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大林宣彦監督。いい作品を撮ってくれて、ありがとうございます。
芳山和子が1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた場面から始まる数々の映像は、様々な著名映画のオマージュです。オンパレードといっても過言ではありません。(1)紅茶がコップの中に満たされて和子が驚く場面の意味は、実際に「タイル小路」を訪問した経験がある人はすぐにピンときたはずです。「タイル小路」と「福善寺の境内」は隣り合う敷地だったのですから、一瞬でタイムリープしたはずです。「福善寺」は、小津安二郎監督の映画「東京物語」では平山とみの葬儀が執り行われた寺院だったのです。(2)「寝てたほうがいいんじゃないの?」と母から告げられた場面で和子の家の庭に「物干し竿・洗濯物」が突然現れます。これも「東京物語」のワンシーンのオマージュです。また、吾朗がハンカチを顔の上に載せる場面においても「物干し竿・洗濯物」が現れます。(3)和子は、吾朗の家へ向かう途中で「二人の坊主頭の少年」に出会います。これは、新藤兼人監督の「裸の島」に登場した太郎・次郎兄弟のオマージュです。二人が遊んでいた石の階段は、宿禰島の険しい険しい階段を想起させるための演出だったはずです。(4)和子は、ハンカチを返しに行った先で「堀川醤油醸造所の煙突」を見上げます。これは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のオマージュです。大石久子先生の家は、小豆島の醤油屋の煙突のすぐそばにありました。
実は、塚本連平監督による「35年目のラブレター」が「なんちゃって奈良市役所のロビー」でクランクインしたのは2024年2月17日(土曜日)9:87でした。その場に居た私はたいへん驚きました。
エンディングがまたいいんだよね。
エンディングに収録された知世さんのNGショットは、大石久子先生のクラスの12人の児童たちが連発したNGのオマージュです。また、「1983年4月16日」と「1994年4月16日」の暦は、「昭和3年4月4日」と「昭和21年4月4日」のオマージュだったのです。
春になると観たくなる、大好きな映画です🌸
「菜の花」、「桜の花」、「醤油屋の煙突」、「知世NGショット」は、いったい何のオマージュでしょうか。
透明な少女の可愛さと美しさの知世ちゃんに参りました😂❤
ゆうべの夢は金色、モノクロ映像の「菜の花」は金色に光り輝いていたのです。
大林宣彦監督の尾道三部作。何回も上映された映画館で見てました。懐かしの時代。
私の考えでは、「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていません。信じられないと思いますが、大林亘彦監督は生前に「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオも完成させていたはずです。「時をかける少女」で「本編」とされたストーリーのすべては、実は「エンドロールのための伏線」であったと表現しても差し支えないはずです。原田知世さんの現在の地位は、そのエンドロールによって築かれたといってもいいでしょう。では、「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、何の伏線だったのでしょうか。合理的に考えれば、自ずと結論が導き出されます。時は過ぎ去っていくものでなく、やってくるものなんですから。
「時をかける少女」の本編とされた映画のストーリーは、そのすべてが「エンドロールのための伏線」、そして「女優業を始めたばかりの知世さんの将来人生の伏線」であったと断言しても差し支えないはずです。ということは、合理的に考えて「1994年4月16日(土曜日)の物語」もきっと「伏線」であったはずです。いったいいつなのでしょうか、その伏線が回収されのは。私の考えによれば、それは「2033年4月16日(土曜日)」にやってきます。「どうして時間は過ぎ去っていくの?」、「過ぎ去っていくものではなく、時間はやって来るものなんだ」という二人の会話の意味を思い出してください。ところで、大林宣彦監督は、どうして「1983年4月16日(土曜日)」という特定の日を設定したのでしょうか。実は、その前日である「1983年4月15日(金曜日)」は東京ディズニーランドの開園日だったのです。その50周年記念日は国民的な記念イベントが行われることでしょう。大林監督の狙いはそこだったはずです。
「浜辺の歌」は、1954年劇場公開の映画「二十四の瞳」に登場する「香川マスノ」が日帰り修学旅行の船上で独唱する歌です。作詞したのは「林古溪さん」といいます。「香川マスノ」が船上で無伴奏の「浜辺の歌」を歌う時、彼女のクラスメイトと大石久子先生たち全員で拍手をします。信じられないと思いますが、その部分が大林宣彦監督によって映画「時をかける少女」のエンディングで忠実に再現されています。原田知世さんが演じた「芳山和子」が列車の中で主題歌を歌うシーンです。で、その直後、知世さんは、西方寺(広島県竹原市本町三丁目)の境内をカメラに向かって走り寄って来るのですが、なんと1983年3月の撮影当時、同寺の住職は「林隆溪さん」という名でした。(知世さんが1985年に「早春物語」で共演した俳優の名は「林隆三さん」でした。これにもビックリです。)もし、これも意図的なオマージュであったとしたら、大林監督の発想は神がかりです。ちなみに、竹原市本町三丁目に現存する「堀川醤油醸造所の煙突」は、「小豆島の醤油屋の煙突」のオマージュです。大石久子先生の家は、「小豆島の醤油屋の煙突」のすぐそばにあったからです。
当時試写会に当選して観ました。上映後本人の舞台挨拶&生歌披露もあって今でもいい思い出です。もう40年経つんですね。時をかけて戻りたいです。
それから50年後の世界が今から8年半後に迫っています。大林宣彦監督は、どうして「1983年4月16日(土曜日)」という日を選び、芳山和子に変な能力が備わってしまった日としたのでしょうか。実は、その前日4月15日(金曜日)は、「東京ディズニーランド」の開業日だったのです。意図的に選んだのだと思います。世間の人々が「東京ディズニーランド開業50周年」を祝うことが確実だからです。ちなみに、「時をかける少女」のクランクアップは同年4月4日(月曜日)でしたが、その日は、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放映開始日でした。「おしん」の老齢期を演じたのは誰ですか。新藤兼人監督の妻である乙羽信子さんでした。当然、これも意図的なものだったのでしょう。2033年4月16日(土曜日)、65歳になった知世さんは再び下駄をはいて「西方寺普明閣の境内」を走るはずです。
木下惠介監督の大石久子先生が「陸軍軍曹森岡正之墓」に花を手向ける場面で、西口ミサ子が大石先生に駆け寄るシーンにどうぞ注目してください。ななななんと、1983年3月、天寧寺三重塔の境内(尾道市東土堂町)で撮影された「寄井家累代之墓」は、このシーンのオマージュだったのですね。公衆上映の映画の中にどうして私人の墓石である「寄井家累代之墓」がスクリーンいっぱいに映し出されるのか、私は41年半、ずっとずっと不思議に思っていました。ところで、塚本連平監督の「35年目のラブレター」の試写会をご覧になった方からの情報によれば、エキストラとして参加した人全員の名がスクリーンに現れる場面があるそうです。
大好きな映画です。ありがとうございます😭💞
薬師丸ひろ子さん目当てで「探偵物語」を観に行って、併映の「時をかける少女」の原田知世さんの初々しさに惹かれてしまった人々は、少なくないと思っています。d(⌒ー⌒)!
当時、私の4つ上の姉は薬師丸ひろ子さんの大ファンで、小学校2年だった私は夏休みに、両親と姉と一緒に函館市内の映画館に行って。探偵物語と、同時上映の時をかける少女を観に行った思い出があります❗️
時をかける少女❤大林監督の映画がすごく大好き💕
入江たか子さんの心に沁みるような演技に涙しました。
現役高校生です角川映画めちゃ好きです知世さんだと時かけ、愛情物語、早春物語が好きですねぇ画質良すぎて感動🥺わたし思うんですけど角川のヒロインって声が魅力的ですよね✨
西方寺の庫裡へ行ってみてください。原田知世さんが「早春物語」で共演した俳優の「林隆三さん」と一文字違いの名の表札が掲げられています。
現役高校生にとって今から「50年後の世界」を予想することは簡単ですか。信じてもらえないと思いますが、65歳に達した知世さんは「西方寺普明閣の境内」を再び走ることでしょう。どうぞエンドロールの最後の場面を注視してください。知世さんの背後に「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯籠」が映し込まれています。「監督 大林宣彦」の白文字が相対的に動いて指し示しているものが「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯籠」なんです。解説します。「西方寺普明閣の石灯籠」は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」の冒頭シーンに現れる「住吉神社の石灯篭」のオマージュであって、それは小津安二郎監督および1741年当時の尾道町奉行「平山角左衛門」の象徴です。「東京物語」に登場した家族の名は「平山角左衛門さん」の名がその由来です。「平山角左衛門さん」というのは、尾道市名誉市民第一号です。
何年か前に出張で竹原に行きましたが、時間がなく、恵比寿堂や西方寺の石段ほか訪れたかったのですが叶わず、残念でした。オープニング曲の瓦屋根で、涙がにじむのは、なぜでしょう。
西方寺の庫裡へ行ってみてください。知世さんが「早春物語」で共演した俳優の「林隆三さん」と一文字違いの名の表札が掲げられています。
一瞬のきらめきを閉じ込めたような作品。
この映画に出てくるキス人形欲しい🥺大林監督の映画に出てくるインテリア大好き☆
まだ売ってるかもと探したらオーダーメイドらしいですね監督が市販のものだとイメージ通りに動かないということで25万円をかけてオーダーメイドで作ってもらったとのこと
@@usimaru わあああ 25万ですか💦情報ありがとうございます😊
40年前の夏、原田知世の舞台挨拶見るためにクソ暑い中徹夜で新宿の映画館に並んだ。毎年夏が来るとあの頃を思い出してDVD見たくなる。
当時、小学生の頃見てて意味がわからなかったけど、もはやそこまでをも含んだ世界観が最大の魅力
時をかける少女は、小学校2年の時に観に行って超面白かった❗️(笑)ちなみに、この映画の同時上映は、薬師丸ひろ子さんの映画「探偵物語」でした‼️
原田知世の魅力、尾道の風景の素晴らしさ、青春時代へのノスタルジー、それらを引き立てて盛り上げる素晴らしい音楽。大林監督をはじめ、才能がある人たちが結集して作られた名作、傑作だと思う。これさえあればほかの時かけはいらない、と言って良い。
あなたは、尾美としのりさんが演じた堀川悟朗がどうして3度も「俺、ションベンに行ってくる」と不自然に言ったのか理由をご存知ですか。実は、これ小津安二郎監督の映画「東京物語」の中で数多く繰り返される香川京子さんのセリフ「行って参ります」のパロディー系オマージュなんですよ。香川京子さんが演じた平山京子は、尾道市立筒湯小学校に勤務する教師です。京子は、筒湯小学校へ出勤する都度、3度の異なる場面で家族に向かって「行って参ります」と告げます。特に、1度目の場面においては3回ほぼ連続で告げています。尾美としのりさん(一部は小林聡美さん)が「転校生」で演じた斉藤一夫、笠智衆さんが「東京物語」で演じた平山周吉の二人は、いずれも映画の中で小便をしますが、その回数は1度限りです。
あなたは、まだ気づいていないようですね。映画「二十四の瞳」を一度ご覧になってみてください。年が異なる2つの「4月16日」が映画の冒頭と終盤に現れる理由がきっとわかりますから。どうして知世さんのNGショットがエンディングにあるのか、その理由を知ったら驚きますよ。大石久子先生のクラスの12人の児童たちは、「二十四の瞳」の撮影中、NGを連発していたそうです。
知世さん、かわいい😭
煌めく映画です!音楽も映像もこの「時をかける少女」に 出逢えた若かりし日でよかった…有難うございます。
1983年4月17日(日曜日)の場面において、「芳山和子の家」と「堀川悟朗の家」の双方において「物干し竿と洗濯物」が現れる場面をご存知ですか。いずれの場面もごく自然に映り込んでいるので容易に見過ごしてしまうのですが、「物干し竿と洗濯物」の描写は、明らかに1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
一番好きな日本映画
映画も見た。原作本も読んだ。原田知世のレコード盤も買った。んで、応接室のステレオで聴きながらしゃかりきに歌ってた、、、したら隣の家のおばさんに、しっかり見られていたようで、後に、母から聞きました。恥ずかしさと、なんとも言えない気分でした。今は、そんな母も居ないし隣の老夫婦もいません。ついでに、家も取り壊され今別の人が新しい家建てて住んでます。時をかける少女ならぬ、時をかけるおっさんです。疲れた、、、
エンディングの歌の場面に注目してください。原田知世さんが演じた芳山和子は、スキー教室帰りの列車の中でニセの深町一夫に「菜の花」を手渡した直後、堀川悟朗に何か「白い包み」を手渡しています。何ですか、「白い包み」の中身は。そして、次の場面で、知世さんは「西方寺普明閣の境内」をカメラに向かって走り寄ってきましたが、その背後になぜか「未開花の桜」が映し込まれています。あれっ、「監督 大林宣彦」という白文字が「未開花の桜」と「石灯籠」を示すように動いていませんか。なんですか、これらの映像は。わたくしの考えを述べます。「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていません。「白い包み」の中身は、大林監督が生前に書き上げていた「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオだったはずです。その時、65歳になった知世さんは、「猿の惑星」で主役を演じたチャールトン・ヘストンさんを超えるのです。時は過ぎ去っていくものでなく、やってくるものなんですから。
「時をかける少女」で「本編」とされたストーリーのすべては、実は「エンドロールのための伏線」であったと表現しても差し支えないはずです。原田知世さんの現在の地位は、そのエンドロールによって築かれたといってもいいでしょう。では、「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、何の伏線だったのでしょうか。合理的に考えれば自ずと結論が導き出されます。
時かけは、知世のもの😮
知世意外は認めん。
そしてセーラー服と機関銃は薬師丸のもの😮
『探偵物語』を見終わり、館内の冷房が強すぎて体調を崩した僕は、同時併映の『時をかける少女』を観ぬまま映画館を後にした。家に帰り寝込んでたら、今は亡き祖母が暑いお茶を飲ませ介抱してくれた。数年後、ビデオで『時をかける少女』を見てとても感銘を受けた。嗚呼リアルで観たかった!😂 なんともほろ苦い、13歳の夏の思い出である。
小説と同タイトルの映画、音楽、当時の角川のメディアミックス戦略は勢いがありましたね。映画公開当時、既にノスタルジックな雰囲気がありましたが、40年以上経った今では、本当に懐かしく、この時代に戻りたいです。
宣伝って当時の?40年経っちゃったんですね原作は短編だったと思うんですけど好きでリアタイで観に行きましたそう言えば予告やポスターはこんな感じでしたね人形が自分のところに向かってくる場面は何度見ても怖いですかなり脚色されてるけどスキーの夜に未来から来た深町くんとぶつかるのがきっかけなんですねこの予告のナレーションが誰なのか気になりました
気づきましたか、「4月16日×2」が「4月4日×2」のオマージュだったことに。「時をかける少女」のクランクアップは、1983年4月4日だったそうです。あり得ないことですが、もし、キャンディーズの解散コンサート(1978年4月4日)の企画に大林監督が関与していたとしたら、最後の曲は「浜辺の歌」になったはずです。「4月4日」というのは、新米教師の大石久子先生が「岬の分教場」に赴任した日です。太平洋戦争終結後、その翌年の4月4日に再び大石先生は「岬の分教場」に赴任しました。「堀川醤油醸造所の煙突」は、小豆島の「醤油屋の煙突」のオマージュです。
原田知世であります。これに尽きます‼️
原田知世と薬師丸ひろ子は永遠だわ✨その後いくつかリメイクが作られたけれど、2人のものには全く追いついていない…時かけ、セラ服、全然駄目❗️撮影技術は向上しているのに、作品として全然駄目やはりこの2人のものには敵わないんだわ…
「過ぎていくもんじゃない時間はやってくるもんなんだ」時を越えて、深町は約束通り和子に会いに来ました2人きりの寂しい老夫婦にも、時を超えて必ず会いに来る人がいます永遠の別れなどありません愛の力は時を越えて、愛する人と必ずめぐり逢わせてくれるのです
そのセリフは本当に重要なものです。松任谷由実さん作詞の主題歌の2番ですが、その内容は1933年(昭和8年)10月に「まっちゃんこと川本松江」が体験したことが描かれたものです。「1番の歌詞の世界」と「2番の歌詞の世界」の間には50年もの時間的隔たりが隠されていたのです。これはどういうことですか。「2033年4月16日」が何曜日なのか、どうぞお調べください。
筒井康隆の原作から好き。
筒井康隆さんの原作に「浅倉吾朗」とあるのを大林宣彦監督は「堀川吾朗」に変えました。壺井栄さんの原作に「一本松」とあるのを木下惠介監督は「醤油屋の煙突」に変えました。「堀川醤油醸造所の煙突」が映画の中に映し込まれた理由がわかりますか。
@@水澤秀成 吾朗の実家として使った醤油屋が「堀川商店」だったので、大林監督がそのまま使おうということで台本も浅倉から堀川に変更。多分、時かけで「堀川吾朗」としているのは、本作だけだと思います。
何故か青春ジュブナイル映画がホラー映画に見える😅
映画館で見てました。今でも最高です。
原田知世さんが演じた芳山和子は、スキー教室帰りの列車の中でニセの深町一夫に「菜の花」を手渡した直後、堀川悟朗に何か「白い包み」を手渡しています。何ですか、「白い包み」の中身は。そして、次の場面で、知世さんは「西方寺普明閣の境内」をカメラに向かって走り寄ってきましたが、その背後になぜか「未開花の桜」が映し込まれています。あれっ、「監督 大林宣彦」という白文字が「未開花の桜」と「石灯籠」を示すように動いていませんか。なんですか、これらの映像は。
色んな女優さんが演じてきていますが、、、、やはり知世ちゃんが1番です!!!😊
青春時代のはかない学生時代の物語は胸が切なくなりますね
この時代で時が止まれば…。
やっぱ大林監督は、特撮でドラマを語ってこその監督さんって印象
いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ…。どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に…いつか…どこかで…。小説、時をかける少女より
2番の歌詞は、「1983年4月の世界線」ではありません。映画「二十四の瞳」の中で、大石久子先生が日帰り修学旅行先の大衆食堂で偶然再会した「川本松江」の視線で描かれたものです。大石久子先生の家は、小豆島の「醤油屋の煙突」のそばにありました。
親友と見に行った。雨が降っていた。私はおろしたての青いコンバースをはいていた。18歳だった。大学ば落ちていた。暗いバブル時の青春。でも映画は凄く、良かった。
角川映画がバリバリの時代ですね。漫画家のゆうきまさみ氏がめちゃめちゃ知世ちゃんにハマっていましたね。私達はコミケでガンダムのBL本買うのに夢中でした。女子高の修学旅行では皆でテレビで魔界転生の真田広之くんとジュリーのキスシーンを夢中で見てた。バブルバブル泣WWWてめー等、忘れたとは言わせねーぞ泣W
かわいい!
この頃の原田知世はホントにかわいかった😂
久しぶりに聞きましたが主題歌最高ですね
バブル時代から40年、理科室のフラスコやら何やらが、やたら今は美しく懐かしく見えるのだ。あの頃はただのつまらない現実だったのに。しかし今のこの心境はそれはそれでいいし、まだ先の変化があるのかど思っている。
壺井栄さんの「二十四の瞳」は、1961年に角川書店から発売されていました。やるね、大林宣彦さん!!
DVD借りて5回ぐらい観た!でもまた観たい\(^▽^)/
TH-camで今2週間限定で見られますよ
月曜ロードショーとザ・ロードショーで放送された作品
我が聖典......
最後のナレーション部分は小林清志さんか。
キラメキをメキメキに空目したw
2週間限定じゃなかった、おわってた😢
「ねー、寝てたほうがいいんじゃないの?」の場面で現れる洗濯物と物干し竿は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオマージュです。エンドロールで列車の中で知世さんがクラスメートとともに歌を歌う場面は、映画「東京物語」と木下惠介監督の映画「二十四の瞳」の複合系オマージュです。芳山和子がハンカチを吾朗に返しに行く途中で出会う少年二人組は、新藤兼人監督の映画「裸の島」のオマージュです。
ラベンダー花が違いますよね。
とり・みきからYMOまで沼に落とした一作
原田知世さん、土曜日の実験室へ。
映画「時をかける少女」のクランクアップは1983年4月4日だったそうです。どうして「4月4日」だったのですか。じつは、映画「二十四の瞳」は、昭和3年4月4日(水曜日)から始まる物語なのです。そのちょうど90年後は2018年4月4日(水曜日)でしたが、その日は、知世さん50歳の記念コンサート(2017年11月28日)の様子が収録されたDVD・ブルーレイの発売日でした。
自分もトイレの芳香剤の香がラベンダーで、時を超えたことがあります(ありません)
0:09 何このサザエさんのタマの移動する音みたいな割れた音😂
異空間に入った瞬間を表現してるんですよね
@@sugarsugar5275 そうなんですか?
筒井先生に会いたいな泣W
昔の映画を見ると日本人の顔や体型が思いっきり変わったのがわかる。
ほんとそうですね!!40年で日本人は進化しましたね🤔
筒井先生の孝行娘です。
このピアノの曲はなんて曲かわかる方いらっしゃいましたら教えてください!!
尾道行ったなーー。おい
出演者全員台詞が棒読みなのが良いよね。😊
ラベンダーの香りを嗅ぐと…
深町君は西暦2660年の薬学博士。 切りの良い西暦2000年=皇紀2660年・・・ 引っ掛けてるのかな?
クロロホルムはいらないよでも名作。
予告編でかなりネタバレしてるw
大林宣彦監督。いい作品を撮ってくれて、ありがとうございます。
芳山和子が1983年4月17日(日曜日)9:87に目覚めた場面から始まる数々の映像は、様々な著名映画のオマージュです。
オンパレードといっても過言ではありません。
(1)紅茶がコップの中に満たされて和子が驚く場面の意味は、実際に「タイル小路」を訪問した経験がある人はすぐにピンときたはずです。
「タイル小路」と「福善寺の境内」は隣り合う敷地だったのですから、一瞬でタイムリープしたはずです。
「福善寺」は、小津安二郎監督の映画「東京物語」では平山とみの葬儀が執り行われた寺院だったのです。
(2)「寝てたほうがいいんじゃないの?」と母から告げられた場面で和子の家の庭に「物干し竿・洗濯物」が突然現れます。
これも「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
また、吾朗がハンカチを顔の上に載せる場面においても「物干し竿・洗濯物」が現れます。
(3)和子は、吾朗の家へ向かう途中で「二人の坊主頭の少年」に出会います。
これは、新藤兼人監督の「裸の島」に登場した太郎・次郎兄弟のオマージュです。
二人が遊んでいた石の階段は、宿禰島の険しい険しい階段を想起させるための演出だったはずです。
(4)和子は、ハンカチを返しに行った先で「堀川醤油醸造所の煙突」を見上げます。
これは、木下惠介監督の映画「二十四の瞳」のオマージュです。
大石久子先生の家は、小豆島の醤油屋の煙突のすぐそばにありました。
実は、塚本連平監督による「35年目のラブレター」が「なんちゃって奈良市役所のロビー」でクランクインしたのは2024年2月17日(土曜日)9:87でした。
その場に居た私はたいへん驚きました。
エンディングがまたいいんだよね。
エンディングに収録された知世さんのNGショットは、大石久子先生のクラスの12人の児童たちが連発したNGのオマージュです。
また、「1983年4月16日」と「1994年4月16日」の暦は、「昭和3年4月4日」と「昭和21年4月4日」のオマージュだったのです。
春になると観たくなる、大好きな映画です🌸
「菜の花」、「桜の花」、「醤油屋の煙突」、「知世NGショット」は、いったい何のオマージュでしょうか。
透明な少女の可愛さと美しさの知世ちゃんに参りました😂❤
ゆうべの夢は金色、
モノクロ映像の「菜の花」は金色に光り輝いていたのです。
大林宣彦監督の尾道三部作。
何回も上映された映画館で見てました。
懐かしの時代。
私の考えでは、「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていません。
信じられないと思いますが、大林亘彦監督は生前に「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオも完成させていたはずです。
「時をかける少女」で「本編」とされたストーリーのすべては、実は「エンドロールのための伏線」であったと表現しても差し支えないはずです。
原田知世さんの現在の地位は、そのエンドロールによって築かれたといってもいいでしょう。
では、「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、何の伏線だったのでしょうか。
合理的に考えれば、自ずと結論が導き出されます。
時は過ぎ去っていくものでなく、やってくるものなんですから。
「時をかける少女」の本編とされた映画のストーリーは、そのすべてが「エンドロールのための伏線」、そして「女優業を始めたばかりの知世さんの将来人生の伏線」であったと断言しても差し支えないはずです。
ということは、合理的に考えて「1994年4月16日(土曜日)の物語」もきっと「伏線」であったはずです。
いったいいつなのでしょうか、その伏線が回収されのは。
私の考えによれば、それは「2033年4月16日(土曜日)」にやってきます。
「どうして時間は過ぎ去っていくの?」、「過ぎ去っていくものではなく、時間はやって来るものなんだ」という二人の会話の意味を思い出してください。
ところで、大林宣彦監督は、どうして「1983年4月16日(土曜日)」という特定の日を設定したのでしょうか。
実は、その前日である「1983年4月15日(金曜日)」は東京ディズニーランドの開園日だったのです。
その50周年記念日は国民的な記念イベントが行われることでしょう。
大林監督の狙いはそこだったはずです。
「浜辺の歌」は、1954年劇場公開の映画「二十四の瞳」に登場する「香川マスノ」が日帰り修学旅行の船上で独唱する歌です。
作詞したのは「林古溪さん」といいます。
「香川マスノ」が船上で無伴奏の「浜辺の歌」を歌う時、彼女のクラスメイトと大石久子先生たち全員で拍手をします。
信じられないと思いますが、その部分が大林宣彦監督によって映画「時をかける少女」のエンディングで忠実に再現されています。
原田知世さんが演じた「芳山和子」が列車の中で主題歌を歌うシーンです。
で、その直後、知世さんは、西方寺(広島県竹原市本町三丁目)の境内をカメラに向かって走り寄って来るのですが、なんと1983年3月の撮影当時、同寺の住職は「林隆溪さん」という名でした。
(知世さんが1985年に「早春物語」で共演した俳優の名は「林隆三さん」でした。これにもビックリです。)
もし、これも意図的なオマージュであったとしたら、大林監督の発想は神がかりです。
ちなみに、竹原市本町三丁目に現存する「堀川醤油醸造所の煙突」は、「小豆島の醤油屋の煙突」のオマージュです。
大石久子先生の家は、「小豆島の醤油屋の煙突」のすぐそばにあったからです。
当時試写会に当選して観ました。上映後本人の舞台挨拶&生歌披露もあって今でもいい思い出です。もう40年経つんですね。時をかけて戻りたいです。
それから50年後の世界が今から8年半後に迫っています。
大林宣彦監督は、どうして「1983年4月16日(土曜日)」という日を選び、芳山和子に変な能力が備わってしまった日としたのでしょうか。
実は、その前日4月15日(金曜日)は、「東京ディズニーランド」の開業日だったのです。
意図的に選んだのだと思います。
世間の人々が「東京ディズニーランド開業50周年」を祝うことが確実だからです。
ちなみに、「時をかける少女」のクランクアップは同年4月4日(月曜日)でしたが、その日は、NHK朝の連続テレビ小説「おしん」の放映開始日でした。
「おしん」の老齢期を演じたのは誰ですか。
新藤兼人監督の妻である乙羽信子さんでした。
当然、これも意図的なものだったのでしょう。
2033年4月16日(土曜日)、65歳になった知世さんは再び下駄をはいて「西方寺普明閣の境内」を走るはずです。
木下惠介監督の大石久子先生が「陸軍軍曹森岡正之墓」に花を手向ける場面で、西口ミサ子が大石先生に駆け寄るシーンにどうぞ注目してください。
ななななんと、1983年3月、天寧寺三重塔の境内(尾道市東土堂町)で撮影された「寄井家累代之墓」は、このシーンのオマージュだったのですね。
公衆上映の映画の中にどうして私人の墓石である「寄井家累代之墓」がスクリーンいっぱいに映し出されるのか、私は41年半、ずっとずっと不思議に思っていました。
ところで、塚本連平監督の「35年目のラブレター」の試写会をご覧になった方からの情報によれば、エキストラとして参加した人全員の名がスクリーンに現れる場面があるそうです。
大好きな映画です。ありがとうございます😭💞
薬師丸ひろ子さん目当てで「探偵物語」を観に行って、併映の「時をかける少女」の原田知世さんの初々しさに惹かれてしまった人々は、少なくないと思っています。
d(⌒ー⌒)!
当時、私の4つ上の姉は薬師丸ひろ子さんの大ファンで、小学校2年だった私は夏休みに、両親と姉と一緒に函館市内の映画館に行って。
探偵物語と、同時上映の時をかける少女を観に行った思い出があります❗️
時をかける少女❤大林監督の映画がすごく大好き💕
入江たか子さんの心に沁みるような演技に涙しました。
現役高校生です
角川映画めちゃ好きです
知世さんだと時かけ、愛情物語、早春物語が好きですねぇ
画質良すぎて感動🥺
わたし思うんですけど角川のヒロインって声が魅力的ですよね✨
西方寺の庫裡へ行ってみてください。
原田知世さんが「早春物語」で共演した俳優の「林隆三さん」と一文字違いの名の表札が掲げられています。
現役高校生にとって今から「50年後の世界」を予想することは簡単ですか。
信じてもらえないと思いますが、65歳に達した知世さんは「西方寺普明閣の境内」を再び走ることでしょう。
どうぞエンドロールの最後の場面を注視してください。
知世さんの背後に「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯籠」が映し込まれています。
「監督 大林宣彦」の白文字が相対的に動いて指し示しているものが「未開花の桜」と「西方寺普明閣の石灯籠」なんです。
解説します。
「西方寺普明閣の石灯籠」は、1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」の冒頭シーンに現れる「住吉神社の石灯篭」のオマージュであって、それは小津安二郎監督および1741年当時の尾道町奉行「平山角左衛門」の象徴です。
「東京物語」に登場した家族の名は「平山角左衛門さん」の名がその由来です。
「平山角左衛門さん」というのは、尾道市名誉市民第一号です。
何年か前に出張で竹原に行きましたが、時間がなく、恵比寿堂や西方寺の石段ほか訪れたかったのですが叶わず、残念でした。
オープニング曲の瓦屋根で、涙がにじむのは、なぜでしょう。
西方寺の庫裡へ行ってみてください。
知世さんが「早春物語」で共演した俳優の「林隆三さん」と一文字違いの名の表札が掲げられています。
一瞬のきらめきを閉じ込めたような作品。
この映画に出てくるキス人形欲しい🥺大林監督の映画に出てくるインテリア大好き☆
まだ売ってるかもと探したらオーダーメイドらしいですね
監督が市販のものだとイメージ通りに動かないということで25万円をかけてオーダーメイドで作ってもらったとのこと
@@usimaru わあああ 25万ですか💦情報ありがとうございます😊
40年前の夏、原田知世の舞台挨拶見るためにクソ暑い中徹夜で新宿の映画館に並んだ。毎年夏が来るとあの頃を思い出してDVD見たくなる。
当時、小学生の頃見てて意味がわからなかったけど、もはやそこまでをも含んだ世界観が最大の魅力
時をかける少女は、小学校2年の時に観に行って超面白かった❗️(笑)
ちなみに、この映画の同時上映は、薬師丸ひろ子さんの映画「探偵物語」でした‼️
原田知世の魅力、尾道の風景の素晴らしさ、青春時代へのノスタルジー、それらを引き立てて盛り上げる素晴らしい音楽。大林監督をはじめ、才能がある人たちが結集して作られた名作、傑作だと思う。これさえあればほかの時かけはいらない、と言って良い。
あなたは、尾美としのりさんが演じた堀川悟朗がどうして3度も「俺、ションベンに行ってくる」と不自然に言ったのか理由をご存知ですか。
実は、これ小津安二郎監督の映画「東京物語」の中で数多く繰り返される香川京子さんのセリフ「行って参ります」のパロディー系オマージュなんですよ。
香川京子さんが演じた平山京子は、尾道市立筒湯小学校に勤務する教師です。
京子は、筒湯小学校へ出勤する都度、3度の異なる場面で家族に向かって「行って参ります」と告げます。
特に、1度目の場面においては3回ほぼ連続で告げています。
尾美としのりさん(一部は小林聡美さん)が「転校生」で演じた斉藤一夫、笠智衆さんが「東京物語」で演じた平山周吉の二人は、いずれも映画の中で小便をしますが、その回数は1度限りです。
あなたは、まだ気づいていないようですね。
映画「二十四の瞳」を一度ご覧になってみてください。
年が異なる2つの「4月16日」が映画の冒頭と終盤に現れる理由がきっとわかりますから。
どうして知世さんのNGショットがエンディングにあるのか、その理由を知ったら驚きますよ。
大石久子先生のクラスの12人の児童たちは、「二十四の瞳」の撮影中、NGを連発していたそうです。
知世さん、かわいい😭
煌めく映画です!音楽も映像もこの「時をかける少女」に 出逢えた若かりし日でよかった…
有難うございます。
1983年4月17日(日曜日)の場面において、「芳山和子の家」と「堀川悟朗の家」の双方において「物干し竿と洗濯物」が現れる場面をご存知ですか。
いずれの場面もごく自然に映り込んでいるので容易に見過ごしてしまうのですが、「物干し竿と洗濯物」の描写は、明らかに1953年11月3日劇場公開の映画「東京物語」のワンシーンのオマージュです。
一番好きな日本映画
映画も見た。原作本も読んだ。原田知世のレコード盤も買った。んで、応接室のステレオで聴きながらしゃかりきに歌ってた、、、したら隣の家のおばさんに、しっかり見られていたようで、後に、母から聞きました。恥ずかしさと、なんとも言えない気分でした。今は、そんな母も居ないし隣の老夫婦もいません。ついでに、家も取り壊され今別の人が新しい家建てて住んでます。時をかける少女ならぬ、時をかけるおっさんです。疲れた、、、
エンディングの歌の場面に注目してください。
原田知世さんが演じた芳山和子は、スキー教室帰りの列車の中でニセの深町一夫に「菜の花」を手渡した直後、堀川悟朗に何か「白い包み」を手渡しています。
何ですか、「白い包み」の中身は。
そして、次の場面で、知世さんは「西方寺普明閣の境内」をカメラに向かって走り寄ってきましたが、その背後になぜか「未開花の桜」が映し込まれています。
あれっ、「監督 大林宣彦」という白文字が「未開花の桜」と「石灯籠」を示すように動いていませんか。
なんですか、これらの映像は。
わたくしの考えを述べます。
「時をかける少女」のストーリーはまだ終わっていません。
「白い包み」の中身は、大林監督が生前に書き上げていた「2033年4月16日(土曜日)の物語」のシナリオだったはずです。
その時、65歳になった知世さんは、「猿の惑星」で主役を演じたチャールトン・ヘストンさんを超えるのです。
時は過ぎ去っていくものでなく、やってくるものなんですから。
「時をかける少女」で「本編」とされたストーリーのすべては、実は「エンドロールのための伏線」であったと表現しても差し支えないはずです。
原田知世さんの現在の地位は、そのエンドロールによって築かれたといってもいいでしょう。
では、「1994年4月16日(土曜日)の物語」は、何の伏線だったのでしょうか。
合理的に考えれば自ずと結論が導き出されます。
時かけは、知世のもの😮
知世意外は認めん。
そしてセーラー服と機関銃は薬師丸のもの😮
『探偵物語』を見終わり、館内の冷房が強すぎて体調を崩した僕は、同時併映の『時をかける少女』を観ぬまま映画館を後にした。家に帰り寝込んでたら、今は亡き祖母が暑いお茶を飲ませ介抱してくれた。数年後、ビデオで『時をかける少女』を見てとても感銘を受けた。嗚呼リアルで観たかった!😂 なんともほろ苦い、13歳の夏の思い出である。
小説と同タイトルの映画、音楽、当時の角川のメディアミックス戦略は勢いがありましたね。
映画公開当時、既にノスタルジックな雰囲気がありましたが、40年以上経った今では、本当に
懐かしく、この時代に戻りたいです。
宣伝って当時の?
40年経っちゃったんですね
原作は短編だったと思うんですけど好きでリアタイで観に行きました
そう言えば予告やポスターはこんな感じでしたね
人形が自分のところに向かってくる場面は何度見ても怖いです
かなり脚色されてるけどスキーの夜に未来から来た深町くんとぶつかるのがきっかけなんですね
この予告のナレーションが誰なのか気になりました
気づきましたか、「4月16日×2」が「4月4日×2」のオマージュだったことに。
「時をかける少女」のクランクアップは、1983年4月4日だったそうです。
あり得ないことですが、もし、キャンディーズの解散コンサート(1978年4月4日)の企画に大林監督が関与していたとしたら、最後の曲は「浜辺の歌」になったはずです。
「4月4日」というのは、新米教師の大石久子先生が「岬の分教場」に赴任した日です。
太平洋戦争終結後、その翌年の4月4日に再び大石先生は「岬の分教場」に赴任しました。
「堀川醤油醸造所の煙突」は、小豆島の「醤油屋の煙突」のオマージュです。
原田知世であります。これに尽きます‼️
原田知世と薬師丸ひろ子は永遠だわ✨
その後いくつかリメイクが作られたけれど、2人のものには全く追いついていない…
時かけ、セラ服、全然駄目❗️
撮影技術は向上しているのに、作品として全然駄目
やはりこの2人のものには敵わないんだわ…
「過ぎていくもんじゃない
時間はやってくるもんなんだ」
時を越えて、深町は約束通り和子に会いに来ました
2人きりの寂しい老夫婦にも、時を超えて必ず会いに来る人がいます
永遠の別れなどありません
愛の力は時を越えて、愛する人と必ずめぐり逢わせてくれるのです
そのセリフは本当に重要なものです。
松任谷由実さん作詞の主題歌の2番ですが、その内容は1933年(昭和8年)10月に「まっちゃんこと川本松江」が体験したことが描かれたものです。
「1番の歌詞の世界」と「2番の歌詞の世界」の間には50年もの時間的隔たりが隠されていたのです。
これはどういうことですか。
「2033年4月16日」が何曜日なのか、どうぞお調べください。
筒井康隆の原作から好き。
筒井康隆さんの原作に「浅倉吾朗」とあるのを大林宣彦監督は「堀川吾朗」に変えました。
壺井栄さんの原作に「一本松」とあるのを木下惠介監督は「醤油屋の煙突」に変えました。
「堀川醤油醸造所の煙突」が映画の中に映し込まれた理由がわかりますか。
@@水澤秀成 吾朗の実家として使った醤油屋が「堀川商店」だったので、大林監督がそのまま使おうということで台本も浅倉から堀川に変更。多分、時かけで「堀川吾朗」としているのは、本作だけだと思います。
何故か青春ジュブナイル映画がホラー映画に見える😅
映画館で見てました。今でも最高です。
原田知世さんが演じた芳山和子は、スキー教室帰りの列車の中でニセの深町一夫に「菜の花」を手渡した直後、堀川悟朗に何か「白い包み」を手渡しています。
何ですか、「白い包み」の中身は。
そして、次の場面で、知世さんは「西方寺普明閣の境内」をカメラに向かって走り寄ってきましたが、その背後になぜか「未開花の桜」が映し込まれています。
あれっ、「監督 大林宣彦」という白文字が「未開花の桜」と「石灯籠」を示すように動いていませんか。
なんですか、これらの映像は。
色んな女優さんが演じてきていますが、、、、やはり知世ちゃんが1番です!!!😊
青春時代のはかない学生時代の物語は胸が切なくなりますね
この時代で時が止まれば…。
やっぱ大林監督は、特撮でドラマを語ってこその監督さんって印象
いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ…。どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に…いつか…どこかで…。小説、時をかける少女より
2番の歌詞は、「1983年4月の世界線」ではありません。
映画「二十四の瞳」の中で、大石久子先生が日帰り修学旅行先の大衆食堂で偶然再会した「川本松江」の視線で描かれたものです。
大石久子先生の家は、小豆島の「醤油屋の煙突」のそばにありました。
親友と見に行った。雨が降っていた。私はおろしたての青いコンバースをはいていた。18歳だった。大学ば落ちていた。暗いバブル時の青春。でも映画は凄く、良かった。
角川映画がバリバリの時代ですね。漫画家のゆうきまさみ氏がめちゃめちゃ知世ちゃんにハマっていましたね。私達はコミケでガンダムのBL本買うのに夢中でした。女子高の修学旅行では皆でテレビで魔界転生の真田広之くんとジュリーのキスシーンを夢中で見てた。バブルバブル泣WWWてめー等、忘れたとは言わせねーぞ泣W
かわいい!
この頃の原田知世はホントにかわいかった😂
久しぶりに聞きましたが主題歌最高ですね
バブル時代から40年、理科室のフラスコやら何やらが、やたら今は美しく懐かしく見えるのだ。あの頃は
ただのつまらない現実だったのに。しかし今のこの心境はそれはそれでいいし、まだ先の変化があるのかど思っている。
壺井栄さんの「二十四の瞳」は、1961年に角川書店から発売されていました。
やるね、大林宣彦さん!!
DVD借りて5回ぐらい観た!
でもまた観たい\(^▽^)/
TH-camで今2週間限定で見られますよ
月曜ロードショーとザ・ロードショーで放送された作品
我が聖典......
最後のナレーション部分は小林清志さんか。
キラメキをメキメキに空目したw
2週間限定じゃなかった、おわってた😢
「ねー、寝てたほうがいいんじゃないの?」の場面で現れる洗濯物と物干し竿は、小津安二郎監督の映画「東京物語」のオマージュです。
エンドロールで列車の中で知世さんがクラスメートとともに歌を歌う場面は、映画「東京物語」と木下惠介監督の映画「二十四の瞳」の複合系オマージュです。
芳山和子がハンカチを吾朗に返しに行く途中で出会う少年二人組は、新藤兼人監督の映画「裸の島」のオマージュです。
ラベンダー花が違いますよね。
とり・みきからYMOまで沼に落とした一作
原田知世さん、土曜日の実験室へ。
映画「時をかける少女」のクランクアップは1983年4月4日だったそうです。
どうして「4月4日」だったのですか。
じつは、映画「二十四の瞳」は、昭和3年4月4日(水曜日)から始まる物語なのです。
そのちょうど90年後は2018年4月4日(水曜日)でしたが、その日は、知世さん50歳の記念コンサート(2017年11月28日)の様子が収録されたDVD・ブルーレイの発売日でした。
自分もトイレの芳香剤の香がラベンダーで、時を超えたことがあります(ありません)
0:09 何このサザエさんのタマの移動する音みたいな割れた音😂
異空間に入った瞬間を表現してるんですよね
@@sugarsugar5275 そうなんですか?
筒井先生に会いたいな泣W
昔の映画を見ると日本人の顔や体型が思いっきり変わったのがわかる。
ほんとそうですね!!40年で日本人は進化しましたね🤔
筒井先生の孝行娘です。
このピアノの曲はなんて曲かわかる方いらっしゃいましたら教えてください!!
尾道行ったなーー。おい
出演者全員台詞が棒読みなのが良いよね。😊
ラベンダーの香りを嗅ぐと…
深町君は西暦2660年の薬学博士。 切りの良い西暦2000年=皇紀2660年・・・ 引っ掛けてるのかな?
クロロホルムはいらないよ
でも名作。
予告編でかなりネタバレしてるw