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これだけは聴きたい。
「田園調布に家が建つ。」は正に彼らの代名詞ですね。
右の人革ジャンとスリムなパンツ似合っていてかっこいい。
こういう漫才を見ると、漫才は芸術の一つだと思わせるね
ヒロミの師匠とは想像つかないな(笑)
上手い面白〜い!!やっぱり、今の漫才と比較してしまいます!!
テンポのいい漫才は、やはり気持ちいいわ。まさに、名人芸だね。
リズム爽快で楽しい!面白い笑
東のセントルイス、西のやすしきよしと言う時代がありましたね。
当時の番外横綱にはビートたけしもベタ褒めしてた、Wヤングさんも
共に33歳でこの貫禄
「妥協・迎合・媚びへつらい」この手の三語連打、セントの専売特許だね。「首はあるけど、模様がない」
懐かしい!! 「キュウリ、ピーマン、那須別荘」が、もう一度見たいです。
「言葉は生きている。力道山は死んだ」と言うフレーズもありました。
この二人は本当に面白いです。きちんとしたしゃべくり漫才です。この二人を見たら今のはほとんど面白くないです。たけしはバラエティーに走ったけどこの二人は漫才に徹したのでNHKが好んだのでしょう。懐かしいのは解熱剤ですね。今は頓服だけど我々50代は解熱剤が親しみをわきます。
田園調布に家が立つ。
漫才ブームから距離を置いて活動したんだよね。ブームに乗る連中を「あんなのは漫才じゃない!」って。たけしがオールナイトニッポンで怒ってた。「どうしようと自由だけど、あいつら逃げたよな。おいら達の事、あんなのは漫才じゃないとか言っちゃいけないだろ。みんな長い間苦労して、貧乏暮らししてさ、やっと来たチャンスにしがみつくの当たり前なんだよ!」って。いずれにせよ、お二人とも早世されたのは残念ですね。
たけしの漫才は品がなかったし、人を笑い物にする笑いだった。他の例えばB&Bなんかも、ドタバタするだけでね。セントルイスがあんなのは漫才じゃないと言ったのはよくわかるね。
セントルイスってまさに頭を叩く場面は笑いながらバカヤローって言いたくなりますね。懐かしいなぁ。
Wけんじとセントルイスはピカイチだった。
同じ歳のコンビで、亡くなった歳も一緒でしたが、プライベートは、お互い、知らなかった。
この頃の漫才はおもしろかったな~。セントさん「田中邦衛の弟ですから」とかルイスさん「背の低いのは血が濃い。血っ濃い」とか「背の低いのはB型が多い。血B~ですから」と絶妙でした。
50年前懐かしか 漫才ブームの先駆者だものなあ
セントがツッコミだと思ってたけど、ボケツッコミだね。ルイスは、合いの手だね。
結局一番セントルイスが面白い🎉
時間は残酷だね昔の記憶では大爆笑してた、セントルイスは最高だったよ。
インターネットが無い時代に・・・凄げぇ!!色無。触無。おまえ無。本当のあなたとは?考えてみなさい・・と。本当の真言で話せ。と・・・お坊様なのでしょうか。。頭が良すぎて。。尊敬いたしますレベルで、御座います。。
********************************星の王子:星セントルイスが言ってた。星新一が言ってた。***************************************************たぶんね。浪漫の才能。の巻。。。。。。。。。。。。。。。。。。■おまぇ~漫才の「ざい。」って・・どう書く?・努力じゃ埋まらない。差は、「努力」じゃ埋まらないんだ!・そんなことしてたら・・世界おわっちゃうじゃんかよ!**(複数意味。)**・『ドスッ!!』・熱の病気だよ。。おまえ。。??ん。・あっごめん・・「脳みそ溶けてるじゃんか。。これ。。」・話しても・・通じなぇな。ごめん。。■漫画が70巻?なげぇ・・でしかねぇ。おぼえらんねぇ!・惰性で時を止めたいのであるな。これ・・
最高 世界一!
当時、田中邦衛さんと同じ人かと思ってました
たけしに漫才を教えた師匠セントルイス‼
セントが喧嘩を仕掛けてるみたいです。
呼吸がぴったりですが実は舞台を降りたらお互い顔を合わさないくらいコンビ仲が悪かったそうですねぇ
ルイスさんがすごくしゃべれるところが特徴ですね。ツービート以降は相方が簡潔につっこむのが主流のテンポになったと感じました。
セントルイス、漫才ブームとお笑いタレントブームにも背を向け意地を張り通し自分から不遇を選んだ悲運のコンビ。テレビ局の人間(横澤彪とか)ともう少し上手く折り合い付けていたら平成時代でもお笑い界の重鎮で居られたのに勿体ないね
田園調布に家が建つといいたくなる2人でしたがセントさんの亡くなりその後を追うようにルイスさんもこの世を去りました。by酒向正也
今ではアウトですが、当時「田園調布に家が建つ」以上に可笑しかったセント・ルイスらしい毒舌ギャグ(記憶に誤りはあるかもしれません)京浜東北線に美人は乗らない!美人が乗るのは・・・東横線に井の頭線京王線に小田急線ちょっと離れた田園都市線‼️女性には大変失礼なことながら、これはこの当時、東京に住んでいないとピンと来ないかもしれませんが、確かにこの時は京浜東北線の車両自体も野暮ったくて、ポリバケツ色の電車とも言われておりました😅
ビートたけしの笑いは人を笑い物にする笑い。B&Bの笑いはドタバタで単なる感覚的な笑い。セントルイスの笑いは芸術ですね。
セントさんとビートさんはバチバチしてたんだろうと。
たけしがセントルイスの悪口言うけど、ツービートより面白いね
インドから日本仕様の右ハンドルの大型トラックや日本仕様の右ハンドルの大型細長バスなどの山が日本にやって来ることは本当ですよ。
ツッコミのかたワンピの黄猿みたい😂
背の高い田中邦衛のセント
自分もテレビで初めて見た時田中邦衛さんが何で漫才してるんだろう?と思いました
自分は逆でセントルイスは俳優になったのか…と思ってました
セントの感性は抜きん出ていた。もっと活躍して欲しかった。長野県的かもね。既成の関東や関西の漫才ではなかった。
up 有難うございます
構成が爆笑問題に似ている
まずコンビの身長差のビジュアルがセントルイスを彷彿とさせるだけどネタ自体はツービートの毒ガス漫才の影響も強いのが爆笑問題両組のハイブリット型かな
漫才ブームの魁になったのはセントルイスセントルイスがいなければ今日の漫才スタイルも違ったものになっていただろう
漫才ブームからは距離置いてたやん。本当の礎となったのは、紳助とたけしの漫才スタイルに大きな影響を与えた、島田洋七やろ。
漫才ブームに乗った漫才師は所詮ドタバタだったり、笑いの質が低かったね。人を笑い物にする笑いで、聞き苦しく品がなかった。
ほうそうきねんび。。
某漫画のモデルは、セントさんだったのか🤔
田園調布に家が建つ
玉袋筋太郎みたいだね。
漫才ブームの火付けあと一年遅ければたけしになれたかも
セントとたけしは活舌が悪いのよ。
399,897
関西じゃ全然受けない(笑)いいカッコしいのこうゆうのは嫌うからね~田園調布がナンボのもんじゃいってヤジられて東京ヘ逃げ帰ったってたけしがラジオで言ってたね(笑)😂😂😂
まあ、滑舌は悪いな
これだけは聴きたい。
「田園調布に家が建つ。」は正に彼らの代名詞ですね。
右の人革ジャンとスリムなパンツ似合っていてかっこいい。
こういう漫才を見ると、漫才は芸術の一つだと思わせるね
ヒロミの師匠とは想像つかないな(笑)
上手い面白〜い!!やっぱり、今の漫才と比較してしまいます!!
テンポのいい漫才は、やはり気持ちいいわ。まさに、名人芸だね。
リズム爽快で楽しい!面白い笑
東のセントルイス、西のやすしきよしと言う時代がありましたね。
当時の番外横綱にはビートたけしもベタ褒めしてた、Wヤングさんも
共に33歳で
この貫禄
「妥協・迎合・媚びへつらい」この手の三語連打、セントの専売特許だね。「首はあるけど、模様がない」
懐かしい!! 「キュウリ、ピーマン、那須別荘」が、もう一度見たいです。
「言葉は生きている。力道山は死んだ」と言うフレーズもありました。
この二人は本当に面白いです。きちんとしたしゃべくり漫才です。この二人を見たら今のはほとんど面白くないです。たけしはバラエティーに走ったけどこの二人は漫才に徹したのでNHKが好んだのでしょう。懐かしいのは解熱剤ですね。今は頓服だけど我々50代は解熱剤が親しみをわきます。
田園調布に家が立つ。
漫才ブームから距離を置いて活動したんだよね。ブームに乗る連中を「あんなのは漫才じゃない!」って。たけしがオールナイトニッポンで怒ってた。「どうしようと自由だけど、あいつら逃げたよな。おいら達の事、あんなのは漫才じゃないとか言っちゃいけないだろ。みんな長い間苦労して、貧乏暮らししてさ、やっと来たチャンスにしがみつくの当たり前なんだよ!」って。いずれにせよ、お二人とも早世されたのは残念ですね。
たけしの漫才は品がなかったし、人を笑い物にする笑いだった。他の例えばB&Bなんかも、ドタバタするだけでね。セントルイスがあんなのは漫才じゃないと言ったのはよくわかるね。
セントルイスってまさに頭を叩く場面は笑いながらバカヤローって言いたくなりますね。懐かしいなぁ。
Wけんじとセントルイスはピカイチだった。
同じ歳のコンビで、亡くなった歳も一緒でしたが、プライベートは、お互い、知らなかった。
この頃の漫才はおもしろかったな~。セントさん「田中邦衛の弟ですから」とかルイスさん「背の低いのは血が濃い。血っ濃い」とか「背の低いのはB型が多い。血B~ですから」と絶妙でした。
50年前懐かしか 漫才ブームの先駆者だものなあ
セントがツッコミだと思ってたけど、ボケツッコミだね。ルイスは、合いの手だね。
結局一番セントルイスが面白い🎉
時間は残酷だね昔の記憶では大爆笑してた、セントルイスは最高だったよ。
インターネットが無い時代に・・・凄げぇ!!色無。触無。おまえ無。本当のあなたとは?考えてみなさい・・と。
本当の真言で話せ。と・・・お坊様なのでしょうか。。頭が良すぎて。。尊敬いたしますレベルで、御座います。。
********************************
星の王子:
星セントルイスが言ってた。星新一が言ってた。
***************************************************
たぶんね。
浪漫の才能。の巻。。。。。。。。。。。。。。。。。。
■おまぇ~漫才の「ざい。」って・・どう書く?
・努力じゃ埋まらない。差は、「努力」じゃ埋まらないんだ!
・そんなことしてたら・・世界おわっちゃうじゃんかよ!**(複数意味。)**
・『ドスッ!!』
・熱の病気だよ。。おまえ。。??ん。
・あっごめん・・「脳みそ溶けてるじゃんか。。これ。。」
・話しても・・通じなぇな。ごめん。。
■漫画が70巻?なげぇ・・でしかねぇ。おぼえらんねぇ!
・惰性で時を止めたいのであるな。これ・・
最高 世界一!
当時、田中邦衛さんと同じ人かと思ってました
たけしに漫才を教えた師匠セントルイス‼
セントが喧嘩を仕掛けてるみたいです。
呼吸がぴったりですが
実は舞台を降りたらお互い顔を合わさないくらい
コンビ仲が悪かったそうですねぇ
ルイスさんがすごくしゃべれるところが特徴ですね。ツービート以降は相方が簡潔につっこむのが主流のテンポになったと感じました。
セントルイス、漫才ブームとお笑いタレントブームにも背を向け意地を張り通し自分から不遇を選んだ悲運のコンビ。テレビ局の人間(横澤彪とか)ともう少し上手く折り合い付けていたら平成時代でもお笑い界の重鎮で居られたのに勿体ないね
田園調布に家が建つといいたくなる2人でしたがセントさんの亡くなりその後を追うようにルイスさんもこの世を去りました。by酒向正也
今ではアウトですが、当時「田園調布に家が建つ」以上に可笑しかったセント・ルイスらしい毒舌ギャグ
(記憶に誤りはあるかもしれません)
京浜東北線に美人は乗らない!
美人が乗るのは・・・
東横線に井の頭線
京王線に小田急線
ちょっと離れた田園都市線‼️
女性には大変失礼なことながら、これはこの当時、東京に住んでいないとピンと来ないかもしれませんが、確かにこの時は京浜東北線の車両自体も野暮ったくて、ポリバケツ色の電車とも言われておりました😅
ビートたけしの笑いは人を笑い物にする笑い。B&Bの笑いはドタバタで単なる感覚的な笑い。セントルイスの笑いは芸術ですね。
セントさんとビートさんはバチバチしてたんだろうと。
たけしがセントルイスの悪口言うけど、ツービートより面白いね
インドから日本仕様の右ハンドルの大型トラックや日本仕様の右ハンドルの大型細長バスなどの山が日本にやって来ることは本当ですよ。
ツッコミのかたワンピの黄猿みたい😂
背の高い田中邦衛のセント
自分もテレビで初めて見た時
田中邦衛さんが何で漫才してるんだろう?と思いました
自分は逆でセントルイスは俳優になったのか…と思ってました
セントの感性は抜きん出ていた。もっと活躍して欲しかった。長野県的かもね。既成の関東や関西の漫才ではなかった。
up 有難うございます
構成が爆笑問題に似ている
まずコンビの身長差のビジュアルがセントルイスを彷彿とさせる
だけどネタ自体はツービートの毒ガス漫才の影響も強いのが爆笑問題
両組のハイブリット型かな
漫才ブームの魁になったのはセントルイス
セントルイスがいなければ今日の漫才スタイルも違ったものになっていただろう
漫才ブームからは距離置いてたやん。
本当の礎となったのは、
紳助とたけしの漫才スタイルに大きな影響を与えた、島田洋七やろ。
漫才ブームに乗った漫才師は所詮ドタバタだったり、笑いの質が低かったね。人を笑い物にする笑いで、聞き苦しく品がなかった。
ほうそうきねんび。。
某漫画のモデルは、セントさんだったのか🤔
田園調布に家が建つ
玉袋筋太郎みたいだね。
漫才ブームの火付けあと一年遅ければたけしになれたかも
セントとたけしは活舌が悪いのよ。
399,897
関西じゃ全然受けない(笑)いいカッコしいのこうゆうのは嫌うからね~田園調布がナンボのもんじゃいってヤジられて東京ヘ逃げ帰ったってたけしがラジオで言ってたね(笑)😂😂😂
まあ、滑舌は悪いな