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会場で聴いたら忘れえぬ感銘を受けたでしょうね。東京に住んでるのにこういう演奏会を聞き逃すのがすごくくやしい(^^;) 山田和樹さんの指揮は何年か前にサイトウキネンでベートヴェンの7番をやられた。これも私にとって忘れられない演奏です。松本までクルマを飛ばしていった懐かしい思い出があります。
耳慣れた曲だったはずなのに、とても新鮮に感じました。第一楽章から第四楽章まで緊張と癒しに満ち溢れているように感じました。あっという間の45分間でした。こんなに瑞々しくてキラキラしたオーケストラの演奏を久しぶりに聴けました。曲終わりから山田さんの溜め、聴衆からの拍手、痺れました。
今まで聴いた新世界で1番好きな演奏です。生で聴いて見たかった🥰✨✨✨
読響の金管めちゃくちゃ好き。前に読響で惑星聴いた時、音に溺れそうなくらい金管が上手くて感激しました。
23:53からのチェロがすごすぎる。とても美しい。もちろんバイオリンもとっても素敵。読響の子のコンサートは実際には聴きに行っていないけれど、実際に聴いたことのあるオケより感動した。
山田さんの新世界の新鮮な解釈に感動。イングリッシュホルンはN響のオーボエ奏者池田昭子さんです。業界ではトラ(エキストラ)と言いますが、イングリッシュホルンでは、日本最高峰の池田さんが参加されているのは納得。久しぶりに池田さんの「家路」が聴けて最高です。
指揮がすごい楽しそうで好き
山田和樹さん指揮素晴らしいですね、聴き慣れているはずの新世界からでいままで聴こえてこなかった音をいくつも確認できました、実に新鮮でした。
弦の迫力が素晴らしい。
これ、ハマりそう。
今まで聴いてきた「新世界より」の中で最も好きな演奏です!会場で聴けた方々がうらやましい!
今日きいた中では読響が一番。これからは読響をメインに聴いていくぞ。
楽しかった〜😽
フライング拍手しないところに、聴衆レベルの高さを見た。我が地元もこうであってほしい。
コロナのせいで世界中が酷い目にあいましたが、愚かなフライングブラボーが一掃されたことはちょっと嬉しいです。あまりにも代償が大きいので「いいこと」とは言えませんが。。。
This is only the second time I see the viola section sits inside of violin I.
ティンパニが実に良い音。
N響の動画から来ました。池田さんのEH素晴らしいですね🎉優しい音色で表現豊かです♪
池田さんに対してのコメントが多いですが‥オーボエは古部先生?一瞬どこのオケを聴いているのかわからなくなりました。いずれにせよ、山田和樹さんの新鮮かつ熟練の解釈に牽引されたこのドヴォルジャークはとても素晴らしい演奏だと思います。
2楽章、池田昭子さんのE.Hor.感服です。2014年、デュトワ/N響の演奏と比べ、山田の2楽章はややテンポが遅いとは言え、池田さんはほぼ完璧です。オーケストラ個々の演奏者に特に好き嫌いはないのですが、どうやら池田さんにははまったようです。
池田さんてN響なのになんで居るんですかね、ソロのためにわざわざ呼ばれているとか?
オーケストラでは他のオーケストラに所属しているメンバーに臨時で出演してもらうことがよくあります。いわゆるエキストラで、オーケストラの人々は、「トラ」と言っています。池田さんはEHr.(イングリッシュ・ホルン/コールアングレ)の名手なので、よく他のオーケストラにかり出されているようです。
オーケストラでは、メンバー以外の奏者が出演することがしばしばあります。エキストラと言いますが、オーケストラの人は「トラ」といっているようです。エキストラの下2文字ですね。
12:37
29:50 !!!
新解釈のところでみんなニヤリ
😊
34:34
そこら辺の高校のただの吹奏楽部員ですが、山田和樹先生の事が気になり調べているとこの動画にたどり着きました。クラシックのことはほぼ無知なので分からなかったのですが、29:50のヴァイオリンの方々が見つめあって少し微笑んでいるのは指揮でなんらかの指示や演奏の仕方に一風変わったことがあったのですか?とても気になります!教えて頂きたいです
私が答えるのもどうかと思ったのですが、うpしたので私なりのお答えをします。山田氏の解釈は全編を通して「新世界より」の新解釈と言えるアプローチですね。平たく言うと相当に過激な解釈です。この演奏の演奏前のインタビューで山田氏が言っていましたが「やっとこの演奏ができるオーケストラに出会えた」と言った旨のお話をしていました。この両者にはそれだけの信頼関係が築けているということですね。そんな両者が超有名曲の「新世界より」で全く新しい解釈をいわば「ぶちかます」期待と興奮、そして緊張が全編を通して演奏に現れているのでしょう。それはそのまま演奏者の表情にも表れている、そんな一コマが29:50のシーンでしょう。「してやったり」と言った感じでしょうか。スケルツォは速めのテンポでグイグイと進め、続くトリオは各パート、特に木管のフレージングに工夫を凝らした歌わせ方が肝ですね。コンマスとコンマスサイドはこのテンポの揺らぎを合わせる際にお互い「つい目があって」ニッコリしたんでしょう、楽しかったんでしょうね。お互いが聴き合っているときに目が合うことはよくあることですが、ニッコリするシーンがカメラに収められることは少ないですね。似たような場面で39:06のヴィオラの人もやはり隣の人と聴きあってアンサンブルをしているのが映っていますね。よく見ると他にもちらほら映っていますよ。好き嫌いのはっきり分かれる演奏ですが、私は大好きです。オケの面々も楽しそうに弾いています。まぁ「よーやるわ」と言う思いもあったと思いますけど(笑)ぜひ色んな演奏を聴いてください。聴き比べはクラシックの最大の楽しみの一つです。聴き比べればこの演奏の過激さも分かると思いますよ。演奏の違いに演奏者の想いや人生、歴史が詰まっています。どれが好きかは自分の自由ですので思う存分聴いて好きな演奏を探してください。吹奏楽部なら演奏者の気持ちもわかるでしょうから楽しさは倍増ですよ!あなたよりは長く生きている分、少し知っているので長文を書かせていただきました。いい演奏、好きになることのできる演奏に出会えるといいですね。
演奏家がアイコンタクトをして、互いにニコッて微笑むのは、インド音楽とかジャズではよく見ますね。本来アンサンブルは互いに音を聴き合ってやるものですから、相手の方に顔を向けるのは、むしろ自然なことですよね。
コンマスが間違って1拍(半拍?)早く入ったからです。やっちまったなー、でも崩壊しないでよかったね😁コンマスだけ抑えてる所が違ってザッツも早く出してます。よく聞くと本来無い音が鳴ってます。マエストロの新解釈かもしれませんが。。
29:50は普段演奏される楽譜から1stバイオリンの音が変更されているのかと思いました。木管のメロディが登場する前の1stバイオリンが通常だとラソド ラソド ラソド と三回繰り返すのですが、この演奏だと最後の一回がシソドになってます。ラソド ラソド [シ]ソド という感じで。ここが新解釈で、バイオリンの皆さんがこの部分でみんなでニヤッとしてるのかと思いました。
9:50
1楽章の繰り返しやるなんて珍しい...
アラサー主婦の生意気をお許しください。高校時代に指揮者を志した父の影響で、私もほんのちょっとだけクラシック音楽がわかるようになりました。普段はかたくなに現代配置の読売日響が珍しく折衷型の対向配置でびっくりしました。普段のヴィオラの位置にセコバイを配したのは山田氏の意向だと思います(本当はクーベリックやクレンペラーのようにチェロとコントラバスを左に配する古典型対向配置にしたかったのでは?)。解釈は本家であるクーベリックとはかなり異なりますが、とても斬新で楽しめました。
別に生意気だとは思いません。ただ、この配置が折衷案の妥協的配置と言うご指摘は違うと思います。もし妥協せざるを得ないような状況なら、こんな過激な解釈はできないのではないでしょうか。。配置以上にオケからの拒否反応は大変でしょう。でもオケは楽しそうに弾いていますし、ヴィオラの面々の嬉しそうな顔は観ていて気持ちいいものではないでしょうか。山田氏は新しい響きを探求することを目的として、この配置を選んだと思います。両者に信頼関係があるからこそ、山田氏の新しい解釈を生かすためのこの新しい配置にトライできたと思います。1stVnと2ndVnは掛け合いを目的に対抗配置。1stVnの奥にVaを配置することで1stVnのメロディの下支えを。Vcを正面に置くことでたっぷり歌わせ、Cbは耳慣れた上手に置くことでベースラインを際立たせる。これで弦セクションは各パートの絡み合いが際立つうえで、響きもブレンドできる新しい配置だと思います。私はこの配置に思わず唸ると同時になぜ今まで誰もしなかったんだろうと思った次第です。コメントの書き込みに「この配置を見たのは2回目」というものがあったので誰かやってるんですね。私は初めて見ましたが、これは良いと思います。ブラームスや、ブルックナーでもこの配置は効果があると思います。ストコフスキーが編み出した現代配置の次世代版として普及すれば面白いと思います。ただ、オーケストラからは拒否反応はあるでしょう。Vnの対抗配置は合わせにくいので基本嫌がる人が多いのではないでしょうか(私もオケにお願いしたらものすごく嫌な顔をされました)。でも最近は対抗配置も見直されて大分慣れてきたというのもあるでしょう。ときどき見かけるようになりました。ただCbが上手に来るのはバラスの取りやすさと言う合理的理由からだと思います。配置の歴史はググってください。現代配置はそれはそれで合理的理由があって生まれたものですから。面白いですよ、配置の歴史も。古典時代とは楽器の機能も、ホールの響きも違うので一概に古典配置が良いとは思いません。古典配置至上主義の方もいますが、人それぞれではないでしょうか。要は演奏が面白ければいいと思います。あくまでも私の個人的解釈と意見です。また批判を目的とはしておりませんので誤解なきように。
半世紀以上前に仕入れた知識なので、正しいか否か自信たっぷりには言えないのですが・・・オーケストラというものが徐々にその規模を拡大し、古典派後期あたりから舞台上の楽器の配置が作曲者や指揮者の意向を反映して決められるようになったと言われます。一時は中央(指揮者の眼の前あたり)の左右に1vと2vが並びビオラ・チェロ・Dベースがそれぞれ左右二組に分かれてバイオリンの外側に配置されてたこともあったらしいです。その後バイオリンが前列の左右(指揮者の真横あたり)に1と2が別れ、ビオラ・チェロが中央に、Dベースが奥に引っ込む形になり、これが最もオーソドックスな形として定着したようです。その配置が今のように大きく変わったのが、1930年代に確立されたと言われる「ステレオ録音」の登場でした。フルトベングラー。トスカニーニあたりまではほぼモノラル録音しかなかったのが、ワルターあたりからステレオレコードが本格商業化されてきます。そこで起こったのが「定位」の問題でした。ステレオ録音は一般に、左右2本のマイクで音を拾い左右のスピーカーから再生させます。従来のオケの配置で演奏すると、1vは主に左のマイクが、2vは主に右のマイクが音を拾いそれぞれ左右のスピーカーから音を出します。聞いている人には1vの音は主に左のスピーカーから、2vの音は右のスピーカーから聞こえてくるのですが、ここでもし、1vと2vがユニゾンで全く同じメロディを奏でたら?・・・そう、バイオリンの音色が指揮者の周りから溢れ出てきてしまいますw当時先駆的にステレオ録音に取り組んでいたストコフスキーが再生音を耳にしてボソッと『だめだこりゃっ』と呟いたとか呟かなかったとか。ここで出てきたアイデアが「1vと2vを左に並べて配置する」というものだったという話です。ベト7のフィナーレを思い浮かべてみてください。最終盤で1vと2vが掛け合いながら盛り上がって行きます。ステージの右と左から交互に音が出てきたほうが、掛け合いとしては効果的なのは間違いないでしょう。でもレコードになって出てくる音は1vと2vが重なった瞬間だけ指揮者のいる(はずの)場所から聞こえて来ちゃうのですw山田さんは、きっとドボルザークが耳にした「彼のオリジナルな音」をきれいに再現させたかったのだろうと私は感じています。
なんと!珍しい11:40Fisだ!
さういへば読響を聴くのはどえらく久しぶりだな。
スケールの大きさとは無縁な、落ち着きのない新世界。
13:28
会場で聴いたら忘れえぬ感銘を受けたでしょうね。東京に住んでるのにこういう演奏会を聞き逃すのがすごくくやしい(^^;) 山田和樹さんの指揮は何年か前にサイトウキネンでベートヴェンの7番をやられた。これも私にとって忘れられない演奏です。松本までクルマを飛ばしていった懐かしい思い出があります。
耳慣れた曲だったはずなのに、とても新鮮に感じました。第一楽章から第四楽章まで緊張と癒しに満ち溢れているように感じました。あっという間の45分間でした。こんなに瑞々しくてキラキラしたオーケストラの演奏を久しぶりに聴けました。曲終わりから山田さんの溜め、聴衆からの拍手、痺れました。
今まで聴いた新世界で1番好きな演奏です。生で聴いて見たかった🥰✨✨✨
読響の金管めちゃくちゃ好き。
前に読響で惑星聴いた時、音に溺れそうなくらい金管が上手くて感激しました。
23:53からのチェロがすごすぎる。とても美しい。もちろんバイオリンもとっても素敵。読響の子のコンサートは実際には聴きに行っていないけれど、実際に聴いたことのあるオケより感動した。
山田さんの新世界の新鮮な解釈に感動。イングリッシュホルンはN響のオーボエ奏者池田昭子さんです。業界ではトラ(エキストラ)と言いますが、イングリッシュホルンでは、日本最高峰の池田さんが参加されているのは納得。久しぶりに池田さんの「家路」が聴けて最高です。
指揮がすごい楽しそうで好き
山田和樹さん指揮素晴らしいですね、聴き慣れているはずの新世界からでいままで聴こえてこなかった音をいくつも確認できました、実に新鮮でした。
弦の迫力が素晴らしい。
これ、ハマりそう。
今まで聴いてきた「新世界より」の中で最も好きな演奏です!
会場で聴けた方々がうらやましい!
今日きいた中では読響が一番。これからは読響をメインに聴いていくぞ。
楽しかった〜😽
フライング拍手しないところに、聴衆レベルの高さを見た。
我が地元もこうであってほしい。
コロナのせいで世界中が酷い目にあいましたが、愚かなフライングブラボーが一掃されたことはちょっと嬉しいです。
あまりにも代償が大きいので「いいこと」とは言えませんが。。。
This is only the second time I see the viola section sits inside of violin I.
ティンパニが実に良い音。
N響の動画から来ました。池田さんのEH素晴らしいですね🎉優しい音色で表現豊かです♪
池田さんに対してのコメントが多いですが‥オーボエは古部先生?
一瞬どこのオケを聴いているのかわからなくなりました。
いずれにせよ、山田和樹さんの新鮮かつ熟練の解釈に牽引されたこのドヴォルジャークはとても素晴らしい演奏だと思います。
2楽章、池田昭子さんのE.Hor.感服です。2014年、デュトワ/N響の演奏と比べ、山田の2楽章はややテンポが遅いとは言え、池田さんはほぼ完璧です。オーケストラ個々の演奏者に特に好き嫌いはないのですが、どうやら池田さんにははまったようです。
池田さんてN響なのになんで居るんですかね、ソロのためにわざわざ呼ばれているとか?
オーケストラでは他のオーケストラに所属しているメンバーに臨時で出演してもらうことがよくあります。いわゆるエキストラで、オーケストラの人々は、「トラ」と言っています。池田さんはEHr.(イングリッシュ・ホルン/コールアングレ)の名手なので、よく他のオーケストラにかり出されているようです。
オーケストラでは、メンバー以外の奏者が出演することがしばしばあります。エキストラと言いますが、オーケストラの人は「トラ」といっているようです。エキストラの下2文字ですね。
12:37
29:50 !!!
新解釈のところでみんなニヤリ
😊
34:34
そこら辺の高校のただの吹奏楽部員ですが、山田和樹先生の事が気になり調べているとこの動画にたどり着きました。クラシックのことはほぼ無知なので分からなかったのですが、29:50のヴァイオリンの方々が見つめあって少し微笑んでいるのは指揮でなんらかの指示や演奏の仕方に一風変わったことがあったのですか?とても気になります!教えて頂きたいです
私が答えるのもどうかと思ったのですが、うpしたので私なりのお答えをします。
山田氏の解釈は全編を通して「新世界より」の新解釈と言えるアプローチですね。
平たく言うと相当に過激な解釈です。
この演奏の演奏前のインタビューで山田氏が言っていましたが「やっとこの演奏ができるオーケストラに出会えた」と言った旨のお話をしていました。
この両者にはそれだけの信頼関係が築けているということですね。
そんな両者が超有名曲の「新世界より」で全く新しい解釈をいわば「ぶちかます」期待と興奮、そして緊張が全編を通して演奏に現れているのでしょう。
それはそのまま演奏者の表情にも表れている、そんな一コマが29:50のシーンでしょう。
「してやったり」と言った感じでしょうか。
スケルツォは速めのテンポでグイグイと進め、続くトリオは各パート、特に木管のフレージングに工夫を凝らした歌わせ方が肝ですね。
コンマスとコンマスサイドはこのテンポの揺らぎを合わせる際にお互い「つい目があって」ニッコリしたんでしょう、楽しかったんでしょうね。
お互いが聴き合っているときに目が合うことはよくあることですが、ニッコリするシーンがカメラに収められることは少ないですね。
似たような場面で39:06のヴィオラの人もやはり隣の人と聴きあってアンサンブルをしているのが映っていますね。
よく見ると他にもちらほら映っていますよ。
好き嫌いのはっきり分かれる演奏ですが、私は大好きです。
オケの面々も楽しそうに弾いています。
まぁ「よーやるわ」と言う思いもあったと思いますけど(笑)
ぜひ色んな演奏を聴いてください。
聴き比べはクラシックの最大の楽しみの一つです。
聴き比べればこの演奏の過激さも分かると思いますよ。
演奏の違いに演奏者の想いや人生、歴史が詰まっています。
どれが好きかは自分の自由ですので思う存分聴いて好きな演奏を探してください。
吹奏楽部なら演奏者の気持ちもわかるでしょうから楽しさは倍増ですよ!
あなたよりは長く生きている分、少し知っているので長文を書かせていただきました。
いい演奏、好きになることのできる演奏に出会えるといいですね。
演奏家がアイコンタクトをして、互いにニコッて微笑むのは、インド音楽とかジャズではよく見ますね。
本来アンサンブルは互いに音を聴き合ってやるものですから、相手の方に顔を向けるのは、むしろ自然なことですよね。
コンマスが間違って1拍(半拍?)早く入ったからです。
やっちまったなー、でも崩壊しないでよかったね😁
コンマスだけ抑えてる所が違ってザッツも早く出してます。
よく聞くと本来無い音が鳴ってます。
マエストロの新解釈かもしれませんが。。
29:50は普段演奏される楽譜から1stバイオリンの音が変更されているのかと思いました。
木管のメロディが登場する前の1stバイオリンが通常だと
ラソド ラソド ラソド と三回繰り返すのですが、
この演奏だと最後の一回がシソドになってます。
ラソド ラソド [シ]ソド という感じで。
ここが新解釈で、バイオリンの皆さんがこの部分でみんなでニヤッとしてるのかと思いました。
9:50
1楽章の繰り返しやるなんて珍しい...
アラサー主婦の生意気をお許しください。
高校時代に指揮者を志した父の影響で、私もほんのちょっとだけクラシック音楽がわかるようになりました。
普段はかたくなに現代配置の読売日響が珍しく折衷型の対向配置でびっくりしました。
普段のヴィオラの位置にセコバイを配したのは山田氏の意向だと思います(本当はクーベリックやクレンペラーのようにチェロとコントラバスを左に配する古典型対向配置にしたかったのでは?)。
解釈は本家であるクーベリックとはかなり異なりますが、とても斬新で楽しめました。
別に生意気だとは思いません。
ただ、この配置が折衷案の妥協的配置と言うご指摘は違うと思います。
もし妥協せざるを得ないような状況なら、こんな過激な解釈はできないのではないでしょうか。。
配置以上にオケからの拒否反応は大変でしょう。
でもオケは楽しそうに弾いていますし、ヴィオラの面々の嬉しそうな顔は観ていて気持ちいいものではないでしょうか。
山田氏は新しい響きを探求することを目的として、この配置を選んだと思います。
両者に信頼関係があるからこそ、山田氏の新しい解釈を生かすためのこの新しい配置にトライできたと思います。
1stVnと2ndVnは掛け合いを目的に対抗配置。
1stVnの奥にVaを配置することで1stVnのメロディの下支えを。
Vcを正面に置くことでたっぷり歌わせ、Cbは耳慣れた上手に置くことでベースラインを際立たせる。
これで弦セクションは各パートの絡み合いが際立つうえで、響きもブレンドできる新しい配置だと思います。
私はこの配置に思わず唸ると同時になぜ今まで誰もしなかったんだろうと思った次第です。
コメントの書き込みに「この配置を見たのは2回目」というものがあったので誰かやってるんですね。
私は初めて見ましたが、これは良いと思います。
ブラームスや、ブルックナーでもこの配置は効果があると思います。
ストコフスキーが編み出した現代配置の次世代版として普及すれば面白いと思います。
ただ、オーケストラからは拒否反応はあるでしょう。
Vnの対抗配置は合わせにくいので基本嫌がる人が多いのではないでしょうか(私もオケにお願いしたらものすごく嫌な顔をされました)。
でも最近は対抗配置も見直されて大分慣れてきたというのもあるでしょう。
ときどき見かけるようになりました。
ただCbが上手に来るのはバラスの取りやすさと言う合理的理由からだと思います。
配置の歴史はググってください。
現代配置はそれはそれで合理的理由があって生まれたものですから。
面白いですよ、配置の歴史も。
古典時代とは楽器の機能も、ホールの響きも違うので一概に古典配置が良いとは思いません。
古典配置至上主義の方もいますが、人それぞれではないでしょうか。
要は演奏が面白ければいいと思います。
あくまでも私の個人的解釈と意見です。
また批判を目的とはしておりませんので誤解なきように。
半世紀以上前に仕入れた知識なので、正しいか否か自信たっぷりには言えないのですが・・・
オーケストラというものが徐々にその規模を拡大し、古典派後期あたりから舞台上の楽器の配置が作曲者や指揮者の意向を反映して決められるようになったと言われます。
一時は中央(指揮者の眼の前あたり)の左右に1vと2vが並びビオラ・チェロ・Dベースがそれぞれ左右二組に分かれてバイオリンの外側に配置されてたこともあったらしいです。
その後バイオリンが前列の左右(指揮者の真横あたり)に1と2が別れ、ビオラ・チェロが中央に、Dベースが奥に引っ込む形になり、これが最もオーソドックスな形として定着したようです。
その配置が今のように大きく変わったのが、1930年代に確立されたと言われる「ステレオ録音」の登場でした。フルトベングラー。トスカニーニあたりまではほぼモノラル録音しか
なかったのが、ワルターあたりからステレオレコードが本格商業化されてきます。そこで起こったのが「定位」の問題でした。
ステレオ録音は一般に、左右2本のマイクで音を拾い左右のスピーカーから再生させます。
従来のオケの配置で演奏すると、1vは主に左のマイクが、2vは主に右のマイクが音を拾いそれぞれ左右のスピーカーから音を出します。聞いている人には1vの音は主に左のスピーカーから、2vの音は右のスピーカーから聞こえてくるのですが、ここでもし、1vと2vがユニゾンで全く同じメロディを奏でたら?・・・
そう、バイオリンの音色が指揮者の周りから溢れ出てきてしまいますw
当時先駆的にステレオ録音に取り組んでいたストコフスキーが再生音を耳にしてボソッと『だめだこりゃっ』と呟いたとか呟かなかったとか。
ここで出てきたアイデアが「1vと2vを左に並べて配置する」というものだったという話です。
ベト7のフィナーレを思い浮かべてみてください。最終盤で1vと2vが掛け合いながら盛り上がって行きます。ステージの右と左から交互に音が出てきたほうが、掛け合いとしては効果的なのは間違いないでしょう。でもレコードになって出てくる音は1vと2vが重なった瞬間だけ指揮者のいる(はずの)場所から聞こえて来ちゃうのですw
山田さんは、きっとドボルザークが耳にした「彼のオリジナルな音」をきれいに再現させたかったのだろうと私は感じています。
なんと!珍しい
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Fisだ!
さういへば読響を聴くのはどえらく久しぶりだな。
スケールの大きさとは無縁な、落ち着きのない新世界。
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