教育勅語を覚えよう|名句の暗唱は知性を育てます【原本を見ながら暗記できる改訂版】教育勅語の読み方

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  • เผยแพร่เมื่อ 1 พ.ย. 2024
  • 教育勅語は耳で覚えませう。それから奉唱してみませう。畏き明治天皇の詔(ミコトノリ)。
    【教育勅語の読み方】
    教育勅語はまづ、聴いてその発声の調子を覚えて、それからそれを真似て音読して覚えます。だからこの動画では殊に声調を工夫して収録いたしましたので聴いてみて下さい。亦この動画では教育勅語の原本を示して音読いたします。
    教育勅語の原文とは、まさに明治二十三年十月三十日に親翰された教育勅語の原典でございます。これを児童が素読できるやうに工夫して作った動画です。
     
    ある歌を聴いて好きになると、私たちは強いて暗記せずとも、自然と口遊むやうになります。教育勅語のやうな文語体のフミは、歌と同じ様に覚えることができます。また歌は唄ってゐるうちに歌詞の意味がわかってくることがあります。素読もこれと同じことです。素読とは文章を音読することですが、殊にそこに書いてあることが読解できなくても、これを専ら音読してみることです。これは古来わが国で、師範が児童に指導してきた伝統的な手習ひの指導方法でした。先人の学力とその成果と、今日の私たちのそれとを比較すれば、伝統的な指導方法が如何に優れてゐたかがわかります。
     教育勅語が戦前のやうに小学校で教へられる、およそ今はその見通しはないのですが、さほどそれは心配には及びません。いったい日本人の学問は私学から興ったのでした。かつて先達は公教育に頼って学問を大成させたことなぞありません。現に今日の公教育にしても御維新の後に新政府の指導で、私学の寺子屋や手習所を小学校尋常科として統廃合したのがはじまりでした。その御維新を成就させたのもまた私学によるところが大きい。幕末の志士たちは今日のやうな連絡手段がない時代にも関はらず、全国各地で同期して討幕運動をいたしました。この同期が奏功して大政奉還は成功いたしましたが、いづこも彼らの在所では国学が盛んでした。だから彼らは各々仕へる殿様は違っても、目的を共有して奮闘努力することができたのでした。それを知らぬからか、あるいはこの国学の力を塗抹するためか知らん、これを一概に「彼らは外国に操られてゐたからだ」といふ荒誕の説を吹聴する輩が頃日ふえてゐます。実際それたけ見事に同期してゐたといふことです。
     教育勅語や古事記が大切だとわかったなら、私たちも各々の持ち場でこれを習ひ、児童に教へたらよいのです。一度できたことは何度でも出来るものでございます。
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    印刷しますと素読する際より勝手がよいので、下に教育勅語を書き起こしておきました。
    読み仮名の仮名遣ひも「知性を刺激する」といふ点ではとても大切ですので、もちろん本仮名遣ひで記載してあります。*
    教育ニ關スル勅語
    ケウイク ニ クワンスル チヨクゴ
    朕惟フニ我力皇祖皇宗
    チン オモフ ニ ワガ クワウソ クワウソウ
    國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
    クニ ヲ ハジムルコト クワウヱン ニ トク ヲ タツルコト シンコウ ナリ
    我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ
    ワガ シンミン ヨク チユウ ニ ヨク カウ ニ
    億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ
    オクテウ コヽロ ヲ イツニシテ ヨヽ ソノ ビ ヲ ナセル ハ
    此レ我力國體ノ精華ニシテ
    コレ ワガ コクタイ ノ セイクワ ニシテ
    教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
    ケウイク ノ エンゲン マタ ジツニ コヽニ ソンス
    爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ
    ナンヂ シンミン フボ ニ カウ ニ ケイテイ ニ イウ ニ
    夫婦相和シ朋友相信シ
    フウフ アヒワシ ホウイウ アヒ シンジ
    恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ
    キヨウケン オノレ ヲ ヂシ ハクアイ シユウ ニ オヨボシ
    学ヲ修メ業ヲ習ヒ
    ガク ヲ ヲサメ ゲフ ヲ ナラヒ
    以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ
    モテ チノウ ヲ ケイハツシ トクキ ヲ ジヤウジユシ
    進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
    スヽンデ コウエキ ヲ ヒロメ セイム ヲ ヒラキ
    常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
    ツネ ニ コクケン ヲ オモンジ コクハフ ニ シタガヒ
    一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
    イツタン クワンキフ アレバ ギユウ コウニ ホウジ
    以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
    モテ テンジヤウ ムキユウ ノ クワウウン ヲ フヨク スベシ
    是ノ如キハ獨リ朕力忠良ノ臣民タルノミナラス
    カク ノ ゴトキ ハ ヒトリ チン ガ チユウリヤウ ノ シンミン タルノミ ナラズ
    又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
    マタ モテ ナンヂ ソセンノ ヰフウ ヲ ケンシヤウ スル ニ タラン
    斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
    コノ ミチ ハ ジツニ ワガ クワウソ クワウソウ ノ ヰクン ニシテ
    子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
    シソン シンミン ノ トモニ ソンシユ スベキ トコロ
    之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
    コレ ヲ コキン ニ ツウジテ アヤマラズ
    之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
    コレ ヲ チユウグワイ ニ ホドコシテ モトラズ
    朕爾臣民ト倶ニ
    チン ナンヂ シンミント トモ ニ
    拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
    ケンケン フクヨウシテ ミナ ソノ トク ヲ イツ ニ センコト ヲ コヒ ネガフ
    明治二十三年十月三十日 御名御璽
    メイヂ 二十三ネン 十グワツ 三十ニチ
    御名御璽
    ギヨメイ ギヨジ
    今日「歴史的仮名遣い」と私たちが称してゐるこの本仮名遣ひは、国語の原点と繋がってゐます。だから仮名遣ひ次第で、ものの質感がずいぶん違ってきます。たとへば水は「現代仮名遣い」ではミズですが、本来はミヅと仮名遣ひします。どちらがより水々しく感じられるか。これはその違ひが「よくわかる」と言ふ人と「あまりよくわからない」と言ふ人とに分かれるやうです。ではミミズといふ生き物の名称とこれを比較してみますと、かゝるミズとミヅの語感は誰にとっても違って感じられるでせう。雨の日に地中から這ひ出てまいりますあの高名な生き物を、東京ではミミズと呼びますが、私たちの国語が発祥した西日本ではメメズと呼ぶ地方が多いやうです。この名称の由来は、あれは「目見えず」だからメメズと言ふのだとよくわかる例ですが、だからヅではなくズと仮名遣ひするのだといふ故由もまたこれはよくわかります。この語尾の「ズ」は用言のはたらきなのだといふことを、国語の文法の理屈を無理に覚へずとも、これは仮名遣ひが暗に教へてくれる例でもあります。すると子供に水をミズと訓ませるのは、やはり大分おかしいやうです。こゝでは語感を話題にしてゐますが、情操教育といふ観点以前に、そもそも間違ひを、今の大人は子供に教へてゐるのです。
     いま公教育で「国語」として児童に教授し、結果的に「国語」になってなってゐる「現代仮名遣い」は、私たちの国が占領中だった昭和21年に「現代語をかなで書きで表す場合の準則」として国が定め、多くの不賛成の声が黙殺されて今日に至ってゐます。現に政府機関である神社本庁までもが、この上意下達に抗ひまして、その機関紙の神社新報(jinja.co.jp)は今でも本来の仮名遣ひで発行されてゐます。なぜ先達がこの上意下達に不賛成だったかと申せば、何よりも国民とその祖(おや)たちの歴史のあひだに断絶が生じるからでした。この「断絶」とは何か。上記のことから察することができるのは「表現の機微が世代間で通じなくなる」ことですが、これは実はそれだけでは済みませぬ。やはり占領中に漢字もまた、本字から現在の異形の常用漢字へと改められました。たとへば學の字は学と、戀の字は恋と改められた。かうして仮名も漢字も文字を変へてしまふのですから、占領以前に書かれた文章が、新カナ新字で国語を習った戦後世代には読みづらくなる。現在の為政者の都合で人為的に国語を変へれば、国民が昔のひとが書いたものを読めなくなる、これは当然さうなります。換言すれば「国民が歴史上のすべての書物を原文では容易に読解できなくなる」のです(原文でないといふことは、必ず編者の意図で何らかの改変をされてゐるといふことでございます)。かうして昔のひとが書いたものを、己の手にとって読めなくなったとき、国語といふのは蓄積された英知であり、私たちがすっかりそれを失ったことが判るでせう。鉄血宰相ビスマルクの格言を引くまでもなく、ひとりの人間が己の短い一生から得た経験の知見よりも、祖先から受け継いだ長い歴史が蓄積した叡智の方が優れてゐるに決まってゐます。これは私見ですが、この上意下達が占領中のことだったことから、かゝる蓄積された英知から国民を「断絶」させる所謂「愚民化政策」がその意図であったと小欄は考へてゐます。母国語といふのは文科省などの役所が「今日からこれが国語だ」と上意下達して、国民がそれを国語として受け入れるものではない筈です。亦さやうなエスペラントのやうな人工的な国語は古今東西存在しません。やはり国語は祖(おや)から子へと代々継承されるのが自然であり本統なのです。教育勅語もまた、まづその語感から児童は意(こゝろ)を感じとり、彼らの人生経験のなかでこれを咀嚼し、さうして理屈でなく血肉になってゆく、国語の名句です。
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    #教育勅語
    #明治天皇

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