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『畠山一族』のその後、のその後は、能登畠山家(匠作家)の子孫が江戸時代まで生き延び、その出自の良さから吉良氏や今川氏と同じ「幕府高家」として血脈を繋ぎました。戦国時代に能登を領有した越後長尾氏→上杉氏との関係も深く、江戸時代中期には米沢藩主・上杉吉憲の子を養子にしますが、その後高家畠山家の分家より再度養子を取って明治維新まで家名は残りました。
畠山重忠は天国で武蔵の国を守っていたのでしょか重忠の子孫は滅亡しても畠山の名は残り武蔵の国を守り、その後応仁の乱の畠山氏まで成り上がっていたのですね歴史は本当に面白いですね
今回の大河『鎌倉殿の13人』で畠山重忠公について丁寧に描かれて良く分かり、感謝しています。中川大志さんが演じた事で重忠公のイメージが更に良くなったと思います。
関東管領上杉氏、麒麟がくるの時の動画で教わったことにつながってくるがやはり歴史って感じで面白いですね
畠山義就だいすきいいストーリー持ってるよなあ
鎌倉の坂東武者畠山と、室町時代の管領畠山は別物だと思っていたら、しっかりと続いていたんですね。勉強になりました。ありがとうございます!
能登畠山氏は超好き❤
地元が和歌山だけど、戦国時代の畠山氏は紀伊国の守護大名としてしぶとく残ってますね。有力寺社と国人の力が強い紀伊国において名目的な守護であったが、雑賀衆や国人衆を従えて三好長慶や秀吉と戦ってます。
こういうことを調べるのは、歴史の醍醐味ですよね。武士は、血のつながりよりも家名を重んじる傾向がありますよね。
頼朝「復讐されるのは怖い!でも美徳だ!」僕「ちょっと何言ってるかわからない」でもあれだよね。劇中では義時が頼朝に似てきてる風に描写されてるけど個人的には一概にもそうとは言えない気がするんだよね。実は北条氏と戦った一族でもその場にいなかった人物は生き残ったケースが見られるんだよね(比企能本や三浦胤村など)。案外北条氏は罪のない人には情があったのかも。義経の子を問答無用で抹殺した頼朝とは決定的に違う気がする。
また細川の話も聞きたいです
中川大志か若いなぁって思ってたけど今は中川大志じゃないと考えられない
確かに中川大志さんの畠山重忠は若いな〜と思っていましたが、もはや畠山重忠にしか見えなくなりましたもっと見ていたかった
秩父平氏の畠山氏が源氏の血で再興するの、ドラマチックだなぁ
信長の野望がきっかけで歴史が好きになった俺からすれば畠山氏=弱小というイメージが強かったですね。
超楽しい!歴史苦手だったけど、とっても興味が湧きました。👍👍👍
着眼点が素晴らしいお題だ・・・判官びいき的には足利に(重忠&ちえの)娘が嫁いだ説を推してほしいけど。
私は鎌倉時代はあまり知らなかったので興味を持ちました。畠山家では戦国時代の畠山家は畠山重忠という人物がいたことは知っていたのでてっきり重忠の血をひいているのかと思っていたので驚きました。畠山家も大変な苦労があったんだなと思いました。
戦国時代でお馴染みの畠山、細川が元を辿ればこの時代に行き着くんですね〜細川も最初は身分の低い出自だったのか世の中に同じ苗字は数あれど、畠山はちゃんと繋がっていたんですね〜歴史はまるでパズルを解くみたいですね
初めてコメントさせて頂きます❗畠山義就が好きなので、重忠から義就につながる系譜を知ることができてとても面白かったです✨✨個人的には義就を大河の主人公にしたらかなり破天荒な展開になって面白いのではないかと考えています。でもやっぱり応仁の乱は、長いし複雑だしむずかしいのかな🤔何よりも登場人物が多すぎる😅
ありがとうございます。応仁の乱は、主要人物がほとんど病死とかで、ドラマチックな戦があんまりないから、ドラマとしては盛り上がりに欠けるため、難しいのかなと思っています。歴史としてはとても面白いですけどね~
二本松畠山氏と丹党を調べている中でたどり着きました。この動画では触れられていませんがwikiの文章だけでは理解しにくかった部分がすっきりしました。
血は絶えても名前が残ったのは重忠含め一族の活躍あってこそですね
二俣川で重忠が幕府の討伐軍に対して逃げなかったからこそ、家名が残ったわけですね。あそこで郎党の意見を受け入れて領地の武蔵に戻っていたら、梶原景時一族のように末代まで「謀反人」の烙印を押されたままだったでしょう。
京都から鎌倉に転職しに来て出世した大江広元。鎌倉から京都に転職して再起を果たし出世した畠山一族。人生に絶対はない。これだから人生は面白い。
上杉さんも京都から鎌倉に下向して大出世した一門です。
和田氏も三浦氏も後に滅ばされてること考えると重忠公嫡流が生きてらしても潰されてたのかも…足利氏傍流に名前だけでも残してもらったからこそ(そして妻も北条であったことも)後世に生き延びたのでは…それに坂東武者の鑑と慕われた重忠公のお人柄と御功績も忘れてはいけない…
解かりやすい解説ありがとうございます!言われてみれば三管領家で有名な畠山氏は足利一門の源氏でしたが、畠山重忠は秩父平氏なので「あれ?」という感じでしたがこれでモヤモヤの一つが解決しました!その上、三管領になるまでは関東にいたことも今回初めて知ることが出来ました。
確かに畠山重忠の乱後も家名は延々と続きますが血統が全く別のものなので、重忠・重保以前の畠山氏は「平姓畠山氏」、重忠未亡人・ちえの再婚相手である義純以後の畠山氏は「源姓畠山氏」と区別します。
他の人も書かれてますが、再嫁したのが、ちえではなく、重忠とちえとの娘が足利義純に嫁いだ説の方が、母方とはいえ、重忠の血脈が保たれてるから、そっちの方が救われる気がしました。
その説は史料的な根拠がどこにあるのかわからないので取り上げませんでしたが、そういう話が生まれるくらい重忠が愛されていたということかもしれませんね。
年齢を考慮すると重忠の妻の北条時政の娘では無理があり重忠の娘と考えたほうが辻褄が合うということですよね。
@@ubusuna.j 政子も36歳で実朝生んでるから無理があると言い切るのは無理があります。
返信ありがとうございます。ドラマのほうは今夜楽しみなような怖いような。
鎌倉殿時代から系譜が長く続く一族としては佐々木氏、土岐氏、山名氏なんかも好きですねー佐々木氏以外はマイナーなので是非取り上げて欲しいです!
あと、相馬氏もお忘れなく。「千葉のじいさん」の子孫です。
土岐はマイナーかな。美濃や尾張の守護ってことで、斎藤道三や織田信長を語る上では欠かせないし、麒麟がくるでもこのチャンネルで説明していると思う。
@@_zdaiske8135 あ、源平時代の土岐氏族はって意味です。平治の乱や義仲がらみのとこで登場はしてるはずなんですが、あまり語られる機会がなさそうなので…
あと、最も重要・有名なのを忘れていました。「毛利氏」も、鎌倉時代から続く名家です。「13人の合議制」の構成員・大江広元の四男・毛利季光の子孫が安芸国の地頭に就任して勢力を維持し、戦国時代に元就が勢力を拡大・一時中国地方全域と九州北部を制圧した後、嫡孫・輝元が関が原の戦いで西軍の総大将に就いたことで防長2国に減封されました。幕末・明治維新での活躍は皆が知るところなので、ここでは説明は割愛します。
観る前から重忠ロスです🥺💦
二人の戦いがクローズZEROのようでした
ドラマでは間もなく畠山殿が退場すると考えられ、大変寂しく思っておりましたが、子孫は鎌倉末期・室町時代では再興し、江戸時代まで名を遺したと知り、救われた気持ちになりました!いつもわかりやすく楽しい歴史解説ありがとうございます!
室町幕府の管領家の一つの畠山と同じだったので何か関係があるのかと思ってましたが、血のつながりはないもののしっかりと家名を継いでいたって事なんですね。子孫が応仁の乱の原因を作るような事をやらかしてますけどw
義純が畠山重忠の未亡人とではなく、娘と結婚しとの説がWikipediaに載ってますが、どう思われますか?
泰国の母親が畠山重忠未亡人ではなく重忠の娘(重保の同母姉妹)という説ですね。
@@nozomu6 間違えました(苦笑)。ありがとうございます。訂正しました。
義兼も時政娘と結婚してるから(庶子とはいえ)「泰国と重忠未亡人」だとペタジーニっぽい印象が出てくるのでw娘の方が年齢も近くなりそうな気がする
史料的な根拠が無い以上、なんとも言えないですね。今は出典を探している状況です。
@@sengokubanashi ありがとうございます。Twitterで先日、話題にされていたので、質問してみました。気を悪くされたら、申し訳ありません。これからも応援しています。
歴史ファンとしてはたまらん内容です(笑)滅亡させられたはずなのに(血縁関係はないけど)家は残ってしかも幕府から重用されるというのは何とも面白いですね。
配信ありがとうございます。名は「畠山」家ですが、血は「重忠」は無く、「北条時政」を継いでいるのが皮肉と思いました。きっとその後の畠山家の宿命的コンプレックスだったように思います。
名前を畠山に改名したい
わたしとしては、独眼竜政宗のときの、畠山氏を、一番最初に知ったかもです。😊
それは、二本松畠山氏のことですね。本来なら源姓畠山氏の嫡流になるはずだったのが、観応の擾乱(簡単に言えば足利尊氏と直義の兄弟げんか)により当主の畠山高国・国氏親子が直義派の軍勢に攻められて自害して以後没落し、東北の一国人にまでなり下がった家でした。
戦国時代ファン的には伊達政宗の父と心中?した二本松さんが1番有名な畠山氏の子孫かもしれませんねw
@@ゆっけ-k6b さんはい、北大路欣也さん輝宗、石田太郎さん義継が、印象深い残ってます。ちなみに、石田さん、ちょうどいま、芋たこなんきん再放送の出演されてますね。😊☝️
@@toyo-rex4899 さんこれまで、戦国時代の、畠山氏しか頭にありませんでしたけど、今回、わたしてきには、改めて、イメージアップさせられました。👍😊
日曜日の前なのに、もう後の話ししてる〜😭。もとは平氏の『畠山氏』が、源氏に関わり名家の1つになるんですね。いやあ歴史歴史(三谷脚本で触れるかな)。然し、関東管領、山内上杉家や扇谷上杉家とかは何度整理しようとしても自分にはちんぷんかんぷんです😭😭。後、ウィキペディア見たら長沼宗政ってキレキャラなんですね🌋。
もともとの管領は執事と呼ばれていて足利氏家宰の様相が強く、高氏や仁木、細川氏が任命されていました。しかし、権力闘争で高氏、仁木氏が没落して、細川・斯波・畠山が任命されるようになりました。斯波と畠山は家格が高く、足利家にしばしば歯向かうともありました。
永久の乱当たりが最終回だとすれば足利や新田も出てくるかも、
ちな畠山の息子はもう一人出家してるし、子供もいるっぽい
初耳です。史料的な根拠があれば教えてほしいです。
@@sengokubanashi 畠山円耀という人で「嵐山史跡の博物館」HPの「畠山重忠ゆかりの地」の項に書かれてたりします。群書類従等、様々な系図に円耀が別当だと記されているので信憑性は高いと思います。ただ詳しい記録がないので重慶と同じような結末を辿ったかも
Twitterでめっちゃ怒ってて草豆知識で補足したつもりだったのに..
@@komiakankano 別にあなたには怒ってないので安心してください^^
しらなかった、、、詳細にありがとうございます。容れ物は「畠山」、中身は「足利(源氏)」シブいです!義時、政子、パパ、文官…誰の案でしょうか…形から入って心に至ると言うし、精神は受け継がれますね…明日は少しは心穏やかにみれま・・せん涙 私も畠山に改名したいです笑
誰の案、というより、「幕府の総意」でしょうね。御家人のほとんどが「畠山を潰したのはまずかった」と思っていたにちがいありません。ただ、北条時政とりく(牧の方)だけが「畠山を潰して武蔵国を我が物にしたい」と思っていましたから。ただ、結局は武蔵守は後に「連署」に就任する北条一族の官職とするのが通例になるわけですけど。
「仁」に出てきたお初ちゃんの中の人も武州出身の畠山氏
滅亡を超えて族滅ですね。いや…あまりに酷い話ですな。重忠の娘なりがいて足利のセガレと結婚して源姓畠山氏となるならまだわかるけどね…
細川が身分低いのは、頼朝に滅ぼされた木曽義仲の側についた矢田義清(足利義兼の兄)の子孫だからですね
江戸時代だと旗本で命脈保ったのかな?
三管領の斯波、細川も足利一族ですが畠山と同じ様な理由で関東から京へ移ったのでしょうか?
両方元来関東が地盤じゃなかったみたいですよ。足利一族は鎌倉時代から愛知を地盤とするとこが多かったようです。斯波氏は別名尾張足利家と言われ、鎌倉時代中期から尾張を地盤として、南北朝時代は北陸戦線で活躍した足利一族のNo.2でした。そのため大阪和歌山の守護である畠山氏と違い、本拠地が京に微妙に遠い状態で京都政界に代々身を置いていたのもあり、三管領の中でもっとも早く下克上の憂き目にあったそうな。細川さんは家格が低めでほぼ地盤がない状態から、尊氏の指示で自力で四国を足利王国にしたことで、一族内の地位を上げて京都政界に乗り込んでいったイメージです。
もともと細川さんは足利の荘園があった三河が本拠地でした。
細川、斯波は、あくまで足利一門としての性質が強いので畠山とは少し違いますね。またいずれお話できればと思います。
@@sengokubanashi さん楽しみにしています❕
時政が滅ぼした畠山なのに、現代の畠山さんは時政の子孫って事ですか?
話題になっている重忠の娘か時政の娘かという足利義純の子畠山泰国の母の考察をしてみました。考古学は好きですが日本史は得意ではなく勉強中ですし混乱してきていますので指摘歓迎です。長文になりますがお許し下さい。源 頼朝・西暦1147年-1199年(大姫) ・西暦1178年-1197年源 頼家・西暦1182年-1204年源 実朝・西暦1192年-1219年北条時政・西暦1138年-1215年北条政子・西暦1ほか157年-1225年北条義時・西暦1163年-1224年※重忠室?北条時房・西暦1175年-1240年※重忠室?北条政範・西暦1189年-1204年畠山重忠・西暦1164年-1205年畠山重秀・西暦1183年-1205年(母は足立遠元の娘)畠山重保・西暦1183年以降-1205年(母は北条時政の娘)北条時政の娘との間に生まれた次男が重保他に重政、円耀、重慶、貞嶽夫人(島津忠久室)畠山/足利義純・西暦1176年生まれ義純の子・畠山泰国・1206年以降の生まれと考えられる泰国の嫡子・畠山国氏・生年不明◆義純の正室の子は岩松時兼、田中時朝がおり離縁の後時政もしくは重忠の娘と婚姻◆国氏は1244年には元服済みとみられ1230年生まれとした場合泰国は遅くとも30歳で婚姻していたと考えられるので1200年頃から1210年頃の生まれ1225年生まれとした場合、父義純が1176年生まれなので49歳の時の子になる母が北条時房の2歳下の1177年生まれの場合この時48歳となる◆時房の誕生後に母が亡くなり父時政が牧の方と再婚したとなると重忠の室となった娘は時政の姉の可能性が高く西暦1172年頃に生まれたとすると1225年時点では48歳となる。泰国の生年を西暦1220年とした場合でも43歳で不可能ではないがかなり危険である◆泰国の母が重忠の娘の場合平姓畠山滅亡後の西暦1206年に出産可能な女性が生まれた年は概ね1165-1190年頃1164年生まれの重忠が18歳以降とすると1182年-1190年重保が1183年生まれで兄弟がそれぞれ2歳違いとすると重政1185年、円耀1187年、重慶1189年、貞嶽夫人(島津忠久室)1191年
名前は畠山だけど中身は足利北条。これは乗っ取られたというのでは?
つまり、隠れ伊勢平氏系の北条が秩父平氏から武蔵を奪い、義家系源氏に与え、室町の畠山になって行くのかぁ。北条から坂東平氏の匂いが消えて行くなぁ・・そう考えると、政治上手の伊勢平氏という意味で、後北条との繋がりも唐突じゃなくなって来るような
足利一族を登場させなかったことが、唯一のこの大河のミス。
登場しても歴史のアクターとしては弱いからしょうがないと思いますよ(ぶっちゃけ義時泰時時房と被る部分が多すぎて)
結局武家政権は源氏一門に持ってかれる無情感を避けたかったのかなぁーそのダークさも見たかったですがw
足利家の租は奥州合戦以降は目立った活躍はなく出家しているので、義時を描く大河だと早々に退場してしまう。武田氏みたいに子息が見せしめのように殺されるエピソードもないので省かれたのでしょうね。
@@ホフマンヘンリー 足利義兼は早死しますが、息子の義氏は和田合戦や承久の乱にも北条側について戦って、泰時が執権の時代も、いわば江戸幕府前半の保科正之真田信之的な役割をしているから、出演しても良かったのでは?
@@user-ub8jh8bp3s保科正之は言い過ぎだし(3代目を支えた一族枠は時房が担当)真田信之は弱すぎますね歴史的なアクターとしてドラマに登場させるにしては弱いんですよ
何か皮肉なものですね。。。唯一生き残った頼朝は自分の経験から裏切りそうなのは容赦なく粛清していくんですよね。。平氏が滅亡して敵が居なくなると味方の中で敵を作って求心力を求めていくんでしょうが哀しすぎますね。。上総介、義経、蒲殿、全成、重忠、義盛、この人たちが生きていれば幕府は長持ちしなかったのかな??状況は違いますが、豊臣秀次が生きていれば豊臣家も生き長らえたでしょうし。鎌倉、戦国時代を過去とする我々がどうこう出来ませんけれど。
畠山重忠一族のその後自分知ってますよ。畠山一族は、滅びますが畠山重忠の娘が足利氏と結びそして足利氏の基礎が誕生するから別に悲しい事は、無いと思いますよ。🫡🫡👍👍
二本松氏(畠山氏)と伊達氏が戦いますよね。大河ではなくてもいいので見てみたいものです。
義就よりも持国の方が諸悪の根源では笑
寸劇は、ほどほどに、シンプルにコンパクトに解説してください。わかりにくいから。
『畠山一族』のその後、のその後は、能登畠山家(匠作家)の子孫が江戸時代まで生き延び、その出自の良さから吉良氏や今川氏と同じ「幕府高家」として血脈を繋ぎました。
戦国時代に能登を領有した越後長尾氏→上杉氏との関係も深く、江戸時代中期には米沢藩主・上杉吉憲の子を養子にしますが、その後高家畠山家の分家より再度養子を取って明治維新まで家名は残りました。
畠山重忠は天国で武蔵の国を守っていたのでしょか
重忠の子孫は滅亡しても畠山の名は残り武蔵の国を守り、その後応仁の乱の畠山氏まで成り上がっていたのですね
歴史は本当に面白いですね
今回の大河『鎌倉殿の13人』で畠山重忠公について丁寧に描かれて良く分かり、感謝しています。中川大志さんが演じた事で重忠公のイメージが更に良くなったと思います。
関東管領上杉氏、麒麟がくるの時の動画で教わったことにつながってくるが
やはり歴史って感じで面白いですね
畠山義就だいすき
いいストーリー持ってるよなあ
鎌倉の坂東武者畠山と、室町時代の管領畠山は別物だと思っていたら、しっかりと続いていたんですね。勉強になりました。ありがとうございます!
能登畠山氏は超好き❤
地元が和歌山だけど、戦国時代の畠山氏は紀伊国の守護大名としてしぶとく残ってますね。
有力寺社と国人の力が強い紀伊国において名目的な守護であったが、雑賀衆や国人衆を従えて三好長慶や秀吉と戦ってます。
こういうことを調べるのは、歴史の醍醐味ですよね。武士は、血のつながりよりも家名を重んじる傾向がありますよね。
頼朝「復讐されるのは怖い!でも美徳だ!」
僕「ちょっと何言ってるかわからない」
でもあれだよね。劇中では義時が頼朝に似てきてる風に描写されてるけど個人的には一概にもそうとは言えない気がするんだよね。実は北条氏と戦った一族でもその場にいなかった人物は生き残ったケースが見られるんだよね(比企能本や三浦胤村など)。案外北条氏は罪のない人には情があったのかも。義経の子を問答無用で抹殺した頼朝とは決定的に違う気がする。
また細川の話も聞きたいです
中川大志か若いなぁって思ってたけど今は中川大志じゃないと考えられない
確かに中川大志さんの畠山重忠は若いな〜と思っていましたが、
もはや畠山重忠にしか見えなくなりました
もっと見ていたかった
秩父平氏の畠山氏が源氏の血で再興するの、ドラマチックだなぁ
信長の野望がきっかけで歴史が好きになった俺からすれば畠山氏=弱小というイメージが強かったですね。
超楽しい!歴史苦手だったけど、とっても興味が湧きました。👍👍👍
着眼点が素晴らしいお題だ・・・
判官びいき的には足利に(重忠&ちえの)娘が嫁いだ説を推してほしいけど。
私は鎌倉時代はあまり知らなかったので興味を持ちました。
畠山家では戦国時代の畠山家は畠山重忠という人物がいたことは知っていたのでてっきり重忠の血をひいているのかと思っていたので驚きました。
畠山家も大変な苦労があったんだなと思いました。
戦国時代でお馴染みの畠山、細川が元を辿ればこの時代に行き着くんですね〜
細川も最初は身分の低い出自だったのか
世の中に同じ苗字は数あれど、畠山はちゃんと繋がっていたんですね〜
歴史はまるでパズルを解くみたいですね
初めてコメントさせて頂きます❗
畠山義就が好きなので、重忠から義就につながる系譜を知ることができてとても面白かったです✨✨
個人的には義就を大河の主人公にしたら
かなり破天荒な展開になって面白いのではないかと考えています。
でもやっぱり応仁の乱は、長いし複雑だしむずかしいのかな🤔
何よりも登場人物が多すぎる😅
ありがとうございます。応仁の乱は、主要人物がほとんど病死とかで、ドラマチックな戦があんまりないから、ドラマとしては盛り上がりに欠けるため、難しいのかなと思っています。歴史としてはとても面白いですけどね~
二本松畠山氏と丹党を調べている中でたどり着きました。
この動画では触れられていませんがwikiの文章だけでは理解しにくかった部分がすっきりしました。
血は絶えても名前が残ったのは重忠含め一族の活躍あってこそですね
二俣川で重忠が幕府の討伐軍に対して逃げなかったからこそ、家名が残ったわけですね。
あそこで郎党の意見を受け入れて領地の武蔵に戻っていたら、梶原景時一族のように末代まで「謀反人」の烙印を押されたままだったでしょう。
京都から鎌倉に転職しに来て出世した大江広元。
鎌倉から京都に転職して再起を果たし出世した畠山一族。
人生に絶対はない。
これだから人生は面白い。
上杉さんも京都から鎌倉に下向して大出世した一門です。
和田氏も三浦氏も後に滅ばされてること考えると重忠公嫡流が生きてらしても潰されてたのかも…
足利氏傍流に名前だけでも残してもらったからこそ(そして妻も北条であったことも)後世に生き延びたのでは…
それに坂東武者の鑑と慕われた重忠公のお人柄と御功績も忘れてはいけない…
解かりやすい解説ありがとうございます!
言われてみれば三管領家で有名な畠山氏は足利一門の源氏でしたが、畠山重忠は秩父平氏なので「あれ?」という感じでしたがこれでモヤモヤの一つが解決しました!
その上、三管領になるまでは関東にいたことも今回初めて知ることが出来ました。
確かに畠山重忠の乱後も家名は延々と続きますが血統が全く別のものなので、重忠・重保以前の畠山氏は「平姓畠山氏」、重忠未亡人・ちえの再婚相手である義純以後の畠山氏は「源姓畠山氏」と区別します。
他の人も書かれてますが、再嫁したのが、ちえではなく、重忠とちえとの娘が足利義純に嫁いだ説の方が、母方とはいえ、重忠の血脈が保たれてるから、そっちの方が救われる気がしました。
その説は史料的な根拠がどこにあるのかわからないので取り上げませんでしたが、そういう話が生まれるくらい重忠が愛されていたということかもしれませんね。
年齢を考慮すると重忠の妻の北条時政の娘では無理があり重忠の娘と考えたほうが辻褄が合うということですよね。
@@ubusuna.j 政子も36歳で実朝生んでるから無理があると言い切るのは無理があります。
返信ありがとうございます。ドラマのほうは今夜楽しみなような怖いような。
鎌倉殿時代から系譜が長く続く一族としては佐々木氏、土岐氏、山名氏なんかも好きですねー
佐々木氏以外はマイナーなので是非取り上げて欲しいです!
あと、相馬氏もお忘れなく。
「千葉のじいさん」の子孫です。
土岐はマイナーかな。
美濃や尾張の守護ってことで、斎藤道三や織田信長を語る上では欠かせないし、麒麟がくるでもこのチャンネルで説明していると思う。
@@_zdaiske8135
あ、源平時代の土岐氏族はって意味です。
平治の乱や義仲がらみのとこで登場はしてるはずなんですが、あまり語られる機会がなさそうなので…
あと、最も重要・有名なのを忘れていました。
「毛利氏」も、鎌倉時代から続く名家です。
「13人の合議制」の構成員・大江広元の四男・毛利季光の子孫が安芸国の地頭に就任して勢力を維持し、戦国時代に元就が勢力を拡大・一時中国地方全域と九州北部を制圧した後、嫡孫・輝元が関が原の戦いで西軍の総大将に就いたことで防長2国に減封されました。
幕末・明治維新での活躍は皆が知るところなので、ここでは説明は割愛します。
観る前から重忠ロスです🥺💦
二人の戦いがクローズZEROのようでした
ドラマでは間もなく畠山殿が退場すると考えられ、大変寂しく思っておりましたが、子孫は鎌倉末期・室町時代では再興し、江戸時代まで名を遺したと知り、救われた気持ちになりました!いつもわかりやすく楽しい歴史解説ありがとうございます!
室町幕府の管領家の一つの畠山と同じだったので何か関係があるのかと思ってましたが、血のつながりはないもののしっかりと家名を継いでいたって事なんですね。子孫が応仁の乱の原因を作るような事をやらかしてますけどw
義純が畠山重忠の未亡人とではなく、娘と結婚しとの説がWikipediaに載ってますが、どう思われますか?
泰国の母親が畠山重忠未亡人ではなく重忠の娘(重保の同母姉妹)という説ですね。
@@nozomu6 間違えました(苦笑)。
ありがとうございます。訂正しました。
義兼も時政娘と結婚してるから(庶子とはいえ)「泰国と重忠未亡人」だとペタジーニっぽい印象が出てくるのでw娘の方が年齢も近くなりそうな気がする
史料的な根拠が無い以上、なんとも言えないですね。今は出典を探している状況です。
@@sengokubanashi ありがとうございます。
Twitterで先日、話題にされていたので、質問してみました。気を悪くされたら、申し訳ありません。
これからも応援しています。
歴史ファンとしてはたまらん内容です(笑)滅亡させられたはずなのに(血縁関係はないけど)家は残ってしかも幕府から重用されるというのは何とも面白いですね。
配信ありがとうございます。名は「畠山」家ですが、血は「重忠」は無く、「北条時政」を継いでいるのが皮肉と思いました。きっとその後の畠山家の宿命的コンプレックスだったように思います。
名前を畠山に改名したい
わたしとしては、独眼竜政宗のときの、畠山氏を、一番最初に知ったかもです。😊
それは、二本松畠山氏のことですね。
本来なら源姓畠山氏の嫡流になるはずだったのが、観応の擾乱(簡単に言えば足利尊氏と直義の兄弟げんか)により当主の畠山高国・国氏親子が直義派の軍勢に攻められて自害して以後没落し、東北の一国人にまでなり下がった家でした。
戦国時代ファン的には伊達政宗の父と心中?した二本松さんが1番有名な畠山氏の子孫かもしれませんねw
@@ゆっけ-k6b さん
はい、北大路欣也さん輝宗、石田太郎さん義継が、印象深い残ってます。ちなみに、石田さん、ちょうどいま、芋たこなんきん再放送の出演されてますね。😊☝️
@@toyo-rex4899 さん
これまで、戦国時代の、畠山氏しか頭にありませんでしたけど、今回、わたしてきには、改めて、イメージアップさせられました。👍😊
日曜日の前なのに、もう後の話ししてる〜😭。もとは平氏の『畠山氏』が、源氏に関わり名家の1つになるんですね。いやあ歴史歴史(三谷脚本で触れるかな)。然し、関東管領、山内上杉家や扇谷上杉家とかは何度整理しようとしても自分にはちんぷんかんぷんです😭😭。後、ウィキペディア見たら長沼宗政ってキレキャラなんですね🌋。
もともとの管領は執事と呼ばれていて足利氏家宰の様相が強く、高氏や仁木、細川氏が任命されていました。
しかし、権力闘争で高氏、仁木氏が没落して、細川・斯波・畠山が任命されるようになりました。
斯波と畠山は家格が高く、足利家にしばしば歯向かうともありました。
永久の乱当たりが最終回だとすれば足利や新田も出てくるかも、
ちな畠山の息子はもう一人出家してるし、子供もいるっぽい
初耳です。史料的な根拠があれば教えてほしいです。
@@sengokubanashi 畠山円耀という人で「嵐山史跡の博物館」HPの「畠山重忠ゆかりの地」の項に書かれてたりします。群書類従等、様々な系図に円耀が別当だと記されているので信憑性は高いと思います。ただ詳しい記録がないので重慶と同じような結末を辿ったかも
Twitterでめっちゃ怒ってて草
豆知識で補足したつもりだったのに..
@@komiakankano 別にあなたには怒ってないので安心してください^^
しらなかった、、、詳細にありがとうございます。
容れ物は「畠山」、中身は「足利(源氏)」シブいです!義時、政子、パパ、文官…誰の案でしょうか…
形から入って心に至ると言うし、精神は受け継がれますね…明日は少しは心穏やかにみれま・・せん涙
私も畠山に改名したいです笑
誰の案、というより、「幕府の総意」でしょうね。
御家人のほとんどが「畠山を潰したのはまずかった」と思っていたにちがいありません。ただ、北条時政とりく(牧の方)だけが「畠山を潰して武蔵国を我が物にしたい」と思っていましたから。
ただ、結局は武蔵守は後に「連署」に就任する北条一族の官職とするのが通例になるわけですけど。
「仁」に出てきたお初ちゃんの中の人も
武州出身の畠山氏
滅亡を超えて族滅ですね。いや…あまりに酷い話ですな。
重忠の娘なりがいて足利のセガレと結婚して源姓畠山氏となるならまだわかるけどね…
細川が身分低いのは、頼朝に滅ぼされた木曽義仲の側についた矢田義清(足利義兼の兄)の子孫だからですね
江戸時代だと旗本で命脈保ったのかな?
三管領の斯波、細川も足利一族ですが畠山と同じ様な理由で関東から京へ移ったのでしょうか?
両方元来関東が地盤じゃなかったみたいですよ。
足利一族は鎌倉時代から愛知を地盤とするとこが多かったようです。
斯波氏は別名尾張足利家と言われ、鎌倉時代中期から尾張を地盤として、南北朝時代は北陸戦線で活躍した足利一族のNo.2でした。
そのため大阪和歌山の守護である畠山氏と違い、本拠地が京に微妙に遠い状態で京都政界に代々身を置いていたのもあり、三管領の中でもっとも早く下克上の憂き目にあったそうな。
細川さんは家格が低めでほぼ地盤がない状態から、尊氏の指示で自力で四国を足利王国にしたことで、一族内の地位を上げて京都政界に乗り込んでいったイメージです。
もともと細川さんは足利の荘園があった三河が本拠地でした。
細川、斯波は、あくまで足利一門としての性質が強いので畠山とは少し違いますね。またいずれお話できればと思います。
@@sengokubanashi さん
楽しみにしています❕
時政が滅ぼした畠山なのに、現代の畠山さんは時政の子孫って事ですか?
話題になっている重忠の娘か時政の娘かという足利義純の子畠山泰国の母の考察をしてみました。
考古学は好きですが日本史は得意ではなく勉強中ですし混乱してきていますので指摘歓迎です。
長文になりますがお許し下さい。
源 頼朝・西暦1147年-1199年
(大姫) ・西暦1178年-1197年
源 頼家・西暦1182年-1204年
源 実朝・西暦1192年-1219年
北条時政・西暦1138年-1215年
北条政子・西暦1ほか157年-1225年
北条義時・西暦1163年-1224年
※重忠室?
北条時房・西暦1175年-1240年
※重忠室?
北条政範・西暦1189年-1204年
畠山重忠・西暦1164年-1205年
畠山重秀・西暦1183年-1205年(母は足立遠元の娘)
畠山重保・西暦1183年以降-1205年(母は北条時政の娘)
北条時政の娘との間に生まれた次男が重保
他に重政、円耀、重慶、貞嶽夫人(島津忠久室)
畠山/足利義純・西暦1176年生まれ
義純の子・畠山泰国・1206年以降の生まれと考えられる
泰国の嫡子・畠山国氏・生年不明
◆義純の正室の子は岩松時兼、田中時朝がおり離縁の後時政もしくは重忠の娘と婚姻
◆国氏は1244年には元服済みとみられ1230年生まれとした場合
泰国は遅くとも30歳で婚姻していたと考えられるので1200年頃から1210年頃の生まれ
1225年生まれとした場合、父義純が1176年生まれなので49歳の時の子になる
母が北条時房の2歳下の1177年生まれの場合この時48歳となる
◆時房の誕生後に母が亡くなり父時政が牧の方と再婚したとなると重忠の室となった娘は
時政の姉の可能性が高く西暦1172年頃に生まれたとすると1225年時点では48歳となる。泰国の生年を西暦1220年とした場合でも43歳で不可能ではないがかなり危険である
◆泰国の母が重忠の娘の場合
平姓畠山滅亡後の西暦1206年に出産可能な女性が生まれた年は概ね1165-1190年頃
1164年生まれの重忠が18歳以降とすると1182年-1190年
重保が1183年生まれで兄弟がそれぞれ2歳違いとすると
重政1185年、円耀1187年、重慶1189年、貞嶽夫人(島津忠久室)1191年
名前は畠山だけど中身は足利北条。これは乗っ取られたというのでは?
つまり、隠れ伊勢平氏系の北条が秩父平氏から武蔵を奪い、義家系源氏に与え、室町の畠山になって行くのかぁ。北条から坂東平氏の匂いが消えて行くなぁ・・そう考えると、政治上手の伊勢平氏という意味で、後北条との繋がりも唐突じゃなくなって来るような
足利一族を登場させなかったことが、唯一のこの大河のミス。
登場しても歴史のアクターとしては弱いからしょうがないと思いますよ
(ぶっちゃけ義時泰時時房と被る部分が多すぎて)
結局武家政権は源氏一門に持ってかれる無情感を避けたかったのかなぁー
そのダークさも見たかったですがw
足利家の租は奥州合戦以降は目立った活躍はなく出家しているので、義時を描く大河だと早々に退場してしまう。
武田氏みたいに子息が見せしめのように殺されるエピソードもないので省かれたのでしょうね。
@@ホフマンヘンリー
足利義兼は早死しますが、息子の義氏は和田合戦や承久の乱にも北条側について戦って、泰時が執権の時代も、いわば江戸幕府前半の保科正之真田信之的な役割をしているから、出演しても良かったのでは?
@@user-ub8jh8bp3s
保科正之は言い過ぎだし(3代目を支えた一族枠は時房が担当)真田信之は弱すぎますね
歴史的なアクターとしてドラマに登場させるにしては弱いんですよ
何か皮肉なものですね。。。
唯一生き残った頼朝は自分の経験から裏切りそうなのは容赦なく粛清していくんですよね。。
平氏が滅亡して敵が居なくなると味方の中で敵を作って求心力を求めていくんでしょうが哀しすぎますね。。
上総介、義経、蒲殿、全成、重忠、義盛、この人たちが生きていれば幕府は長持ちしなかったのかな??
状況は違いますが、豊臣秀次が生きていれば豊臣家も生き長らえたでしょうし。
鎌倉、戦国時代を過去とする我々がどうこう出来ませんけれど。
畠山重忠一族のその後自分知ってますよ。畠山一族は、滅びますが畠山重忠の娘が足利氏と結びそして足利氏の基礎が誕生するから別に悲しい事は、無いと思いますよ。🫡🫡👍👍
二本松氏(畠山氏)と伊達氏が戦いますよね。大河ではなくてもいいので見てみたいものです。
義就よりも持国の方が諸悪の根源では笑
寸劇は、ほどほどに、シンプルにコンパクトに解説してください。わかりにくいから。