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本当に[何処にでも]居ましたね。私奴は東京在住、毎日新宿駅、飯田町貨物駅で入れ替えに勤しむ姿を見ておりました。初期型が無くなり、後期型も、国鉄改革の影響をまともに受けて、何時しか無くなってしまいました。
実をいうとDD13のこと、馬鹿にしてました。小さくて力がなく、列車の先頭に立って走ることもない(一部線区では走っていましたが・・・)いま思うと、ディーゼル機関車の基礎を固め、そればかりか使いやすく安定した性能をもった「名車」だと気づいた次第です。
今から50年ほど前高校生のころ西ノ宮駅から尼崎駅まで通学していたのですが、尼崎駅に小さな貨物ヤードがあってDD13がいつも入れ替え作業をやってました。ほんと小さなヤードでしたが、突放したり転線したりとホームに近いところだったので学校の帰りによく見物してました。そのころの写真は一枚もなく今みたいにスマホなんかが、あったら動画や写真撮りまくっていたでしょうね。
自分は最初に親からもらったカメラが、今でも持っていますけども『オリンパス・ペンS』。ハーフサイズなので、そこら辺を撮りまわしていた記憶がありますよ。当時カラーフィルムはべらぼうに高かったので、いつも白黒フィルムでしたね。ネオパンSSとかSSSとか。ASA(ISO)100のもので。ただし露出とかシャッタースピードとかピントとかの意味を理解したのは、もっと後のことだったので、いつもピンボケ写真を量産していました。
私は写真を撮っても節約のため全部焼かず、ネガを見て厳選して焼き付けに出していました。いまディジタル化してみてはじめて大きなポジ画像を見ることも多く、こんな写真を撮っていたんだと再発見しています。
最後の蒸機が消えるころ生まれた人間ですが、一番好きなカマです。気動車に近い構造上、比較的軽度の入換等に使われてましたね。なんだかんだ注目されるDE10に対して、駅の隅っこや草生した臨港線がよく似合う地味なカマでした。DD51のように走り装置が2組あるのではなく2機関の出力を1基の逆転機で受ける構成なので空転に強く、変速機や台車の構造もシンプルです。国鉄以外の導入は限定的だったDE10に対し、最近までこれと近い構造で臨港線等向けに新造されてましたね。
DD13形と同型車はいまでも臨港鉄道などで活躍していますね。それだけ使いやすくて性能がよかったのでしょうね。
放出駅北側の竹中医院に小さい頃通っていたので、懐かしいですね。😢
放出駅には1970年頃よく訪ねました。片町線のC11、城東貨物線のD51,D52,C58、そしてDD13も姿を見せましたね。
@@tetsu-jiiji お会いしていたかも知れませんね。^^;
吹田機関区にD51を撮影に行った時に見たのが吹田操車場入れ替え用のDD13で結構居ましたね見学許可を事務所で受けてる時に乗務員2名と担当助役でしょうか入れ替え添乗前の点呼を受けていて機関車はDD13の何号機、懐中時計を出して今 何時何分何秒まで確認している姿はカッコ良く見えましたねあと城東貨物線でも軽量貨物の場合DD13が単機で貨物列車を牽引してる姿も見ました。
吹田操、城東貨物線。D51に混じってDD13もよく見かけましたね。
DD13は前照灯1灯でイコライザー台車の低出力初期型が好きです。途中で前照灯が1灯のまま高出力後期型のコイルバネ台車になったものは、残念ながら見たことがありません。試作車は江若鉄道にいましたね。標準軌に改造されて新幹線の保線基地にいたものは車窓からも見れました。そう考えると、なんだかいつでもどこでも見ることができた機関車だったんだなぁと思いますね。
私は初期型のDD13は模型でしか知りません。トミックスのNゲージを持っていました。関水のDD13に比べると走りが悪く、あまり走らせなかったです。
@@tetsu-jiiji さま。それはひょっとして、トミックスより前のナインスケールのときのものですか?そちらは持っていました。黄色い蓋付きケースだったのは覚えています。
そうです!ナインスケール。集電の不具合から、走りはいまいちでしたね。
@@tetsu-jiiji さま。わかります😁音ばっかりの製品でしたね。たしかあれは香港製でした🤭
ディーゼル機関車が煙をモクモク吐いてる蒸気機関車を牽引してる姿は凄いですね。比較的コンパクトで高性能という、技術革新の粋を集めたまさに名車ですね。
あの動画は放出駅で入換作業が終わったDD13を竜華へ回送する場面だと思います。それはさておき、小柄な車体で結構な重量を押したり引いたり、素晴らしい性能だと思います。
余談ですが、ミニカーのトミカでDD13(コレクションNo.17)が発売されていた時期があるんですよ。いまは廃盤ですが。
トミックスのDD13なら持っていました、前照灯1灯、イコライザ台車です。
昭和の入換機DD13と現在の入換機HD300、時代は違えどどちらも環境対策が考慮された上で導入されたのは共通していますね。
ハイブリッド機関車の時代になっても、DD13形は現役で活躍しているのは凄いですね。
ディーゼルがいかに便利なシロモノか、動画で見て一目瞭然です。
ディーゼル機関車がどんどん配属されている頃、蒸気機関車の撮影に夢中で、ディーゼル機関車を疎ましく思っていました。
DD13に似た車両は現在でも貨物専用鉄道線でも走っているようです。
自社発注機、国鉄から譲渡されたDD13、どちらも健在で元気に活躍していますね。
播但線でC11の牽く客車に乗ったが最後尾にDD13かDE10のどちらかがついていた。時刻表にSLマークがあったのでC11が本務機のはず。SL一筋だったのでDLには無関心でカメラを向ける事は無かった
SLを期待して行ったのにDLがくっついていたらガッカリします。後補機ならまだしも、先頭にDLがついていると絵になりませんね。
DD13は貨物の入れ換え用で、ほとんどは貨物列車を引っ張った。短い区間だと旅客列車を引っ張ることも一部にはあった。DD13が重連などで、ある程度の距離(100㎞前後)の旅客列車を引っ張ったケースは、房総線の普通列車、急行列車等の牽引が有名である。SG(暖房用蒸気発生装置)のないDD13でも、温暖な房総地方では大丈夫だと判断されたようだ。
急行列車を牽引していたとは、凄いです、SGなしでも大丈夫な地域・季節だったのでしょうが、DD13の性能の良さを買われたのでしょうね。
1969年の湊町駅はまだ非電化で蒸気機関車が来ていたことにも驚き😊
写真をディジタル化していて、当該写真のネガシートに記された日付を疑いましたよ。確かに1969年3月15日とメモされていました。
DD51→デラックスなデゴイチって出た当時は言われたって聞いた事があります。
よくできた機関車ですね。でも当時は蒸気機関車を駆逐していくのにあまりいい感情をもっていませんでした。
DD13といえば、江若の51と52の想い出が、強いですね。55年も経つのに!
別府鉄道でも活躍しましたね。
国鉄が動力近代化を進めると、蒸気機関車から電気とか内燃の操縦者に転換しなければならないから大変だったそうです。特に労使関係で……。機関助士廃止では国労と動労が猛反発しました。
機関助士廃止ではおおもめでしたね。荒れていました・・・
DD13とD52ではDD13が押してもらっているように見える
D51,D52のパワーの前にはDD13は非力でしたね。DF50すらD51に敵わなかったのですから。
大阪万博前年(1969年)の湊町駅に蒸気機関車が健在.国鉄本社による天王寺鉄道管理局の不遇な扱いに涙する😭
天鉄局は本社から冷遇されていたとは聞いています。JRになって国鉄本社と袂を分かつ時、お祭りのように派手に飾りつけをして祝ったそうですね。
本当に[何処にでも]居ましたね。
私奴は東京在住、毎日新宿駅、飯田町貨物駅で入れ替えに勤しむ姿を見ておりました。
初期型が無くなり、後期型も、国鉄改革の影響をまともに受けて、何時しか無くなってしまいました。
実をいうとDD13のこと、馬鹿にしてました。
小さくて力がなく、列車の先頭に立って走ることもない(一部線区では走っていましたが・・・)
いま思うと、ディーゼル機関車の基礎を固め、そればかりか使いやすく安定した性能をもった「名車」だと気づいた次第です。
今から50年ほど前高校生のころ西ノ宮駅から尼崎駅まで通学していたのですが、尼崎駅に小さな
貨物ヤードがあってDD13がいつも入れ替え作業をやってました。ほんと小さなヤードでしたが、
突放したり転線したりとホームに近いところだったので学校の帰りによく見物してました。
そのころの写真は一枚もなく今みたいにスマホなんかが、あったら動画や写真撮りまくっていた
でしょうね。
自分は最初に親からもらったカメラが、今でも持っていますけども『オリンパス・ペンS』。ハーフサイズなので、そこら辺を撮りまわしていた記憶がありますよ。
当時カラーフィルムはべらぼうに高かったので、いつも白黒フィルムでしたね。ネオパンSSとかSSSとか。ASA(ISO)100のもので。
ただし露出とかシャッタースピードとかピントとかの意味を理解したのは、もっと後のことだったので、いつもピンボケ写真を量産していました。
私は写真を撮っても節約のため全部焼かず、ネガを見て厳選して焼き付けに出していました。いまディジタル化してみてはじめて大きなポジ画像を見ることも多く、こんな写真を撮っていたんだと再発見しています。
最後の蒸機が消えるころ生まれた人間ですが、一番好きなカマです。
気動車に近い構造上、比較的軽度の入換等に使われてましたね。なんだかんだ注目されるDE10に対して、駅の隅っこや草生した臨港線がよく似合う地味なカマでした。
DD51のように走り装置が2組あるのではなく2機関の出力を1基の逆転機で受ける構成なので空転に強く、変速機や台車の構造もシンプルです。国鉄以外の導入は限定的だったDE10に対し、最近までこれと近い構造で臨港線等向けに新造されてましたね。
DD13形と同型車はいまでも臨港鉄道などで活躍していますね。それだけ使いやすくて性能がよかったのでしょうね。
放出駅北側の竹中医院に小さい頃通っていたので、懐かしいですね。😢
放出駅には1970年頃よく訪ねました。片町線のC11、城東貨物線のD51,D52,C58、そしてDD13も姿を見せましたね。
@@tetsu-jiiji お会いしていたかも知れませんね。^^;
吹田機関区にD51を撮影に行った時に見たのが
吹田操車場入れ替え用のDD13で結構居ましたね
見学許可を事務所で受けてる時に
乗務員2名と担当助役でしょうか
入れ替え添乗前の点呼を受けていて
機関車はDD13の何号機、懐中時計を出して今 何時何分何秒まで
確認している姿はカッコ良く見えましたね
あと城東貨物線でも軽量貨物の場合
DD13が単機で貨物列車を牽引してる姿も見ました。
吹田操、城東貨物線。D51に混じってDD13もよく見かけましたね。
DD13は前照灯1灯でイコライザー台車の低出力初期型が好きです。途中で前照灯が1灯のまま高出力後期型のコイルバネ台車になったものは、残念ながら見たことがありません。
試作車は江若鉄道にいましたね。標準軌に改造されて新幹線の保線基地にいたものは車窓からも見れました。そう考えると、なんだかいつでもどこでも見ることができた機関車だったんだなぁと思いますね。
私は初期型のDD13は模型でしか知りません。トミックスのNゲージを持っていました。関水のDD13に比べると走りが悪く、あまり走らせなかったです。
@@tetsu-jiiji さま。それはひょっとして、トミックスより前のナインスケールのときのものですか?そちらは持っていました。黄色い蓋付きケースだったのは覚えています。
そうです!ナインスケール。
集電の不具合から、走りはいまいちでしたね。
@@tetsu-jiiji さま。わかります😁音ばっかりの製品でしたね。たしかあれは香港製でした🤭
ディーゼル機関車が煙をモクモク吐いてる蒸気機関車を牽引してる姿は凄いですね。
比較的コンパクトで高性能という、技術革新の粋を集めたまさに名車ですね。
あの動画は放出駅で入換作業が終わったDD13を竜華へ回送する場面だと思います。それはさておき、小柄な車体で結構な重量を押したり引いたり、素晴らしい性能だと思います。
余談ですが、ミニカーのトミカでDD13(コレクションNo.17)が発売されていた時期があるんですよ。いまは廃盤ですが。
トミックスのDD13なら持っていました、前照灯1灯、イコライザ台車です。
昭和の入換機DD13と現在の入換機HD300、時代は違えどどちらも環境対策が考慮された上で導入されたのは共通していますね。
ハイブリッド機関車の時代になっても、DD13形は現役で活躍しているのは凄いですね。
ディーゼルがいかに便利なシロモノか、動画で見て一目瞭然です。
ディーゼル機関車がどんどん配属されている頃、蒸気機関車の撮影に夢中で、ディーゼル機関車を疎ましく思っていました。
DD13に似た車両は現在でも貨物専用鉄道線でも走っているようです。
自社発注機、国鉄から譲渡されたDD13、どちらも健在で元気に活躍していますね。
播但線でC11の牽く客車に乗ったが最後尾にDD13かDE10のどちらかがついていた。時刻表にSLマークがあったのでC11が本務機のはず。SL一筋だったのでDLには無関心でカメラを向ける事は無かった
SLを期待して行ったのにDLがくっついていたらガッカリします。
後補機ならまだしも、先頭にDLがついていると絵になりませんね。
DD13は貨物の入れ換え用で、ほとんどは貨物列車を引っ張った。短い区間だと旅客列車を引っ張ることも一部にはあった。
DD13が重連などで、ある程度の距離(100㎞前後)の旅客列車を引っ張ったケースは、房総線の普通列車、急行列車等の牽引が有名である。SG(暖房用蒸気発生装置)のないDD13でも、温暖な房総地方では大丈夫だと判断されたようだ。
急行列車を牽引していたとは、凄いです、SGなしでも大丈夫な地域・季節だったのでしょうが、DD13の性能の良さを買われたのでしょうね。
1969年の湊町駅はまだ非電化で蒸気機関車が来ていたことにも驚き😊
写真をディジタル化していて、当該写真のネガシートに記された日付を疑いましたよ。確かに1969年3月15日とメモされていました。
DD51→デラックスなデゴイチって出た当時は言われたって聞いた事があります。
よくできた機関車ですね。でも当時は蒸気機関車を駆逐していくのにあまりいい感情をもっていませんでした。
DD13といえば、江若の51と52の想い出が、強いですね。55年も経つのに!
別府鉄道でも活躍しましたね。
国鉄が動力近代化を進めると、蒸気機関車から電気とか内燃の操縦者に転換しなければならないから大変だったそうです。特に労使関係で……。
機関助士廃止では国労と動労が猛反発しました。
機関助士廃止ではおおもめでしたね。荒れていました・・・
DD13とD52ではDD13が押してもらっているように見える
D51,D52のパワーの前にはDD13は非力でしたね。DF50すらD51に敵わなかったのですから。
大阪万博前年(1969年)の湊町駅に蒸気機関車が健在.国鉄本社による天王寺鉄道管理局の不遇な扱いに涙する😭
天鉄局は本社から冷遇されていたとは聞いています。JRになって国鉄本社と袂を分かつ時、お祭りのように派手に飾りつけをして祝ったそうですね。