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皆さん、かなり頑張ってくれたんですね。流石は大名の子孫だ。
興味深く拝見しました。華族の中でも前田家や南部家のような名門当主が戦死したとは大変驚きました。特権階級だったので裏で手を回して兵役免除とならず、戦地へ向かわれた気概は頭が下がる思いです。
有難う御座います!
あまり華族の戦争は取り上げられないので貴重です。
軍人生活を送った皇族は、新書があるはず
とても興味深い内容でした!もっと他にもおられると思うので、ぜひパート2もお願いします
華族、しかも当主が、職業軍人でないとはいえ、幹部候補生試験を経ずに、一般兵卒として従軍されていたことには驚愕しました。
それが戦争ってことよね誰しも守りたい家族、仕事、伝統、などがある上で、それを捨てて命を捧げなければならない
ですね
捨てると言うか、それらを守るために軍務に就かなければいけなかったんじゃないかな。家も家族も名誉も権威も全てを守るために戦った。そこに現代的な個人主義はなかったんだろうね
貴重な動画を、ありがとうございます。昔の日本人の気概を感じます🗾遊就館に初めて行った時、華族皇族の方々でも、最前線に行かされ戦死されてしまっている方が多く驚愕でした。大名家の中でも有数の、お金持ちだったと言う(鉄器の生産で)南部家の御当主でも戦場へ行かされるとは…と、言葉を失いました 皇族でありながら北白川家などは、父子で戦死され、宮家が絶えてしまうと言う、そんな事が有るのかと。死してなお、国の為、民の為に誇り高く、一度きりの大切な命をかけて生きられた人生が、永遠に語り継がれている事に、凡人の私でも深く学ぶ思いでした。御先祖様方々の名を、一族の名を汚さない様にと、御養育された血筋の方は、やはり違うなぁと思った事です 保存させていただきました
第二次大戦での招集は、身分に関係なく比較的公平に行われたんだよな。だから爵位がある人も、財閥の御曹司でも二等兵で引っ張られる可能性があった。そうじゃなければ、一般大衆が招集に納得しなかったとも言える。最下層の兵士で引っ張られるのを防ぐために、事前に兵学校で下士官の身分を手に入れることが流行ったけど。
おっしゃる通りですね。動画で紹介した越前松平家なんかがまさに陸軍兵士としての徴兵逃れのために海軍に応募した例になります。
@@rekishock 海軍志望が徴兵逃れとは思えないけど。水に浮かぶか草むすか、好きな方を選んだのだろう。3611さんの言う下士官身分を手に入れる、、はデメリットが有って満期除隊が無いし戦場で狙われやすい。個人的には二等兵で戦場に行く人はいやいやだと思う
一般大衆が納得しようとしなかろうと召集は行われたろうし、納得出来ないから戦争いかねえ!といったデモも起こらないだろうから、爵位がある人だけは特別でもおかしくはなかったと思うけど、あえて公平に召集した事は特筆に値する事だと思う。
ありがとうございます!
応援ありがとうございます!励みになります!
たいへん興味深かったです。
大東亜戦争が後半に差し掛かり、敗戦に突き進むのが見えてきた時に、高松宮様が海軍に対して、自分を前線に出して欲しいと何度も希望したが、すべて海軍上層部が却下した。今次の戦争は敗戦の可能性が現実になるやもしせず、その状態で皇族が戦死しないとあれば、国民に対して申し訳が立たぬと仰られた。その後戦前に臣籍降下した朝香宮の次男が戦死され、弔問の後に高松宮様が側近に、今回の件は誠に気の毒ではあるが、臣籍降下された方でも、皇族の血統で有る事は変わらず、これで国民を慰撫出来るのは誠に喜ばしいと仰られた。
身内が死んで誠に喜ばしいは草
@@E-mc_2 時代背景を考えるとなんともね・・。
貴族だからこそ果たす責任立派なものだ。学徒出陣の学徒兵の悲劇はよくテレビでも放送されているが大学生は士官候補でいきなり士官だし中には徴兵逃れで文系から理系や教育系に転籍する輩も居たわけで。一兵卒で徴兵されて戦場で働いた華族は偉いと思う。
ノブレス・オブリージュといったところでしょうか。もちろん華族にも様々な人がいて、阿波徳島藩主家の蜂須賀正氏のように日本脱出を計画したりする人もいましたが、国のために尽くすという考えが人一倍強い方々が多かったのではないかなと個人的には思います。
大学生だからといって、「いきなり士官」にはなれません。海軍は「予備学生」制度があり、初めは准士官待遇から始まり、士官教育終了後に少尉に任官します。陸軍は、二等兵から始まり、幹部候補生試験を受け、合格した後士官教育を受け、終了後見習士官となり、一定期間を経て少尉に任官します。私の亡くなった父は繰り上げ卒業で入営し、見習士官で終戦を迎えました。尚、私の父は電気工学専攻の理系でした。
>一兵卒で徴兵されて戦場で働いた華族は偉いと思う。 その華族は平時において特別の身分として国家から権益を与えられているのだから、ノブレスオブリージュの実践に他ならない。それに「中には徴兵逃れで文系から理系や教育系に転籍する輩も居たわけで」という言辞そのものが「あの戦争」で臣民300万を死に至らしめた軍首脳部の無責任に他ならない。合理的判断を軽視どころか侮辱して、インパールでガダルカナルで何人殺した。連合軍より大本営こそが最大の敵ではないか。理系を軽視して、レーダーを兵器として十分に実用化できず、米軍機の放埓を許したのはどこのどいつだ。サイパン島で玉砕後もフォックスと渾名されて米軍を翻弄した大場栄大尉は元々地理教師であったのに昭和一桁の時点で徴兵されたではないか。大学生が即座に士官に任官されるなどと書いて訂正されるような薄っぺらいコメントを投稿する前に下調べを済ませろ
むしろ知らないからこそ動画を見るのであって、コメントしてる皆が戦中の歴史に詳しい訳じゃない。 ある程度コメントに責任を持つ事も大事だけど、間違っていたら知っている人が訂正するだけでそこまで言う必要はないんじゃない?
@@howoohooh 少々の間違いへの指摘に個人的な怒りを乗せるなよ。存命の戦争世代にその得意げな口ぶりで言ってこいよ。
0:30華族の子孫曰く『華族だから』こそ御國に尽くさなければならないと某将棋漫画の異聞外伝で言っていた事を思い出しました。お疲れ様です。
華族は国民の規範を求められたもんね
貴賎無用で護国の英霊の皆様に深い敬意を表します‼️
徳川慶光さん、スゴイな。恐らく、周りには徳川家であることは告げず、二等兵になったわけやろ。戦後も町田で落ち着いたというのも、なかなか。
ふ
南部利祥公の銅像供出の際は「南部の殿様は銅像になってからも戦に駆り出される」と岩手県民が嘆いたとか?
盛岡行ったとき城跡にも行きました。なんだこれ?と思った記憶が。酷いな
華族ですが冷泉家も阿野家も戦死していますね
武家に限定してしまったので取り上げられませんでしたが、冷泉家も阿野家も、兵隊として召集されて戦地に赴いていますね。武家、公家に差はなかったということですね。
私は謎の豪農家の出身だが曽祖父が出兵した
そういや知り合いの爺さんが、新兵の教育係だかをやってるときに、新入りの付き人として現役の将官がついてきた時は非常にやりにくかったと言っていたな。
新兵って兵卒でってこと?華族なら士官学校出のはずだけど?
@@comuin. とは限らない。徳川慶喜家の御曹司は公爵でありながら、兵卒だったと記憶してます。華族だから士官学校とは限らない。
@@bigmarch8686 一般的な華族は兵卒で徴収が多いのですか?極稀のケースではないのでしょうか?
@@comuin. 文系の大学等の出身だと、兵卒扱いだったんじゃね?
@@bigmarch8686 いや、その時代だと不足する士官を補うために下士官以上で幹部候補生扱いだよ。学徒(昔はエリートだった)=少尉候補生今の自衛隊とかだと大卒で2士(兵卒)で入隊する人いるけど、
大手企業も世襲(安泰とは言わないが)の時代に、当家の二代目と言えど平社員としてノルマ課せられ営業周りするなんて過酷すぎる。スゴい時代だったンだな
こういう所も平等にする日本人の生真面目さ。ウクライナ戦争で権力者や金持ちの子息が優遇されているロシアが普通なんだろうね。
戦死ではありませんが旧紀伊新宮藩藩主・水野家の長男さんが八甲田山で遭難死されていますね。戦死並みにするかどうかで議論があったそうです。
華族って華やかでお金持ちそうに見えますけど、実際は殆どがお金のやりくりに困っており爵位を返還する人も少なくなく、維持しようとする人も家宝などを売却してどうにかしてたと言うので華族=金持ちではないんですよね。お金持ちの華族は殆どが自分の土地を所有してたり投資関係で儲けてたりした人です。
爵位返上はよく聞きます。体面保つの大変だったろうな。奥羽越列藩同盟側だった伊達家のや重臣の片倉家では、家臣が北海道で大変な目にあってるからと幼い頃からきびしく躾られ、そんなことで今も苦しんでる家臣の皆にかおむけできるのか!と言われ続けたとか。また、松山の久松松平家は、元藩士家の秋山真之が東京に出てくるときしっかり援助をされたとか。なかなか凄いなと思います。それなのに(詳しい話は忘れたが)敗戦で屋敷や家宝を手放さなければならない家が多かったとききます。大名の時から自由きままだったわけでは決してなく(気ままな人もいたが、大抵騒動の元になってるし、運が悪いとおとり潰し。中には家臣にクーデター起こされ永牢の人も)、大名華族も中々大変だなと。もちろん、飢饉で子を泣く泣く間引いたり、餓死した農民よりは遥かにマシなのですが。貧農の娘売は終戦まで続きますし…
とても良かったです。母方が貴族院議員の家でしたが、知らないことだらけでした。
公家華族でも侯爵醍醐忠重海軍中将のように軍人となった人もいましたね。
戦死はされていませんが、シベリア抑留をされた小堀宗慶(紅心)小堀遠州が祖になる遠州流の茶道家元がおられますね。
今の政治家たちより、よほど立派な人が多かったんですね
なぜ政治家と比べたのかわからんが、政治家でいうなら今も昔も政治家はクソだね!昔を差ほど知らんくせに一辺から昔、昔と賛美する奴はバカ!
比較にすらならないと思う
今の政界にはクズと呼ぶ価値すらない人間しかいないのかねぇ・・・・・いっそ無政府状態の方が(全てが自己責任で完結するだけ)マシなのかなぁ・・・・・
今でも世界の王族の第一礼装は軍服ですもんね(敗戦国の日本は除く)高貴な人こそ率先して国防の任に就くという考え方は世界共通です。
ノブリスオブリージュというやつですな
令和4年9月1日『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』第24代伏見宮家当主・伏見宮博明氏著 令和4年2022年1月初版 の自伝を読ませていただきました。90歳を超えられた今も、いざというときは、天皇をお守りするのが務めとの心得を率直に語られています。何事も国民が決めること(に従う)というさわやかな言葉もインタビューでのお応えにあります。皇族の男子として親から離れてのお寂しい生活、厳しいしつけ教育も、日本を守るため、日本の皇統を守るために受け入れてこられたと思います。皇族も華族も、それぞれの立場で役割をになって、日本の長い歴史が紡がれている事を知る機会となりました。今回の動画は、なかなか知りえなかった内容です。有難うございました。
今の政治家の子弟も考えてほしいですね。
越前松平家の松平康愛氏 かなりのイケメンです画像が無くて残念
井手純さんのTwitterにたくさんいい写真がありますね!パブリックドメインのは見つからず、動画には使えませんでした。twitter.com/idejun1201/status/1380353125610045441
前田家は一般兵ではなく、士官だけどもう一人BC戦犯として処刑されてしまった方がいますね。武士出身らしい最後だったと何かで読んだことがあるな。
前田利貴ですね。前田利為ばかり見ていてすっかり失念していました。紹介すればよかったです…
ぜひ詳細をどこらかでお願いします!
前田利貴氏は、その出自の良さから和蘭軍に目をつけられて無実の罪を擦り付けられたようです。
インドネシアで亡くなった方だったかな?
前田利為将軍は、昔大日本帝国欧州電撃作戦シリーズという架空戦記小説でヨーロッパの日本全権代表として活躍してたから名前は知ってた。多分、前田侯爵が活躍する小説ってあれくらいだと思うな。
流石武家の子孫
一平卒として中国戦線を生き延びた旧大名家に、『兵隊やくざ』の作者有馬頼義がいる。
いいとこ考えましたね
華族優遇措置あったらね。学習院高等部卒業して後大学に無試験で入れる。第5希望まで出せと言われる。田男爵次男は、東大、東北大京都大、大阪大、新潟大医学部と希望出し東大入学し卒業後学徒出陣。震洋特攻隊分隊長として八丈島で敗戦を迎えいきて生還。松前子爵家当主は陸軍上等兵で招集されニューギニアで戦死。五島子爵家当主は長崎で被爆し死亡後廃爵。明治天皇の孫であった朝香宮の次男は臣籍降下し朝香正彦伯爵として南洋クェゼリン環礁で海軍少佐参謀として戦死。朝鮮王族の李遇公は陸軍士官学校、陸軍大学校と進み重砲兵将校として広島総軍教育参謀として赴任するが、被爆し戦死。朝鮮王族は、皇族扱いをされていて年間の歳費は当時で五万円(今の価値で10億円)広島で死亡した時に御側に付いてた王公付武官の中佐は責任を感じ御遺体が京城に向かって離陸したのを確かめてから、闘病してた民家の縁側に白布を敷き殿下にお供しますと切腹し止めに頭に銃を撃ち死んだ。
徳川慶光さんは御近所さんだと思う。町田市と言っても横浜市との境にあるすずかけ台駅裏に住んでて葬式には皇族も訪れたと聞きました。(御近所とは言っても個人的な付き合いは無い我が家は葬式には参列せず)
僕は井伊家ですが曾祖父さんが海軍でした無事に帰ってきたらしいです😊
私も井伊家の末裔です。ですが、現代社会では、何の特権も無い一平民として、社会の荒浪にもまれています。遠い親戚、という事になりますね。ちなみに、井伊→私の間の世代には、軍人になった者は一人もいません(兵役免除?)。
当時の日本の状況から「跡継ぎなんだから必ず生きて帰ってこい!」とも言いづらかっただろうなぁ~(_ _)
久留米藩16代藩主 有馬頼義は今回の戦争で当時の「思想や素行」が悪いとしてにらまれ、兵隊の位の最下位の「二等兵」として3年間中国で兵役についたが酷く苛められた。その実態を書いた作品があります。 当時、皇国史観により元大名の出身者は過酷に扱われた。
元大名と言うよりも戊辰戦争時の久留米藩の行いが悪かった空っぽいですね。大政奉還を受ける形で尊王攘夷派が復権し、佐幕派の首脳を排除・粛清して、戊辰戦争が始まると新政府軍側で参戦した。しかしながら、明治政府の「開国和親」路線に不満を持つ久留米藩攘夷派政権は、明治4年(1871年)に二卿事件と呼ばれるクーデター未遂事件に関与し、明治政府の命令を受けた熊本藩に城を占拠されているとあるので、その行いがずっと響いていたのでは。
haru matsuさん「貴三郎一代記」ですね、後に勝新太郎主演「兵隊やくざ」として映画化されました。
有馬家自体は屋敷にあった水天宮を解放し、今も宮司として勤められてるから、親近感あるし立派だなと思いますが
@@hirohiro1770 さん有馬家の縁戚には、有馬頼底氏(相国寺管長・京都仏教会会長等を歴任)がいますよ。
@@原田寛-e3u え、あれは実話元にしてたんですか。
ご冥福をお祈りします。
今後の有事には、国会議員や上級国民様が最前線に向かって頂けるのでしょうか。
それやってヘタしたら無政府状態になってしまう・・・・・
諸橋轍次氏と並ぶ漢字博士藤堂明保氏は伊勢の大大名藤堂家の直系の子孫でしたが出征した時は下士官だったそうで司馬遼太郎のエッセイによればその当時は藤堂家には何も財産が無かったとか。「明治維新は徹底した革命だったんですね。」と云う話です。鳥羽・伏見の戦いの時の幕府軍の藤堂勢の大将、藤堂采女の裏切りが響いたんですかね。
南部は戦国時代の親戚と血族同士の争い、明治になってからも踏んだり蹴ったり
有馬頼義さんは、一兵卒として出征し、脚弱の参謀を背負って行軍し、「有馬侯爵家の跡取りたる自分が、どこの馬の骨とも分からぬ参謀を背負う。明治維新はやはり革命だったんだな」という感想を遺しています。因みに、勝新太郎主演の「兵隊ヤクザ」シリーズの「有田上等兵殿(田村高広)」のモデルです。
山内善男さん因みに、勝新太郎さんが演じた大宮貴三郎のモデルは、大正・昭和に東京に君臨した伝説のアウトロー「万年東一」と言われていますね。
いわゆる西洋で言うところのノブレスオブリージュってやつですかね。特権階級だからこその気概というか矜恃がちゃんとあったんですね。今の政治家や経済的に力がある人たちにそれらがあるのでしょうか?まことに嘆かわしい限りです。戦後、日本は日本ではなくなってしまった。
華族なら尉官スタートだと思ったら一般兵扱いなんだね
イメージとしては特別扱いされてそうですもんね。華族、さらには貴族院議員という立場であっても、国民の義務としての兵役の前にはみな平等だったということが分かります。
士官学校を卒業しないとねぇ。小隊の指揮もできませんし。
陸軍幼年学校では華族は特待生扱いだったらしいけど、逆に言えば軍学校に行かないと兵卒扱いだったんでしょうね。
予備士官登録してなかったんだろなまさか自分が徴兵されるとは思いもしなかったのかもね
徳川慶喜の孫の徳川凞(ひろむ 熈かも?)も戦死されてます。
たくさんの尊敬すべき日本男児が亡くなり。いま、この国は幽霊船のようにさ迷っています。英霊の諸貴公子、お見守りください。
ほんとうにそう思います
英霊という言い方は好きじゃないけど、そう思う。命懸けで守った日本がこんな有様で、どう思ってるんだろう?
あんたらもその日本人であるのに、まるで他人事のように今のこの国を批判していることに嫌気がさすね!要はあんたらみたいな他人事の日本人が大多数だからこうなっているのだよ!
愚鈍なコンプレックスの塊が上についた有能の将は敵じゃなくて味方に殺されるんだよな
パプアニューギニア戦と言えば水木しげるもいた
德川慶喜公の孫で分家の男爵家の嫡男德川煕大尉は潜水艦の水雷長で戦死されました(享年27)戦死はしてませんが、松平容保公の七男で12代当主保男は海軍大尉時代に戦艦鎮遠の分隊長として日本海海戦に参加しています。また華族ではないが赤穂藩主浅野家の分家旗本若狭野浅野家(3000石)の当主である浅野中尉は志那事変で戦死されています。陸大卒の戦死第一号榊原忠誠少佐は旗本榊原家の嫡男でした。ここに紹介された以外にも多くの身分高い人が軍人となり出征していますね。
ん?ノブレス・オブリージュが当たり前の時代じゃない?この時代の人達は【国防】を理解されてる。GHQが旧宮家皇室離脱させたのも軍関係者に宮家の人間がいたからって言われてない?小室眞子さんも結婚前に伊吹元文科省に『ノブレス・オブリージュがある』と苦言を呈されてたよね
ヨーロッパの貴族は戦争になったら真っ先に軍に志願して最前線で戦う。と幼い頃から教育されて その通りにした。と聞いた。
パラオの映像が本当のパラオのコロール市内で草
大名家出身だから、特別な企画で動画を作るのはいささか、死んで行った他の将兵等に申し訳ないと当方は思います。戦後生まれですが戦争の犠牲に成った方々には、差別無く取扱って欲しい気持ちです。
興味深い視点。政治色をうまく排除してまとめてますね。
ありがとうございます!あくまでも、それぞれの家がどう戦争と向き合ったかという視点から作成させていただきました。
あああああああああああああ
ノブレス・オブリージュ!
今の日本に必要なのって昔の華族や士族みたいな人だよなぁ…身分制度って案外国家観というかそういうのまとまる制度なのかも今の日本人に国家観なんてないからな…率いてくれる人達が必要なのかもな。
それでもノーブリス オブリージュとして考えました場合、華族の軍人は少のうございましたわね。岩倉さんなどは華族が国民より率先して軍部に入らないことを嘆いておられましたでしょう。英国王室、貴族制度を模した大日本帝国でしたが、ノーブリス オブリージュの精神までは模せなかったということでございましょうか。
むしろこういう人たちが幕僚だったなら、誤魔化し大本営発表とか敵を侮ったり兵站を軽視しての作戦の失敗とか格段に少なかったんじゃないだろうか…ご先祖さまから代々伝わる戦場の心得みたいなのはどこの家にもまだ残ってた頃だろうし
華族だから戦場に行ったではなく、華族だからこそ行っただ。
それならば、士官学校に入れるように志願したんじゃね? 海軍士官になった高松宮様(昭和天皇の弟宮)のように。
同じ意味じゃね?
お前らなんでみんなオレンジなんだよ
わろた
男だから戦地に行かされた女だったら内地のまま
明治期に少なからず王室制度や貴族制度制定の参考にしたであろう英国はじめとした欧州では上流階級が率先して軍を率い出陣する「ノブレス・オブリージュ(高貴なる責務)」を果たす事が使命と云った考え方があり、英国でも王子はほぼ例外なく軍務に就き実戦も経験しているし、貴族子弟が通うような名門全寮制学校とかでも軍から派遣される現役軍人の教官に軍事教練を受けるのが今でも英国貴族の嗜みなんだとか。日本もそういった制度に加えての華族の大半が武家の出身だった事もあって率先して軍人になる事も少なく無かった。
大名も将軍も個人としては侍だからなあ。
華族も死んで手本を見せる感じですかね?
戦死者が今までとは比べ物にならないレベルで、国民の不満もあったことでしょうから、華族ですら兵隊として戦って戦死しているということを知らしめることで、国民の不満を抑える役割を果たしていたのではないかなと個人的には思っています。
かつては慶喜も将軍を辞して明治維新の後に権力の座に帰ろうとしていたようですが、孫の世代では一般兵として出征したが礼節をもってもてなされたことを見るに身分と形式が残って実権はなかったことが窺える。日本では世襲制の議員が多いわけで、安倍さんの後に信千代さんが跡を継ぐのではないかともいわれている。一度家の権力が無くなれば孫の世代ではバーを経営して政治家の孫として客に驚かれるかもしれないしれない。そうして歴史の表舞台に台頭することなく徐々に人々の記憶から忘れられていくのかもしれませんね。
徳川家は宗家より、清水家8代当主の徳川好敏中将のイメージが強いな。日華事変の航空兵団司令官や陸軍航空学校長として活躍してるし。
清水徳川家は少し異彩を放っていますよね。自分も昔に徳川好敏について紹介した動画を作成しました。th-cam.com/video/4a9et_LK72k/w-d-xo.html
軍医「お前また来たんか!」上官「貴様は帝国陸軍の恥だ!」同期「しかしお前珍しい名前だよな。大名みてえだ笑」上官「松平…まさか…」って展開予想したらわろた
当時は、どの家庭でも戦死者 戦傷者 戦災死傷者がいました。田舎の寺院や墓地を訪れると、特徴的な墓石が目につきます。出自で話すのも余り興味のあることではありません。貧しい家庭で、家族の期待を受けていた方々が、なんのコネも無く苦難の日々を続け、国家に殉じられた方々の冥福を祈ります。軍隊は運隊と呼ばれ、またコネのある無しで、苦痛の度合いが違うって聞きます。華族の面々は、拳固を食らった数でも記録に残したら良いでしょう。
正しくNOBLESSE OBLIGE(ノブレスオブリージュ)····当時の我国の上流階級の方々の気高さが窺い知れます:^)私の住んでいる町の近くには、ある旧家がありました今は残念ながら途絶えてしまい、その住まいだけが遺されています(地元では有名な資料館になっています)大東亜戦争時、お二人の成人男性がおられ、何方かの方が次期当主になられるはずだったのですが、御二方共に戦死され「家」としては途絶えました
イギリスでも、貴族は軍隊に入るのが基本何だけど、最近は我身可愛さから士官学校に入る貴族は減ってるみたい。
錚々たる面々ですな。とても勉強になりました。ありがとうございます。天皇制という言葉は批判的認識によるものです。「皇室をお守りするため」とか「日本の国体を守るため」といった言い回しの方がよいかな と思いました。
ご指摘ありがとうございます。天皇制はマルクス主義の用語が戦後に定着したものですね。私の勉強不足で、本動画での指摘を受け認識いたしました。申し訳ありません。
徳川家はなんか恣意的に戦地へ行かされてた感があるような…やはり長州薩摩主体で成立した政府からしたら好ましくない一族とは思われてたんかね?
全員「名誉の戦死」すれば、体勢側的にはある意味理想的だもんなぁ。
ノブレス・オブリージュ。高貴さは義務。学徒動員も国民の間ではむしろ、なぜ行かない?くらいに思われていた。大学に行ける時点でエリートな時代、進学していない同年代はとっくに徴兵で戦場へ行っていた。今のテレビとかでは殊更、学徒動員の悲劇性を協調するが、俺は頭の良し悪し、身分の良し悪しでその悲劇の重さが変わるとは思いたくない。誰であっても戦争の前には、その人生がなんの意味もなさないと思いたい。そうでなければ、戦争を誰もが嫌いにならない。
ぶっしゅ、🐯、食えぇるは対越戦送りを免れるといった過去が。🌰は留学でベトナム送りを免れるのだった
イギリスの貴族、騎士の話で、戦争での死亡率が高かったと言っていました。徴兵制になったといえ、戦う武士だったのだから、率先して戦争に行くべきだと考えたのではないでしょうか?
ヨーロッパでは士官は殆どが貴族で占められていた為、戦死率も相応に高い。
家の父方がその系列でしたが、祖父は年齢的に徴兵は無理で、長兄が戦車部隊に居ました。戦後、無事に帰ってきて、旧軍の資料集めがすごかったです。母方のお爺ちゃんは、漁業をしてまして、これも徴兵されなかったそうです。戦後、「斜陽」と同様に没落しました。「気の毒だな」と思ったら、メールくださいね笑
戦争の、先頭に立つのは貴族の役目ですよ。今の政治家に、そんな人は、居ますかね😎
まるで政治家が貴族みたいなモノ言いでワロタwww民主制やシビリアンコントロールを何だと思ってんだw
醍醐さんは確か将官で、インドネシアだかの裁判で死刑にされていたな。
醍醐忠重提督は、幼少時に親戚とのトラブルで父親と姉が殺され自身も瀕死の重傷負ったり、近衛文麿と並んで天皇の前で腕を組むことが許された数少ない人物だったとか。
よく華族等のボンボン育ちは何の苦労も無いとか甘やかされているという印象がありましたが、ボンボンだってボンボンなりの苦労はしていましたし、しつけは庶民以上に厳しかったです。
華族であれば優先的に士官学校に入れるし、卒業後は准尉なるから直ぐに少尉に慣れるし小隊長にはなるから、2等兵から始める者とは待遇が違うが、少尉以降は実力がものをいう世界だものね甘くはないわね。現代日本で言うならば、自衛隊ならば防衛大学校卒業し防衛省の人間として自衛隊に所属するか、自衛隊の幹部としての道を歩むかってとこだね、一般の公務員や警察で言うなら国家上級試験で入庁しキャリアとして国家公務員となるかというとこだね。一番近いのは階級があるから、自衛隊か警察等かな自衛隊なら士、曹を飛び越えて尉から始まるようだし、旧軍隊に似てるかもね、警察なら警察大学校に入りスタートし入校した瞬間に警部補となり署だと係長からスタートするのと同じだね、卒業後は警部になり署だと課長だね、警察本部だと係長かでも、そこからはキャリアも沢山いるし、一から昇進してきた経験豊富な人たちといきなり同じラインに立つわけだからけっこうつらいんだろうな。ついでに言うと部隊活動の際には警部補は小隊長で警部は中隊長だね。 軍隊の場合小隊長は突撃攻撃の際には先頭になり突撃しなくてはならないからけっこう死亡率が高かったりするんだね。一から始めると軍曹か曹長ぐらいでたいていは大出世の方で軍曹で分隊長、その下の伍長で副分隊長というとこでその下が上等兵で1等兵2等兵という事でスタートは2等兵からで長くなると1等兵と自動的になり上等兵で昇進という事になる。曹長は小隊伝令、准尉は士官学校卒業したての時であり直ぐ少尉となる臨時の階級だね。で、少尉で小隊長通常は5分隊で1小隊で戦況により3分隊で1小隊という状態もありだね、3小隊で中隊で中尉が中隊長、2~3中隊で大隊で大尉が大隊長だね。その上が連隊で連隊の上が旅団、2旅団で師団となる。別格で参謀という存在がある。謂わば軍師の集団だね。海軍だと大佐で船長、小型船舶だと中佐で船長という場合もあったみたいだね。大形艦だと船長が将校つまり将クラスという事になる。ちなみに飛行機は一つの舟扱いで最低でも少尉にならなければパイロットにはなられなかったみたいで、ゼロ戦の操縦員は少尉が多いね。爆撃など複数の乗務員が登乗の場合は中尉か大尉が機長だね。陸軍の戦車は操縦士や狙撃手は伍長、軍曹クラスだったみたいトラックも伍長・軍曹クラスが運転で最低でも上等兵が運転したみたいだね、荷台には部下が乗車しており有事になった際には責任者が行動を判断し場合によると隊ごと死に至る可能性もあるから責任者の車長が行動を判断するという事だね。部隊活動厳しいね。あと伝令という地位もあるんだが軍曹の上の階級の曹長が小隊伝令だね。これは現代的な考えだと上の人間の意志を伝令により伝えるだけの存在だが命令という形をとっており、小隊長が事故の場合(戦死などの場合)伝令が実質的な小隊長として代理を務めるからだね。中隊伝令は若い中尉か年長の少尉、大隊伝令は若い大尉かベテランの中尉というように同階級か部下たちよりは上で隊長よりは下の階級のものが伝令となる。上の階級者がすべて事故の場合は別の隊の階級が上のものが出てきて「階級が一番上の者挙手せよ」と質問し同階級の者しか残っていない場合は一番先輩格の者に挙手させ、「貴様を臨時小隊長に任命する」という指示を出すわけだね、映画等にそのシーン出てくるね、外国の映画も同じようなシーンがあるね。
文章の意味及び真偽不明。もっと短切で明瞭に表現されたし。
英国では貴族は最初から将校になれますが、日本は違うんですよねー。松本清張が軍隊というのはある意味平等な社会だったと語っていましたが、徳川公爵も身元がバレるまではビンタとかされまくったのかと思うと、おいたわしいです。あと、当主が若くして戦死された南部家はその後どうなったのか気になります。
武士の潔さと師責任感があったのだろう公家や天皇家とは違って奈良平安のむかしから遊んでいた連中とは違う
ホーエンツォレルン家が抜けてるやり直し
西郷家の子孫はどうしたの?
アンチャンネルさん知っているのは、西郷吉之助氏(戦後参議院議員を務め法務大臣も務めるも、自身の金銭トラブルで失脚)位ですか。
孫(隆盛次男菊次郎の息子準)は太平洋戦争の時フィリピンで戦死してます。実は立教大野球部で六大学リーグで活躍した名選手だったので東京ドームの野球博物館内の戦没野球人モニュメントにも名前があります。
@@山崎大-k3e さんもしも、西郷準氏が生きていて日本のプロ野球で活躍していたら、歴史が変わっていたかも知れませんね、因みに西郷菊次郎氏は、隆盛公が島津久光公と対立して奄美群島で事実上の流刑生活を送っていた時に現地の女性(愛加梛)との間に設けた子供で、西南戦争で明治政府軍の砲弾で被弾し片足を失いながらも生還して後に京都市長を務めたとか。
華族の人は殆どの人が、大学ヘ行くので卒業を待って招集され士官候補生として招集され士官として配属されるようです。平時は天皇陛下の警備する近衛兵として配属されるようです。それは徴収検査のおり、出身は中産階級か上流階級かを聞かれ承諾されれば、配属先が決まる用です。ですから華族でなくても検査の折に承諾されれば、それなりに配属が変わるのでしょう。太平洋戦争の末期は学徒動員でそれは、さだかで有りません。
戦争に行って当然だろう何で大名の子孫だと何でも優遇されにゃならんの??
政治屋もこれにならっておけば世襲、世襲と揚げ足取られんで済んだのに。命惜しさどころか利権惜しさで世襲と言われて恥ずかしい無いんか?世襲が全部あかんとは言わんけどあまりにもアホ共にコケにされ過ぎやろ?少しは情け無いと思うてくれ。
時の政権主流派の家族はどうだったんだろうね?
何しろ陸軍の首脳部は徳川憎しの長州藩、海軍は薩摩藩が牛耳っていたので旧大名の殿様はみんな召集され戦況の激しい南方の激戦地に送られた。或る者は一兵卒として徴集され苛められた.福岡藩16代藩主 有馬頼義は召集されて終戦まで二等兵として過酷なめにあったことを小説にして発表した。「悠久の大義」など直木賞を受賞している
大名ではありませんが、沖縄で戦死した第32軍の薬丸参謀は薩摩薬丸自源流の継承者。戦争でどれだけ貴重な人材が失われることか。
北のk一族の一人でもちょっとした悪事働けば徴兵されるみたいだからな。
本来貴族って統治してもしもの時は戦うのが仕事だしな。ウチの家も子爵だったな。
徳川慶光氏の場合は、検査に落ちる毎に戦局が悪くなっていって、3度目ともなると余程カラダが悪くない限り(第三乙種でも合格)、検査に合格してしまう破目になってしまったのが、ある意味不幸。
戦局が悪化して兵士の質も下がっていったことが分かる例になってしまいましたね…
慶光さん、一瞬矢作に見えた。
華族の子弟は将校になったそうで。
前線に送り出される事はミンチになって骨も髪も残らない死んでこいを意味するんだよ‼️👁👄👁‼️
毛利家は?
殿様が農民に指示されるとか耐えきれんかったろうな
皆さん、かなり頑張ってくれたんですね。流石は大名の子孫だ。
興味深く拝見しました。華族の中でも前田家や南部家のような名門当主が戦死したとは大変驚きました。特権階級だったので裏で手を回して兵役免除とならず、戦地へ向かわれた気概は頭が下がる思いです。
有難う御座います!
あまり華族の戦争は取り上げられないので貴重です。
軍人生活を送った皇族は、新書があるはず
とても興味深い内容でした!
もっと他にもおられると思うので、ぜひパート2もお願いします
華族、しかも当主が、職業軍人でないとはいえ、
幹部候補生試験を経ずに、一般兵卒として従軍されていたことには驚愕しました。
それが戦争ってことよね
誰しも守りたい家族、仕事、伝統、などがある上で、それを捨てて命を捧げなければならない
ですね
捨てると言うか、それらを守るために軍務に就かなければいけなかったんじゃないかな。家も家族も名誉も権威も全てを守るために戦った。そこに現代的な個人主義はなかったんだろうね
貴重な動画を、ありがとうございます。昔の日本人の気概を感じます
🗾遊就館に初めて行った時、華族皇族の方々でも、最前線に行かされ戦死されてしまっている方が多く驚愕でした。大名家の中でも有数の、お金持ちだったと言う(鉄器の生産で)南部家の御当主でも戦場へ行かされるとは…と、言葉を失いました
皇族でありながら北白川家などは、父子で戦死され、宮家が絶えてしまうと言う、そんな事が有るのかと。死してなお、国の為、民の為に誇り高く、一度きりの大切な命をかけて生きられた人生が、永遠に語り継がれている事に、凡人の私でも深く学ぶ思いでした。
御先祖様方々の名を、一族の名を汚さない様にと、御養育された血筋の方は、やはり違うなぁと思った事です
保存させていただきました
第二次大戦での招集は、身分に関係なく比較的公平に行われたんだよな。
だから爵位がある人も、財閥の御曹司でも二等兵で引っ張られる可能性があった。そうじゃなければ、一般大衆が招集に納得しなかったとも言える。最下層の兵士で引っ張られるのを防ぐために、事前に兵学校で下士官の身分を手に入れることが流行ったけど。
おっしゃる通りですね。
動画で紹介した越前松平家なんかがまさに陸軍兵士としての徴兵逃れのために海軍に応募した例になります。
@@rekishock 海軍志望が徴兵逃れとは思えないけど。水に浮かぶか草むすか、好きな方を選んだのだろう。3611さんの言う下士官身分を手に入れる、、はデメリットが有って満期除隊が無いし戦場で狙われやすい。個人的には二等兵で戦場に行く人はいやいやだと思う
一般大衆が納得しようとしなかろうと召集は行われたろうし、納得出来ないから戦争いかねえ!といったデモも起こらないだろうから、爵位がある人だけは特別でもおかしくはなかったと思うけど、あえて公平に召集した事は特筆に値する事だと思う。
ありがとうございます!
応援ありがとうございます!
励みになります!
たいへん興味深かったです。
大東亜戦争が後半に差し掛かり、敗戦に突き進むのが見えてきた時に、高松宮様が海軍に対して、自分を前線に出して欲しいと何度も希望したが、すべて海軍上層部が却下した。
今次の戦争は敗戦の可能性が現実になるやもしせず、その状態で皇族が戦死しないとあれば、国民に対して申し訳が立たぬと仰られた。
その後戦前に臣籍降下した朝香宮の次男が戦死され、弔問の後に高松宮様が側近に、今回の件は誠に気の毒ではあるが、臣籍降下された方でも、皇族の血統で有る事は変わらず、これで国民を慰撫出来るのは誠に喜ばしいと仰られた。
身内が死んで誠に喜ばしいは草
@@E-mc_2 時代背景を考えるとなんともね・・。
貴族だからこそ果たす責任立派なものだ。
学徒出陣の学徒兵の悲劇はよくテレビでも放送されているが
大学生は士官候補でいきなり士官だし
中には徴兵逃れで文系から理系や教育系に転籍する輩も居たわけで。
一兵卒で徴兵されて戦場で働いた華族は偉いと思う。
ノブレス・オブリージュといったところでしょうか。
もちろん華族にも様々な人がいて、阿波徳島藩主家の蜂須賀正氏のように日本脱出を計画したりする人もいましたが、国のために尽くすという考えが人一倍強い方々が多かったのではないかなと個人的には思います。
大学生だからといって、「いきなり士官」にはなれません。海軍は「予備学生」制度があり、初めは准士官待遇から始まり、士官教育終了後に少尉に任官します。陸軍は、二等兵から始まり、幹部候補生試験を受け、合格した後士官教育を受け、終了後見習士官となり、一定期間を経て少尉に任官します。私の亡くなった父は繰り上げ卒業で入営し、見習士官で終戦を迎えました。尚、私の父は電気工学専攻の理系でした。
>一兵卒で徴兵されて戦場で働いた華族は偉いと思う。
その華族は平時において特別の身分として国家から権益を与えられているのだから、ノブレスオブリージュの実践に他ならない。それに「中には徴兵逃れで文系から理系や教育系に転籍する輩も居たわけで」という言辞そのものが「あの戦争」で臣民300万を死に至らしめた軍首脳部の無責任に他ならない。合理的判断を軽視どころか侮辱して、インパールでガダルカナルで何人殺した。連合軍より大本営こそが最大の敵ではないか。理系を軽視して、レーダーを兵器として十分に実用化できず、米軍機の放埓を許したのはどこのどいつだ。サイパン島で玉砕後もフォックスと渾名されて米軍を翻弄した大場栄大尉は元々地理教師であったのに昭和一桁の時点で徴兵されたではないか。大学生が即座に士官に任官されるなどと書いて訂正されるような薄っぺらいコメントを投稿する前に下調べを済ませろ
むしろ知らないからこそ動画を見るのであって、コメントしてる皆が戦中の歴史に詳しい訳じゃない。
ある程度コメントに責任を持つ事も大事だけど、間違っていたら知っている人が訂正するだけでそこまで言う必要はないんじゃない?
@@howoohooh 少々の間違いへの指摘に個人的な怒りを乗せるなよ。存命の戦争世代にその得意げな口ぶりで言ってこいよ。
0:30華族の子孫曰く
『華族だから』こそ御國に
尽くさなければならないと
某将棋漫画の異聞外伝で
言っていた事を思い出しました。
お疲れ様です。
華族は国民の規範を求められたもんね
貴賎無用で護国の英霊の皆様に深い敬意を表します‼️
徳川慶光さん、スゴイな。
恐らく、周りには徳川家であることは告げず、二等兵になったわけやろ。
戦後も町田で落ち着いたというのも、なかなか。
ふ
南部利祥公の銅像供出の際は「南部の殿様は銅像になってからも戦に駆り出される」と岩手県民が嘆いたとか?
盛岡行ったとき城跡にも行きました。なんだこれ?と思った記憶が。酷いな
華族ですが冷泉家も阿野家も戦死していますね
武家に限定してしまったので取り上げられませんでしたが、冷泉家も阿野家も、兵隊として召集されて戦地に赴いていますね。
武家、公家に差はなかったということですね。
私は謎の豪農家の出身だが曽祖父が出兵した
そういや知り合いの爺さんが、新兵の教育係だかをやってるときに、新入りの付き人として現役の将官がついてきた時は非常にやりにくかったと言っていたな。
新兵って兵卒でってこと?
華族なら士官学校出のはずだけど?
@@comuin.
とは限らない。徳川慶喜家の御曹司は公爵でありながら、兵卒だったと記憶してます。
華族だから士官学校とは限らない。
@@bigmarch8686 一般的な華族は兵卒で徴収が多いのですか?
極稀のケースではないのでしょうか?
@@comuin.
文系の大学等の出身だと、兵卒扱いだったんじゃね?
@@bigmarch8686 いや、その時代だと不足する士官を補うために下士官以上で幹部候補生扱いだよ。
学徒(昔はエリートだった)=少尉候補生
今の自衛隊とかだと大卒で2士(兵卒)で入隊する人いるけど、
大手企業も世襲(安泰とは言わないが)の時代に、当家の二代目と言えど平社員としてノルマ課せられ営業周りするなんて過酷すぎる。スゴい時代だったンだな
こういう所も平等にする日本人の生真面目さ。ウクライナ戦争で権力者や金持ちの子息が優遇されているロシアが普通なんだろうね。
戦死ではありませんが旧紀伊新宮藩藩主・水野家の長男さんが八甲田山で遭難死されていますね。戦死並みにするかどうかで議論があったそうです。
華族って華やかでお金持ちそうに見えますけど、実際は殆どがお金のやりくりに困っており爵位を返還する人も少なくなく、維持しようとする人も家宝などを売却してどうにかしてたと言うので華族=金持ちではないんですよね。お金持ちの華族は殆どが自分の土地を所有してたり投資関係で儲けてたりした人です。
爵位返上はよく聞きます。体面保つの大変だったろうな。奥羽越列藩同盟側だった伊達家のや重臣の片倉家では、家臣が北海道で大変な目にあってるからと幼い頃からきびしく躾られ、そんなことで今も苦しんでる家臣の皆にかおむけできるのか!と言われ続けたとか。また、松山の久松松平家は、元藩士家の秋山真之が東京に出てくるときしっかり援助をされたとか。なかなか凄いなと思います。
それなのに(詳しい話は忘れたが)敗戦で屋敷や家宝を手放さなければならない家が多かったとききます。
大名の時から自由きままだったわけでは決してなく(気ままな人もいたが、大抵騒動の元になってるし、運が悪いとおとり潰し。中には家臣にクーデター起こされ永牢の人も)、大名華族も中々大変だなと。
もちろん、飢饉で子を泣く泣く間引いたり、餓死した農民よりは遥かにマシなのですが。貧農の娘売は終戦まで続きますし…
とても良かったです。母方が貴族院議員の家でしたが、知らないことだらけでした。
公家華族でも侯爵醍醐忠重海軍中将のように
軍人となった人もいましたね。
戦死はされていませんが、シベリア抑留をされた小堀宗慶(紅心)小堀遠州が祖になる遠州流の茶道家元がおられますね。
今の政治家たちより、よほど立派な人が多かったんですね
なぜ政治家と比べたのか
わからんが、政治家でいうなら今も昔も政治家はクソだね!
昔を差ほど知らんくせに
一辺から昔、昔と賛美する奴はバカ!
比較にすらならないと思う
今の政界にはクズと呼ぶ価値すらない人間しかいないのかねぇ・・・・・
いっそ無政府状態の方が(全てが自己責任で完結するだけ)マシなのかなぁ・・・・・
今でも世界の王族の第一礼装は軍服ですもんね(敗戦国の日本は除く)
高貴な人こそ率先して国防の任に就くという考え方は世界共通です。
ノブリスオブリージュというやつですな
令和4年9月1日
『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』第24代伏見宮家当主・伏見宮博明氏著 令和4年2022年1月初版 の自伝を読ませていただきました。
90歳を超えられた今も、いざというときは、天皇をお守りするのが務めとの心得を率直に語られています。何事も国民が決めること(に従う)というさわやかな言葉もインタビューでのお応えにあります。
皇族の男子として親から離れてのお寂しい生活、厳しいしつけ教育も、日本を守るため、日本の皇統を守るために受け入れてこられたと思います。
皇族も華族も、それぞれの立場で役割をになって、日本の長い歴史が紡がれている事を知る機会となりました。
今回の動画は、なかなか知りえなかった内容です。有難うございました。
今の政治家の子弟も考えてほしいですね。
越前松平家の松平康愛氏 かなりのイケメンです
画像が無くて残念
井手純さんのTwitterにたくさんいい写真がありますね!
パブリックドメインのは見つからず、動画には使えませんでした。
twitter.com/idejun1201/status/1380353125610045441
前田家は一般兵ではなく、士官だけどもう一人BC戦犯として処刑されてしまった方がいますね。武士出身らしい最後だったと何かで読んだことがあるな。
前田利貴ですね。
前田利為ばかり見ていてすっかり失念していました。紹介すればよかったです…
ぜひ詳細をどこらかでお願いします!
前田利貴氏は、その出自の良さから和蘭軍に目をつけられて無実の罪を擦り付けられたようです。
インドネシアで亡くなった方だったかな?
前田利為将軍は、昔大日本帝国欧州電撃作戦シリーズという架空戦記小説でヨーロッパの日本全権代表として活躍してたから名前は知ってた。
多分、前田侯爵が活躍する小説ってあれくらいだと思うな。
流石武家の子孫
一平卒として中国戦線を生き延びた旧大名家に、『兵隊やくざ』の作者有馬頼義がいる。
いいとこ考えましたね
華族優遇措置あったらね。
学習院高等部卒業して後
大学に無試験で入れる。
第5希望まで出せと言われる。
田男爵次男は、東大、東北大
京都大、大阪大、新潟大医学部と希望出し東大入学し卒業後学徒出陣。
震洋特攻隊分隊長として
八丈島で敗戦を迎えいきて生還。
松前子爵家当主は陸軍上等兵で招集されニューギニアで
戦死。
五島子爵家当主は長崎で被爆し死亡後廃爵。
明治天皇の孫であった朝香宮の次男は臣籍降下し朝香正彦伯爵として南洋クェゼリン環礁で海軍少佐参謀として戦死。
朝鮮王族の李遇公は陸軍士官学校、陸軍大学校と進み重砲兵将校として広島総軍教育参謀として赴任するが、被爆し戦死。
朝鮮王族は、皇族扱いをされていて年間の歳費は当時で五万円(今の価値で10億円)
広島で死亡した時に御側に付いてた王公付武官の中佐は責任を感じ御遺体が京城に向かって離陸したのを確かめてから、闘病してた民家の縁側に白布を敷き殿下にお供しますと切腹し止めに頭に銃を撃ち死んだ。
徳川慶光さんは御近所さんだと思う。町田市と言っても横浜市との境にあるすずかけ台駅裏に住んでて葬式には皇族も訪れたと聞きました。(御近所とは言っても個人的な付き合いは無い我が家は葬式には参列せず)
僕は井伊家ですが曾祖父さんが海軍でした無事に帰ってきたらしいです😊
私も井伊家の末裔です。
ですが、現代社会では、何の特権も無い一平民として、社会の荒浪にもまれています。
遠い親戚、という事になりますね。
ちなみに、井伊→私の間の世代には、軍人になった者は一人もいません(兵役免除?)。
当時の日本の状況から「跡継ぎなんだから必ず生きて帰ってこい!」とも言いづらかっただろうなぁ~(_ _)
久留米藩16代藩主 有馬頼義は今回の戦争で当時の「思想や素行」が悪いとしてにらまれ、
兵隊の位の最下位の「二等兵」として3年間中国で兵役についたが酷く苛められた。
その実態を書いた作品があります。 当時、皇国史観により元大名の出身者は過酷に扱われた。
元大名と言うよりも戊辰戦争時の久留米藩の行いが悪かった空っぽいですね。
大政奉還を受ける形で尊王攘夷派が復権し、佐幕派の首脳を排除・粛清して、戊辰戦争が始まると新政府軍側で参戦した。しかしながら、明治政府の「開国和親」路線に不満を持つ久留米藩攘夷派政権は、明治4年(1871年)に二卿事件と呼ばれるクーデター未遂事件に関与し、明治政府の命令を受けた熊本藩に城を占拠されている
とあるので、その行いがずっと響いていたのでは。
haru matsuさん
「貴三郎一代記」ですね、後に勝新太郎主演「兵隊やくざ」として映画化されました。
有馬家自体は屋敷にあった水天宮を解放し、今も宮司として勤められてるから、親近感あるし立派だなと思いますが
@@hirohiro1770 さん
有馬家の縁戚には、有馬頼底氏(相国寺管長・京都仏教会会長等を歴任)がいますよ。
@@原田寛-e3u
え、あれは実話元にしてたんですか。
ご冥福をお祈りします。
今後の有事には、国会議員や上級国民様が最前線に向かって頂けるのでしょうか。
それやってヘタしたら無政府状態になってしまう・・・・・
諸橋轍次氏と並ぶ漢字博士藤堂明保氏は伊勢の大大名藤堂家の直系の子孫でしたが出征した時は下士官だったそうで司馬遼太郎のエッセイによればその当時は藤堂家には何も財産が無かったとか。「明治維新は徹底した革命だったんですね。」と云う話です。鳥羽・伏見の戦いの時の幕府軍の藤堂勢の大将、藤堂采女の裏切りが響いたんですかね。
南部は戦国時代の親戚と血族同士の争い、明治になってからも踏んだり蹴ったり
有馬頼義さんは、一兵卒として出征し、脚弱の参謀を背負って行軍し、「有馬侯爵家の跡取りたる自分が、どこの馬の骨とも分からぬ参謀を背負う。明治維新はやはり革命だったんだな」という感想を遺しています。因みに、勝新太郎主演の「兵隊ヤクザ」シリーズの「有田上等兵殿(田村高広)」のモデルです。
山内善男さん
因みに、勝新太郎さんが演じた大宮貴三郎のモデルは、大正・昭和に東京に君臨した伝説のアウトロー「万年東一」と言われていますね。
いわゆる西洋で言うところのノブレスオブリージュってやつですかね。
特権階級だからこその気概というか矜恃がちゃんとあったんですね。
今の政治家や経済的に力がある人たちにそれらがあるのでしょうか?
まことに嘆かわしい限りです。
戦後、日本は日本ではなくなってしまった。
華族なら尉官スタートだと思ったら一般兵扱いなんだね
イメージとしては特別扱いされてそうですもんね。
華族、さらには貴族院議員という立場であっても、国民の義務としての兵役の前にはみな平等だったということが分かります。
士官学校を卒業しないとねぇ。小隊の指揮もできませんし。
陸軍幼年学校では華族は特待生扱いだったらしいけど、逆に言えば軍学校に行かないと兵卒扱いだったんでしょうね。
予備士官登録してなかったんだろな
まさか自分が徴兵されるとは思いもしなかったのかもね
徳川慶喜の孫の徳川凞(ひろむ 熈かも?)も戦死されてます。
たくさんの尊敬すべき日本男児が亡くなり。いま、この国は幽霊船のようにさ迷っています。英霊の諸貴公子、お見守りください。
ほんとうにそう思います
英霊という言い方は好きじゃないけど、そう思う。命懸けで守った日本がこんな有様で、どう思ってるんだろう?
あんたらもその日本人であるのに、まるで他人事のように
今のこの国を批判していることに嫌気がさすね!
要はあんたらみたいな他人事の日本人が大多数だから
こうなっているのだよ!
愚鈍なコンプレックスの塊が上についた有能の将は敵じゃなくて味方に殺されるんだよな
パプアニューギニア戦と言えば水木しげるもいた
德川慶喜公の孫で分家の男爵家の嫡男德川煕大尉は潜水艦の水雷長で戦死されました(享年27)戦死はしてませんが、松平容保公の七男で12代当主保男は海軍大尉時代に戦艦鎮遠の分隊長として日本海海戦に参加しています。
また華族ではないが赤穂藩主浅野家の分家旗本若狭野浅野家(3000石)の当主である浅野中尉は志那事変で戦死されています。陸大卒の戦死第一号榊原忠誠少佐は旗本榊原家の嫡男でした。
ここに紹介された以外にも多くの身分高い人が軍人となり出征していますね。
ん?ノブレス・オブリージュが当たり前の時代じゃない?この時代の人達は【国防】を理解されてる。GHQが旧宮家皇室離脱させたのも軍関係者に宮家の人間がいたからって言われてない?小室眞子さんも結婚前に伊吹元文科省に『ノブレス・オブリージュがある』と苦言を呈されてたよね
ヨーロッパの貴族は戦争になったら真っ先に軍に志願して最前線で戦う。と幼い頃から教育されて その通りにした。と聞いた。
パラオの映像が本当のパラオのコロール市内で草
大名家出身だから、特別な企画で動画を作るのはいささか、死んで行った他の将兵等に申し訳ないと当方は思います。戦後生まれですが戦争の犠牲に成った方々には、差別無く取扱って欲しい気持ちです。
興味深い視点。政治色をうまく排除してまとめてますね。
ありがとうございます!
あくまでも、それぞれの家がどう戦争と向き合ったかという視点から作成させていただきました。
あ
あ
あ
あ
あ
あ
あ
ああ
あ
あ
あ
あ
ノブレス・オブリージュ!
今の日本に必要なのって昔の華族や士族みたいな人だよなぁ…身分制度って案外国家観というかそういうのまとまる制度なのかも今の日本人に国家観なんてないからな…率いてくれる人達が必要なのかもな。
それでもノーブリス オブリージュとして考えました場合、華族の軍人は少のうございましたわね。岩倉さんなどは華族が国民より率先して軍部に入らないことを嘆いておられましたでしょう。英国王室、貴族制度を模した大日本帝国でしたが、ノーブリス オブリージュの精神までは模せなかったということでございましょうか。
むしろこういう人たちが幕僚だったなら、誤魔化し大本営発表とか敵を侮ったり兵站を軽視しての作戦の失敗とか格段に少なかったんじゃないだろうか…
ご先祖さまから代々伝わる戦場の心得みたいなのはどこの家にもまだ残ってた頃だろうし
華族だから戦場に行ったではなく、華族だからこそ行っただ。
それならば、士官学校に入れるように志願したんじゃね? 海軍士官になった高松宮様(昭和天皇の弟宮)のように。
同じ意味じゃね?
お前らなんでみんなオレンジなんだよ
わろた
男だから戦地に行かされた
女だったら内地のまま
明治期に少なからず王室制度や貴族制度制定の参考にしたであろう英国はじめとした欧州では上流階級が率先して軍を率い出陣する「ノブレス・オブリージュ(高貴なる責務)」を果たす事が使命と云った考え方があり、英国でも王子はほぼ例外なく軍務に就き実戦も経験しているし、貴族子弟が通うような名門全寮制学校とかでも軍から派遣される現役軍人の教官に軍事教練を受けるのが今でも英国貴族の嗜みなんだとか。
日本もそういった制度に加えての華族の大半が武家の出身だった事もあって率先して軍人になる事も少なく無かった。
大名も将軍も個人としては侍だからなあ。
華族も死んで手本を見せる感じですかね?
戦死者が今までとは比べ物にならないレベルで、国民の不満もあったことでしょうから、華族ですら兵隊として戦って戦死しているということを知らしめることで、国民の不満を抑える役割を果たしていたのではないかなと個人的には思っています。
かつては慶喜も将軍を辞して明治維新の後に権力の座に帰ろうとしていたようですが、孫の世代では一般兵として出征したが礼節をもってもてなされたことを見るに身分と形式が残って実権はなかったことが窺える。日本では世襲制の議員が多いわけで、安倍さんの後に信千代さんが跡を継ぐのではないかともいわれている。一度家の権力が無くなれば孫の世代ではバーを経営して政治家の孫として客に驚かれるかもしれないしれない。そうして歴史の表舞台に台頭することなく徐々に人々の記憶から忘れられていくのかもしれませんね。
徳川家は宗家より、清水家8代当主の徳川好敏中将のイメージが強いな。
日華事変の航空兵団司令官や陸軍航空学校長として活躍してるし。
清水徳川家は少し異彩を放っていますよね。
自分も昔に徳川好敏について紹介した動画を作成しました。
th-cam.com/video/4a9et_LK72k/w-d-xo.html
軍医「お前また来たんか!」
上官「貴様は帝国陸軍の恥だ!」
同期「しかしお前珍しい名前だよな。大名みてえだ笑」
上官「松平…まさか…」
って展開予想したらわろた
当時は、どの家庭でも戦死者 戦傷者 戦災死傷者がいました。
田舎の寺院や墓地を訪れると、特徴的な墓石が目につきます。
出自で話すのも余り興味のあることではありません。
貧しい家庭で、家族の期待を受けていた方々が、なんのコネも無く苦難の日々を続け、国家に殉じられた方々の冥福を祈ります。
軍隊は運隊と呼ばれ、またコネのある無しで、苦痛の度合いが違うって聞きます。
華族の面々は、拳固を食らった数でも記録に残したら良いでしょう。
正しくNOBLESSE OBLIGE(ノブレスオブリージュ)····
当時の我国の上流階級の方々の気高さが窺い知れます:^)
私の住んでいる町の近くには、ある旧家がありました
今は残念ながら途絶えてしまい、その住まいだけが遺されています(地元では有名な資料館になっています)
大東亜戦争時、お二人の成人男性がおられ、何方かの方が次期当主になられるはずだったのですが、御二方共に戦死され「家」としては途絶えました
イギリスでも、貴族は軍隊に入るのが基本何だけど、最近は我身可愛さから士官学校に入る貴族は減ってるみたい。
錚々たる面々ですな。
とても勉強になりました。
ありがとうございます。
天皇制という言葉は批判的認識によるものです。
「皇室をお守りするため」とか「日本の国体を守るため」といった
言い回しの方がよいかな と思いました。
ご指摘ありがとうございます。
天皇制はマルクス主義の用語が戦後に定着したものですね。
私の勉強不足で、本動画での指摘を受け認識いたしました。申し訳ありません。
徳川家はなんか恣意的に戦地へ行かされてた感があるような…やはり長州薩摩主体で成立した政府からしたら好ましくない一族とは思われてたんかね?
全員「名誉の戦死」すれば、体勢側的にはある意味理想的だもんなぁ。
ノブレス・オブリージュ。
高貴さは義務。
学徒動員も国民の間ではむしろ、なぜ行かない?
くらいに思われていた。
大学に行ける時点でエリートな時代、進学していない同年代はとっくに徴兵で戦場へ行っていた。
今のテレビとかでは殊更、学徒動員の悲劇性を協調するが、俺は頭の良し悪し、身分の良し悪しでその悲劇の重さが変わるとは思いたくない。
誰であっても戦争の前には、その人生がなんの意味もなさないと思いたい。
そうでなければ、戦争を誰もが嫌いにならない。
ぶっしゅ、🐯、食えぇるは対越戦送りを免れるといった過去が。🌰は留学でベトナム送りを免れるのだった
イギリスの貴族、騎士の話で、戦争での死亡率が高かったと言っていました。徴兵制になったといえ、戦う武士だったのだから、率先して戦争に行くべきだと考えたのではないでしょうか?
ヨーロッパでは士官は殆どが貴族で占められていた為、戦死率も相応に高い。
家の父方がその系列でしたが、祖父は年齢的に徴兵は無理で、長兄が戦車部隊に居ました。戦後、無事に帰ってきて、旧軍の資料集めがすごかったです。母方のお爺ちゃんは、漁業をしてまして、これも徴兵されなかったそうです。戦後、「斜陽」と同様に没落しました。「気の毒だな」と思ったら、メールくださいね笑
戦争の、先頭に立つのは貴族の役目ですよ。今の政治家に、そんな人は、居ますかね😎
まるで政治家が貴族みたいなモノ言いでワロタwww
民主制やシビリアンコントロールを何だと思ってんだw
醍醐さんは確か将官で、インドネシアだかの裁判で死刑にされていたな。
醍醐忠重提督は、幼少時に親戚とのトラブルで父親と姉が殺され自身も瀕死の重傷負ったり、近衛文麿と並んで天皇の前で腕を組むことが許された数少ない人物だったとか。
よく華族等のボンボン育ちは何の苦労も無いとか甘やかされているという印象がありましたが、ボンボンだってボンボンなりの苦労はしていましたし、しつけは庶民以上に厳しかったです。
華族であれば優先的に士官学校に入れるし、卒業後は准尉なるから直ぐに少尉に慣れるし小隊長にはなるから、2等兵から始める者とは待遇が違うが、少尉以降は実力がものをいう世界だものね甘くはないわね。現代日本で言うならば、自衛隊ならば防衛大学校卒業し防衛省の人間として自衛隊に所属するか、自衛隊の幹部としての道を歩むかってとこだね、一般の公務員や警察で言うなら国家上級試験で入庁しキャリアとして国家公務員となるかというとこだね。一番近いのは階級があるから、自衛隊か警察等かな自衛隊なら士、曹を飛び越えて尉から始まるようだし、旧軍隊に似てるかもね、警察なら警察大学校に入りスタートし入校した瞬間に警部補となり署だと係長からスタートするのと同じだね、卒業後は警部になり署だと課長だね、警察本部だと係長かでも、そこからはキャリアも沢山いるし、一から昇進してきた経験豊富な人たちといきなり同じラインに立つわけだからけっこうつらいんだろうな。ついでに言うと部隊活動の際には警部補は小隊長で警部は中隊長だね。
軍隊の場合小隊長は突撃攻撃の際には先頭になり突撃しなくてはならないからけっこう死亡率が高かったりするんだね。一から始めると軍曹か曹長ぐらいでたいていは大出世の方で軍曹で分隊長、その下の伍長で副分隊長というとこでその下が上等兵で1等兵2等兵という事でスタートは2等兵からで長くなると1等兵と自動的になり上等兵で昇進という事になる。曹長は小隊伝令、准尉は士官学校卒業したての時であり直ぐ少尉となる臨時の階級だね。で、少尉で小隊長通常は5分隊で1小隊で戦況により3分隊で1小隊という状態もありだね、3小隊で中隊で中尉が中隊長、2~3中隊で大隊で大尉が大隊長だね。その上が連隊で連隊の上が旅団、2旅団で師団となる。別格で参謀という存在がある。謂わば軍師の集団だね。海軍だと大佐で船長、小型船舶だと中佐で船長という場合もあったみたいだね。大形艦だと船長が将校つまり将クラスという事になる。ちなみに飛行機は一つの舟扱いで最低でも少尉にならなければパイロットにはなられなかったみたいで、ゼロ戦の操縦員は少尉が多いね。爆撃など複数の乗務員が登乗の場合は中尉か大尉が機長だね。陸軍の戦車は操縦士や狙撃手は伍長、軍曹クラスだったみたいトラックも伍長・軍曹クラスが運転で最低でも上等兵が運転したみたいだね、荷台には部下が乗車しており有事になった際には責任者が行動を判断し場合によると隊ごと死に至る可能性もあるから責任者の車長が行動を判断するという事だね。部隊活動厳しいね。あと伝令という地位もあるんだが軍曹の上の階級の曹長が小隊伝令だね。これは現代的な考えだと上の人間の意志を伝令により伝えるだけの存在だが命令という形をとっており、小隊長が事故の場合(戦死などの場合)伝令が実質的な小隊長として代理を務めるからだね。中隊伝令は若い中尉か年長の少尉、大隊伝令は若い大尉かベテランの中尉というように同階級か部下たちよりは上で隊長よりは下の階級のものが伝令となる。上の階級者がすべて事故の場合は別の隊の階級が上のものが出てきて「階級が一番上の者挙手せよ」と質問し同階級の者しか残っていない場合は一番先輩格の者に挙手させ、「貴様を臨時小隊長に任命する」という指示を出すわけだね、映画等にそのシーン出てくるね、外国の映画も同じようなシーンがあるね。
文章の意味及び真偽不明。もっと短切で明瞭に表現されたし。
英国では貴族は最初から将校になれますが、日本は違うんですよねー。松本清張が軍隊というのはある意味平等な社会だったと語っていましたが、徳川公爵も身元がバレるまではビンタとかされまくったのかと思うと、おいたわしいです。あと、当主が若くして戦死された南部家はその後どうなったのか気になります。
武士の潔さと師責任感があったのだろう公家や天皇家とは違って奈良平安のむかしから遊んでいた連中とは違う
ホーエンツォレルン家が抜けてる
やり直し
西郷家の子孫はどうしたの?
アンチャンネルさん
知っているのは、西郷吉之助氏(戦後参議院議員を務め法務大臣も務めるも、自身の金銭トラブルで失脚)位ですか。
孫(隆盛次男菊次郎の息子準)は太平洋戦争の時フィリピンで戦死してます。
実は立教大野球部で六大学リーグで活躍した名選手だったので東京ドームの野球博物館内の戦没野球人モニュメントにも名前があります。
@@山崎大-k3e さん
もしも、西郷準氏が生きていて日本のプロ野球で活躍していたら、歴史が変わっていたかも知れませんね、因みに西郷菊次郎氏は、隆盛公が島津久光公と対立して奄美群島で事実上の流刑生活を送っていた時に現地の女性(愛加梛)との間に設けた子供で、西南戦争で明治政府軍の砲弾で被弾し片足を失いながらも生還して後に京都市長を務めたとか。
華族の人は殆どの人が、大学ヘ行くので卒業を待って招集され士官候補生として招集され士官として配属されるようです。平時は天皇陛下の警備する近衛兵として配属されるようです。それは徴収検査のおり、出身は中産階級か上流階級かを聞かれ承諾されれば、配属先が決まる用です。ですから華族でなくても検査の折に承諾されれば、それなりに配属が変わるのでしょう。太平洋戦争の末期は学徒動員でそれは、さだかで有りません。
戦争に行って当然だろう
何で大名の子孫だと何でも優遇されにゃならんの??
政治屋もこれにならっておけば世襲、世襲と揚げ足取られんで済んだのに。命惜しさどころか利権惜しさで世襲と言われて恥ずかしい無いんか?世襲が全部あかんとは言わんけどあまりにもアホ共にコケにされ過ぎやろ?少しは情け無いと思うてくれ。
時の政権主流派の家族はどうだったんだろうね?
何しろ陸軍の首脳部は徳川憎しの長州藩、海軍は薩摩藩が牛耳っていたので旧大名の殿様はみんな召集され戦況の激しい
南方の激戦地に送られた。或る者は一兵卒として徴集され苛められた.福岡藩16代藩主 有馬頼義は召集されて
終戦まで二等兵として過酷なめにあったことを小説にして発表した。「悠久の大義」など直木賞を受賞している
大名ではありませんが、沖縄で戦死した第32軍の薬丸参謀は薩摩薬丸自源流の継承者。戦争でどれだけ貴重な人材が失われることか。
北のk一族の一人でもちょっとした悪事働けば徴兵されるみたいだからな。
本来貴族って統治してもしもの時は戦うのが仕事だしな。ウチの家も子爵だったな。
徳川慶光氏の場合は、検査に落ちる毎に戦局が悪くなっていって、3度目ともなると余程カラダが悪くない限り(第三乙種でも合格)、検査に合格してしまう破目になってしまったのが、ある意味不幸。
戦局が悪化して兵士の質も下がっていったことが分かる例になってしまいましたね…
慶光さん、一瞬矢作に見えた。
華族の子弟は将校になったそうで。
前線に送り出される事は
ミンチになって骨も髪も残らない
死んでこい
を意味するんだよ‼️👁👄👁‼️
毛利家は?
殿様が農民に指示されるとか耐えきれんかったろうな