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有り難うございました‼️懐かしいです✨僕が小学生の頃は稚内の人口が55000人程あったんですが排他的経済水域いわゆる200カイリ問題と国鉄民営化に伴うJR発足で一気に人口減が加速して行きました。。実は稚内空港はその昔現所在地以前は国道沿いに面していて今より非常に簡素な空港だったんです(笑)札幌からの便が稚内上空悪天候の為着陸出来ず札幌に引き返すのもしばしば(笑)その昔の空港🅿️で夜に街灯を利用して父親付き添いでスピードスケート用のローラースケートの練習をしてたのが懐かしいです(笑)大韓航空機撃墜の翌年宗谷岬周辺で慰霊のマラソン大会があって何故か参加させられました(笑)今回ゾヌ氏の周辺道路の歴史知識が非常に勉強になりました💡旭川から上の道北地区は何もスポットが無くてとかく旧天北線などの廃線跡中心に取り上げられるのがメインな気がするので是非とも廃道や廃トンネルも今後取り上げて頂けると有難いです🙏
空港の駐車場でスケートとは、さぞやツルツルだったんですね(笑慰霊マラソンと言うのも今の時代なら意味がわからんと叩かれていたのかも・・(汗国道40号の旧道はこの旅でいくつか歩いてきたのでそのうち動画にします。
懐かしいですね、宗谷岬、ツーリングの時に来ましたw、良いなぁこんなに晴れていてw、1986年夏でしたが、宗谷地方を訪れた日はずっと曇り、又は雨でしたね。稚内からオロロンラインで札幌へ戻る時に、オロロンラインでは常に晴れていたんですがね、途中牧場のある道路を走行していたらカーブの先の牧場内に牛が2頭居て、こちらをみるといきなり💖行為。こっち見ながらするなよ!、そんな思いで(笑)。
ホントに良い日和でした。もっと色々行けばよかったですが時間が・・いや~ウシの☓☓☓なんて苦笑
動画の内容が濃くて素敵でした。懐かしい景色…。宗谷村の公園には動画にも触れていたコーヒー豆の石碑がありますね。宗谷岬では、ボラが大量発生したのを目撃したり、やけに人馴れしたキタキツネがいたり、弁天島から無数のトドの鳴き声が夕方に轟いたり…稀に風がない時は海面が鏡面になって空が写ります。晴れているときに祖母の故郷である樺太を眺めてたのが思い出されます。色々な表情を見せてくれるのでお気に入りの場所でした。
いつも拝見しています。同じ日に宗谷岬に居ました。😁
そうなんですね!ってなんでわかったんですか!?あ、土産屋の時計か!
こんばんわ🌷叔父の家が宗谷岬のすぐ近くだった為叔父の葬儀が終わった翌日父と二人散歩した思い出の地・・懐かしいです(ToT) 早朝だったので樺太がよく見えました!!その父も叔父ももうおりませんがいつかゆっくり父の故郷回ってみたいです🌿 ゾヌさん今回の長い距離の探索配信本当にありがとうございました👍️🍀
樺太、この時は見えませんでした。宗谷岬にも思い出がおありなんですね。遠いですが、いつかゆっくり見て回る事が出来ると良いですね。
お疲れ様です。5:24初めてここを通ったときは、風が強く森林土壌が形成しづらいところなのかな?とも思いましたが火事があったんですねゾヌさんの宿題ですか?道北方面の動画多いので神路駅跡……
宗谷本線の沿線を延々歩くハメになるのでは(笑
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 さすがゾヌさん知ってましたか😅あそこは安易に近づけないですな😓
宗谷岬の歴史が分かり勉強になります👍VOR、旧海軍の望楼も初めて知りました😊祈りの塔も詳しく知ることが出来感謝します。次回作も楽しみにしております🎵
ありがとうございます。
昔、宗谷岬のお土産屋さんが宗谷岬 (ダ・カーポ )をエンドレスで流してたww2:10の電波塔は稚内漁業無線局です
あ、漁業無線なんですね。ダ・カーポ、青春は海~って曲が好きです。
空が広くて気持ちいいドライブいいなぁ
お疲れ様です、稚内から岬までが、また長いですよね~。AMラジオのサハリン放送(?)を聞いて走ると退屈しのぎになります、二時間に一回はABBAが流れてますね。
長いんですよね~若干飽きました(笑ラジオか!その発想はなかった!
自分も最初行ったときは、銚子駅~犬吠埼くらいの距離かと思っていましたが、30kmあるんですよね。これ、横浜駅~観音崎(浦賀)とほぼ同じ距離です。道内ではその他、様似駅~襟裳岬(37km)、根室駅~納沙布岬(23km)など、到底歩いては行けない観光岬が多いですね。
「空港 オレンジのやつ」でヒットするの、Google先生すごいですね!VORは国内の空港に「もれなく付いてくる」施設です。空港着陸用だけでなく、上空を飛んでロシアやサハリンに向かう航空機にとっても重要な施設で、自機から見てそのVORの方向がどちらなのかが0~359°の数字で操縦席の計器に表示されるようになっています。国道や廃道めぐりもコアな分野ですが、世の中にはこの全国各地のVORを尋ねて回るさらにコアなマニアも存在します。
結構大きくて異様な見た目ですね。それをめぐるファンまでいるとは、まったく世は広い
「コーヒー」の発音を聞いて、自分もこの発音だったなと懐かしく感じました。
北海道を、離れて20年。稚内には友人がいるので岬には何回か行きました。懐かしい景色です。豊富、天塩、遠別なども撮影にいかないですか?
追々やっていきたいですね。全道の市町村道路探索が目標です。でも遠い・・
天気が良くて快適なドライブでしたね😃室内は暑かったらしいけど、道北はあまり冷房を使わないのかな?
北海道自体あまり冷房は使わないですね。使いたい日が年間数日とかなので
お疲れ様です。弁天島の存在や、そこが最北の地であるなんて全く知りませんでした。宗谷岬も今年数回通ってますが、武士の銅像が誰なのかも知らなければ白い塔に至っては単なる最北端のモニュメントだと思ってました。色々勉強になるお話しをありがとうございます。私個人の勝手な意見ですが灯台は四角より丸が好みです。シカ注意の文字は車から見ると丁度良く見えるよう実際はかなり縦長に描かれてます。て、知ってらっしゃったならごめんなさい。
私も灯台は丸い方が好きですね。道路の文字は実際見てみるとホント縦長ですよね。
宗谷岬は、積丹神威岬や襟裳岬のように最果て感は皆無ですが、観光地として行き易いところですね。宿泊も含めて何回か行きましたが、サハリンは1回くらいしか見えませんでした。稚内市街地からそこそこ時間かかるのは、地図を見ているだけではわかり難いと思います。個人的には、背景の宗谷丘陵ドライブはおすすめですね。
到着した時はやや拍子抜けでした。サハリン、見えなかったな・・次来たら宗谷丘陵も走りたい
高校二年生まで、生まれ育った故郷です。稚内公園の墓参りに、行きたくなりました。動画ありがとうございました。…(^.^)(-.-)(__)
11月下旬に稚内・宗谷岬に行く予定です。この時期はもう雪は降り始めてるんでしょうかね?
下旬なら可能性あります。死ぬほど積もってはいないでしょうけれど、ドライブするなら気をつけて下さい。
2:08 電波塔は稚内漁業無線局の電波塔で遠くアルゼンチン沖までカバーしているそうですよ。
30年以上前にバイクで行ったことがあります。土産物屋さんで、宗谷岬の歌を流していたのですが、二か所で放送状態、しかも同調しておらず、どちらも好きに流していたので、ちょっと待ってよ!!っていう思い出があります。じっくり観光はしなかったのですが、海の水は舐めておきました。しょっぱかった。
海の水舐めたんですか!?そりゃしょっぱいべさ~
こんにちは、ここは、稚内も含め5年前に訪れた事があります。稚内から宗谷岬の道のりはブギウギ専務でも歩いており冬は吹雪いて通行止めになる事がよくあるそうです。灯台まで行く余裕がなく、行きませんでしたが(と、言いつつフットパスには行ってます)大韓航空機の慰霊碑があるのは知りませんでした。あの水色のお土産屋の奥にはちょっとしたアイスパビリオン的な施設があり、白熊のはく製や何かの動物のはく製や流氷等展示していました。今やっているかはわかりませんが。どうぞ、運転等お気を付けて探索してください。
ありがとうございます。歩きですか!専務気合入ってるな~!まあ道は平坦ですけどね。アイスパビリオンは知りませんでした。滅多に行けませんがまだまだ探索が必要ですね。
当時、稚内、北見枝幸で仕事をしていました。警察官などか複数で海岸を歩いていましたね。この事故がきっかけでアメリカ軍がGPSを民間にも開放したと聞いています。
物々しいですね。戦後にはスパイ騒動もあったとか。まさしく国境ですね。
サハリン迄43kmも有るんですね😮😮😮もっと近いと思ってました😂😂😂稚内市は滅多に行かないし宗谷岬も1~2回しか行って無いしどちらかと言うともう1つの岬の方が行く確率は高いです。
2021年10月に稚内市内~宗谷岬を自転車で往復しました。旅先では現地のローカルFMをよく聞くのですが、FM稚内は平日の午前中から昭和のムード歌謡?が延々と流れており、異世界感が半端なかったです。食堂最北端のほたてラーメン美味しかったです。
いやあ、食事すれば良かったなあ昼食とった後でして
宗谷岬は何度も訪れています。宗谷岬の手前から宗谷丘陵へ入ると絶景が広がっています。立ち並ぶ風力発電の風車と一番高いところにあるレーダー基地。宗谷岬に降りる手前で間宮堂のホタテラーメンを食べるのがいつものルートです。
こんなに天気が良かったのに丘陵に登らなかったのがもったいなかった・・
宗谷岬は最北端の碑や灯台などがなかったら最北端の岬とは認識しづらいですね。そもそも岬という感覚すらないし。ここに行くと必ず最北端の碑の裏側から南を見て「今、国内の全国民は自分の視野より南にいるんだ!」と自己満足をして来ます。
その時に船が通り過ぎたら興醒めですね(笑
海はきれいですが、流石にオホーツク海、以前海が荒れた翌日に旭川が暑かったので猿払の友人に電話で岸に寄せられた帆立を取りたいと伝えたら天気は良いけど海中は冷たくて入れないと言われました、晴天でも海水浴は年に2~3日だそうですよ。
そうなんですね。見た目に騙されて入ったらあっという間に体力持ってかれるますな。
ダ・カーポの「宗谷岬」と言えば用事があって電話をした稚内保健所の電話機保留曲(オルゴールバージョン)だったなぁ、と。我が家にとって稚内は観光地と言うよりは買い物や用足しのための生活圏と言った処です。
ダ・カーポは青春は舟が好きですね
昨夜宗谷岬方面に夜釣りに向かう道中結構鹿がいたんだけど運悪く鹿に追突した車がいました。急ブレーキの跡もなく、鹿は死んでいたので減速もする間も無く追突してしまったんでしょうね急ハンドルで鹿を避けて大きな事故にならなくってだけでもマシだったかな。
シカのサイズと車種によってはこっちも死にますからね~ヒヤッとした経験は何度も
クリリオン岬と聞いて大韓航空機の撃墜事件を思い出しました。冷戦時代、稚内やその周辺はかなり神経をすり減らしていたと聞きます。新たな冷戦時代に入り、稚内は国防の最重要拠点として見ていかなければならないでしょう。あくまで個人的見解ですが…
私もそう思います。
VOR(無線標識からの方位を知る)はDME(無線標識からの距離を知る)やTACAN(本来は軍用だけど民間でも使う)と併用されますね。空港の有無とは関係なく航法に重要な地点に設備されます。JL123事故の際は「ど~ん」でVORのアンテナが飛ばされてしまい「request position」送信に至りましたが…最北端の碑、平日でも大行列でした。公園内のラーメン屋さんは大人の事情で廃業しちゃったそうですね。世間一般どこにでもあるラーメン屋と変わらないお値段で、大きな帆立がゴロゴロ入ったラーメンが出てきて感動したのですが…
ちょっと異様な見た目をしてますよね。ホタテラーメン!食べたかった・・くそ~次は必ず
最北端食堂でホタテラーメンをいただくのが私の宗谷岬での定番です。それにしてもこんな穏やかな宗谷岬、私が行くときはいつも強風ですから初めて見ました。
食べたかったな・・ホタテラーメン・・私の行った日はかなりラッキーだったのでしょうか。もうちょっとじっくり見ておけばよかった・・
大韓航空機が領空侵犯で迎撃されたのはこの時が2度目でした。一度目はソ連領内に胴体着陸して墜落は免れましたが、懲りずに二度目を起こしてついに撃墜されてしまったわけですね。冷戦でソ連領空に近づくのはご法度とされた時代。航法チェックをしてなかったとか、迎撃態勢を確認するため軍部の指令で意図的に飛行したとか色んな説が言われていましたが、いずれにしても航空会社は選ばないと危ないと当時思ったものです。
なんと言うか・・韓国の飛行機には乗りたくない
ちなみに宗谷岬のガソリンスタンドで給油すると最北端給油証明書とお守りをくれます。
しまった!給油すればよかった・・
樺太は望めたのでしょうか?映像の中にそれらしき島影が見当たらなかったのでダメだったのでしょうね。とは云え一度は行ってみたい場所です。
宗谷岬~サハリンは約50km離れているため、空気が乾燥した北寄りの風のとき(南寄りの風のときはモヤったり霧になるため)しか見ることができません。なので夏場はほぼ望み薄です。秋~春先の晴れた寒い日などは見れる確率高いです。
見えなかったですね。一方弁天島は当然見えましたがそこに触れるの忘れてました。
岬の反対側(ノシャップ)の高台に展望台が有って条件よりけりですが島影が望めるようです。宗谷岬からの約40キロよりは遠くなりますが、標高が高くなる分見通せる距離は伸びます。
イトウ釣り師としては猿払と聞くと思わず反応してしまいますね〜。
そうそう、野生の動物って猫と同じで光を見ると、( ゚д゚)ハッ!となって道端から飛び出したりする習性があってウサギもわざわざ飛び出してくるんよね…道のド真ん中にウサギがいるとこっちに気付いて逃げるけど道に沿って逃げるか何故かターンして戻って来たりとか…まぁ習性的に一度出ると横切るまで止まれないらしいからしかたないが…
この前子鹿が飛び出してきて、ビクッと立ち止まってこけた後慌てて逃げていきました。習性にせよ難儀ですね。
この地の昆布が遠く関西で人気なのは、かつての北前船の名残なんでしょうかね。
味としても関西の薄味に合うのでしょうね。
こないだ行ったけど、道広いし車通り少ないしで皆スピード出しすぎてて笑った。後ろから迫られるのすっごい怖かったwww
北海道の平常運転(笑
ここまで来て「白い道」に行かないのは超もったいないですよ😀。自分は宗谷岬パスしてでも行ってます。白い道はもともと、この地方の特産ホタテ貝の貝殻が産業廃棄物として処分に困っていたのを、砕いてダート道に撒いたのがはじまりと聞いています。ライダーたちの口コミでひろまったとか…。白い道がある『宗谷丘陵』は、まだ観光道路もない約40年前、堀淳一先生が地形図を手に踏破され「周氷河地形」として著書で紹介されたのがコトの始まりかと思います。平成初期までは観光客は皆無でした。
堀先生はその様な実績も残されているのですね。40年前なら50代の頃でしょうか。なんとお元気な。うむ…もったいないことをしました。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 もう絶版になってますが「そしえて」社の著書「オホーツク : 春と秋の心象風景 <風土と歴史をあるく>」にこの宗谷丘陵の徒歩紀行レポが載っていました。今、たくさんの風力発電の風車が建つ絶景地帯は、当時一面背の低い灌木やクマザサの広がる原生林で、ランドマークは今もある自衛隊のレーダーサイト「丸山」。この丸山をバックにすそ野のダート道から見た周氷河地形の景色を『タコが足を大きく広げたような地形』と絶賛されていて、それが忘れられなく、90年代に地図を片手に初訪。この頃はブランド牛「宗谷牛」の牧場としてその開拓範囲を広げつつあり、「白い道」は2000年近くになって出現。今より規模も小さく全長1kmほどで、牧草地の小高い丘で忽然と行き止まりとなり、終わっていました。件の著書は、そんなにバカ高いプレミアが付いているわけではないので、古本屋サイトでも比較的容易に見つかるかと思います。たまーに、道内のブックオフで同シリーズの別の巻が110円で落ちていたりするのを目にするので、幸運に巡り合えるチャンスもあるかも。堀淳一ファンまたは宗谷丘陵の昔の姿を知りたい方は必携の一冊です。
んー(;>_<;)時間が出来れば行きたいなー。( ´∀`)ようやくここまで。コメントの返信有難う!(ФωФ)
こちらこそ、ひとつひとつ見て頂いてありがたい限りです。
宗谷岬前の食堂で提供している、ホタテラーメンはお勧めです。
メシ、我慢しておけばよかった…
鹿の表現として「四つん這いの相撲取りが宙に浮いてる」。これがセダンのボンネットで跳ね上がったら……。
先週、つい思い付きで同地まで突貫して来たけど、早朝到着だったこともあって(?)か、対岸にロシア領を望む事が出来ました。天塩から北は行ったこと無かったけど、道路の高規格化が凄まじく(特に幌延から先は)エラい走りやすかったですね。どうでも良いけど、道中、鹿二頭と猫(?)二匹の轢死体と遭遇しました。。。この時期。深夜に郊外に出ると、必ずと言って良いほど鹿の死体とご対面する。
あんなに道路を立派にしてもどれだけ使うのかな~とか思ってしまいますけどね・・まあ防衛上の理由もあるのかな鹿の死体・・私も廃道で見ますよ。あ、それは別のハナシか
戦後アメリカ軍とイギリス軍が駐留した時に日本の道路事情が、あまりにも劣悪すぎとして日本側に基地の周辺から道路整備を迫ったと本に書いてました。大韓航空の事件は何故?東西冷戦時代に大韓航空機がサハリンを横切ったのか?、当時の航空専門家がアンカレッジで自動航行装置に打ち込む経度と緯度を間違えた説を言ってましたね、ブラックボックスがソ連側に密かに回収された様ですが、ロシアに成ってから撃墜したパイロットの証言で戦闘機には警告用の曳光弾は無くて、徹甲弾しか積んで無かったので大韓航空機が領空を出る直前にミサイルで撃墜したと証言してました、日本側のレーダーサイトの記録の公開をアメリカが迫ったために外圧に弱い政府自民党が公開しました、これで日本の探知能力がバレてしまいました、本当にアメリカは自国の情報は出さない癖に他国に出されるのはズルいですよ。
今の道路網があるのもいくらか米英のおかげ、なんでしょうか。探知情報はくれてやる的な強気の記述もありますが実際は日本に得るものはあったのか…立場の弱さですね。
戦後、レーダーサイトも稚内空港も米軍(駐留)が運用していました。終戦直後は、樺太からの引き揚げ者で、人口が100万人以上、東京の次に多かったそうです。戦前から変わらない国境の地で、重要な地域です。…(^.^)(-.-)(__)
確か宗谷岬だったか何処に国か稚内に港建設断られて廃村になった闇深い漁村があるとか
現在の稚内市から宗谷岬を含んで猿払村まで旧宗谷村だったが猿払村部分は独立、稚内市部分は稚内市に吸収だから廃村なんてないんじゃないのか
どこなんでしょうね、そこ。実は廃村探索も今後のネタとして検討中です。
稚内市峰岡のことね
大韓航空機撃墜の後タコとカニがいつもより大きかったと
ははは…
有り難うございました‼️
懐かしいです✨
僕が小学生の頃は稚内の人口が55000人程あったんですが排他的経済水域いわゆる200カイリ問題と国鉄民営化に伴うJR発足で一気に人口減が加速して行きました。。
実は稚内空港はその昔現所在地以前は国道沿いに面していて今より非常に簡素な空港だったんです(笑)
札幌からの便が稚内上空悪天候の為着陸出来ず札幌に引き返すのもしばしば(笑)
その昔の空港🅿️で夜に街灯を利用して父親付き添いでスピードスケート用のローラースケートの練習をしてたのが懐かしいです(笑)
大韓航空機撃墜の翌年宗谷岬周辺で慰霊のマラソン大会があって何故か参加させられました(笑)
今回ゾヌ氏の周辺道路の歴史知識が非常に勉強になりました💡
旭川から上の道北地区は何もスポットが無くてとかく旧天北線などの廃線跡中心に取り上げられるのがメインな気がするので是非とも廃道や廃トンネルも今後取り上げて頂けると有難いです🙏
空港の駐車場でスケートとは、さぞやツルツルだったんですね(笑
慰霊マラソンと言うのも今の時代なら意味がわからんと叩かれていたのかも・・(汗
国道40号の旧道はこの旅でいくつか歩いてきたのでそのうち動画にします。
懐かしいですね、宗谷岬、ツーリングの時に来ましたw、良いなぁこんなに晴れていてw、1986年夏でしたが、宗谷地方を訪れた日はずっと曇り、又は雨でしたね。
稚内からオロロンラインで札幌へ戻る時に、オロロンラインでは常に晴れていたんですがね、途中牧場のある道路を走行していたらカーブの先の牧場内に牛が2頭居て、
こちらをみるといきなり💖行為。こっち見ながらするなよ!、そんな思いで(笑)。
ホントに良い日和でした。もっと色々行けばよかったですが時間が・・
いや~ウシの☓☓☓なんて苦笑
動画の内容が濃くて素敵でした。懐かしい景色…。
宗谷村の公園には動画にも触れていたコーヒー豆の石碑がありますね。
宗谷岬では、ボラが大量発生したのを目撃したり、やけに人馴れしたキタキツネがいたり、弁天島から無数のトドの鳴き声が夕方に轟いたり…稀に風がない時は海面が鏡面になって空が写ります。
晴れているときに祖母の故郷である樺太を眺めてたのが思い出されます。
色々な表情を見せてくれるのでお気に入りの場所でした。
いつも拝見しています。同じ日に宗谷岬に居ました。😁
そうなんですね!
ってなんでわかったんですか!?
あ、土産屋の時計か!
こんばんわ🌷
叔父の家が宗谷岬のすぐ近くだった為叔父の葬儀が終わった翌日父と二人散歩した思い出の地・・懐かしいです(ToT) 早朝だったので樺太がよく見えました!!その父も叔父ももうおりませんがいつかゆっくり父の故郷回ってみたいです🌿 ゾヌさん今回の長い距離の探索配信本当にありがとうございました👍️🍀
樺太、この時は見えませんでした。
宗谷岬にも思い出がおありなんですね。
遠いですが、いつかゆっくり見て回る事が出来ると良いですね。
お疲れ様です。
5:24初めてここを通ったときは、風が強く森林土壌が形成しづらいところなのかな?とも思いましたが火事があったんですね
ゾヌさんの宿題ですか?道北方面の動画多いので神路駅跡……
宗谷本線の沿線を延々歩くハメになるのでは(笑
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 さすがゾヌさん知ってましたか😅あそこは安易に近づけないですな😓
宗谷岬の歴史が分かり勉強になります👍
VOR、旧海軍の望楼も初めて知りました😊
祈りの塔も詳しく知ることが出来感謝します。
次回作も楽しみにしております🎵
ありがとうございます。
昔、宗谷岬のお土産屋さんが宗谷岬 (ダ・カーポ )をエンドレスで流してたww
2:10の電波塔は稚内漁業無線局です
あ、漁業無線なんですね。ダ・カーポ、青春は海~って曲が好きです。
空が広くて気持ちいいドライブいいなぁ
お疲れ様です、稚内から岬までが、また長いですよね~。AMラジオのサハリン放送(?)を聞いて走ると退屈しのぎになります、二時間に一回はABBAが流れてますね。
長いんですよね~若干飽きました(笑
ラジオか!その発想はなかった!
自分も最初行ったときは、銚子駅~犬吠埼くらいの距離かと思っていましたが、30kmあるんですよね。これ、横浜駅~観音崎(浦賀)とほぼ同じ距離です。
道内ではその他、様似駅~襟裳岬(37km)、根室駅~納沙布岬(23km)など、到底歩いては行けない観光岬が多いですね。
「空港 オレンジのやつ」でヒットするの、Google先生すごいですね!
VORは国内の空港に「もれなく付いてくる」施設です。空港着陸用だけでなく、上空を飛んでロシアやサハリンに向かう航空機にとっても重要な施設で、自機から見てそのVORの方向がどちらなのかが0~359°の数字で操縦席の計器に表示されるようになっています。
国道や廃道めぐりもコアな分野ですが、世の中にはこの全国各地のVORを尋ねて回るさらにコアなマニアも存在します。
結構大きくて異様な見た目ですね。
それをめぐるファンまでいるとは、まったく世は広い
「コーヒー」の発音を聞いて、自分もこの発音だったなと懐かしく感じました。
北海道を、離れて20年。稚内には友人がいるので岬には何回か行きました。懐かしい景色です。豊富、天塩、遠別なども撮影にいかないですか?
追々やっていきたいですね。
全道の市町村道路探索が目標です。でも遠い・・
天気が良くて快適なドライブでしたね😃室内は暑かったらしいけど、道北はあまり冷房を使わないのかな?
北海道自体あまり冷房は使わないですね。
使いたい日が年間数日とかなので
お疲れ様です。
弁天島の存在や、そこが最北の地であるなんて全く知りませんでした。
宗谷岬も今年数回通ってますが、武士の銅像が誰なのかも知らなければ白い塔に至っては単なる最北端のモニュメントだと思ってました。
色々勉強になるお話しをありがとうございます。
私個人の勝手な意見ですが灯台は四角より丸が好みです。
シカ注意の文字は車から見ると丁度良く見えるよう実際はかなり縦長に描かれてます。
て、知ってらっしゃったならごめんなさい。
私も灯台は丸い方が好きですね。
道路の文字は実際見てみるとホント縦長ですよね。
宗谷岬は、積丹神威岬や襟裳岬のように最果て感は皆無ですが、観光地として行き易いところですね。宿泊も含めて何回か行きましたが、サハリンは1回くらいしか見えませんでした。稚内市街地からそこそこ時間かかるのは、地図を見ているだけではわかり難いと思います。個人的には、背景の宗谷丘陵ドライブはおすすめですね。
到着した時はやや拍子抜けでした。
サハリン、見えなかったな・・
次来たら宗谷丘陵も走りたい
高校二年生まで、生まれ育った故郷です。稚内公園の墓参りに、行きたくなりました。動画ありがとうございました。…(^.^)(-.-)(__)
11月下旬に稚内・宗谷岬に行く予定です。この時期はもう雪は降り始めてるんでしょうかね?
下旬なら可能性あります。
死ぬほど積もってはいないでしょうけれど、ドライブするなら気をつけて下さい。
2:08 電波塔は稚内漁業無線局の電波塔で遠くアルゼンチン沖まで
カバーしているそうですよ。
30年以上前にバイクで行ったことがあります。
土産物屋さんで、宗谷岬の歌を流していたのですが、二か所で放送状態、しかも同調しておらず、どちらも好きに流していたので、ちょっと待ってよ!!っていう思い出があります。じっくり観光はしなかったのですが、海の水は舐めておきました。
しょっぱかった。
海の水舐めたんですか!?そりゃしょっぱいべさ~
こんにちは、
ここは、稚内も含め5年前に訪れた事があります。稚内から宗谷岬の道のりはブギウギ専務でも歩いており冬は吹雪いて通行止めになる事がよくあるそうです。灯台まで行く余裕がなく、行きませんでしたが(と、言いつつフットパスには行ってます)大韓航空機の慰霊碑があるのは知りませんでした。あの水色のお土産屋の奥にはちょっとしたアイスパビリオン的な施設があり、白熊のはく製や何かの動物のはく製や流氷等展示していました。今やっているかはわかりませんが。
どうぞ、運転等お気を付けて探索してください。
ありがとうございます。
歩きですか!専務気合入ってるな~!
まあ道は平坦ですけどね。アイスパビリオンは知りませんでした。滅多に行けませんがまだまだ探索が必要ですね。
当時、稚内、北見枝幸で仕事をしていました。警察官などか複数で海岸を歩いていましたね。
この事故がきっかけでアメリカ軍がGPSを民間にも開放したと聞いています。
物々しいですね。戦後にはスパイ騒動もあったとか。
まさしく国境ですね。
サハリン迄43kmも有るんですね😮😮😮
もっと近いと思ってました😂😂😂
稚内市は滅多に行かないし宗谷岬も1~2回しか行って無いしどちらかと言うともう1つの岬の方が行く確率は高いです。
2021年10月に稚内市内~宗谷岬を自転車で往復しました。旅先では現地のローカルFMをよく聞くのですが、FM稚内は平日の午前中から昭和のムード歌謡?が延々と流れており、異世界感が半端なかったです。食堂最北端のほたてラーメン美味しかったです。
いやあ、食事すれば良かったなあ
昼食とった後でして
宗谷岬は何度も訪れています。宗谷岬の手前から宗谷丘陵へ入ると絶景が広がっています。立ち並ぶ風力発電の風車と一番高いところにあるレーダー基地。宗谷岬に降りる手前で間宮堂のホタテラーメンを食べるのがいつものルートです。
こんなに天気が良かったのに丘陵に登らなかったのがもったいなかった・・
宗谷岬は最北端の碑や灯台などがなかったら最北端の岬とは認識しづらいですね。そもそも岬という感覚すらないし。
ここに行くと必ず最北端の碑の裏側から南を見て「今、国内の全国民は自分の視野より南にいるんだ!」と自己満足をして来ます。
その時に船が通り過ぎたら興醒めですね(笑
海はきれいですが、流石にオホーツク海、以前海が荒れた翌日に旭川が暑かったので猿払の友人に電話で岸に寄せられた帆立を取りたいと伝えたら天気は良いけど海中は冷たくて入れないと言われました、晴天でも海水浴は年に2~3日だそうですよ。
そうなんですね。
見た目に騙されて入ったらあっという間に体力持ってかれるますな。
ダ・カーポの「宗谷岬」と言えば用事があって電話をした稚内保健所の電話機保留曲(オルゴールバージョン)だったなぁ、と。
我が家にとって稚内は観光地と言うよりは買い物や用足しのための生活圏と言った処です。
ダ・カーポは青春は舟が好きですね
昨夜宗谷岬方面に夜釣りに向かう道中結構鹿がいたんだけど
運悪く鹿に追突した車がいました。
急ブレーキの跡もなく、鹿は死んでいたので減速もする間も無く追突してしまったんでしょうね
急ハンドルで鹿を避けて大きな事故にならなくってだけでもマシだったかな。
シカのサイズと車種によってはこっちも死にますからね~
ヒヤッとした経験は何度も
クリリオン岬と聞いて大韓航空機の撃墜事件を思い出しました。冷戦時代、稚内やその周辺はかなり神経をすり減らしていたと聞きます。新たな冷戦時代に入り、稚内は国防の最重要拠点として見ていかなければならないでしょう。あくまで個人的見解ですが…
私もそう思います。
VOR(無線標識からの方位を知る)はDME(無線標識からの距離を知る)やTACAN(本来は軍用だけど民間でも使う)と併用されますね。空港の有無とは関係なく航法に重要な地点に設備されます。JL123事故の際は「ど~ん」でVORのアンテナが飛ばされてしまい「request position」送信に至りましたが…
最北端の碑、平日でも大行列でした。公園内のラーメン屋さんは大人の事情で廃業しちゃったそうですね。世間一般どこにでもあるラーメン屋と変わらないお値段で、大きな帆立がゴロゴロ入ったラーメンが出てきて感動したのですが…
ちょっと異様な見た目をしてますよね。
ホタテラーメン!食べたかった・・くそ~次は必ず
最北端食堂でホタテラーメンをいただくのが私の宗谷岬での定番です。
それにしてもこんな穏やかな宗谷岬、私が行くときはいつも強風ですから初めて見ました。
食べたかったな・・ホタテラーメン・・
私の行った日はかなりラッキーだったのでしょうか。
もうちょっとじっくり見ておけばよかった・・
大韓航空機が領空侵犯で迎撃されたのはこの時が2度目でした。
一度目はソ連領内に胴体着陸して墜落は免れましたが、懲りずに二度目を起こしてついに撃墜されてしまったわけですね。冷戦でソ連領空に近づくのはご法度とされた時代。航法チェックをしてなかったとか、迎撃態勢を確認するため軍部の指令で意図的に飛行したとか色んな説が言われていましたが、いずれにしても航空会社は選ばないと危ないと当時思ったものです。
なんと言うか・・韓国の飛行機には乗りたくない
ちなみに宗谷岬のガソリンスタンドで給油すると最北端給油証明書とお守りをくれます。
しまった!給油すればよかった・・
樺太は望めたのでしょうか?映像の中にそれらしき島影が見当たらなかったのでダメだったのでしょうね。とは云え一度は行ってみたい場所です。
宗谷岬~サハリンは約50km離れているため、空気が乾燥した北寄りの風のとき(南寄りの風のときはモヤったり霧になるため)しか見ることができません。なので夏場はほぼ望み薄です。秋~春先の晴れた寒い日などは見れる確率高いです。
見えなかったですね。
一方弁天島は当然見えましたがそこに触れるの忘れてました。
岬の反対側(ノシャップ)の高台に展望台が有って条件よりけりですが島影が望めるようです。宗谷岬からの約40キロよりは遠くなりますが、標高が高くなる分見通せる距離は伸びます。
イトウ釣り師としては猿払と聞くと思わず反応してしまいますね〜。
そうそう、野生の動物って猫と同じで光を見ると、( ゚д゚)ハッ!となって道端から飛び出したりする習性があってウサギもわざわざ飛び出してくるんよね…
道のド真ん中にウサギがいるとこっちに気付いて逃げるけど道に沿って逃げるか何故かターンして戻って来たりとか…
まぁ習性的に一度出ると横切るまで止まれないらしいからしかたないが…
この前子鹿が飛び出してきて、ビクッと立ち止まってこけた後慌てて逃げていきました。習性にせよ難儀ですね。
この地の昆布が遠く関西で人気なのは、かつての北前船の名残なんでしょうかね。
味としても関西の薄味に合うのでしょうね。
こないだ行ったけど、道広いし車通り少ないしで皆スピード出しすぎてて笑った。後ろから迫られるのすっごい怖かったwww
北海道の平常運転(笑
ここまで来て「白い道」に行かないのは超もったいないですよ😀。自分は宗谷岬パスしてでも行ってます。白い道はもともと、この地方の特産ホタテ貝の貝殻が産業廃棄物として処分に困っていたのを、砕いてダート道に撒いたのがはじまりと聞いています。ライダーたちの口コミでひろまったとか…。白い道がある『宗谷丘陵』は、まだ観光道路もない約40年前、堀淳一先生が地形図を手に踏破され「周氷河地形」として著書で紹介されたのがコトの始まりかと思います。平成初期までは観光客は皆無でした。
堀先生はその様な実績も残されているのですね。40年前なら50代の頃でしょうか。なんとお元気な。
うむ…もったいないことをしました。
@@ゾヌ廃道廃墟道路探索北 もう絶版になってますが「そしえて」社の著書「オホーツク : 春と秋の心象風景 <風土と歴史をあるく>」にこの宗谷丘陵の徒歩紀行レポが載っていました。
今、たくさんの風力発電の風車が建つ絶景地帯は、当時一面背の低い灌木やクマザサの広がる原生林で、ランドマークは今もある自衛隊のレーダーサイト「丸山」。この丸山をバックにすそ野のダート道から見た周氷河地形の景色を『タコが足を大きく広げたような地形』と絶賛されていて、それが忘れられなく、90年代に地図を片手に初訪。この頃はブランド牛「宗谷牛」の牧場としてその開拓範囲を広げつつあり、「白い道」は2000年近くになって出現。今より規模も小さく全長1kmほどで、牧草地の小高い丘で忽然と行き止まりとなり、終わっていました。
件の著書は、そんなにバカ高いプレミアが付いているわけではないので、古本屋サイトでも比較的容易に見つかるかと思います。たまーに、道内のブックオフで同シリーズの別の巻が110円で落ちていたりするのを目にするので、幸運に巡り合えるチャンスもあるかも。堀淳一ファンまたは宗谷丘陵の昔の姿を知りたい方は必携の一冊です。
んー(;>_<;)
時間が出来れば
行きたいなー。( ´∀`)
ようやくここまで。
コメントの返信有難う!(ФωФ)
こちらこそ、ひとつひとつ見て頂いてありがたい限りです。
宗谷岬前の食堂で提供している、ホタテラーメンはお勧めです。
メシ、我慢しておけばよかった…
鹿の表現として「四つん這いの相撲取りが宙に浮いてる」。これがセダンのボンネットで跳ね上がったら……。
先週、つい思い付きで同地まで突貫して来たけど、早朝到着だったこともあって(?)か、対岸にロシア領を望む事が出来ました。
天塩から北は行ったこと無かったけど、道路の高規格化が凄まじく(特に幌延から先は)エラい走りやすかったですね。
どうでも良いけど、道中、鹿二頭と猫(?)二匹の轢死体と遭遇しました。。。この時期。深夜に郊外に出ると、必ずと言って良いほど鹿の死体とご対面する。
あんなに道路を立派にしてもどれだけ使うのかな~とか思ってしまいますけどね・・まあ防衛上の理由もあるのかな
鹿の死体・・私も廃道で見ますよ。あ、それは別のハナシか
戦後アメリカ軍とイギリス軍が駐留した時に日本の道路事情が、あまりにも劣悪すぎとして日本側に基地の周辺から道路整備を迫ったと本に書いてました。
大韓航空の事件は何故?東西冷戦時代に大韓航空機がサハリンを横切ったのか?、当時の航空専門家がアンカレッジで自動航行装置に打ち込む経度と緯度を間違えた説を言ってましたね、ブラックボックスがソ連側に密かに回収された様ですが、ロシアに成ってから撃墜したパイロットの証言で戦闘機には警告用の曳光弾は無くて、徹甲弾しか積んで無かったので大韓航空機が領空を出る直前にミサイルで撃墜したと証言してました、日本側のレーダーサイトの記録の公開をアメリカが迫ったために外圧に弱い政府自民党が公開しました、これで日本の探知能力がバレてしまいました、本当にアメリカは自国の情報は出さない癖に他国に出されるのはズルいですよ。
今の道路網があるのもいくらか米英のおかげ、なんでしょうか。
探知情報はくれてやる的な強気の記述もありますが実際は日本に得るものはあったのか…立場の弱さですね。
戦後、レーダーサイトも稚内空港も米軍(駐留)が運用していました。終戦直後は、樺太からの引き揚げ者で、人口が100万人以上、東京の次に多かったそうです。戦前から変わらない国境の地で、重要な地域です。…(^.^)(-.-)(__)
確か宗谷岬だったか何処に国か稚内に港建設断られて廃村になった闇深い漁村があるとか
現在の稚内市から宗谷岬を含んで猿払村まで旧宗谷村だったが猿払村部分は独立、稚内市部分は稚内市に吸収だから廃村なんてないんじゃないのか
どこなんでしょうね、そこ。
実は廃村探索も今後のネタとして検討中です。
稚内市峰岡のことね
大韓航空機撃墜の後タコとカニがいつもより大きかったと
ははは…