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戦国一の熱血漢と紹介されることもあるね
真冬に飛騨山脈を超える時点で凄いけど、一瞬のミスで全てを失うあたり本当に過酷な時代だな
この人はもうちょっと歴史に登場してもええんやけどな。信長鉄砲隊の本体を率いてたのが成政だし、2段撃ちを考案したのも信長じゃなくて成政みたいだしね
成政、たとえ真冬の飛騨山脈超えしてなかったとしてもそんな逸話が残るほど必死に立ち回ろうとしたのがすごいし、そこまでして断られるのがまたなんとも不憫だ
ちなみに、成政の姉のご子孫は警視庁監察官としてあさま山荘事件を担当したとか。ご子孫も山にゆかりがあるとは。
あぁ。あの佐々さんか😅
@@mouha-damashii.1973家庭を顧みないところは子孫に遺伝している。。。
大名もなんだかんだ人間関係とかプライドとかで動くんだなぁ…
ちなみに佐々成政は態々飛騨山脈を越えて会いに行った家康に挙兵を断られ、落ち込んでいる状態で自身の居城に帰ったら、愛する側室が他の男と浮気していたらしい。
全く無罪で、他の側女たちが作り上げた、でっち上げなのに禄に取り調べもせず、枝に吊るしてアンコウ切りしたとか。。。子孫も家庭を顧みない人だったからなあ。。。佐々淳行も妻子を奴隷扱いしていて、妻に家庭内での行状を週刊誌で告発されているし、血は争えない(爆笑)。
@@akires4032 あれは他の側室達から嫉妬されてかけられた濡れ衣です。その側室は成政に処刑される時に黒百合の呪いをかけたそうです。
早百合怨霊伝説ですね。成政に斬り殺された早百合の呪いで死んだという。
おのれ秀吉ィ!←ほぼアンタが勝手にした結果だろ……
それ。言う事聞いてれば何とかなってたかもしれないのに。
しかも現代よりも寒い時期に飛騨越えとか…絶対家来衆に死者出てますよね>さらさら越え
今よりも寒くて数mの積雪がある中の飛騨山脈超えるって普通に人間やめてるな
佐々成政動画作って頂いてありがとうございます!!!
なにがヤバイって帰りも飛騨越えしてるとこだよな
動画ありがとうございます。佐々成政の前半生の生き方を見てみると、戦国時代の外交の複雑さに立ちまわれなかったという感じがします。後半生においても、そうした要素が強かったかもしれません。
やっぱりこの人脳筋なのかな…富山の日本酒成政はおいしいですね
今で言うと、チンピラみたいな感じの人なのかなと思います。正直、友達にはなりたくない…(マジでチンピラは嫌い…)
富山の者ですが、地元では根強い人気があります。まぁあまり有名な人物がいないというのもありますが😅かの有名な前田慶次がすぐ近所にある城跡(阿尾城)の城主だったとも言われてますが、とにかく目立つ事があまりない地域なので地名が出るだけでも何か嬉しくなります。ありがとうございます。
今では歴史上の偉人どころか、はじめしゃちょーですもんね。
佐々成政に前田慶次なんて超有名人じゃん。自分のとこなんて、誰も居ないんだぜ。😅
神保「あのー、僕らのこと忘れてない?。」
地元が名古屋で佐々成政が収めていた地域だったなので小学校の時地域学習で習いました
佐々成政とは、あまり関係ないけど山関係であるとするなら、子孫があさま山荘事件の陣頭指揮を担当してるんだよね
助さんの件が一番へぇー!となった件
太閤山ってそういうことか
姉小路頼綱の解説して欲しいです😮
佐々成政さんの末裔は、佐々淳行さんです。『そこまで言って委員会』のゲストとして出ていました。
よし!。富山いこう。
まあ、カルタゴのハンニバルのアルプス越えがモデルなんかなあ北アルプス、立山なんて当時の人が冬に越えるなんて不可能だから飛騨から安房峠越えたんやろな😅
富山の名将、佐々成政。成政が残したものに、佐々堤という堤防がありました。常願寺川の水害から富山城の城下町を守るために作ったそうです。今でも、用水の堤防として機能しています。サラサラ越えの際について行った家臣の半分は北アルプスで命を落としています。熊本へ行った途端、秀吉の不安は的中した。
きっと成政も勝家同様秀吉が嫌いだったんだろうね…
いつも最初のセリフが名前だったからてっきり「なりまさ〜」だと思ってたら、「さらさら〜」でペプシ吹いたw
一説には寧々(北政所)と淀君の争いに巻き込まれたとも
津軽為信お願いします!
次回楽しみすぎ
秀吉やさしいな
天才と言うより体育会系的エリートだな
『花の慶次』では末森城の戦いで慶次と対峙した際に主君信長が「本能寺の変」でたおれたことへの哀しみと憤りをぶちまけ、忠義の男の悲哀を見せている。また、防衛施設庁長官等を務めた故佐々淳行氏は、助さんのモデルとなった佐々宗淳の兄を祖先に持っている。つまり、成政ともつながっているのだ。
(花の慶次)の佐々成政と北条氏政って、ゴリゴリの秀吉アンチですよね😅
この辞世の句は、頑張ったんだけどどうにもなりませんでした感がすごい伝わってきてイイんだよね
あの時代の装備で冬の飛騨越えやったのは後世の登山家たちには評価されるんだろうけど・・・戦略的敗北を無視して無謀なことやったから大名武将としての評価を低くしてしまったよな。
6月の富士山で未だに死人が出るというのに、この豪将とんでもなさすぎるぜ。
九州な龍造寺や島津大友とでかい大名がいてそこへの信頼が厚かったから他の武将への反発はあったことだろうな
佐々成政これより修羅に参る!では無いのね…
富山では成政の評価が高く、その評価を鎮めるために前田家は苦労して、その結果 富山(呉東)では佐々 高岡(呉西)では前田 という・・・
動画最後の埋蔵金伝説の歌「朝日さす 夕日かがやく鍬崎山に 七つ結び 七結び 黄金いっぱい 光かがやく」真偽は兎も角、ロマンがありますね
産声サッサーと予想してたんだが
何度も裏切ったの秀吉に殺されず、大名にまで再び上りつめんたんだから、秀吉は佐々の実力は認めていたんだろうな。
このチャンネルの信長の顔が一番怖いw
いつも楽しく拝見しています。もし良ければ毛利両川をお願いいたします。
Tシャツ・スニーカーで富士登山して遭難した人がいたが、6月の富士山をスニーカーで登るより、安土桃山時代の装備(蓑&藁靴・・・)で真冬の北アルプスを越える方が遥かに危険。佐々探検隊の中に凍傷で指を失ったり、最悪、命を落とす人が多数いたはず・・・・
そう考えるとハンニバルがアルプス越えもエグいな。
信長時代からの古参の武将って、秀吉の時代になってからは碌な扱いをされてない人が多いから可哀想。丹羽長秀、滝川一益もそのメンバーなんで、この人たちも取り上げて頂きたいです。
馬謖と並ぶアルピニストの誕生である
合戦における前線司令官は出来ても大名には向いていない……統治能力が無い……ただ、それだけだった(ゼロと言っているわけではありません💦足りなすぎ、という意)ざっと探してみるとこういう人物はボロボロ出てきそうです何でかって、立派な御大名様になるにはある程度の教育を受けていないと務まらないからです💦そういうふうに育っていなかった💦さらに言うと『家老』に人を得ていない😢おそらく家来は『いくさ人』ばかりだったのでしょうね💦
お疲れ様でした。主旨とは離れてしまいますが、東北地方に伝わる埋蔵金にまつわる歌も似た物があり「朝日さす夕日輝く木ノ下にあり」とあります。昔話で各所に伝わっているのではないでしょうか?
秀吉公が「検地するな」って言ったのは、フリ(『押すなよ、絶対押すなよ』の類)じゃないと思います(汗)なんやかんやあって天下統一&関白やっていますけど、秀吉公も元は農民ですから
天才 🟰サイコパスが多い基本的に人としての思いやりがない。だから人生を成功する人は少ない。と思います😂
利害で言えばわざわざ孤立した越中で秀吉に抵抗する必要なんてないのに、義で動いた熱い男だよね。
小野妹子の次に覚えてしまう日本史上の名前だと思う
今より寒く、道路も整備されてなく、ろくな装備もなく、保存食も飲料水携帯にも困る時代に冬山登山はすごいですね。
(B.B.クイーンズ「踊るポンポコリン」一部替え歌)♪いつだって忘れない中世の偉い人そんなの常識〜佐々成政
さらさら越えといい検地の強行といい、これと思ったら抑えの利かない性格だったんでしょうね部下からはどう思われてたんだろう…
信長公記に佐々成政が謀反を企てていた(蛇池のくだり)って無かったでしたっけ?
婆んちの方の別所温泉に維茂将軍塚と呼ばれる古墳があり、やはり、「朝日差し、夕日耀くその下に黄金千枚、二千枚」との歌が伝わり、別所の村が七軒に減った時、ここを掘れば埋蔵金があるという伝説があるダ。埋蔵金伝説は至る所にあるダな😅
佐々成政、戦国IXAでも御馴染の武将ですな。
出雲の太守尼子経久お願いします
この人、怖い話系の逸話を二つも持ってるんだよなぁ…さらさら越えで平景清の亡霊に遭遇した話と、頃した愛妾に祟られる黒百合伝説と。
後者は早百合姫をアンコウのように吊るし斬りにしたって話でしたっけ。わざわざ吊るした話を聞いたときはエグいと感じましたっけね~
確か ウソかマコトか飛騨山越えの軍資金埋蔵伝説ありますね
九州統治は元々独立意識の強い小領主をどうにかする必要があっただから織田家家臣時代から知っている佐々成政にやらせたのは有能さを買ってからかそれとも失敗すると分かってやらせて処分する口実を作るためかどっちともとれる
最後は無残ですが、何度も秀吉と対立してそれでも45万石も与えられていますし秀吉も高く評価はしていたのでは無いかと。わざと統治しにくい領地を与えられたと言う話もありますが、加藤清正や小西行長はちゃんと統治出来た訳ですし。上手く生き残れたなら秀吉との関係で関ケ原は東軍でしょうし幕末まで続く大大名になった可能性も。
加藤や小西が云々はちょっと考えが浅くないですか?肥後国人一揆鎮圧の過程で、肥後の国人領主層(隈部や甲斐など、他多数)は討伐されていったのでのちの加藤や小西が統治がしやすくなったと解するのが普通だと思いますけどね。佐々はうまく統治できてもできなくてもよくって、うまくいったらそれでよし、(任命者自身がさすが殿!先見の明がある!と褒められる)トラブって反乱おきたら、大名は改易して、めんどくさい国人領主層は反乱反逆してるんだから排除して、落ち着いたら子飼いには面倒くさいのがいなくなった安心安全な領地与えるってことだと思いますよ。
肥後国人一揆は秀吉にとっては厄介者の排除が出来たという見方も出来るのかもしれない
大の説教好きの説教マニアだったので織田家臣団からは嫌われていた
信長の黒母衣衆ってイメージより戦国時代のアルピニストっていうイメージのが先に来てしまう自分
サッサは左遷されたイメージしかありませんでした。
判官贔屓なんやろうけど富山県は成正好きだよね。
笹金伝説として峰隆一郎氏の著作「埋蔵金の罠。」の元ネタになっていましたね、懐かしい。
成政と秀吉は馬が合わなかったと思う。イメージですが、堅物の成政と口が上手い秀吉仲違いするのが分かる気がします。
動画では省略されていましたが前田利家とライバル関係で同じ戦場で戦っていましたが、秀吉と早くに友誼のあった利家がどんどん出世していくのに自分は…という事で肥後一国貰ったので張り切りすぎたんでしょうね。まあ元々肥後は小領の領主でやたら気位が高い連中ばかりいるので支配は難しかったのですが。
サユリ姫⚜
エリートが成り上がりに負ける様だな
切腹させられるとは
佐々成政なら天下統一成し遂げたと思いますか?
秀吉と違って、人の話をじっくり聞かずに行動する性格だと感じたので、難しいと思います。
佐々成政は猛将としては晩年がなあと感じます。
親分が信長あってこそなんでしょうね
うぽつです!肥後国の事に触れてて思ったのですが清正亡き後の加藤家についてやってほしいです!
一部将としては極めて優秀ですが、いざ自分がトップに立つと大局を見失う人というイメージです。織田家ではなく徳川家に仕えていれば、徳川四天王級の功績を残せたかもしれませんね。
さらさら~
武将としては有能でしたが、時勢を読めなかったのが致命的でした。
秀吉とウマが合わなかった感じはする。だから大坂から遠くて統治しづらい地域に配置換えされたんだと思う。秀吉からの処分も容赦が無いし
柴田勝家や滝川一益、北条氏政みたいに身分差別をかなり持っていた頑固者だったのかなと思います。
それはないやろ。それが理由ならわざわざ肥後一国ではなく、数万石で肥後におけばいいだけ。なんで肥後一国45万石を与える必要があるん?ましてや秀吉権力が絶頂の時に。むしろ秀吉は九州を"五畿内同前"と考えるほど重要視してたのに、肥後を与える。また成政は2度も反旗を翻したのに従四位下陸奥守といういい位を貰っており(長宗我部や真田などは従五位下)更には羽柴姓まで与えて厚遇してるやろ😅
信長の母衣衆としては前田利家と並ぶ出世頭…ではあったはずなんですよねぇ。やはり利家とは、秀吉との関係が明暗を分けた…のか?
武勇は確かなものだったかもしれないけどさらさら越えが無駄になったり検地強行が仇になったりで政治力のなさが致命傷となった感
助さんって佐々成政の子孫だったんかいww
どこが天才か分からない。判断ミスばっかりじゃん。
♪佐々成政〜ピ〜ヒャラピ〜ヒャラ パッパバラパ〜
秀吉からしてみれば謀反を許して信頼して島津への備えとして肥後国を与えたのに、指示を無視した挙げ句一揆を起こされたら流石にもう許せないよな
そう思います。成政って現代で言うなら、チンピラに憧れるヤンキーでしょうか。百歩譲って賤ヶ岳や小牧長久手は許せても、肥後の一揆は成政の自業自得な気がする。
さらさら越えは、登山家視点からも興味深い話だそうです。アルピニスト成政。
林君😂
前田利家との比較でとかく過小評価されがちな武将だと思います。まあ、私は成政すきですけど。(武将も、米の影響か黄色っぽい日本酒も)
戦国一の熱血漢と紹介されることもあるね
真冬に飛騨山脈を超える時点で凄いけど、一瞬のミスで全てを失うあたり本当に過酷な時代だな
この人はもうちょっと歴史に登場してもええんやけどな。信長鉄砲隊の本体を率いてたのが成政だし、2段撃ちを考案したのも信長じゃなくて成政みたいだしね
成政、たとえ真冬の飛騨山脈超えしてなかったとしてもそんな逸話が残るほど必死に立ち回ろうとしたのがすごいし、そこまでして断られるのがまたなんとも不憫だ
ちなみに、成政の姉のご子孫は警視庁監察官としてあさま山荘事件を担当したとか。
ご子孫も山にゆかりがあるとは。
あぁ。あの佐々さんか😅
@@mouha-damashii.1973
家庭を顧みないところは子孫に遺伝している。。。
大名もなんだかんだ人間関係とかプライドとかで動くんだなぁ…
ちなみに佐々成政は態々飛騨山脈を越えて会いに行った家康に挙兵を断られ、落ち込んでいる状態で自身の居城に帰ったら、愛する側室が他の男と浮気していたらしい。
全く無罪で、他の側女たちが作り上げた、でっち上げなのに禄に取り調べもせず、枝に吊るしてアンコウ切りしたとか。。。
子孫も家庭を顧みない人だったからなあ。。。佐々淳行も妻子を奴隷扱いしていて、妻に家庭内での行状を週刊誌で告発されているし、血は争えない(爆笑)。
@@akires4032
あれは他の側室達から嫉妬されてかけられた濡れ衣です。その側室は成政に処刑される時に黒百合の呪いをかけたそうです。
早百合怨霊伝説ですね。成政に斬り殺された早百合の呪いで死んだという。
おのれ秀吉ィ!←ほぼアンタが勝手にした結果だろ……
それ。
言う事聞いてれば何とかなってたかもしれないのに。
しかも現代よりも寒い時期に飛騨越えとか…絶対家来衆に死者出てますよね>さらさら越え
今よりも寒くて数mの積雪がある中の飛騨山脈超えるって普通に人間やめてるな
佐々成政動画作って頂いてありがとうございます!!!
なにがヤバイって帰りも飛騨越えしてるとこだよな
動画ありがとうございます。
佐々成政の前半生の生き方を見てみると、戦国時代の外交の複雑さに立ちまわれなかったという感じがします。後半生においても、そうした要素が強かったかもしれません。
やっぱりこの人脳筋なのかな…
富山の日本酒成政はおいしいですね
今で言うと、チンピラみたいな感じの人なのかなと思います。正直、友達にはなりたくない…
(マジでチンピラは嫌い…)
富山の者ですが、地元では根強い人気があります。まぁあまり有名な人物がいないというのもありますが😅かの有名な前田慶次がすぐ近所にある城跡(阿尾城)の城主だったとも言われてますが、とにかく目立つ事があまりない地域なので地名が出るだけでも何か嬉しくなります。ありがとうございます。
今では歴史上の偉人どころか、はじめしゃちょーですもんね。
佐々成政に前田慶次なんて超有名人じゃん。
自分のとこなんて、誰も居ないんだぜ。😅
神保「あのー、僕らのこと忘れてない?。」
地元が名古屋で
佐々成政が収めていた地域だったなので
小学校の時地域学習で習いました
佐々成政とは、あまり関係ないけど山関係であるとするなら、子孫があさま山荘事件の陣頭指揮を担当してるんだよね
助さんの件が一番へぇー!となった件
太閤山ってそういうことか
姉小路頼綱の解説して欲しいです😮
佐々成政さんの末裔は、佐々淳行さんです。『そこまで言って委員会』のゲストとして出ていました。
よし!。富山いこう。
まあ、カルタゴのハンニバルのアルプス越えがモデルなんかなあ
北アルプス、立山なんて当時の人が冬に越えるなんて不可能だから飛騨から安房峠越えたんやろな😅
富山の名将、佐々成政。
成政が残したものに、佐々堤という堤防がありました。
常願寺川の水害から富山城の城下町を守るために作ったそうです。
今でも、用水の堤防として機能しています。
サラサラ越えの際について行った家臣の半分は北アルプスで命を落としています。
熊本へ行った途端、秀吉の不安は的中した。
きっと成政も勝家同様秀吉が嫌いだったんだろうね…
いつも最初のセリフが名前だったからてっきり「なりまさ〜」だと思ってたら、「さらさら〜」でペプシ吹いたw
一説には寧々(北政所)と淀君の争いに巻き込まれたとも
津軽為信お願いします!
次回楽しみすぎ
秀吉やさしいな
天才と言うより体育会系的エリートだな
『花の慶次』では末森城の戦いで慶次と対峙した際に主君信長が「本能寺の変」でたおれたことへの哀しみと憤りをぶちまけ、忠義の男の悲哀を見せている。また、防衛施設庁長官等を務めた故佐々淳行氏は、助さんのモデルとなった佐々宗淳の兄を祖先に持っている。つまり、成政ともつながっているのだ。
(花の慶次)の佐々成政と北条氏政って、ゴリゴリの秀吉アンチですよね😅
この辞世の句は、
頑張ったんだけどどうにもなりませんでした感が
すごい伝わってきてイイんだよね
あの時代の装備で冬の飛騨越えやったのは後世の登山家たちには評価されるんだろうけど・・・
戦略的敗北を無視して無謀なことやったから大名武将としての評価を低くしてしまったよな。
6月の富士山で未だに死人が出るというのに、この豪将とんでもなさすぎるぜ。
九州な龍造寺や島津大友とでかい大名がいてそこへの信頼が厚かったから他の武将への反発はあったことだろうな
佐々成政これより修羅に参る!
では無いのね…
富山では成政の評価が高く、その評価を鎮めるために前田家は苦労して、
その結果 富山(呉東)では佐々 高岡(呉西)では前田 という・・・
動画最後の埋蔵金伝説の歌「朝日さす 夕日かがやく鍬崎山に 七つ結び 七結び 黄金いっぱい 光かがやく」真偽は兎も角、ロマンがありますね
産声サッサーと予想してたんだが
何度も裏切ったの秀吉に殺されず、大名にまで再び上りつめんたんだから、秀吉は佐々の実力は認めていたんだろうな。
このチャンネルの信長の顔が一番怖いw
いつも楽しく拝見しています。
もし良ければ毛利両川をお願いいたします。
Tシャツ・スニーカーで富士登山して遭難した人がいたが、6月の富士山をスニーカーで登るより、安土桃山時代の装備(蓑&藁靴・・・)で真冬の北アルプスを越える方が遥かに危険。佐々探検隊の中に凍傷で指を失ったり、最悪、命を落とす人が多数いたはず・・・・
そう考えるとハンニバルがアルプス越えもエグいな。
信長時代からの古参の
武将って、秀吉の時代に
なってからは碌な扱いを
されてない人が多いから
可哀想。
丹羽長秀、滝川一益も
そのメンバーなんで、
この人たちも取り上げて
頂きたいです。
馬謖と並ぶアルピニストの誕生である
合戦における前線司令官は出来ても大名には向いていない……
統治能力が無い……ただ、それだけだった(ゼロと言っているわけではありません💦足りなすぎ、という意)
ざっと探してみるとこういう人物はボロボロ出てきそうです
何でかって、立派な御大名様になるにはある程度の教育を受けていないと務まらないからです💦
そういうふうに育っていなかった💦
さらに言うと『家老』に人を得ていない😢
おそらく家来は『いくさ人』ばかりだったのでしょうね💦
お疲れ様でした。主旨とは離れてしまいますが、東北地方に伝わる埋蔵金にまつわる歌も似た物があり「朝日さす夕日輝く木ノ下にあり」とあります。昔話で各所に伝わっているのではないでしょうか?
秀吉公が「検地するな」って言ったのは、フリ(『押すなよ、絶対押すなよ』の類)じゃないと思います(汗)
なんやかんやあって天下統一&関白やっていますけど、秀吉公も元は農民ですから
天才 🟰サイコパスが多い
基本的に人としての思いやりがない。
だから人生を成功する人は少ない。
と思います😂
利害で言えばわざわざ孤立した越中で秀吉に抵抗する必要なんてないのに、義で動いた熱い男だよね。
小野妹子の次に覚えてしまう日本史上の名前だと思う
今より寒く、道路も整備されてなく、ろくな装備もなく、保存食も飲料水携帯にも困る時代に冬山登山はすごいですね。
(B.B.クイーンズ「踊るポンポコリン」一部替え歌)
♪いつだって忘れない
中世の偉い人
そんなの常識〜
佐々成政
さらさら越えといい検地の強行といい、これと思ったら抑えの利かない性格だったんでしょうね
部下からはどう思われてたんだろう…
信長公記に佐々成政が謀反を企てていた(蛇池のくだり)って無かったでしたっけ?
婆んちの方の別所温泉に維茂将軍塚と呼ばれる古墳があり、やはり、「朝日差し、夕日耀くその下に黄金千枚、二千枚」との歌が伝わり、別所の村が七軒に減った時、ここを掘れば埋蔵金があるという伝説があるダ。埋蔵金伝説は至る所にあるダな😅
佐々成政、戦国IXAでも御馴染の武将ですな。
出雲の太守尼子経久お願いします
この人、怖い話系の逸話を二つも持ってるんだよなぁ…
さらさら越えで平景清の亡霊に遭遇した話と、頃した愛妾に祟られる黒百合伝説と。
後者は早百合姫をアンコウのように吊るし斬りにしたって話でしたっけ。
わざわざ吊るした話を聞いたときはエグいと感じましたっけね~
確か ウソかマコトか飛騨山越えの軍資金埋蔵伝説ありますね
九州統治は元々独立意識の強い小領主をどうにかする必要があった
だから織田家家臣時代から知っている佐々成政にやらせたのは有能さを買ってからか
それとも失敗すると分かってやらせて処分する口実を作るためか
どっちともとれる
最後は無残ですが、何度も秀吉と対立してそれでも45万石も与えられていますし秀吉も高く評価はしていたのでは無いかと。
わざと統治しにくい領地を与えられたと言う話もありますが、加藤清正や小西行長はちゃんと統治出来た訳ですし。
上手く生き残れたなら秀吉との関係で関ケ原は東軍でしょうし幕末まで続く大大名になった可能性も。
加藤や小西が云々はちょっと考えが浅くないですか?
肥後国人一揆鎮圧の過程で、肥後の国人領主層(隈部や甲斐など、他多数)は討伐されていったので
のちの加藤や小西が統治がしやすくなったと解するのが普通だと思いますけどね。
佐々はうまく統治できてもできなくてもよくって、
うまくいったらそれでよし、(任命者自身がさすが殿!先見の明がある!と褒められる)
トラブって反乱おきたら、大名は改易して、めんどくさい国人領主層は反乱反逆してるんだから排除して、落ち着いたら子飼いには面倒くさいのがいなくなった安心安全な領地与えるってことだと思いますよ。
肥後国人一揆は秀吉にとっては厄介者の排除が出来たという見方も出来るのかもしれない
大の説教好きの説教マニアだったので
織田家臣団からは嫌われていた
信長の黒母衣衆ってイメージより戦国時代のアルピニストっていうイメージのが先に来てしまう自分
サッサは左遷されたイメージしかありませんでした。
判官贔屓なんやろうけど富山県は成正好きだよね。
笹金伝説として峰隆一郎氏の著作「埋蔵金の罠。」の元ネタになっていましたね、懐かしい。
成政と秀吉は馬が合わなかったと思う。
イメージですが、堅物の成政と口が上手い秀吉仲違いするのが分かる気がします。
動画では省略されていましたが前田利家とライバル関係で同じ戦場で戦っていましたが、秀吉と早くに友誼のあった利家がどんどん出世していくのに自分は…という事で肥後一国貰ったので張り切りすぎたんでしょうね。まあ元々肥後は小領の領主でやたら気位が高い連中ばかりいるので支配は難しかったのですが。
サユリ姫⚜
エリートが成り上がりに負ける様だな
切腹させられるとは
佐々成政なら天下統一成し遂げたと思いますか?
秀吉と違って、人の話をじっくり聞かずに行動する性格だと感じたので、難しいと思います。
佐々成政は猛将としては晩年がなあと感じます。
親分が信長あってこそなんでしょうね
うぽつです!
肥後国の事に触れてて思ったのですが清正亡き後の加藤家についてやってほしいです!
一部将としては極めて優秀ですが、いざ自分がトップに立つと大局を見失う人というイメージです。
織田家ではなく徳川家に仕えていれば、徳川四天王級の功績を残せたかもしれませんね。
さらさら~
武将としては有能でしたが、時勢を読めなかったのが致命的でした。
秀吉とウマが合わなかった感じはする。だから大坂から遠くて統治しづらい地域に配置換えされたんだと思う。秀吉からの処分も容赦が無いし
柴田勝家や滝川一益、北条氏政みたいに身分差別をかなり持っていた頑固者だったのかなと思います。
それはないやろ。それが理由ならわざわざ肥後一国ではなく、数万石で肥後におけばいいだけ。なんで肥後一国45万石を与える必要があるん?ましてや秀吉権力が絶頂の時に。
むしろ秀吉は九州を"五畿内同前"と考えるほど重要視してたのに、肥後を与える。また成政は2度も反旗を翻したのに従四位下陸奥守といういい位を貰っており(長宗我部や真田などは従五位下)
更には羽柴姓まで与えて厚遇してるやろ😅
信長の母衣衆としては前田利家と並ぶ出世頭…ではあったはずなんですよねぇ。
やはり利家とは、秀吉との関係が明暗を分けた…のか?
武勇は確かなものだったかもしれないけどさらさら越えが無駄になったり検地強行が仇になったりで
政治力のなさが致命傷となった感
助さんって佐々成政の子孫だったんかいww
どこが天才か分からない。判断ミスばっかりじゃん。
♪佐々成政〜
ピ〜ヒャラピ〜ヒャラ パッパバラパ〜
秀吉からしてみれば謀反を許して信頼して島津への備えとして肥後国を与えたのに、指示を無視した挙げ句一揆を起こされたら流石にもう許せないよな
そう思います。
成政って現代で言うなら、チンピラに憧れるヤンキーでしょうか。百歩譲って賤ヶ岳や小牧長久手は許せても、肥後の一揆は成政の自業自得な気がする。
さらさら越えは、登山家視点からも興味深い話だそうです。
アルピニスト成政。
林君😂
前田利家との比較でとかく過小評価されがちな武将だと思います。
まあ、私は成政すきですけど。(武将も、米の影響か黄色っぽい日本酒も)