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これが出てきて一気に近代化しましたね!
@@リチャード 旧客→電車とひとっ飛びでガラッとかわりましたね
近代化はしたが、横須賀線の113系は昭和55年以降の車両が多くほとんどが新製冷房車であったのだから地方が下に見られているという捉え方もできます。私は心底腹が立ちましたけどねこの福知山電化時は
当時は電化が嬉しくて嬉しくて(^^)北近畿号がカッコよくて!福知山色電車も新鮮で!子供だったから内情は知る由もなかったですが、みんなどこかのお古ばかり。むりやり感ありありの運用でした(^^)懐鉄福知山色の一番電車を見に行きました。やっぱり嬉しかったです(^^)
@@user-iu3pq9cm9i 僕にとっては旧客を追いやった張本人なので好きでは無かったのですが、復活塗装を見た時は、旧客から見ていた試運転の様子を思い出し乗りたいと思いました。前日まで旧客のデッキにいてた高校生らが113件のドア付近に集まっており所在なげな様子が思い出されます。
ガッカリだったのが、関西圏のお下がりを横流しされたことです。湖西線だって関西本線だって、113系は新製冷房車とシートピッチ拡大車です。長野鉄道管理局と新潟鉄道管理局は115系1000番台という新車をそのまま導入されていますし、伯備線だって普通列車は115系1000番台の新製冷房車でした、このやり方は当時批判しあまりにも地方を下に見ていると怒ったものです。新潟や長野はなんで新車用意されてるのに福知山は老朽車なんだって。旧客の置き換えという名目なら、旧客レベルに車内環境が良くなったシートピッチ拡大車の2700番台を入れるべきでしょうが。それなのに用意された車両は0番台の改造車で冷房も無し。これじゃ怒る人がいて当然です。そりゃそうです旧客とシートピッチが変わらないのに車両は古いんですから。
福知山線って確か2005年の脱線事故から運用再開以降、一時期は湘南色、カフェオレ色、小浜色、阪和色等と様々なカラーリングの113系が各地から集められて運用に就いてましたね。それから、平成生まれの自分にとって、福知山線で一番印象に残るのが通称”サンパチ”こと113系3800番台。
113系になってからは避けるようにしていたので、カラーが変わったのもあまり意識してませんでした。カフェオレ色の時代が長かったように思います。ただ、嫌いだった800番代も復活色を見ると当時を思い出します。旧客の中から試運転を見ていた頃を。
この塗色とボロボロになって流れ着いた車両は城崎電化の負の象徴です。紀勢本線新宮電化時のように客車列車の機関車だけDLからELに換えるだけで十分だった気がしますし、山陰本線へ直通する中長距離列車はそのまま継続するべきでした。もっと言えば篠山口以北は電化設備も持て余す事になったので、山陰本線が国鉄時代に伯耆大山以東電化出来なかった以上は電化は三田周辺で押し止めるべきでした。三田周辺までなら都市近郊として電車を国電ダイヤで動かす意味は有りますが、乗客が急減する三田以北は現状でも殆ど意味が有りません。1980年代後半になるとディーゼルカーの性能が飛躍的に向上するので優等列車でもわざわざ電車化する意味が薄れました。中途半端な城崎電化によって城崎で列車ネットワークが分断され山陰本線非電化区間の存廃に関わる事態に直結したのが悔やまれます。
一気に城崎で列車の系統分割をしてしまい、申し訳程度にエーデル鳥取を運転していましたね。あの改正で国鉄体制は終わったと思いっています
僕は伯備線との待遇の違いに心底落胆しました。伯備線は地元自治体の協力があって電化された為、その見返りとして特急列車と普通列車の新車を貰えました。それが381系と115系1000番台です。この113系800番台よりも20年近く新しい車両でした。しかし城崎電化の時に用意された113系は関西圏で使われていた最若番の113系で元は111系置き換えの為に横須賀線に配置された車両でした。同じ頃関東の横須賀線で活躍していた113系は1500番台と1000'番台でどちらも昭和47年と昭和55年に作られた113系でありこちらも城崎電化時に用意された113系よりも10年以上新しい車両です。何を言いたいかと言うと、地元自治体がお金を出す出さないで新車を入れるか考えるというのが国鉄本社の考えだったという事です。
その観点はなかったです。今のように地元が金を出す例もあったのですね。福知山線電化は国鉄末期で黒字転換したものの、緊縮だったので古い113にになったのでは?と思いました。しかも必要両数も足りてませんでしたし。大阪口を無理やり20分ベットにして「国電並み」のダイヤになったと宣伝してましたね。客車時代も通勤時間帯は1時間二本くらいあったので輸送力でみたら昔のほうがマシだと思いました。
伯備線と同じ時期に電化していたら。381特急用、ローカル115.1000新車投入していました。タイミング悪く。国鉄末期の超緊縮財政化。もう絞れない雑巾を絞りに絞り。なけなしのおカネで捻出した車両たち、非冷房車の冷房化の予算すら捻出出来なくて、サービスダウンの招きました
地元が電化化あるいは。新線開業用の民友車両を発注したとしても必ずしも。電化。新線。優等増発で。地方路線ではなく、首都圏に新車投入して。そのお古を地方路線の民友車両発注元に投入する線区はアチコチにありました。ピクトリアル 車両履歴書の投入予算名義を見ると分かります
@@松本宣宏 試運転の2両を見て「試運転だから2両」と思ってたひとも多かったのでは?と思います。電化をお知らせするポスターの電車の絵も1両目と2両目の境目は書いてましたがそのあとは流し撮りのように流れていて何両編成かわからないような絵だったように記憶してます
お疲れ様です。最近復刻塗装が出てきて話題になってますが、個人的に福知山線は電化前しか興味無いので、あまり関心ありませんね…
@@fukagawadoor12 復刻塗装がでたので写真をみてたのですが、Hゴムじゃ無いなど違いが気になったので、昔撮ってなかったか探してみました。ぼくも全然興味が湧いてなかったのでたったこれだけでした。
これが出てきて一気に近代化しましたね!
@@リチャード 旧客→電車とひとっ飛びでガラッとかわりましたね
近代化はしたが、横須賀線の113系は昭和55年以降の車両が多くほとんどが新製冷房車であったのだから地方が下に見られているという捉え方もできます。私は心底腹が立ちましたけどねこの福知山電化時は
当時は電化が嬉しくて嬉しくて(^^)北近畿号がカッコよくて!
福知山色電車も新鮮で!
子供だったから内情は知る由もなかったですが、みんなどこかのお古ばかり。むりやり感ありありの運用でした(^^)懐鉄福知山色の一番電車を見に行きました。やっぱり嬉しかったです(^^)
@@user-iu3pq9cm9i 僕にとっては旧客を追いやった張本人なので好きでは無かったのですが、復活塗装を見た時は、旧客から見ていた試運転の様子を思い出し乗りたいと思いました。
前日まで旧客のデッキにいてた高校生らが113件のドア付近に集まっており所在なげな様子が思い出されます。
ガッカリだったのが、関西圏のお下がりを横流しされたことです。湖西線だって関西本線だって、113系は新製冷房車とシートピッチ拡大車です。長野鉄道管理局と新潟鉄道管理局は115系1000番台という新車をそのまま導入されていますし、伯備線だって普通列車は115系1000番台の新製冷房車でした、このやり方は当時批判しあまりにも地方を下に見ていると怒ったものです。新潟や長野はなんで新車用意されてるのに福知山は老朽車なんだって。旧客の置き換えという名目なら、旧客レベルに車内環境が良くなったシートピッチ拡大車の2700番台を入れるべきでしょうが。それなのに用意された車両は0番台の改造車で冷房も無し。これじゃ怒る人がいて当然です。そりゃそうです旧客とシートピッチが変わらないのに車両は古いんですから。
福知山線って確か2005年の脱線事故から運用再開以降、一時期は湘南色、カフェオレ色、小浜色、阪和色等と様々なカラーリングの113系が各地から集められて運用に就いてましたね。それから、平成生まれの自分にとって、福知山線で一番印象に残るのが通称”サンパチ”こと113系3800番台。
113系になってからは避けるようにしていたので、カラーが変わったのもあまり意識してませんでした。
カフェオレ色の時代が長かったように思います。
ただ、嫌いだった800番代も復活色を見ると当時を思い出します。旧客の中から試運転を見ていた頃を。
この塗色とボロボロになって流れ着いた車両は城崎電化の負の象徴です。
紀勢本線新宮電化時のように客車列車の機関車だけDLからELに換えるだけで十分だった気がしますし、
山陰本線へ直通する中長距離列車はそのまま継続するべきでした。
もっと言えば篠山口以北は電化設備も持て余す事になったので、
山陰本線が国鉄時代に伯耆大山以東電化出来なかった以上は電化は三田周辺で押し止めるべきでした。
三田周辺までなら都市近郊として電車を国電ダイヤで動かす意味は有りますが、
乗客が急減する三田以北は現状でも殆ど意味が有りません。
1980年代後半になるとディーゼルカーの性能が飛躍的に向上するので優等列車でもわざわざ電車化する意味が薄れました。
中途半端な城崎電化によって城崎で列車ネットワークが分断され山陰本線非電化区間の存廃に関わる事態に直結したのが悔やまれます。
一気に城崎で列車の系統分割をしてしまい、申し訳程度にエーデル鳥取を運転していましたね。
あの改正で国鉄体制は終わったと思いっています
僕は伯備線との待遇の違いに心底落胆しました。伯備線は地元自治体の協力があって電化された為、その見返りとして特急列車と普通列車の新車を貰えました。それが381系と115系1000番台です。この113系800番台よりも20年近く新しい車両でした。しかし城崎電化の時に用意された113系は関西圏で使われていた最若番の113系で元は111系置き換えの為に横須賀線に配置された車両でした。同じ頃関東の横須賀線で活躍していた113系は1500番台と1000'番台でどちらも昭和47年と昭和55年に作られた113系でありこちらも城崎電化時に用意された113系よりも10年以上新しい車両です。何を言いたいかと言うと、地元自治体がお金を出す出さないで新車を入れるか考えるというのが国鉄本社の考えだったという事です。
その観点はなかったです。今のように地元が金を出す例もあったのですね。
福知山線電化は国鉄末期で黒字転換したものの、緊縮だったので古い113にになったのでは?と思いました。
しかも必要両数も足りてませんでしたし。
大阪口を無理やり20分ベットにして「国電並み」のダイヤになったと宣伝してましたね。
客車時代も通勤時間帯は1時間二本くらいあったので輸送力でみたら昔のほうがマシだと思いました。
伯備線と同じ時期に電化していたら。381特急用、ローカル115.1000新車投入していました。タイミング悪く。国鉄末期の超緊縮財政化。もう絞れない雑巾を絞りに絞り。なけなしのおカネで捻出した車両たち、非冷房車の冷房化の予算すら捻出出来なくて、サービスダウンの招きました
地元が電化化あるいは。新線開業用の民友車両を発注したとしても必ずしも。電化。新線。優等増発で。地方路線ではなく、首都圏に新車投入して。そのお古を地方路線の民友車両発注元に投入する線区はアチコチにありました。ピクトリアル 車両履歴書の投入予算名義を見ると分かります
@@松本宣宏 試運転の2両を見て「試運転だから2両」と思ってたひとも多かったのでは?と思います。
電化をお知らせするポスターの電車の絵も1両目と2両目の境目は書いてましたがそのあとは流し撮りのように流れていて何両編成かわからないような絵だったように記憶してます
お疲れ様です。
最近復刻塗装が出てきて話題になってますが、個人的に福知山線は電化前しか興味無いので、あまり関心ありませんね…
@@fukagawadoor12 復刻塗装がでたので写真をみてたのですが、Hゴムじゃ無いなど違いが気になったので、昔撮ってなかったか探してみました。
ぼくも全然興味が湧いてなかったのでたったこれだけでした。