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『猿の惑星』は石原さんと同じく、テレビ(フジテレビの『ゴールデン洋画劇場』だったと記憶)で初めて観て、あのラストシーンにビックリさせられました。確かに『スティング』も『テキサスの五人の仲間』もだまされて痛快という感じですよね。『ユージュアル・サスぺクツ』は“うあぁ、やられた”という驚きでした。
例えるなら、ど真ん中に直球を投げられたのに見逃しちゃったのが『猿の惑星』、鋭い変化球で空振り三振させられたのが『ユージュアル・サスペクツ』。
子供の頃テレビで観た。吹き替えで、猿の1人称が「オイラ」だったのが笑撃。
ありがたいものを見させてもらった分かる!
小説版では猿の惑星が実は地球だったというラストではないですね。映画版の脚本に参加したロッド・サーリングがどんでん返しを考案したそうですよ。
石原さんは最初出てきたとき「怖そうな威厳のあるおじさんだな」と思ったんですが、話し始めたらめちゃくちゃチャーミングな方で好きになりました(^^)
私も、小学校の頃、テレビの洋画劇場で観ました。事前に、あのラストは、ロードショーで観ていた友だちから教えられてしまったのですが、それでもストーリーにのめり込んでいた私にとって、ラストは、大きなショックでした。ラストシーンが分かっていてもショックを受けるということは、やはり、脚本、監督の演出、役者の演技が、みんなすごかったのでしょう👌「猿の惑星」で、猿の言語が英語だから、そこが地球ということは明らかだ…という話は、中学生になった頃、何かの本で読んで成る程なぁと思いました。しかし、このホイチョイの動画でも語られているように、「映画世界における暗黙の了解と、それを凌駕してしまう程の作品自体の素晴らしさ」の下では、そんな矛盾などどうでも良いことなんだなぁと納得もできます。ただ、やはり自分的に、物語自体の中で、矛盾を生じさせないために、何とか屁理屈を捏ねたいという自分もいて…高校時代からは以下のように思うことにしました。「テイラーたちは、飛行士である以前に科学者である。未来の科学の領域においては、惑星に生命が誕生し、進化し、文明を築く過程は広い宇宙どこでも同様という定説が構築されており、即ち言語も同様で、地球で使っていた言語や文字に酷似しているものが、この猿が支配している惑星にあっても何ら不思議ではない。だから、テイラーたちは、そこが地球だとは考えなかった。」まぁ、かなり無理のある、ホント、屁理屈ですが、私はそう思い込むことで、「猿の惑星」の矛盾はスルーしようと、高校時代に決めました😅
つい最近「猿の惑星」のセットを入手したのでココで取り上げられてその偶然に驚いております。子供の時観てあのラストは あれ~!と驚きましたね今、全5巻観て思うのは「新猿の惑星」には泣かされましたね 残された赤ん坊シーザーがその後の支配者になりチャールトン・ヘストンが漂着する世界に繋がるとはね傑作ですよこの映画は
石原隆さんより5歳下の私も『猿の惑星』初見はテレビ放送でした(ジーラを中村メイコが吹き替えたことも当時話題になった)。今では信じられない話ですがコレがテレビロードショー史上最高の視聴率を獲得したとかで、半年後には映画をオンエアしたのと同じTBS系列で円谷プロ製作の『猿の軍団』がスタートして子供心に「パクリやん!」と思った記憶(今見返すと『軍団』も味わい深いドラマになっていますけど)。ラストのネタバレに関してはむしろDVDのパッケージがネタバレ状態なので、最早“一般常識”として成立しているのかもしれません。
あのラストは、時代を飛び越えて認識できる物って世界的に知られた物なんだなと思いました。そして、どうして気づきにくかったと言えばアレが半分以上埋もれたから封印された状況を作れたのだなと、作りこまれた作品だと感心しました。
あの猿の惑星のラストシーンよ~~ あ~ゆう予想も出来ない重みのある映画は少なくなってきたよなぁ~ ブレードランナーとか、ラストシーンにガ~~ンとくる深みのある映画・・・出てこいや~~
小学生低学年の頃、親に東銀座にあった松竹セントラルへ連れて行かれ初めての洋画として見ました。低学年ながら未だにラストは鮮明に記憶しています。
確か原作では、最初猿の言葉を地球人に教える場面があったような……
猿の惑星のラストは本当に怖かった。小学生でしたが。
学者がこの人間は他と違う、ボロを服のように着てるというセリフがあります。このことから他の人間は実は全裸なんだよというメッセージと思います。だから英語も実は現地語で、長く囚われてるうちに覚えたんだと解釈することもできそう。スタートレックは自動翻訳機でしゃべれる説明があります
いやあ、言われるまで気が付かなかったぁ! 英語!話があまりに面白すぎて忘れてしまっちゃってますね。またあの星が地球でしかないのも当たり前なのに。やっぱりラストの作りの見事さのせいですね。ちなみに私は続編のラストもびっくりしました!身も蓋もない終わりなのにアレも騙されました。今考えてみればギャグに見えそうですが。まるでポリスアカデミーみたいな。(笑)やっぱりストーリーと演技の上手さでしょうね❤
文字はアルファベットではないですが、スター・ウォーズも主人公らは英語を話します
ラッキーナンバー7も好き
でもやっぱり、『続』のラストの方が衝撃だよね。映画館でやった時にはエンドロールがあるんだろうけど、日本のテレビで放送されたときは、なんの余韻もなく、あれで最後だからなあ。
(ネタバレですが)小説では少しずつ猿の言葉を覚えていくという内容になっています。
猿の惑星は、子どもの頃見てショックでしたね。音楽というか音響効果も印象的です。
猿の惑星の映画が日本で大ヒットしたのを知った原作者は「お前らのことなのに何で喜んでるんだ!」と激怒した。
なんてこった。。。。 ってのはSFでは割とありますね原作はフランス人だったんですね 自由の女神がフランスから送られたってのがあるので親和性あるとも言えますな
ミステリーゾーンのロッド・サーリングは毎週1時間ドラマの脚本を書いてプロデュースして・・手塚治虫並みにスゲー、
英語に関しては製作国がアメリカだからっていうのも有ると思う。「クレオパトラ」や「スパルタカス」他多数有りいずれも製作国アメリカなので当然英語ですね。
興味深く拝見しました。偶然でしょうが、「猿の惑星」と「戦場にかける橋」を見て受けたショックの大きさは欧米の白人が受けるショックや潜在的な恐怖は、日本人よりも深い衝撃と恐怖心ではないでしょうか?WW1までは欧米の人種が地球を猿をコントロールしていたが、その後、アジア系の人種や国家が予想以上に台頭し、欧米の中間層(映画を見る人々)が英語を話す黄色い猿より劣勢になる、その潜在的な恐怖心を無意識に「猿の惑星」と「戦場にかける橋」を見て感じる一方で、地球の片隅には勇気や自信を得た人種もいたりして、同じ出来事を描いた映画でも「シェルブールの雨傘」と「アルジェの戦い」ほどの違いになり、観客も感動も別物に?
『猿の惑星』に関しては なぜ我々の言葉(英語)が理解されているのか?なぜ通じるのか? 人類側(英語)がなぜ猿語を理解できたのか?疑問を持たない時点での 違和感を感じる世代とのギャップを感じざるを得ません。
『猿の惑星』視聴者後発組は 猿側は完全に東アジアの日本なのか?中国なのか?
猿「それは言わないオ、ヤ、ク、ソ、ク」🙊
原作は ティムバートン版の地球に帰ってみたら地球も猿の惑星になっていたというオチだったと思いますけど、コッチの方が衝撃度高いですよね。しかし どの作品シリーズにしても結局は猿は人間に進化するんじゃないかなと思っちゃう 私であります(^_^;)。
猿の惑星は自分らの上の世代はみんなショックって言うけど、サブカル世代以下だとそうでもない感じ。子供心にSF的リテラシーが刷り込まれてるせいかな?
どんでん返しと言えば six sense だけど最近の映画では archive が最期でアレ~なんだけど全然あと味が悪すぎダメダメ本編中のナットク度がホント大切なのョ
『猿の惑星』は石原さんと同じく、テレビ(フジテレビの『ゴールデン洋画劇場』だったと記憶)で初めて観て、あのラストシーンにビックリさせられました。確かに『スティング』も『テキサスの五人の仲間』もだまされて痛快という感じですよね。『ユージュアル・サスぺクツ』は“うあぁ、やられた”という驚きでした。
例えるなら、ど真ん中に直球を投げられたのに見逃しちゃったのが『猿の惑星』、鋭い変化球で空振り三振させられたのが『ユージュアル・サスペクツ』。
子供の頃テレビで観た。吹き替えで、猿の1人称が「オイラ」だったのが笑撃。
ありがたいものを見させてもらった
分かる!
小説版では猿の惑星が実は地球だったというラストではないですね。映画版の脚本に参加したロッド・サーリングがどんでん返しを考案したそうですよ。
石原さんは最初出てきたとき「怖そうな威厳のあるおじさんだな」と思ったんですが、話し始めたらめちゃくちゃチャーミングな方で好きになりました(^^)
私も、小学校の頃、テレビの洋画劇場で観ました。事前に、あのラストは、ロードショーで観ていた友だちから教えられてしまったのですが、それでもストーリーにのめり込んでいた私にとって、ラストは、大きなショックでした。ラストシーンが分かっていてもショックを受けるということは、やはり、脚本、監督の演出、役者の演技が、みんなすごかったのでしょう👌
「猿の惑星」で、猿の言語が英語だから、そこが地球ということは明らかだ…という話は
、中学生になった頃、何かの本で読んで成る程なぁと思いました。しかし、このホイチョイの動画でも語られているように、「映画世界における暗黙の了解と、それを凌駕してしまう程の作品自体の素晴らしさ」の下では、そんな矛盾などどうでも良いことなんだなぁと納得もできます。
ただ、やはり自分的に、物語自体の中で、矛盾を生じさせないために、何とか屁理屈を捏ねたいという自分もいて…高校時代からは以下のように思うことにしました。
「テイラーたちは、飛行士である以前に科学者である。未来の科学の領域においては、惑星に生命が誕生し、進化し、文明を築く過程は広い宇宙どこでも同様という定説が構築されており、即ち言語も同様で、地球で使っていた言語や文字に酷似しているものが、この猿が支配している惑星にあっても何ら不思議ではない。だから、テイラーたちは、そこが地球だとは考えなかった。」
まぁ、かなり無理のある、ホント、屁理屈ですが、私はそう思い込むことで、「猿の惑星」の矛盾はスルーしようと、高校時代に決めました😅
つい最近「猿の惑星」のセットを入手したのでココで取り上げられてその偶然に驚いております。
子供の時観てあのラストは あれ~!と驚きましたね
今、全5巻観て思うのは「新猿の惑星」には泣かされましたね 残された赤ん坊シーザーがその後の支配者になりチャールトン・ヘストンが漂着する世界に繋がるとはね
傑作ですよこの映画は
石原隆さんより5歳下の私も『猿の惑星』初見はテレビ放送でした(ジーラを中村メイコが吹き替えたことも当時話題になった)。今では信じられない話ですがコレがテレビロードショー史上最高の視聴率を獲得したとかで、半年後には映画をオンエアしたのと同じTBS系列で円谷プロ製作の『猿の軍団』がスタートして子供心に「パクリやん!」と思った記憶(今見返すと『軍団』も味わい深いドラマになっていますけど)。
ラストのネタバレに関してはむしろDVDのパッケージがネタバレ状態なので、最早“一般常識”として成立しているのかもしれません。
あのラストは、時代を飛び越えて認識できる物って世界的に知られた物なんだなと思いました。
そして、どうして気づきにくかったと言えばアレが半分以上埋もれたから封印された状況を作れたのだなと、作りこまれた作品だと感心しました。
あの猿の惑星のラストシーンよ~~ あ~ゆう予想も出来ない重みのある映画は少なくなってきたよなぁ~ ブレードランナーとか、ラストシーンにガ~~ンとくる深みのある映画・・・出てこいや~~
小学生低学年の頃、親に東銀座にあった松竹セントラルへ連れて行かれ初めての洋画として見ました。
低学年ながら未だにラストは鮮明に記憶しています。
確か原作では、最初猿の言葉を地球人に教える場面があったような……
猿の惑星のラストは本当に怖かった。小学生でしたが。
学者がこの人間は他と違う、ボロを服のように着てるというセリフがあります。このことから他の人間は実は全裸なんだよというメッセージと思います。だから英語も実は現地語で、長く囚われてるうちに覚えたんだと解釈することもできそう。スタートレックは自動翻訳機でしゃべれる説明があります
いやあ、言われるまで気が付かなかったぁ! 英語!話があまりに面白すぎて忘れてしまっちゃってますね。またあの星が地球でしかないのも当たり前なのに。やっぱりラストの作りの見事さのせいですね。
ちなみに私は続編のラストもびっくりしました!身も蓋もない終わりなのにアレも騙されました。今考えてみればギャグに見えそうですが。まるでポリスアカデミーみたいな。(笑)やっぱりストーリーと演技の上手さでしょうね❤
文字はアルファベットではないですが、スター・ウォーズも主人公らは英語を話します
ラッキーナンバー7も好き
でもやっぱり、『続』のラストの方が衝撃だよね。
映画館でやった時にはエンドロールがあるんだろうけど、日本のテレビで放送されたときは、なんの余韻もなく、あれで最後だからなあ。
(ネタバレですが)小説では少しずつ猿の言葉を覚えていくという内容になっています。
猿の惑星は、子どもの頃見てショックでしたね。音楽というか音響効果も印象的です。
猿の惑星の映画が日本で大ヒットしたのを知った原作者は「お前らのことなのに何で喜んでるんだ!」と激怒した。
なんてこった。。。。 ってのはSFでは割とありますね
原作はフランス人だったんですね 自由の女神がフランスから送られたってのがあるので親和性あるとも言えますな
ミステリーゾーンのロッド・サーリングは毎週1時間ドラマの脚本を書いてプロデュースして・・
手塚治虫並みにスゲー、
英語に関しては製作国がアメリカだからっていうのも有ると思う。
「クレオパトラ」や
「スパルタカス」他多数有り
いずれも製作国アメリカなので当然英語ですね。
興味深く拝見しました。偶然でしょうが、「猿の惑星」と「戦場にかける橋」を見て受けたショックの大きさは
欧米の白人が受けるショックや潜在的な恐怖は、日本人よりも深い衝撃と恐怖心ではないでしょうか?
WW1までは欧米の人種が地球を猿をコントロールしていたが、その後、アジア系の人種や国家が予想以上に台頭し、
欧米の中間層(映画を見る人々)が英語を話す黄色い猿より劣勢になる、その潜在的な恐怖心を無意識に
「猿の惑星」と「戦場にかける橋」を見て感じる一方で、地球の片隅には勇気や自信を得た人種もいたりして、
同じ出来事を描いた映画でも「シェルブールの雨傘」と「アルジェの戦い」ほどの違いになり、観客も感動も別物に?
『猿の惑星』に関しては なぜ我々の言葉(英語)が理解されているのか?なぜ通じるのか? 人類側(英語)がなぜ猿語を理解できたのか?疑問を持たない時点での 違和感を感じる世代とのギャップを感じざるを得ません。
『猿の惑星』視聴者後発組は 猿側は完全に東アジアの日本なのか?中国なのか?
猿「それは言わないオ、ヤ、ク、ソ、ク」🙊
原作は ティムバートン版の地球に帰ってみたら地球も猿の惑星になっていたというオチだったと思いますけど、コッチの方が衝撃度高いですよね。
しかし どの作品シリーズにしても結局は猿は人間に進化するんじゃないかなと思っちゃう 私であります(^_^;)。
猿の惑星は自分らの上の世代はみんなショックって言うけど、サブカル世代以下だとそうでもない感じ。
子供心にSF的リテラシーが刷り込まれてるせいかな?
どんでん返しと言えば six sense だけど
最近の映画では archive が最期でアレ~
なんだけど全然あと味が悪すぎダメダメ
本編中のナットク度がホント大切なのョ