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Wow, thank you for the footage! After years of being a fan of Akutagawa's music its great to see him conducting.
プロコフィエフに確か、影響を受けていました。プロコフィエフの5番の交響曲のかげが見え隠れします。
WONDERFUL ENERGY, RHYTHMS AND MELODIC FLOW. ECHOES OF PROKOFIEV IN PLACES.
i hope this channel stays active. i just found it and am so excited to explore more works by these japanese composers.
I really like this piece. Where did the baton go at the end?
芥川也寸志の交響曲一番は本人が気負い過ぎたのか結果としてショスタコーヴィッチやプロコフィエフのレプリカになってしまったのが残念に感じる。それでもこの人の音楽センスはなかなかだと思っていて、特に若い頃の作品には日本人と言うよりは江戸っ子の粋みたいなのが見え隠れしているのが面白い。彼が亡くなった直後に新響の特に低音系の演奏者と飲める機会があり、そこで生前の自作に関する演奏の話を教えていただいたがとても勉強になった。言われてみるとなるほど新響の自演ではそれをしているのが分かるし、確かに他の指揮者や演奏者でそれは怖くてやらんなあとも思います。若き日にクラシック音楽に興味を示した際に周りに詳しい人がおらず独学で聞き進めた中でN響アワーと百万人の音楽はバイブルであり両方に出ていた氏は心の師匠でした。彼の解説を聞いていなかったら今前衛音楽を聴いたりする事は無かったように思います。89年に亡くなられて今年で35年、今でも彼から学んだ事が生きる糧になっていると信じて生きています。
芥川也寸志は新響で自作自演の音源を多く残してるけど、やたら自作をアッサリと指揮するんですよね自作自演というと作曲者自信の解釈が顕れるということで、其れ即ち名演という風になるところですが、芥川の場合は自作自演より他の指揮者が振る演奏の方が好みな事が多いと個人的には感じます
コメントありがとうございます。私も同感です。しかし、そもそも新響で自作の演奏会を行ったのも、当時新響と芥川のコンビが、邦人プロの演奏会を盛んに行っていたという文脈があり、芥川本人は乗り気ではなかったけれど、周りの声に推されて、芥川が遂に折れた、という経緯があります。同放送内の談話でも語っていますが(概要欄に聞き書きしています)、芥川は初期作品を演奏することについて「恥ずかしい」と言っています。後年新たな美意識に至った作曲者からすれば、乗り越えたはずの過去の若書きの作品を演奏することに積極的でなかったのはもっともでしょう。ただし勿論、作曲者本人による主要作品の録音群は、芥川の音楽を語る上での至宝たることには変わりありません。
プロコフィエフ
Wow, thank you for the footage! After years of being a fan of Akutagawa's music its great to see him conducting.
プロコフィエフに確か、影響を受けていました。プロコフィエフの5番の交響曲のかげが見え隠れします。
WONDERFUL ENERGY, RHYTHMS AND MELODIC FLOW. ECHOES OF PROKOFIEV IN PLACES.
i hope this channel stays active. i just found it and am so excited to explore more works by these japanese composers.
I really like this piece. Where did the baton go at the end?
芥川也寸志の交響曲一番は本人が気負い過ぎたのか結果としてショスタコーヴィッチやプロコフィエフのレプリカになってしまったのが残念に感じる。
それでもこの人の音楽センスはなかなかだと思っていて、特に若い頃の作品には日本人と言うよりは江戸っ子の粋みたいなのが見え隠れしているのが面白い。
彼が亡くなった直後に新響の特に低音系の演奏者と飲める機会があり、そこで生前の自作に関する演奏の話を教えていただいたがとても勉強になった。
言われてみるとなるほど新響の自演ではそれをしているのが分かるし、確かに他の指揮者や演奏者でそれは怖くてやらんなあとも思います。
若き日にクラシック音楽に興味を示した際に周りに詳しい人がおらず独学で聞き進めた中でN響アワーと百万人の音楽はバイブルであり両方に出ていた氏は心の師匠でした。
彼の解説を聞いていなかったら今前衛音楽を聴いたりする事は無かったように思います。
89年に亡くなられて今年で35年、今でも彼から学んだ事が生きる糧になっていると信じて生きています。
芥川也寸志は新響で自作自演の音源を多く残してるけど、やたら自作をアッサリと指揮するんですよね
自作自演というと作曲者自信の解釈が顕れるということで、其れ即ち名演という風になるところですが、芥川の場合は自作自演より他の指揮者が振る演奏の方が好みな事が多いと個人的には感じます
コメントありがとうございます。私も同感です。
しかし、そもそも新響で自作の演奏会を行ったのも、当時新響と芥川のコンビが、邦人プロの演奏会を盛んに行っていたという文脈があり、芥川本人は乗り気ではなかったけれど、周りの声に推されて、芥川が遂に折れた、という経緯があります。
同放送内の談話でも語っていますが(概要欄に聞き書きしています)、芥川は初期作品を演奏することについて「恥ずかしい」と言っています。後年新たな美意識に至った作曲者からすれば、乗り越えたはずの過去の若書きの作品を演奏することに積極的でなかったのはもっともでしょう。
ただし勿論、作曲者本人による主要作品の録音群は、芥川の音楽を語る上での至宝たることには変わりありません。
プロコフィエフ