ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
素晴らしい映像の投稿、ありがとうございます
永さんの滑舌の良さに驚嘆。啄木が生きた時代もついこのあいだ感の番組。貴重なものを拝見。
こんな旅番組をもう一度見たい。この時代を旅したい。
遠くへ行きたいが2024年も続いているのが素晴らしいと思います。番組のスタイルは時代に合わせて変化しているとはいえ、日曜の朝、ホッとできる番組です。
良い録画に出会いました。ありがとう。
初期のopアレンジが1番かっこいい。
シュールな演出でいいなあ
こんな疾走感のあるアレンジあったんだ。今だったら誰が歌えるかな。
感動した!小さい頃 日曜日によく見てるたなぁ〜。当時の事を思い出すな。久しぶりに まともな番組見た。
随所に、美人が通り過ぎていくのですが、 全部 永六輔の 仕込みだったと、 他界後に知りました。 結構、その辺りが 番組構成力なのでしょうね。
このリストもお勧めします。永六輔さんからの贈りもの 〜 永六輔に逢いたい 〜 th-cam.com/play/PLbKHSs8LX0kJ9WhlR1wEsj3uOGMlJLTBx.html
こんな時代に、戻れるものなら、戻りたいです。😊❤
テレビが輝いていましたね!
駅前の民家が木造、道路も未舗装ってのが1970年である事を感じさせますね。
こんな貴重な映像が残っていたとは!ありがとうございます!😊
随所に出てくる 「美人」 いちいち永さんが 振り向いている人。ぜんぶ、永六輔の演出です!
1996年と97年の二回盛岡~小岩井農場一帯をおとずれました。盛岡市に残っている石川啄木の住んでいた家にも行き市の記念館にも行き多くの偉人がでている事に驚きました。今も盛岡産の酒と野ブドウ液を頂いている。懐かしいです。
旅番組なのに演出凝りまくって格調高い
気になるような女性が 歩いているのは全部 永さんの演出。
懐かしいこんな元気に活躍されてたのにね
私が好きな、啄木のしは
私は、啄木の「一握の砂」と云う詩が好きです…。「働ケド、働ケド、我ガ暮ラシ楽ニ成ルラジ…。」は、現在の自分に当て嵌まるからです…。
一本の映画ですね。
永さんが出ているときは見ていましたねえ。
これは、一本の映画です
旅番組なのにスーツ姿っていうのが時代を感じるなぁ…昔の番組見るとコメディアンとかもスーツ姿でやってるのが普通だったし、いつ頃から変わったんだろうあと遠くへ行きたいのテーマソングって最初は今よりもかなり速いテンポの曲だったのね
下の方々も言ってるけど、「旅番組」ではないよね。良質の短編映画、ロードムービーだよ。
こういう構成・演出・旅人からなる旅番組があれば欠かさず見る。今の旅番組は「おいしい」「きれい」「すごい」を繰り返してるだけの薄っぺらいものが多い。
遠くへ行きたいすら、その軽薄旅番組になってしまいましたむしろ昔の遠くへ行きたいを引き継いだのは同じ日曜早朝のTBS
@@baka4755 TBSの朝も今やバナナマンのバラエティーに😭
祝!番組開始50年!
永六輔さんのものまねをする人はこの頃の永さんの声ですね。
1970年10月4日
うわー❗️永六輔さん若‼️
1933年生まれなので、37歳くらいですよ。 どこかで、ご本人が喋っていましたが、「 旅暮らしの僕を、カメラが追いかけてくる形で 始まった 」 と。途中、何度かでてくる美人は、永さんの仕込みです。 ずっと騙されてたわ・・・・
永六輔お好きでしtたら永六輔さんからの贈りもの 〜 永六輔に逢いたい 〜 th-cam.com/play/PLbKHSs8LX0kJ9WhlR1wEsj3uOGMlJLTBx.html
rina ozawa 永さんって、同じく亡くなられた故・藤田まことさんに故・大橋巨泉さん、故・川崎敬三さん、御生存ですが、今の天皇陛下と同級生なんですね。
永さんは、1933年4月10日 と 覚えています。検索すると藤田 まこと(ふじた まこと、1933年4月13日大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日川崎 敬三(かわさき けいぞう、1933年7月1日 - 2015年7月21日)
どこかに 佐渡への 第二回はございますでしょうか?
牧場での鬼剣舞いいなあ永六輔の全力疾走初めて見ましたすれ違った人は啄木?という設定?
仕込みの多い 永さんですからね。
永六輔さんプロフィールを検索すると・・・、「角刈り頭と細長い顔がトレードマーク」となってて「えっ!」と思ってしまった。お亡くなりになる前の画像は丸みががかっていたので、みなさんと同じだなぁと思いました。それにしても、種牛の毎日一回50万円也、1970年当時が53年後の今ははてどの位か皮算用する我の姿あさましいさ。六輔さんが手を叩いたのは違う次元なのだろう!?
今は国産牛は管理されています。(BSE からかなりはっきりしている) 種牛の精液価格は、ググると見当がつきますよ。私も初めて試しましたが・・
もしかしたら、山田典吾の永六輔主演映画はこれをふまえたキャスティングだった?
春男の翔んだ空 ですか? これは見たことないんです。
こちらをお勧めします。2x3=6 還暦頃の 永さんの 助平心満載、乗りまくりの TV番組 th-cam.com/play/PLbKHSs8LX0kL4fVccca9KD4hEaNDwsWdC.html
遅すぎる返信で失礼します。「春男の翔んだ空 」、僕は年長の知人が10年以上もの間、個人的な趣味として毎月行っていた自主上映会で、某図書館フィルムライブリー所蔵の16ミリ版で見たのですが、その上映の行われた時期というのが、最晩年の永六輔がついにラジオ番組から降板し、いよいよこれで・・・とリスナーが感じた時期。ネタバレになるので映画の詳細には触れませんが、そんな時期に見るにはあまりにも不吉すぎる映画でした。まあ、上映のタイミングが悪すぎたんですね。更に恐ろしいことに、その翌年秋、その知人の癌が再発、急速に悪化して年明けに、あっけなく逝ってしまった。そんなわけで、「春男の翔んだ空 」、個人的に非常に思い出深すぎる映画になってしまいました。
こちらも遅いお返事です。 春男の翔んだ空 存在だけ知っていて、内容は全く知らず。どんな思いときっかけで、映画を作ったのか・・ 永さんなら必ず動機があるはず。あると言われても、見るかどうか 悩むと思います。
遠くへ行きたい処女作に出演したのが、作詞した永六輔さんだった。亡くなるまでに何百回出演したのやら。
亡くなる数年前お孫さんの押す車椅子に乗って大原三千院に行っていました。おじいちゃんの作詞とは知らなかったと言っていました。
永六輔ってオジさんのイメージしかなかったがずいぶん若い青年のイメージ
動画はマジに若いもの。
北上は「きたがみ」ではなく、「きたかみ」。姫神は「ひめがみ」ではなく、「ひめかみ」と読む。「が」を鼻濁音で発音しているのは、永さんが東京出身の人だからだろう。地元の人間は「おまえ」を「んが」というが、この「が」は鼻濁音である。ちなみにNHKのアナウンサーは「歌合戦」の「が」を鼻濁音で発音する。「笑点」が地元にやってきたときに、北上を「きたがみ」と発音する噺家がいて、昔は気になったものだが、ある時期から気にならなくなった。おそらく由紀さおりさんが鼻濁音の美しさ云々ということをきいたからだろう。
鼻濁音という言葉は、久しぶりに聞きました。 古いラジオ(土曜ワイドや欽也パックに出ていたもの)を、何度も聞いています。 話を盛るのが上手な人という印象です。同じ話を何度もしているのですが、微妙に洗練されてくるのが永さんらしく面白いです。 決して、永六輔が常に正しいとは思わないようになりましたが、やはりガキの頃から多大な影響を受けています。
テレビマンユニオンってネット民が大ぁぁぁぁぁぁい好きなTBSの制作スタッフが独立した日本初のテレビ制作専門会社だった気がするのは私の気のせいです。TBSから独立した会社がTBS系列ではないよみうりテレビの番組を請け負っていたとは。腸捻転時代だったら朝日放送の番組制作を請け負うのならばまだしも。
この人と、啄木との組み合わせは思いつかなかった。接点があるとすれば、尋常じゃない正直さか。
「啄木は、人間に必要なのは時代や社会に追従して上昇・出世することではなく、既成のものごとを批評しながら向上を目指す心である、と考えました。」 永が、このあたりに共感したのかも。
遠くへ行きたいは50周年(笑)
でも中身は永六輔が泣きそう
素晴らしい映像の投稿、ありがとうございます
永さんの滑舌の良さに驚嘆。啄木が生きた時代もついこのあいだ感の番組。貴重なものを拝見。
こんな旅番組をもう一度見たい。この時代を旅したい。
遠くへ行きたいが2024年も続いているのが素晴らしいと思います。
番組のスタイルは時代に合わせて変化しているとはいえ、
日曜の朝、ホッとできる番組です。
良い録画に出会いました。ありがとう。
初期のopアレンジが1番かっこいい。
シュールな演出でいいなあ
こんな疾走感のあるアレンジあったんだ。
今だったら誰が歌えるかな。
感動した!小さい頃 日曜日によく見てるたなぁ〜。当時の事を思い出すな。久しぶりに まともな番組見た。
随所に、美人が通り過ぎていくのですが、
全部 永六輔の 仕込みだったと、 他界後に知りました。
結構、その辺りが 番組構成力なのでしょうね。
このリストもお勧めします。
永六輔さんからの贈りもの 〜 永六輔に逢いたい 〜 th-cam.com/play/PLbKHSs8LX0kJ9WhlR1wEsj3uOGMlJLTBx.html
こんな時代に、戻れるものなら、戻りたいです。😊❤
テレビが輝いていましたね!
駅前の民家が木造、道路も未舗装ってのが1970年である事を感じさせますね。
こんな貴重な映像が残っていたとは!ありがとうございます!😊
随所に出てくる 「美人」
いちいち永さんが 振り向いている人。
ぜんぶ、永六輔の演出です!
1996年と97年の二回盛岡~小岩井農場一帯をおとずれました。盛岡市に残っている石川啄木の住んでいた家にも行き市の記念館にも行き多くの偉人がでている事に驚きました。今も盛岡産の酒と野ブドウ液を頂いている。懐かしいです。
旅番組なのに演出凝りまくって
格調高い
気になるような女性が 歩いているのは全部 永さんの演出。
懐かしい
こんな元気に活躍されてたのにね
私が好きな、啄木のしは
私は、啄木の「一握の砂」と云う詩が好きです…。
「働ケド、働ケド、我ガ暮ラシ楽ニ成ルラジ…。」
は、現在の自分に当て嵌まるからです…。
一本の映画ですね。
永さんが出ているときは見ていましたねえ。
これは、一本の映画です
旅番組なのにスーツ姿っていうのが時代を感じるなぁ…
昔の番組見るとコメディアンとかもスーツ姿でやってるのが普通だったし、いつ頃から変わったんだろう
あと遠くへ行きたいのテーマソングって最初は今よりもかなり速いテンポの曲だったのね
下の方々も言ってるけど、「旅番組」ではないよね。良質の短編映画、ロードムービーだよ。
こういう構成・演出・旅人からなる旅番組があれば欠かさず見る。
今の旅番組は「おいしい」「きれい」「すごい」を繰り返してるだけの
薄っぺらいものが多い。
遠くへ行きたいすら、その軽薄旅番組になってしまいました
むしろ昔の遠くへ行きたいを引き継いだのは同じ日曜早朝のTBS
@@baka4755
TBSの朝も今やバナナマンのバラエティーに😭
祝!番組開始50年!
永六輔さんのものまねをする人はこの頃の永さんの声ですね。
1970年10月4日
うわー❗️永六輔さん若‼️
1933年生まれなので、37歳くらいですよ。
どこかで、ご本人が喋っていましたが、
「 旅暮らしの僕を、カメラが追いかけてくる形で 始まった 」 と。
途中、何度かでてくる美人は、永さんの仕込みです。
ずっと騙されてたわ・・・・
永六輔お好きでしtたら
永六輔さんからの贈りもの 〜 永六輔に逢いたい 〜 th-cam.com/play/PLbKHSs8LX0kJ9WhlR1wEsj3uOGMlJLTBx.html
rina ozawa
永さんって、同じく亡くなられた故・藤田まことさんに故・大橋巨泉さん、故・川崎敬三さん、御生存ですが、今の天皇陛下と同級生なんですね。
永さんは、1933年4月10日 と 覚えています。
検索すると
藤田 まこと(ふじた まこと、1933年4月13日
大橋 巨泉(おおはし きょせん、1934年〈昭和9年〉3月22日
川崎 敬三(かわさき けいぞう、1933年7月1日 - 2015年7月21日)
どこかに 佐渡への 第二回はございますでしょうか?
牧場での鬼剣舞いいなあ
永六輔の全力疾走初めて見ました
すれ違った人は啄木?という設定?
仕込みの多い 永さんですからね。
永六輔さんプロフィールを検索すると・・・、「角刈り頭と細長い顔がトレードマーク」となってて「えっ!」と思ってしまった。お亡くなりになる前の画像は丸みががかっていたので、みなさんと同じだなぁと思いました。
それにしても、種牛の毎日一回50万円也、1970年当時が53年後の今ははてどの位か皮算用する我の姿あさましいさ。六輔さんが手を叩いたのは違う次元なのだろう!?
今は国産牛は管理されています。(BSE からかなりはっきりしている)
種牛の精液価格は、ググると見当がつきますよ。私も初めて試しましたが・・
もしかしたら、山田典吾の永六輔主演映画はこれをふまえたキャスティングだった?
春男の翔んだ空 ですか?
これは見たことないんです。
こちらをお勧めします。
2x3=6 還暦頃の 永さんの 助平心満載、乗りまくりの TV番組 th-cam.com/play/PLbKHSs8LX0kL4fVccca9KD4hEaNDwsWdC.html
遅すぎる返信で失礼します。「春男の翔んだ空 」、僕は年長の知人が10年以上もの間、個人的な趣味として毎月行っていた自主上映会で、某図書館フィルムライブリー所蔵の16ミリ版で見たのですが、その上映の行われた時期というのが、最晩年の永六輔がついにラジオ番組から降板し、いよいよこれで・・・とリスナーが感じた時期。ネタバレになるので映画の詳細には触れませんが、そんな時期に見るにはあまりにも不吉すぎる映画でした。まあ、上映のタイミングが悪すぎたんですね。更に恐ろしいことに、その翌年秋、その知人の癌が再発、急速に悪化して年明けに、あっけなく逝ってしまった。そんなわけで、「春男の翔んだ空 」、個人的に非常に思い出深すぎる映画になってしまいました。
こちらも遅いお返事です。
春男の翔んだ空 存在だけ知っていて、内容は全く知らず。
どんな思いときっかけで、映画を作ったのか・・ 永さんなら必ず動機があるはず。
あると言われても、見るかどうか 悩むと思います。
遠くへ行きたい処女作に出演したのが、作詞した永六輔さんだった。
亡くなるまでに何百回出演したのやら。
亡くなる数年前お孫さんの押す車椅子に乗って大原三千院に行っていました。おじいちゃんの作詞とは知らなかったと言っていました。
永六輔ってオジさんのイメージしかなかったがずいぶん若い青年のイメージ
動画はマジに若いもの。
北上は「きたがみ」ではなく、「きたかみ」。姫神は「ひめがみ」ではなく、「ひめかみ」と読む。「が」を鼻濁音で発音しているのは、永さんが東京出身の人だからだろう。地元の人間は「おまえ」を「んが」というが、この「が」は鼻濁音である。ちなみにNHKのアナウンサーは「歌合戦」の「が」を鼻濁音で発音する。「笑点」が地元にやってきたときに、北上を「きたがみ」と発音する噺家がいて、昔は気になったものだが、ある時期から気にならなくなった。おそらく由紀さおりさんが鼻濁音の美しさ云々ということをきいたからだろう。
鼻濁音という言葉は、久しぶりに聞きました。
古いラジオ(土曜ワイドや欽也パックに出ていたもの)を、何度も聞いています。
話を盛るのが上手な人という印象です。
同じ話を何度もしているのですが、微妙に洗練されてくるのが永さんらしく面白いです。
決して、永六輔が常に正しいとは思わないようになりましたが、やはりガキの頃から多大な影響を受けています。
テレビマンユニオンってネット民が大ぁぁぁぁぁぁい好きなTBSの制作スタッフが独立した日本初のテレビ制作専門会社だった気がするのは私の気のせいです。TBSから独立した会社がTBS系列ではないよみうりテレビの番組を請け負っていたとは。腸捻転時代だったら朝日放送の番組制作を請け負うのならばまだしも。
この人と、啄木との組み合わせは思いつかなかった。接点があるとすれば、尋常じゃない正直さか。
「
啄木は、人間に必要なのは時代や社会に追従して上昇・出世することではなく、既成のものごとを批評しながら向上を目指す心である、と考えました。
」
永が、このあたりに共感したのかも。
遠くへ行きたいは50周年(笑)
でも中身は永六輔が泣きそう