賛否両論が白熱! 〜仏教伝来〜【CGS 日本の歴史 2-9】
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- เผยแพร่เมื่อ 17 ต.ค. 2024
- 今回は、仏教伝来のお話です。仏教は朝鮮に教えてもらった、というのが通説的ですが、前回お伝えの通り、当時の日本(大和朝廷)はアジアの超大国でした。という事で、ただただ教えてもらった・教えてやっただけではなかったようです。
その仏教伝来の時に起きた論争について解説致します。
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ありがとうございます...
仏教と儒教は同時期に渡来したけど、儒教の中華思想を嫌って平等思想の仏教を選んだ
なるほど!今も昔も利権が大事って事なんですね!!w
日本に押し付けた仏具は、盗難品じゃないよな。
2:52
寺も仏像もつくった蘇我氏は、飛鳥時代の大手ゼネコンという感じですかねw
蘇我氏 vs. 物部氏の崇仏論争は、
わたしもなんとなくイデオロギー対立が原因だろうと思っていましたが、
良くいえば現実的な、悪くいえばドロッドロの利権争いだったんですね
今回も目から鱗でした
仏教は新羅でも百済でも仏寺が建設され、三宝(仏法僧)が揃った時を仏法伝来の年としています。日本書紀には還俗僧に得度された女性達がお寺を開いた敏達14年を日本仏教の始まりの年と明記しています。還俗僧はおそらく仏教が盛んだった倭国から但馬に流れてきたのでしょう。尼が仏教の基礎を作ったということは、天照大神の血を引く日本ならではのことと思います。堀晄
仏教が当初は庶民に広まらず、行基が布教したというのは、「新しい歴史教科書」に書いてありますよ。
朝貢。仏教利権。蘇我対物部。中央→神社→庶民の統治方法。よく分かり、ウロコがまた、剥がれました。ありがとうございます。
そが、とか、もののべとかいう苗字には、どういう意味があるんですんかね?
それじゃあ「仏教の伝来」じゃなくて「仏像・仏具の伝来」なの?w 仏教の伝来って経典と研究者がやって来ないとそう言わないと思うのだけど。
ちなみに朝鮮半島の当時の仏像は石仏で日本の木造りのものとは違うのではない?
仏教はそれ以前から伝来はしていただろう。が・・・利権争い・・・か。仏教は不思議な事にいつの時代でも「新知識」「新な智慧」なんですよね。
最初の仏教伝来は、私的な伝来。後の仏教伝来は、公的な伝来と習ったが。
三角縁仏獣鏡は日本独自の鏡で、弥生時代後半から古墳時代初頭に100面以上が発見されています。3世紀のことで、日本にやって来た鏡職人に仏教徒が多かったことを物語っています。仏教が盛んだった呉の国から来たようです。魏の国は道教の、くにでしたから
から来たに違いありません。魏は道教の国でした。
物部 対 蘇我は、出雲VS大和なんだよね…
なるほどそうなんだ。原始キリスト教の蘇我が、仏像流行らせたせいなんだ…
そもそも当時に仏教なんていう言葉は無い。
汚職政治屋の蘇我氏と
真っ当な政治家の物部氏
と言うことか?
そんな有難くて仕方がない仏教を日本に教えてあげた百済が、何故簡単に
滅亡したのですかね?
日本神様の罰が当たったのでしょうか?
「東大寺盧舎那仏の完成が751年、伽藍落成が752年」は、仏教伝来552年を前提とした仏教伝来200周年記念の国家的事業でした。
神谷先生、「げんせいりえき」ではなくて、「げんぜりやく」ですよ。「現世利益」
あーじれったいw
。
はー。だから蘇我「鞍造」なのか。