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旧型普通列車ホント良く乗りました。生瀬~武田尾間は武庫川沿いに走るため眺め良かったですね洗面所から出る水がいつも茶色ぽく濁ってたのが忘れられないです。客席テ―ブル下の暖房装置や手動ボタン式扇風機車内チャイムはブルートレインと同じハイケンスのセレナーデ今も大井川鉄道の客車として現役で走ってるのがうれしい
懐かしい 旧客の時は 大阪~尼崎・伊丹・宝塚・武田尾・三田 の間で良く乗りました‼️ 楽しかったです😂良い思い出‼️
懐かしい映像ありがとうございます。私も1982年春、武田尾での旧型客車の撮影に訪れました。当時首都圏で旧型客車を見る機会はほぼありませんでしたので、大阪駅や京都駅といった都会のターミナル駅で旧型客車が見られることも大きな魅力でした。旧型客車の魅力はいろいろありますが、私が一番だと思うのは台車の軸距(ホイールベース)が長いことです。近年の車両が2100㎜に対して旧型客は2450㎜。この差がジョイント音に表れるのです。今の車両は走行時、タタン、タタンと聞こえますが、旧型客車では同じスピードでも、タッタン、タッタンとワンクッション遅れるというか、ゆっくり目にジョイントを刻むので、どことなくゆったりした感じがするのです。
その旧福知山線の廃線路を息子と一緒に歩いてきました。休日になるとハイカーが多くピクニック気分で歩けます。(ちなみに廃線路はJR西日本の資産であるため本来は立ち入りが禁止されているようですが、たくさんのハイカーが歩いています)トンネル内は非常に涼しく(但し真っ暗なので懐中電灯は必需品です)夏は避暑地にいるような感覚です。枕木も残っていますでの当時の事を思い出しながら歩けますよ。このような映像が残っている事に感謝致します。
懐かしいなあ・・・中学生のころ(30年ほど前ですね)香住から大阪まで福知山線にのって一人旅したことを思い出します。たしか福知山からでも3時間くらいかかったような・・・あんな客車に、また乗ってみたいですが、それも叶わぬ夢になりましたね。
昭和30年代にDF50牽引の急行三瓶に乗り、窓から進行方向の先に見える車列を思い出しました。懐かしい景色ですね、素敵です。
懐かしくて、嬉しい映像ですね~。貴重なビデオ動画は確実に当時の思い出を甦らせていただきます。ありがとうございます。1:01辺りのデッキから身を乗り出して、カーブで編成写真を撮る緊張感、爽快感がリアルに懐かしいです。60年3月14日ダイヤ改正で荷扱いが無くなり、京都発出雲市行き等の長大編成、10系寝台付き長距離旧客も無くなり悲しかったですよ~。
1:01 😉後半は福知山線関係なくね?😜
1986年にまだ大阪米子を結ぶ長距離普通列車が走っていたのですね。約10時間。。。今の鉄道事情から考えるとあり得ないですが、80年代後半でもこのような列車が走っていた。しかも旧型客車。奇跡ですね。以前は急行「だいせん」とは別に大阪~米子間で寝台列車連結の普通列車が走っていたそうですね。普通列車と寝台列車の組み合わせというのも、今考えると凄い事です。
厳密に言うと米子どころか出雲市です‼️大阪→出雲市は昼行、京都~出雲市は夜行普通「山陰」です(こちらは85年3月廃止)。
実家が宝塚 道場や篠山が飯ごう炊飯のお決まりの場所 大阪に出るのは福知山線はどこだかの駅でむちゃくちゃ停車するので 皆さん阪急でした 65才の思い出 ありがとうございました。
とてもいい動画ですね(⸝⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)いま、ハイキングコースになっていて歩いている場所が現役の頃はどんなだったのか動画で見れてとても有難いです
走りだしても扉も貫通扉も開いたまま走る旧客を懐かしく拝見しました。この映像ではDD51の牽引でしょうか?古くはDF50やDD54も牽引していたように記憶しています。父が国鉄の機関士だったこともあり、あれこれ聞かされているうち、無意識にはまっていったと思います。 他の皆さまも仰っておられるように、現在はいかに早く目的地へ到達するかにのみ使命があるような勘違いをされているようで残念です。ゆっくりと、でも心地よい25メートルレールのジョイント音を子守唄に暖房の効いた旧客各駅列車の旅は今となってはめぐり合うことが不可能な贅沢な夢となってしまいましたね。少なかったといっても、それに乗車できた時代に産まれて幸せでした。 貴重な映像をありがとうございます。
@gamera63当時の福知山、山陰線の旧客長距離鈍行は列車名がなくてもそれなりに堂々たる風格がありました。 たとえ下車駅が近場であろうと大阪駅でワクワクしながら列車の入線を待ったものです。 現在ではその当時のように乗る前から胸が高鳴る列車が存在しないのが残念な気持ちです。この列車を牽引するのはgamera63さんのおっしゃる通りDD51です。DF50もDD54も福知山線には存在してました。DF50はこの動画を撮影した1983年に日本全国からその姿が消えたそうです。少ない乗車とは言え、それは貴重な体験であり一生忘れられない心の財産だと思います。コメントありがとうございました。 (多忙のため返事が遅くなり失礼しました。)
いえ、こちらこそmasagaki036 さんの動画には大変感動しながら拝見しております。ありがとうございます。旧客のビデオ随分お持ちのようですね?数の多さで・・・脱帽します。
@scoopedogscoopedogさん、こちらこそコメントいただきありがとうございます。長距離鈍行に乗ると、大きな荷物を背負った行商人。停車中に買ってきた駅弁をほうばる人。車窓を眺めながらタバコを吸う人。長時間の腰かけに耐え切れず座席で横になる人。夏場の夜、蛍光灯のまわりを飛び交う虫たち。冬場の暖房機器の膨張音・・・など々、旧客独特のさまざまなシーンを見たり聞いたりすることが出来ましたね。またこんな列車に乗ってみたいものです。ちなみに、当時の時刻表で調べたら寝台車連結の鈍行は「山陰」という列車名が付いてました。日中にかけては早朝京都を出発して16時間かけて浜田まで走破する列車もありました。
時間との勝負が過熱しすぎたために5年前の大惨事が起きました。便利、快適、速いは危険との隣り合わせなんですね。
今にして思えばよくぞドアを開けっ放しで平気で走っていたものですが、当時は当たり前だったせいか特に不思議にも思いませんでしたね(^^);ただ、最後尾はせめて鎖付けて欲しい!とは感じていました(オハフ61・スハフ42・オハフ45などの原型車の後位車掌室側には扉がありましたがそちら側が編成端になるとは限らず、トイレ側は鎖すらないのがデフォルトでした。両端デッキの緩急車でも鎖のあるのは車掌室側のみが殆どでしたね)。しかしこれら在来一般型客車は今時の車輛に比べ乗り心地が良く長時間乗車にも案外耐えられました(当時は若かったせいかも知れません)。叶うことならこういう列車に乗って景色の良い区間をのんびり揺られてみたいものですが…見果てぬ夢になりそうですね。あの時代をリアル体験した私も白髪の誤魔化せないトシになりました(^^);
こういう路線は梅雨の雨の景色がいいと思う。
@mihashimichiyafanおっしゃる通り私も観光用やリバイバルの旧型客車に乗りましたが懐かしさを感じても当時の感動は蘇りません。それは mihashimichiyafan さんも私も子供の頃に乗った福知山線を「古き良き時代」にしてしまったからじゃないんでしょうか?あの感動は福知山線でないとおそらく蘇らないと思います。思い出のコメントありがとうございました。
毎度です~。動画の最初の辺りでよく写真を撮っていましたよ。このDD51+旧型客車でスリーナインごっこと称して発車して動き出した列車に追いかけて飛び乗る遊びをしていました。今考えてみるとかなり危険ですが・・・。五体満足で成人できてヨカッタ。
そうですね。この当時の普通列車は流れる景色をゆっくり楽しめましたね!思い出のコメントありがとうございました。
廃線跡は現在、ハイキングコースの名所となってますね。色あせた古いビデオですがコメントありがとうございました。
楽しいそうけど、乗りたい!
@mm7n4get私はその廃線跡には行ったことがありませんが、大変人気のあるハイキングコースだそうですね。立ち入り禁止の立て札は、事故を起こしても当社は責任を持ちませんの警告を促すだけで自由に出入り出来ると聞きました。ハイカーの不注意で事故が起き、フェンスを張るなどして本当に立ち入り禁止になっては困ります。 そこだけはハイカーの皆さんに注意していただきたいと思います。私も機会があれば新緑か紅葉の季節に行ってみたいです。コメントと評価ありがとうございました。
@nimo5詳しくはよくわかりませんがおそらくオハフ33だと思います。1:52までが米子行き723レ。それ以降は鳥取行き725レです。723レはわかりませんが725レの最後尾の前の車両はスハフ33-299です。撮影は1983年2月頃。これを参考に調べてみてください。
鎖の有無までご存知とは驚きました。思い入れのコメントありがとうございます。旧客はまだ現存してますが扉を開放しながらの走行は、まず有り得ないことでしょう。旧客が日常的に走ってたあの頃、大都市圏の通勤ラッシュの時間帯はデッキまで立ち席で、落っこちないのか?と見てるこちら側がハラハラしてました。見果てぬ夢・・・そうですね!叶うなら私は長距離鈍行を始発から終着まで乗りつぶしたいです!窓を全開にして潮風や森林の香りを楽しんでみたり、茶葉入りのお茶(ビールでもいいや・・・)飲みながら駅弁食べてみたり、ワンボックス独り占めでくの字で横になってみたり、時計やデジタル機器などは一切持たず時間を忘れて郷愁の世界にどっぷり浸かってみたいものです。旧客の古き良き時代を愛する者にとってはカシオペアやななつ星に乗ることよりも最上の至福でしょうね?私も近頃、白髪を隠すため鏡とにらめっこばかりしてます(冷汗タラタラ;)
Birydorako様 コメントありがとうございます。そうですね。鉄道で大都市からそう遠くない場所に、こんな秘境ムードが満喫できるところはなかなかないと思います。複線化によりスピードアップとトンネルの多さで景色が楽しめないのが残念です。
One train from Osaka to Yonago! びっくり!
そうですね!大阪駅の大阪環状線のホームからよく眺めてました。旧型客車も出雲市、米子行きなど今では考えられない長距離普通列車が走ってましたね?発車ベルの音が懐かしく思います。コメントありがとうございました。
どうもです。お待たせしました。スリーナインごっこ?(笑)旧型客車でしかできない(危険な)遊びですね。私はその逆で到着寸前の列車からホームに飛び降りる遊びをしたことがあります。宝塚駅で時速30キロくらいならどうなるか?試してみたら見事こけてしまいました。その後、駅員に油絞られたことは今でも忘れられない記憶です(笑)
ワイドも降りる際に少々早かった?らしくコケた事があります…
It was the long trip for 10 hours and 21 minutes >.<
この列車の最後尾はオハフ33でしたでしょうか??
安全第一確かに世間から総スカンを喰らうでしょうね。ですがマニアや往年旧客時代を知る世代の方は是非とも運行してもらいたい、乗ってみたい気持ちがあると思います。
東浜駅は兵庫県内にあるとばかり思ってましたが、よく調べると鳥取県にありました(汗)この当時も複線電化の高速化工事は着々と進んでました。高速=旧客鈍行なんて全く似合いません。鈍行は鈍行、のんびりゆっくり走るのが一番相応しいですね。
でも東北本線では意外と?スピード出してました‼️
当時の時刻表で調べたら3時間切るのもあれば、4時間近くかかる列車もありました。今の普通列車と比べたらいかにのんびり走ってたのがわかりますよね?これだけゆっくり走っても全くイライラすることがないのが旧客の魅力かもしれません。コメントありがとうございました。(返信遅くなり失礼)
1980年10月改正対応の時刻表によりますと、敦賀16時31分発~綾部19時52分着・20時10分発~京都22時14分着という188.5㎞を5時間43分もかけて走る「鉄人旧客」こと922列車も実際に走っていましたよ(福知山8時35分発~敦賀12時17分着935列車の次の運用です)。
武田尾の旧線区間でしょうか?
んだ😉
デッキの開放感。安全に喧しい今の鉄道各社では考えられない場面。今の時代で旧型客車をこのような形で運行したら、総スカンでしょうね。
列車がよく停まってからお降りください!
旧型普通列車ホント良く乗りました。
生瀬~武田尾間は
武庫川沿いに走るため
眺め良かったですね
洗面所から出る水が
いつも茶色ぽく
濁ってたのが忘れられないです。
客席テ―ブル下の
暖房装置や
手動ボタン式扇風機
車内チャイムは
ブルートレインと同じ
ハイケンスのセレナーデ
今も大井川鉄道の客車として現役で走ってるのが
うれしい
懐かしい 旧客の時は 大阪~尼崎・伊丹・宝塚・武田尾・三田 の間で良く乗りました‼️ 楽しかったです😂良い思い出‼️
懐かしい映像ありがとうございます。私も1982年春、武田尾での旧型客車の撮影に訪れました。当時首都圏で旧型客車を見る機会はほぼありませんでしたので、大阪駅や京都駅といった都会のターミナル駅で旧型客車が見られることも大きな魅力でした。旧型客車の魅力はいろいろありますが、私が一番だと思うのは台車の軸距(ホイールベース)が長いことです。近年の車両が2100㎜に対して旧型客は2450㎜。この差がジョイント音に表れるのです。今の車両は走行時、タタン、タタンと聞こえますが、旧型客車では同じスピードでも、タッタン、タッタンとワンクッション遅れるというか、ゆっくり目にジョイントを刻むので、どことなくゆったりした感じがするのです。
その旧福知山線の廃線路を息子と一緒に歩いてきました。休日になるとハイカーが多くピクニック気分で歩けます。(ちなみに廃線路はJR西日本の資産であるため本来は立ち入りが禁止されているようですが、たくさんのハイカーが歩いています)トンネル内は非常に涼しく(但し真っ暗なので懐中電灯は必需品です)夏は避暑地にいるような感覚です。枕木も残っていますでの当時の事を思い出しながら歩けますよ。このような映像が残っている事に感謝致します。
懐かしいなあ・・・
中学生のころ(30年ほど前ですね)香住から大阪まで福知山線にのって一人旅したことを思い出します。たしか福知山からでも3時間くらいかかったような・・・
あんな客車に、また乗ってみたいですが、それも叶わぬ夢になりましたね。
昭和30年代にDF50牽引の急行三瓶に乗り、窓から進行方向の先に見える車列を思い出しました。
懐かしい景色ですね、素敵です。
懐かしくて、嬉しい映像ですね~。貴重なビデオ動画は確実に当時の思い出を甦らせていただきます。ありがとうございます。1:01辺りのデッキから身を乗り出して、カーブで編成写真を撮る緊張感、爽快感がリアルに懐かしいです。60年3月14日ダイヤ改正で荷扱いが無くなり、京都発出雲市行き等の長大編成、10系寝台付き長距離旧客も無くなり悲しかったですよ~。
1:01 😉
後半は福知山線関係なくね?😜
1986年にまだ大阪米子を結ぶ長距離普通列車が走っていたのですね。約10時間。。。今の鉄道事情から考えるとあり得ないですが、80年代後半でもこのような列車が走っていた。しかも旧型客車。奇跡ですね。以前は急行「だいせん」とは別に大阪~米子間で寝台列車連結の普通列車が走っていたそうですね。普通列車と寝台列車の組み合わせというのも、今考えると凄い事です。
厳密に言うと米子どころか出雲市です‼️大阪→出雲市は昼行、京都~出雲市は夜行普通「山陰」です(こちらは85年3月廃止)。
実家が宝塚 道場や篠山が飯ごう炊飯のお決まりの場所 大阪に出るのは福知山線はどこだかの駅でむちゃくちゃ停車するので 皆さん阪急でした 65才の思い出 ありがとうございました。
とてもいい動画ですね(⸝⸝ᵕᴗᵕ⸝⸝)
いま、ハイキングコースになっていて歩いている場所が現役の頃はどんなだったのか動画で見れてとても有難いです
走りだしても扉も貫通扉も開いたまま走る旧客を懐かしく拝見しました。この映像ではDD51の牽引でしょうか?古くはDF50やDD54も牽引していたように記憶しています。父が国鉄の機関士だったこともあり、あれこれ聞かされているうち、無意識にはまっていったと思います。
他の皆さまも仰っておられるように、現在はいかに早く目的地へ到達するかにのみ使命があるような勘違いをされているようで残念です。ゆっくりと、でも心地よい25メートルレールのジョイント音を子守唄に暖房の効いた旧客各駅列車の旅は今となってはめぐり合うことが不可能な贅沢な夢となってしまいましたね。少なかったといっても、それに乗車できた時代に産まれて幸せでした。
貴重な映像をありがとうございます。
@gamera63
当時の福知山、山陰線の旧客長距離鈍行は列車名がなくてもそれなりに堂々たる風格がありました。 たとえ下車駅が近場であろうと大阪駅でワクワクしながら列車の入線を待ったものです。 現在ではその当時のように乗る前から胸が高鳴る列車が存在しないのが残念な気持ちです。
この列車を牽引するのはgamera63さんのおっしゃる通りDD51です。DF50もDD54も福知山線には存在してました。DF50はこの動画を撮影した1983年に日本全国からその姿が消えたそうです。
少ない乗車とは言え、それは貴重な体験であり一生忘れられない心の財産だと思います。コメントありがとうございました。 (多忙のため返事が遅くなり失礼しました。)
いえ、こちらこそmasagaki036 さんの動画には大変感動しながら拝見しております。ありがとうございます。
旧客のビデオ随分お持ちのようですね?数の多さで・・・脱帽します。
@scoopedog
scoopedogさん、こちらこそコメントいただきありがとうございます。
長距離鈍行に乗ると、大きな荷物を背負った行商人。停車中に買ってきた駅弁をほうばる人。車窓を眺めながらタバコを吸う人。長時間の腰かけに耐え切れず座席で横になる人。夏場の夜、蛍光灯のまわりを飛び交う虫たち。冬場の暖房機器の膨張音・・・など々、旧客独特のさまざまなシーンを見たり聞いたりすることが出来ましたね。またこんな列車に乗ってみたいものです。
ちなみに、当時の時刻表で調べたら寝台車連結の鈍行は「山陰」という列車名が付いてました。日中にかけては早朝京都を出発して16時間かけて浜田まで走破する列車もありました。
時間との勝負が過熱しすぎたために5年前の大惨事が起きました。
便利、快適、速いは危険との隣り合わせなんですね。
今にして思えばよくぞドアを開けっ放しで平気で走っていたものですが、当時は当たり前だったせいか特に不思議にも思いませんでしたね(^^);ただ、最後尾はせめて鎖付けて欲しい!とは感じていました(オハフ61・スハフ42・オハフ45などの原型車の後位車掌室側には扉がありましたがそちら側が編成端になるとは限らず、トイレ側は鎖すらないのがデフォルトでした。両端デッキの緩急車でも鎖のあるのは車掌室側のみが殆どでしたね)。しかしこれら在来一般型客車は今時の車輛に比べ乗り心地が良く長時間乗車にも案外耐えられました(当時は若かったせいかも知れません)。
叶うことならこういう列車に乗って景色の良い区間をのんびり揺られてみたいものですが…見果てぬ夢になりそうですね。
あの時代をリアル体験した私も白髪の誤魔化せないトシになりました(^^);
こういう路線は梅雨の雨の景色がいいと思う。
@mihashimichiyafan
おっしゃる通り私も観光用やリバイバルの旧型客車に乗りましたが懐かしさを感じても当時の感動は蘇りません。
それは mihashimichiyafan さんも私も子供の頃に乗った福知山線を「古き良き時代」にしてしまったからじゃないんでしょうか?
あの感動は福知山線でないとおそらく蘇らないと思います。思い出のコメントありがとうございました。
毎度です~。動画の最初の辺りでよく写真を撮っていましたよ。このDD51+旧型客車でスリーナインごっこと称して発車して動き出した列車に追いかけて飛び乗る遊びをしていました。今考えてみるとかなり危険ですが・・・。五体満足で成人できてヨカッタ。
そうですね。この当時の普通列車は流れる景色をゆっくり楽しめましたね!
思い出のコメントありがとうございました。
廃線跡は現在、ハイキングコースの名所となってますね。
色あせた古いビデオですがコメントありがとうございました。
楽しいそうけど、乗りたい!
@mm7n4get
私はその廃線跡には行ったことがありませんが、大変人気のあるハイキングコースだそうですね。
立ち入り禁止の立て札は、事故を起こしても当社は責任を持ちませんの警告を促すだけで自由に出入り出来ると聞きました。ハイカーの不注意で事故が起き、フェンスを張るなどして本当に立ち入り禁止になっては困ります。 そこだけはハイカーの皆さんに注意していただきたいと思います。
私も機会があれば新緑か紅葉の季節に行ってみたいです。コメントと評価ありがとうございました。
@nimo5
詳しくはよくわかりませんがおそらくオハフ33だと思います。1:52までが米子行き723レ。それ以降は鳥取行き725レです。
723レはわかりませんが725レの最後尾の前の車両はスハフ33-299です。撮影は1983年2月頃。これを参考に調べてみてください。
鎖の有無までご存知とは驚きました。思い入れのコメントありがとうございます。
旧客はまだ現存してますが扉を開放しながらの走行は、まず有り得ないことでしょう。
旧客が日常的に走ってたあの頃、大都市圏の通勤ラッシュの時間帯はデッキまで立ち席で、落っこちないのか?と見てるこちら側がハラハラしてました。
見果てぬ夢・・・そうですね!叶うなら私は長距離鈍行を始発から終着まで乗りつぶしたいです!窓を全開にして潮風や森林の香りを楽しんでみたり、茶葉入りのお茶(ビールでもいいや・・・)飲みながら駅弁食べてみたり、ワンボックス独り占めでくの字で横になってみたり、時計やデジタル機器などは一切持たず時間を忘れて郷愁の世界にどっぷり浸かってみたいものです。
旧客の古き良き時代を愛する者にとってはカシオペアやななつ星に乗ることよりも最上の至福でしょうね?
私も近頃、白髪を隠すため鏡とにらめっこばかりしてます(冷汗タラタラ;)
Birydorako様 コメントありがとうございます。
そうですね。鉄道で大都市からそう遠くない場所に、こんな秘境ムードが満喫できる
ところはなかなかないと思います。
複線化によりスピードアップとトンネルの多さで景色が楽しめないのが残念です。
One train from Osaka to Yonago! びっくり!
そうですね!大阪駅の大阪環状線のホームからよく眺めてました。
旧型客車も出雲市、米子行きなど今では考えられない長距離普通列車が走ってましたね?
発車ベルの音が懐かしく思います。コメントありがとうございました。
どうもです。お待たせしました。
スリーナインごっこ?(笑)旧型客車でしかできない(危険な)遊びですね。
私はその逆で到着寸前の列車からホームに飛び降りる遊びをしたことがあります。
宝塚駅で時速30キロくらいならどうなるか?試してみたら見事こけてしまいました。
その後、駅員に油絞られたことは今でも忘れられない記憶です(笑)
ワイドも降りる際に少々早かった?らしくコケた事があります…
It was the long trip for 10 hours and 21 minutes >.<
この列車の最後尾はオハフ33でしたでしょうか??
安全第一
確かに世間から総スカンを喰らうでしょうね。
ですがマニアや往年旧客時代を知る世代の方は是非とも運行してもらいたい、乗ってみたい気持ちがあると思います。
東浜駅は兵庫県内にあるとばかり思ってましたが、よく調べると鳥取県にありました(汗)
この当時も複線電化の高速化工事は着々と進んでました。高速=旧客鈍行なんて全く似合いません。鈍行は鈍行、のんびりゆっくり走るのが一番相応しいですね。
でも東北本線では意外と?スピード出してました‼️
当時の時刻表で調べたら3時間切るのもあれば、4時間近くかかる列車もありました。今の普通列車と比べたらいかにのんびり走ってたのがわかりますよね?
これだけゆっくり走っても全くイライラすることがないのが旧客の魅力かもしれません。コメントありがとうございました。(返信遅くなり失礼)
1980年10月改正対応の時刻表によりますと、敦賀16時31分発~綾部19時52分着・20時10分発~京都22時14分着という188.5㎞を5時間43分もかけて走る「鉄人旧客」こと922列車も実際に走っていましたよ(福知山8時35分発~敦賀12時17分着935列車の次の運用です)。
武田尾の旧線区間でしょうか?
んだ😉
デッキの開放感。
安全に喧しい今の鉄道各社では考えられない場面。
今の時代で旧型客車をこのような形で運行したら、総スカンでしょうね。
列車がよく停まってからお降りください!