張鼓峰事件 知られざるソ連軍殲滅の記録
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- เผยแพร่เมื่อ 27 ต.ค. 2023
- 滅茶苦茶お久しぶりです。
動画内で長池(ながいけ)と棒読みちゃんが読んでますが、たぶん本当の読み方は(ちょうち)です
引退したつもりも、予定もないのですが、時間がない・・・
忙しくて動画のチェックきちんと出来ていないんですが、もしかしたら不備があるかも・・・
参考文献
1.日ソ張鼓峰事件史,笠原,2015 amzn.to/3tP56qp
2.われら張鼓峰を死守す,冨永,1981 amzn.to/40fwUAl
3.戦史叢書27 関東軍 1,1969
4.初期満ソ国境紛争の発生と展開(1935-1937),松本,2018
ほかwikipedia関連記事適宜参照,一部画像引用
地図はopen street mapより使用
音楽は国会図書館「れきおん」より使用
#ミリタリー #ゆっくり解説 #大日本帝国陸軍
いつもの通り参考文献は概要欄。日ソ張鼓峰事件史は極めて優れた本なので全員買って読んで
投げ銭?というかスーパーサンクス?というのを導入したので、送ってくれると次の動画の資料が買えるので、よかったらお願いします 金欠がヤヴァイorz
あと一応軍隊符号下記に示します。陸軍式のちゃんとした符号表記だと流石に分かりにくいと思って平たく書いたつもりでしたが、余計分かりにくくなった感
希望があれば軍隊符号の簡単な解説動画作るかも
c 中隊
b 大隊
i 歩兵連隊
TA 速射砲
RiA 連隊砲
MG 重機関銃
(-1,3) 第1,第3大隊欠 の意
補足すれば沙草峰を守備していた国境守備隊の「千田部隊」は、後年硫黄島の戦いで栗林軍団長の希望で軍団の中核だった混成第二旅団長に赴任、共に戦死した千田貞季中佐(当時)の部隊。事件全般で主力として戦った「歩兵第75連隊」の連隊長は、後にインパール作戦での事件で有名な佐藤幸徳大佐(当時)。留め置かれた「歩兵第74連隊」の連隊長は後年沖縄戦で第32軍参謀長となる長勇大佐(当時。なお長大佐は現地での停戦交渉の日本軍代表となっている)なんですよね。
※因みにwikiの千田貞季では「関東軍第5軍第11師団第1歩兵団歩兵第44連隊長在任中に張鼓峰事件に参戦」ってあるけど、彼の連隊長就任は張鼓峰事件(1938年)の2年後の1940年だから、連隊長としての参戦ではない。
後に活躍する方々が揃って関わっていた紛争だったんですよね
生きとったんかワレェ
亡くなった祖父が75連隊第二中隊に所属していました。戦後の戦友会の写真が残っていました。73連隊の人が書いた書籍 われら張鼓峰を死守する にも詳しくこの戦闘の状況がかかれております。
お久しぶりです。真面目な話なのに、魔理沙のツッコミに笑ってしまいましたw
日本軍は有利な地形だったのもあるけど、ソ連軍相手にめっちゃ頑張ったな。
久しぶりの動画ながらとても分かりやすく、秀逸でした。当時のソ連軍の戦い方や損耗の発生状況を見ていると今のウクライナ戦にも共通するところが多いと感じます。良い動画をありがとうございます。
日本軍が1㎞撤退すると主張したら、ソ連軍はそんなことしなくてもいいよ、なんて摩訶不思議なこともあったものだ
動画UP ず〜っと待ってましたよ😊
動画解除しなくて良かった‼️
久しぶりの新作でも堅実な内容で安心しました。
戦闘の終始は国境紛争らしく華々しいものではありませんが、その内容は以前制作されていましたノモンハン事件や世界大戦への脈絡が窺える、大変興味深い事象でした。
次回作も気長にお待ちしております。
再投稿めちゃくちゃうれしいです!!
待ってました❗👍
久しぶりの新作ですごく嬉しい。
おお!!待ってました!!
白兵戦になると体格が大柄で威圧感あるはずのソ連側がスタコラ逃げ出すのホント草。日本兵どんだけ士気高いんだよw
逆じゃないかな?
日本兵の体格がソ連兵より小さいからこそ、ソ連兵は逃げ出したんだと思う。
だって冷静に考えれば、自分より小さくて弱いはずの日本兵達が、自分達に恐れず未知の言葉である日本語を叫びながら突撃してくるんだもの……
怖いとかのレベルじゃないよね……「コイツら怖くないのか!?人間じゃないのか!?」ってなるよ……
関係無いかもしれないけど、昭和50年頃テレビの経済番組で最後に中国人にアンケート取った内容で、
今の日本人は怖いか、というのとこれからの日本人は怖いかという問いに、今の日本人は怖いという回答が多く、これからの日本人は怖くないという回答が示されていたけど、
今にして思えば当時のじいちゃんとか眼光鋭い事が多くて確かに怖かったけど、休憩時間とか人を揶揄う様な話の時には、ニコっといい笑顔だったもんなぁw。
確かにあの眼光の鋭さで迫られたら背の低い短足日本人と判っていても逃げると思う。味方になってくれると心強かったし。
@@user-lf9nf5se1h違う。
ロシアの徴兵は中央アジア地域がメインで日本人より小体格。
単に白兵戦が強いってだけなのになぜ他に回答を見出そうとするんだろう
@@user-fy5ne5cz6uソ連にとっては田舎の端っこだけど日本は勢力圏の一端だから本気度が違ったんだろうね
久しぶりの動画で調子が出ない?このクオリティーでそうだとすれば、本調子ならどれほどの完成度の動画になるのでしょうか?次回作を期待します!
次の動画も楽しみにしております
おー久々に新作出来ましたかぁ!お疲れ様です!
>>動画内で長池(ながいけ)と棒読みちゃんが読んでますが、たぶん本当の読み方は(ちょうち)です
それは日本側呼称でソ連側はハサン湖といい、地名は哈桑なので「ながいけ」が妥当でしょう。
20世紀の近代戦闘の解説動画を見ていたはずだが、鎌倉武士が戦ってるのかと錯覚する場面がw
決死隊ですよね?とんでもない強さですよねw
待ってました!
おひさー。待ってました
投稿久しぶりぃ!
停戦の会談の時ソ連軍は大部隊で取り囲んで威圧して有利に話を持って行こうとしたら74連隊連隊長の長勇大佐が単身乗り込んで堂々と渡り合ったもんだから面食らったソ連側がモタモタしてたから「どうぞ御ゆっくり相談して下さい、私は連日の戦闘で疲れてますから休ませていただきます」と水筒の酒をらっぱ飲みして土間で高いびきをかいて寝たそうですね!Σ( ̄□ ̄;)
50名未満で機関銃隊潰して2個中隊潰走させるとか二度見したわ
求心力が無い強盗圧政国に徴兵された非国民だからこうなる。
今のロシア兵も同じ。
全員薩摩隼人だったんじゃね(すっとぼけ)
やっぱ大和魂って実在するんだ…
小さい島国で何千年も戦い続けて来た民族だ、面構えが違う
お久しぶりです!お待ちしてました。
お久しぶりです、動画が投稿されてよかったです
しかし張鼓峰事件なんて始めて知りましたよ
この頃、ソ連本国では「カチーシャ」という流行歌がはやっていた。「リンゴの花ほころび川面に霞立ち、君無き里にも春は忍びよりぬ」という、カチューシャという少女の恋人である、ふるさとに居ない若い兵士の「君」は、実は日本と戦いに張鼓峰に行っていたんだ。それにしても、我々の先祖の兵隊さんたちの強い事、強い事!このころの日本には「来るなら来い!」という気概がみなぎっていた。今の我々が教訓とすべき要素がここにある。
日ソ両国とも、行き当たりばったり感が半端ないんだよなあ。
日本は日露戦争の時までは計画的で己の実力に見合った立ち振る舞いをしていたのに…。勝って調子に乗ったのか明治の立役者が表舞台から去ったせいなのか。ソ連もソ連で建国したばかりのせいなのか手腕が荒っぽく対立を招きかねない姿勢。 加えて日本に対してはシベリア出兵で恨みもありそうなのが複雑なところ。 あーもうめちゃくちゃだよ(外交)
@@user-nd7hj8ne6b多分
ソ連が原因
大兵力で正面攻撃
浸透、戦車随伴しても大損害
消耗すると砲撃戦で対応って
まんま今のウクライナ…
待ってた
へーってなる知識ばっか すごいなぁ
まるで後の中ソ間で起きたダマンスキー島事件みたい。
興味深く拝見しました。とても面白かったです。
惜しむらくは縮尺か距離の表示があるともっと良かったかなと思います。
縮尺はたしかに必要
っしゃ!新動画キタ!
久しぶりが 張鼓峰 とは嬉しいです
素晴らしい動画ありがとうございます。
少し前に張鼓峰チャンクーヘンの真下にある張鼓峰記念館に行って来ました。
昭和天皇は張鼓峰での武力行使は禁止しました。
数日後ソ連軍は沙草峰に陣地を築きました。
(なお沙草峰はソ連側は直訳すると無名高地と呼んでいました。)
沙草峰は張鼓峰の北斜面にありました。
この沙草峰が張鼓峰の一部とすれば、沙草峰への攻撃は天皇陛下の命令に背くことになります。
しかし別個のものであると解釈すれば、天皇陛下の命令に逆らったことにならないです。
ソ連軍が沙草峰の占領を天与の機会ととらえ沙草峰を口撃。
沙草峰の占領を維持するには張鼓峰の占領は必須として張鼓峰にも日本軍は攻撃。
あとこのときにソ連ではカチューシャという戦時歌謡が出来たようです。
この戦いぶりをみて、薩摩軍と政府軍の戦いに通じるものがある気がしましたね、
ソ連軍なんて農労赤軍とか二線級部隊だったら士気が下がったのではないでしょうか?。
当初の日本軍の戦法は良いしソ連軍の作戦は単調で愚鈍なのに、途中からソ連に合わせてズルズルと消耗戦に陥っている優柔不断さ。また昼間だけでも航空戦力を有効投入していないのも謎。矢張り組織として失敗。
参謀の想い付きの威力偵察が発端だった。巻き込まれた部隊は大変だったが、国力、工業力、火力のケタ違いを思い知らされる。なので陸軍は対米戦争に反対だったが、現実を知らない海軍が対米戦争を始めた。
海軍の糧食は温かい♥
温かいだけでご馳走様です。
国境で紛争になるのは仕方がない。非武装地帯を設定するのが後の知恵となった。
うちの上司、調査別室時代のですが
同じ様な中ソ国境紛争を担当していたそうでした、ソビエトの国境警備隊が
暗号化する間も無かったから、生文で、棺桶の数が足りない!等をだったそうです、中国軍VSソビエト国境警備隊との戦闘だったそうです、中国軍VSソビエト地上軍の戦いならば、第三次世界大戦だったでしょう😅
いきてたのか!、!
生存確認(^o^)
この時のソ連軍の歩兵の装備に日本の38式実包を使うフェデロフM1916という自動小銃があって、鹵獲もされているんだけど、陸軍は自国製の弾丸が使えるこの銃を見向きもしなかったそうな。
自動小銃を採用してしまうと、大日本帝国の貧弱な工業力では弾薬の生産が追いつきません。
@@user-kw6rw7sp2nすぐ玉無くなるからねぇ
日本陸軍は、一発必中の精神だからかな?。
どうも構造が複雑で製造が面倒臭そうな上に、故障しやすそうな銃じゃあるんだよな。フェデロフって。
ショートリコイルだったり、銃身にフルート刻んでたり、レシーバーがアルミ削り出し仕様だったり・・・
あと、一応フォアグリップ付いてるけど銃床が直銃床じゃないから・・・
フルオートで撃ったら米軍のM14みたいに命中率が極端に落ちそうな気がする。
いくら38式実包の反動が弱いと言っても、流石に現代の5.56㎜NATO弾なんかと比べたら段違いに強力だしさ。
ご無沙汰ですね
これ一方的にソ連に非があると思ってた
陸軍はソ連相手にしてりゃ良かったのにな。
背景地図が欲しいです
生きとったんかァ
msニキ生きとったんか
ソ連軍って強いんか弱いんか判らん・・・
日本は政治交渉が下手の様に見えるのはやはり伝統なのか?
アメリカ軍も太平洋戦争開戦前は碌な中戦車を持たず、航空部隊もあまり洗練されていませんでした。しかし開戦すると圧倒的工業力と経済力、フィードバック能力により世界最強の国家に成り上がりました。 張鼓峰事件の際のソ連は大粛清真っ只中であり、独ソ戦も始まっていなかったので軍備の優先順位は低く相対的に見れば弱いと思います。しかしその1年後のハルハ河の戦いを見るとかなり洗練されているので素質は十分備わっています。張鼓峰事件はその後の強力なソ連軍を築く礎になったのだと思います。 当時何も学ばなかった日本軍は見習って欲しかったです。
@@user-nd7hj8ne6b
Thx!!!
ソ連って一度守りを固めて籠城とかすると強いけど、攻めは補給やら機動力やら決め手に欠けるんよ。ウクライナもそうだし。
ソ連は基本的にロシア帝国のブルシーロフ攻勢やソ連のバグラチオン作戦を鑑みるにちゃんとした作戦計画や目標があれば世界最強国の一角だけどウクライナみたいに曖昧だったら凄い微妙になる
大戦末期の満州侵攻なんかも弱体化した関東軍相手に割と大きい損害出してますしね。
細かい所で作戦がずさんなんでしょうかね。
忠勇の将兵を浪費するだけだったのか?日本側はいかなる紛争も全力で行う覚悟にかけているとは思う。全力を投入することが次の危機での戦争を予防する
辻政信のノモンハン作戦発動はこんな理由を持出しましたからね
第19師団長
尾高(すえたか)中将では、ありませんか?
地名
長池(ちょうち)
ソ連側呼称ハサン湖
なく
写真が存在するので、見れるかもと、期待。8月13日撮影で、1枚だけですが。残念。
題名は張鼓峰で、内容は小説形式かと。
おひさ!
昭和天皇結果オーライなの笑う😢
こいつらいっつも夜間斬り込みしてんな