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懐かしいです、修学旅行で信州に行った時にバスガイドさんが歌って下さいました😊。
うたごえ喫茶 ともしび へ行くとこの歌を必ず歌いました。懐かしい青春の思い出のうたです。山の歌の中では一番好きです。
コメント頂きありがとうございます。私は高校時代ワンゲルにいました。その頃は「山は呼ぶ」という歌を歌っていました。社会人となり、労働組合のストライキでの集合待機のときに、何故かこの歌が皆で歌われていました。その時にこの歌を知り、以来好きになりました。
”雪山に消えたあいつ”も、”銀色の道”も、”雪山賛歌”と共にダークダックスの山歌の最高傑作です。
コメント頂きありがとうございます。
すばらしい歌詞、メロディ、歌声、どれも抜群。
素晴らしい歌詞? 失恋して悲観し雪の穂高に登り遭難(自殺?)山男として恥ずかしい行動では?
大好きな歌…日本の著名な登山家も何人か雪山へ消えた人がいますね😢..私は登山ではなくトレッキングが好きで沢山の山々へ行きました!レコード所持❤
何度聴いても、涙があふれて来ます🍀3/18日
コメント頂きありがとうございます。私も山の歌ではやはりこの歌が一番好きです。
私もよく穂高岳には、登りました、また雪の穂高を、奥穂高岳から、西穂高に縦走しました、この歌を聞くと、友人の死を思い出します、友人は、昭和45年8月5日に前補高3峰で転落して、遭難しました、山と渓谷の雑誌にのり、とても考えると悲しい、歌ですがとても、好きな歌で、友人を思い出しします、これからも、いい歌をお願いします。
この曲を何度か聞かせて頂いて居る内に私も雪登山がしたいと言う気持ちに成りました。
コメント頂きありがとうございます。冬山登山は天候が荒れますと危険ですが、快晴の時などは最高です。是非登ってみて下さい。天候と雪崩には十分気を付けてくださいね。
夫は穂高が好きで若い頃何度も登っていました。この歌は彼の青春そのものです。今は病気で他界しましたが、銀のピッケルと穂高が私の宝物です🍀
コメント頂きありがとうございます。私も山が好きで若い頃は無謀な登山をしていましたが、奥様にこの様な思いをもってもらえる旦那さまが羨ましい次第です。
@@yukion.返信ありがとうございます。冬の穂高で雪かきした時の事、もうダメかと思った。と語っていました。
山で何人の山友を亡くしただろう。この歌を聴くと涙がでます。山で臆病だっただけに生きています。辛いが現実です。
遅れましたがコメント頂きありがとうございます。私も50年前の頃は山に行っていました。。ほとんど単独行で、厳冬期の赤岳では危ない思いをしました。思うのですが、貴殿は臆病ではなく慎重なのだと思います。山にはそれが必要で、山は帰ってくるために登るものだと思います。時には大胆さが必要な場合がありますが、度を越してはならないと思います。なにしろ相手は自然なのですからと思います。近年視た【岳】という映画の中で、「山に捨ててはいけないものは何?」という答えが【命】というくだりがありましたが、ちょっぴり感動しました。また、著名な登山家で、山以外で生涯を終えたのはガストン・レビュファーぐらいでしょう(ラインホルト。メスナー氏は健在ですし)氏らは卓越した技術と思慮深さ、精神力があったからだと思います。しかるに生きておられる貴殿は誇りをもって良いのではないでしょうかと思います。何か説教じみた返信となりましたこと、深くお詫び申し上げます。小生昭和23年生まれですが、貴殿がご先輩であられましたら頭があがりません。
@@yukion. 年齢は関係ありませんので気をつかわないでください。若い頃は歩荷もやり、富士山では脱落した人のザックを背負ったこともあります。私も今では単独行です。昔、赤岳で浮石を踏んで滑落しましたが、ケガもなく助かりました。小さな雪崩に巻き込まれたこともありましたが無事でした。奇跡ですが、まだ生きていろと、神様が助けてくれたのでしょう。それからは人のために汗を流そうと決め今日に至っています。山では助けられたり助けたりです。今は、谷川岳に魅入られて家族を引き連れて群馬へ、毎日谷川岳を眺めて過ごしています。山はいですね。
@@hermit-cloud 様 ありがとうございます。私は栃木の那須の生まれですが、18才の時に大阪に就職し、寂しくなるとよく山にいきました。危ない山行もよくやりました。岩登り以外は冬山もほとんど単独行でした。でも本当に山はいいですね。正直ですし。
4:12
高校の修学旅行で長野県のバスガイさんが歌ってましたね良い歌ですが悲しい歌ですね
若い頃、友達といろんな山に登りました………。哀しくも、山に消えた友を思うレクイエムですね………。心に染みわたります😢
ゴアテックスもシンサレートも無い時代。この歌のような事は頻繁に起きていた事でしょう。山が好きだった我が父が偲ばれます。
コメント頂きありがとうございます。恥ずかしながら、ここに出てくる粗末な装備の若者は小生です。貴殿の思いがよくわかります。私も後になって最新装備で登山ができるようになりました。
@@yukion. レスどうもです。話題の我が父ですが大学で山を覚え日本の二千m以上の山は全て登った山好きでした。大学が理系だったので繰り上げ卒業から少尉中学の同級生達、文系だと学徒出陣で二等兵南の島で地獄を部隊によっては中学すら進まなかっと田舎者にいじめられた事も。田舎の水呑みが東京六大学相手に威張れる訳だから。戦後進駐軍の放出品(ほとんどが横流し品)揃えて山に復活。木綿側木綿わたのシュラフは重く大きく寒かったってゴアテックス、シンサレートのシュラフ干しながら笑ってた。70代いっぱい山は行ってた、最後の遠征は屋久島遺影は鳥海山頂。
@@massyk7446 様 ご丁寧な返信を頂きましてありがとうございます。文面からしますと、貴殿のお父上様と私の父親は同世代だったのだろうと推察されます。私の父親は戦時中、栃木県の中島飛行機宇都宮製作所で軍用機(主に戦闘機の疾風)を作る旋盤の職人工でした。同僚は群馬の小泉工場で零式艦上戦闘機52型の制作をしていたようです。そのため戦地には行きませんでしたが、自分たちの作った戦闘機で若者が散って行ったことを悔やんでいました。戦後私が生まれ物心ついたころに聞かされたことを覚えています。私はといえば、工業高等学校を卒業後、栃木の那須から大阪に就職してきて以来大阪で暮らしています。(もう13年前に定年退職しましたが)おりしも世の中は大量生産の時代で、日常生活から逃れようと粗末な装備でよく山に行きました。岩登り以外は冬山もほとんど単独行でした。素質も無いのに、アルプスの三大北壁に憧れました。結局は結婚後、妻と三大北壁を見に行っただけで終わりました。後年ヒマラヤに憧れていた山友と「日本百高山」登頂を目標にしましたが、途中私は脊椎の病気で断念しましたが、山友は達成しました。貴殿のお父上様は2000m以上全て登られていますので「日本百高山」は達成しておられるのですね。(百高山の最後は新蛇抜山2667mです)あの時代の装備で達成されたお父上様に敬意を表します。
@@yukion.中島飛行機小泉工場・・・高等女学校四年生で挺身隊に志願した母が居ました。零戦と言わず死ぬまでエーロクと呼んでました。悔やんでいたのは女子医専蹴った事ww父の中学の先輩の海兵さんに憧れてこの人のお嫁さんになりたいと思った方は少尉任官後配属された軽巡神通で今も豊後水道の底で戦艦大和を守ってます。
@@massyk7446 様 重ね重ねの返信ありがとうございます。お話とても感動しました。お嫁さんにほしいと思い、叶わなかった初恋の遠い昔を思い出しました。
コンサートでこの歌を聴いたときのマンガさんの真剣な眼差し、感動で体が震えたことを思い出しました。懐かしい思いでです❗
🧔自分も山歩きします。雪山はしないけど⚾この歌は、昔から聴いた事
これが一番涙ぐむ、何故そうか
人間一人では生きて行けない。仲間は最高。
植村直己、貴方は、マッキンリーの氷河に消えてしまった。わたしは永遠に忘れません。
この歌を初めて聴いたのはいつ頃だろうか?一人で山に登り稜線に佇み吹く風に心安らんだ。
コメント頂きありがとうございます。稜線に立ち風に吹かれて眺める景色、ほんとうにやすらぎを感じますね。
山を愛した山男、その深い胸に抱かれて全うするなら 有る意味幸せなのだろうと考える。
「 前歯なき 兄の遺影に 磁石置く キリマンジャロの 山を憎まず 」
yukioさんお久しぶりです。お元気ですか?私はつい最近、札幌市の手稲山で遭難した41才の青年が遺体で見つかったと知って何とも云えない気持ちです。ご家族の方たちはとても悲しまれているでしょうね?
コメント頂きありがとうございます。お元気でしょうか。私は年のせいかいろいろな病と同居しています。遭難死があったんですね。悲しいことですが、映画「岳」の中の言葉を思い出します。山に捨ててはいけないもの、それは「命」だそうです。
@@yukion. 無事に生きていて下さってありがとうございます、これからも長生きしてくださいね✨
消えるか消えないか、消えない希望があるから、消えない
この歌に叶うものはないです🍀3/18
大変貴重なコメント頂きありがとうございます。
ちょっと待て!「夢に破れて帰ら」なかったわけじゃないだろう彼の人生のその場所に山があっただけだ。誰だって夢を描いて登らなくちゃならない山がある。それが穂高だっただけだ。
コメント頂きありがとうございます。そうですね。山は理屈無しに行くものかもしれません。
銀のピッケル振ってたあいつーーピッケル打ってた⛏️
yukioさんメッセージ😆💕✨貴方は決して意気地無しなんかではありませんよ。ご自分の命を大切にしてくださいませ。山で散ったら、貴方の愛する女性が哀しみますよ。お二人で登山を楽しんではいかがですか?お幸せにね💘
いのちを大切にね✨♥いのちequal愛ですよ。
@@羽田友美-m9g 様 ありがとうございます。気が楽になり救われます。
歌詞の表示をワンテンポ早くしたほうがいいですね😢
貴重なコメント頂きありがとうございます。もっと勉強します。
千年王国に入った、自分が入れた、それに従う
何かを何に託すかは、わかっつてる
山にしろ地上にしろ、消えないものは消えない
この歌が作られ、初めて公開された日、私はD.Dが山の歌でヒットしていたので、それに乗じて作られたことなども併せて、わざとらしい歌詞だなと思ったことがある。あれから半世紀経ってしまった…歌はじんわりと重みを増していた。歌い手の巧みさにもよるところが大きいと思う。
この場合はいいやつとは誰になるのか?
自分が消えるのではないんだ
未来の何かに
のもとは今何をしようとしているか、山か、競馬か、極楽トンボと言われていた、といったが、短い付き合いだった
消える気がしないから
私の愛する人も登山家です。彼にはそんな目に遭わないで欲しいな。
コメント頂きありがとうございます。登山家は結構哲学と身勝手なところがありますから、包んであげてください。ただ覚悟は必要だと思います。いつかある日の作詞者ロジェ・デピュラは妻子を残し山でちりましたし、加藤文太郎氏は身重の妻を残して厳冬の北鎌尾根で帰らぬ人となりました。長谷川恒男氏も然りです。私も昔、山に行ってばかりしていました。夜行列車で厳冬の八ヶ岳(赤岳)に単独行で行くときに、付き合っていた女性がホームまで見送りにきて、何かの時にはこれでしのいでとチョコレートを渡されたのを覚えています。(当時山で板チョコ一枚で一週間しのいだという事が話題になっていました。)小生、その後危険性が高い山行は止めました。その女性と結婚もしました。意気地なしですね。
こ
ナンバーズの当て方が分かった。それは、はやぶさの狩りと言うのだ。昔はこのはやぶさの狩りで当てて戦っていたと言うのだ。私にはこれが初めてであった。このはやぶさの狩りで当てると何からわかるのだ。例えば体の事とか当てると良い。そして、友人の事を当てて見る。それから、孔雀王と言うのがあったのだ。それは、お風呂に入り、石鹼かボデイソープで泡だてて下に落ちるときに音を当てるのだ。これが孔雀王と言うのだ。そして、はやぶさの狩りでストレートを見つけてみると良いそして、信用王と言うのがある。何を信用するのかだ。、、
懐かしいです、修学旅行で信州に行った時にバスガイドさんが歌って下さいました😊。
うたごえ喫茶 ともしび へ行くとこの歌を必ず歌いました。懐かしい青春の思い出のうたです。山の歌の中では一番好きです。
コメント頂きありがとうございます。私は高校時代ワンゲルにいました。その頃は「山は呼ぶ」という歌を歌っていました。社会人となり、労働組合のストライキでの集合待機のときに、何故かこの歌が皆で歌われていました。その時にこの歌を知り、以来好きになりました。
”雪山に消えたあいつ”も、”銀色の道”も、”雪山賛歌”と共にダークダックスの山歌の最高傑作です。
コメント頂きありがとうございます。
すばらしい歌詞、メロディ、歌声、どれも抜群。
素晴らしい歌詞? 失恋して悲観し雪の穂高に登り遭難(自殺?)山男として恥ずかしい行動では?
大好きな歌…日本の著名な登山家も何人か雪山へ消えた人がいますね😢..私は登山ではなくトレッキングが好きで沢山の山々へ行きました!レコード所持❤
何度聴いても、涙があふれて来ます🍀3/18日
コメント頂きありがとうございます。私も山の歌ではやはりこの歌が一番好きです。
私もよく穂高岳には、登りました、また雪の穂高を、奥穂高岳から、西穂高に縦走しました、この歌を聞くと、友人の死を思い出します、友人は、昭和45年8月5日に前補高3峰で転落して、遭難しました、山と渓谷の雑誌にのり、とても考えると悲しい、歌ですがとても、好きな歌で、友人を思い出しします、これからも、いい歌をお願いします。
この曲を何度か聞かせて頂いて居る内に私も雪登山がしたいと言う気持ちに成りました。
コメント頂きありがとうございます。冬山登山は天候が荒れますと危険ですが、快晴の時などは最高です。是非登ってみて下さい。天候と雪崩には十分気を付けてくださいね。
夫は穂高が好きで若い頃何度も登っていました。この歌は彼の青春そのものです。今は病気で他界しましたが、銀のピッケルと穂高が私の宝物です🍀
コメント頂きありがとうございます。私も山が好きで若い頃は無謀な登山をしていましたが、奥様にこの様な思いをもってもらえる旦那さまが羨ましい次第です。
@@yukion.返信ありがとうございます。冬の穂高で雪かきした時の事、もうダメかと思った。と語っていました。
山で何人の山友を亡くしただろう。この歌を聴くと涙がでます。山で臆病だっただけに生きています。辛いが現実です。
遅れましたがコメント頂きありがとうございます。
私も50年前の頃は山に行っていました。。ほとんど単独行で、厳冬期の赤岳では危ない思いをしました。思うのですが、貴殿は臆病ではなく慎重なのだと思います。山にはそれが必要で、山は帰ってくるために登るものだと思います。時には大胆さが必要な場合がありますが、度を越してはならないと思います。なにしろ相手は自然なのですからと思います。近年視た【岳】という映画の中で、「山に捨ててはいけないものは何?」という答えが【命】というくだりがありましたが、ちょっぴり感動しました。
また、著名な登山家で、山以外で生涯を終えたのはガストン・レビュファーぐらいでしょう(ラインホルト。メスナー氏は健在ですし)氏らは卓越した技術と思慮深さ、精神力があったからだと思います。しかるに生きておられる貴殿は誇りをもって良いのではないでしょうかと思います。
何か説教じみた返信となりましたこと、深くお詫び申し上げます。小生昭和23年生まれですが、貴殿がご先輩であられましたら頭があがりません。
@@yukion. 年齢は関係ありませんので気をつかわないでください。
若い頃は歩荷もやり、富士山では脱落した人のザックを背負ったこともあります。
私も今では単独行です。昔、赤岳で浮石を踏んで滑落しましたが、ケガもなく助かりました。小さな雪崩に巻き込まれたこともありましたが無事でした。奇跡ですが、まだ生きていろと、神様が助けてくれたのでしょう。それからは人のために汗を流そうと決め今日に至っています。山では助けられたり助けたりです。今は、谷川岳に魅入られて家族を引き連れて群馬へ、毎日谷川岳を眺めて過ごしています。山はいですね。
@@hermit-cloud 様 ありがとうございます。私は栃木の那須の生まれですが、18才の時に大阪に就職し、寂しくなるとよく山にいきました。危ない山行もよくやりました。岩登り以外は冬山もほとんど単独行でした。でも本当に山はいいですね。正直ですし。
4:12
高校の修学旅行で長野県のバスガイさんが歌ってましたね
良い歌ですが悲しい歌ですね
若い頃、友達といろんな山に登りました………。哀しくも、山に消えた友を思うレクイエムですね………。心に染みわたります😢
ゴアテックスもシンサレートも無い時代。この歌のような事は頻繁に起きていた事でしょう。山が好きだった我が父が偲ばれます。
コメント頂きありがとうございます。恥ずかしながら、ここに出てくる粗末な装備の若者は小生です。貴殿の思いがよくわかります。私も後になって最新装備で登山ができるようになりました。
@@yukion. レスどうもです。話題の我が父ですが大学で山を覚え日本の二千m以上の山は全て登った山好きでした。大学が理系だったので繰り上げ卒業から少尉中学の同級生達、文系だと学徒出陣で二等兵南の島で地獄を部隊によっては中学すら進まなかっと田舎者にいじめられた事も。田舎の水呑みが東京六大学相手に威張れる訳だから。戦後進駐軍の放出品(ほとんどが横流し品)揃えて山に復活。木綿側木綿わたのシュラフは重く大きく寒かったってゴアテックス、シンサレートのシュラフ干しながら笑ってた。70代いっぱい山は行ってた、最後の遠征は屋久島遺影は鳥海山頂。
@@massyk7446 様 ご丁寧な返信を頂きましてありがとうございます。文面からしますと、貴殿のお父上様と私の父親は同世代だったのだろうと推察されます。私の父親は戦時中、栃木県の中島飛行機宇都宮製作所で軍用機(主に戦闘機の疾風)を作る旋盤の職人工でした。同僚は群馬の小泉工場で零式艦上戦闘機52型の制作をしていたようです。そのため戦地には行きませんでしたが、自分たちの作った戦闘機で若者が散って行ったことを悔やんでいました。戦後私が生まれ物心ついたころに聞かされたことを覚えています。
私はといえば、工業高等学校を卒業後、栃木の那須から大阪に就職してきて以来大阪で暮らしています。(もう13年前に定年退職しましたが)
おりしも世の中は大量生産の時代で、日常生活から逃れようと粗末な装備でよく山に行きました。岩登り以外は冬山もほとんど単独行でした。素質も無いのに、アルプスの三大北壁に憧れました。結局は結婚後、妻と三大北壁を見に行っただけで終わりました。後年ヒマラヤに憧れていた山友と「日本百高山」登頂を目標にしましたが、途中私は脊椎の病気で断念しましたが、山友は達成しました。貴殿のお父上様は2000m以上全て登られていますので「日本百高山」は達成しておられるのですね。(百高山の最後は新蛇抜山2667mです)あの時代の装備で達成されたお父上様に敬意を表します。
@@yukion.中島飛行機小泉工場・・・高等女学校四年生で挺身隊に志願した母が居ました。零戦と言わず死ぬまでエーロクと呼んでました。悔やんでいたのは女子医専蹴った事ww父の中学の先輩の海兵さんに憧れてこの人のお嫁さんになりたいと思った方は少尉任官後配属された軽巡神通で今も豊後水道の底で戦艦大和を守ってます。
@@massyk7446 様 重ね重ねの返信ありがとうございます。お話とても感動しました。お嫁さんにほしいと思い、叶わなかった初恋の遠い昔を思い出しました。
コンサートでこの歌を聴いたときのマンガさんの真剣な眼差し、感動で体が震えたことを思い出しました。
懐かしい思いでです❗
🧔自分も山歩きします。雪山はしないけど⚾この歌は、昔から聴いた事
これが一番涙ぐむ、何故そうか
人間一人では生きて行けない。仲間は最高。
コメント頂きありがとうございます。
植村直己、貴方は、マッキンリーの氷河に消えてしまった。わたしは永遠に忘れません。
この歌を初めて聴いたのはいつ頃だろうか?一人で山に登り稜線に佇み吹く風に心安らんだ。
コメント頂きありがとうございます。稜線に立ち風に吹かれて眺める景色、ほんとうにやすらぎを感じますね。
山を愛した山男、その深い胸に抱かれて全うするなら 有る意味幸せなのだろうと考える。
「 前歯なき 兄の遺影に 磁石置く キリマンジャロの 山を憎まず 」
yukioさんお久しぶりです。お元気ですか?私はつい最近、札幌市の手稲山で遭難した41才の青年が遺体で見つかったと知って何とも云えない気持ちです。ご家族の方たちはとても悲しまれているでしょうね?
コメント頂きありがとうございます。お元気でしょうか。私は年のせいかいろいろな病と同居しています。遭難死があったんですね。悲しいことですが、映画「岳」の中の言葉を思い出します。山に捨ててはいけないもの、それは「命」だそうです。
@@yukion. 無事に生きていて下さってありがとうございます、これからも長生きしてくださいね✨
消えるか消えないか、消えない希望があるから、消えない
この歌に叶うものはないです🍀3/18
大変貴重なコメント頂きありがとうございます。
ちょっと待て!「夢に破れて帰ら」なかったわけじゃないだろう彼の人生のその場所に山があっただけだ。誰だって夢を描いて登らなくちゃならない山がある。それが穂高だっただけだ。
コメント頂きありがとうございます。そうですね。山は理屈無しに行くものかもしれません。
銀のピッケル振ってたあいつーーピッケル打ってた⛏️
yukioさんメッセージ😆💕✨貴方は決して意気地無しなんかではありませんよ。ご自分の命を大切にしてくださいませ。山で散ったら、貴方の愛する女性が哀しみますよ。お二人で登山を楽しんではいかがですか?お幸せにね💘
いのちを大切にね✨♥いのちequal愛ですよ。
@@羽田友美-m9g 様 ありがとうございます。気が楽になり救われます。
歌詞の表示をワンテンポ早くしたほうがいいですね😢
貴重なコメント頂きありがとうございます。もっと勉強します。
千年王国に入った、自分が入れた、それに従う
何かを何に託すかは、わかっつてる
山にしろ地上にしろ、消えないものは消えない
この歌が作られ、初めて公開された日、私はD.Dが山の歌でヒットしていたので、それに乗じて作られたことなども併せて、わざとらしい歌詞だなと思ったことがある。あれから半世紀経ってしまった…歌はじんわりと重みを増していた。歌い手の巧みさにもよるところが大きいと思う。
この場合はいいやつとは誰になるのか?
自分が消えるのではないんだ
未来の何かに
のもとは今何をしようとしているか、山か、競馬か、極楽トンボと言われていた、といったが、短い付き合いだった
消える気がしないから
私の愛する人も登山家です。彼にはそんな目に遭わないで欲しいな。
コメント頂きありがとうございます。登山家は結構哲学と身勝手なところがありますから、包んであげてください。ただ覚悟は必要だと思います。いつかある日の作詞者ロジェ・デピュラは妻子を残し山でちりましたし、加藤文太郎氏は身重の妻を残して厳冬の北鎌尾根で帰らぬ人となりました。長谷川恒男氏も然りです。
私も昔、山に行ってばかりしていました。夜行列車で厳冬の八ヶ岳(赤岳)に単独行で行くときに、付き合っていた女性がホームまで見送りにきて、何かの時にはこれでしのいでとチョコレートを渡されたのを覚えています。(当時山で板チョコ一枚で一週間しのいだという事が話題になっていました。)
小生、その後危険性が高い山行は止めました。その女性と結婚もしました。
意気地なしですね。
こ
ナンバーズの当て方が分かった。それは、はやぶさの狩りと言うのだ。昔はこのはやぶさの狩りで当てて戦っていたと言うのだ。私にはこれが初めてであった。このはやぶさの狩りで当てると何からわかるのだ。例えば体の事とか当てると良い。そして、友人の事を当てて見る。それから、孔雀王と言うのがあったのだ。それは、お風呂に入り、石鹼かボデイソープで泡だてて下に落ちるときに音を当てるのだ。これが孔雀王と言うのだ。そして、はやぶさの狩りでストレートを見つけてみると良いそして、信用王と言うのがある。何を信用するのかだ。、、