【真実】中国伝来だと思っていた漢字の起源は実は日本だった!縄文時代に築いた日本の超高度文明とは?【ゆっくり解説】
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- เผยแพร่เมื่อ 11 ก.ย. 2024
- 今回は漢字の起源について解説していくよ。
ぜひゆっくりしていってね!
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神代文字はうーん。その時代にあったという証拠が無いからなぁ。
隋書倭国伝の時代には「文字」が無かったのではなく、隋書倭国伝の前の時代には無かっただけで、魏志倭人伝などに書かれてるように「外交」してたわけだから、文字が伝わってないはずがないんだよな。硯(すずり)も出土してるし。
隋書の時代だと文字はあったのは確実。遣隋使(聖徳太子)の時代だしな。
神代文字で非常に疑問なのが大体今の五十音に対応している所なんだ。
奈良時代や平安時代には母音は8音からどんどん少なくなって鎌倉時代になる前には五音になっている。
まぁこれも漢字が入ってきて向こうの読みから一時的に増えただけ、なのかもしれないが…
どうもそこのところが引っかかって居る。
国語学者の大野晋は甚大文字というのは中世の神官文字だと言っています。また岡田英弘は長江流域から漢字の原型を刻んだ土器が出ていると言っています。
@@user-en6nc1nj8u中世ね
まあ動画は中世が何時代で西暦何年頃かも知らんようなのがつくってるからなあ・・・
もうため息しか出んわ
ゆっくりシリーズには、大きな違和感がある。読み間違いがたくさんありすぎて、何度も何度も確認してしまう。
「秀真」文字を「ひでま」文字とかですね
萎えますよね
隋書(随所)に興味深いことが書かれておりますね
20年ぐらい前は「かみよもじ」と読んでたはずなんだけどなぁ隋書には「結状文字」の記載もあるな
隋書には「唯刻木結縄」(倭国には文字が無い。ただ木を削ったり縄を結んだりして文字代わりにしている)と書いています。
ですから結縄文字だけでは無く、刻木文字もあったのです。
隋書に日本に文字はないと書いているのは「中国の漢字のほど素晴らしい文字はない」といった中華思想に基づいた、中国が一番素晴らしい的な表現を記したものだと考えます。
「唯刻木結縄」と記載している以上、当時の日本には文字があったと考えるのが自然ですし、縄文時代から船で中国等とも交易をしていたと言われている倭人が文字の存在も知らなかったなんでありえないと思いますよ。
以前から「交易していたのに文字が無いのはおかしい」と思ってました。文字がないならそれの代わりになるものがあったと考えるべきではないのか?と考えていました
中国の歴史は黄河文明の視点からだけ書かれている。長江文明は、黄河文明とはかなり毛色が違っていた。稲作の創始者であり、相当栄えたが、恐らくヒマラヤの氷河湖の大崩壊による大洪水て弱体化してしまった。ニューヨークのど真ん中にも氷河湖の崩壊が生んだ迷子石が残っている。洪水伝説は、各地に同時多発的に起こっている。氷河期が、スカンジナビア半島沖のメタンハイドレートの大崩壊による急速な温暖化で起こったものだろう。長江文明は、元から水運に優れていた。四散した民は、南はベトナム。北は、半島南部から北九州や出雲地方に渡ってきた可能性が高いよ!
登録した
日本には漢字以前に文字が無かった?
神代文字の具体的な年代がわからないとしても、考古学的に漢字以前と思わしき
神代文字が存在する限り、漢字以前に文字があったとして研究を進めるべき。
神大文字を認めると、都合の悪い歴史感があるのでしょうね。
神代文字は表音文字であり、中国語の発音と日本語の発音の違いから母音が増えたと考えられるようです。その後江戸時代までに母音が元に戻っていった。ところが、江戸時代末期から明治初期にかけて、外来語が大量に入ってきて、表音文字の表記が少し変更されている。ヴァヴィヴヴェヴォとか微妙な発音を表記しようとした時代があった。
縄文時代の日本では、人同志の殺し合いが無かったから何じゃないかな。
TH-camムーでしょうか。
漢字は由来がろくでもないのが多いので日本発祥の気がしない
両面宿儺の目が4つあるのもそういう意図だったのね
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