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もうツクツクボウシの季節ですね。夏の終わりからはヤブ蚊が大量発生します。虫除けは忘れずに😊
季節が移ろう瞬間は、どことなく好きですが‥全力でヤブ蚊には、注意をしたいと思います😊
徘徊さんお疲れ様でした。今回は置き薬がかなり残ってましたね😅昭和52年のカレンダーすごいですね〜私がまだ小学生です。家族写真を期待しましたがないみたいで残念😂
置き薬からは、まるで溢れ落ちそうなほど薬が詰め込まれていました。約50年前から時が止まったかのように、その家屋は崩れ落ちつつあります。おそらく、家族写真だけは大切に持ち帰られたことと思います。
お疲れ様です。徘徊さんの動画を見てると、ザ、昭和で懐かしい物ばかりです。私の家でも昔薬箱は二つありました。今の若い子に、赤チンて薬知らない人多いでしょう。バンソウコウも地域によって言い方が違うみたいです。次の動画も楽しみにしています。
あえて古びた廃屋を見つけることに魅力を感じる次第です。薬箱が二つあるのも珍しくないのかもしれないですね。赤チンを知らない世代も、増えていることだと思います。バンソウコウも「キズテープ」に呼び名は変わりつつあるように感じます。
お疲れ様です。残留物は殆どが昭和30年代以前の物ばかりですが、昭和52年1977年まで住んでいた様ですね。朽ちが激しいのでよく分かりませんが、最後は高齢の単身世帯だった様に思われます。
残された物はどれも古び、建物自体も相当な年月を経たもののようでした。このような廃屋は、時代とともに消えつつあり発見は貴重なものでした。同じように、最後は高齢の一人暮らしの住人であったことが想像されます。
徘徊様お疲れ様です。戦前から1970年代後半まで御家族の生活があったお宅の様です。この山中の立地ですと当時はなかなか病院にもかかる事が困難だったのでしょう。様々な置き薬で「おくすりまみれ」の状態ですね。しかし現在も笑ってはいられません。お年寄りが複数個所から沢山の薬をもらいそれらの相互作用でかえって体に害を及ぼすというpolyfarmacyが問題となってきている様です。病気から早く回復したい、長生きしたいと薬に頼るのは戦前から現代まで変わらない様です。その様な御家族を見守り続けてきたこのお宅も屋根が落ち壁が崩れいよいよ倒壊の時を迎えている様です。
山間部での生活では、病院に気軽にアクセスできない不安が常につきまといますよね。そのため、こうした地域では薬箱を常備していることが一般的にも思います。副作用が伴うことは‥何とも逆効果ですね。自然豊かな環境に住む利点がある一方で、そのようなリスクが厳しくも感じます。
お疲れ様です。東屋状態でも箪笥一つ残っているとかなり楽しめますね(^-^)
そんな残された空間に‥かつての微かな記憶の断片が、漂っているかのようです。
昭和52年!愛媛県の山間部もまだ病院等遠い存在だったのかな?配置薬品の箱がたくさん…びっくりしたのは、風邪薬の謳い文句に抗ヒスタミン!今の風邪薬と何ら変わらない内容?(笑)昔から日本人は薬を多用してたんですね。最後の立派な仏壇と神棚…たくさんの薬箱が何か共通するものがあるなぁと感じます。サブチャンネルですか...も増えてますね😊嬉しいです!お疲れさまでした(^-^ゞ
おそらく病院が、遠い存在だったことは確かだと思います。昔も今も、薬は常に必要不可欠ですね。立派な神棚の前で‥当時は向かい合い祈りを捧げていたことを想像すると、言葉で表せないものがあります。病院より神の方が、近く頼れる存在だったのかもしれないです。
哲学…
もうツクツクボウシの季節ですね。夏の終わりからはヤブ蚊が大量発生します。虫除けは忘れずに😊
季節が移ろう瞬間は、どことなく好きですが‥
全力でヤブ蚊には、注意をしたいと思います😊
徘徊さんお疲れ様でした。
今回は置き薬がかなり残ってましたね😅
昭和52年のカレンダーすごいですね〜
私がまだ小学生です。
家族写真を期待しましたがないみたいで残念😂
置き薬からは、まるで溢れ落ちそうなほど薬が詰め込まれていました。
約50年前から時が止まったかのように、その家屋は崩れ落ちつつあります。
おそらく、家族写真だけは大切に持ち帰られたことと思います。
お疲れ様です。徘徊さんの動画を見てると、ザ、昭和で懐かしい物ばかりです。私の家でも昔薬箱は二つありました。今の若い子に、赤チンて薬知らない人多いでしょう。バンソウコウも地域によって言い方が違うみたいです。次の動画も楽しみにしています。
あえて古びた廃屋を見つけることに魅力を感じる次第です。
薬箱が二つあるのも珍しくないのかもしれないですね。
赤チンを知らない世代も、増えていることだと思います。
バンソウコウも「キズテープ」に呼び名は変わりつつあるように感じます。
お疲れ様です。残留物は殆どが昭和30年代以前の物ばかりですが、昭和52年1977年まで住んでいた様ですね。朽ちが激しいのでよく分かりませんが、最後は高齢の単身世帯だった様に思われます。
残された物はどれも古び、建物自体も相当な年月を経たもののようでした。
このような廃屋は、時代とともに消えつつあり発見は貴重なものでした。
同じように、最後は高齢の一人暮らしの住人であったことが想像されます。
徘徊様お疲れ様です。戦前から1970年代後半まで御家族の生活があったお宅の様です。この山中の立地ですと当時はなかなか病院にもかかる事が困難だったのでしょう。様々な置き薬で「おくすりまみれ」の状態ですね。しかし現在も笑ってはいられません。お年寄りが複数個所から沢山の薬をもらいそれらの相互作用でかえって体に害を及ぼすというpolyfarmacyが問題となってきている様です。病気から早く回復したい、長生きしたいと薬に頼るのは戦前から現代まで変わらない様です。その様な御家族を見守り続けてきたこのお宅も屋根が落ち壁が崩れいよいよ倒壊の時を迎えている様です。
山間部での生活では、病院に気軽にアクセスできない不安が常につきまといますよね。
そのため、こうした地域では薬箱を常備していることが一般的にも思います。
副作用が伴うことは‥何とも逆効果ですね。
自然豊かな環境に住む利点がある一方で、そのようなリスクが厳しくも感じます。
お疲れ様です。
東屋状態でも箪笥一つ残っていると
かなり楽しめますね(^-^)
そんな残された空間に‥
かつての微かな記憶の断片が、漂っているかのようです。
昭和52年!愛媛県の山間部もまだ病院等遠い存在だったのかな?配置薬品の箱がたくさん…びっくりしたのは、風邪薬の謳い文句に抗ヒスタミン!今の風邪薬と何ら変わらない内容?(笑)昔から日本人は薬を多用してたんですね。最後の立派な仏壇と神棚…たくさんの薬箱が何か共通するものがあるなぁと感じます。サブチャンネルですか...も増えてますね😊嬉しいです!お疲れさまでした(^-^ゞ
おそらく病院が、遠い存在だったことは確かだと思います。
昔も今も、薬は常に必要不可欠ですね。
立派な神棚の前で‥当時は向かい合い祈りを捧げていたことを想像すると、言葉で表せないものがあります。
病院より神の方が、近く頼れる存在だったのかもしれないです。
哲学…