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神話の世界から現代に至るまで様々な物語集を用いて説明して頂ける楽しいので 次回が楽しみです 読めていない物も有りますが 時間をかけてアップされている物を全て消化したいです
ご視聴いただき、ありがとうございました!日本文化の底知れぬ魅力と奥深さをどんどん掘り下げていきたいのでぜひお楽しみにしていて下さいね!
続きが氣になります。早く見たいです!😊 石見の国、大田市にも伝承や足跡がたくさん残っていますね…古代ロマン想像が膨らみます✨️
これから八咫烏や天照大神、高天原がつながります!
ホヒさんではなく、ホヒさんのご子孫が書かせた…ということですね。どんどん続きをお願いします。❣️
まさに天穂日命ですね!
@@qpjvision さま現在もご健在ですね。
自分の本名がスサノオに縁があるのでこのシリーズを見始めたのですが、さっぱり訳が分からなくなりました。とりあえず、次回を見てみないと何とも言えません。
徐福=天火明命、素戔鳴尊?!まじか😳もう訳わからん🤣
加えてイコール饒速日なのですから、尚更混乱してしまいますが、逆になるほどと思わせることもありますね。
これおまこし
ヨセフ ジョフク スサノオ なんてね
大国主が何の8代目か書かれて居ませんので追記して置きますが出雲二大王朝向(富)家と神門家、事代主(八重波津身)直系の富家と大国主(八千矛)直系の神門家国常立(クナト)大神(伊弉諾)の子菅之八耳の菅を本姓とし家督を継いで居る副王の事代主(八重波津身)の嫡男が9代目主王の鳥鳴海。菅之八耳(初代大穴持)次男から数えて八代目大穴持の祭祀で主王の大国主(八千矛)の意味です。この話は聞くまで富家口伝伝承系譜では、天照嫡男の天忍穂耳=徐猛(徐福父のこの人物は早くに死んでいて)私の考察では、天若日子が天探女を反して天狗神=素戔嗚の子、天邪鬼=呼子=山彦(山幸彦=彦穂穂出見)でしたね。後の解釈で天照次男の天穂日、天照三男の天津彦根=天若日子で親子と言う位置付けと認識でした。又、天若日子の子が八岐大蛇族の出雲忌部氏で忌部氏祖が高魂(高御産巣日)→太玉→天日鷲とし饒速日(火明)=徐福の子、香語山(五十猛)と初代物部氏の彦穂穂出見の腹違いの兄弟、香語山の子、天村雲でその子が天御影と神八井耳と沼川耳の兄弟で沼川耳の子に八井耳(多・意富氏)、物部氏系統は饒速日を素戔嗚として居て天若日子の孫が饒速日ともされて居てなので大体合ってそうで良かった。
大国主の息子の海稚彦が太玉、天日鷲の忌部氏の祖なのでしょうか?出雲東王家富家の口伝のようですが、出雲西王家の口伝も残されていると思いますので、どなたかお分かりの方がお伝えくださる事を楽しみにしております。
素戔嗚尊とニギハヤヒが同一なんて一体どういうところから出て来るのかね。
@@永田誠至 様、出雲口伝によると、スサノオさんは、神話に登場する想像上の神様で、饒速日さんは、実在した徐福がB.C.219~220頃に斉から二度目の渡来で、北九州佐賀県あたりに上陸したときの和名です。その前には、島根県石見に上陸し、彦火明と名乗ったようです。物部氏の祖先である徐福上陸後の大祓祝詞に出てくる天津罪の悪行を、後々の人々が思い出さないように、『記紀』には徐福の事績をスサノオとして書いた。と書かれています。徐福の名前を隠した理由は、記紀が編纂された奈良時代は、朝廷の中枢に、徐福の子孫である物部、共に渡来した部下の天穂日、武夷鳥親子や秦氏などの大陸から渡来した帰化人と、その子孫が大勢いたため、徐福の事をありのままに書くと、大陸シナからの渡来人が王となった事実上の属国である。という誤解をされる恐れが出てくるためとても徐福の事をそのままは書けない。けれど、そうすると自分たちの力の強い偉大な祖先は確かに存在したし、自分たちも居なくなってしまうので、これを変えるわけにはいかない。そうだ、いっそ神様の荒魂だった。ということに、、、、、。というセンシティブな事情があったようです。
素戔嗚尊が、解っているだけで8柱存在していた話が、ありますからあながち間違いでは、無いかも😅
天乃穂日とタケヒナトリが奴。ここが謎。出雲大社の前の杵築大社で、初代祭祀と二代目に名前残ってますよね。その後も代々続いてますよね。11代の出雲振根の時に大事件起きたんじゃないですか?この辺、闇に葬られてますね。仁徳天皇=誰なのか?古墳の発掘ガッツリやって欲しい。
❤
徐福と天火明尊が同じはずがない。出自が違う。
❤❤
スサノオ命と天火明の正体が、紀記や 日本書紀、古事記等で、編纂される都度に 徐福であると云う史実だった事が ようやく、判明しました。当時の時代に 人事上の事案によって、秦国へ帰国した 徐福を 始皇帝 贏政が、如何に 丁重に扱っていたかが、窺われまず。 ♨️☝️👩✈️🍀
出雲の伝承では、スサノオはイザナギ、イザナミの子でもなく、アマテラス、ツクヨミの兄妹でもないという事ですか?
yuichi8167さま出雲の伝承は、人間の歴史が語られています。そこにはアマテラスもツクヨミもスサノヲもいないのです。大国主・八千矛王や事代主・八重波津身という人は実際に存在し、生々しい人間の行いが伝えられています。正史を作るにあたって、神話が作られましたが、それは日本人が元から持っていた宇宙観や死生観、価値観などを抽象的に神さまの名前として綴り、表現しているのであろうと思います。出雲の代表のように正史で語られたスサノヲは、出雲にはいなかった神さまです。正史編纂の際に出雲国造となった天穂日命の子孫が、事実を直接書く変わりに、スサノヲという名の神を登場させたことによって、現在に伝わる神話が創られたということです。神話と人間の歴史とは違います。
個人的な見解では、神話は暗号や創作が入り混じって世界中の神話は同一の物語となっていてその神の名前は各地で名前を変えたり立場を変えたり称号とされたりしている。元を辿れば兄弟であるが、スサノオやアマテラスは大きく争っていた存在であると深掘りしていると思う次第であります。
史実を伝える歴史口伝と神話では当然のことかも知れませんが、書かれた年代と果たすべき役割と目的が大きく異なるため、史実とは異なるから神話の内容は全て間違いである。と一言で片付けられる様な単純なものでもないだろうと思います。出雲王家では、当時から各地の豪族との婚姻関係を結び、また、出雲から各地に移住した次男三男たちを出雲に呼び寄せ各地の出来事を詳細に報告させることにより歴史の家と呼ばれるほどの情報網があったようですし、それまでには存在しなかった国産みや国譲りの神話が初めて作られ、正史として記紀が編纂されるのは、そのずっと後の奈良時代になってからの出来事ですから、出雲に王国があった時代とは他国との力関係や国内の情勢も大きく異なっていたと思うので、例えばですが、史実をそのまま書くと、権力者内の犯人探しにもなってしまうため、はっきりと分からないように誤魔化して、でも分かる人が調べれば分かる。というような書き方をわざとしたのだろうと思います。
そのとおりです。
素戔嗚尊は、解っているだけで8人存在してますよ。神様の名は、称号なので1人ではなく1柱としてます。素戔嗚尊や天照大神や月読命が、いた時代には、日本という国の概念が、無いので地球全体を動き回っていたので各国に同一神と言われる存在が、いるのだと思います。
出雲振根は神門家、野見宿祢は富家の人です。ホヒ国造家の人ではありません。誤った通説が出雲古代史には多数ありますので要注意です。
徐福=素戔嗚か。面白いなぁ。確かに素戔嗚って日本人がやらなそうな悪行する。排泄物と聞いてさもありなんって気がした。都内でトイレ汚くて扱ってるのも素戔嗚の仕業かもね(笑)
そのような考えは日本が近代に入って整備され、そういう風潮になったかもしれないですが、古の日本人(残念ながら縄文以降は渡来人との混血民族)は排泄物をそのように扱ったということもあるので...。徐福は出雲ではこのように考察されますが、別の地では徐福が神武天皇ではなどというような論もあります。
勝手なことばっかり言うなお前が歴史を作り出してどうするんじゃ
🇰🇷韓国では、スサノオは加羅(高天原)の神(加羅→新羅→日本)、アマテラスは百済(扶餘)の神(扶餘→高句麗→百済→日本)だと解釈しています。(太陽と八咫烏も扶餘と高句麗の象徴)即ち、🇯🇵日本人は加羅系到来人と百済系到来人の子孫(弥生人)だということです。勿論縄文人との混血もありましたが、比率が10%程度(🇺🇸アメリカ学界の見解)だと言われます。解釈は自由ですが、日本人の先祖は朝鮮半島から来たのは科学的な事実です
どちらも同じカラですよ。ルーツが少し違うだけ?
朝鮮半島を経由して😢というのが正しいですね。
@@永田誠至 はい。天皇系の主神である韓神と園神も、百済の神と新羅(実は加羅)の神です。即ち、今の日本人は、イギリスのアングロサクソンみたいに朝鮮半島から来た民族の混血(主に加羅と新羅と馬韓)です。🇰🇷韓国人と🇯🇵日本人は同じ遺伝子がありますが、韓国人には縄文人の遺伝子がありません。これは日本人が朝鮮半島から渡ってきたという証拠の一つです。
😊
朝鮮人🧬と支那人🧬は似ていますが、日本人(大和民族)🧬は大きく違います。BC5300年前のアカホヤの大噴火で西日本にいた縄文人が支那や朝鮮半島や中東やアメリカ大陸に渡り、シュメール文明や黄河文明を造り帰って来たと言うのが正解だと思います。朝鮮半島はBC1万年からBC5000年頃まで人が住んでいた形跡が全くありません。よって朝鮮南部に住み着いたのは倭人です。半島南部の前方後円墳や出土品や遺伝子解析で明らかに成っています。
神話の世界から現代に至るまで様々な物語集を用いて説明して頂ける楽しいので 次回が楽しみです 読めていない物も有りますが 時間をかけてアップされている物を全て消化したいです
ご視聴いただき、ありがとうございました!
日本文化の底知れぬ魅力と奥深さをどんどん掘り下げていきたいのでぜひお楽しみにしていて下さいね!
続きが氣になります。早く見たいです!😊 石見の国、大田市にも伝承や足跡がたくさん残っていますね…古代ロマン想像が膨らみます✨️
これから八咫烏や天照大神、高天原がつながります!
ホヒさんではなく、
ホヒさんのご子孫が
書かせた…
ということですね。
どんどん続きをお願いします。❣️
まさに天穂日命ですね!
@@qpjvision さま
現在もご健在ですね。
自分の本名がスサノオに縁があるのでこのシリーズを見始めたのですが、さっぱり訳が分からなくなりました。とりあえず、次回を見てみないと何とも言えません。
徐福=天火明命、素戔鳴尊?!まじか😳
もう訳わからん🤣
加えてイコール饒速日なのですから、尚更混乱してしまいますが、逆になるほどと思わせることもありますね。
これおまこし
ヨセフ ジョフク スサノオ なんてね
大国主が何の8代目か書かれて居ませんので追記して置きますが
出雲二大王朝向(富)家と神門家、事代主(八重波津身)直系の富家と大国主(八千矛)直系の神門家
国常立(クナト)大神(伊弉諾)の子
菅之八耳の菅を本姓とし家督を継いで居る副王の事代主(八重波津身)の嫡男が9代目主王の鳥鳴海。
菅之八耳(初代大穴持)次男から数えて八代目大穴持の祭祀で主王の大国主(八千矛)の意味です。
この話は聞くまで
富家口伝伝承系譜では、天照嫡男の天忍穂耳=徐猛(徐福父のこの人物は早くに死んでいて)
私の考察では、天若日子が天探女を反して天狗神=素戔嗚の子、天邪鬼=呼子=山彦(山幸彦=彦穂穂出見)でしたね。
後の解釈で天照次男の天穂日、天照三男の天津彦根=天若日子で親子と言う位置付けと認識でした。
又、天若日子の子が八岐大蛇族の出雲忌部氏で忌部氏祖が高魂(高御産巣日)→太玉→天日鷲とし
饒速日(火明)=徐福の子、香語山(五十猛)と初代物部氏の彦穂穂出見の腹違いの兄弟、香語山の子、天村雲でその子が
天御影と神八井耳と沼川耳の兄弟で沼川耳の子に八井耳(多・意富氏)、物部氏系統は饒速日を素戔嗚として居て
天若日子の孫が饒速日ともされて居てなので大体合ってそうで良かった。
大国主の息子の海稚彦が太玉、天日鷲の忌部氏の祖なのでしょうか?出雲東王家富家の口伝のようですが、出雲西王家の口伝も残されていると思いますので、どなたかお分かりの方がお伝えくださる事を楽しみにしております。
素戔嗚尊とニギハヤヒが同一なんて一体どういうところから出て来るのかね。
@@永田誠至 様、
出雲口伝によると、スサノオさんは、神話に登場する想像上の神様で、饒速日さんは、実在した徐福がB.C.219~220頃に斉から二度目の渡来で、北九州佐賀県あたりに
上陸したときの和名です。その前には、島根県石見に上陸し、彦火明と名乗ったようです。
物部氏の祖先である徐福上陸後の大祓祝詞に出てくる天津罪の悪行を、後々の人々が思い出さないように、『記紀』には徐福の事績をスサノオとして書いた。
と書かれています。
徐福の名前を隠した理由は、記紀が編纂された奈良時代は、朝廷の中枢に、徐福の子孫である物部、共に渡来した部下の天穂日、武夷鳥親子や秦氏などの大陸から渡来した
帰化人と、その子孫が大勢いたため、徐福の事をありのままに書くと、大陸シナからの渡来人が王となった事実上の属国である。という誤解をされる恐れが出てくるため
とても徐福の事をそのままは書けない。
けれど、そうすると自分たちの力の強い偉大な祖先は確かに存在したし、自分たちも居なくなってしまうので、これを変えるわけにはいかない。
そうだ、いっそ神様の荒魂だった。ということに、、、、、。
というセンシティブな事情があったようです。
素戔嗚尊が、解っているだけで8柱存在していた話が、ありますからあながち間違いでは、無いかも😅
天乃穂日とタケヒナトリが奴。ここが謎。
出雲大社の前の杵築大社で、初代祭祀と二代目に名前残ってますよね。
その後も代々続いてますよね。
11代の出雲振根の時に大事件起きたんじゃないですか?
この辺、闇に葬られてますね。
仁徳天皇=誰なのか?古墳の発掘ガッツリやって欲しい。
❤
徐福と天火明尊が同じはずがない。出自が違う。
❤❤
スサノオ命と天火明の正体が、紀記や 日本書紀、古事記等で、編纂される都度に 徐福であると云う史実だった事が ようやく、判明しました。当時の時代に 人事上の事案によって、秦国へ帰国した 徐福を 始皇帝 贏政が、如何に 丁重に扱っていたかが、窺われまず。
♨️☝️👩✈️🍀
出雲の伝承では、スサノオはイザナギ、イザナミの子でもなく、アマテラス、ツクヨミの兄妹でもないという事ですか?
yuichi8167さま
出雲の伝承は、
人間の歴史が語られています。
そこには
アマテラスもツクヨミも
スサノヲもいないのです。
大国主・八千矛王や
事代主・八重波津身という人は
実際に存在し、
生々しい人間の行いが
伝えられています。
正史を作るにあたって、
神話が作られましたが、
それは日本人が元から持っていた
宇宙観や死生観、価値観などを
抽象的に神さまの名前として綴り、
表現しているのであろうと思います。
出雲の代表のように
正史で語られたスサノヲは、
出雲にはいなかった神さまです。
正史編纂の際に
出雲国造となった
天穂日命の子孫が、
事実を直接書く変わりに、
スサノヲという名の神を
登場させたことによって、
現在に伝わる神話が
創られたということです。
神話と人間の歴史とは
違います。
個人的な見解では、神話は暗号や創作が入り混じって世界中の神話は同一の物語となっていてその神の名前は各地で名前を変えたり立場を変えたり称号とされたりしている。
元を辿れば兄弟であるが、スサノオやアマテラスは大きく争っていた存在であると深掘りしていると思う次第であります。
史実を伝える歴史口伝と神話では当然のことかも知れませんが、書かれた年代と果たすべき役割と目的が大きく異なるため、史実とは異なるから神話の内容は全て間違いである。と一言で片付けられる様な単純なものでもないだろうと思います。
出雲王家では、当時から各地の豪族との婚姻関係を結び、また、出雲から各地に移住した次男三男たちを出雲に呼び寄せ各地の出来事を詳細に報告させることにより歴史の家と呼ばれるほどの情報網があったようですし、それまでには存在しなかった国産みや国譲りの神話が初めて作られ、正史として記紀が編纂されるのは、そのずっと後の奈良時代になってからの出来事ですから、出雲に王国があった時代とは他国との力関係や国内の情勢も大きく異なっていたと思うので、例えばですが、史実をそのまま書くと、権力者内の犯人探しにもなってしまうため、はっきりと分からないように誤魔化して、でも分かる人が調べれば分かる。というような書き方をわざとしたのだろうと思います。
そのとおりです。
素戔嗚尊は、解っているだけで8人存在してますよ。
神様の名は、称号なので1人ではなく1柱としてます。
素戔嗚尊や天照大神や月読命が、いた時代には、日本という国の概念が、無いので地球全体を動き回っていたので各国に同一神と言われる存在が、いるのだと思います。
出雲振根は神門家、野見宿祢は富家の人です。ホヒ国造家の人ではありません。誤った通説が出雲古代史には多数ありますので要注意です。
徐福=素戔嗚か。面白いなぁ。確かに素戔嗚って日本人がやらなそうな悪行する。排泄物と聞いてさもありなんって気がした。都内でトイレ汚くて扱ってるのも素戔嗚の仕業かもね(笑)
そのような考えは日本が近代に入って整備され、そういう風潮になったかもしれないですが、古の日本人(残念ながら縄文以降は渡来人との混血民族)は排泄物をそのように扱ったということもあるので...。徐福は出雲ではこのように考察されますが、別の地では徐福が神武天皇ではなどというような論もあります。
勝手なことばっかり言うな
お前が歴史を作り出してどうするんじゃ
🇰🇷韓国では、スサノオは加羅(高天原)の神(加羅→新羅→日本)、アマテラスは百済(扶餘)の神(扶餘→高句麗→百済→日本)だと解釈しています。(太陽と八咫烏も扶餘と高句麗の象徴)即ち、🇯🇵日本人は加羅系到来人と百済系到来人の子孫(弥生人)だということです。勿論縄文人との混血もありましたが、比率が10%程度(🇺🇸アメリカ学界の見解)だと言われます。解釈は自由ですが、日本人の先祖は朝鮮半島から来たのは科学的な事実です
どちらも同じカラですよ。ルーツが少し違うだけ?
朝鮮半島を経由して😢というのが正しいですね。
@@永田誠至 はい。天皇系の主神である韓神と園神も、百済の神と新羅(実は加羅)の神です。即ち、今の日本人は、イギリスのアングロサクソンみたいに朝鮮半島から来た民族の混血(主に加羅と新羅と馬韓)です。🇰🇷韓国人と🇯🇵日本人は同じ遺伝子がありますが、韓国人には縄文人の遺伝子がありません。これは日本人が朝鮮半島から渡ってきたという証拠の一つです。
😊
朝鮮人🧬と支那人🧬は似ていますが、日本人(大和民族)🧬は大きく違います。BC5300年前のアカホヤの大噴火で西日本にいた縄文人が支那や朝鮮半島や中東やアメリカ大陸に渡り、シュメール文明や黄河文明を造り帰って来たと言うのが正解だと思います。朝鮮半島はBC1万年からBC5000年頃まで人が住んでいた形跡が全くありません。よって朝鮮南部に住み着いたのは倭人です。半島南部の前方後円墳や出土品や遺伝子解析で明らかに成っています。