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私が中学生の頃に大人気の🐴でした❗歌もよくかかっていましたね🎵高度成長期で時代が変わる時、競馬界も芸能界もアイドルという方が沢山出て来ました👏この時代人も🐴も一生懸命走ってましたね👍今みたいに何も無かったけど楽しかったな
井崎センセは本当に嬉しそうに外した思い出を語るよなあグッドルーザーとはまさにこれ
必ず上位にくるハイセイコーは やはり強い馬だ
顔も体もどこを走ってるか、すぐ見分けることができる、ほんと、大衆的な風貌をしてた。
あと200しかないよ
あれだけ内お走ってあの位置から勝つんだから乗り役増沢さんハイセイコー息が合ってるね😢
この日16万人以上入ったんだよね、、、凄い
盛山アナが『ハイセイコーあと200しかないよ!出てきた出てきた黄色いボーイ』とかデュクタボーイという馬差してきたけど、黄色い帽子を言い間違えてたのが笑えた。
競馬の長い歴史の中で強かったウマは数百頭といる、競走馬である時間が短いが故、人のスポーツや格闘技などと比べて、競走馬には強い馬が多すぎる・・・最強場論争に出てくるだけでも20数頭はいる・・・だが、アイドル馬は誰?ってのは論争にはならない。だってそう言えるのは、このハイセイコーとオグリキャップの2頭しかいないからである。この2頭の共通点は地方で無敵、そして中央に上がり、中央の猛者たちに連戦連勝したことである。だれも田舎者が勝つとは思っていなかった。それを覆したことが人気になったと思う。小さなときに父が必死に馬券を買いに行ったのを覚えている、そうハイセイコーの馬券である。売り場に連れていかれた小さな私に父は一所懸命に説明した。”こいつがハイセイコーだ、こいつが一番強いのだと・・・”ハイセイコーは歌まであった。私の人生で一番初めに覚えた競走馬それがハイセイコーである。そんな、私も田舎者・・・ハイセイコーとオグリキャップは今でも大好きです。
ハイセイコー陣営は東京開催の東京4歳S(現共同通信杯)から中央デビューさせたかったんですが手続きの僅かな遅れで東京開催からデビュー出来なかったんです。ハイセイコーが初めて経験する左回りに対応出来るのか試走の意味合いも込めてね。NHK杯では辛勝したもののあまりのフィーバーが為にその辺の懸念が影に隠れしまったようです。完敗したダービー以降彼は東京開催未勝利でした。でも勝っても負けても当時のファンは地方から這い上がってきたハイセイコーにシンパシーを感じていたのも事実。十数年後ハイセイコーと負けず劣らず人気者だったオグリキャップの全盛期にハクタイセイやサンドピアリス、ケリーバッグなど彼の産駒がG1レースで大活躍しましたものね。ハイセイコー、オグリキャップこのアイドルホースの両雄を凌駕するサラブレッドは自分の目の黒いうちは出てこないと思います。
ハイセイコーは元祖アイドルホースです。
ハイセイコーは時代を背負って走った馬です。強い弱い関係ないです。記録より記憶に残る馬です。
ハイセイコー強い🎉!素晴らしい!
こんなんでよく菊花賞鼻差の2着になれたよなぁ。
2:03 あと200しかないよ?
弥生賞・スプリングS・皐月賞・NHK杯そして日本ダービーと使いすぎだよね
ただ当時は有力馬でもこういうローテはあまり珍しくなかったんだ。
本当ですね。使えるレースに全部走ってますもね。せめて、弥生賞かスプリングどちらかですよね。
@@よしろうしんた さん当時は、賞金やトライアルによるシードが無かったし何より弥生賞が、中央初出走だったからね。
今のように2歳(当時は3歳)で賞金を確保して、ぶっつけ本番で皐月賞に臨むという発想はなかったことでしょう。
ビゼンニシキ(シンボリルドルフのライバル)も、共同通信杯4歳S・弥生賞・スプリングS・皐月賞・NHK杯・東京優駿のローテでした。昭和の時代はむしろこれが普通な感じもしますね。
井崎この時何歳?格好良いな😃
@@penjincho6149 あざます🙇
@@penjincho6149 そんなわけない。このビデオ持ってたけど発売されたのは90年代だと思う。だからこの時の井崎は40代後半ぐらいだろう。
ここで頑張っちゃったからダービーで使う為のお釣りがなくなっちゃったんだよなぁ。距離適性もあったけど。
やっぱり中距離では強いわ。
ダービーよりこのNHK杯の方が入場者数が多かった。平成2年に破られるまで記録だった。
うちの親はこの時ハイセイコーについて「あれ?こんなもん?」と思ったと言ってたな。
ハイセイコーの調教師が、、NHK杯がひとつ余計だったとハッキリ言ってましたね😂🙏あれがなければ或いは勝てたかも!‼️ とも述べられてました💦タラレバとはいえ. . そうだったんだ..との思いが・・
勿論 ダービー
皐月賞馬がダービーの前に一戦するなんて現在では考えられないですね。
のちの2冠馬、カブラヤオーもNHK杯を制してる。Later two-crowned horse, Kaburaya O, also won the NHK-Hai.
このレース使わなかったら、ダービーで3着に負ける事は・・・。
ハイセイコーは2000m以内であれば12戦10勝2着2回。2400m以上の場合未勝利。ハイセイコーは典型的な2000m迄の馬。なので、ハイセイコーが2400mのダービーに勝利することは元々極めて困難であった。一方、ライバルのタケホープは典型的なステイヤーだったため、2400m~3000m超が適正距離だった。
追い出しが遅かったから、ダービーは早仕かけ。もっと大事に乗っていたら。それでもタケホープと接戦して2着か。
ハイセイコーがここで惜敗していたらダービーは勝てたような気がするなあ。
あと100㎡しかないよー
ハイセイコーに肩入れしまくり笑時代ですね
黄色いボーイ😮
強いだけならスーパーホースなの。脆さ弱さがあるからアイドルホースなの。50年も前の馬に愚痴を言っても仕方がない。でも青雲賞の勝ちタイムは名前が変わっても50年間やぶられていないもんなあ。50年間破られていないとは。
今の現代競馬だったら一流馬がこんなローテーション使うなんてありえないな。休養明けでGⅠ使う馬も多いからね。
危なっかしい勝ち方 笑
危なかしいってより難しい勝ち方をしたって感じ。こんな勝ち方が出来るなら強いと見るべきか、こうなったのは大した事ないと見るのか難しいレース。
ハイセーコーの名前は知ってるが…⛄
退場です
弱い。オグリに比べて終盤の迫力がまるでない。オグリ時代のうまでは、ヤエノムテキよりちょっと劣るぐらいか?オグリはもちろん、タマモクロス、イナリワン、スーパークリークよりはるかに下
私が中学生の頃に大人気の🐴でした❗
歌もよくかかっていましたね🎵
高度成長期で時代が変わる時、競馬界も芸能界もアイドルという方が沢山出て来ました👏
この時代人も🐴も一生懸命走ってましたね👍
今みたいに何も無かったけど楽しかったな
井崎センセは本当に嬉しそうに外した思い出を語るよなあ
グッドルーザーとはまさにこれ
必ず上位にくるハイセイコーは やはり強い馬だ
顔も体もどこを走ってるか、すぐ見分けることができる、ほんと、大衆的な風貌をしてた。
あと200しかないよ
あれだけ内お走ってあの位置から勝つんだから乗り役増沢さんハイセイコー息が合ってるね😢
この日16万人以上入ったんだよね、、、凄い
盛山アナが『ハイセイコーあと200しかないよ!
出てきた出てきた黄色いボーイ』とかデュクタボーイという馬差してきたけど、黄色い帽子を言い間違えてたのが笑えた。
競馬の長い歴史の中で強かったウマは数百頭といる、競走馬である時間が短いが故、人のスポーツや格闘技などと比べて、競走馬には強い馬が多すぎる・・・最強場論争に出てくるだけでも20数頭はいる・・・
だが、アイドル馬は誰?ってのは論争にはならない。だってそう言えるのは、このハイセイコーとオグリキャップの2頭しかいないからである。
この2頭の共通点は地方で無敵、そして中央に上がり、中央の猛者たちに連戦連勝したことである。だれも田舎者が勝つとは思っていなかった。それを覆したことが人気になったと思う。
小さなときに父が必死に馬券を買いに行ったのを覚えている、そうハイセイコーの馬券である。売り場に連れていかれた小さな私に父は一所懸命に説明した。”こいつがハイセイコーだ、こいつが一番強いのだと・・・”ハイセイコーは歌まであった。私の人生で一番初めに覚えた競走馬それがハイセイコーである。そんな、私も田舎者・・・ハイセイコーとオグリキャップは今でも大好きです。
ハイセイコー陣営は
東京開催の東京4歳S(現共同通信杯)から
中央デビューさせたかったんですが
手続きの僅かな遅れで
東京開催からデビュー出来なかったんです。
ハイセイコーが初めて経験する
左回りに対応出来るのか
試走の意味合いも込めてね。
NHK杯では辛勝したものの
あまりのフィーバーが為に
その辺の懸念が影に隠れしまった
ようです。
完敗したダービー以降
彼は東京開催未勝利でした。
でも勝っても負けても
当時のファンは
地方から這い上がってきた
ハイセイコーに
シンパシーを感じていたのも事実。
十数年後
ハイセイコーと負けず劣らず
人気者だったオグリキャップの全盛期に
ハクタイセイやサンドピアリス、
ケリーバッグなど
彼の産駒がG1レースで
大活躍しましたものね。
ハイセイコー、オグリキャップ
このアイドルホースの両雄を
凌駕するサラブレッドは
自分の目の黒いうちは
出てこないと思います。
ハイセイコーは元祖アイドルホースです。
ハイセイコーは時代を背負って走った馬です。強い弱い関係ないです。
記録より記憶に残る馬です。
ハイセイコー強い🎉!素晴らしい!
こんなんでよく菊花賞鼻差の2着になれたよなぁ。
2:03 あと200しかないよ?
弥生賞・スプリングS・皐月賞・NHK杯そして日本ダービーと使いすぎだよね
ただ当時は有力馬でもこういうローテはあまり珍しくなかったんだ。
本当ですね。使えるレースに全部走ってますもね。せめて、弥生賞かスプリングどちらかですよね。
@@よしろうしんた さん
当時は、賞金やトライアルによるシードが無かったし
何より弥生賞が、中央初出走だったからね。
今のように2歳(当時は3歳)で賞金を確保して、ぶっつけ本番で皐月賞に臨むという発想はなかったことでしょう。
ビゼンニシキ(シンボリルドルフのライバル)も、共同通信杯4歳S・弥生賞・スプリングS・皐月賞・NHK杯・東京優駿のローテでした。
昭和の時代はむしろこれが普通な感じもしますね。
井崎この時何歳?格好良いな😃
@@penjincho6149 あざます🙇
@@penjincho6149
そんなわけない。
このビデオ持ってたけど発売されたのは90年代だと思う。
だからこの時の井崎は40代後半ぐらいだろう。
ここで頑張っちゃったからダービーで使う為のお釣りがなくなっちゃったんだよなぁ。距離適性もあったけど。
やっぱり中距離では強いわ。
ダービーよりこのNHK杯の方が入場者数が多かった。平成2年に破られるまで記録だった。
うちの親はこの時ハイセイコーについて「あれ?こんなもん?」と思ったと言ってたな。
ハイセイコーの調教師が、、NHK杯がひとつ余計だったとハッキリ言ってましたね😂🙏
あれがなければ或いは勝てたかも!‼️ とも述べられてました💦
タラレバとはいえ. . そうだったんだ..との思いが・・
勿論 ダービー
皐月賞馬がダービーの前に一戦するなんて現在では考えられないですね。
のちの2冠馬、カブラヤオーもNHK杯を制してる。
Later two-crowned horse, Kaburaya O, also won the NHK-Hai.
このレース使わなかったら、ダービーで3着に負ける事は・・・。
ハイセイコーは2000m以内であれば12戦10勝2着2回。
2400m以上の場合未勝利。
ハイセイコーは典型的な2000m迄の馬。
なので、ハイセイコーが2400mのダービーに勝利することは元々極めて困難であった。
一方、ライバルのタケホープは典型的なステイヤーだったため、2400m~3000m超が適正距離だった。
追い出しが遅かったから、ダービーは早仕かけ。
もっと大事に乗っていたら。
それでもタケホープと接戦して2着か。
ハイセイコーがここで惜敗していたらダービーは勝てたような気がするなあ。
あと100㎡しかないよー
ハイセイコーに肩入れしまくり笑
時代ですね
黄色いボーイ😮
強いだけならスーパーホースなの。
脆さ弱さがあるからアイドルホースなの。50年も前の馬に愚痴を言っても仕方がない。でも青雲賞の勝ちタイムは名前が変わっても50年間やぶられていないもんなあ。50年間破られていないとは。
今の現代競馬だったら一流馬がこんなローテーション使うなんてありえないな。休養明けでGⅠ使う馬も多いからね。
危なっかしい勝ち方 笑
危なかしいってより難しい勝ち方をしたって感じ。
こんな勝ち方が出来るなら強いと見るべきか、こうなったのは大した事ないと見るのか難しいレース。
ハイセーコーの名前は知ってるが…⛄
退場です
弱い。オグリに比べて終盤の迫力がまるでない。オグリ時代のうまでは、ヤエノムテキよりちょっと劣るぐらいか?オグリはもちろん、タマモクロス、イナリワン、スーパークリークよりはるかに下