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0:56 0:59 マイナー で刺激的なイントロから始まる、美しくも哀しげなメロディーなの に、心のどこかが温かくなるような懐かしさが涙を誘う満開の桜の花は儚げで、その美しさが人の心を不安にもさせるのは何故なのでしょう春の訪れを桜の開花で知ることが出来、人々は満開になった桜を見上げて美しさに陶酔する。でも日が暮れてくるとやがて桜の樹々は変貌する。自ら発光してるかのように周りを照らし、まるで桜の精たちが舞っているかのようその妖しいまでの美しさに、怖くなるときもある。「櫻の樹の下に」では、美しく咲く桜の樹の下にはきっと死体が埋まってるのではないか、、、と語られる。確かに、桜の花の色には謎めいたものを感じる。ツムジさんの過去のMVや、素晴らし公演のプロデュース力は度々絶賛されているけど、この曲が作曲されたときに(真夜中だという)浮かんだイメージは「気の触れた恋人を泣きながら殺めてしまう、、」という実に衝撃的なストーリー!桜の花の妖しさは、狂気さえも誘ってしまう、、、正に「櫻の森の満開の下」の世界!ツムジさんの豊かな感性が、優れた小説家のように卓越した発想力を生み出したのかもしれない。冒頭の葬儀のシーンは本当に衝撃的だったのだけど、お棺の中で、花に埋もれて眠るツムジさんがとても美しい❣️ これで男の拘りも、情念も狂気も、そして身も心も、桜の花びらと共に消えてゆくのでしょう🌸 毎年桜の咲く頃には、この美しい『花見れば、、、』と夢物語のようなシーンが思い浮かぶのだと思う✨
コメントどうもありがとうございます♪ 偉大な文学作品の美意識を受け継ぐ形ですし、制作に当たり責任感も感じ、難しいテーマでしたが、心に殘る作品になったなら何よりです✨
画像があまりに、儚く、悲しすぎる!
@@小松佐千子 コメントどうもありがとうございます♪ 曲ができた時に脳裏に自然と浮かんだ情景を形にしました。
初めて耳にした時、不気味な風に舞う花が頭の中を過りました。繊細で哀がある妖しい旋律が「桜の森の満開の下」の物語と重なり終わりのない孤独を感じます。美しいものへの恐怖と孤独が、桜の森の満開の下での物語を表現しているようです。桜の生涯は儚いけれど淡く美しく、青空と温かな風のなかで人の心をあたたかくするイメージも強いと思いますが、私にとっての桜は、別の顔を持つ花として感じています。細部まで演出工夫されていると思ったのが、棺桶にいるツムジさんの死後の爪色や指先の色など死のリアルさが増すように工夫をされていますね。また、「美しく妖しい女」が平安貴族の装いであること、市女笠の上から首をしめるところがより不穏さを増し表情がハッキリと見えないところが想像を掻き立て、非常に工夫されていると思いました。「花見れば、、」は、日常にある桜に対する見え方や人間の奥底にある感情を代弁してくれているかのようで心に溶け込んでいきます。さくらさくら5拍子に続き、想像を掻き立てる楽曲と物語をありがとうございました。
コメントどうもありがとうございます♪ 幼い頃、花見ほど億劫なものはなく、なぜ人々がわざわざ花の下に出向いてゲラゲラ笑っているのか理解できなかったのですが、梶井基次郎の、その感覚をうまく言語化している文章に出会い、 まさに '憂鬱や惨劇の空想との平衡' によって、 '酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする' 感覚を体得しました。坂口安吾の方を理解できたのは実はもっと先ですが、この物語の主題が、人間存在の不条理さ、救いのなさ、そして「救いがないということ自体が救いである」という彼の哲学そのものだったことに気づきました。桜はそのロジックを完成させるための仕上げの部分で、救いようのない人間が消えてしまった後の桜の美しさだけが救いなんですね。。そんなことを考えながらディレクションしました。
ありがとうございます。ツムジさんのお言葉と共にもう一度観て聴いてみました。『桜の森の満開の下』は桜ではなく ツムジさんがおっしゃるとおり人間存在の不条理さ、哀しさ、救いのなさですね。『桜の森の満開の下』は、単なる残酷で妖しい幻想的な物語ではなく、ある意味で非常に現実的で人生と紙一重な物語だと思っております。人間存在の不条理さと、二人の出会いの救いのなさ、哀しさ、終わらない孤独。終わらない残酷。二人の人生を終わらせることでしか美しさを得られなかったのでしょうか。いや、終わらせることにより最後は本物の美しさが得られ永遠のものとなったのでしょうか。桜の花という美しだけが救いだったのであれば、その想いが桜として形を変えて美しいものになったとも思えます。それがせめてもの救いであるように‥誰にでも存在しているかもしれない人間の深層心理と重なり幻想的な物語が現実的な物語となりました。どんな結末でも、最後はせめてもの餞として美しくありたいものです。『桜の樹の下には』『桜の森の満開の下』2つの物語とツムジさんの「花見れば、、」誰かにとっては己の存在について知る機会となり救いのひとつになるかもしれないですね。ツムジさんの楽曲やMVは人生が変わりそうなほど人間の心の奥底が刺激されます。人間の不条理さ、哀しみ、救いのなさ、今一度考えてみたいです。心よりありがとうございました。
歌は歌詞があるので作者の想いが少しは分かりますが曲だけだと聴く者の感じ方だけなので、時に無性に作者の想いを知りたいと思う時があります。MVとはまさにそれに応えて下さっているもので、今回コメントと共にツムジさんの『花見れば‥』へ込めた想いが知る事ができました。ただ予想外に衝撃を受けてしまい、この映像は最初は正直辛すぎると思いました。2日目にしてようやくコメントなどでこの映像の意味などが理解でき受け止める事が出来ました。このMVを通して、改めてツムジさんはバイオリニストであると同時に人生をかけた表現者でもあると思いました。オリジナルやアレンジ曲をループで聴きたくなるのはきっとその想いが伝わってくるからと納得できました。色々な想いを曲やMVにしてこれからも発信し続けて下さい。応援しています!今回のMVは今までにない革命的なものと感じました
嬉しいコメントどうもありがとうございます♪ 常々自分の音楽がただの音遊びではなく、受け手に何かが伝わる表現になっているか、ということを意識しているので、まさにそう感じて頂けたなら何よりです。これからも受け手の心に何かが伝わるような曲やMVを一つでも多く残したいと思ってますのでどうぞよろしくお願い致します!✨
0:56 0:59 マイナー で刺激的なイントロから始まる、美しくも哀しげなメロディーなの に、心のどこかが温かくなるような懐かしさが涙を誘う
満開の桜の花は儚げで、その美しさが人の心を不安にもさせるのは何故なのでしょう
春の訪れを桜の開花で知ることが出来、人々は満開になった桜を見上げて美しさに陶酔する。でも日が暮れてくるとやがて桜の樹々は変貌する。自ら発光してるかのように周りを照らし、まるで桜の精たちが舞っているかのよう
その妖しいまでの美しさに、怖くなるときもある。
「櫻の樹の下に」では、
美しく咲く桜の樹の下にはきっと死体が埋まってるのではないか、、、と語られる。
確かに、桜の花の色には謎めいたものを感じる。
ツムジさんの過去のMVや、素晴らし公演のプロデュース力は度々絶賛されているけど、この曲が作曲されたときに(真夜中だという)浮かんだイメージは「気の触れた恋人を泣きながら殺めてしまう、、」という実に衝撃的なストーリー!
桜の花の妖しさは、狂気さえも誘ってしまう、、、
正に「櫻の森の満開の下」の世界!
ツムジさんの豊かな感性が、優れた小説家のように卓越した発想力を生み出したのかもしれない。
冒頭の葬儀のシーンは本当に衝撃的だったのだけど、お棺の中で、花に埋もれて眠るツムジさんがとても美しい❣️
これで男の拘りも、情念も狂気も、そして身も心も、桜の花びらと共に消えてゆくのでしょう🌸
毎年桜の咲く頃には、この美しい『花見れば、、、』と夢物語のようなシーンが思い浮かぶのだと思う✨
コメントどうもありがとうございます♪ 偉大な文学作品の美意識を受け継ぐ形ですし、制作に当たり責任感も感じ、難しいテーマでしたが、心に殘る作品になったなら何よりです✨
画像があまりに、儚く、悲しすぎる!
@@小松佐千子 コメントどうもありがとうございます♪ 曲ができた時に脳裏に自然と浮かんだ情景を形にしました。
初めて耳にした時、不気味な風に舞う花が頭の中を過りました。
繊細で哀がある妖しい旋律が「桜の森の満開の下」の物語と重なり終わりのない孤独を感じます。
美しいものへの恐怖と孤独が、桜の森の満開の下での物語を表現しているようです。
桜の生涯は儚いけれど淡く美しく、青空と温かな風のなかで人の心をあたたかくするイメージも強いと思いますが、私にとっての桜は、別の顔を持つ花として感じています。
細部まで演出工夫されていると思ったのが、棺桶にいるツムジさんの死後の爪色や指先の色など死のリアルさが増すように工夫をされていますね。
また、「美しく妖しい女」が平安貴族の装いであること、市女笠の上から首をしめるところがより不穏さを増し表情がハッキリと見えないところが想像を掻き立て、非常に工夫されていると思いました。
「花見れば、、」は、日常にある桜に対する見え方や人間の奥底にある感情を代弁してくれているかのようで心に溶け込んでいきます。
さくらさくら5拍子に続き、想像を掻き立てる楽曲と物語をありがとうございました。
コメントどうもありがとうございます♪ 幼い頃、花見ほど億劫なものはなく、なぜ人々がわざわざ花の下に出向いてゲラゲラ笑っているのか理解できなかったのですが、梶井基次郎の、その感覚をうまく言語化している文章に出会い、 まさに '憂鬱や惨劇の空想との平衡' によって、 '酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする' 感覚を体得しました。坂口安吾の方を理解できたのは実はもっと先ですが、この物語の主題が、人間存在の不条理さ、救いのなさ、そして「救いがないということ自体が救いである」という彼の哲学そのものだったことに気づきました。桜はそのロジックを完成させるための仕上げの部分で、救いようのない人間が消えてしまった後の桜の美しさだけが救いなんですね。。そんなことを考えながらディレクションしました。
ありがとうございます。
ツムジさんのお言葉と共にもう一度観て聴いてみました。
『桜の森の満開の下』は桜ではなく ツムジさんがおっしゃるとおり人間存在の不条理さ、哀しさ、救いのなさですね。
『桜の森の満開の下』は、単なる残酷で妖しい幻想的な物語ではなく、ある意味で非常に現実的で人生と紙一重な物語だと思っております。
人間存在の不条理さと、二人の出会いの救いのなさ、哀しさ、終わらない孤独。終わらない残酷。
二人の人生を終わらせることでしか美しさを得られなかったのでしょうか。
いや、終わらせることにより最後は本物の美しさが得られ永遠のものとなったのでしょうか。
桜の花という美しだけが救いだったのであれば、その想いが桜として形を変えて美しいものになったとも思えます。
それがせめてもの救いであるように‥
誰にでも存在しているかもしれない人間の深層心理と重なり幻想的な物語が現実的な物語となりました。
どんな結末でも、最後はせめてもの餞として美しくありたいものです。
『桜の樹の下には』
『桜の森の満開の下』
2つの物語とツムジさんの「花見れば、、」
誰かにとっては己の存在について知る機会となり救いのひとつになるかもしれないですね。
ツムジさんの楽曲やMVは人生が変わりそうなほど人間の心の奥底が刺激されます。
人間の不条理さ、哀しみ、救いのなさ、今一度考えてみたいです。
心よりありがとうございました。
歌は歌詞があるので作者の想いが少しは分かりますが曲だけだと聴く者の感じ方だけなので、時に無性に作者の想いを知りたいと思う時があります。
MVとはまさにそれに応えて下さっているもので、今回コメントと共にツムジさんの『花見れば‥』へ込めた想いが知る事ができました。
ただ予想外に衝撃を受けてしまい、この映像は最初は正直辛すぎると思いました。
2日目にしてようやくコメントなどでこの映像の意味などが理解でき受け止める事が出来ました。
このMVを通して、改めてツムジさんはバイオリニストであると同時に人生をかけた表現者でもあると思いました。
オリジナルやアレンジ曲をループで聴きたくなるのはきっとその想いが伝わってくるからと納得できました。
色々な想いを曲やMVにしてこれからも発信し続けて下さい。応援しています!
今回のMVは今までにない革命的なものと感じました
嬉しいコメントどうもありがとうございます♪ 常々自分の音楽がただの音遊びではなく、受け手に何かが伝わる表現になっているか、ということを意識しているので、まさにそう感じて頂けたなら何よりです。これからも受け手の心に何かが伝わるような曲やMVを一つでも多く残したいと思ってますのでどうぞよろしくお願い致します!
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