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案内された方の説明の上手さに感心。ただ者ではないレベル。
興味深いお話でした。滋賀県は古墳時代には渡来人が住んでいたこともあり、ミニチュア竈やオンドルの痕跡が出土します。また有史時代にも、特に湖北地域においては独特な信仰形態があったらしく、千「足」観音像や向源寺式十一面観音像など変わった仏像が祀られていたりします。そういった地域性を鑑みると、今回のような独特な文化が育まれていても不思議ではないような気がします。寒暖差の激しい折どうぞご自愛の上、次回の動画も楽しみにしています。
配信、ありがとうございます😊今回は久しぶりの滋賀県ということで楽しみにしてました。朝廷を追われた皇子と木地師の始まりの物語。弟宮の清和天皇の想いと、惟喬親王の19年の歳月の間に至られた境地。そして全国に繋がっていった木地師たちのコミュニティ。あのお社の神々しささえ感じられる佇まい。惟喬親王から1000年以上繋がっている、木地師たちの想いが伝わってきます。感動しました。オカヤスさんとアンドウさん、いつもながら地元の方々への敬意を込めた取材、ありがとうございました。これからもご安全に。
ちょうど木地師に興味がわいたタイミングでこの動画は本当に有難い
ありがとうございます!
木地師から国歌の歴史まで深掘りされて勉強になりました。それにしても凄い解説者見つけましたね😮
私の住んでいる地域には、「〇〇木地」という名前の集落が2か所あります。離れた地域にも木地の名が付く集落があります。そこには、小椋性がとても多いんです。ルーツなんですね。繋がっているんだと感じます。
案内をされていた方の説明もわかりやすく、とても良い興味深い内容で良い勉強をさせていただきました。暑い季節はお二人の活動もままならないですね。配信を楽しみにしています。
君が畑は子供の頃永源寺ダム上流で遊びに連れて行った貰い親に車で足を伸ばしました😊昭和50年頃はまだ学校に子供がおり人も車も有って地場の仕事が行われておりました😊こんな由緒正しい場所だとは知りませんでした😮
君が代のお話は知りませんでした。動画の中でも言われていたように一説なんでしょうけども歴史を感じるお話でした。懐かしさを感じる風景にも癒されました。日本がいかに山林に密接に関わってきたか感じました。
historicaのオカヤスさん・アンドウさんこんばんは~お久しぶりです。木地師ふるさと交流館という素晴らしい場所があるんですね~展示してあるものみてるうだけでも勉強になりますね。交流館のお話も心に沁みるものがあり君ヶ畑は素晴らしいところなんだと思いました。君が代の発祥地でもあるんですね~素晴らしい取材の配信ありがとうございました。
菊のごもんのごしょにびっくり😊そして、やはり神社の佇まい❤素敵でしたね🎵さざれ石❗️historicaさんと一緒にお話しを伺っているようで、とても心にひびきます自分の両親が宮城県出身なので、昔から鳴子コケシなど身近にあり、木地師のご先祖が尊い方と言うのはうっすらと耳にした覚えがありますあらら~リクエストを思いつきました❗️(^_^)/ついでにこちらに書き込み失礼します私の父方の名字が小松で、宮城県古川市岩出山?の小野田という山里がルーツだそうです(自分は行ったことはありませんが)平家のおちうど伝説があるとか。そんな話があるのね、ふーん(-.-)という感じでしたが、ふとどんなとこかな?と思うようになりました。historicaさんが以前、廃村の平家のおちうどの里を訪れていたので、よろしければみちのくも是非!と存じます🌸
お疲れ様でした😊楽しみにして待ってました😁👍
更新待ってました!やっぱりナレーターの方の声好きすぎる🍑
待ってました!長かったあ。
44:00 気になる骨盤のゆがみ(余談アワー)お久しぶりです、東近江のお散歩って楽しいですよね!
100万回再生を記念してコメダ珈琲代に!
すこし間空きましたね!
藤原定勝の歌が「我が君」なのにそれを伝える地域が「君が代」の名を冠するとは権力者の闇を感じますね。木地師の文化はそれに続く伝統的「漆塗りに繋がる大切な文化、きっちりと調査して必要ならば国として発展・継続の施策として取り組みを進めて欲しいですね。
historicaさんの動画、待ちに待っていました!それまでは、過去の動画をひたすら再訪しつつ、この日をお待ちしておりました。惟喬親王というご存在は今まで全く知りませんでした。日本の伝統文化を下支えした、素晴らしい人々がいたのだな、と感銘を受けました。これからも動画を楽しみにしています。たまに醤油壺も出てくるといいな〜🎵
竹田恒泰先生にも聞いてほしいな
サンカ民族とか簡単に語る人らが居るが特に鈴鹿山系ではありえない話で、昔の山間部は豊かで修験道だけでなく、鉱山・砂鉄採取・炭焼き・木地師山間を歩けば、埋もれた石垣を目にするし、石垣が無くても人為的にならされた土地に礎石を見つけることが出来る運が良ければ鉄器に出会う山で暮らすには高度な技術知識が必要で計画性も必要であり、そう言うのを度外視する事は出来ないし平野部の集落と密な関係も求められてくる(山を荒らせば簡単に戦になるからだ)こういう取材を見ると、如何に昔の山間部の人々の暮らしが普通だったかを教えてくれる。先日京都のホテルで食事を頂く機会があった、デンマークのレストランが臨時営業されていて、クルミの木の皮細工などの器を多用されていた。それらは、山間で暮らす日本人が、山で材料を採取し作っているものだがその値打ちを海外の人の方が評価し始めえてる事は興味深い。
これが本当の多様性だ、と思いました。
9:15 木地師の特権っていうのは朱雀天皇の綸旨と呼ばれる木の伐採許可書なんだけれども筒井八幡宮の宮司さんが偽造したものであることが確定してるんだよね
案内された方の説明の上手さに感心。ただ者ではないレベル。
興味深いお話でした。
滋賀県は古墳時代には渡来人が住んでいたこともあり、ミニチュア竈やオンドルの痕跡が出土します。
また有史時代にも、特に湖北地域においては独特な信仰形態があったらしく、千「足」観音像や向源寺式十一面観音像など変わった仏像が祀られていたりします。
そういった地域性を鑑みると、今回のような独特な文化が育まれていても不思議ではないような気がします。
寒暖差の激しい折どうぞご自愛の上、次回の動画も楽しみにしています。
配信、ありがとうございます😊
今回は久しぶりの滋賀県ということで楽しみにしてました。
朝廷を追われた皇子と木地師の始まりの物語。弟宮の清和天皇の想いと、惟喬親王の19年の歳月の間に至られた境地。
そして全国に繋がっていった木地師たちのコミュニティ。
あのお社の神々しささえ感じられる佇まい。惟喬親王から1000年以上繋がっている、木地師たちの想いが伝わってきます。
感動しました。
オカヤスさんとアンドウさん、いつもながら地元の方々への敬意を込めた取材、ありがとうございました。
これからもご安全に。
ちょうど木地師に興味がわいたタイミングでこの動画は本当に有難い
ありがとうございます!
木地師から国歌の歴史まで深掘りされて勉強になりました。
それにしても凄い解説者見つけましたね😮
私の住んでいる地域には、「〇〇木地」という名前の集落が2か所あります。離れた地域にも木地の名が付く集落があります。
そこには、小椋性がとても多いんです。
ルーツなんですね。繋がっているんだと感じます。
案内をされていた方の説明もわかりやすく、とても良い興味深い内容で良い勉強をさせていただきました。暑い季節はお二人の活動もままならないですね。配信を楽しみにしています。
君が畑は子供の頃永源寺ダム上流で遊びに連れて行った貰い親に車で足を伸ばしました😊
昭和50年頃はまだ学校に子供がおり人も車も有って地場の仕事が行われておりました😊
こんな由緒正しい場所だとは知りませんでした😮
君が代のお話は知りませんでした。動画の中でも言われていたように一説なんでしょうけども歴史を感じるお話でした。懐かしさを感じる風景にも癒されました。日本がいかに山林に密接に関わってきたか感じました。
historicaのオカヤスさん・アンドウさんこんばんは~
お久しぶりです。木地師ふるさと交流館という素晴らしい場所があるんですね~
展示してあるものみてるうだけでも勉強になりますね。
交流館のお話も心に沁みるものがあり君ヶ畑は素晴らしいところなんだと思いました。
君が代の発祥地でもあるんですね~素晴らしい取材の配信ありがとうございました。
菊のごもんのごしょにびっくり😊そして、やはり神社の佇まい❤素敵でしたね🎵さざれ石❗️historicaさんと一緒にお話しを伺っているようで、とても心にひびきます
自分の両親が宮城県出身なので、昔から鳴子コケシなど身近にあり、木地師のご先祖が尊い方と言うのはうっすらと耳にした覚えがあります
あらら~リクエストを思いつきました❗️(^_^)/ついでにこちらに書き込み失礼します
私の父方の名字が小松で、宮城県古川市岩出山?の小野田という山里がルーツだそうです(自分は行ったことはありませんが)
平家のおちうど伝説があるとか。そんな話があるのね、ふーん(-.-)という感じでしたが、ふとどんなとこかな?と思うようになりました。historicaさんが以前、廃村の平家のおちうどの里を訪れていたので、よろしければみちのくも是非!と存じます🌸
お疲れ様でした😊楽しみにして待ってました😁👍
更新待ってました!
やっぱりナレーターの方の声好きすぎる🍑
待ってました!長かったあ。
44:00 気になる骨盤のゆがみ(余談アワー)
お久しぶりです、東近江のお散歩って楽しいですよね!
100万回再生を記念してコメダ珈琲代に!
すこし間空きましたね!
藤原定勝の歌が「我が君」なのにそれを伝える地域が「君が代」の名を冠するとは権力者の闇を感じますね。
木地師の文化はそれに続く伝統的「漆塗りに繋がる大切な文化、きっちりと調査して必要ならば国として発展・継続の施策として取り組みを進めて欲しいですね。
historicaさんの動画、待ちに待っていました!それまでは、過去の動画をひたすら再訪しつつ、この日をお待ちしておりました。惟喬親王というご存在は今まで全く知りませんでした。日本の伝統文化を下支えした、素晴らしい人々がいたのだな、と感銘を受けました。これからも動画を楽しみにしています。たまに醤油壺も出てくるといいな〜🎵
竹田恒泰先生にも聞いてほしいな
サンカ民族とか簡単に語る人らが居るが
特に鈴鹿山系ではありえない話で、昔の山間部は豊かで
修験道だけでなく、鉱山・砂鉄採取・炭焼き・木地師
山間を歩けば、埋もれた石垣を目にするし、石垣が無くても人為的にならされた土地に礎石を見つけることが出来る
運が良ければ鉄器に出会う
山で暮らすには高度な技術知識が必要で計画性も必要であり、そう言うのを度外視する事は出来ないし
平野部の集落と密な関係も求められてくる(山を荒らせば簡単に戦になるからだ)
こういう取材を見ると、如何に昔の山間部の人々の暮らしが普通だったかを教えてくれる。
先日京都のホテルで食事を頂く機会があった、デンマークのレストランが臨時営業されていて、クルミの木の皮細工などの器を多用されていた。それらは、山間で暮らす日本人が、山で材料を採取し作っているものだが
その値打ちを海外の人の方が評価し始めえてる事は興味深い。
これが本当の多様性だ、と思いました。
9:15 木地師の特権っていうのは朱雀天皇の綸旨と呼ばれる木の伐採許可書なんだけれども筒井八幡宮の宮司さんが偽造したものであることが確定してるんだよね