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「目を見開いても良い声は出ない」というサムネに、思わず吹いてしまいました。そんな指導がまかり通っているとは驚きです。なんか昭和の時代のスポ根一筋の指導で盲目的にうさぎ跳びをさせる(筋肉を痛める)、みたいなのと相通じるものがありますね。
高校、大学時代、合唱部でしたが、ボイストレーナーからパート毎の指導を受け、指揮者からもあれこれ言われたので発声がよく分からなかったです。車田さんのお話は本当によく理解できます。
今回も興味深いというか少々驚きのお話でした。私は昔合唱コンクールの裏方をやったことがあります。選考委員は合唱指揮者が大半でしたが意見がかみ合わない。ある人は「この学校は声が出ているがこっちの学校は出ていない」、ある人は「この学校のテンポはいいがあの学校は速すぎる」声なのか解釈なのかはっきりしないまま、挙句の果てには「この学校の合唱指揮者は誰それの教え子だね」「この学校は去年も金だったな」ということで選考が進みました。さらに選考委員に音楽史知識が学生だった私よりもない人が結構いたのもショックでした。音楽の楽しみから離れたところで行われるコンクールって何と思いましたし、内申のために必死についていく生徒さんも気の毒でした。
😊😊
「変な顔を作っても良い声は出ない」 これを日本中の "顔作り大好き指導者" に伝えたい。あなたは間違っていますと伝えたいw
とても腑に落ちるお話でした。ありがとうございます!
本当にそのとおりだと思いました。私は楽器の方は専門に勉強しましたが声楽は習った事がないのです。なのに、あるとき合唱の指揮を頼まれて行ったら、発声練習はしないのですかって、言われて困っちゃいました。発声練習しないと声でないですから 何て言われて 訳のわからない事をやってしまいました。もう発声練習はこりごりです。
発声練習には3つの段階があると思います。1つめは朝起きてすぐとか食事の後などは本当に声が出ませんから、車の暖機運転のように、出しやすい音域と音量から初めて、ゆっくり音域、音量を広げて行く作業で、これは必要でしょう。これをしないで最初から歌に入ると喉を痛めますから。逆に午後の部活では、しゃべりすぎてざらついている喉を、ゆっくり鎮める事が必要です。 2つめは発声をよくする段階で、本来は車田先生の言われるように個人レッスンでしかできないものですが、まあ、全体練習で、全員に割りによくある悪い癖(たとえば鼻腔共鳴のないいわゆる落ちた声とか)に注意することは無意味では無いと思います。 3つめは皆の声を解け合わせる段階ですが、ここでも下手をすると車田先生が言われるように、むしろ悪い結果を産みます。ただ、発声が悪いためにあまりにも回りに溶け込まない声については、注意する必要があると思います。
NHKでやる合唱コンクールを観てると面白いですね。確かに、目をひんむいて一生懸命歌ってますよね。車田さんの話を聞いていて、なるほどと思いました。さすが、専門の勉強をされていた方だと感じました。😄
明治維新での富国強兵政策からまさに現代まで、日本の(音楽)教育システムは芸術性の向上よりも集団の統率に力点を置いているので根本からの改革は無理なんでしょうね。残念です。
私もテレビで日本の学校の合唱を見た時に、彼らが目を見開いて変な顔をしているなあと思ったことが何度かあります。顔に力が入っている感じがして、そんなので歌自体が良くなるのかな?って疑問に思ったことがありました。ヨーロッパの少年少女たちは、そんな顔しないで穏やかな顔で歌っているから、見ていて良い気持ちになります。ヨーロッパの子たちは元々レベルが高いですが、穏やかな顔だとさらに歌も綺麗に聴こえます。
いや、どの国民も元々のレベルは同じなのです。指導法の違いがレベルを決定するのです。
事情があって大学からやっていた混声合唱をやめました。今は新聞社のカルチャーセンターのプロに教わるヴォイストレーニングをやっています。回を重ねるごとに声量が出るようになるのが不思議です。発表の場はありませんが、それが満足です。
母校がとても合唱コンクールに力を入れている学校(公立中学校)でした。6限あるうちの多い日は3限が合唱の練習で、それ以外にも朝練と昼放課の練習が毎日ありました。2ヶ月はこの生活が続きます。もちろん受験がある学年も。正直部活でもない学校行事でそこまでするか?と思ってましたが内申点のことなどもあって誰も言い出せませんでした。歌っているときは無表情だったと思います。やはり、各自の取り組む姿勢、モチベーションはとても大切だと思います。
そんなのやりすぎです。何でコンクールでいい成績を収めなければならないんですか?音楽は楽しくやるのが目的です。スポーツのように人と争うものではないです。吹奏楽でも合唱団でも全国有数とか言ってもガチガチの演奏で音楽にはなっていないです。
不自然な顔と声という点に関してはまったく同意です。ただ、ここに取り上げられていない点について一言。実は、無伴奏の男声合唱曲を中心にして活動していた大学合唱団、いわゆるグリークラブですが、そこがこの悪習の原因ではないかと思っています。そこで一番文句を言われるのが音が下がることです。1曲の間に半音も下がれば、指揮者から音程について文句が言われます。そして、そう言われたらメンバーは音程だけを気にして、いわゆる「つり上がった声」で歌い始めます。その時に顔が、先生の言われるあの顔になるのです。 だいたい、音が下がるのは、もちろん音程が悪い場合もありますが、それと同じぐらい発声が悪い場合が多いように思います。鼻腔共鳴が少なく、音程が悪いと言うより、音程がないと行った方が良い声ですね(「落ちた声」と言っていました)。「つり上がった声」は結果的にはますます問題を大きくします。普通に考えて、1曲で半音下がる合唱より、あの「つり上がった声」で聴かされる合唱の方がよほど聴きづらいと思うのですが、皆、あまりそれは気にならないようです。 以上の点は、一部の学生指揮者やパートリーダーの問題で、指導に来ていただいていたプロの指揮者では(二期会のK先生など)、もちろんそんなことは無かったように思います。私のいた学校の中高のグリークラブの指導をある音楽の先生(二期会のY先生)がされていた時は非常にレベルが高くなりました。最初の数年はほとんど変化がなかったのですが、聴いていて、Y先生が絶対に声に無理をさせないようにしていることは分かりましたので、気長に待っておりましたが、その内に急速にうまくなっていったことを思い出します。声楽家であり、指揮者であり、トレーナーでもある指導者を得ることは希有の幸いであると思います。
面白い話です。音程が下がるのは耳が出来ていないからです。どんな音楽をやるにせよ先ず耳を鍛えなければ上達はしません。
私はアマチュアで管楽器を演奏しますが、吹奏楽についてもおよそ同じことが言えるなと思いました。ある程度は基礎練習で音色は形成できますが、より良い音や技量を向上させるには、始める年齢に関わらず個人レッスンを受けるのが最も近道だと実感しています。レッスンではピアニストを伴うこともあるので、今後はコレペティと思って音楽性を共有できるように臨みたいと思います。
車田さんの云うこと、「正論!」私の出た中学の名物、毎年二学期に名古屋市公会堂なるところで合唱祭やったんです。当時の校長サンがウィーン行きまして…ウィーン国立歌劇場へ行った、と。で云々と「独演会」ウィーン国立歌劇場がすごいのは当然ですよ。それは外山雄三先生からシッカリ聞いてます。あのマーラーやrR・シュトラウスが総監督してたんですから。それがどうして私らに……。中三の時に校長さん、別の学校に転勤。と、同時に合唱祭も廃止! みな、泣いて喜びましたよ。
オマケ若い頃、返還前の香港、中華人民共和国、、旧ソ連極東ツアーに金沢のアマチュア・オーケストラと行きました。私の家系があの溥儀と関係があったので中華人民共和国に入国と同時に人民解放軍兵が私たちが乗っているバスに乗り込んで。きました。、で、私だけ監視下に置かれましたよ。旧ソ連、ハバロフスクでは、なんとエフゲニーアレクサンドロゥイ・ムラヴィンスキーに会えましたよ!
アホな校長ですね。カブレてしまっているんですね。ウイーンに行ったのが自慢なんでしょうね。
@@daikimoto6725 たしかに「アホ校長さま」としか云えませんわな。私の経験~云うと高校あたりから好きなヤツは自分からコンサートに行きますよ。「校長サマ」の話しよリ、外山雄三先生の話しの方がよっぽど面白かったし、先生と岩城先生がN同行した響の世界一周ツアー(初めての時のです)のモスクワ公演((二晩だと思ったら一晩だけ!)とか、ハリではまずN響なんか指揮してくれない指揮者がいますよ。また、オットー・クレンペラーが指揮するハズだったんつむのたンデハヒナな
ムラゥィンスキーは私にとって「活仏サ〜マ〜」!」的存在ですよ!私が「マエストロ、ショスタコーヴィチのの交響曲を理解するに気をつけることを教えて下さい」と云ったら………黙ってしまった。ヤベェ〜こと云ったかと冷汗ダラダラ……。「気を悪くしないで、欲しい。それはムリだ。なずならソ連と云う社会体制下で15年20年と暮さないとムリだからだ」それムラヴィンスキーの回答だった。
オットー・クレンペラーの自宅に行き、クレンペラーに「N響を指揮していただきたいのですが……」と恐る恐る頼んだら………。「よろしい。指揮してあげよう。ただし私のリハーサルは厳しいぞ」との返事!N響の人たちは「上へ下への大騒ぎ」なにしろ、あのオットー・クレンペラーが指揮する、と云ったんです!……が……、この話しは「お流れ」になりました。クレンペラーの娘さんがいない「勘違いして東京でやる」と思ったのです。やること日本なっていたねはロンドンでした。いずれにせよ「お流れ」と。ハイ!
私は楽器を弾きますが、正式なトレーニングを受けてない方から技術的なレッスンを受けたいとは、やはり思えません。しかし、小中高校の合唱指導ではそれが普通に行われているということですね。合唱指導者は音楽の指導だけでいい、本当にそう思います。でも、教育現場のコンクール至上主義が蔓延る限り、善意からの我流の発声指導は、なくなることはないのでしょうね。根が深いです。
善意の我流というのはまさにおっしゃる通りかもしれないですね。
日本の教育では、部活動を教員の仕事と当然のように位置づける事が一番の間違いです。部活動はボランティア活動なのですが、、公立であれば音楽に素人の先生がほとんどです。それを管理職である教員が無理矢理、公務として部活動を押し付ける。真面目な教員ほど学校や父母の期待の元に専門教育もないまま、全てを部活動に捧げます。ヨーロッパのように部活動はコミュニティの仕事にすれば良いのです。部活動やりたくなければそれでも良い。日本の特に中学校では全員部活必須という馬鹿げた風習が残る場所が多い。合唱部というのは生真面目な生徒が多いので先生もそれなりになってしまいます。先生も生徒も被害者ですよ。そういう視点で貴番組を拝聴しました。
車田先生、いつも面白いお話をありがとうございます。😆私の経験ですが、趣味で声楽レッスンを受けていて、ソロ活動も特にしていませんから、クラシックをメインでやっている合唱団にしばらく在籍していたことがあります。第九とか、レクイエムとかそういう曲をメインに取り組む合唱団です。曲はとっても好きだったのですけど、ともかく歌いにくかったです。それにはいろいろな意味が含まれますがそれはさておきまして・・・。過去に合唱の勉強会で「フィンテ唱法」という言葉で説明を聞いたことがあります。それで、私は合唱曲はコッチで、ソロで歌う声楽曲はベルカントで・・・と使い分けなければいけないのではないかと思っていました😥ただ、今の常識を考えますと、郷に入っては郷に従えという感じで歌いにくい方で参加しなければやりづらいです。車田先生のお考えが日本に浸透しますように💞💞💞
ありがとうございます😊
確かに、少年合唱や大人の合唱団の歌うときの表情がみんな同じように変な笑い顔なのが不思議でしたが、このことだったのですね。発声練習といえば、オペラの合唱では全く発声練習はしないですね。誰かが発声練習はしないのですかと指揮者に聞いたことがあるが、必要な人は先に済ませておいてくださいと言われていました。私は調子悪い時にだけ少し確認するくらいしか発声はしません。
今夜も全然知らないことばかりを勉強しました。分かり易い解説を有り難う御座いました。テレビは眼耳がダメになったのでほとんど見たり聴いたりはないんでが随分前に時々聴いたことがある「ガッショウコンクール」がとてもとても変でした音楽に聴こえなかったです。言い方よくないですが「アコーデオン」みたいな風に聴こえてました。何処からか吹いてくる風みたいで初めからお仕舞まで「凪いで」終わってしまう。今の風潮ってイイんでしょうか「21世紀、音楽に旋律が無くなっているような気がしますレチタッティーヴォって言ってもいいでしょうか」つまり「語り」で「詩」というより「文章に抑揚をつけての語りかけ」みたいですけど。「メロディー」は出尽くした、いやいや「ドレミファソラシド」が消滅したのかも。「椰子の実」のような歌はもう出ない世の中になった。歌詞とイイ旋律とイイ「島崎藤村」の心のふるさとを夢見て訪ねたような風情がたまりませんいつ聴いても(90歳)素敵なお話を有り難うございました。
設定した「型」に個々を押し込んで、それを調和だと言う。これは合唱だけの傾向ではありませんね。心したい処です。いつもながら、鋭いご指摘が快いです。
昔、高校生の時に芸大の先生に個人指導していただいていたことがありますが、「高音を出す時は眉を上げて」と指導されたことを思い出しました。私はひねくれていたので、そんなことで高音が出るわけないと心の中で思い、実践しませんでした。
全く同感です。まず思うのは、合唱って本来なんであるのかな?って😂一人じゃハモれないから数人で楽しむ、ってことですよね?私もコーラス経験して、自分の声を常に周りに合わせるのに疲れてしまい、自分を抑えて合わせるのが最優先って意味不明?と思ってました。伸び伸び歌えないし。しかも発声で訳のわからないこと言われてわかった気になってる周りの人達が不思議でなりません。私には意味がわからなくて自分の発声が合ってるのか、違うのか、未だにわかってないです。要するに発声が良い、元々持ち声の良い人達が集まってコーラスすればいいのですよね。コンクールで競争はやめた方がいいと常々思っています。ハモればそれで良くないですかね?😅楽しく腑に落ちたお話し、 ありがとうございました❣️
高校合唱部時代にテノール歌手の饗庭智明先生に声楽指導を受けたのがきっかけで声楽に興味を持ちました。合唱発声になってしまうのは、声楽学科教師と合唱指揮者との交流が無いのが原因だと思います。
車田さんのユーモラスさは好感が持てます★
アマチュアのソプラノ カウンターテナーです。車田先生の問題指摘は、現実をよく観察してらっしゃり、実に的確だと思います!私自身はソロとしての訓練しか受けていないのですが、日本でソロで歌うと、そのあとでコーラス指揮者の方から 「うちのコーラスにも入ってよ」 と誘われたことがあって、仕方なく試しに行ってみると、ご指摘のような諸問題が ・・・ (もちろん、そのコーラスへの参加は、お断りしました)車田先生のご指摘は、私の実体験ともよく合致します!アメリカで歌っても同様の体験はしなかったので、おそらく日本のコーラスに固有の問題だと思います。
すごく腑に落ちるご意見ですし、納得しました。今年も中学校の秋の地区コンクールに向けて練習が始まるなあ。少し憂鬱です。金賞常勝校が近いので、目立たない弱小校は肩身が狭いと思わせられてしまいます。でも、そんなことより歌を、聴く人に伝える楽しさと感動の共有を経験してほしい。(私自身は大人の合唱団指導&教会のオルガン弾き&音楽科講師です。)
勉強に😂大変なりました。なるほどと、感じている日日です。
コンクールの功罪、ありますね。確かに上達するけど、1人1人の持ち味を生かしてあげたいと思うと踏み切れません。本来の伸び伸びとした音色を大切にしたいですよね。
初コメです!私も常々あの不自然な表情は何故?と思っていました。理由が分かり爆笑です😂確か昨年のNHK全国学生合唱コンクールでは皆さんマスク着用で歌っていらしたので、違和感なく楽しめて良かったですよ。
マスクもそれはそれでかなり違和感が😅・・
その通りなのですが観ているうちに見慣れてきたのもご時世ならではです。そこまでしてまで歌いたい、コンクールに出たいという子供達の情熱には心を動かされるものがありました。
@@kazuhisakurumadaマスクがずり落ちて、そのまま我慢して歌っている中学生を何人も見ました。心苦しかったですよ。
素晴らしいお話ありがとうございます。こちらでも合唱団で声帯を壊してしまう人が多いようです。また専門に勉強してない人が専門家ごとく教えるので怖いですね。声帯を痛めた方が個人レッスンを通して快方に向かっているという話も多く聞きました。
嗚呼!ほんとうにおっしゃるとおり、日本の合唱団のありようは。子どもたちから大人のそれまで!おしなべて、金太郎飴のように同じような感じ。とある演奏家団体の日本語創作オペラ?に参加したときのこと、指揮をベルリンで数年修行された方が本番指揮でした。音楽的な何か、練習の際にそれを教えて下さったのか、、、残念ながら一言も聞けませんでした。皆んなのレベルが低過ぎたのか?未だキツネにつままれたみたい😢
外国で修行するのは誰でも出来ます。そこで仕事にありつけないから日本に帰ってアマの指導をしているのでしょう。音楽が何か分かっていないからあなた方に何も言えなかったのですね。
@@daikimoto6725 さまその指揮者の方が、どんなふうに棒振るのか、内心めちゃくちゃ期待していました。指揮者によっては同じ楽団と思えないくらいにオケが変わるのを何度もみたことがあって、、、でも彼の人は、ほとんど何もおっしゃらず、唯一注意された点が「みんなで合わせて〜♪」という言葉でした😿合わせる、て何?悲しかったです。
@@greenfukucham560429 さん、それは酷いですね。はっきり言って本当にいい指揮者は少ないです。演奏家の立場から言わせてもらえれば、プロの指揮者でもリズム感、とか耳がそのレベルに達していない人もかなりいます。そういう人がみんなで合わせて、とかいうんですよね。指揮者と言うのはオールラウンドでなければだめです。音楽的なことはもちろん演奏者が魅力を感じるくらいの人間性を持っていないとだめですし、いろいろな問題が起こった時に臨機応変に対処しなければなりません。そのためにはインスピレーションとかアイデアが必要です。ある時カラヤンのところで習った、という指揮者とやりました。どれだけ習ったのか知らないですが酷かったですね。
おっしゃることはとてもよくわかります。中高の現場では、音楽科というだけで、器楽専門なのに合唱部顧問だったりします。でも、現実問題、私立はわかりませんが、多くの公立学校の場合、声楽レッスンを個人で受けるとか、顧問以外の先生に発声を習うことは、経済的に、予算的に難しいのだと思います。
たまに学校で合唱の指導を頼まれますが、私も歌唱、というか演奏すること自体が専門外、楽曲解釈や音楽理論が専門なので、「演奏は専門外だから発声の指導はしないよ」と常に断りを入れています。まぁ、合唱においてハーモニーの響き、心地良さは大事なので、さすがに音程が合っていないところは指導しますが。その分、楽曲解釈や表現といった音楽的な指導にはかなり力を入れています。例えば森山直太朗の合唱曲「虹」では、「mezzo f」と「meno f」が書き分けられています。何故わざわざこんな書き分けをしたのだろう?どうやって差をつけよう?とか。
日本の方々はスポーツでも勉強でも仕事でも音楽演奏でも、時間をかけて頑張ればなんとかなる「根性で乗り切る」になりがちですが、一旦冷静になって目標達成のための戦略(≒計画)を決めてからはじめると良さそうですね(最近雅楽の発声に興味を持ちました、声楽の学習に役立つかな?)。
全くその通りです。音楽もスポーツもやりすぎです、みんな慢性疲労しているのが自覚出来ないから本来の力が出せないです。人間は機械ではないです。
そうなんですよね😅中高のコンクールたまに観ますがなんかあの独特な雰囲気って言うか顔つきがなんとなく苦手です💦とても美しい揃った声で歌っておられるのは認めますが。
人間は、一人一人、体格が、違うはずです、画一的な練習では、今のSNSで、いろいろな個人に適した練習を、取捨選択する必要があると思います。
思い切って踏み込まれたお話しでしたね。おっしゃることは全くその通りです。でも現実問題、専門のボイストレーニングの先生を雇う余裕なんて殆どの学校はないはずです。個人でそこまでやるのは音大の声楽科志望の生徒くらいでしょう。全員でやる発声は気分高揚の為の準備運動と割り切ってやるべきでしょうね。
車田さんのいきなり工事中🚧‥知っているだけに‥(笑)ワールドカップ楽しみですね♡ 日本は第1試合がドイツ戦です😅今回のグループは厳しいなぁ~💧日本の次に応援しているドイツだけに内心複雑です😥
ドイツは不調ですが、2大会連続でグループリーグ敗退するわけにもいかないので気合は入っていると思います😊
私は、小学校時代、合唱部に入っておりました。顧問の先生は、この小学校の音楽の先生でしたが、とにかく、美しく歌ってねと、みんなに言っておりました。だから、この合唱部のことは、楽しい思い出です。
今回も興味深いお話をありがとうございました。私も大学時代に混声合唱団にいましたのでうなずきながら拝見しました。概してナチュラルな指導をされる先生方に囲まれてはいたものの、今日先生は言及されておられませんでしたが「自然体」「頬骨」「横隔膜」「背筋」などというキーワードは今でも記憶に残っています。今となっては懐かしい思い出ですが、結局は腹落ちしない四年間でした。才能(適性)がなかったんですね。。。
自然体や頬骨なども誤解が多そうなキーワードですね・・。
どうしても、部活関連の動画は関心があるので反応してしまいます…この動画、合唱部時代の自分に見せてあげたい…小学生の時から有志の合唱団に所属していたこともあり、音楽が好きで中学も合唱部に入りましたが…全国的に有名な顧問の指導は「とにかくもっと大きな声を出せ!」「もっと表情を明るく!」「眉毛と頬骨あげて!目の穴鼻の穴毛穴全部開ける!」というもの…先生は大学で声楽を学んでいたと思われるのですが…こっちは真面目にやってるつもりなのに、先生に目をつけられてしょっちゅう叱責される…そんなに楽しい感じの曲じゃない時、なんなら真面目な曲の時に、「もっと笑って!」と言われる。心の中で、(笑うような曲じゃないだろ…)とツッコむも、無視するわけにもいかず引きつりながら歌ってました。もちろん、歌っていて全く楽しくなかったです。社会人になり、個人的にミュージカル歌唱の個人レッスンに通っていた時期がありました。そこでは無理して笑えとは言われない。中学の時よりも具体的に発声法を教えてくれる。「大きな声を出そう!」と意識しなくても、勝手に大きな声が出る…!レッスン1回目から声がすごく響いたので自分でもビックリし、先生に「私、声小さかったですか…?」と聞くと、先生は「え?バンバン声響いてたじゃん?」…中学校の合唱部の活動ってなんだったんだろう😇と思いました。ちなみに、私も中学合唱部、高校吹奏楽部だったので、車田さんの動画にはとても共感できますし、勝手に親近感を抱いています!(笑)
今から50年以上前の話です。当時、地方の少年少女合唱団に入ってました。ある日、ウィーン少年合唱団の公演で来日された指揮者から指導を受けたことがあります。おそらく、1時間程度だったと思いますが、そのわずかな間に驚くほど表現が豊かに深くなったのを記憶しています。指導での通訳は記憶にないので、指揮者の表情とタクト、体の動きで理解していたと思います。当時は目や眉を吊り上げて、ということは言われなかったと思います。
なんだかすごい現代曲ばかりやって、ものすごい腹筋背筋を鍛えて、なんか芸術と少し離れた感じなのかもしれませんね。最近、大学の合唱団はアカペラ合唱を取り上げるようになって、少し良くなっているのかな?とおもったりもしますが...シンガーソングライターの岡村孝子さんも本当はクラシックのピアニストか声楽家になってたかもしれません。彼女も高校で合唱をやってました。僕も合唱コンクールで指揮をしましたが、各パートのバランスを取ってアンサンブルを整えるようにしました。
同感です。異様な合唱部が多いです。
仰るとおりだと思いました。ありがとうございます。音楽だけじゃないですが、大学出たくらいで、教師や指導者になること自体なんとかならないかと思ったりしてます😅
今は目を見開く歌い方の学校が減ってきています。自然な表情。指導者は ご自身が歌えないと始まりませんね。ピアノも同じです。
吹奏楽部でしたが、合唱の全国大会見ても吹奏楽同様物凄い不自然なんですよね。小学生の時も合唱団入ってましたがその時も不自然な指導がありました。日本における音楽教育見直さないと思うところはありますね。
また色々日本のアマチュア合唱団の事とかも知りたいです🎵✨予告のあったライブ配信楽しみにしています🎵😃✨
日本人は勉強嫌いの修行大好き国民だからね無意味なこと長時間やることに価値見出すしそれを評価するスコアばっか気にする
車田先生が中学生の頃指導を受けた地元の高校の先生?(須賀川市?)自分は音楽やったことはないけど気になってしまう(郡山市在住)😅
器楽側ですがグループレッスンはダメ、集団合奏参加などは技術向上というよりは技術消費みたな実感はあります
せっかく声楽に高いお金出して習ってるので、コーラスはスパッとやめました😅
私もサッカーは大好きです。車田さんのいらっしゃったドイツでは、クラシック音楽もサッカーも日本とは随分違う存在の仕方をしてるんでしょうね。「水や空気のように」とはありふれすぎた言い方ですが。私は来月のW杯でのグループ突破確率は🇩🇪85%、🇯🇵20%と見ています。勿論サッカーですから何があるか分かりません。その20%を1%でも2%でも上げるような準備と戦いを期待して応援しますが⚽️
指揮者は音楽を教える事だとびっくりしました。何かホットしました。❤😅
日本では綺麗に歌うではなく元気に大きな声で歌うことを良しとする風潮があるように思う。幼稚園保育園のころからまともに歌を学んだことがない人が恐らくほとんどでしょう。そもそも芸術を軽視している国でまともな指導者が育つわけもないし。
日本のブラスバンドでもきちんと演奏を勉強したことのない人が指導していることがほとんどで、きちんと呼吸ができないくらいなら良いほうで、口を壊してしまう子供も沢山います。
コンクールは基本減点方式です。高校でコンクールで全国出た人たちはやたら表現表現いうわりにはちゃんとした声楽を学んでないので軸となる声の人がいないんですよね、周りに合わせる、綺麗にハモるだけで?自分の声が観客に届かないのに表現とは?といつも思ってました。声楽って自分の体が楽器なのでほとんど才能なんですよね。発声練習は練習前の声慣らしでしたね。ボイトレはあくまで、個人で。合唱団の人と音大の人は発声が全然違うことは分かりました、これは、別物、だと。合唱団に入っても合うわけないんですよ。モノが違うからその人の声しか聞こえなくなる。それが合唱団の連中は嫌うんですよ。
声楽をきちんと勉強していない人が発声指導するのはマイナスになる可能性が極めて高いんですね、、あと、そもそも音楽の勉強・経験が足りない先生が指導しているケースもありますね。(私の中学がそうでした😅しかも熱血指導をする先生)私の中学では「みんなで仲良く団体行動をできる生徒たちは素晴らしい」みたいな道徳教育の様なことも合唱の時に何度か指導されました。「みんなハツラツと目を見開いて笑顔で!」とゆう指導法は、スポ根や道徳教育にマッチしてしまいやすく思います。個人的には違和感がありますが…
アメリカで子供合唱団「ワン・ボイス・チルドレンズ・クワイア」を率いているのは日本人。表現の仕方が日本の子供達の合唱とは別物😮
ええと、全体練習しかしない団があるんでしょうか。。個別指導が必須なのは当然だし、全体でのアップ練習で細かい指導などできないのも何か当たり前というか。。何か私の知っている団の様子と違うなあ。
いつも全く的を得た話で感心します。怒った顔で歌うなんて全く笑ってしまいますね。指揮者は何を考えているのでしょうかね。一番の問題は中高校の殆どの指揮者の音楽的なレベルが低いことです。彼らは長年音楽家としてステージに立って高いレベルの人たちと一緒に演奏した経験がないのでやはり本当の音楽の表現とか勉強の仕方などが分かっていないのです。車田さんのように本場のドイツでプロとして活動しているくらいのレベルになって初めて音楽とは何か、どう勉強すればいいのか分かって来るのです。音大は技術の基礎を教えるところでそこを出て、それから演奏を通して音楽の表現を習うのです。それでやっと一人前の音楽家になるのです。そうなんです、指揮者というのはみんなをまとめてどう音楽を表現するか、それを指導するのが仕事です。それはアマチュアのグループであろうがプロのオーケストラであろうが同じです。まあ、とにかく日本はコンクールに犯されています。今のような状況では音楽の文化は育ちません。子供たちが可哀想です。
あれ疑問に思ってたけど、やっぱり過競争により生じた儀式だったか。日本人は本当、非科学的だよな。何にでも儀式を作る。
最近テレビで合唱コンクール見たら学校によって気味悪くて見てられない時があります(昔はそんな事なかったんですが)。不自然に不気味な笑顔というか、感情におぼれ酔いしれて歌うとで表現が伝わると勘違いしてる様な気がします。「笑顔でうたいましょー」て指導でよく聞くのですがウィーン少年合唱団は別に笑顔で歌ってません。笑顔の結果広角を上げる効果もあるでしょうが、見栄えのために笑顔にする場合もある様で、だったらバイオリンやピアノも笑顔で弾かなきゃならないでしょうが、歌だけが妙な笑顔にさせられる事に違和感をおぼえます。
私は大学の主専攻は心理学ですし、ピアノ歴40年あっても声楽はきちんと習ってないので、部活動の指導で発声を教えることはありません。大学の部活動は専門の人を口説き落として巻き込んでいけばいいから、詳しくないことを自分で抱える必要がないです。中学や高校の部活動は教育の法のもとに行うから、単純に専門性の問題ではなく、教育の法の枠組みが難しいのかもしれません。今、部活動の地域移行が進んでいきます。今後どうなるのかはわかりません。より悪くなる可能性もあるし、より良くできる可能性もあります。私の子どもの頃や大学生時代に所属した合唱部はゆるい部でした。指導者は声楽専門でしたが、コールユンブンゲンやコンコーネをちょこっと準備体操に使うくらいでした。練習時間が取れないから、知識や教養を深めつつ音楽的な戦略をつめていきました。練習量は最小で見栄え良くまとまります。…そもそも合唱部なのになぜかピアノばかり弾いていた。速達で伴奏用の楽譜が届く生活で、全然歌えなかった(笑)
私は歌っている人の変顔を見るのを楽しでいます。
小学生の音楽の先生が、児童の口の中に拳骨を入れて歌唱指導していた話を聞いています。中にはトラウマから心身症に為った児童も居たのです。此れは一般的な指導なのでしょうか?
それはひどい・・
全くそうですね。😂
合唱コンクールを見て、皆が特徴的な表情で歌っている事に違和感を持っていました。車田さんの話、合唱を指導している人達に知って欲しいです。見ていて息苦しい感じがします。
何かの本で、ベルリン・フィルのサッカー部の写真を見たことがあります。有名オケのサッカー部の試合を見てみたいものです。オペラハウスにもサッカー部があったりするんですか?
ウィーンフィルのチームが以前ミラノスカラ座のチームと試合していました😂
@@hiroyukiohara_official それ、めっちゃ観たいです😆でもやっぱり究極はウィーンvsベルリンですね😁
児童合唱(特に教会の聖歌隊のようなものではない小学生主体の女子も多い)の合唱指揮者と発声指導についてはどのようにお考えですか?
変な顔のために成就しなかった恋が、どれほどあるだろうか???
😢
発声練習に効果無いっていうの俄かに信じられない。だって上手い団の人たちそれなりに上手いじゃん。
むしろ共産圏(元含む)の軍の合唱団の方が自然な表情で芸術的な歌唱を聴かせてくれていると思っています。赤軍合唱団(露)や功勲国家合唱団(朝)あたりが有名でしょう。個人的にはモンゴル軍の合唱団(ここもソ連様式)はとても楽しそうに歌っていて好きです。
私の中学の時の音楽の先生音楽大学で学んだ方ですけど、発声を習ってはいけなかったのでしょうか…?😥まゆをつり上げても、良い声や音は出ませんが、良い音楽をしようとして、細心の注意をはらう時、まゆがつり上がったり、目をひんむいたり、そういう風になる事は、弦でも管でも声楽でもあると思います…💧
合唱コンクールでの児童、生徒の表情に違和感を感じます。もっと自然な表情で歌ってほしいと思います。
指導者が何も分かっていないのです。子供たちが可哀想です
いいお話しありがとうございます😂
合唱の指導者は、全員発声指導も出来るんだと思っていました。中高生が可哀想ですね。せめて音楽的に優秀な先生に音楽面で指導してもらいたいですね。でも中学高校に音楽的の優秀な先生って沢山は居ないでしょうね。 中学高校の音楽の先生って、皆音大卒なんですか?
海外勢の合唱団に勝てる訳が無い。
「目を見開いても良い声は出ない」というサムネに、思わず吹いてしまいました。そんな指導がまかり通っているとは驚きです。
なんか昭和の時代のスポ根一筋の指導で盲目的にうさぎ跳びをさせる(筋肉を痛める)、みたいなのと相通じるものがありますね。
高校、大学時代、合唱部でしたが、ボイストレーナーからパート毎の指導を受け、指揮者からもあれこれ言われたので発声がよく分からなかったです。車田さんのお話は本当によく理解できます。
今回も興味深いというか少々驚きのお話でした。私は昔合唱コンクールの裏方をやったことがあります。選考委員は合唱指揮者が大半でしたが意見がかみ合わない。ある人は「この学校は声が出ているがこっちの学校は出ていない」、ある人は「この学校のテンポはいいがあの学校は速すぎる」声なのか解釈なのかはっきりしないまま、挙句の果てには「この学校の合唱指揮者は誰それの教え子だね」「この学校は去年も金だったな」ということで選考が進みました。さらに選考委員に音楽史知識が学生だった私よりもない人が結構いたのもショックでした。音楽の楽しみから離れたところで行われるコンクールって何と思いましたし、内申のために必死についていく生徒さんも気の毒でした。
😊😊
「変な顔を作っても良い声は出ない」
これを日本中の "顔作り大好き指導者" に伝えたい。
あなたは間違っていますと伝えたいw
とても腑に落ちるお話でした。ありがとうございます!
本当にそのとおりだと思いました。私は楽器の方は専門に勉強しましたが声楽は習った事がないのです。なのに、あるとき合唱の指揮を頼まれて行ったら、発声練習はしないのですかって、言われて困っちゃいました。発声練習しないと声でないですから 何て言われて 訳のわからない事をやってしまいました。もう発声練習はこりごりです。
発声練習には3つの段階があると思います。1つめは朝起きてすぐとか食事の後などは本当に声が出ませんから、車の暖機運転のように、出しやすい音域と音量から初めて、ゆっくり音域、音量を広げて行く作業で、これは必要でしょう。これをしないで最初から歌に入ると喉を痛めますから。逆に午後の部活では、しゃべりすぎてざらついている喉を、ゆっくり鎮める事が必要です。
2つめは発声をよくする段階で、本来は車田先生の言われるように個人レッスンでしかできないものですが、まあ、全体練習で、全員に割りによくある悪い癖(たとえば鼻腔共鳴のないいわゆる落ちた声とか)に注意することは無意味では無いと思います。
3つめは皆の声を解け合わせる段階ですが、ここでも下手をすると車田先生が言われるように、むしろ悪い結果を産みます。ただ、発声が悪いためにあまりにも回りに溶け込まない声については、注意する必要があると思います。
NHKでやる合唱コンクールを観てると面白いですね。確かに、目をひんむいて一生懸命歌ってますよね。
車田さんの話を聞いていて、なるほどと思いました。さすが、専門の勉強をされていた方だと感じました。😄
明治維新での富国強兵政策からまさに現代まで、日本の(音楽)教育システムは芸術性の向上よりも集団の統率に力点を置いているので根本からの改革は無理なんでしょうね。残念です。
私もテレビで日本の学校の合唱を見た時に、彼らが目を見開いて変な顔をしているなあと思ったことが何度かあります。顔に力が入っている感じがして、そんなので歌自体が良くなるのかな?って疑問に思ったことがありました。ヨーロッパの少年少女たちは、そんな顔しないで穏やかな顔で歌っているから、見ていて良い気持ちになります。ヨーロッパの子たちは元々レベルが高いですが、穏やかな顔だとさらに歌も綺麗に聴こえます。
いや、どの国民も元々のレベルは同じなのです。指導法の違いがレベルを決定するのです。
事情があって大学からやっていた混声合唱をやめました。今は新聞社のカルチャーセンターのプロに教わるヴォイストレーニングをやっています。回を重ねるごとに声量が出るようになるのが不思議です。発表の場はありませんが、それが満足です。
母校がとても合唱コンクールに力を入れている学校(公立中学校)でした。
6限あるうちの多い日は3限が合唱の練習で、それ以外にも朝練と昼放課の練習が毎日ありました。2ヶ月はこの生活が続きます。もちろん受験がある学年も。正直部活でもない学校行事でそこまでするか?と思ってましたが内申点のことなどもあって誰も言い出せませんでした。
歌っているときは無表情だったと思います。やはり、各自の取り組む姿勢、モチベーションはとても大切だと思います。
そんなのやりすぎです。何でコンクールでいい成績を収めなければならないんですか?音楽は楽しくやるのが目的です。
スポーツのように人と争うものではないです。
吹奏楽でも合唱団でも全国有数とか言ってもガチガチの演奏で音楽にはなっていないです。
不自然な顔と声という点に関してはまったく同意です。ただ、ここに取り上げられていない点について一言。実は、無伴奏の男声合唱曲を中心にして活動していた大学合唱団、いわゆるグリークラブですが、そこがこの悪習の原因ではないかと思っています。そこで一番文句を言われるのが音が下がることです。1曲の間に半音も下がれば、指揮者から音程について文句が言われます。そして、そう言われたらメンバーは音程だけを気にして、いわゆる「つり上がった声」で歌い始めます。その時に顔が、先生の言われるあの顔になるのです。
だいたい、音が下がるのは、もちろん音程が悪い場合もありますが、それと同じぐらい発声が悪い場合が多いように思います。鼻腔共鳴が少なく、音程が悪いと言うより、音程がないと行った方が良い声ですね(「落ちた声」と言っていました)。「つり上がった声」は結果的にはますます問題を大きくします。普通に考えて、1曲で半音下がる合唱より、あの「つり上がった声」で聴かされる合唱の方がよほど聴きづらいと思うのですが、皆、あまりそれは気にならないようです。
以上の点は、一部の学生指揮者やパートリーダーの問題で、指導に来ていただいていたプロの指揮者では(二期会のK先生など)、もちろんそんなことは無かったように思います。私のいた学校の中高のグリークラブの指導をある音楽の先生(二期会のY先生)がされていた時は非常にレベルが高くなりました。最初の数年はほとんど変化がなかったのですが、聴いていて、Y先生が絶対に声に無理をさせないようにしていることは分かりましたので、気長に待っておりましたが、その内に急速にうまくなっていったことを思い出します。声楽家であり、指揮者であり、トレーナーでもある指導者を得ることは希有の幸いであると思います。
面白い話です。音程が下がるのは耳が出来ていないからです。どんな音楽をやるにせよ先ず耳を鍛えなければ上達はしません。
私はアマチュアで管楽器を演奏しますが、吹奏楽についてもおよそ同じことが言えるなと思いました。ある程度は基礎練習で音色は形成できますが、より良い音や技量を向上させるには、始める年齢に関わらず個人レッスンを受けるのが最も近道だと実感しています。レッスンではピアニストを伴うこともあるので、今後はコレペティと思って音楽性を共有できるように臨みたいと思います。
車田さんの云うこと、「正論!」私の出た中学の名物、毎年二学期に名古屋市公会堂なるところで合唱祭やったんです。当時の校長サンがウィーン行きまして…ウィーン国立歌劇場へ行った、と。で云々と「独演会」ウィーン国立歌劇場がすごいのは当然ですよ。それは外山雄三先生からシッカリ聞いてます。あのマーラーやrR・シュトラウスが総監督してたんですから。それがどうして私らに……。中三の時に校長さん、別の学校に転勤。と、同時に合唱祭も廃止!
みな、泣いて喜びましたよ。
オマケ
若い頃、返還前の香港、中華人民共和国、、旧ソ連極東ツアーに金沢のアマチュア・オーケストラと行きました。私の家系があの溥儀と関係があったので中華人民共和国に
入国と同時に人民解放軍兵が私たちが乗っているバスに乗り込んで。きました。、で、私だけ監視下に置かれましたよ。旧ソ連、ハバロフスクでは、なんとエフゲニーアレクサンドロゥイ・ムラヴィンスキーに会えましたよ!
アホな校長ですね。カブレてしまっているんですね。ウイーンに行ったのが自慢なんでしょうね。
@@daikimoto6725
たしかに「アホ校長さま」としか云えませんわな。私の経験~云うと高校あたりから好きなヤツは自分からコンサートに行きますよ。「校長サマ」の話しよリ、外山雄三先生の話しの方がよっぽど面白かったし、先生と岩城先生がN同行した響の世界一周ツアー
(初めての時のです)のモスクワ公演((二晩だと思ったら一晩だけ!)とか、ハリではまずN響なんか指揮してくれない指揮者がいますよ。また、オットー・クレンペラーが指揮するハズだったんつむのたンデハヒナな
ムラゥィンスキーは私にとって「活仏サ〜マ〜」!」的存在ですよ!私が「マエストロ、ショスタコーヴィチのの交響曲を理解するに気をつけることを教えて下さい」と云ったら………黙ってしまった。ヤベェ〜こと云ったかと冷汗ダラダラ……。
「気を悪くしないで、欲しい。それはムリだ。なずならソ連と云う社会体制下で15年20年と暮さないとムリだからだ」
それムラヴィンスキーの回答だった。
オットー・クレンペラーの自宅に行き、クレンペラーに「N響を指揮していただきたいのですが……」と恐る恐る頼んだら………。
「よろしい。指揮してあげよう。ただし私のリハーサルは厳しいぞ」との返事!
N響の人たちは「上へ下への大騒ぎ」
なにしろ、あのオットー・クレンペラーが指揮する、と云ったんです!
……が……、
この話しは「お流れ」になりました。クレンペラーの娘さんがいない「勘違いして東京でやる」と思ったのです。やること日本なっていたねはロンドンでした。いずれにせよ「お流れ」と。ハイ!
私は楽器を弾きますが、正式なトレーニングを受けてない方から技術的なレッスンを受けたいとは、やはり思えません。しかし、小中高校の合唱指導ではそれが普通に行われているということですね。合唱指導者は音楽の指導だけでいい、本当にそう思います。でも、教育現場のコンクール至上主義が蔓延る限り、善意からの我流の発声指導は、なくなることはないのでしょうね。根が深いです。
善意の我流というのはまさにおっしゃる通りかもしれないですね。
日本の教育では、部活動を教員の仕事と当然のように位置づける事が一番の間違いです。部活動はボランティア活動なのですが、、公立であれば音楽に素人の先生がほとんどです。それを管理職である教員が無理矢理、公務として部活動を押し付ける。真面目な教員ほど学校や父母の期待の元に専門教育もないまま、全てを部活動に捧げます。ヨーロッパのように部活動はコミュニティの仕事にすれば良いのです。部活動やりたくなければそれでも良い。日本の特に中学校では全員部活必須という馬鹿げた風習が残る場所が多い。合唱部というのは生真面目な生徒が多いので先生もそれなりになってしまいます。先生も生徒も被害者ですよ。そういう視点で貴番組を拝聴しました。
車田先生、いつも面白いお話をありがとうございます。😆
私の経験ですが、趣味で声楽レッスンを受けていて、ソロ活動も特にしていませんから、クラシックをメインでやっている合唱団にしばらく在籍していたことがあります。第九とか、レクイエムとかそういう曲をメインに取り組む合唱団です。曲はとっても好きだったのですけど、ともかく歌いにくかったです。それにはいろいろな意味が含まれますがそれはさておきまして・・・。過去に合唱の勉強会で「フィンテ唱法」という言葉で説明を聞いたことがあります。それで、私は合唱曲はコッチで、ソロで歌う声楽曲はベルカントで・・・と使い分けなければいけないのではないかと思っていました😥ただ、今の常識を考えますと、郷に入っては郷に従えという感じで歌いにくい方で参加しなければやりづらいです。車田先生のお考えが日本に浸透しますように💞💞💞
ありがとうございます😊
確かに、少年合唱や大人の合唱団の歌うときの表情がみんな同じように変な笑い顔なのが不思議でしたが、このことだったのですね。発声練習といえば、オペラの合唱では全く発声練習はしないですね。誰かが発声練習はしないのですかと指揮者に聞いたことがあるが、必要な人は先に済ませておいてくださいと言われていました。私は調子悪い時にだけ少し確認するくらいしか発声はしません。
今夜も全然知らないことばかりを勉強しました。分かり易い解説を有り難う御座いました。テレビは眼耳がダメになったのでほとんど見たり聴いたりはないんでが随分前に時々聴いたことがある「ガッショウコンクール」がとてもとても変でした音楽に聴こえなかったです。言い方よくないですが「アコーデオン」みたいな風に聴こえてました。何処からか吹いてくる風みたいで初めからお仕舞まで「凪いで」終わってしまう。今の風潮ってイイんでしょうか「21世紀、音楽に旋律が無くなっているような気がしますレチタッティーヴォって言ってもいいでしょうか」つまり「語り」で「詩」というより「文章に抑揚をつけての語りかけ」みたいですけど。「メロディー」は出尽くした、いやいや「ドレミファソラシド」が消滅したのかも。「椰子の実」のような歌はもう出ない世の中になった。歌詞とイイ旋律とイイ「島崎藤村」の心のふるさとを夢見て訪ねたような風情がたまりませんいつ聴いても(90歳)素敵なお話を有り難うございました。
設定した「型」に個々を押し込んで、それを調和だと言う。これは合唱だけの傾向ではありませんね。心したい処です。いつもながら、鋭いご指摘が快いです。
昔、高校生の時に芸大の先生に個人指導していただいていたことがありますが、「高音を出す時は眉を上げて」と指導されたことを思い出しました。私はひねくれていたので、そんなことで高音が出るわけないと心の中で思い、実践しませんでした。
全く同感です。まず思うのは、合唱って本来なんであるのかな?って😂
一人じゃハモれないから数人で楽しむ、ってことですよね?私もコーラス経験して、自分の声を常に周りに合わせるのに疲れてしまい、自分を抑えて合わせるのが最優先って意味不明?と思ってました。伸び伸び歌えないし。しかも発声で訳のわからないこと言われてわかった気になってる周りの人達が不思議でなりません。私には意味がわからなくて自分の発声が合ってるのか、違うのか、未だにわかってないです。要するに発声が良い、元々持ち声の良い人達が集まってコーラスすればいいのですよね。コンクールで競争はやめた方がいいと常々思っています。ハモればそれで良くないですかね?😅楽しく腑に落ちたお話し、 ありがとうございました❣️
高校合唱部時代にテノール歌手の饗庭智明先生に声楽指導を受けたのがきっかけで声楽に興味を持ちました。合唱発声になってしまうのは、声楽学科教師と合唱指揮者との交流が無いのが原因だと思います。
車田さんのユーモラスさは好感が持てます★
アマチュアのソプラノ カウンターテナーです。
車田先生の問題指摘は、現実をよく観察してらっしゃり、実に的確だと思います!
私自身はソロとしての訓練しか受けていないのですが、日本でソロで歌うと、そのあとでコーラス指揮者の方から 「うちのコーラスにも入ってよ」 と誘われたことがあって、仕方なく試しに行ってみると、ご指摘のような諸問題が ・・・ (もちろん、そのコーラスへの参加は、お断りしました)
車田先生のご指摘は、私の実体験ともよく合致します!
アメリカで歌っても同様の体験はしなかったので、おそらく日本のコーラスに固有の問題だと思います。
すごく腑に落ちるご意見ですし、納得しました。
今年も中学校の秋の地区コンクールに向けて練習が始まるなあ。少し憂鬱です。金賞常勝校が近いので、目立たない弱小校は肩身が狭いと思わせられてしまいます。でも、そんなことより歌を、聴く人に伝える楽しさと感動の共有を経験してほしい。
(私自身は大人の合唱団指導&教会のオルガン弾き&音楽科講師です。)
勉強に😂大変なりました。なるほどと、感じている日日です。
コンクールの功罪、ありますね。確かに上達するけど、1人1人の持ち味を生かしてあげたいと思うと踏み切れません。本来の伸び伸びとした音色を大切にしたいですよね。
初コメです!私も常々あの不自然な表情は何故?と思っていました。理由が分かり爆笑です😂
確か昨年のNHK全国学生合唱コンクールでは皆さんマスク着用で歌っていらしたので、違和感なく楽しめて良かったですよ。
マスクもそれはそれでかなり違和感が😅・・
その通りなのですが観ているうちに見慣れてきたのもご時世ならではです。そこまでしてまで歌いたい、コンクールに出たいという子供達の情熱には心を動かされるものがありました。
@@kazuhisakurumada
マスクがずり落ちて、そのまま我慢して歌っている中学生を何人も見ました。
心苦しかったですよ。
素晴らしいお話ありがとうございます。こちらでも合唱団で声帯を壊してしまう人が多いようです。また専門に勉強してない人が専門家ごとく教えるので怖いですね。声帯を痛めた方が個人レッスンを通して快方に向かっているという話も多く聞きました。
嗚呼!ほんとうにおっしゃるとおり、日本の合唱団のありようは。子どもたちから大人のそれまで!おしなべて、金太郎飴のように同じような感じ。
とある演奏家団体の日本語創作オペラ?に参加したときのこと、指揮をベルリンで数年修行された方が本番指揮でした。音楽的な何か、練習の際にそれを教えて下さったのか、、、残念ながら一言も聞けませんでした。皆んなのレベルが低過ぎたのか?未だキツネにつままれたみたい😢
外国で修行するのは誰でも出来ます。そこで仕事にありつけないから日本に帰ってアマの指導をしているのでしょう。
音楽が何か分かっていないからあなた方に何も言えなかったのですね。
@@daikimoto6725 さま
その指揮者の方が、どんなふうに棒振るのか、内心めちゃくちゃ期待していました。指揮者によっては同じ楽団と思えないくらいにオケが変わるのを何度もみたことがあって、、、でも彼の人は、ほとんど何もおっしゃらず、唯一注意された点が「みんなで合わせて〜♪」という言葉でした😿
合わせる、て何?
悲しかったです。
@@greenfukucham560429 さん、それは酷いですね。はっきり言って本当にいい指揮者は少ないです。演奏家の立場から言わせてもらえれば、プロの指揮者でもリズム感、とか耳がそのレベルに達していない人もかなりいます。そういう人がみんなで合わせて、とかいうんですよね。
指揮者と言うのはオールラウンドでなければだめです。音楽的なことはもちろん演奏者が魅力を感じるくらいの人間性を持っていないとだめですし、いろいろな問題が起こった時に臨機応変に対処しなければなりません。そのためにはインスピレーションとかアイデアが必要です。
ある時カラヤンのところで習った、という指揮者とやりました。どれだけ習ったのか知らないですが酷かったですね。
おっしゃることはとてもよくわかります。中高の現場では、音楽科というだけで、器楽専門なのに合唱部顧問だったりします。
でも、現実問題、私立はわかりませんが、多くの公立学校の場合、声楽レッスンを個人で受けるとか、顧問以外の先生に発声を習うことは、経済的に、予算的に難しいのだと思います。
たまに学校で合唱の指導を頼まれますが、私も歌唱、というか演奏すること自体が専門外、楽曲解釈や音楽理論が専門なので、「演奏は専門外だから発声の指導はしないよ」と常に断りを入れています。
まぁ、合唱においてハーモニーの響き、心地良さは大事なので、さすがに音程が合っていないところは指導しますが。
その分、楽曲解釈や表現といった音楽的な指導にはかなり力を入れています。
例えば森山直太朗の合唱曲「虹」では、「mezzo f」と「meno f」が書き分けられています。何故わざわざこんな書き分けをしたのだろう?どうやって差をつけよう?とか。
日本の方々はスポーツでも勉強でも仕事でも音楽演奏でも、時間をかけて頑張ればなんとかなる「根性で乗り切る」になりがちですが、一旦冷静になって目標達成のための戦略(≒計画)を決めてからはじめると良さそうですね(最近雅楽の発声に興味を持ちました、声楽の学習に役立つかな?)。
全くその通りです。音楽もスポーツもやりすぎです、みんな慢性疲労しているのが自覚出来ないから本来の力が出せないです。
人間は機械ではないです。
そうなんですよね😅
中高のコンクールたまに観ますがなんかあの独特な雰囲気って言うか顔つきがなんとなく苦手です💦
とても美しい揃った声で歌っておられるのは認めますが。
人間は、一人一人、体格が、違うはずです、画一的な練習では、今のSNSで、いろいろな個人に適した練習を、取捨選択する必要があると思います。
思い切って踏み込まれたお話しでしたね。
おっしゃることは全くその通りです。
でも現実問題、専門のボイストレーニングの先生を雇う余裕なんて
殆どの学校はないはずです。個人でそこまでやるのは音大の声楽科志望の
生徒くらいでしょう。
全員でやる発声は気分高揚の為の準備運動と割り切ってやるべきでしょうね。
車田さんのいきなり工事中🚧‥知っているだけに‥(笑)
ワールドカップ楽しみですね♡ 日本は第1試合がドイツ戦です😅今回のグループは厳しいなぁ~💧
日本の次に応援しているドイツだけに内心複雑です😥
ドイツは不調ですが、2大会連続でグループリーグ敗退するわけにもいかないので気合は入っていると思います😊
私は、小学校時代、合唱部に入っておりました。顧問の先生は、この小学校の音楽の先生でしたが、とにかく、美しく歌ってねと、みんなに言っておりました。だから、この合唱部のことは、楽しい思い出です。
今回も興味深いお話をありがとうございました。私も大学時代に混声合唱団にいましたのでうなずきながら拝見しました。概してナチュラルな指導をされる先生方に囲まれてはいたものの、今日先生は言及されておられませんでしたが「自然体」「頬骨」「横隔膜」「背筋」などというキーワードは今でも記憶に残っています。今となっては懐かしい思い出ですが、結局は腹落ちしない四年間でした。才能(適性)がなかったんですね。。。
自然体や頬骨なども誤解が多そうなキーワードですね・・。
どうしても、部活関連の動画は関心があるので反応してしまいます…
この動画、合唱部時代の自分に見せてあげたい…
小学生の時から有志の合唱団に所属していたこともあり、音楽が好きで中学も合唱部に入りましたが…
全国的に有名な顧問の指導は「とにかくもっと大きな声を出せ!」「もっと表情を明るく!」「眉毛と頬骨あげて!目の穴鼻の穴毛穴全部開ける!」というもの…
先生は大学で声楽を学んでいたと思われるのですが…
こっちは真面目にやってるつもりなのに、先生に目をつけられてしょっちゅう叱責される…
そんなに楽しい感じの曲じゃない時、なんなら真面目な曲の時に、「もっと笑って!」と言われる。心の中で、(笑うような曲じゃないだろ…)とツッコむも、無視するわけにもいかず引きつりながら歌ってました。
もちろん、歌っていて全く楽しくなかったです。
社会人になり、個人的にミュージカル歌唱の個人レッスンに通っていた時期がありました。
そこでは無理して笑えとは言われない。中学の時よりも具体的に発声法を教えてくれる。「大きな声を出そう!」と意識しなくても、勝手に大きな声が出る…!
レッスン1回目から声がすごく響いたので自分でもビックリし、先生に「私、声小さかったですか…?」と聞くと、先生は「え?バンバン声響いてたじゃん?」
…中学校の合唱部の活動ってなんだったんだろう😇と思いました。
ちなみに、私も中学合唱部、高校吹奏楽部だったので、車田さんの動画にはとても共感できますし、勝手に親近感を抱いています!(笑)
今から50年以上前の話です。当時、地方の少年少女合唱団に入ってました。ある日、ウィーン少年合唱団の公演で来日された指揮者から指導を受けたことがあります。おそらく、1時間程度だったと思いますが、そのわずかな間に驚くほど表現が豊かに深くなったのを記憶しています。指導での通訳は記憶にないので、指揮者の表情とタクト、体の動きで理解していたと思います。当時は目や眉を吊り上げて、ということは言われなかったと思います。
なんだかすごい現代曲ばかりやって、ものすごい腹筋背筋を鍛えて、なんか芸術と少し離れた感じなのかもしれませんね。最近、大学の合唱団はアカペラ合唱を取り上げるようになって、少し良くなっているのかな?とおもったりもしますが...
シンガーソングライターの岡村孝子さんも本当はクラシックのピアニストか声楽家になってたかもしれません。彼女も高校で合唱をやってました。
僕も合唱コンクールで指揮をしましたが、各パートのバランスを取ってアンサンブルを整えるようにしました。
同感です。異様な合唱部が多いです。
仰るとおりだと思いました。ありがとうございます。音楽だけじゃないですが、大学出たくらいで、教師や指導者になること自体なんとかならないかと思ったりしてます😅
今は目を見開く歌い方の学校が減ってきています。自然な表情。指導者は ご自身が歌えないと始まりませんね。
ピアノも同じです。
吹奏楽部でしたが、合唱の全国大会見ても吹奏楽同様物凄い不自然なんですよね。
小学生の時も合唱団入ってましたがその時も不自然な指導がありました。日本における音楽教育見直さないと思うところはありますね。
また色々日本のアマチュア合唱団の事とかも知りたいです🎵✨予告のあったライブ配信楽しみにしています🎵😃✨
日本人は勉強嫌いの修行大好き国民だからね
無意味なこと長時間やることに価値見出すしそれを評価する
スコアばっか気にする
車田先生が中学生の頃指導を受けた地元の高校の先生?(須賀川市?)
自分は音楽やったことはないけど気になってしまう(郡山市在住)😅
器楽側ですがグループレッスンはダメ、集団合奏参加などは技術向上というよりは技術消費みたな実感はあります
せっかく声楽に高いお金出して習ってるので、コーラスはスパッとやめました😅
私もサッカーは大好きです。車田さんのいらっしゃったドイツでは、クラシック音楽もサッカーも日本とは随分違う存在の仕方をしてるんでしょうね。「水や空気のように」とはありふれすぎた言い方ですが。
私は来月のW杯でのグループ突破確率は🇩🇪85%、🇯🇵20%と見ています。勿論サッカーですから何があるか分かりません。その20%を1%でも2%でも上げるような準備と戦いを期待して応援しますが⚽️
指揮者は音楽を教える事だとびっくりしました。何かホットしました。❤😅
日本では綺麗に歌うではなく元気に大きな声で歌うことを良しとする風潮があるように思う。幼稚園保育園のころからまともに歌を学んだことがない人が恐らくほとんどでしょう。
そもそも芸術を軽視している国でまともな指導者が育つわけもないし。
日本のブラスバンドでもきちんと演奏を勉強したことのない人が指導していることがほとんどで、きちんと呼吸ができないくらいなら良いほうで、口を壊してしまう子供も沢山います。
コンクールは基本減点方式です。高校でコンクールで全国出た人たちはやたら表現表現いうわりにはちゃんとした声楽を学んでないので軸となる声の人がいないんですよね、周りに合わせる、綺麗にハモるだけで?自分の声が観客に届かないのに表現とは?といつも思ってました。声楽って自分の体が楽器なのでほとんど才能なんですよね。発声練習は練習前の声慣らしでしたね。ボイトレはあくまで、個人で。合唱団の人と音大の人は発声が全然違うことは分かりました、これは、別物、だと。合唱団に入っても合うわけないんですよ。モノが違うからその人の声しか聞こえなくなる。それが合唱団の連中は嫌うんですよ。
声楽をきちんと勉強していない人が発声指導するのはマイナスになる可能性が極めて高いんですね、、
あと、そもそも音楽の勉強・経験が足りない先生が指導しているケースもありますね。(私の中学がそうでした😅しかも熱血指導をする先生)
私の中学では「みんなで仲良く団体行動をできる生徒たちは素晴らしい」みたいな道徳教育の様なことも合唱の時に何度か指導されました。
「みんなハツラツと目を見開いて笑顔で!」とゆう指導法は、スポ根や道徳教育にマッチしてしまいやすく思います。
個人的には違和感がありますが…
アメリカで子供合唱団「ワン・ボイス・チルドレンズ・クワイア」を率いているのは日本人。
表現の仕方が日本の子供達の合唱とは別物😮
ええと、全体練習しかしない団があるんでしょうか。。個別指導が必須なのは当然だし、全体でのアップ練習で細かい指導などできないのも何か当たり前というか。。何か私の知っている団の様子と違うなあ。
いつも全く的を得た話で感心します。
怒った顔で歌うなんて全く笑ってしまいますね。指揮者は何を考えているのでしょうかね。
一番の問題は中高校の殆どの指揮者の音楽的なレベルが低いことです。
彼らは長年音楽家としてステージに立って高いレベルの人たちと一緒に演奏した経験がないので
やはり本当の音楽の表現とか勉強の仕方などが分かっていないのです。
車田さんのように本場のドイツでプロとして活動しているくらいのレベルになって初めて
音楽とは何か、どう勉強すればいいのか分かって来るのです。
音大は技術の基礎を教えるところでそこを出て、それから演奏を通して
音楽の表現を習うのです。それでやっと一人前の音楽家になるのです。
そうなんです、指揮者というのはみんなをまとめてどう音楽を表現するか、それを指導するのが仕事です。
それはアマチュアのグループであろうがプロのオーケストラであろうが同じです。
まあ、とにかく日本はコンクールに犯されています。
今のような状況では音楽の文化は育ちません。
子供たちが可哀想です。
あれ疑問に思ってたけど、やっぱり過競争により生じた儀式だったか。
日本人は本当、非科学的だよな。何にでも儀式を作る。
最近テレビで合唱コンクール見たら学校によって気味悪くて見てられない時があります(昔はそんな事なかったんですが)。不自然に不気味な笑顔というか、感情におぼれ酔いしれて歌うとで表現が伝わると勘違いしてる様な気がします。「笑顔でうたいましょー」て指導でよく聞くのですがウィーン少年合唱団は別に笑顔で歌ってません。笑顔の結果広角を上げる効果もあるでしょうが、見栄えのために笑顔にする場合もある様で、だったらバイオリンやピアノも笑顔で弾かなきゃならないでしょうが、歌だけが妙な笑顔にさせられる事に違和感をおぼえます。
私は大学の主専攻は心理学ですし、ピアノ歴40年あっても声楽はきちんと習ってないので、部活動の指導で発声を教えることはありません。大学の部活動は専門の人を口説き落として巻き込んでいけばいいから、詳しくないことを自分で抱える必要がないです。
中学や高校の部活動は教育の法のもとに行うから、単純に専門性の問題ではなく、教育の法の枠組みが難しいのかもしれません。今、部活動の地域移行が進んでいきます。今後どうなるのかはわかりません。より悪くなる可能性もあるし、より良くできる可能性もあります。
私の子どもの頃や大学生時代に所属した合唱部はゆるい部でした。指導者は声楽専門でしたが、コールユンブンゲンやコンコーネをちょこっと準備体操に使うくらいでした。練習時間が取れないから、知識や教養を深めつつ音楽的な戦略をつめていきました。練習量は最小で見栄え良くまとまります。
…そもそも合唱部なのになぜかピアノばかり弾いていた。速達で伴奏用の楽譜が届く生活で、全然歌えなかった(笑)
私は歌っている人の変顔を見るのを楽しでいます。
小学生の音楽の先生が、児童の口の中に拳骨を入れて歌唱指導していた話を聞いています。中にはトラウマから心身症に為った児童も居たのです。此れは一般的な指導なのでしょうか?
それはひどい・・
全くそうですね。😂
合唱コンクールを見て、皆が特徴的な表情で歌っている事に違和感を持っていました。車田さんの話、合唱を指導している人達に知って欲しいです。見ていて息苦しい感じがします。
何かの本で、ベルリン・フィルのサッカー部の写真を見たことがあります。有名オケのサッカー部の試合を見てみたいものです。
オペラハウスにもサッカー部があったりするんですか?
ウィーンフィルのチームが以前ミラノスカラ座のチームと試合していました😂
@@hiroyukiohara_official それ、めっちゃ観たいです😆でもやっぱり究極はウィーンvsベルリンですね😁
児童合唱(特に教会の聖歌隊のようなものではない小学生主体の女子も多い)の合唱指揮者と発声指導についてはどのようにお考えですか?
変な顔のために成就しなかった恋が、どれほどあるだろうか???
😢
発声練習に効果無いっていうの俄かに信じられない。
だって上手い団の人たちそれなりに上手いじゃん。
むしろ共産圏(元含む)の軍の合唱団の方が自然な表情で芸術的な歌唱を聴かせてくれていると思っています。
赤軍合唱団(露)や功勲国家合唱団(朝)あたりが有名でしょう。個人的にはモンゴル軍の合唱団(ここもソ連様式)はとても楽しそうに歌っていて好きです。
私の中学の時の音楽の先生
音楽大学で学んだ方ですけど、発声を習ってはいけなかったのでしょうか…?😥
まゆをつり上げても、良い声や音は出ませんが、良い音楽をしようとして、細心の注意をはらう時、まゆがつり上がったり、目をひんむいたり、そういう風になる事は、弦でも管でも声楽でもあると思います…💧
合唱コンクールでの児童、生徒の表情に違和感を感じます。もっと自然な表情で歌ってほしいと思います。
指導者が何も分かっていないのです。子供たちが可哀想です
いいお話しありがとうございます😂
合唱の指導者は、全員発声指導も出来るんだと思っていました。中高生が可哀想ですね。せめて音楽的に優秀な先生に音楽面で指導してもらいたいですね。でも中学高校に音楽的の優秀な先生って沢山は居ないでしょうね。 中学高校の音楽の先生って、皆音大卒なんですか?
海外勢の合唱団に勝てる訳が無い。