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本日紹介して下さいました禅語と言う本を読ませて頂きます。いつも頑張って行動出来る日々は大愚和尚様のお陰様であると感謝させて頂いています。いつもありがとうございます。いつも素敵です😊
私も、高校時代に親友だった人に「もっと他人に対して気を遣うべきだ」と一緒に遊んでいる時に指摘されたことにショックを受け、大喧嘩して絶交したのをきっかけに、大学時代は他人に対して腫れ物に触るように異常に気を遣う性格になっていました。しかし、自分が一生懸命他人に対して気を遣っても、社会に出て就職してからも相変わらず「人の気持ちを考えろ。」「考え方が自分本位だ。」と言われる始末でした。ある時、仕事中に心身に不調をきたし、先輩社員の勧めで心療内科を受診したところ、ASDの傾向があると指摘されました。そこから、自分の事や障碍について理解するようになり、職場を変え、自分の得意な事を活かせる仕事に就いたのをきっかけに、心身共に改善していきました。自分の事を理解しコントロールできるようになると、自然と周りに対しても目を向ける余裕が出て、自然な気遣いができるようになりました。今でも上司から「もっと気を遣った方がいいぞ」と言われることがありますが、その言葉に対してはあまり気にならなくなりました。そんな私が仕事をする上で大切だと思ったことを記載しておきます。①自分の事を客観的に理解する。②自分の得意・不得意を見極め、自分に合った環境に身を置く。③自分の事は自分でできるようにする。 →自分の事ができないと、周りがサポートする事になり、かえって迷惑を掛けてしまう。④周りの状況を正しく理解する。 →特に、話す・聞く・書く・読む・考えるの中で、聞く力を養うのが大事。 私は、議事録作成、社員との定期的な報連相、打ち合わせでのディスカッションで聞く力を養うと同時に、周りの状況を理解するように努めました。⑤周りに対してプラスになる行いをする。 →自分の行いが不器用・不格好かではなく、「周りが求めていることや目的は何か」「自分の行いは長期的に見て周りにプラスになるか」「自分の行いに筋が通っているか」で考えるようにしました。①~③はプライベートでも言えますが、まずは「周りに気を遣わせないように自分の事を自分でしっかりできるようにしておく」ことが大事だと思います。「自分が気を遣う」ではなく、「相手に気を遣わせない」という視点で考えると、負担が減るのではないでしょうか。そして、仕事をする上では特に④が大事だと思っています。私は④ができるまでに非常に時間が掛かり、今でも怪しいところがありますが、これを無くしては相手との意志疎通ができないし、ましてや気を遣うこともできないと思います。日本人だから日本語のリスニングはできるだろうと一見思いがちですが、実はそうではないと私は思います。⑤は俗にいう「気遣い」にあたります。車の運転で例えると、誰かを車に乗せて目的地に行くまでの過程で、①~③は運転技能や運転する車種、④は地図・交通情報・車の状態等にあたり、⑤は目的地に至るまでの過程になります。運転する技能も無いのに車を運転しても事故に巻き込まれるだけですし、周りの状況も分からずに運転してもいつまで経っても目的地に着かず同乗者を怒らせることになります。つまり、気を遣うというのは、簡単なように見えて実はとても難しいことだと思います。ですので、難しいことが故に、気遣いができない自分を責めないで下さい。他人の自分に対する見方は人それぞれで違いますし、相手に100%気持ち良い気遣いができるのは不可能です。それよりも、自分を正しく理解し、自分の事は自分でしっかりやって、相手に気を遣わせないことが第一だと思います。長文で大変失礼致しました。このコメントが気遣い症で悩んでいる方の一助になればと思います。
参考になります🙏
人に対して気遣った方が良いと思います。ただ「嫌われないようにしなきゃ」のような考えではなく、自分を大事にして自信を持って人に接して良い意味での気遣いが良いと思います。自分のマインドとしては人に気遣った時に、気遣えた自分を褒めて自信に繋げてますね。
みんな人の目を気にしないように見えても実際気になって仕方ないと思います。良いことより悪いことの方が目立ちます。それが自分自身への戒めだと捉えて良い行いを心がけられます。ありがとうございます。
素晴らしい!大愚和尚ありがとうございます!
バランス感覚🎉😊
本当 大愚さんは素直で魅力的で素敵な人だと思います😊 いつも お勉強させて頂いてます。ありがとうございます🤗
世間で「周りは気にするな」って風潮は現代の人々の多くは必要以上に他者の目に敏感な人が多いからかもしれませんね走り過ぎな状態にブレーキを掛けていい塩梅にするそういう狙い故のアドバイスなのかもしれないなぁ和尚様のお話をお聞きしてそう思いましたありがとうございます
私も人の目を気にしすぎてしんどく動悸が治らないのです😢和尚さま、わかりやすくお話しして頂いて本当に有難うございますスッと心が解きほぐされているのを感じられました😊
清潔感❤
大愚和尚様のこの動画に出会えた事は私の人生の大きな転換点となりました。心より感謝しています。これからも動画を楽しみにしています。お身体、どうかお労りになってくださいませm(_ _)m
若い頃、人の目を気にしすぎて「あなたの後ろが透けて見える」といわれるくらい自分の存在を消すように生きていた時期がありました。消そうとすればするほど人の目が気になるようになり、電車に乗れば目の前の人がみんな自分を見ていると思っていつも寝たふりをして目をつむっていました。何かの本で「空」と唱えればいいと読んで「空、空、空・・・」とずっととなえていました。今はそこまで気にならなくなりましたが、まだ人の目が気になり人込みは苦手です。巧みに生きたいです。
礼儀に始まり礼儀に終わる。というか、水の飲めなかった昔の剣道が厳しかったのを思い出しました。和尚さん職人タイプでも、慣れもあるかもしれないけど、嫌いでも話すのを発信ができるのが、すごいですよね。ちょっと私と違う気もしました。私自身あんまり喋るのが好きですきじゃないというのか、昔は頭ごなしだったから、喋ってはいけないような心の癖ができ引っかかりがあるのかもしれないけど、もう私は私でいいんだと、年月が経ち超えちゃって、話すのがめんどくさいとなってますよね。なんかバランスだと思います。仕事上は業務の一つとして考えるけど、プライベートは他にないから、私はそうならそうで、失墜してもいいとおもってますね。
良くも悪くも関わらない。まず自分を大事にするべき。
自分を振り返ってみるとなぜ、人目を気にするかっていったら、自分を良く見せたいと思うから。ただ、謙虚な姿勢でいればいいんじゃないかと。そして、他人はそれほど他人を見てない。みんな自分のことで精一杯。
気遣い、配慮は重要である。 それはその通りかと。ただ、「他人の目が気になる」というのは、気遣いや配慮とは少し違うように思えます。「他者が何を思っているのかを想像する。」そこまでは、「気遣い、配慮」を行う際にも、「他人の目」を気にする際にも、何れも必要になってくることでしょう。問題は、「他者の気持ちを汲み取り、それを基に何をどのように判断するか」により、その先の行動(思考)が変わってくることかと。「気遣い、配慮」は「相手に不快な思いをさせないようにしよう」と意識する方向に向かうでしょう。それは、自分のことではなく、相手のことを思いやる気持ちであり、まさに「気遣い、配慮」そのものです。「他人の目を気にすること」は「自分がどう思われているかを知りたい」と意識する方向に向かうでしょう。それは、相手のことではなく、自分のことを考えている気持ちであり、「気遣い、配慮」とは正反対の性質を持つのでしょう。「他人の目が気になる」ということ自体は、多かれ少なかれ、誰にでも起こることです。(逆に、まったく気にならないとなると、それは心の成長度が幼い子供のままだということを意味するので、それはそれで大きな問題ではありますが。)でも、「悪く思われたらどうしよう。 良く思われるためにはどうしたらいいのだろう? 下手なことを言って悪く思われたら嫌だなぁ、、、」等、過剰に反応する人と、「あっ、今のは気を悪くさせちゃったかな?」とか「今のは好印象を与えたみたいだ」等、冷静に状況把握できる人がいるのも事実です。その違いは何か? 大きなところで言うと、『自信の有無』と『誰の利益を重視するか』が違いを生む大きな要素のように思えます。自信がある人は、他人の目に過剰な反応はしません。 だって、自分自身に対して自信が持てているんだから。 誰に何を言われたところで、「自分自身が自分自身を認めている」のだから、他者の言動で大きく一喜一憂することはありません。自信のない人は、他人の目に過剰反応します。 だって、自分で自分のことを肯定的に評価できないんだから。 確かな自己評価が無いからこそ、他者の言動で一喜一憂を繰り返すことになるでしょう。他者の利益を重視する人は、相手が心地よい状態になれるよう、不快な思いをしないで済むよう、細心の注意を払います。自分の利益を重視する人は、自分が心地よい状態になれるよう、不快な思いから遠ざかれるよう、最大限努力します。「他人の目」というインプットが同じでも、そのインプットをどのように処理するかによって、アウトプット(結果として出る言動)は大きく変わってくるのは当然のことなのでしょう。『他人の目を気にしすぎないようにするには、どのような心持ちでいればよいのでしょうか。』自分の利益を考えるのではなく、他者への気遣い、配慮が行えるように努めるべきでしょう。そうしていれば、自然と周囲から肯定的な反応が得られることが増え、結果的に自分自身に対する自信がついてくるでしょう。自信がつけば、他人の目を気にしすぎることなく、自然体で振る舞えるようになっていくと思います。急がば回れ。 得ることを求めるなら、まずは与えることを考えるべきです。 結果は後からついてくる。 与える人に人々は集まります。 それは良い評価を多く得られるということであり、自信を作る要素となり、結果的に「他人の目を気にしすぎないで自然に振る舞える」ようになれるでしょう。
人の目は気になります私は見ない、聞かない、言わないようにしてますぶったの教えです😅誰しも悪口を言われない人はいないし、褒められるだけの人もいないしと教えていただきました😅ありがとうございます😊
先生俺は障害😂で他人の事馬鹿にされたりいじめられましたでも明るく生きてますよ🎉
過ぎたるは猶及ばざるが如し、ですね
このような素晴らしいビデオをご覧いただきまして、誠にありがとうございます。 ちょっとリクエストがあるのですが、字幕を付けていただけるでしょうか? これはネイティブスピーカーではない私たちにとっては精神的な栄養となり、日本語を練習する良い機会になります。
昨日まさに感度が敏感になり過ぎて、失敗しました。気を付けます。禅語の本読みたいです。
社会の目、意識すること、悪く、無い、、、常識、ある人、当然, 但し、 自分を、忘れず、日常を、過ごす、、、大切。
その症状が悪化しすぎると社交不安障害、もっと悪くなると統合失調症になります
なりました😂
現在高1です。長文失礼します🙇♀️家族皆が高校を卒業しています。ですが、高校は義務では無いので、行かずに自分の夢を追いかけたいです。親は、高校は必ず卒業して欲しいと言ってきます。特に父親が、自分の娘だからという理由で高校に行かせてきます。腹痛や体調不良などで学校を休むとため息をついて何で学校行かないの?と詰め寄ってきます。これは子供がいる親だと当たり前の考えなのでしょうか?韓国でダンス関係の仕事をするのが自分の夢なのですが、家族皆が即、否定してきます。自分の人生では無いんでしょうか?家族の協力も多少は必要なので、協力して欲しいです。家族の許可、他人の許可が無いと自分の人生はいきれないんでしょうか。まだ高校生だからという理由なんでしょうか。自分の夢は決まっているのに、夢に向かって進む前でつまづいてしまっています。皆さんはどういった考えですか??
@@インア9179 皆さんはどういった考えですか? ということでしたので、通りすがりの意見です。 まず、ご自身の夢を叶えるためにはどうしても今学校を辞めなければならないのでしょうか? その必要がある場合、なぜ今学校を辞めなくてはならないのかをご両親が納得するだけの説明を尽くさねばならないかと思います。 その前提として、これを自分の一生の仕事にするんだという熱意と姿勢、努力している姿を親に見てもらうのが良いのでは無いかと思います。それが本当に真剣なものであればご家族も聞く耳を持つかもしれません。 高校を卒業して欲しいというご両親の願いは、ある意味では無難な生き方をしていく過程でもっと色んな視座を持って欲しいというところから出ているものと思いますが、他人が聞いても納得はできます。ご両親もまた人間であり、希望や願いを持っているわけですからそれをねじ伏せてお金も出してもらうということになれば、それなりの労力を払う義務はあろうかと思います。 また、今必ずしも学校を辞める必要が無いのであれば、遠回りのようですが高校を卒業した後に、就職して得たお金で韓国に渡るのが良いと思います。 あるいは高校卒業後、ダンスに関係する専門学校などもあると思いますので、そちらに進むのも良いと思いますし、働きながら通うのもいいと思います。 端的に言えば、自分の人生を生きたいと思うならば、その義務を負う覚悟を持つべきだというのが自分の意見です。
あなたが『義務ではない高校』に自分で選択して入学したのだから、卒業するのが普通…という多数派、一般的な考えだと思います
家族の協力も必要だというのであれば、自分の人生を自分の思いだけで生きるのは難しいでしょう。それは理解されていますよね? 「私の人生なんだから好きにさせろ。 でも、私の親なんだから子供に協力しろ。」と言うのはおかしな話です。家族に協力は求めず、自力で自分の人生を切り開くというのであれば、それはそれで間違いではないでしょう。茨の道だとは思いますが、それでも自分の決断に賭けてみたいというなら、あなたの人生ですので、好きに決断すればよいでしょう。もちろん、その決断の結果が思い描いていたものと180度異なるものであったとしても、それはあなたの決断の結果なので、どのような結末を迎えたとしても諦めて受け入れるしかありませんけど。何れにせよ、主な選択肢としては「なんとかして説得する」、「親に頼らず自力で道を切り開く」、「諦めて一旦は高校を卒業する」の何れかになるかと思います。あなたはどれを選択しますか? 説得は難しそうなんですよね? そうなると、親に頼らない生き方か、親に頼るために高校を卒業するかの二択になると思いますが、どうされたいですか?繰り返しになりますが、「私は私の好きに生きたい。 だからあなたの指図は受けません。 でも、あなたは私を支援しなさい。」 そんな話は通用しません。支援を求めるなら、相手の意見も尊重しつつ、落とし所を探して下さい。説得が失敗し、それでも自分の選んだ道を進みたいなら、支援を求めることなく、自力で道を切り開いて下さい。支援がなければ夢を追えないというのであれば(そして、説得も無理だと言うなら)その程度の夢は諦めるしかないでしょう。それが現実です。 自由と責任はセットです。 自分の人生に自ら責任を持つからこそ、自由に生きられるのです。自分の人生に責任が持てないなら、すなわち、誰かの支援がなければ生きられないというなら、支援者の意思も尊重して下さい。あなたが具体的にどのような支援を求めているのか分かりませんが、どのような支援であれ、相手を納得させられるような説得をするのは支援を受ける側の義務となります。(「支援を受ける権利」を得るための義務です。 自由と責任がセットのように、権利と義務もセットです。)PS. 子供を高校に行かせようとするのは親として当たり前の考え方ですよ。 日本で仕事をするとなると、やはり高校程度は出ていないと非常に厳しいということを知っていますから。 もし、あなたの夢が叶わず、ダンス関係の仕事につけなかったらどうしますか? 中卒でどんな職につこうというのですか? 実家に寄生してニートですか? 夢に賭けることを否定はしませんが、ダメだった時のことも考えるのが大人の発想です。 そうなると、最低限高校は出ておかないとリカバリーが難しいだろうと考えるのが当たり前の発想であり、「最低限高校は卒業して欲しい」と言うのは極めて普通の考えだと思います。
この前、父と喧嘩して本音を言ったので理解して貰えました。自分の夢のことも話して、私が楽しくしてくれたら両親も嬉しいそうです!これからは家族の協力も得て夢に向かって進みます!!返信くれた方々ありがとうございます🙇♀️😊
和尚さま必ず親がいい人ばかりで育てられた人ばかりではないです。子供の金を当てにする親もいます。夫も私もそうでした。
本日紹介して下さいました禅語と言う本を読ませて頂きます。
いつも頑張って行動出来る日々は大愚和尚様のお陰様であると感謝させて頂いています。
いつもありがとうございます。いつも素敵です😊
私も、高校時代に親友だった人に「もっと他人に対して気を遣うべきだ」と一緒に遊んでいる時に指摘されたことにショックを受け、大喧嘩して絶交したのをきっかけに、大学時代は他人に対して腫れ物に触るように異常に気を遣う性格になっていました。しかし、自分が一生懸命他人に対して気を遣っても、社会に出て就職してからも相変わらず「人の気持ちを考えろ。」「考え方が自分本位だ。」と言われる始末でした。ある時、仕事中に心身に不調をきたし、先輩社員の勧めで心療内科を受診したところ、ASDの傾向があると指摘されました。そこから、自分の事や障碍について理解するようになり、職場を変え、自分の得意な事を活かせる仕事に就いたのをきっかけに、心身共に改善していきました。自分の事を理解しコントロールできるようになると、自然と周りに対しても目を向ける余裕が出て、自然な気遣いができるようになりました。今でも上司から「もっと気を遣った方がいいぞ」と言われることがありますが、その言葉に対してはあまり気にならなくなりました。
そんな私が仕事をする上で大切だと思ったことを記載しておきます。
①自分の事を客観的に理解する。
②自分の得意・不得意を見極め、自分に合った環境に身を置く。
③自分の事は自分でできるようにする。
→自分の事ができないと、周りがサポートする事になり、かえって迷惑を掛けてしまう。
④周りの状況を正しく理解する。
→特に、話す・聞く・書く・読む・考えるの中で、聞く力を養うのが大事。
私は、議事録作成、社員との定期的な報連相、打ち合わせでのディスカッションで聞く力を養うと同時に、周りの状況を理解するように努めました。
⑤周りに対してプラスになる行いをする。
→自分の行いが不器用・不格好かではなく、「周りが求めていることや目的は何か」「自分の行いは長期的に見て周りにプラスになるか」「自分の行いに筋が通っているか」で考えるようにしました。
①~③はプライベートでも言えますが、まずは「周りに気を遣わせないように自分の事を自分でしっかりできるようにしておく」ことが大事だと思います。「自分が気を遣う」ではなく、「相手に気を遣わせない」という視点で考えると、負担が減るのではないでしょうか。そして、仕事をする上では特に④が大事だと思っています。私は④ができるまでに非常に時間が掛かり、今でも怪しいところがありますが、これを無くしては相手との意志疎通ができないし、ましてや気を遣うこともできないと思います。日本人だから日本語のリスニングはできるだろうと一見思いがちですが、実はそうではないと私は思います。⑤は俗にいう「気遣い」にあたります。
車の運転で例えると、誰かを車に乗せて目的地に行くまでの過程で、①~③は運転技能や運転する車種、④は地図・交通情報・車の状態等にあたり、⑤は目的地に至るまでの過程になります。運転する技能も無いのに車を運転しても事故に巻き込まれるだけですし、周りの状況も分からずに運転してもいつまで経っても目的地に着かず同乗者を怒らせることになります。
つまり、気を遣うというのは、簡単なように見えて実はとても難しいことだと思います。ですので、難しいことが故に、気遣いができない自分を責めないで下さい。他人の自分に対する見方は人それぞれで違いますし、相手に100%気持ち良い気遣いができるのは不可能です。それよりも、自分を正しく理解し、自分の事は自分でしっかりやって、相手に気を遣わせないことが第一だと思います。
長文で大変失礼致しました。このコメントが気遣い症で悩んでいる方の一助になればと思います。
参考になります🙏
人に対して気遣った方が良いと思います。ただ「嫌われないようにしなきゃ」のような考えではなく、自分を大事にして自信を持って人に接して良い意味での気遣いが良いと思います。自分のマインドとしては人に気遣った時に、気遣えた自分を褒めて自信に繋げてますね。
みんな人の目を気にしないように見えても実際気になって仕方ないと思います。
良いことより悪いことの方が目立ちます。
それが自分自身への戒めだと捉えて良い行いを心がけられます。
ありがとうございます。
素晴らしい!大愚和尚ありがとうございます!
バランス感覚🎉😊
本当 大愚さんは素直で魅力的で素敵な人だと思います😊
いつも お勉強させて頂いてます。ありがとうございます🤗
世間で「周りは気にするな」って風潮は現代の人々の多くは必要以上に他者の目に敏感な人が多いからかもしれませんね
走り過ぎな状態にブレーキを掛けていい塩梅にする
そういう狙い故のアドバイスなのかもしれないなぁ
和尚様のお話をお聞きしてそう思いました
ありがとうございます
私も人の目を気にしすぎてしんどく動悸が治らないのです😢
和尚さま、わかりやすくお話しして頂いて本当に有難うございます
スッと心が解きほぐされているのを感じられました😊
清潔感❤
大愚和尚様のこの動画に出会えた事は
私の人生の大きな転換点となりました。
心より感謝しています。
これからも動画を楽しみにしています。
お身体、どうかお労りになってくださいませm(_ _)m
若い頃、人の目を気にしすぎて「あなたの後ろが透けて見える」といわれるくらい自分の存在を消すように生きていた時期がありました。消そうとすればするほど人の目が気になるようになり、電車に乗れば目の前の人がみんな自分を見ていると思って
いつも寝たふりをして目をつむっていました。何かの本で「空」と唱えればいいと読んで「空、空、空・・・」とずっととなえていました。今はそこまで気にならなくなりましたが、まだ人の目が気になり人込みは苦手です。巧みに生きたいです。
礼儀に始まり礼儀に終わる。というか、水の飲めなかった昔の剣道が厳しかったのを思い出しました。和尚さん職人タイプでも、慣れもあるかもしれないけど、嫌いでも話すのを発信ができるのが、すごいですよね。ちょっと私と違う気もしました。私自身あんまり喋るのが好きですきじゃないというのか、昔は頭ごなしだったから、喋ってはいけないような心の癖ができ引っかかりがあるのかもしれないけど、もう私は私でいいんだと、年月が経ち超えちゃって、話すのがめんどくさいとなってますよね。なんかバランスだと思います。仕事上は業務の一つとして考えるけど、プライベートは他にないから、私はそうならそうで、失墜してもいいとおもってますね。
良くも悪くも関わらない。まず自分を大事にするべき。
自分を振り返ってみると
なぜ、人目を気にするかっていったら、
自分を良く見せたいと思うから。
ただ、謙虚な姿勢でいればいいんじゃないかと。
そして、
他人はそれほど他人を見てない。みんな自分のことで精一杯。
気遣い、配慮は重要である。 それはその通りかと。
ただ、「他人の目が気になる」というのは、気遣いや配慮とは少し違うように思えます。
「他者が何を思っているのかを想像する。」
そこまでは、「気遣い、配慮」を行う際にも、「他人の目」を気にする際にも、何れも必要になってくることでしょう。
問題は、「他者の気持ちを汲み取り、それを基に何をどのように判断するか」により、その先の行動(思考)が変わってくることかと。
「気遣い、配慮」は「相手に不快な思いをさせないようにしよう」と意識する方向に向かうでしょう。
それは、自分のことではなく、相手のことを思いやる気持ちであり、まさに「気遣い、配慮」そのものです。
「他人の目を気にすること」は「自分がどう思われているかを知りたい」と意識する方向に向かうでしょう。
それは、相手のことではなく、自分のことを考えている気持ちであり、「気遣い、配慮」とは正反対の性質を持つのでしょう。
「他人の目が気になる」ということ自体は、多かれ少なかれ、誰にでも起こることです。
(逆に、まったく気にならないとなると、それは心の成長度が幼い子供のままだということを意味するので、それはそれで大きな問題ではありますが。)
でも、「悪く思われたらどうしよう。 良く思われるためにはどうしたらいいのだろう? 下手なことを言って悪く思われたら嫌だなぁ、、、」等、過剰に反応する人と、「あっ、今のは気を悪くさせちゃったかな?」とか「今のは好印象を与えたみたいだ」等、冷静に状況把握できる人がいるのも事実です。
その違いは何か? 大きなところで言うと、『自信の有無』と『誰の利益を重視するか』が違いを生む大きな要素のように思えます。
自信がある人は、他人の目に過剰な反応はしません。 だって、自分自身に対して自信が持てているんだから。 誰に何を言われたところで、「自分自身が自分自身を認めている」のだから、他者の言動で大きく一喜一憂することはありません。
自信のない人は、他人の目に過剰反応します。 だって、自分で自分のことを肯定的に評価できないんだから。 確かな自己評価が無いからこそ、他者の言動で一喜一憂を繰り返すことになるでしょう。
他者の利益を重視する人は、相手が心地よい状態になれるよう、不快な思いをしないで済むよう、細心の注意を払います。
自分の利益を重視する人は、自分が心地よい状態になれるよう、不快な思いから遠ざかれるよう、最大限努力します。
「他人の目」というインプットが同じでも、そのインプットをどのように処理するかによって、アウトプット(結果として出る言動)は大きく変わってくるのは当然のことなのでしょう。
『他人の目を気にしすぎないようにするには、どのような心持ちでいればよいのでしょうか。』
自分の利益を考えるのではなく、他者への気遣い、配慮が行えるように努めるべきでしょう。
そうしていれば、自然と周囲から肯定的な反応が得られることが増え、結果的に自分自身に対する自信がついてくるでしょう。
自信がつけば、他人の目を気にしすぎることなく、自然体で振る舞えるようになっていくと思います。
急がば回れ。 得ることを求めるなら、まずは与えることを考えるべきです。 結果は後からついてくる。 与える人に人々は集まります。 それは良い評価を多く得られるということであり、自信を作る要素となり、結果的に「他人の目を気にしすぎないで自然に振る舞える」ようになれるでしょう。
人の目は気になります
私は見ない、聞かない、言わないようにしてます
ぶったの教えです😅
誰しも悪口を言われない人はいないし、褒められるだけの人もいないしと教えていただきました😅
ありがとうございます😊
先生俺は障害😂で他人の事馬鹿にされたりいじめられましたでも明るく生きてますよ🎉
過ぎたるは猶及ばざるが如し、ですね
このような素晴らしいビデオをご覧いただきまして、
誠にありがとうございます。 ちょっとリクエストがあるのですが、字幕を付けていただけるでしょうか? これはネイティブスピーカーではない私たちにとっては精神的な栄養となり、日本語を練習する良い機会になります。
昨日まさに感度が敏感になり過ぎて、失敗しました。気を付けます。禅語の本読みたいです。
社会の目、意識すること、悪く、無い、、、常識、ある人、当然,
但し、 自分を、忘れず、
日常を、過ごす、、、大切。
その症状が悪化しすぎると社交不安障害、もっと悪くなると統合失調症になります
なりました😂
現在高1です。長文失礼します🙇♀️
家族皆が高校を卒業しています。
ですが、高校は義務では無いので、行かずに自分の夢を追いかけたいです。
親は、高校は必ず卒業して欲しいと言ってきます。
特に父親が、自分の娘だからという理由で高校に行かせてきます。腹痛や体調不良などで学校を休むとため息をついて何で学校行かないの?と詰め寄ってきます。これは子供がいる親だと当たり前の考えなのでしょうか?
韓国でダンス関係の仕事をするのが自分の夢なのですが、家族皆が即、否定してきます。自分の人生では無いんでしょうか?家族の協力も多少は必要なので、協力して欲しいです。家族の許可、他人の許可が無いと自分の人生はいきれないんでしょうか。まだ高校生だからという理由なんでしょうか。
自分の夢は決まっているのに、夢に向かって進む前でつまづいてしまっています。皆さんはどういった考えですか??
@@インア9179
皆さんはどういった考えですか?
ということでしたので、通りすがりの意見です。
まず、ご自身の夢を叶えるためにはどうしても今学校を辞めなければならないのでしょうか?
その必要がある場合、なぜ今学校を辞めなくてはならないのかをご両親が納得するだけの説明を尽くさねばならないかと思います。
その前提として、これを自分の一生の仕事にするんだという熱意と姿勢、努力している姿を親に見てもらうのが良いのでは無いかと思います。それが本当に真剣なものであればご家族も聞く耳を持つかもしれません。
高校を卒業して欲しいというご両親の願いは、ある意味では無難な生き方をしていく過程でもっと色んな視座を持って欲しいというところから出ているものと思いますが、他人が聞いても納得はできます。ご両親もまた人間であり、希望や願いを持っているわけですからそれをねじ伏せてお金も出してもらうということになれば、それなりの労力を払う義務はあろうかと思います。
また、今必ずしも学校を辞める必要が無いのであれば、遠回りのようですが高校を卒業した後に、就職して得たお金で韓国に渡るのが良いと思います。
あるいは高校卒業後、ダンスに関係する専門学校などもあると思いますので、そちらに進むのも良いと思いますし、働きながら通うのもいいと思います。
端的に言えば、自分の人生を生きたいと思うならば、その義務を負う覚悟を持つべきだというのが自分の意見です。
あなたが『義務ではない高校』に自分で選択して入学したのだから、卒業するのが普通…という多数派、一般的な考えだと思います
家族の協力も必要だというのであれば、自分の人生を自分の思いだけで生きるのは難しいでしょう。
それは理解されていますよね? 「私の人生なんだから好きにさせろ。 でも、私の親なんだから子供に協力しろ。」と言うのはおかしな話です。
家族に協力は求めず、自力で自分の人生を切り開くというのであれば、それはそれで間違いではないでしょう。
茨の道だとは思いますが、それでも自分の決断に賭けてみたいというなら、あなたの人生ですので、好きに決断すればよいでしょう。
もちろん、その決断の結果が思い描いていたものと180度異なるものであったとしても、それはあなたの決断の結果なので、どのような結末を迎えたとしても諦めて受け入れるしかありませんけど。
何れにせよ、主な選択肢としては「なんとかして説得する」、「親に頼らず自力で道を切り開く」、「諦めて一旦は高校を卒業する」の何れかになるかと思います。
あなたはどれを選択しますか? 説得は難しそうなんですよね? そうなると、親に頼らない生き方か、親に頼るために高校を卒業するかの二択になると思いますが、どうされたいですか?
繰り返しになりますが、「私は私の好きに生きたい。 だからあなたの指図は受けません。 でも、あなたは私を支援しなさい。」 そんな話は通用しません。
支援を求めるなら、相手の意見も尊重しつつ、落とし所を探して下さい。
説得が失敗し、それでも自分の選んだ道を進みたいなら、支援を求めることなく、自力で道を切り開いて下さい。
支援がなければ夢を追えないというのであれば(そして、説得も無理だと言うなら)その程度の夢は諦めるしかないでしょう。
それが現実です。 自由と責任はセットです。 自分の人生に自ら責任を持つからこそ、自由に生きられるのです。
自分の人生に責任が持てないなら、すなわち、誰かの支援がなければ生きられないというなら、支援者の意思も尊重して下さい。
あなたが具体的にどのような支援を求めているのか分かりませんが、どのような支援であれ、相手を納得させられるような説得をするのは支援を受ける側の義務となります。
(「支援を受ける権利」を得るための義務です。 自由と責任がセットのように、権利と義務もセットです。)
PS. 子供を高校に行かせようとするのは親として当たり前の考え方ですよ。
日本で仕事をするとなると、やはり高校程度は出ていないと非常に厳しいということを知っていますから。
もし、あなたの夢が叶わず、ダンス関係の仕事につけなかったらどうしますか? 中卒でどんな職につこうというのですか? 実家に寄生してニートですか?
夢に賭けることを否定はしませんが、ダメだった時のことも考えるのが大人の発想です。
そうなると、最低限高校は出ておかないとリカバリーが難しいだろうと考えるのが当たり前の発想であり、「最低限高校は卒業して欲しい」と言うのは極めて普通の考えだと思います。
この前、父と喧嘩して本音を言ったので
理解して貰えました。自分の夢のことも話して、私が楽しくしてくれたら両親も嬉しいそうです!これからは家族の協力も得て夢に向かって進みます!!返信くれた方々ありがとうございます🙇♀️😊
和尚さま必ず親がいい人ばかりで育てられた人ばかりではないです。子供の金を当てにする親もいます。夫も私もそうでした。