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これを復刻させたニューレッドアロークラシックも、何だか上手くまとまっていた。それに思えば足回りは5000由来のものだもんね。で、地鉄に転出したのは、これまた名車485系の心臓と足を得た、と。凄い。
急遽作られた車両とは思えない出来栄えで、爆音に2台のAK-3という組み合わせも趣があった。私鉄の車両として最初にNゲージで製品化されたのも5000系だったと記憶している。何気に5000系の増備車を作っていた所沢工場の技術力は凄いと思う。
1980年にTOMIXで作られたレッドアローが、Nゲージ私鉄車両第1号です。その後、近鉄30000系、名鉄8800系、小田急LSEの順(TOMIXの場合)と出てきます。
実は最終的に小鹿野・下仁田経由で軽井沢に行く事が計画されていた西武秩父線・・・もしかするとレッドアローが軽井沢まで走ったかも?
軽井沢ルートが完成すれば信越線横軽ルートの代替になりそうで多分しなの鉄道と直通運転出来そうだが
堤と五島はどこ行っても衝突してたね。軽井沢、箱根、伊豆と。
日光は眼中になかったのかな?
@@植松義和 西武や東急の地盤から日光を目指すとなると、今の国道122をトレースすることになるだろう。(それより東側は東武の地盤) で、足尾までがかなり厳しく足尾ー日光間の日足峠越えはもっと厳しく今の技術でも冬季は不通だろうし。。。。。
元幹部が雑誌上で様々な内実を明かしながらも、これだけは「与り知らぬ」ときっぱり否定。
初代スカイライナーとこのレッドアローは、私鉄の最高傑作です🤗
おっしゃる通り!初代AEはもっと評価されていい。
レッドアロー4両→6両→NRA7両→ラビュー8両と安定の発展ぶり。
10000系に置き換えられ富山地鉄へ追いやられた5000系の足回りやら機器類やらを流用した10000系が今度はラビューに追いやられて富山地鉄へやって来たと言う、なんともけったいなお話…
今でも好きな車両
5000系レッドアローの、当初のリクライニングでないシートには、他社に譲渡されたものもあります。351系が2扉クロスシート化されて大井川鉄道(現在の大井川鐵道)に譲渡された時、5000系のシートが使用されました。ちなみに小生も西武鉄道のファンです。
さよなら列車乗りにいったな。母と一緒に。昔小さい頃にクリスマスプレゼントでもらった5000系レッドアローのプラレールが未だにある。
おお地元です!すごくレッドアローについて詳しくまとめられていますね😊
1972年生まれで武蔵藤沢在住となれば、子供の頃最も憧れた特急といえば5000系レッドアロー号で有る事は言うまでもない。とはいえ停車駅が小手指の次が飯能だったので武蔵藤沢はとても中途半端。それでも親にねだり二度池袋から小手指までレッドアロー号に乗れたのは今となっては良い思い出。
5000系は通勤車両と同じ走行機器で製造されています!特急としての利用が低迷していたら、車体を取り替えて通勤車両に改造されていたかもしれませんね
本当にその通りで西武では 当初西武秩父線開業時に特急を走らせる予定はなく 急遽決まったようなところもあり 特急を走らせたところで利用客も未知数だったため「もし 特急が失敗したら 車体だけ潰して通勤車にすれば良い。」という発想で 5000系は造られたと『鉄道ピクトリアル』の『西武特急50年』の特集にありました。因みに 車体のデザインは『日立製作所』です。
東武1800系や国鉄157系と似たような顔やイメージだが
@@tike2435 国鉄・JRだと185系あたりか。
京成3400系…
@@tike2435 国鉄側は185系な気もする足回りが通勤車に合わせている点とか
西部5000系と新旧101系の下回りは互換性あります混結も可(性能同一)
登場当初は本当に併結を考慮した設計で 実際に旧101系と併結して試運転も行われましたが 後に先頭車の電連を撤去したのでそれは不可能となりました。ただ実現していたら 南海『サザン』のような列車を16年も先取りしていましたね。
エコとケチは表裏一体😅最後の「ワンマン」にいぶし銀の魅力と哀愁を感じました。
ある意味最後まで残った485系
本当にいらすとやのバリエーション(*゚0゚*)スッゴッイ!
サムネ!特急ちちぶ電光でない初期のもの。内側に折れるドア、車輌のオレンジの自動ドア、車内チャイム思い出いっぱいレッドアロー初代ありがとうごさいます🎉
1989〜97年まで巣鴨に仕事の関係で住んでいて、休日によく池袋にショッピングに行きました。駅で特急専用ホームに停車している5000系レッドアローを見かけましたが、休日はなぜか秩父行きは満席状態。仕方がないので飯能まで「むさし」に乗り、中森明菜の故郷清瀬を通過して飯能に着き、西武秩父行きの101系に乗りました。自分の故郷を走る名鉄の1000系パノラマスーパーといい勝負と感じました。
レッドアローカッコ良かった。群馬に越して何も知らずに長野に行ったら、コイツと共に、ロマンスカー、N′EXが見れて嬉しかった。
❮地鉄旧レッドアロー❯台車・床下機器→JR九州485系コンプレッサー→都営浅草線5000形ブレーキ装置→営団日比谷線3000系マスコン・ブレーキハンドル ↓京急旧1000形
新車買ったほうが安上がりじゃね?ていうツッコミは厳禁ですw
20年程前に 鉄道を特集した あるテレビの番組で 地鉄の16010系が取り上げられ 『富山では 立山や宇奈月への急勾配を上るために パワーが足りない西武時代の足回りから 強力な JRの特急用の足回りに履き替えた。』と説明しているシーンがあり「テレビの質も落ちたもんだ。」と呆れましたね。
そして、転職時に抜き取られた自分の臓器を持ったNRAが古巣からやってきて同僚になるという。
5000系時代の『ちちぶ号』あるある上りも下りも飯能までは前向きで スイッチバックする飯能から先は逆向きで走るので(座席は原則 飯能向き故に) 終着駅では 折り返しの前に(お客が任意で向きを変えた座席以外は)座席を転換する手間が省けた。西武秩父16時43分発 西武新宿行きの『おくちちぶ51号』は良く利用しました。飯能で向きが逆になって背中を向けて走行するものの 所沢から先はまた 前を向いて走行する2回スイッチバックする列車で 新宿線に入ると『ちちぶ』や『むさし』ではやって来ない 検札 もありました。折り返しは本川越行きの『むさし』になったっけ。
なんと言っても、民鉄最長隧道の正丸トンネル対応の前照灯4灯が光る。
正丸トンネルは秩父の発展に多大な貢献をしましたもんね。大阪万博やら、わけわからん公共工事なんかとは違って、世紀の事業と言っても過言ではないでしょう。E851と101系と5000系が活躍していた時代を見たかった😢
@@にーに-v9f (西武ファンの人ごめんね)子供の頃西武沿線に住んでたんだけど、551系まで旧国流用だったし。幼稚園児だったけど601が出た時は「こ、これがカルダン駆動かっ!」(ここ、巨人の星風)と、感激したもんです。その後701で西武顔になり、801で「ああ、真人間になったな」と思ったもんです。ああ、なつかしかった。ともかく秩父線は西武を変革しましたね。有料特急、狭軌最大のモーター出力、HSC、F級電機と。
ライト周りどっかで見たことあると思ったらだいぶ昔のダンプカーのブレーキランプのそれと似てるんだよな
3年前に立山に行きました、稲荷町駅で停車しているレッドアローを見ました
この電車は83年頃まで 走行中車内でBGMを流していて 曲はイージーリスニング的な物が良くかかっていましたが 時折『秩父音頭』がかかる事があって その時は笑ってしまいました。 西武秩父線内は カーブも多く ゆっくりとした走りだったものの 正丸トンネルに入ると ぐんぐんと90km/hまで加速して トンネル内に爆音を轟かせて快走するシーンは 西武ファンにはたまらないひとときでした。尚 5507Fは 1993年に『お召し列車』として運行された事もあり 両陛下がご乗用になる車両には防弾ガラスが装備され その車両の座席(2号車5007)は 水色ではなく 80年代前半時代のようなワインレッドのモケットが張られ それらは大役を終たその後もそのままの状態で使われました。(一部訂正して再掲しました。)
今なら林家たい平師匠の落語をw
@@blueberrymascarpone2786 さま桜井さんが秩父のご出身なので『アルフィー』の曲でも良さそうですね。
勿論以前は西武線の特急と知っていたけど10数年前富山に一時住んでたので、西武より富山地鉄の新アルペン特急のイメージが強い!8:42地鉄と言えばこれや!かっこええ~!
富山でも『レッドアロー』と親しまれていますね。
バス顔ですよね。昔のはとバスにあったスーパーDXバスA型(愛称は【月光仮面】)に似ている。カラーリングのせいもあるが…。
5000系には『鉄仮面』のあだ名もありました。
名列車ではあるのだがフェイスが何気にマンドリルなんだよなぁ。そこがまた良いのだけど……
平成3年、4年くらいによく池袋線の特急電車🚃をよく見ていた。平成8年に新宿線に新しい特急電車🚃が出来た。池袋線にも同じね。なつかしいなぁー。何年か前に、池袋線に新しい特急電車🚃が出来た。ラビューだっけ(⊙_◎)すごく窓がでかい。車内完全に丸見え⊙.☉
5000系登場時,急行,普通は701系(非冷房)が主力。特急は仰ぎ見る存在だった✌
”ちちぶ”と”むさし”は電照板が白発光だったのに対し、”おくちちぶ”は薄い緑色に発光してたなぁ・・・今にして思えば文字色が反射して緑色に見えてただけなんだけど
3桁形式番号なのに4桁の5000系が採用されたのは、武蔵野鉄道5500系ロマンスカーに因んだものです。ロマンスカーとは言え、特急ではなく鈍行だったようですが。
レッドアロー、名前が強すぎる!どこぞの必殺技のような名前、しかしマントヒヒ顔。だが、それが良い!幼少時に新宿で見た時には歓喜した(図鑑でしか見たことがなかった)。
レッドアロー味わい深すぎ名列車最高
現在のラビューに比べると、初代レッドアローは特急、鉄道車両としての貫禄が天と地程の違いだ。
ラビューは乗ってこそ良さが分かる電車なんで大目に見てやってください。鉄道会社も乗ってくれなきゃ儲からないのよ。
こんちは!今回は5000系ですね。当時の101系の特急版でしたかね?記憶では150kwモーター搭載でしたか。しかしギャ比率が高めで130キロも出せない特急だったんじゃ?お疲れ様でした。
まあそう言わずに。。。。
西武鉄道の5000系は確か西武秩父線で走っている特急電車ですよね。
色合いが名古屋鉄道8800系パノラマdxにそっくり
星野好造、この車両に億単位の金をかけてチューニングしてたんだろうなぁ…(城島俊也「軌道にレギュレーションがあったら明らかにルール違反」)
富山地鉄に行った、レッドアローでしたが、降雪の為にポイント不転換の所為で、脱線横転したそうです。 不運な電車ですね?
これを復刻させたニューレッドアロークラシックも、何だか上手くまとまっていた。それに思えば足回りは5000由来のものだもんね。
で、地鉄に転出したのは、これまた名車485系の心臓と足を得た、と。凄い。
急遽作られた車両とは思えない出来栄えで、爆音に2台のAK-3という組み合わせも趣があった。
私鉄の車両として最初にNゲージで製品化されたのも5000系だったと記憶している。
何気に5000系の増備車を作っていた所沢工場の技術力は凄いと思う。
1980年にTOMIXで作られたレッドアローが、Nゲージ私鉄車両第1号です。
その後、近鉄30000系、名鉄8800系、小田急LSEの順(TOMIXの場合)と出てきます。
実は最終的に小鹿野・下仁田経由で軽井沢に行く事が計画されていた西武秩父線・・・もしかするとレッドアローが軽井沢まで走ったかも?
軽井沢ルートが完成すれば信越線横軽ルートの代替になりそうで多分しなの鉄道と直通運転出来そうだが
堤と五島はどこ行っても衝突してたね。軽井沢、箱根、伊豆と。
日光は眼中になかったのかな?
@@植松義和 西武や東急の地盤から日光を目指すとなると、今の国道122をトレースすることになるだろう。(それより東側は東武の地盤) で、足尾までがかなり厳しく足尾ー日光間の日足峠越えはもっと厳しく今の技術でも冬季は不通だろうし。。。。。
元幹部が雑誌上で様々な内実を明かしながらも、これだけは「与り知らぬ」ときっぱり否定。
初代スカイライナーとこのレッドアローは、私鉄の最高傑作です🤗
おっしゃる通り!初代AEはもっと評価されていい。
レッドアロー4両→6両→NRA7両→ラビュー8両と安定の発展ぶり。
10000系に置き換えられ富山地鉄へ追いやられた5000系の足回りやら機器類やらを流用した10000系が今度はラビューに追いやられて富山地鉄へやって来たと言う、なんともけったいなお話…
今でも好きな車両
5000系レッドアローの、当初のリクライニングでないシートには、他社に譲渡されたものもあります。
351系が2扉クロスシート化されて大井川鉄道(現在の大井川鐵道)に譲渡された時、5000系のシートが使用されました。
ちなみに小生も西武鉄道のファンです。
さよなら列車乗りにいったな。母と一緒に。昔小さい頃にクリスマスプレゼントでもらった5000系レッドアローのプラレールが未だにある。
おお地元です!すごくレッドアローについて詳しくまとめられていますね😊
1972年生まれで武蔵藤沢在住となれば、子供の頃最も憧れた特急といえば5000系レッドアロー号で有る事は言うまでもない。
とはいえ停車駅が小手指の次が飯能だったので武蔵藤沢はとても中途半端。
それでも親にねだり二度池袋から小手指までレッドアロー号に乗れたのは今となっては良い思い出。
5000系は通勤車両と同じ走行機器で製造されています!
特急としての利用が低迷していたら、車体を取り替えて通勤車両に改造されていたかもしれませんね
本当にその通りで
西武では 当初西武秩父線開業時に特急を走らせる予定はなく 急遽決まったようなところもあり 特急を走らせたところで利用客も未知数だったため「もし 特急が失敗したら 車体だけ潰して通勤車にすれば良い。」という発想で 5000系は造られたと『鉄道ピクトリアル』の『西武特急50年』の特集にありました。
因みに 車体のデザインは『日立製作所』です。
東武1800系や国鉄157系と似たような顔やイメージだが
@@tike2435 国鉄・JRだと185系あたりか。
京成3400系…
@@tike2435
国鉄側は185系な気もする
足回りが通勤車に合わせている点とか
西部5000系と新旧101系の下回りは互換性あります
混結も可(性能同一)
登場当初は本当に併結を考慮した設計で 実際に旧101系と併結して試運転も行われましたが 後に先頭車の電連を撤去したのでそれは不可能となりました。
ただ実現していたら 南海『サザン』のような列車を16年も先取りしていましたね。
エコとケチは表裏一体😅
最後の「ワンマン」にいぶし銀の魅力と哀愁を感じました。
ある意味最後まで残った485系
本当にいらすとやのバリエーション(*゚0゚*)スッゴッイ!
サムネ!特急ちちぶ電光でない初期のもの。内側に折れるドア、車輌のオレンジの自動ドア、車内チャイム思い出いっぱいレッドアロー初代ありがとうごさいます🎉
1989〜97年まで巣鴨に仕事の関係で住んでいて、休日によく池袋にショッピングに行きました。駅で特急専用ホームに停車している5000系レッドアローを見かけましたが、休日はなぜか秩父行きは満席状態。仕方がないので飯能まで「むさし」に乗り、中森明菜の故郷清瀬を通過して飯能に着き、西武秩父行きの101系に乗りました。自分の故郷を走る名鉄の1000系パノラマスーパーといい勝負と感じました。
レッドアローカッコ良かった。
群馬に越して何も知らずに長野に行ったら、コイツと共に、ロマンスカー、N′EXが見れて嬉しかった。
❮地鉄旧レッドアロー❯
台車・床下機器→JR九州485系
コンプレッサー→都営浅草線5000形
ブレーキ装置→営団日比谷線3000系
マスコン・ブレーキハンドル
↓
京急旧1000形
新車買ったほうが安上がりじゃね?
ていうツッコミは厳禁ですw
20年程前に 鉄道を特集した あるテレビの番組で 地鉄の16010系が取り上げられ 『富山では 立山や宇奈月への急勾配を上るために パワーが足りない西武時代の足回りから 強力な JRの特急用の足回りに履き替えた。』と説明しているシーンがあり
「テレビの質も落ちたもんだ。」と呆れましたね。
そして、転職時に抜き取られた自分の臓器を持ったNRAが古巣からやってきて同僚になるという。
5000系時代の『ちちぶ号』あるある
上りも下りも飯能までは前向きで スイッチバックする飯能から先は逆向きで走るので(座席は原則 飯能向き故に) 終着駅では 折り返しの前に(お客が任意で向きを変えた座席以外は)座席を転換する手間が省けた。
西武秩父16時43分発 西武新宿行きの『おくちちぶ51号』は良く利用しました。
飯能で向きが逆になって背中を向けて走行するものの 所沢から先はまた 前を向いて走行する2回スイッチバックする列車で 新宿線に入ると『ちちぶ』や『むさし』ではやって来ない 検札 もありました。
折り返しは本川越行きの『むさし』になったっけ。
なんと言っても、民鉄最長隧道の正丸トンネル対応の前照灯4灯が光る。
正丸トンネルは秩父の発展に多大な貢献をしましたもんね。大阪万博やら、わけわからん公共工事なんかとは違って、世紀の事業と言っても過言ではないでしょう。
E851と101系と5000系が活躍していた時代を見たかった😢
@@にーに-v9f (西武ファンの人ごめんね)子供の頃西武沿線に住んでたんだけど、551系まで旧国流用だったし。幼稚園児だったけど601が出た時は「こ、これがカルダン駆動かっ!」(ここ、巨人の星風)と、感激したもんです。その後701で西武顔になり、801で「ああ、真人間になったな」と思ったもんです。ああ、なつかしかった。
ともかく秩父線は西武を変革しましたね。有料特急、狭軌最大のモーター出力、HSC、F級電機と。
ライト周りどっかで見たことあると思ったらだいぶ昔のダンプカーのブレーキランプのそれと似てるんだよな
3年前に立山に行きました、稲荷町駅で停車しているレッドアローを見ました
この電車は83年頃まで 走行中車内でBGMを流していて 曲はイージーリスニング的な物が良くかかっていましたが 時折『秩父音頭』がかかる事があって その時は笑ってしまいました。
西武秩父線内は カーブも多く ゆっくりとした走りだったものの 正丸トンネルに入ると ぐんぐんと90km/hまで加速して トンネル内に爆音を轟かせて快走するシーンは 西武ファンにはたまらないひとときでした。
尚 5507Fは 1993年に『お召し列車』として運行された事もあり 両陛下がご乗用になる車両には防弾ガラスが装備され その車両の座席(2号車5007)は 水色ではなく 80年代前半時代のようなワインレッドのモケットが張られ それらは大役を終たその後もそのままの状態で使われました。(一部訂正して再掲しました。)
今なら林家たい平師匠の落語をw
@@blueberrymascarpone2786 さま
桜井さんが秩父のご出身なので『アルフィー』の曲でも良さそうですね。
勿論以前は西武線の特急と知っていたけど10数年前富山に一時住んでたので、西武より富山地鉄の新アルペン特急のイメージが強い!
8:42地鉄と言えばこれや!かっこええ~!
富山でも『レッドアロー』と親しまれていますね。
バス顔ですよね。昔のはとバスにあったスーパーDXバスA型(愛称は【月光仮面】)に似ている。カラーリングのせいもあるが…。
5000系には『鉄仮面』のあだ名もありました。
名列車ではあるのだがフェイスが何気にマンドリルなんだよなぁ。
そこがまた良いのだけど……
平成3年、4年くらいによく池袋線の特急電車🚃をよく見ていた。平成8年に新宿線に新しい特急電車🚃が出来た。池袋線にも同じね。なつかしいなぁー。何年か前に、池袋線に新しい特急電車🚃が出来た。ラビューだっけ(⊙_◎)すごく窓がでかい。車内完全に丸見え⊙.☉
5000系登場時,急行,普通は701系(非冷房)が主力。特急は仰ぎ見る存在だった✌
”ちちぶ”と”むさし”は電照板が白発光だったのに対し、”おくちちぶ”は薄い緑色に発光してたなぁ・・・
今にして思えば文字色が反射して緑色に見えてただけなんだけど
3桁形式番号なのに4桁の5000系が採用されたのは、武蔵野鉄道5500系ロマンスカーに因んだものです。
ロマンスカーとは言え、特急ではなく鈍行だったようですが。
レッドアロー、名前が強すぎる!
どこぞの必殺技のような名前、しかしマントヒヒ顔。
だが、それが良い!
幼少時に新宿で見た時には歓喜した(図鑑でしか見たことがなかった)。
レッドアロー味わい深すぎ
名列車最高
現在のラビューに比べると、初代レッドアローは特急、鉄道車両としての貫禄が天と地程の違いだ。
ラビューは乗ってこそ良さが分かる電車なんで大目に見てやってください。
鉄道会社も乗ってくれなきゃ儲からないのよ。
こんちは!今回は5000系ですね。当時の101系の特急版でしたかね?記憶では150kwモーター搭載でしたか。しかしギャ比率が高めで130キロも出せない特急だったんじゃ?お疲れ様でした。
まあそう言わずに。。。。
西武鉄道の5000系は確か西武秩父線で走っている特急電車ですよね。
色合いが名古屋鉄道8800系パノラマdxにそっくり
星野好造、この車両に億単位の金をかけてチューニングしてたんだろうなぁ…
(城島俊也「軌道にレギュレーションがあったら明らかにルール違反」)
富山地鉄に行った、レッドアローでしたが、降雪の為にポイント不転換の所為で、脱線横転したそうです。
不運な電車ですね?