されてましたので
npb.jp/bis/yearly/pacificleague_1963.html この順位表をご覧ください。負けていたら南海とは同率1位でした。それを勝利し、1.0差、最後が引き分けでも優勝ですよ。それが1988年とは微妙に異なるところ。もう数字のあやってやつですよね。
ブライアント好きだったな~、
「プロ野球ニュース」、かなり見ていました。プロ野球の面白さを伝えてくれました。今はプロ野球は余りニュースで取り上げませんので、あの頃が懐かしいと思います。
1989年。パリーグが史上最高最強に面白かった年。
近鉄、オリックス、西武はそれぞれ福岡ダイエーホークスに苦しめられた。
確か、バナザードが要所で痛恨の活躍をしたんでしたっけね。記憶違いだったらすみませんが。
親会社がスーパーだっただけに「閉店間際の大逆転」とか言われてましたね。
sewwinter 日本語おかしくね笑笑
hhy さん バナザードはホークスの選手で、優勝争いの各チームを苦しめたんですよ。だから痛恨の活躍なんです。
仰木と中西のコンビほんと好き
権藤蚊帳の外ww
2人並んでたらヤ〇ザも顔負け。
1988年に負けちゃったけどその25年前の1963年には勝った側にいた仰木選手と中西監督 南海に一時は14.5差をつけられたが大逆転。西鉄残4で南海残0試合から西鉄は3勝1分以上が優勝条件を4戦全勝だったらしいお。1988年のニュースステーション(10.19)でそれが解説されていた。
もともと西鉄ライオンズだぜww
名監督 名打撃コーチ そして 名投手コーチ 上手くいかないんだわな 人間って
この年のパリーグが最高に楽しかった。
ブライアントの4発は伝説だけれど 門田のホームランのスイングきれいすぎる
ブーマーもえげつないし星野伸之も完投するし
当時生で観てたけど、この4連発はほんま鳥肌たった…
当時も生で見ていましたが、今見ても鳥肌がたっています。何回も見てしまいます。
@@サップ-f7j殿アタシ近鉄ひいき者ですが、何度観ても涙ぐみます、此シーン。4点ビハインドの6回オモテの起死回生の同点満塁HR時しかり8回オモテの鬼門・渡辺久投手から放った特大の決勝HR時しかり実況アナの絶叫も凄かったてすし、まさにドラマでしたね。
今見ても凄い試合、この頃はシーズン終盤から日本シリーズはデーゲームで雰囲気もありました。
普通に久信の球は最高のボール打ったブライアントが凄すぎる❗
西武ファンにとって、まさに屈辱の試合だった。それにしても外野フェンスに広告のない西武球場、スッキリしていて逆に今よりも広く見えるなあ・・・
不評極まりない屋根も、とっぱらちゃえ!
@@ctakabe さんへ僕も西武球場時代の開放感が大好きだったんですが、屋根は営業上しかたないでしょう。雨が多い地域だと言うことに加えて、狭山湖から霧が流れて来て試合中断と言うこともありましたから・・・それとユニフォームのレジェンドブルーが実に縁起が悪い!金子侑司と相内が不祥事起こすし、今シーズン開幕できるかどうかも分からなくなっちゃいましたから・・・こじつけるわけではないのですが、実際青いユニフォームが消えてからろくな事がありません。(-_-;)
近鉄との試合はいつも面白かった。いつかは忘れたけど松坂が先発して8点か9点取られて万事休すかと思った試合をひっくり返したことがありましたね。松坂を見に行ってたんで帰ろうかと思いましたが、試合後は声が枯れてました。後、忘れられないのが野茂vs清原の対決ですね。しびれまくりました。(清原は、1年目にファーストフライを取り損ねて金網で鼻の下を怪我してから(?)ファーストフライが全然取れなくなった)懐かしい思い出。(笑)
@@harupanta6431 さんへ僕もなぜか休みの日程と合わせると近鉄との試合が多かったですね。ロッテ戦は不思議と日程が合わず、もう10年以上見てません。”生松坂”は1年目から見ていますが、最後は西崎が締めるという試合が多かった気がします。僕は野茂から清原が150号HRを打った試合を生で見ました。あの頃はよく1塁側内野指定席が満員になったので、その試合は3塁側から見たのですが、キヨももっと切磋琢磨して順調にいけば600~700本は打てたかも知れません。清原は1年目に1塁側ブルペンのフェンスにぶつけましたね。鼻の下を切りましたが、当時密着取材していたNHKの映像内で、球場に来ていた彼の母親が「見せてみ」というような感じで見て「これは治るわ」と励ましていたのを思い出します。昔はいつもたいてい1塁側ブルペンの近くの席で見てました。最初は松沼兄や森繁和の投球を間近に見て「速っ!」と思いましたが、今は見慣れてしまいました。杉下コーチや小山コーチの姿を思い出します。松沼弟コーチは壊れたブルペンの扉を針金で留めようと四苦八苦してたりも・・・(^^)早く開幕して欲しいですが、安全第一ですね!
ブライアントはホームランも凄いが、三振したときに膝でバットを折るのも凄い。
中日入団ではないですね近鉄入団の選手ですねブライアント。
ブライアントは88年に中日入団ですね。当時の中日は郭源治とゲーリーが盤石で外国人一軍登録2名の為ブライアントは2軍でくすぶっていました。そんな時に近鉄のデービスが不祥事退団(大麻所持だったと思います)で声が掛かり近鉄入団となりました。
ブライアントの弾道速すぎ!2年がかりで王者を倒した近鉄。加藤の日シリの発言、そして野茂の入団。これが全て平成元年の同一年の出来事!!
巨人を挑発したのは加藤だけじゃなかったw 福本豊もやっていたが阪急は勝ったのだw 急〇〇〇●●●〇巨で日本一 1977? 「うちと3連戦やればロッテも近鉄も1つくらいは勝つぞ」って王貞治激怒。
弾道は高い低いなんだが
王者西武相手にアウェーで一人で倒すんだもんなぁ。そりゃ、エディーマーフィーがブライアントに似てるって言われますわ。
ラルフブライアント 名前がもうかっこいいめちゃ打ちそう
めちゃくちゃ打ってたよ
名前なんて後からついてくるもんだ。だからその後は名前だけで相手が勝手にビビるw。
とにかく当たればホームランでした。打率が.240〜.250くらいでしたので、ヒット数のうちのホームラン率がかなりのものだったと思います。
ランディ・バースとラルフ・ブライアント この2名はものすごい伝説となっていますねw^^
力と力の勝負!この日のブライアントは神がかっていた!!伝説の試合
これは見てて熱くなった。
この時代のプロ野球が1番楽しかった‼️ブライアント、ブーマ―、オグリビ―、イ―スラ―、ホ―ナ―に ランス、バ―ス、ゲーリ―、ポンセ、クロマティ まだまだ沢山いたね☺️
Kモンソン マーシャル、ニーマン、リー、レオン、スペンサー、スチュアート、コビントン、クラーク、テリー、マニエル、、、etcね
パットナム
メジロアサマ た
一年で3HRを4回も打つブライアント。2:00満塁HRの時の中西コーチの喜びようと言ったら!
それ以上に、ナベQ( 渡辺 久信選手 )のヘコみっぷりが、哀れです。
@@和田裕広志-o2c殿実況アナの興奮気味な絶叫も凄まじかったですもんね😮カーン!!(ブライアントが打つ)さーこれはー?!!(打球がライトポール際へ飛ぶ)距離は十分だがどうだ入ったか?!ホームラン!!!ホームランです!!ブライアントが打った瞬間に続き、直ぐ様渡辺久投手がマウンドで崩れ落ちるシーン、打球の行方が交互に映し出されるシーンは未だ焼き付いています😮それだけ衝撃的だったんですよね〜
当時、大学生で前年の10.19を知ってるから、球場に見に行こうか悩んだけど、バイトのシフトがどうしても変えられなくて、バイト先でテレビを見た。今見ても泣けるね。
負けたら終わりのダブルヘッダーでこんなすごいバッティングして、第一試合で逆転勝ち、勢いで第二試合圧勝、ほぼ優勝決定って、劇的すぎる。CSがある今ではもうこんな感動ないだろうな。
もう少し早く生まれていたら、シーズン中の成績をつけながら優勝マジックの経過を観れていたのになー。2000年くらいから計算はパソコンじゃなく電卓でやってまして。2003年の阪神優勝からエクセルに切り替えました。
近鉄か西武か、阪神と巨人みたいに当時はパリーグの楽しみな組み合わせだった
ブライアントも凄いけどオリックスブルーサンダー打線もえげつないな(笑)
1番バッターの松永からして20本、6番の藤井が普通に30本以上打ってましたからね。ほんとえげつない打線でした。唯一残念だったのが、吉井のようなストッパーがいなかったことです。
衝撃度で言ったらバースより上だなぁ…チャンスの時の集中力は神のようなアスリートだったな。そして性格も良かった印象がある。
高級車なんか乗らずに電車通勤してたらしいからね
30年前になるのか年取ったなと実感しちゃう
ONに魅了され、野球ファンだった63才のオジサンですが、この時期のブライアントのホームランの凄さは、一生の思い出でTH-camのおかげで保存できました。
これは誰も渡辺を責められない。撃ったブライアントが凄すぎた
当時の西武は「先発完投が当たり前」という考えが強かったけど(勿論、他の球団も)、この試合を境にリリーフ、セットアッパーの強化を進めていったはず。それがこの年のドラフトで潮崎の指名、トレードでの鹿取を獲得という形に表れました。
@@肉ジャガー そこからパ・リーグ唯一の5連覇
パ・リーグの助っ人外国人のイメージそのものですね。ホームランかっ飛ばすけた違いのパワーやーーーーい💪💪いつまいらーいふ
1:38大石の隠れた好走塁!この当たり、この守備でセーフになるんだね!
大石は優勝が決まるダイエー戦9回表の守備で超好プレーするんですよねw。イレギュラーで高く弾んだ打球を捕球、その前に鈴木貴久?も好プレーしていたな。そして阿波野が三振で〆る最高だった。
田辺さんも守備の名手でした。取ってからあれだけ早いスローイングでもセーフになるんですから、間違いなく大石さんの俊足&好走塁でしょうね。
仰木監督中西コーチだから優勝できた西武のオールスター感も半端ない。最近の優勝監督だらけおまけに川崎球場のガラガラ感懐かしい
当時の川崎球場は本当に味があったな。(流しそうめん事件の頃)現地で西武戦を生で見たけど、バットの真に当たるとみんなホームランになる感覚だった。その日は秋山、清原、デストラーデとベンチ前で素振りするだけで凄い迫力やった。ホームランも何本かぶち込んでた。直球に拘ってた頃の覚醒前の伊良部が先発大炎上(被弾多数)で、敗戦処理に荘勝雄が出て来た気がする。まさに川崎劇場やったね。
1963年の西鉄の中西監督と仰木選手。南海が全日程を終了して西鉄は3勝1分以上なければならないところを4連勝で大逆転優勝していたらしいよ。それが25年後に負ける側に回っちゃうなんて。俗にいう14.5差逆転優勝
三原修さんの下でもやっていたんでしたっけね。
ブライアント相手に逃げないで普通に勝負している西武投手陣もすごい
打たれたら意味ないやろw
伊東は郭に対して「押し出しでもいい」って言っていたらしいよ
1本目は4点リードで、走者もいない状況。2本目は満塁。3本目は同点の状況で、勝負を避けて出塁させれば、勝ち越しの走者になる。加えて、渡辺久信はブライアントとの相性が良かった。結果的に、3本打ったブライアントが凄すぎるだけで、勝負に行ったのは普通の事だと思いますよ。
ブライアントの二本目の前に満塁にした近鉄打撃陣の執念の勝利だろうな…
高山はブライアントの1打席目逃げたよ
89年が一番パリーグ面白かった上田監督 ご冥福お祈りします
近鉄、オリックス、西武は福岡ダイエーに苦しめられた。3チームどこも抜け出せずに大混戦の優勝争いになった。
@@yksptghr 1位~3位のゲーム差が2だけとか シビレるどころか死ぬレベルの大混戦やった
さ
オリックスがマジック1でダブルヘッターを連敗した。それで近鉄に優勝が転がり込んできた。嫁に、もしかしたらもしかするからと近鉄最終戦のチケットを買わせていたので優勝の瞬間に立ち会えた。その相手がホークスだった。西本監督あの時の初優勝あの時もホークスだった。
1990年1991年も面白かった
このダブルヘッダー見に行ってたな〜…とにかく神様・仏様・ブライアント様…ブライアントの4打席連発に尽きる^_^
西武×近鉄、おもしろかったなー!今の野球より断然おもしろい。
開幕戦で野茂が西武にノーヒットノーランしそうで最後に伊東のサヨナラ満塁弾は翌年かよく翌年でしたっけえwそれもしびれますw。
2001年、大阪近鉄vs.西武。近鉄いてまえ打線vs.松坂大輔。ローズ55号、中村45号本塁打。代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン。2002年。カブレラ選手55号ホームラン。 2004年。近鉄バファローズ消滅。大阪ドーム本拠地最終戦。大阪近鉄バファローズvs.西武ライオンズ
nakakiyo34 最高の試合だった!
前年からきているので面白いですよね。オリックスも混ざって最後西武は3位で終わっているので、めったくそ熱パ
ロッテとのダブルヘッダーしかり、昔の近鉄はいい試合していたよね。
一発目の気持ち良さよ!ブライアント最高!
失礼な言い方だけど、渡辺久信さんの打たれっぷりも良かった。ホント無双だったね。
日本シリーズで王にサヨナラホームラン打たれた山田とこの時の渡辺久がホームラン打たれた投手の絵としては双璧。
そのとおり。「打てるもんなら打ってみろ!」、、、ガッキ〜ン!「あちゃ〜」
@@kawachap7976殿まさにそれな!自信たっぷりに渾身ストレートを投げて、みごと打たれたんですから。その故、10年経っても、何十年後になっても、球史に残る名シーンとして語り継がれるんです。
今シーズン4度目の一試合3HRというのだから、奇跡ではなくて実力
まるでゲームのような話だな(゜゜;)
ブライアント凄かったわ🎵
ブライアントの4打数連続ホームラン、神がかり的なホームランでしたね
というか今の球界にこんな選手欲しいな特にライオンズにどれだけ盛り上がる事か
あの森祇晶監督が、ナベQ&伊東に「何故、ホークではなくストレートだった?」と珍しく確認した。それくらい、森コンピューターが狂わされた。
今からは想像も出来ないくらいの闘う顔の吉井監督。
超一流 VS 超一流の勝負がいつも見れたいい時代でした✨この時の近鉄神がかってたなあ
渡辺がよくぞ勝負してくれたと思う。チームのためには歩かせるべきだったかもしれないが、当時のファンにとって「これぞプロ野球」という不滅のイメージを残してくれた。
森監督がワンポイントでブライアントキラー渡辺を投入したんだから勝負に決まってる。むしろよくぞ勝負してくれた森監督でしょう。初戦に高柳を先発させた仰木監督に対して小細工せず郭を先発させた森監督。この場面でもそうだけど、ここぞという場面では選手を信頼して任せるんだよね。
シーズン中は、ほとんど打たれてなかったそうですね。あの内角高めのストレートを弾きかえす訳はなかったそうで、、
今シーズン4度目の1試合3ホーマーいうことをサラッと言ってるブライアント、恐ろしすぎる
ここ一番で必ず打ってくれるブライアントは最高の助っ人でしたね👍👍
社会人1年目で近鉄ファンだったオレ、1989年は公私とも充実していて楽しい毎日だった
西武と近鉄全くタイプの違うチームが死力を尽くして優勝を争った88年と89年のパ・リーグは抜群に面白かった89年はオリックスも交えての大激戦
ブライアントにホームランを打たれた直後、渡辺久信投手がガックリして膝から崩れたことは今でもよく覚えています。
久信の真っ向勝負は素晴らしいですね。打たれても美しい。プロ野球でとても好きなシーンの1つです。
一番好きな選手はブライアントです
88年89年のパは本当に面白かったですね
猛牛ファンの忘れられない1日
永遠に語り継がれるであろう
ありがとうブライアント!
タフィ ローズの55本の記録よりも記憶に残ってる
令和の時代に改めて見返しました。
この日のブライアント選手は本当に神がかっていた。
Unbelievable!!
時がどれだけ流れても感動を覚えます。
打ったブライアントがスゴいのはもちろんだけど、あの場面でそれまで打たれていない渡辺久信で勝負に行く森監督、真っ直ぐで勝負に行く渡辺の向うっ気も素晴らしいと思う。やっぱり、勝負はこうであって欲しい。
それにしても、年に4試合も3本打つなんて、ブライアントが規格外過ぎる・・・
当時 近鉄ファンで感動したなぁ。
この頃の西武はめちゃくちゃ強かった。完璧なチームと言っても過言ではないくらい。
西武ファンです。
にっくきブライアントさん。本当、顔も見たくないほど。
つまり、それほどに素晴らしい選手でした。
しかし、西武の投手陣が情けない。特に2試合目はほんと酷い。
なんでかな?
@@rairai1030 シーズン終盤で満身創痍だったんでしょうね。しかもV8時代経験のない終盤までもつれるペナントレースの直接対決。結果、荒れた展開になりましたね。
@@rairai1030 打った方を褒めればいいのに何で相手を下げる必要があるんだ?情けないのはお前だよ
この年のパリーグは本当に接戦で面白かった。自分は西武ファンだったけど、それ以上にプロ野球ファンとして楽しませて貰ったシーズンでした。
渡辺久信の唖然とした表情が忘れられない。
ブライアントはそれまで久信の高めの速球は必ず空振りしていたから。
やはり野球の神様が舞い降りてきていたんだろうなと思う。
あれ以降、残毛が抜けたらしい
仰木監督と中西ヘッドの名コンビ!
カッコいいなぁ!
1989年の26年前に西鉄最後の優勝が前年の1988年そっくりでしたよねw。その時に中西太監督に仰木彬選手
近鉄は実にドラマチックなチームだった。消滅して欲しくなかったなぁ。それにしても西武の強さも今のどのチームと比べても圧倒的に勝る強者振り。阪急〜西武という強者がいたからこそ近鉄の数々のドラマが生まれたのは間違いない。西本、仰木監督も最高でした。
近鉄は鉄道に利益をもたらさない場所にある大阪ドームに移らなければ消滅しなかったかも…
結果消滅しちゃったけど2004年まででパで唯一50年持たせました(それがゆえに大赤字で強引だったかもしれませんが)。他の5球団はすでにいろいろと身売り買収と。
ブライアント好きだった。第二節を終わって9安打で、それが全て本塁打だったと言うことがあった。
この当時、中学生で勉強を終えるのがプロ野球ニュースが始まる時間だったんだよね。
たまたま観たプロ野球ニュースに中井美穂さん出てるのを見て一目惚れして、何度か好意のファンレターを送ったら、受験勉強頑張ってねって返事をくれた事は今も忘れない。
永井美奈子と中井美穂本当に好きだった。
そんな時間まで勉強してるあんたは偉い。俺はたぶんシムシティしてたよ。
西武「球場」の打球音が他に類を見ないものでした。この独特な打球音に惚れてライオンズファンになったものでした
西武電車から青空の下に出て、試合開始の夕暮れから試合が進むにつれて薄暗くなり
選手とファンがカクテル光線に照らされていく・・・
綺麗な空気と開放感溢れるなだらかなすり鉢の中で野球を観られる
自分は近鉄ファンですが、西武「球場」は敵地ながら白いボールのファンタジーが似合う
本当に素晴らしい野球場でした。
ときどき帰りの電車でバークレオファミリーと同じ車両になっちゃったりしたけどw
2:57 これ投げる方も打つ方も迫力、躍動感が凄い。THEプロ野球って感じ
広岡監督時代からの西武ファンですが、平成で一番面白くて記憶に残るシーズンは、1989年をおいて他にありません。
リアルタイムでこの壮絶な戦いを体感できたことに感謝。
優勝を逃したのに1989年が一番面白かったというのは
大人ですね
西武ファンだが、この前年とこの年の近鉄の戦いぶりは、生涯忘れない
ありがとう。近鉄ファンを代表してお礼を言うよ。
中日10月8日最終決戦、斬られ役の悲哀を思い出す
僕も近鉄ファンでした。
とっても良いチームでした。
無くなるなら、livedoorに
身売りの方が良かった
@@たなか角栄-n3r さん
アレは中日が巨人に
勝って優勝して欲しかった
1988年10月19日から始まった大河ドラマは1989年10月12日でクライマックスを迎え10月14日で完結する
そして日本シリーズでオチがついた
前年の10.19があってこそのこの盛り上がりなので、気分マックスでしたね
この頃はホントに興奮して野球見ていたなぁ。これぞ助っ人、ってのを見させてもらいました。
私も当時、近鉄バファローズのファンで、この規格外のブライアントの3打席連続ホームランには、嬉し過ぎましたよ!
安打製造機イチローを育てた元祖安打製造機の新井さんのシュアな打撃に痺れました。
その天才打者に自分を上回る逸材と言わせるイチローはメジャー記録を次々に更新する、とんでもない選手へと成長しました。
近鉄は、江夏の21球、ブライアントの4連発、北川の代打優勝決定サヨナラ満塁ホームランなど、ドラマチックな強烈なインパクトを与えるチームだった。
2001年の北川のホームランの前の試合も西武戦中村紀洋が松坂からサヨナラホームランも凄かったですよね!
規格外の選手を輩出し続けたこのユニフォームの近鉄が大好きだった。
あと「10・19のダブルヘッダー」「3連勝からの4連敗の日本シリーズ」なんかもありましたよね。
@@omusubi_0629
こんな派手派手なチームカラーのチームが出てこないかな。
ここまでやって一回も日本一になってないのが凄い
1番から9番までフルスイングの近鉄打線。パ・リーグはこの頃から豪快だった。
1番から9番までフルスイング 日本ハムの片岡が近鉄戦は恐かったらしいとw みんな引っ張り倒すから強烈な三塁ゴロが怖くてwって
ブライアント 懐かしいねぇ!近鉄ファンでしたから!懐かしい動画ありがとうございました!
ブライアントは近鉄が好きで退団することになっても、ファン感謝祭に参加したんだよな。
こういう規格外の本塁打を打てるのが、日本人にはない外国人選手ならではの魅力なんだよな。
あの優勝から30年経っても ブライアントは近鉄ファンの記憶に刻まれてる 西武ファンの記憶にはトラウマとして刻まれてるがw
ブライアントの逆転ホームラン+近鉄の優勝がなければ、なんと西武が85年~94年で10連覇していたという事実。
退団の経緯はどんな内容だったんですか?
@@麻ひでたこ 確か膝のけがで成績悪化が原因だったんじゃなかったのかなぁ…
K TANAKA そうなんですね!。ありがとうございました。
30年前ですが忘れはしません👍
ブライアントくじの当たり率がイカれてた伝説の日
5:00
藤井さんのホームランは、いつ見ても綺麗でした
この時のブライアントはバースより凄い
流石にバース
こんなとこまで出張ってくんな慢カス
Im
未だにシーズン三振記録の1位~4位までブライアントっての好きだわ。
これって実は平成最大の名勝負
80年代のプロ野球が一番面白かった!
ゲームではファミスタ!
落合、ブライントにデービス、バース、クロマティ、ランス、ホーナー、門田等、まだまだキリがないけど良き時代だった。
平日の昼間開始のダブルヘッダー
川崎球場は普通の客の入り。
西武球場の大盛況がすごい。
川崎の方が行きやすくて
今の西武ドームとか行きたくない球場で有名なのを考えると信じられない時代ですよね。
バファローズファンやけれど、ナベQの打たれっぷりもカッコ良かった。
ブライアントの凄さと鈴木貴久さんと佐藤秀明さんが物故された悲しさに泣いてしまいました
俺のなかではプロ野球史上1番の名場面 間違えなくパ・リーグの全盛期 近鉄は10.19の屈辱があったからこそ野球の神様はまた新たな名勝負(10.12)を生んでくれた
こういう時近鉄は数々のドラマを作るからな
衝撃的な2年間だったよね。熱かった。
北川の例の優勝の時のホームランといい、
この球団は、ドラマチックすぎる。
フロントのくそ加減も本当の例を見ないくそ加減。
ホリエモンに任せておいたらよかったのに。
ブライアント、今シーズン4度目の1試合3ホーマーっていうのが凄すぎる
しかも西武球場で2度目。1度目では3本中2本が場外、6打数5安打8打点の大暴れ
今でも破られていないシーズン記録だもんね。
しかもブライアントは通算で8回という日本記録も保持するだけでなく、
204三振というシーズン最多記録(しかも130試合制当時に記録)も残す等、
ほんまおもろい選手だった。
中日2軍でまったく機能しなかったのに近鉄行ったら化け物になった😂
二軍では打ってたぞ
一軍のメンツがそろってたから試合に出られなかった
1988年、中日2軍でのブライアントの成績は26試合で.275 HR6本、まずまずといったところでしょうか。
その年の6月の終わりに近鉄にトレードされ、74試合で.307 34HR、『ミスター2ラン』と呼ばれます。
(翌1989年には.283 49HR 121打点を記録、更に進化して『ミスター3ラン』『ミスター1試合3ホーマー』に!😵💫)
この時代はパ・リーグ好きだったなぁ…特に西武近鉄戦はワクワクしかなかった!常勝西武を苦しめる近鉄とオリックス、いい時代やったよ
エリート常勝集団で本当に強かった西武と、
チンピラとかならず者みたいな連中の
集まりの近鉄でねw
広岡さんなんかは、
「近鉄みたいなのが優勝して良いわけがない」
みたいな事いってたよね当時。
当時のライオンズファンが最も恐れたバッターがブライアントでした。
ブライアント4本目の後、リベラ、鈴木が続くところは爽快
西武というパーフェクトチームがあったからその対比として近鉄のハチャメチャさがさらに際立ってた時代。大阪の俺はもちろん近鉄応援してた。
近鉄も駒が揃っていたとはいえ、当時の西武のメンツみたら勝てる感じはしないんですよね。
この試合を振り返る動画か何かでナベQも言ってましたが、この年はブライアントに全然打たれてなかったそうです。
前年の10.19からこの年の近鉄は、本当に神がかっていましたね。
それもこれも全て、仰木マジックだったんでしょうか。
@@タックマン-i6g ブライアントの対渡辺久の通算での唯一の本塁打が、第一試合の決勝本塁打ですからねw 本当に神がかってますよねw
giant killingの醍醐味ですよね。
パーフェクトチーム???
当時の西武はただ単に憎たらしいチームでしょう(笑)
@@ロゼの赤 アホかお前
この頃何度優勝と日本1をとったと思ってんの。誰がどう見ても巨人vナイン並のパーフェクトチーム
ブライアントさん、ありがとう☺💕日本人の心にいつまでも‥‥
平成元年のパリーグはまさにまれに見る3強でした。この試合、西武の5連覇もかかっていたのと、オリックスも5年ぶりの優勝チャンスでしたが、近鉄が前年の88/10/19のロッテのダブルヘッダーの悔しい思いがあったこともあり、まさにこの試合に現れていました。ミラクルブライアントでした。
この頃のパリーグはすごい面白かった
1989年優勝逃したオリックスは開幕から8連勝だったんですけどね^^わからんもんだw。
@@koichioyama3086殿
ブルーサンダー打線とか言われましたからね。強力なHR打者・門田も加入し、スタメン全員クリーンナップといっても言い過ぎでない勢いでしたもんね。当時ブレーブスは打高投低かつ年寄り選手が占めていたせいもあり、夏に大ブレーキになった一方で、AKD砲擁する破壊力抜群の打線と、リーグ1の投手力の西武と、ブライアントを含むいたまえ打線に、小野&阿波野の両左腕投手の安定によりはり這い上がってきた近鉄の二チームが這い上がってきた事で、熱パが繰り広げられたんです。
この試合、よく覚えてるよ
中学生の頃のとある夕方、怒られに職員室に行ったんだけども、先生達が夢中で「お前も観てけ」と言われ、みんな興奮して怒られずに帰ったよ
マジ、ブライアント様々
なにそれアツい!
君はヤンチャな生徒だったんか
@@喧嘩上等-y2x 子供はヤンチャくらいが丁度いい
@@itnau331mnr 親を高校呼び出すような停学処分受けるやんちゃは恥ずかしい
親を高校呼び出したり、親に退学届けに判子押さしたりしたら情けねえわな
停学処分退学しない程度のやんちゃなら問題ないが、親に迷惑かける停学処分は恥ずかしい
@@itnau331mnr 勉強嫌いで高校受験しない選択する中卒は情けねえ
高校いかない選択して失業者なら尚更恥ずかしい
ブライアントは伝説
近鉄と西武の熱い戦いが好きだった
このダブルヘッダーは2度と忘れない。
一回忘れたん?😂
10.19しかり、10.12しかり
近鉄ファンはおろか、当時西武ファンだった人間としても永遠に消えることはないだろう。
世の中はバブルで好景気で、これまで目が当てられなかったものに目を当て始めた
この試合フジテレビも気合が入っていて、様々な方向からカメラを回して、色々な人の顔の変化が写っていて本当に面白い
この頃の西武は安定して最強野球エリート、近鉄は波に乗ると止まらない猛牛軍団に相応しい粗々しいパワーがあって本当に面白いペナントレースをしていた。30年以上経った今でもこの試合の感動、興奮をよく覚えています!本当にこの年のブライアントは凄かった!
近鉄側にいる仰木、中西太の両名がもともとは西鉄ライオンズで近鉄のやっている野球をやっていたんだと思うw。1989年の26年前に1988年と酷似した状況で勝って(西鉄として最後の優勝)いるしw
ファミスタでも最強のイメージがある 西武の水色のユニフォームに戻してほしいわ
それにしても秋山の走るスピード凄すぎるだろ
走るスピードなければトリプルスリー獲得もなかったやろ。
この頃の西武は憎らしいほど強かったから、ブライアントの4発はホントにスッキリしたなあ。
試合は関係ないけどこの頃の西武ドームはきれいだね。球場が。これで中には何もなかった方なんだね。今はずいぶん賑やかになってる。売店とか。西武王国と言われていたのも昭和の話、か。
@@nontitled987そもそもドー厶ではないです
優勝を決めた日に村上隆行選手が「西武に消化試合をやらせたいと思っていた」と話していたが、そのくらいあの当時の西武は強かった。
35年経ってこの頃のロッテより弱くなった模様。
弱くしたのはブライアントに3本目打たれた人。
@@UETCHY ロッテの監督はクローザーの吉井さんという…辻に石毛にスター揃いでしたねぇ…大石新井の12番もアツい。
プロ野球ニュース観てたなぁ、試合ごとに解説者も変わり詳しく試合を、内容をやってくれていましたね!今も、こんなに詳しくやって欲しい!
10.19と10.12の伝説は永遠に語り継がねばならない
しかも10.19の場合近鉄の監督仰木さんとヘッドコーチの中西さんは1963年の西鉄最後の優勝時で1988年とほぼ酷似な状況で優勝していた。南海に一時は14.5差つけられたところから西鉄が猛追し、南海が全日程終了し、西鉄は対近鉄4試合を3勝1分以上で優勝しなきゃいけないところを4勝した。3勝1敗ならパでのプレーオフだったそうで。2日連続のダブルヘッダーで西鉄が全勝。
@@koichioyama3086殿
二日間で4試合、すなわち連日ダブルヘッダーで4戦全て勝たないと優勝できないんじゃなかったでしたっけ?3勝1敗だとホークスに逃げ切られてしまう(3勝1分けならプレイオフ)んではなかったでしたっけ?うろおぼえですが・・・。
まぁどちらにしても、計4連戦のうち1つでも落とすと・・・といった状況ですべて勝利したのは大したものやし、並大抵でない底力ある球団だと言えますがね。
いや3勝1分で優勝で3勝1敗でプレーオフだったそうですよ。1988.10.19のニュースステーションでも解説されてましたので
npb.jp/bis/yearly/pacificleague_1963.html この順位表をご覧ください。負けていたら南海とは同率1位でした。それを勝利し、1.0差、最後が引き分けでも優勝ですよ。それが1988年とは微妙に異なるところ。もう数字のあやってやつですよね。
ブライアント好きだったな~、
「プロ野球ニュース」、かなり見ていました。プロ野球の面白さを伝えてくれました。今はプロ野球は余りニュースで取り上げませんので、あの頃が懐かしいと思います。
1989年。パリーグが史上最高最強に面白かった年。
近鉄、オリックス、西武はそれぞれ福岡ダイエーホークスに苦しめられた。
確か、バナザードが要所で痛恨の活躍をしたんでしたっけね。記憶違いだったらすみませんが。
親会社がスーパーだっただけに「閉店間際の大逆転」とか言われてましたね。
sewwinter
日本語おかしくね笑笑
hhy さん バナザードはホークスの選手で、優勝争いの各チームを苦しめたんですよ。だから痛恨の活躍なんです。
仰木と中西のコンビほんと好き
権藤蚊帳の外ww
2人並んでたらヤ〇ザも顔負け。
1988年に負けちゃったけどその25年前の1963年には勝った側にいた仰木選手と中西監督 南海に一時は14.5差をつけられたが大逆転。西鉄残4で南海残0試合から西鉄は3勝1分以上が優勝条件を4戦全勝だったらしいお。1988年のニュースステーション(10.19)でそれが解説されていた。
もともと西鉄ライオンズだぜww
名監督 名打撃コーチ そして 名投手コーチ 上手くいかないんだわな 人間って
この年のパリーグが最高に楽しかった。
ブライアントの4発は伝説だけれど 門田のホームランのスイングきれいすぎる
ブーマーもえげつないし
星野伸之も完投するし
当時生で観てたけど、この4連発はほんま鳥肌たった…
当時も生で見ていましたが、今見ても鳥肌がたっています。何回も見てしまいます。
@@サップ-f7j殿
アタシ近鉄ひいき者ですが、何度観ても涙ぐみます、此シーン。
4点ビハインドの6回オモテの起死回生の同点満塁HR時しかり
8回オモテの鬼門・渡辺久投手から放った特大の決勝HR時しかり
実況アナの絶叫も凄かったてすし、まさにドラマでしたね。
今見ても凄い試合、この頃はシーズン終盤から日本シリーズはデーゲームで雰囲気もありました。
普通に久信の球は最高のボール
打ったブライアントが凄すぎる❗
西武ファンにとって、まさに屈辱の試合だった。それにしても外野フェンスに広告のない西武球場、スッキリしていて逆に今よりも広く見えるなあ・・・
不評極まりない屋根も、とっぱらちゃえ!
@@ctakabe さんへ
僕も西武球場時代の開放感が大好きだったんですが、屋根は営業上しかたないでしょう。雨が多い地域だと言うことに加えて、狭山湖から霧が流れて来て試合中断と言うこともありましたから・・・それとユニフォームのレジェンドブルーが実に縁起が悪い!金子侑司と相内が不祥事起こすし、今シーズン開幕できるかどうかも分からなくなっちゃいましたから・・・こじつけるわけではないのですが、実際青いユニフォームが消えてからろくな事がありません。(-_-;)
近鉄との試合はいつも面白かった。いつかは忘れたけど松坂が先発して8点か9点取られて万事休すかと思った試合をひっくり返したことがありましたね。松坂を見に行ってたんで帰ろうかと思いましたが、試合後は声が枯れてました。後、忘れられないのが野茂vs清原の対決ですね。しびれまくりました。(清原は、1年目にファーストフライを取り損ねて金網で鼻の下を怪我してから(?)ファーストフライが全然取れなくなった)懐かしい思い出。(笑)
@@harupanta6431 さんへ
僕もなぜか休みの日程と合わせると近鉄との試合が多かったですね。ロッテ戦は不思議と日程が合わず、もう10年以上見てません。”生松坂”は1年目から見ていますが、最後は西崎が締めるという試合が多かった気がします。
僕は野茂から清原が150号HRを打った試合を生で見ました。あの頃はよく1塁側内野指定席が満員になったので、その試合は3塁側から見たのですが、キヨももっと切磋琢磨して順調にいけば600~700本は打てたかも知れません。
清原は1年目に1塁側ブルペンのフェンスにぶつけましたね。鼻の下を切りましたが、当時密着取材していたNHKの映像内で、球場に来ていた彼の母親が「見せてみ」というような感じで見て「これは治るわ」と励ましていたのを思い出します。
昔はいつもたいてい1塁側ブルペンの近くの席で見てました。最初は松沼兄や森繁和の投球を間近に見て「速っ!」と思いましたが、今は見慣れてしまいました。杉下コーチや小山コーチの姿を思い出します。松沼弟コーチは壊れたブルペンの扉を針金で留めようと四苦八苦してたりも・・・(^^)
早く開幕して欲しいですが、安全第一ですね!
ブライアントはホームランも凄いが、三振したときに膝でバットを折るのも凄い。
中日入団ではないですね近鉄入団の選手ですねブライアント。
ブライアントは88年に中日入団ですね。当時の中日は郭源治とゲーリーが盤石で外国人一軍登録2名の為ブライアントは2軍でくすぶっていました。
そんな時に近鉄のデービスが不祥事退団(大麻所持だったと思います)で声が掛かり近鉄入団となりました。
ブライアントの弾道速すぎ!
2年がかりで王者を倒した近鉄。加藤の日シリの発言、そして野茂の入団。これが全て平成元年の同一年の出来事!!
巨人を挑発したのは加藤だけじゃなかったw 福本豊もやっていたが阪急は勝ったのだw 急〇〇〇●●●〇巨で日本一 1977? 「うちと3連戦やればロッテも近鉄も1つくらいは勝つぞ」って王貞治激怒。
弾道は高い低いなんだが
王者西武相手にアウェーで一人で倒すんだもんなぁ。
そりゃ、エディーマーフィーがブライアントに似てるって言われますわ。
ラルフブライアント 名前がもうかっこいい
めちゃ打ちそう
めちゃくちゃ打ってたよ
名前なんて後からついてくるもんだ。だからその後は名前だけで相手が勝手にビビるw。
とにかく当たればホームランでした。
打率が.240〜.250くらいでしたので、ヒット数のうちのホームラン率がかなりのものだったと思います。
ランディ・バースとラルフ・ブライアント この2名はものすごい伝説となっていますねw^^
力と力の勝負!この日のブライアントは神がかっていた!!伝説の試合
これは見てて熱くなった。
この時代のプロ野球が1番楽しかった‼️ブライアント、ブーマ―、オグリビ―、イ―スラ―、ホ―ナ―に ランス、バ―ス、ゲーリ―、ポンセ、クロマティ まだまだ沢山いたね☺️
Kモンソン
マーシャル、ニーマン、リー、レオン、スペンサー、
スチュアート、コビントン、クラーク、テリー、
マニエル、、、etcね
パットナム
メジロアサマ た
一年で3HRを4回も打つブライアント。
2:00満塁HRの時の中西コーチの喜びようと言ったら!
それ以上に、ナベQ( 渡辺 久信選手 )のヘコみっぷりが、哀れです。
@@和田裕広志-o2c殿
実況アナの興奮気味な絶叫も凄まじかったですもんね😮
カーン!!(ブライアントが打つ)
さーこれはー?!!
(打球がライトポール際へ飛ぶ)
距離は十分だがどうだ
入ったか?!
ホームラン!!!
ホームランです!!
ブライアントが打った瞬間に続き、直ぐ様渡辺久投手がマウンドで崩れ落ちるシーン、打球の行方が交互に映し出されるシーンは未だ焼き付いています😮
それだけ衝撃的だったんですよね〜
当時、大学生で前年の10.19を知ってるから、球場に見に行こうか悩んだけど、バイトのシフトがどうしても変えられなくて、バイト先でテレビを見た。
今見ても泣けるね。
負けたら終わりのダブルヘッダーでこんなすごいバッティングして、第一試合で逆転勝ち、勢いで第二試合圧勝、ほぼ優勝決定って、劇的すぎる。
CSがある今ではもうこんな感動ないだろうな。
もう少し早く生まれていたら、シーズン中の成績をつけながら優勝マジックの経過を観れていたのになー。2000年くらいから計算はパソコンじゃなく電卓でやってまして。2003年の阪神優勝からエクセルに切り替えました。
近鉄か西武か、阪神と巨人みたいに当時はパリーグの楽しみな組み合わせだった
ブライアントも凄いけど
オリックスブルーサンダー打線もえげつないな(笑)
1番バッターの松永からして20本、6番の藤井が普通に30本以上打ってましたからね。
ほんとえげつない打線でした。
唯一残念だったのが、吉井のようなストッパーがいなかったことです。
衝撃度で言ったらバースより上だなぁ…チャンスの時の集中力は神のようなアスリートだったな。そして性格も良かった印象がある。
高級車なんか乗らずに電車通勤してたらしいからね
30年前になるのか
年取ったなと実感しちゃう
ONに魅了され、野球ファンだった63才のオジサンですが、この時期のブライアントのホームランの凄さは、一生の思い出で
TH-camのおかげで保存できました。
これは誰も渡辺を責められない。
撃ったブライアントが凄すぎた
当時の西武は「先発完投が当たり前」という考えが強かったけど(勿論、他の球団も)、この試合を境にリリーフ、セットアッパーの強化を進めていったはず。それがこの年のドラフトで潮崎の指名、トレードでの鹿取を獲得という形に表れました。
@@肉ジャガー そこからパ・リーグ唯一の5連覇
@@肉ジャガー そこからパ・リーグ唯一の5連覇
パ・リーグの助っ人外国人のイメージそのものですね。ホームランかっ飛ばすけた違いのパワーやーーーーい💪💪いつまいらーいふ
1:38大石の隠れた好走塁!
この当たり、この守備でセーフになるんだね!
大石は優勝が決まるダイエー戦9回表の守備で超好プレーするんですよねw。イレギュラーで高く弾んだ打球を捕球、その前に鈴木貴久?も好プレーしていたな。そして阿波野が三振で〆る最高だった。
田辺さんも守備の名手でした。
取ってからあれだけ早いスローイングでもセーフになるんですから、間違いなく大石さんの俊足&好走塁でしょうね。
仰木監督中西コーチだから優勝できた
西武のオールスター感も半端ない。最近の優勝監督だらけ
おまけに川崎球場のガラガラ感懐かしい
当時の川崎球場は本当に味があったな。(流しそうめん事件の頃)
現地で西武戦を生で見たけど、バットの真に当たるとみんなホームランになる感覚だった。
その日は秋山、清原、デストラーデとベンチ前で素振りするだけで凄い迫力やった。
ホームランも何本かぶち込んでた。
直球に拘ってた頃の覚醒前の伊良部が先発大炎上(被弾多数)で、敗戦処理に荘勝雄が出て来た気がする。
まさに川崎劇場やったね。
1963年の西鉄の中西監督と仰木選手。南海が全日程を終了して西鉄は3勝1分以上なければならないところを4連勝で大逆転優勝していたらしいよ。それが25年後に負ける側に回っちゃうなんて。俗にいう14.5差逆転優勝
三原修さんの下でもやっていたんでしたっけね。
ブライアント相手に逃げないで普通に勝負している西武投手陣もすごい
打たれたら意味ないやろw
伊東は郭に対して「押し出しでもいい」って
言っていたらしいよ
1本目は4点リードで、走者もいない状況。2本目は満塁。3本目は同点の状況で、勝負を避けて出塁させれば、勝ち越しの走者になる。
加えて、渡辺久信はブライアントとの相性が良かった。
結果的に、3本打ったブライアントが凄すぎるだけで、勝負に行ったのは普通の事だと思いますよ。
ブライアントの二本目の前に満塁にした近鉄打撃陣の執念の勝利だろうな…
高山はブライアントの1打席目逃げたよ
89年が一番パリーグ面白かった
上田監督 ご冥福お祈りします
近鉄、オリックス、西武は福岡ダイエーに苦しめられた。
3チームどこも抜け出せずに大混戦の優勝争いになった。
@@yksptghr 1位~3位のゲーム差が2だけとか シビレるどころか死ぬレベルの大混戦やった
さ
オリックスがマジック1でダブルヘッターを連敗した。それで近鉄に優勝が転がり込んできた。
嫁に、もしかしたらもしかするからと近鉄最終戦のチケットを買わせていたので優勝の瞬間に立ち会えた。
その相手がホークスだった。西本監督あの時の初優勝あの時もホークスだった。
1990年1991年も面白かった
このダブルヘッダー見に行ってたな〜…
とにかく神様・仏様・ブライアント様…
ブライアントの4打席連発に尽きる^_^
西武×近鉄、おもしろかったなー!今の野球より断然おもしろい。
開幕戦で野茂が西武にノーヒットノーランしそうで最後に伊東のサヨナラ満塁弾は翌年かよく翌年でしたっけえwそれもしびれますw。
2001年、大阪近鉄vs.西武。
近鉄いてまえ打線vs.松坂大輔。
ローズ55号、中村45号本塁打。
代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン。
2002年。
カブレラ選手55号ホームラン。
2004年。近鉄バファローズ消滅。
大阪ドーム本拠地最終戦。
大阪近鉄バファローズvs.西武ライオンズ
nakakiyo34 最高の試合だった!
前年からきているので面白いですよね。オリックスも混ざって最後西武は3位で終わっているので、めったくそ熱パ
ロッテとのダブルヘッダーしかり、昔の近鉄はいい試合していたよね。
一発目の気持ち良さよ!
ブライアント最高!
失礼な言い方だけど、
渡辺久信さんの打たれっぷりも良かった。ホント無双だったね。
日本シリーズで王にサヨナラホームラン打たれた山田とこの時の渡辺久がホームラン打たれた投手の絵としては双璧。
そのとおり。
「打てるもんなら打ってみろ!」、、、ガッキ〜ン!
「あちゃ〜」
@@kawachap7976殿
まさにそれな!
自信たっぷりに渾身ストレートを投げて、みごと打たれたんですから。その故、10年経っても、何十年後になっても、球史に残る名シーンとして語り継がれるんです。
今シーズン4度目の一試合3HRというのだから、奇跡ではなくて実力
まるでゲームのような話だな(゜゜;)
ブライアント凄かったわ🎵
ブライアントの4打数連続ホームラン、神がかり的なホームランでしたね
というか今の球界にこんな選手欲しいな
特にライオンズに
どれだけ盛り上がる事か
あの森祇晶監督が、ナベQ&伊東に「何故、ホークではなくストレートだった?」と珍しく確認した。それくらい、森コンピューターが狂わされた。
今からは想像も出来ないくらいの闘う顔の吉井監督。
超一流 VS 超一流の勝負がいつも見れたいい時代でした✨
この時の近鉄神がかってたなあ
渡辺がよくぞ勝負してくれたと思う。チームのためには歩かせるべきだったかもしれないが、当時のファンにとって「これぞプロ野球」という不滅のイメージを残してくれた。
森監督がワンポイントでブライアントキラー渡辺を投入したんだから勝負に決まってる。
むしろよくぞ勝負してくれた森監督でしょう。
初戦に高柳を先発させた仰木監督に対して小細工せず郭を先発させた森監督。
この場面でもそうだけど、ここぞという場面では選手を信頼して任せるんだよね。
シーズン中は、ほとんど打たれてなかったそうですね。あの内角高めのストレートを弾きかえす訳はなかったそうで、、
今シーズン4度目の1試合3ホーマーいうことをサラッと言ってる
ブライアント、恐ろしすぎる
ここ一番で必ず打ってくれるブライアントは最高の助っ人でしたね👍👍
社会人1年目で近鉄ファンだったオレ、1989年は公私とも充実していて楽しい毎日だった
西武と近鉄
全くタイプの違うチームが死力を尽くして優勝を争った88年と89年のパ・リーグは抜群に面白かった
89年はオリックスも交えての大激戦
ブライアントにホームランを打たれた直後、渡辺久信投手がガックリして膝から崩れたことは今でもよく覚えています。
久信の真っ向勝負は素晴らしいですね。打たれても美しい。
プロ野球でとても好きなシーンの1つです。
一番好きな選手はブライアントです