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伊能図への道のり

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  • เผยแพร่เมื่อ 26 ก.พ. 2016

ความคิดเห็น • 8

  • @user-se4wr2sr4e
    @user-se4wr2sr4e 4 ปีที่แล้ว +4

    5:46
    10:01
    6:46

  • @user-gj1lf8ot2y
    @user-gj1lf8ot2y ปีที่แล้ว

    我が国の日本地図は、もう作っているぞ。
    あんたの国は作っているのか?
    ・・・
    と、厳しく言ったみたいですね?
    こんな立派な地図があったなんて、参りましたと、
    土下座した外国人たちの様子を、見たかったですね。
    お陰で、日本は、生き残っているんですね。
    もしも、大東亜戦争がなかったら、
    間宮林蔵が見つかった『間宮海峡』や北方領土まで、
    日本の物になっただろうにね。

  • @dxwnr561
    @dxwnr561 ปีที่แล้ว

    7:44;“天体観測を行って精度を高め”との表現は、伊能測量の正鵠を欠いているのではありませんでしょうか?
    伊能忠敬が測量をしようとした動機と本音は、正確な暦とするためでした。
    暦に日本各地の日の出や日没や月食や日食の時刻を正確に表現するためには、
    日本各地が自転と公転をしている楕円体である地球上の何処に位置しているか、を正確に把握できていなければならなかったのです。
    だから、日本各地の「地球上の位置」が表現できる日本地図制作のためには、先ずもって、
    「①地球の大きさ」と「②日本各地の地球上の南北の位置である緯度」と「③日本各地の地球上の東西の隔たり」
    が正しい表現された地図が、正確な暦作成のために師匠としては必要だったのです。
    つまり、導線法や交会法の結果の精度を高めるための補助的な観測としての天体観測ではなく、
    先ず、最初に天体観測があり、その結果である日本各地の地球上の南北の位置(緯度)を結んで日本の姿を地図として表現するため、
    導線法と交会法を行った、というのが伊能測量の真相である、と小生は考えます。
    その証拠として、伊能忠敬は、測量日記で次のように認めています。
    「地図を詳しくするためるための第一は、北極出地度(緯度)、次は「方位」の御座候」

  • @SIMADA1984
    @SIMADA1984 2 ปีที่แล้ว +2

    300年前?

  • @user-xd8vt6bk5f
    @user-xd8vt6bk5f 4 ปีที่แล้ว

    大学の課題で視聴なう

  • @user-dp4gv9bw1f
    @user-dp4gv9bw1f 4 ปีที่แล้ว +1

    大学の課題でこれ見させられた。だるみ