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人情味あふれる一方でしっかり私怨をはらす東條さんの人間臭さが最近ツボ。
週の中日である水曜日に動画を投稿してくださりありがとうございます。
私の祖父は学生時代に入隊、大陸に渡り教育隊→金陵士官学校へ。半年後には曹長だったみたいです。昭和20年8月(軍歴証明参照)
爺ちゃん伍長で軽機関銃だったって。軽機関銃と言っても重かったみたい。終戦で復員船で帰る時、たくさんの軍曹伍長 下の兵隊に海に放りこまれたらしい。部下をいじめた下士官 哀れな結末。
でも、インパール作戦では飢餓や病気で動けなくなった兵士(上等兵から二等兵)に自決を強要、あるいは射殺した下士官もいたそうです。
ベトナム戦争でもどさくさ紛れに暗殺された下士官や士官は多かったそうですねプラトーンで描かれてましたが
@@hirokage9427まあ、常にMPが戦場にいる訳ではないから
1920年より少尉候補生制度が成立し、成績優秀な下士官は試験により陸軍士官学校に入学する事が出来るようになった。1連隊で1,2名だったらしい。
自分の高祖父が元陸軍軍医大尉で中国戦線に身を置いていたらしく、終戦間際のソ連からの撤退戦が一番受け持つ負傷者がたくさんいて治療が間に合わずに息を引き取る人が多く精神的に苦労が絶えなかったと祖父から聞いたことがあります。
で?
@@漬け物石これだもんなあ…。ミリオタはオタクではない。国立国会図書館は今でも有為だし、昔はネットもなかったから大使館に電話して記念館などの施設を教えてもらったり、近くまで行ったのにわからず諦めて帰国したり、オタクはみんなそうだった。オタクイズデッドと岡田斗司夫は言ったけど、これだけは癪だけど納得。
@@コクヨかパイロットか分かる。同感。
八甲田山事件の神成大尉も教導団出の叩き上げで士官学校出の山口少佐や倉石大尉は故に嫌っていた節がある。
日本人の気質として現場で職人として活躍する下士官の能力が高いのは必然だと思う。教導団から将校への道を閉ざしたために高級軍人の官僚化が進んだのだろうな。料亭通いの高級将校なんて恥以外のなにものでもない
今自衛隊では士官三尉になどなりたくなく、仕事キツくなり給料もほとんど変わらん。曹長でいい
いまは1曹定年が当たり前だから曹長も厳しい...
東宝特撮映画の本多猪四郎監督は、大卒だったが徴兵されて、226事件後に下士官推薦を受けた人で、終戦時には曹長まで昇進した。特撮映画の撮影の際に防衛庁が協力的だったのは、本多監督の経歴がものをいった可能性が高い。
世界のクロサワはなぜか徴兵されずあれだけ体格いいにもかかわらず、自伝では父親の知り合いが軍上層部だったとか 東宝で訓練用の映画を作っていたからという説もある それがコンプレックスになっていたという
映画とかだとポンコツが多いイメージ。硫黄島からの手紙の西郷殴ってたヒゲの人とか。
お疲れ様ですw
小野田寛郎氏は徴兵から中野学校で中尉だったから、特殊な才能を見込まれた人は末期でも例外的な昇進もあったのでは。
小野田中尉は 間諜の中野学校出身で無く 特殊部隊要員の静岡の二俣分校の出身で彼の命令下達者は佐官で彼が発見された時解除命令を受領して 日本に帰国した筈
中學校卒業者という学歴から、甲種幹部候補生を受験して久留米豫備士官學校入校後、①自動車の運転が出来る②中国語が堪能な理由で陸軍中野學校を受験し、二俣分校で主として情報及び遊撃戦の訓練を受けました。
小野田さんは少尉じゃね?
今の自衛隊でも似たような傾向にあると聞く。なお、同じ陸士でも曹候補で入隊した組は、バッチ組と呼ばれるそうです。
曽祖父が海軍兵曹長として第1次大戦で地中海で戦った。元は小学校の教員だったが給料が安過ぎて親の負債を返済出来ないので海軍に入ったそう。結局、赴任先の台湾の澎湖島で風土病に罹患して父が産まれて3年後に病死した。遺言で「息子は決して海軍に入れるな」と遺したので父は陸軍士官学校に入った。ちなみに大東亜戦争で活躍して有名になった英雄には兵卒〜下士官〜士官になった人が多い。例として、香港攻略戦の若林(東一)大尉や拉孟防衛戦の英雄、金光大佐。
昔の民間企業も似た感じのところがありますね自分が入ったころは まだ中卒で入社して部長、工場長、取締役になるような人がいて ホント会社の隅々まで把握していたなぁだいたいそういう人は 夜学の高校・大学へ行くだったね 8年間もくじけず通ったうえ会社でもそれなりの実績を会社も夜学へ通わせてくれるような配慮があったことも大きい一昔前の証券会社には 中卒入社して 最初は学生服着たボーヤ扱い(雑用係)だったものが 抜群の営業成績で部長・支店長・取締役にやる人もいたね最近でもトヨタ学園出身の現場の叩き上げの人がトヨタの副社長だった
ヨーロッパの地中海で戦った?…旧海軍の軍艦が派遣されていたと?
昔、秋田の実家に陸自の制服着て帰省しました、親父の兄弟から、下士官に成ったか❗と散々呑まされました😅親父の兄弟でも、親父までが軍歴有りでしたから、三等陸曹は?どんな?階級だ?と聴かれましたから、親父が昔で言う、陸軍伍長と応えたら。親父の兄達は、試験受けて下士官❗後は士官の受験資格出来るまで頑張れ❗でした~
なんというか、情景が目に浮かぶ様なお話を興味深く読まさせていただきました。「昔で言う陸軍伍長だ」「士官の受験士官できるまで頑張れ」との会話が、いかにも時代を感じさせて、微笑ましいものを見る様な気がしました。伯父様らは、さぞ嬉しく、誇らしかったろうと拝察します。
@@草莽-b6d さんまぁ秋田の田舎じゃ😅こんな感じでした~まだ有った御本家には昭和の天皇皇后陛下の御写真の隣に、親父の兄貴四男ですが、 フィリッピンで戦死してますからその写真が飾ってありました😅で、兵科はなんだ?と聴かれましたから通信科、と返事したら、顔も凖二兄さんにそっくりだし、兵科も同じかぁ~と言われました😅
ワタシの祖父は陸軍伍長で憲兵で配属される寸前で終戦を迎えたって祖母から聞いた事が有ります。
家の親戚の叔父さんが言ってたけど伍長と軍曹では年金の開きが大きいと言ってましたね
私の父は102歳ですが最終軍曹で113万ぐらいですね現在だいぶ減らされてるようです。
伍長は銃だが軍曹は軍刀ですから、外見にも差がありました。
@@草莽-b6d 叔父さんは満州の国境警備隊で15センチ留弾砲の照準つけてたとか。ソ連軍が侵入してきた時まず空襲から始まり偽装のお陰で直撃は免れたものの、至近弾で半数の5人がやられ分隊長も戦死で、班長の叔父さんが指揮をとりもうすぐ滴戦車の射程に入るなと最後の覚悟を決めた時伝令のバイクが来てトラックに乗って撤収命令を受け重傷者は処分しろとの命令を受け一番若い初年兵の片足がぶっ飛び泣く泣く先に行け俺も後から行くと言って靖国で会おうと言いながらピストルで頭を撃ち抜いたって言ってました。後方の部隊と合流したときに終戦でシベリア抑留となり地獄が待ってたと言ってましたねこの話は私の父親の葬儀の時に聞きました。ソ連だけは信じるなよと。
ジューコフがノモンハンで戦った旧陸軍兵下士官を絶賛し上級将校から上をボロクソに言っていたな
陸上自衛隊もバブル期に入隊する人が少なかったので入り易さや陸曹になるのを緩くして人員増大を図ったがバブル崩壊で入隊する人が増えてしまい、陸曹が余剰気味になってバブル期に陸曹になった人でデブや能力が低い陸曹を依願退職に追い込むリストラをして就職氷河期で大卒で2等陸士から入った人を陸曹にさせたが、アベノミクス等で景気が回復したので自衛隊に入る人が減ったので自衛隊は人員不足
士長以上の全階級は常に余剰、一士と二士だけが半分くらいしか充足してない。つまり1期か2期で辞める任期制隊員だけが人手不足。三曹昇任はますます厳しくなる。曹から幹部への昇任を原則なくす検討も真剣になされている。40歳過ぎて上を目指さない隊員を肩たたきする方針は、防衛省が文書で公表していて、何ら秘密ではない。
陸軍教導団、せめて日露戦争が終わるまでは残しておけば、同戦争における下士官不足も少しは改善されていたかも知れないのに。焼け石に水かもしれないが、焼け石に水をかけたら確実に温度が下がるんだから。廃止するのは宇垣軍縮以降でも遅くはないと思う。
札幌市手稲区前田、在住の歳68の男です、父方のお爺さん👴の弟さん、陸軍の特務曹長でしたよ、最後に送られて来た手紙文御墓に彫り込まれてました!そこにはハルピンから奉天に向かう事書かれてました、途中襲撃受けて、戦死為ました!ハルピンには特務機関在りましたから、葬儀二番目小樽市長さんから、余市、仁木の村長さんも参列為たそうですよ!
漫画だけど、「のらくろ」は2等兵から陸士出て大尉で退官したんだからすごいのか。
のらくろ現代版は大尉で予備役に移行したけど 戦中版では大将迄昇進してたよ後 少尉候補生の際はのらくろは部内昇進で曹長だったのに同期が軍曹だらけで学生長だったけど軍曹扱いされたし のらくろは入営するまで社会の底辺者だったし
@@bk-tm9zn のらくろは昭和16年に内務省からのクレームで打ち切りにされて戦後昭和30年代に戦記雑誌の丸で連載して、のらくろは喫茶店のマスターになって完結した。
将校といっても4種類。陸士・幹候・少候・特進。陸士は陸軍士官学校卒。これは今の役所の東大卒みたいなもの。幹候は幹部候補生で、一般の大学や専門学校から試験で選別した者を将校としたもの。(明治期の一年志願兵制度を改定したもの)戦時での下級将校の戦死率は高いが、陸士採用を増やすとポスト不足や人件費膨張を招くので、臨時雇い将校(本職が軍人ではない将校)の増員を図ったもので、その趣旨から大尉まで。(∵恩給年限の直前まで)少候は少尉候補。下士官の中から優秀な者を選別し、陸士の特別コースで将校としたもの。叩き上げで軍隊の現場を把握した者から選んでいるので、部隊指揮官として優秀な人が多かったというが、昇進は少佐くらいまで。二等兵→少佐の階級と、見習士官→元帥のそれとは同じなのと、少候出身の少佐は「これ以上は上がない」のとで、「兵隊元帥」とされ尊敬されたという。特進は同じく年功昇進での将校昇任。事務的なエキスパートが多かったと言う。のらくろは少候。作者は当初は一年の読み切り漫画のつもりで描き、一等兵になったところで終わりのつもりでいたら、のらくろのその後を心配する投書が多く寄せられ、ならばとまた一年かけて上等兵に上げたら「良かったね」「おめでとう」との手紙が少年読者から大量に寄せられたので、書き続けることにしたのだという。上に行くほど初年兵当時の様なヘマは出来なくなるのでゆっくりと昇進させることにしたが、どう考えても少佐ではマズいだろうと、大尉で除隊となったのだとか。
@@草莽-b6d 明治初期以外で兵卒から大将になったのは二二六事件で殺害された教育総監の渡辺丈太郎で渡辺は家庭が貧しく陸軍に衛生兵として志願で入り勤務成績が優秀なので上官から士官学校受験を勧められて合格し士官学校から士官になり、将官の登竜門の陸軍大学校に入り教育総監になった。
漫画なので、子供にも夢を与えるために、軍人として頑張って活躍したら大尉になれるように設定しているのかと思います。実際は制度的には無い事もないですが、ほとんど不可能かと思います。(不可能と感じたら、将来は徴兵される多くの子供のモチベーションダウンになりますから)
下士官(曹)から比較的幹部になりやすい現在の自衛隊とは結構雰囲気が違いますね…
下士官から正規士官になることがほぼ不可能だった旧海軍と違って海上自衛隊では曹から幹部自衛官になれて、なかには艦長にまで出世する人もいましたね。
まあ今はシンプルに人手不足なのもあるので…
@@櫻井孝俊 旧海軍で大将になれるのは戦闘職種の兵科士官のみで機関、造船、主計の最高階級は中将だった。近年海上自衛隊で海上幕僚長に着任した人は基地で後方支援関係をメインにした人で旧海軍から海上自衛隊まで後方支援関係の職種からトップの役職に着任したのは初めて。
いい傾向だと思う。米軍史上最良の幕僚とまで言われたべデルスミスは、一兵卒から大将にまでなったという。勝てる人材の発掘能力の点で、明らかに米国の方が上だったのだろう。実戦でも軍政でも何の役にも立たなかったにも関わらず兵学校で優秀だったからと「最後の海軍大将」となった男をホメ称えている者の多い国の人間から見ると、考えさせられるものがある。レマルクは第一次世界大戦の志願兵だが、実体験に基づく彼の「西部戦線異状なし」「帰還の道」等を詠むと、共に志願した兵卒仲間から将校に昇進したものが時々出てくる。(将校となって連絡任務で数日間後方に下がった折に戦場ストレスから悪所に入って或る種の病気を拾い、戦後に自殺してしまった同期の友人‥‥というのも出てくる)貴族重視とか言われているドイツ軍でも兵卒から将校になれたのかとも思わされる。二次大戦のアフリカ戦線で「最年少の対戦車兵」としてニュース映画のアイドルだったギュンター・ハルムは、最終的には少尉にまで上がっている。これまた、実戦で有能な人材の登用と言う点では、考えさせられる話だと思う。
>下士官が陸軍士官学校を受験→その形で将校になったのが、若林東一。WW2での香港攻略戦時に中尉で、将校斥候として、英軍陣地(ジンドリンカーズライン)を偵察。防御の不備を見つけて、独断専行で突撃。それが日本軍の総攻撃に繋がって、1日で敵側戦線を崩壊させたというもの。1943年、ガダルカナル島戦で戦死。最終階級は大尉。
職場のお局様を特務曹長と呼んでる。
私の祖父のお兄様が軍曹でした。マリアナ島で戦死されて居ます。祖父は海軍でした…
マリアナ諸島ですか、サイパン、グアム、テニアンの三つの島で構成されてますが、サイパン島守備隊が名古屋の43師団。兵力約43000名グアム島守備隊は名古屋で編成された29師団のうち、豊橋18連隊、奈良38連隊の2個連隊と独混48旅団と海軍諸隊。兵力約21000。テニアン島は29師団から分派された松本50連隊。兵力約8500名。この2個師団1個旅団に対し、米側は、第27師団、海兵第2、第3、第4師団の兵力約8万、海軍艦艇、正規空母7隻、軽空母等8隻、戦艦7隻、重巡洋艦8隻、軽巡洋艦13隻、駆逐艦69隻、航空機956機の戦力で上陸作戦を開始しました。当初は島一つ3日で占領できる。マリアナ諸島は1週間で🇺🇲の旗が立てるとみつもられましたが、6月15日のサイパン上陸〜8月3日のグアム玉砕までひと月半かかりました。これは御祖父のお兄様を初め、日本軍が頑強に抵抗した証左となります。謹んで哀悼の意を捧げます。
今の自衛隊は曹から幹部になるのかなり簡単になったと聞いたけどそんだけ人員不足なのかな
自衛隊は幹部は多いけど、曹と士が少なすぎるよ結構定員満たしてないもん。データ見てほしんだけど歪やわ。
@@usejehwikuhehejidjcuruehje 警察官も巡査部長と警部補が6割で、1割が巡査長、2割が巡査で、頭デッカチですよね。
自衛隊は会社で言えば短期間の契約社員が大量に欲しくて正社員の曹や幹部の尉官以上は余剰状態
@@usejehwikuhehejidjcuruehje様。有事には 徴兵制が敷かれるので それで多くの軍が作れるからと言う説を読んだ事がありますけどねぇ😅
現在の自衛官は 幹部ほぼ 曹は余り気味 士が相当不足している曹からの部内昇任幹部に米軍に比較すると安易に昇進可 米軍は学士の要資格者になるからしかし、士から只管昇任試験に上位者として名を連ねるのは並大抵の事ぢゃけどね。
質問です。投稿日は毎週金曜日から水曜日に変わったのですか?
投稿日は金曜日を原則としつつ水曜日も頑張ろうとしております!(^^)v
@@あきた号 さん返信ありがとうございます。
下士官の強い軍は強いと良く言われる。
現在の自衛隊の方が人事制度としては、まだ公平性が高いと思います。高卒陸士から定年は幹部でしたから
しごかれた数が多い分恨まれてたろうなあ。
どうも、帝国陸軍下士官への否定的見解が目立つような気がするな。戦後、日本軍を評して米軍の幹部が「日本軍は将軍はダメだったが、下士官兵は世界一だった」と。日本軍下士官への正しい評価もたのむぜ。俺のじいさん(元軍曹)も同じようなこと言ってたっけ。
「日本海軍の士官はボンクラだが下士官は世界一優秀」(英国・センピル教育隊による評)「日本海軍で最も優秀なのは下士官。次が若い士官と兵。指揮官は凡庸。参謀はダメ」(米海軍による戦時評)「日本陸軍は下に行くほど優秀。兵は世界一。上層部は無能」(ビルマ戦線の英軍による評)必ずしも全部同感ではないが、そうした面は確かにあったのだろう。陸上はどうだか知らないが、海上自衛隊の曹では、ツメの甘い仕事っぷりの者に「その程度のことなら、お前、幹部だってやるぞ」と注意すると聞いたことがある。
最強の軍隊は「アメリカの将軍とドイツの将校と日本の兵」って聞いたことがある
帝国陸軍下士官批判が目立つ?旧軍下士官は世界一の評価目にするが実際はどうだったのか。 洋の東西、時代を問わず組織には良い目悪い目あったはず。 旧軍にもそれはあって当たり前。思うに、過去を頭ごなしに批判する特ア隣国、野党、日教組等もなんだが、 太平洋戦争はアジア諸国の独立を促した聖戦だった旧軍はいい事ばかりした云々も?最近このチャンネル知ったけど旧軍組織や人物、当時の政治など今まで無い視点で取り上げられていて面白い。
ドイツの将軍、アメリカの幕僚、日本の下士官、韓国の兵隊 これをもって、世界最強と呼ばれた!
@@nobu4771 僕が読んだバージョンでは、世界最強の軍隊とは「ロシア軍の兵隊、日本軍の下士官、ドイツ軍の将校、アメリカ軍の将軍」だった。
現代株式会社で言うと、係長・課長くらいですか?
士官学校を卒業しないと尉官になれないし、陸軍大学を卒業しないと将校になれない。いくら軍人として有能であっても、学歴がないと軍曹止まり。それでアタマでっかちで机上の空論ばかりの上層部が出来上がった。日露戦争で勝った日本だが(この時は学歴でなく実戦経験の上層部ばかりだった)、陸大を創設したのがその後の日本敗戦の原因の一つ。
将校といっても4種類。陸士・幹候・少候・特進。陸士は陸軍士官学校卒。幹候は幹部候補生で、一般の大学や専門学校からの試験採用。(明治期には一年現役制度)少候は少尉候補。特進は年功昇進での将校昇任。士官学校を卒業しないと尉官になれないわけでもなければ、陸大を卒業しないと将校(将官のマチガイじゃないのか?)になれないということもない。(無天少将なんて言葉まであったくらいだ)学歴がないと軍曹止まりなんてこともない。そもそも軍曹どまりだったら、曹長や准尉にはどうやってなるんデスか?(笑)知りもしないでのキミのご意見は、いかにも「アタマデッカチで机上の空論」となっているから、マア大概にしておいた方がいい。なお、日露戦争の折の上層部は学歴でなく実戦経験の上層部ばかりだった云々との知ったかブリも、やめておいた方がよろしかろう。対露戦での統一指揮運用の為、参謀あたりは当時ほぼ陸大出身者で占められている。この成功体験から後の陸大偏重が始まったとする人は多い。
@@草莽-b6d 必ず出てくると思った予想通り、如何にも、屁理屈こねそうな人間からのコメント。このコメントのように肝心な事でなく。細部に拘るタイプ、木を見て森を見ずタイプが、机上の空論者の典型、細部に拘り、物事を複雑にしていく人間、百害あって一利なしの人間。こんな人間なんで、秋山好古も陸大出身だろう!と屁理屈こねそうだね~ 味噌も糞も一緒にするなよだよ わかるか? 笑
少尉であっても、将校は将校だよ。陸大卒かどうかは関係ない。あと、部内では娑婆の学歴は基本関係ない。学士や博士や帝大教授であっても、徴集の際、幹候を志願しないなら、尋常小学校卒と一緒に二等兵の初年兵から勤め上げることとなる。士官や下士官の養成課程の採用に当たって、娑婆の学歴は斟酌されたが、学歴そのものは部内では評価されない。部内でのキャリアは、部内でどの教育課程を修了したかによる。
という罵倒がひたすら飛んでくるからよろしく笑笑笑
んで、まだ会社に居残るつもり?笑笑笑
ちがった。今迄よく会社に居れたね?笑笑笑だった。まあ、役員一同、一緒に現社長ボコってた共犯だからな笑笑笑当然、お前らの行動もサポートしてたし笑笑笑
まあ、みんなで頑張ってサティアンに籠城してくれたまえ笑笑笑
というか、私の家に役員が4匹も集結してるんだったな笑笑笑で、みんな暴力暴力笑笑笑
ちがった、(少なくとも)5匹だ笑笑笑
将官クラスが無能(特に参謀)下士官が二流から一流の間兵士が超一流士官学校でマニュアル通りに動くように育成してしまう方針の結果でしょうか。現場の人は命かかってるから、どうしたら勝って生き残れるか知恵を絞りますよね。
ジューコフがまさにそう旧陸軍を評価してましたね
それでも、終戦までの日本陸軍には、特務士官という昇進制度が残っていて下士官から少尉任官の道があった。終戦間際に、根本中将の旅団と対峙したソ連軍には、初老の中尉がいたはずだ。最低でも大卒でないと士官になれない米軍将兵は、羨ましいと言ってたそうな。((丸))辻権作少将はどうしたんだっけ?
差し詰め。これが陸自な高等工科学校のモデルか
確かに。元々の学力が高いから防衛大に進学できる生徒が多いけど、中には進学できず、他の大学にも行けずに曹としてそのまま任官する人もいるからなあ
>予備役編入→旧軍でのクビ(退職)を意味する言葉。
世界のジョーク、最高の軍隊を組織化するならアメリカの将軍、ドイツの参謀、アメリカの士官日本の下士官と兵隊さん。😂
農民から上等兵までいけたらたいしたもので😊
普通、陸軍の場合、1年経過して良ければ一等兵だけど、2年兵役なので上等兵にまでなるのは、なかなか大変で、軍人としたら立派だと思います。
上等兵になったら胸を張って帰郷したようです。村でも一目置かれれたようです。優秀だと一年で上等兵になって、二年目も優秀だと伍長勤務になります。そうすると伍勤上等兵として中隊でも存在感が増します。秋頃には下士官適任証が発行され、そのまま下士官になってもよし、除隊してもよし。再招集があれば即下士官です。
日本軍は下士官でもつ………自衛隊も同じだ。まあ、どこの国も似たり寄ったりだろう。
第二次世界大戦では米英の将軍、ドイツの将校、日本の下士官、イワン(ソ連)の兵隊が優秀と言われます。米英のトップはずる賢い。ドイツは兵器の設計、運用も合理的に考える。日本の下士官は職人気質で、練度も高い。イワンの兵隊は命令通りに動くので都合よいが人的には大損害となる。各国の国民性を表す。
ヒトラーも第一次世界大戦では伍長だった。
ノン 彼の仇名が「ボヘミア生まれの伍長」 彼の最終階級は伍長勤務上等兵従って彼の階級は兵卒で下士官で無く 戦時で下士官の業務を遂行している上等兵なのだ。ただし第一級鉄十字勲章受勲は戦時ならではの異例の厚遇
@@bk-tm9zn ♪腕に金蝶ヒラヒラさせて粋じゃないかえ伍勤が通るなる歌もあったそうです。けっこうエリート兵です。
オレのじいさんは満州で憲兵伍長でエバっていたと😊、曽じいさんは陸軍歩兵中尉で日露戦争に従軍し乃木将軍に就いて大陸を転戦、大叔父は某帝大卒業後に無線関係の技術将校で中佐まで出世したが身体を壊して除籍。そしてオレの親父は予科練に入ろうと画策していたが終戦になったから家業を継いだ😆 あと親戚に何人か兵隊さんはいたようだが詳しくは知らない。
帝大ですか!エリートですね
@@Osakana_is_oishi とにかく融通の効かない実直な人で、思っていることを口に出して周りの者はハラハラしていたそうです。戦時中の口癖で『精神論で戦に勝てるのか、東条のバカたれが竹やりでB29を落とせるンか😡』とか、燃料のために山で松の根っ子をっ掘ったり、実家の寺の鐘を金属供出するときにも『こんなものまで、お上に出すことになったら、もうじき戦争は終わるバイ😊』中々気骨のある人だったと、それから戦時中に師範学校に入り、その後にはオレが通った高校の校長を務めて天寿を全うした。
憲兵というのは曹長,伍長クラスでも、一般の将校クラスをお構いなく平気でぶん殴る事ができた。 私の父は上等兵のころ南方で、ある憲兵にひどく殴られたのを恨み、その憲兵を本当に殺そう決心し、その憲兵を付け狙っていたが、やがて憲兵に気付かれ、彼はトイレにいくにも仲間と一緒にいくようになり、そのうち父だけが別の連隊に転属になった。父の話しでは、恨みをかった憲兵がかなり生方不明になったという。おそらく父にような・・・。
@@narihira572 オレの爺さんも大陸に居た頃は相当に権力欲が溢れていたみたいで、とにかく偉そうで横柄であったらしい😊そして、終戦後は街の市会議員を7,8期かやって地元の国会議員(棒政権政党の幹事長クラス)のキンタマ握って美味しい思いをチュルチュルやっていたらしい。オレが思うに、時代劇に出てくるような悪代官のようなイメージなんだけど😆 まぁ~お陰様でオレは小心者でも、何不自由なく生きてこれたけど‥‥‥。
@@narihira572 そうそう、オレが爺さんに聞いた話では、敗戦し船で復員してくる途中で、それまで偉そうにエバっていた若い将校が古参の下士官や兵卒から袋叩きにあったり、持ち物を取り上げられたりされていたようだと聞いたことがあった。あとこれは不確かなンだけど‥‥‥爺さんは意外と仕返しとかはされなかっらしい😊
曾祖父は、日露戦争の時騎馬少尉としてロシアと戦いました
秋山少将の隊だったんですかね?
素晴らしい!世界最強と言われたのコサック騎士団を撃破されたんですね🐎
>下士官学校の志願者が順調に減少→言い方が冷笑的で草。
帝国陸軍創成期に、下士官・兵から士官に任官出来たのは、後年だったら士官学校等に入学出来る人材が、その制度が無かったので、兵として入隊したからでは?創成期の将校達は、平民が徴兵された鎮台さんで無く、士族で生まれた時から武士として育てられ、餓鬼の頃から人斬り包丁を腰に差し、藩学校学校で教育を受けて居たはず。生まれや育ちが違うと、大変ですよ。家族は、もっと大変。戦後の幹部官舎ですら、女学校出の元お嬢様や学習院出の元お姫様が、貫禄が付いた小母ちゃんとなり、何故かワル餓鬼程可愛がる、ほぼ周囲と隔離された浮世離れした空間でしたよ。
伍長になれれば、総統も間近です(笑)。
あれはチートや
何度でも言ってやる政治はやらねえ私を馬鹿にしてきた奴らの為に働くとかとんでもねえな
ゆっくり解説は真に受けちゃ駄目だなぁ…。自分で調べよう。歴史学科は国立国会図書館に行け。
下士官は、職業軍人ではないですよね
職業軍人やぞ。
職業軍人は戦前は伍長から 自衛官は三等陸海空曹からですが何か?
職業軍人だよね
ご先祖様日本政府はまた戦争の惨禍を引き起こそうとしています。どうかご加護を
ご先祖様中共や南北土人の国と仲良くしようと大人しくしてたら、何でかいつの間にか戦後が終わって戦前になっていました。
説明がたるい!
勉学ばかりしているから(机の上の作戦計画しか立てられない)…今のロシア軍と一緒だよ。
人情味あふれる一方でしっかり私怨をはらす東條さんの人間臭さが最近ツボ。
週の中日である水曜日に動画を投稿してくださりありがとうございます。
私の祖父は学生時代に入隊、大陸に渡り教育隊→金陵士官学校へ。半年後には曹長だったみたいです。昭和20年8月
(軍歴証明参照)
爺ちゃん伍長で軽機関銃だったって。
軽機関銃と言っても重かったみたい。
終戦で復員船で帰る時、たくさんの軍曹伍長 下の兵隊に海に放りこまれたらしい。
部下をいじめた下士官 哀れな結末。
でも、インパール作戦では飢餓や病気で動けなくなった兵士(上等兵から二等兵)に自決を強要、あるいは射殺した下士官もいたそうです。
ベトナム戦争でもどさくさ紛れに暗殺された下士官や士官は多かったそうですね
プラトーンで描かれてましたが
@@hirokage9427まあ、常にMPが戦場にいる訳ではないから
1920年より少尉候補生制度が成立し、成績優秀な下士官は試験により陸軍士官学校に入学する事が出来るようになった。1連隊で1,2名だったらしい。
自分の高祖父が元陸軍軍医大尉で中国戦線に身を置いていたらしく、終戦間際のソ連からの撤退戦が一番受け持つ負傷者がたくさんいて治療が間に合わずに息を引き取る人が多く精神的に苦労が絶えなかったと祖父から聞いたことがあります。
で?
@@漬け物石これだもんなあ…。ミリオタはオタクではない。国立国会図書館は今でも有為だし、昔はネットもなかったから大使館に電話して記念館などの施設を教えてもらったり、近くまで行ったのにわからず諦めて帰国したり、オタクはみんなそうだった。オタクイズデッドと岡田斗司夫は言ったけど、これだけは癪だけど納得。
@@コクヨかパイロットか
分かる。
同感。
八甲田山事件の神成大尉も教導団出の叩き上げで
士官学校出の山口少佐や倉石大尉は故に嫌っていた節がある。
日本人の気質として現場で職人として活躍する下士官の能力が高いのは必然だと思う。
教導団から将校への道を閉ざしたために高級軍人の官僚化が進んだのだろうな。
料亭通いの高級将校なんて恥以外のなにものでもない
今自衛隊では士官三尉になどなりたくなく、仕事キツくなり給料もほとんど変わらん。
曹長でいい
いまは1曹定年が当たり前だから曹長も厳しい...
東宝特撮映画の本多猪四郎監督は、大卒だったが徴兵されて、226事件後に下士官推薦を受けた人で、終戦時には曹長まで昇進した。特撮映画の撮影の際に防衛庁が協力的だったのは、本多監督の経歴がものをいった可能性が高い。
世界のクロサワはなぜか徴兵されず
あれだけ体格いいにもかかわらず、自伝では父親の知り合いが軍上層部だったとか 東宝で訓練用の映画を作っていたからという説もある
それがコンプレックスになっていたという
映画とかだとポンコツが多いイメージ。
硫黄島からの手紙の西郷殴ってたヒゲの人とか。
お疲れ様ですw
小野田寛郎氏は徴兵から中野学校で中尉だったから、特殊な才能を見込まれた人は末期でも例外的な昇進もあったのでは。
小野田中尉は 間諜の中野学校出身で無く 特殊部隊要員の
静岡の二俣分校の出身で彼の命令下達者は佐官で彼が発見された時
解除命令を受領して 日本に帰国した筈
中學校卒業者という学歴から、甲種幹部候補生を受験して久留米豫備士官學校入校後、
①自動車の運転が出来る
②中国語が堪能
な理由で陸軍中野學校を受験し、二俣分校で主として情報及び遊撃戦の訓練を受けました。
小野田さんは少尉じゃね?
今の自衛隊でも似たような傾向にあると聞く。
なお、同じ陸士でも曹候補で入隊した組は、バッチ組と呼ばれるそうです。
曽祖父が海軍兵曹長として第1次大戦で地中海で戦った。
元は小学校の教員だったが給料が安過ぎて親の負債を返済出来ないので海軍に入ったそう。
結局、赴任先の台湾の澎湖島で風土病に罹患して父が産まれて3年後に病死した。
遺言で「息子は決して海軍に入れるな」と遺したので父は陸軍士官学校に入った。
ちなみに大東亜戦争で活躍して有名になった英雄には兵卒〜下士官〜士官になった人が多い。
例として、香港攻略戦の若林(東一)大尉や拉孟防衛戦の英雄、金光大佐。
昔の民間企業も似た感じのところがありますね
自分が入ったころは まだ中卒で入社して部長、工場長、取締役になるような人がいて ホント会社の隅々まで把握していたなぁ
だいたいそういう人は 夜学の高校・大学へ行くだったね 8年間もくじけず通ったうえ会社でもそれなりの実績を
会社も夜学へ通わせてくれるような配慮があったことも大きい
一昔前の証券会社には 中卒入社して 最初は学生服着たボーヤ扱い(雑用係)だったものが 抜群の営業成績で部長・支店長・取締役にやる人もいたね
最近でもトヨタ学園出身の現場の叩き上げの人がトヨタの副社長だった
ヨーロッパの地中海で戦った?…旧海軍の軍艦が派遣されていたと?
昔、秋田の実家に陸自の制服着て帰省しました、親父の兄弟から、下士官に成ったか❗と散々呑まされました😅
親父の兄弟でも、親父までが軍歴有りでしたから、三等陸曹は?どんな?階級だ?と聴かれましたから、親父が昔で
言う、陸軍伍長と応えたら。親父の兄達は、試験受けて下士官❗後は士官の受験資格出来るまで頑張れ❗でした~
なんというか、情景が目に浮かぶ様なお話を興味深く読まさせていただきました。
「昔で言う陸軍伍長だ」
「士官の受験士官できるまで頑張れ」
との会話が、いかにも時代を感じさせて、微笑ましいものを見る様な気がしました。
伯父様らは、さぞ嬉しく、誇らしかったろうと拝察します。
@@草莽-b6d さん
まぁ秋田の田舎じゃ😅こんな感じ
でした~まだ有った御本家には
昭和の天皇皇后陛下の御写真の
隣に、親父の兄貴四男ですが、
フィリッピンで戦死してますから
その写真が飾ってありました😅
で、兵科はなんだ?と聴かれましたから
通信科、と返事したら、顔も凖二兄さんにそっくりだし、兵科も同じかぁ~と
言われました😅
ワタシの祖父は陸軍伍長で憲兵で配属される寸前で終戦を迎えたって祖母から聞いた事が有ります。
家の親戚の叔父さんが言ってたけど伍長と軍曹では年金の開きが大きいと言ってましたね
私の父は102歳ですが最終軍曹で113万ぐらいですね現在だいぶ減らされてるようです。
伍長は銃だが軍曹は軍刀ですから、外見にも差がありました。
@@草莽-b6d 叔父さんは満州の国境警備隊で15センチ留弾砲の照準つけてたとか。ソ連軍が侵入してきた時まず空襲から始まり偽装のお陰で直撃は免れたものの、至近弾で半数の5人がやられ分隊長も戦死で、班長の叔父さんが指揮をとりもうすぐ滴戦車の射程に入るなと最後の覚悟を決めた時伝令のバイクが来てトラックに乗って撤収命令を受け重傷者は処分しろとの命令を受け一番若い初年兵の片足がぶっ飛び泣く泣く先に行け俺も後から行くと言って靖国で会おうと言いながらピストルで頭を撃ち抜いたって言ってました。後方の部隊と合流したときに終戦でシベリア抑留となり地獄が待ってたと言ってましたねこの話は私の父親の葬儀の時に聞きました。ソ連だけは信じるなよと。
ジューコフがノモンハンで戦った旧陸軍兵下士官を絶賛し上級将校から上をボロクソに言っていたな
陸上自衛隊もバブル期に入隊する人が少なかったので入り易さや陸曹になるのを緩くして人員増大を図ったがバブル崩壊で入隊する人が増えてしまい、陸曹が余剰気味になってバブル期に陸曹になった人でデブや能力が低い陸曹を依願退職に追い込むリストラをして就職氷河期で大卒で2等陸士から入った人を陸曹にさせたが、アベノミクス等で景気が回復したので自衛隊に入る人が減ったので自衛隊は人員不足
士長以上の全階級は常に余剰、一士と二士だけが半分くらいしか充足してない。つまり1期か2期で辞める任期制隊員だけが人手不足。三曹昇任はますます厳しくなる。曹から幹部への昇任を原則なくす検討も真剣になされている。40歳過ぎて上を目指さない隊員を肩たたきする方針は、防衛省が文書で公表していて、何ら秘密ではない。
陸軍教導団、せめて日露戦争が終わるまでは残しておけば、同戦争における下士官不足も少しは改善されていたかも知れないのに。
焼け石に水かもしれないが、焼け石に水をかけたら確実に温度が下がるんだから。
廃止するのは宇垣軍縮以降でも遅くはないと思う。
札幌市手稲区前田、在住の歳68の男です、父方のお爺さん👴の弟さん、陸軍の特務曹長でしたよ、最後に送られて来た手紙文御墓に彫り込まれてました!そこにはハルピンから奉天に向かう事書かれてました、途中襲撃受けて、戦死為ました!ハルピンには特務機関在りましたから、葬儀二番目小樽市長さんから、余市、仁木の村長さんも参列為たそうですよ!
漫画だけど、「のらくろ」は2等兵から陸士出て大尉で退官したんだからすごいのか。
のらくろ現代版は大尉で予備役に移行したけど 戦中版では大将迄昇進してたよ
後 少尉候補生の際はのらくろは部内昇進で曹長だったのに同期が軍曹だらけで
学生長だったけど軍曹扱いされたし のらくろは入営するまで社会の底辺者だったし
@@bk-tm9zn のらくろは昭和16年に内務省からのクレームで打ち切りにされて戦後昭和30年代に戦記雑誌の丸で連載して、のらくろは喫茶店のマスターになって完結した。
将校といっても4種類。
陸士・幹候・少候・特進。
陸士は陸軍士官学校卒。
これは今の役所の東大卒みたいなもの。
幹候は幹部候補生で、一般の大学や専門学校から試験で選別した者を将校としたもの。
(明治期の一年志願兵制度を改定したもの)
戦時での下級将校の戦死率は高いが、陸士採用を増やすとポスト不足や人件費膨張を招くので、臨時雇い将校(本職が軍人ではない将校)の増員を図ったもので、その趣旨から大尉まで。
(∵恩給年限の直前まで)
少候は少尉候補。
下士官の中から優秀な者を選別し、陸士の特別コースで将校としたもの。
叩き上げで軍隊の現場を把握した者から選んでいるので、部隊指揮官として優秀な人が多かったというが、昇進は少佐くらいまで。
二等兵→少佐の階級と、見習士官→元帥のそれとは同じなのと、少候出身の少佐は「これ以上は上がない」のとで、「兵隊元帥」とされ尊敬されたという。
特進は同じく年功昇進での将校昇任。
事務的なエキスパートが多かったと言う。
のらくろは少候。
作者は当初は一年の読み切り漫画のつもりで描き、一等兵になったところで終わりのつもりでいたら、のらくろのその後を心配する投書が多く寄せられ、ならばとまた一年かけて上等兵に上げたら
「良かったね」「おめでとう」
との手紙が少年読者から大量に寄せられたので、書き続けることにしたのだという。
上に行くほど初年兵当時の様なヘマは出来なくなるのでゆっくりと昇進させることにしたが、どう考えても少佐ではマズいだろうと、大尉で除隊となったのだとか。
@@草莽-b6d 明治初期以外で兵卒から大将になったのは二二六事件で殺害された教育総監の渡辺丈太郎で渡辺は家庭が貧しく陸軍に衛生兵として志願で入り勤務成績が優秀なので上官から士官学校受験を勧められて合格し士官学校から士官になり、将官の登竜門の陸軍大学校に入り教育総監になった。
漫画なので、子供にも夢を与えるために、軍人として頑張って活躍したら大尉になれるように設定しているのかと思います。実際は制度的には無い事もないですが、ほとんど不可能かと思います。(不可能と感じたら、将来は徴兵される多くの子供のモチベーションダウンになりますから)
下士官(曹)から比較的幹部になりやすい現在の自衛隊とは結構雰囲気が違いますね…
下士官から正規士官になることがほぼ不可能だった旧海軍と違って海上自衛隊では曹から幹部自衛官になれて、なかには艦長にまで出世する人もいましたね。
まあ今はシンプルに人手不足なのもあるので…
@@櫻井孝俊 旧海軍で大将になれるのは戦闘職種の兵科士官のみで機関、造船、主計の最高階級は中将だった。近年海上自衛隊で海上幕僚長に着任した人は基地で後方支援関係をメインにした人で旧海軍から海上自衛隊まで後方支援関係の職種からトップの役職に着任したのは初めて。
いい傾向だと思う。
米軍史上最良の幕僚とまで言われたべデルスミスは、一兵卒から大将にまでなったという。
勝てる人材の発掘能力の点で、明らかに米国の方が上だったのだろう。
実戦でも軍政でも何の役にも立たなかったにも関わらず兵学校で優秀だったからと「最後の海軍大将」となった男をホメ称えている者の多い国の人間から見ると、考えさせられるものがある。
レマルクは第一次世界大戦の志願兵だが、実体験に基づく彼の「西部戦線異状なし」「帰還の道」等を詠むと、共に志願した兵卒仲間から将校に昇進したものが時々出てくる。
(将校となって連絡任務で数日間後方に下がった折に戦場ストレスから悪所に入って或る種の病気を拾い、戦後に自殺してしまった同期の友人‥‥というのも出てくる)
貴族重視とか言われているドイツ軍でも兵卒から将校になれたのかとも思わされる。
二次大戦のアフリカ戦線で「最年少の対戦車兵」としてニュース映画のアイドルだったギュンター・ハルムは、最終的には少尉にまで上がっている。
これまた、実戦で有能な人材の登用と言う点では、考えさせられる話だと思う。
>下士官が陸軍士官学校を受験→その形で将校になったのが、若林東一。WW2での香港攻略戦時に中尉で、将校斥候として、英軍陣地(ジンドリンカーズライン)を偵察。防御の不備を見つけて、独断専行で突撃。それが日本軍の総攻撃に繋がって、1日で敵側戦線を崩壊させたというもの。1943年、ガダルカナル島戦で戦死。最終階級は大尉。
職場のお局様を特務曹長と呼んでる。
私の祖父のお兄様が軍曹でした。
マリアナ島で戦死されて居ます。
祖父は海軍でした…
マリアナ諸島ですか、サイパン、グアム、テニアンの三つの島で構成されてますが、
サイパン島守備隊が名古屋の43師団。兵力約43000名
グアム島守備隊は名古屋で編成された29師団のうち、豊橋18連隊、奈良38連隊の2個連隊と独混48旅団と海軍諸隊。兵力約21000。
テニアン島は29師団から分派された松本50連隊。兵力約8500名。
この2個師団1個旅団に対し、米側は、第27師団、海兵第2、第3、第4師団の兵力約8万、海軍艦艇、正規空母7隻、軽空母等8隻、戦艦7隻、重巡洋艦8隻、軽巡洋艦13隻、駆逐艦69隻、航空機956機の戦力で上陸作戦を開始しました。当初は島一つ3日で占領できる。マリアナ諸島は1週間で🇺🇲の旗が立てるとみつもられましたが、6月15日のサイパン上陸〜8月3日のグアム玉砕までひと月半かかりました。これは御祖父のお兄様を初め、日本軍が頑強に抵抗した証左となります。謹んで哀悼の意を捧げます。
今の自衛隊は曹から幹部になるのかなり簡単になったと聞いたけどそんだけ人員不足なのかな
自衛隊は幹部は多いけど、曹と士が少なすぎるよ結構定員満たしてないもん。データ見てほしんだけど歪やわ。
@@usejehwikuhehejidjcuruehje 警察官も巡査部長と警部補が6割で、1割が巡査長、2割が巡査で、頭デッカチですよね。
自衛隊は会社で言えば短期間の契約社員が大量に欲しくて正社員の曹や幹部の尉官以上は余剰状態
@@usejehwikuhehejidjcuruehje様。有事には 徴兵制が敷かれるので それで多くの軍が作れるからと言う説を読んだ事がありますけどねぇ😅
現在の自衛官は 幹部ほぼ 曹は余り気味 士が相当不足している
曹からの部内昇任幹部に米軍に比較すると安易に昇進可 米軍は学士の要資格者になるから
しかし、士から只管昇任試験に上位者として名を連ねるのは並大抵の事ぢゃけどね。
質問です。
投稿日は毎週金曜日から水曜日に変わったのですか?
投稿日は金曜日を原則としつつ水曜日も頑張ろうとしております!(^^)v
@@あきた号 さん
返信ありがとうございます。
下士官の強い軍は強いと良く言われる。
現在の自衛隊の方が人事制度としては、まだ公平性が高いと思います。高卒陸士から定年は幹部でしたから
しごかれた数が多い分恨まれてたろうなあ。
どうも、帝国陸軍下士官への否定的見解が目立つような気がするな。戦後、日本軍を評して米軍の幹部が「日本軍は将軍はダメだったが、下士官兵は世界一だった」と。日本軍下士官への正しい評価もたのむぜ。俺のじいさん(元軍曹)も同じようなこと言ってたっけ。
「日本海軍の士官はボンクラだが下士官は世界一優秀」(英国・センピル教育隊による評)
「日本海軍で最も優秀なのは下士官。次が若い士官と兵。指揮官は凡庸。参謀はダメ」(米海軍による戦時評)
「日本陸軍は下に行くほど優秀。兵は世界一。上層部は無能」(ビルマ戦線の英軍による評)
必ずしも全部同感ではないが、そうした面は確かにあったのだろう。
陸上はどうだか知らないが、海上自衛隊の曹では、ツメの甘い仕事っぷりの者に
「その程度のことなら、お前、幹部だってやるぞ」
と注意すると聞いたことがある。
最強の軍隊は「アメリカの将軍とドイツの将校と日本の兵」って聞いたことがある
帝国陸軍下士官批判が目立つ?
旧軍下士官は世界一の評価目にするが実際はどうだったのか。
洋の東西、時代を問わず組織には良い目悪い目あったはず。 旧軍にもそれはあって当たり前。
思うに、過去を頭ごなしに批判する特ア隣国、野党、日教組等もなんだが、 太平洋戦争はアジア諸国の独立を促した聖戦だった旧軍はいい事ばかりした云々も?
最近このチャンネル知ったけど旧軍組織や人物、当時の政治など今まで無い視点で取り上げられていて面白い。
ドイツの将軍、アメリカの幕僚、日本の下士官、韓国の兵隊 これをもって、世界最強と呼ばれた!
@@nobu4771 僕が読んだバージョンでは、世界最強の軍隊とは「ロシア軍の兵隊、日本軍の下士官、ドイツ軍の将校、アメリカ軍の将軍」だった。
現代株式会社で言うと、係長・課長くらいですか?
士官学校を卒業しないと尉官になれないし、陸軍大学を卒業しないと将校になれない。いくら軍人として有能であっても、学歴がないと軍曹止まり。それでアタマでっかちで机上の空論ばかりの上層部が出来上がった。日露戦争で勝った日本だが(この時は学歴でなく実戦経験の上層部ばかりだった)、陸大を創設したのがその後の日本敗戦の原因の一つ。
将校といっても4種類。
陸士・幹候・少候・特進。
陸士は陸軍士官学校卒。
幹候は幹部候補生で、一般の大学や専門学校からの試験採用。(明治期には一年現役制度)
少候は少尉候補。
特進は年功昇進での将校昇任。
士官学校を卒業しないと尉官になれないわけでもなければ、陸大を卒業しないと将校(将官のマチガイじゃないのか?)になれないということもない。
(無天少将なんて言葉まであったくらいだ)
学歴がないと軍曹止まりなんてこともない。
そもそも軍曹どまりだったら、曹長や准尉にはどうやってなるんデスか?(笑)
知りもしないでのキミのご意見は、いかにも「アタマデッカチで机上の空論」となっているから、マア大概にしておいた方がいい。
なお、日露戦争の折の上層部は学歴でなく実戦経験の上層部ばかりだった云々との知ったかブリも、やめておいた方がよろしかろう。
対露戦での統一指揮運用の為、参謀あたりは当時ほぼ陸大出身者で占められている。
この成功体験から後の陸大偏重が始まったとする人は多い。
@@草莽-b6d 必ず出てくると思った予想通り、如何にも、屁理屈こねそうな人間からのコメント。このコメントのように肝心な事でなく。細部に拘るタイプ、木を見て森を見ずタイプが、机上の空論者の典型、細部に拘り、物事を複雑にしていく人間、百害あって一利なしの人間。こんな人間なんで、秋山好古も陸大出身だろう!と屁理屈こねそうだね~ 味噌も糞も一緒にするなよだよ わかるか? 笑
少尉であっても、将校は将校だよ。陸大卒かどうかは関係ない。あと、部内では娑婆の学歴は基本関係ない。学士や博士や帝大教授であっても、徴集の際、幹候を志願しないなら、尋常小学校卒と一緒に二等兵の初年兵から勤め上げることとなる。士官や下士官の養成課程の採用に当たって、娑婆の学歴は斟酌されたが、学歴そのものは部内では評価されない。部内でのキャリアは、部内でどの教育課程を修了したかによる。
という罵倒がひたすら飛んでくるからよろしく笑笑笑
んで、まだ会社に居残るつもり?笑笑笑
ちがった。
今迄よく会社に居れたね?笑笑笑だった。
まあ、役員一同、一緒に現社長ボコってた共犯だからな笑笑笑
当然、お前らの行動もサポートしてたし笑笑笑
まあ、みんなで頑張ってサティアンに籠城してくれたまえ笑笑笑
というか、私の家に役員が4匹も集結してるんだったな笑笑笑
で、みんな暴力暴力笑笑笑
ちがった、(少なくとも)5匹だ笑笑笑
将官クラスが無能(特に参謀)
下士官が二流から一流の間
兵士が超一流
士官学校でマニュアル通りに動くように育成してしまう方針の結果でしょうか。
現場の人は命かかってるから、どうしたら勝って生き残れるか知恵を絞りますよね。
ジューコフがまさにそう旧陸軍を評価してましたね
それでも、終戦までの日本陸軍には、特務士官という昇進制度が残っていて
下士官から少尉任官の道があった。
終戦間際に、根本中将の旅団と対峙したソ連軍には、初老の中尉がいたはずだ。
最低でも大卒でないと士官になれない米軍将兵は、羨ましいと言ってたそうな。((丸))
辻権作少将はどうしたんだっけ?
差し詰め。これが陸自な高等工科学校のモデルか
確かに。元々の学力が高いから防衛大に進学できる生徒が多いけど、中には進学できず、他の大学にも行けずに曹としてそのまま任官する人もいるからなあ
>予備役編入→旧軍でのクビ(退職)を意味する言葉。
世界のジョーク、最高の軍隊を組織化するならアメリカの将軍、ドイツの参謀、アメリカの士官日本の下士官と兵隊さん。😂
農民から上等兵までいけたらたいしたもので😊
普通、陸軍の場合、1年経過して良ければ一等兵だけど、2年兵役なので上等兵にまでなるのは、なかなか大変で、軍人としたら立派だと思います。
上等兵になったら胸を張って帰郷したようです。村でも一目置かれれたようです。優秀だと一年で上等兵になって、二年目も優秀だと伍長勤務になります。そうすると伍勤上等兵として中隊でも存在感が増します。秋頃には下士官適任証が発行され、そのまま下士官になってもよし、除隊してもよし。再招集があれば即下士官です。
日本軍は下士官でもつ………自衛隊も同じだ。まあ、どこの国も似たり寄ったりだろう。
第二次世界大戦では
米英の将軍、ドイツの将校、日本の下士官、イワン(ソ連)の兵隊が優秀と言われます。
米英のトップはずる賢い。
ドイツは兵器の設計、運用も合理的に考える。
日本の下士官は職人気質で、練度も高い。
イワンの兵隊は命令通りに動くので都合よいが人的には大損害となる。
各国の国民性を表す。
ヒトラーも第一次世界大戦では伍長だった。
ノン 彼の仇名が「ボヘミア生まれの伍長」 彼の最終階級は伍長勤務上等兵
従って彼の階級は兵卒で下士官で無く 戦時で下士官の業務を遂行している
上等兵なのだ。ただし第一級鉄十字勲章受勲は戦時ならではの異例の厚遇
@@bk-tm9zn
♪腕に金蝶ヒラヒラさせて粋じゃないかえ伍勤が通る
なる歌もあったそうです。
けっこうエリート兵です。
オレのじいさんは満州で憲兵伍長でエバっていたと😊、曽じいさんは陸軍歩兵中尉で日露戦争に従軍し乃木将軍に就いて大陸を転戦、大叔父は某帝大卒業後に無線関係の技術将校で中佐まで出世したが身体を壊して除籍。そしてオレの親父は予科練に入ろうと画策していたが終戦になったから家業を継いだ😆 あと親戚に何人か兵隊さんはいたようだが詳しくは知らない。
帝大ですか!エリートですね
@@Osakana_is_oishi とにかく融通の効かない実直な人で、思っていることを口に出して周りの者はハラハラしていたそうです。戦時中の口癖で『精神論で戦に勝てるのか、東条のバカたれが竹やりでB29を落とせるンか😡』とか、燃料のために山で松の根っ子をっ掘ったり、実家の寺の鐘を金属供出するときにも『こんなものまで、お上に出すことになったら、もうじき戦争は終わるバイ😊』中々気骨のある人だったと、それから戦時中に師範学校に入り、その後にはオレが通った高校の校長を務めて天寿を全うした。
憲兵というのは曹長,伍長クラスでも、一般の将校クラスをお構いなく平気でぶん殴る事ができた。 私の父は上等兵のころ南方で、ある憲兵にひどく殴られたのを恨み、その憲兵を本当に殺そう決心し、その憲兵を付け狙っていたが、やがて憲兵に気付かれ、彼はトイレにいくにも仲間と一緒にいくようになり、そのうち父だけが別の連隊に転属になった。父の話しでは、恨みをかった憲兵がかなり生方不明になったという。おそらく父にような・・・。
@@narihira572 オレの爺さんも大陸に居た頃は相当に権力欲が溢れていたみたいで、とにかく偉そうで横柄であったらしい😊
そして、終戦後は街の市会議員を7,8期かやって地元の国会議員(棒政権政党の幹事長クラス)のキンタマ握って美味しい思いをチュルチュルやっていたらしい。オレが思うに、時代劇に出てくるような悪代官のようなイメージなんだけど😆 まぁ~お陰様でオレは小心者でも、何不自由なく生きてこれたけど‥‥‥。
@@narihira572 そうそう、オレが爺さんに聞いた話では、敗戦し船で復員してくる途中で、それまで偉そうにエバっていた若い将校が古参の下士官や兵卒から袋叩きにあったり、持ち物を取り上げられたりされていたようだと聞いたことがあった。あとこれは不確かなンだけど‥‥‥爺さんは意外と仕返しとかはされなかっらしい😊
曾祖父は、日露戦争の時騎馬少尉としてロシアと戦いました
秋山少将の隊だったんですかね?
素晴らしい!
世界最強と言われたのコサック騎士団を撃破されたんですね🐎
>下士官学校の志願者が順調に減少→言い方が冷笑的で草。
帝国陸軍創成期に、下士官・兵から士官に任官出来たのは、後年だったら士官学校等に入学出来る人材が、その制度が無かったので、兵として入隊したからでは?
創成期の将校達は、平民が徴兵された鎮台さんで無く、士族で生まれた時から武士として育てられ、餓鬼の頃から人斬り包丁を腰に差し、藩学校学校で教育を受けて居たはず。
生まれや育ちが違うと、大変ですよ。家族は、もっと大変。
戦後の幹部官舎ですら、女学校出の元お嬢様や学習院出の元お姫様が、貫禄が付いた小母ちゃんとなり、何故かワル餓鬼程可愛がる、ほぼ周囲と隔離された浮世離れした空間でしたよ。
伍長になれれば、総統も間近です(笑)。
あれはチートや
何度でも言ってやる
政治はやらねえ
私を馬鹿にしてきた奴らの為に働くとかとんでもねえな
ゆっくり解説は真に受けちゃ駄目だなぁ…。自分で調べよう。歴史学科は国立国会図書館に行け。
下士官は、職業軍人ではないですよね
職業軍人やぞ。
職業軍人は戦前は伍長から 自衛官は三等陸海空曹からですが
何か?
職業軍人だよね
ご先祖様日本政府はまた戦争の惨禍を引き起こそうとしています。どうかご加護を
ご先祖様中共や南北土人の国と仲良くしようと大人しくしてたら、
何でかいつの間にか戦後が終わって戦前になっていました。
説明がたるい!
勉学ばかりしているから(机の上の作戦計画しか立てられない)…今のロシア軍と一緒だよ。