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ヨネスケ師匠の聞き手としての能力!前に出るタイプの芸人だとおもってたからビックリ。若手をノビノビ喋らせて、そのうえ上品。たのしぃ
もともとは上方にも真打ち制度があったようですが、大正ごろ以降崩壊したらしいです。漫才が寄席の主流となり落語が衰退する過程で機能しなくなったのです。繁昌亭が出来た時に復活させようかという話もあったみたいですが、反対意見が多く実現しなかったとか。ただ、繁昌亭ができたため、楽屋の雑用をする、下座で太鼓をたたくなどの、江戸で前座がやる仕事が当番制になり、修行の年季があけてから楽屋当番から解放されるまでのタイムラグ、いわば前座と二つ目の中間みたいな時期が発生してますね。たとえば今(2022年3月第一週)、新開地喜楽館で一番太鼓を打ち、開演前の一席をつとめる桂おとめさんは一昨年年季があけてます。前座、二つ目という階級がないため、落語会などでは10年近いキャリアの方も、出演者の中で一番下ならトップで上がることになるし、楽屋の雑用もしなければなりません。その辺の事情を知らない、知ったかぶりの客が、芸歴10年を越える某落語家さんに「おい、前座!」と声をかけたという失礼な出来事があったそうです。
べ瓶さんの通る声、聞きやすくて良いです。
落語家さんのお給金事情、上方はさすが商人の町という感じですね。単なる東西比較表じゃなくて経験に基づく対談形式だからすごく面白い!
自由な商人文化を体現した上方落語と、厳格な侍文化の影響が少なくない江戸落語の違いが面白いですね
上方落語に階級が無いのは、恐らく上方落語四天王が出だした頃は上方落語が壊滅寸前で悠長に育成が出来なかったのもあるんだろうね。
9:45 ~上方落語と江戸落語の成り立ちの違いのお話は大変分かりやすかったです。まさに “ 目から鱗 ” です。いや~ぁ、【 ヨネスケちゃんねる 】は歴史の勉強にもなりますね!
出囃子で三味線使うのは上方がルーツです 江戸落語は太鼓叩くしか無くて上方から三味線演奏持ち込まれたんです
わかりやすい解説ありがとうございました。寄席のお茶子さんの話や協会の制度の違い等々またお話を伺いたいです。
マイクを変えるだけで視聴者増えるんじゃないかな? モコモコして聞きづらいです。 内容は最高です!!!
今回の『江戸と上方 落語の違い』、大変勉強になりました。東京に住んでた頃、浅草演芸ホールで行われた『桂歌丸 噺家生活50周年興行』にお邪魔させていただいたんですが、米助師匠と共にお出になられた笑福亭鶴光師匠が『見台』と『小拍子』をお使いになってたのを思い出しましたよ。
ヨネスケさんって素晴らしいですね。このチャンネルを通じてもっともっと落語ファンが増えてほしいですね。
笑福亭笑瓶師匠の1人コントを昔に観て大爆笑した記憶があります。イッセー尾形さんとかモロ師岡さんみたいなコントでした。
実に面白かったです!改めてなるほど〜!と驚くことが多かったです。勉強になりました‼️
興味深い話でした! ありがとうございました😊
べ瓶さん 面白い‼️
最近、こちらのチャンネルを存じ上げ、徐々に遡りながら拝見しています。私は関西出身で30半ばで関東に来ましたが、落語の感じ、落語家の声量に違いを大きく感じていたので、大変興味深い内容でした✨難聴者です。この頃の音声は最近の動画より更に聞き取りづらいです、、ピンマイクを付けてはいただけませんか?せっかくの動画です。耳を近づけ何度も巻き戻しながらではなく、お姿も拝見しながら、動画拝見したいです。ご一考くださいませ🙇
はめもの など、お話の最中でかかるお囃子を地囃子とも言いますもんね
武家や富裕層のお座敷に呼ばれて ウエルカムの状態だけど 耳のこえた 厳しいお客の前で話芸を磨いた江戸・ 長らく大道芸の一種で、聞く気の無い人の足を止めさせて引きずりこまないといけなかった上方 鳴り物、 旅話も上方の特徴で それが今日のちがいになったのではと思います。
上方落語は子供の頃に枝雀師匠を聴いていたのですが、大人になって師匠の米朝師匠の方の落ち着いた口調での話芸が入りやすく上方落語の演目を聴くんならまず米朝師匠の話芸を聞いた上で他の噺家さんというスタイルです。
全く気にもしていなかったことなので非常に興味深い話でした。
「(上方では)一般の方が噺家を師匠と呼ぶことはない」という話、ものすごく納得でした。僕にとっては四天王でも「米朝さん」「松鶴さん」「春団治さん」「小文枝さん」でしたが、東京に住む落語ファンの友達が「〇〇師匠」「△△師」と呼ぶので、大師匠を「〇〇さん」と呼ぶ俺は礼儀がなってないのかなあと、何となく気後れして、その友達に引きずられるように「〇〇師匠」と迷いながら言うことが増えていました。でも内心は「俺の師匠ではないしな」と思っていました(^^;)
それが上方のいいところです。 私も米ちゃんが嬉しいです。
上方落語の鳴り物(はめもの)は江戸落語の中で六代目三遊亭圓生の掛取り万歳とか佃祭りってネタでも聞くことができますが上方落語の影響が江戸落語の中に残っているんですね
先代文治は泣かせるより笑わせるのが難しいんだと言われていました。私は上方落語も好きだ。たまに喧しい落ち着かないと感じるときもある。米朝師匠が上方落語の特徴を七度狐冒頭で聴いたよ
14:15だから「隣の晩ごはん」とかやってたわけですね⁉️😳そっちのほうが寄席より実入りがいい❗😆
面白い話しやった😃✌️
お中元ください笑!当初の疑問であったハメモノの有無が落語のあり方の違いにまで深く関わっていることに驚き、大変勉強になりました。私は上方の方の人間なので「師匠」と呼ばれるか否かについてはとても興味深かったです。僭越ながら、べ瓶さんのように知らない演目だなぁと聞いていると、知っている内容だった経験があったのでウンウンと頷いてしまいました。
めっちゃ面白かったです。ヨネスケ師匠の懐のデカさに感激です。(^^)
勉強になりました
ありがとうございます。落語を応援お願いします。
江戸落語と上方落語の違いについて、わかりやすい解説ありがとうございます。勉強になりました。
ありがとうございます😊落語界、寄席応援して下さい。
東京で客が噺家を「師匠」と呼ぶのに驚いた、をまさに最近経験しました。蝶花楼桃花師匠の真打昇進披露興行に伺った時、入場待ちの列に並ぼうとした方が、「これ、桃花師匠の…?」と聞いておられたんです。真打なりたてでも「師匠」なんですね。入場後、後ろの席で、「小朝はいつもおもしろくねえからさあ!」と新真打の師匠の悪口を大声でしゃべる無礼者もいましたけどね。結婚披露宴で新郎新婦の親の悪口大声で言う奴いるか?そういうことがなんで分かんないかね、重箱みたいに四十の五十のと歳だけ重ねて…
お疲れ様です 東京と大阪こんなに文化が違うんですね 東京は、システマチックな年功序列 大阪は、単純な実力主義の様に聞こえました とにかく勉強になりました感謝ですありがとうございました
東京の声小さい、というのは確かに。年取ると後ろの方では聞き取れない。
先代小文治小南師匠上方落語を東京に馴染むようにされてました
江戸と上方の違い良く分かりました。ありがとうございます。北関東から上方落語を聴きたくて繁昌亭に数年前行きました。上方のネタは滑稽噺が多いとのこと。大阪の人の笑い声は東京より倍ぐらい大きく、又高座返しを若い女性がしておりビックリしました。コロナが落ち着いたら、また行きます。
何よりが楽しみですよ。
@@アスパラトマト-p6u 君、ここにもおったんかいなw
お茶子さんのことですよ
面白かった
真打制度は大正時代に一旦廃止され、戦後に上方落語協会が部外秘の内規として復活させたが、昭和40年代の上方落語ブームによって有名無実化した。現在は香盤(上方落語協会の内規)が真打制度の代替として存在し、芸歴5年以上を中座(江戸落語の二つ目に相当)、15年以上を真打と同格としており、真打相当からA、B、Cのランクに分かれている。よって、通常上方落語で「前座」などの言葉を用いる際は、出番を表す言葉として使われることが多い、とウィキペディアにあります。米朝師匠の本にも、前座。中座、真打という制度の解説がありました。もともと派手好きな関西は真打披露を派手にし過ぎで、吉本と松竹が発表をやめようといったと聞きました。だからその分襲名披露は超派手にやるようです。江戸独自の噺といえば、たがや、のような武家と町人、明烏のような吉原が舞台のもの、芝浜のような円朝作のもの、もちろん怪談ものなんか、ですかね。
お疲れ様です 楽しく視聴しております。今度、笑福亭釣瓶さんが出られる時、質問して頂きたいのですが。名古屋でのラジオ番組の為、名古屋で下車せず東京まで行ってしまいお金も持って無く、たまたま同じ電車に乗っていた見ず知らずの方の家へ行き、記憶が正しければ、電話で番組をしていたのを思い出しましたので聞いて下さい。
それ、上岡龍太郎師匠もやらかしてはりますね。パペポTVで話されてました。
大阪の船場言葉や江戸の下町言葉が残っているのは落語しか無いんだよね。方言研究する時落語家さんの発音は凄く参考になります。
その点(船場言葉を残す)は、桂米朝さんも、とてもこだわっておられたようでした。私はそんなことを知りませんでしたが、20年くらい前に、あるTV番組で、米朝師匠が弟子に「船場の人はそんないいかたはしない」「アクセントが違う」というように落語での言葉使いについて非常に細かく指導していたのを見ました。たとえ大阪出身の弟子でも、船場言葉は今ある普通の「大阪弁」とはまた違うので、あれこれ指導してもらわないと船場の言葉にはならないんだなと知りました。
@@shukimura1504 テレビやネットの普及によって摂津弁を基準とした関西共通語が段々と普通になってきましたし、河内弁や泉州弁、船場言葉は若い人を中心に関西共通語に置き換わっていますからね。米朝師匠もお話を聞く限りでは標準語教育の弊害と言うのを弟子の稽古を通じて肌で感じていらっしゃったと思いますし、上方落語の復活と言うのは船場言葉の復興があってこそだと考えます。浅い知識ですみません。
@@shukimura1504 あと方言学の本とかでは話し言葉として日常的に使っていたのは志ん生師匠と米朝師匠が最後って書いていたのを読んだ事は有ります。
確か…文枝さん(桂三枝)は真打制度を上方落語に取り入れようとしてますよね
巨人ファンのヨネスケ師匠関西出身だけど、東京ヤクルトファンのべ瓶さん
ヨネスケさんの例として出した給金の額が5〜2.5円で、そこから大きく外れないんだろうな
ヨネスケ師匠は語っても語らせても名人ですね。
時そば、時うどん。長屋の花見、貧乏花見。この二つも同じようなネタですね。
一般的な感覚だと関西の方が芸人さんとか給料安いイメージやけど、落語は真逆なんやな
べ瓶さんってよゐこの有野さんに似てる気がします(笑)
上方は声がしゃがれてるイメージある
上方では、30年くらい前は松鶴、米朝、春団治、文枝(先代)、松之助、五郎兵衛の各師匠は芸人はもちろん、アナウンサーもテレビやラジオで「師匠」と言っていたと思います。その下の世代は「さん」「ちゃん」づけが多いと思います。これらの師匠も皆さん鬼籍に入られて上がいなくなったのか、今の文枝さん(三枝さん)やざこばさんなどをテレビでアナウンサーが「師匠」と呼ばれています。
とても興味深いお話です。出来ればマイクを付けて頂けるとありがたいです。せっかくのお話が音割れで少し聞きづらいです💦
質問です🐈まんだら と かぜ。語源と言うか…由来を教えていただきたいです。スマホ社会だからって調べなさいは野暮なもんです。
武家の街と商売の街の違いなんでしょうねえ...
ありがとうございます。知らなかった事沢山解りました、後 上方の方と江戸落語の方との羽織の使い方が違うのが気になります、東京の方が最後まで羽織を着たまま演じているのを見ました。
人によってです。昔は、後の出演者が来ない時に、羽織りを脱いで、舞台袖に放りました。後が来ると、前座がその羽織を引いて、後が来ましたとの合図でした。
@@totsugekiyonesuke 返信ありがとうございます、他の方のコメントを見ていて東京には、お茶子さんが居ない事に驚きました。
@@与太郎-g9c お茶子さんの役を前座がします。
ほんまは素人が師匠やら先生やら呼ぶのはおかしな話なんやけどな
面白い
個人的には最初に聞いたのが上方なのもあるかもしれないけど、初心者は上方の方がウケやすいと思う。上方は華やかな感じがするね。悪くいえばガチャガチャやかましいという事だけど。逆に江戸は渋いというかじっくり聞かせる傾向が上方より強いと感じる。悪くいえば地味という事になるけど。
関西は大道芸がルーツ。江戸はお座敷がルーツ。
面白くわかりやすかったです。❗️今度は家号の由来とか知りたいです。
痩我慢の美学&笑いの美学江戸と上方の違いでは最もしっくりくる説明です。
でも、志ん生師匠の「妾馬」は、上方人の私が笑い死にしそうになりましたw
東京の噺家でも喬太郎師匠,昇太師匠,権太楼師匠など‥爆笑派もできる落語家はいるので,相対的な話でしょう
基本上方つまり大阪や京都の文化は北陸・四国・中国・九州と商人を通じて江戸時代に各地方に伝わっていて、淡路島の淡路人形浄瑠璃や宮崎県の山之口人形浄瑠璃。産業で言えば徳島県の阿波藍と流行の先端を走っていました。大阪が米だけではなく、砂糖や塩、織物と言った各地の産業を売る役割を持っていましたし、西日本地方において絶大な力があった。自由を良しとする文化とはこうした土壌が先ずあり、それが今日の大阪の発展にも繋がる訳じゃ。
教えて頂きありがとうございます😊
上方の場合、自分の所に一番最初の弟子入り志願者が来た時は、弟子を取っていいか自分の師匠にお伺いを立てるわけですが、その師匠が亡くなってた場合はどうするのですかね❓例えばその案件を上方落語協会の会長・副会長預かりにするとか❓🤔
ヨネスケさんTH-cam頑張ってくださいね。
13:51自分もそうですが、音量🔊を上げた人は必ずいるハズ‼️そして微かに聞こえたなぁ~w
「さんま」は落語家ではないです。師匠の松之助さんは、あえて笑福亭を名乗らせなかったのが、その証拠です。
興味深いお話で昔からの疑問がいくつか解決しました。屋号について伺いたいのですが、上方落語の「桂」一門と、江戸の「桂」一門、この二軒が同じ「桂」なのは偶然なのですか?それとも、縁戚関係の様なものがあるのでしょうか?
こんど、TH-camでやりますので、見て下さい。宜しくお願い🤲します
大阪生まれの大阪育ちなんですけどやっぱり関西(特に大阪)人の根底には『笑い』が根付いていると過ごしていてつくづく思います笑う門には福来るとはよく言うもんでどんな理由で泣いていても気分がどんよりしてちょっとナイーブになっちゃいますが、楽しくて笑っていると変に悩んでいたことがバカらしく感じてスッキリしたり、気が楽になり、まぁなんとかなるかってなって本当になんとかなるもんですそれによく笑う人には大らかな人が多いイメージがあり、それもまた人に好かれる理由の一つであり、自分が好かれる理由の一つなんじゃないかなと思いますそれに周りを見ていても「泣くより笑え」「悲しくて泣くなら楽しくて泣け」って気持ちが心のどこかであるんじゃないかと思います人に迷惑をかけるような笑いや人を傷つけるような笑いではなく、アホでバカなことをして人を笑わそうとして、笑ってもらうと笑われた側も幸せになり楽しく気持ちがいいんやと思います。余談ですが、明石家さんまさんが自分の知っている芸人の中でそれがピカイチやと思っていますまぁそれが笑いの本質であり娯楽であるのかなとそのように思ったりしています長々と長文失礼いたしましたm(_ _)m
重厚八代目林家正蔵(彦六)、江戸っ子😍
1、そもそも寄席って?2、各協会の成立ちと目的、その違い
他のコメントにありますが、ステレオマイクを使って貰えると、とても聞きやすくなるかと。今後も楽しみにしています。
今脂が乗ってるオススメの若手〜中堅の落語家さんを教えて欲しいです!できれば東西それぞれで!
【質問と意見】歴史みたいな話でおもしろいです。もっとかみ砕いて教えてほしいです「真打」ってなに?みたいな感じです。落語ってハードルが高くて怖い師匠に、弟子がいて、格式がーとマニア向けって印象があります。せっかくTH-camに進出したんだから、稲川淳二の怖い話のような、少し落語のスタイルを崩して、いろいろと変化球のあるお話をききたいです。コロナで大変だと思うけど体調に気を付けてね
派閥の話が楽しみです
江戸と上方で色々な亭号がありますが、「桂」のように江戸と上方の両方にある亭号は、何か関係はあるのでしょうが?
たしか上方落語の桂が本家 上方で有名だった桂さんが江戸に来てそのまま永住して江戸落語に桂亭を残したらしい
家号?亭号?についても聞きたいです
近々、やりますので登録宜しくお願いします。
江戸・上方の違いが沢山あるんだなと改めて思いました。桂歌丸師匠が上方落語を広めようと努力していたのは、さすが桂歌丸❗️だと思います。
林家欽一さんや三遊亭猿之助さんや笑福亭吉宗さんなどかなと思いますよ。
>桂歌丸師匠が上方落語を広めようと努力していた初めて聞いたけど、全く無意味。上方落語は、とっくの昔に広まっているよ。知らないのは無知。
@@津田三郎 知ってる知らないの話じゃなくて東京の滑稽噺の演者を増やすって意味でしょ
@@jaju-z5z でっ?
歌丸さんが広めようとしてたのは古典でしょ?さもなきゃいが栗やらないで五光でやってるはず
はーなるほど。やっぱり上方落語でしかやらない話と江戸落語でしかやらない話とかもあるんですかねー?
はい。極端にまとめると、上方は滑稽噺、江戸は、人情噺でしたかね。今は、違いますよ。とにかく落語に興味を持って頂きましてありがとう😊ございます😊
漫才のMー1やピン芸人のRー1、女芸人のTHE Wなど日本一を決める賞レースがありますが、落語にはどんな賞レースがあるのかを詳しく教えて頂きたいです。
NHK落語コンクールが、最大じゃないですか?
R-1のRは、一人芸の象徴「落語・RAKUGO」のRから来てます。
上方落語は関西弁だからおもろい
相対性理論☺️👯
これはワシが知ってる範囲での違いなんだけど江戸は階級があるが上方にはない。江戸にはないけど上方にあるのが講談のように演台を使用することくらいかな。
あぁ、なんか上方では名跡を継ぐのが一番の出世で、真打ちとかないっていうのは聞いたことありますね
机のある関西落語のイメージ。二ツ井戸…(^o^;)
べ瓶が色々説明してくれてると思います。べ瓶応援宜しくお願いします笑笑
まぁ。この人も話の腰を折らぬよう高座名の由来を誤魔化しましたがw一度やらかす前の高座名はなんでしたっけ?
落語家は給料安い(だからテレビに出たがる)とは聴いていたけど、上方はそうでもないんだな。
皿屋敷は上方に限る
三代目春団治 桂枝雀ですね。
@@奥山晴正 今晩は、私は映像でしか知りませんが春團治師匠のしか聞いたことがありません。
13:50 ごひゃく?
上方には米朝が居て、江戸には米朝が居なかった差はソレが一番大きいんじゃないの?
江戸には談志がいて、上方には可朝がいた差はコレが一番大きいんじゃないの?
桂米助よりヨネスケの方が儲かる。落語するよりしゃもじ持った方が儲かる。
吉本芸人「さんま師匠が〜」なんか嫌いいいとものタモリ「さんま師匠で〜す」なんか好き
寄席で瘦せ我慢を寄席我慢て言うのは止せ。(先周り的に)
アドバイスありがとうございます😭
聞かせてやろうというのが江戸落語。どうぞお聞きくださいというのが上方落語。
東京にも、色々な落語家がいますので、決めつけないで、東西聞いて頂きますと有難いです。😃😊
大阪では寄席で稼げるのに、なぜ吉本の芸人はギャラが安いと言われるのでしょうか。落語と漫才では、また違うのでしょうか。
吉本興業は社員も芸人が何組いるか把握してないだろうし、舞台で漫才しても5分くらいでしょ?で、定席である天満天神繁盛亭は基本的に咄家しか出ません。新開地喜楽館はもっと緩やかだけど、双方、基本的に落語。で、吉本興業の芸人で寄席にでるのは基本咄家だけ。吉本興業のぺーぺーの漫才師やタレントがワンステージ出ても1000円いかないのではないかな?
ギャラ…どうなんでしょうね。デカイしゃもじ持ってよそのうちにお邪魔してたのより下なんですかね?
師匠ご冗談を300000000年働いてもセスナ買えない?!またまた隣の晩御飯でガッポリ稼いでたじゃないですか?!
音が悪いですね。
昔、初代三平師匠が談志師匠から話を習った事が有りましたが、上方では一門を越えて話を習う事は有るのでしょうか?
落語の稽古は、一門超えてもありますよ。勿論協会超えても。東京、大阪も自由です。
@@totsugekiyonesuke ありがとうございます。またひとつ利口になりました。
声まねしながら一席を米朝師匠したら無理よ。喉仏ギャンギャン動かして抑揚つけて喋るのは無理。出来たとしても『何か』違う。
江戸落語と上方落語を両方できる噺家は居らっしゃいますか?英語で落語をされる方も居るので、居ても不思議ではないと思うのですが。
多分居ないと思います。口調もニュアンスも違いますので。
笑瓶さんが弟子入りしたときは、鶴瓶さんは落語を全然していなかった。タレント・ラジオDJとして、すでに大成しつつあったので、松鶴さんもその道で育てる考えで、落語を1噺も教えていなかった。だからタレントとしての弟子取りを認めたと当時ラジオで聞いた記憶があります。同じように、嘉門達夫(笑福亭笑光)さんもラジオDJで人気だった鶴光さんに弟子入りしましたが、落語の勉強も大切と方向性の違いで衝突して破門になった と、笑瓶さんと真逆の結果となりました。 当時、二人とも大阪のラジオで活躍してたのでリスナーとしては複雑な思いでしたね。
伊集院光氏も謎のオペラ歌手という触れ込みでラジオに出だした頃は現在の三遊亭円楽氏の弟子で師匠には内緒での出演だったと記憶してます。
演じる落語家にもよると思いますが、江戸と上方で同じ噺でも脚色がどのように違うか比較するのも面白いと思います。上方でも「地獄八景亡者戯」は噺家と時代や直近の亡くなられた方によって、脚色が変わるので、面白いです。
その違いを話したら、わからない人には、苦痛です。
米團治さんが、師匠で父親である米朝師匠がなくなった直後に早速ネタにしていましたね。
江戸落語の演目に上方弁を揶揄した『金明竹』がありますが、上方落語では演じるんでしょうか?上方落語では『金明竹』に似た演目はありますか?
しょうへいさんはうまかたよ
上方落語って第二次世界大戦で滅亡しかけて、6代目笑福亭松鶴、桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治の上方四天王の皆様が「いちから復興した」には有名、戦前には上方にも階級制度あったのかもしれませんが奔放な6代目松鶴師匠が「そんな面倒なもんどーでもええ」言ははったのかもしれませんね。月亭屋号は由緒正しく可朝さんが勝手に名乗ったわけではないエピソードもお願いします。
米朝師匠は三代目ね。
ヨネスケ師匠の聞き手としての能力!前に出るタイプの芸人だとおもってたからビックリ。
若手をノビノビ喋らせて、そのうえ上品。たのしぃ
もともとは上方にも真打ち制度があったようですが、大正ごろ以降崩壊したらしいです。漫才が寄席の主流となり落語が衰退する過程で機能しなくなったのです。繁昌亭が出来た時に復活させようかという話もあったみたいですが、反対意見が多く実現しなかったとか。
ただ、繁昌亭ができたため、楽屋の雑用をする、下座で太鼓をたたくなどの、江戸で前座がやる仕事が当番制になり、修行の年季があけてから楽屋当番から解放されるまでのタイムラグ、いわば前座と二つ目の中間みたいな時期が発生してますね。たとえば今(2022年3月第一週)、新開地喜楽館で一番太鼓を打ち、開演前の一席をつとめる桂おとめさんは一昨年年季があけてます。前座、二つ目という階級がないため、落語会などでは10年近いキャリアの方も、出演者の中で一番下ならトップで上がることになるし、楽屋の雑用もしなければなりません。
その辺の事情を知らない、知ったかぶりの客が、芸歴10年を越える某落語家さんに「おい、前座!」と声をかけたという失礼な出来事があったそうです。
べ瓶さんの通る声、聞きやすくて良いです。
落語家さんのお給金事情、上方はさすが商人の町という感じですね。単なる東西比較表じゃなくて経験に基づく対談形式だからすごく面白い!
自由な商人文化を体現した上方落語と、厳格な侍文化の影響が少なくない江戸落語の違いが面白いですね
上方落語に階級が無いのは、恐らく上方落語四天王が出だした頃は上方落語が壊滅寸前で悠長に育成が出来なかったのもあるんだろうね。
9:45 ~
上方落語と江戸落語の成り立ちの違いのお話は大変分かりやすかったです。まさに “ 目から鱗 ” です。
いや~ぁ、【 ヨネスケちゃんねる 】は歴史の勉強にもなりますね!
出囃子で三味線使うのは上方がルーツです 江戸落語は太鼓叩くしか無くて上方から三味線演奏持ち込まれたんです
わかりやすい解説ありがとうございました。
寄席のお茶子さんの話や協会の制度の違い等々またお話を伺いたいです。
マイクを変えるだけで視聴者増えるんじゃないかな? モコモコして聞きづらいです。 内容は最高です!!!
今回の『江戸と上方 落語の違い』、
大変勉強になりました。
東京に住んでた頃、浅草演芸ホールで
行われた『桂歌丸 噺家生活50周年
興行』にお邪魔させていただいたん
ですが、米助師匠と共にお出になら
れた笑福亭鶴光師匠が『見台』と
『小拍子』をお使いになってたのを
思い出しましたよ。
ヨネスケさんって素晴らしいですね。このチャンネルを通じてもっともっと落語ファンが増えてほしいですね。
笑福亭笑瓶師匠の1人コントを昔に観て大爆笑した記憶があります。
イッセー尾形さんとかモロ師岡さんみたいなコントでした。
実に面白かったです!
改めてなるほど〜!と驚くことが多かったです。勉強になりました‼️
興味深い話でした! ありがとうございました😊
べ瓶さん 面白い‼️
最近、こちらのチャンネルを存じ上げ、徐々に遡りながら拝見しています。
私は関西出身で30半ばで関東に来ましたが、落語の感じ、落語家の声量に違いを大きく感じていたので、大変興味深い内容でした✨
難聴者です。この頃の音声は最近の動画より更に聞き取りづらいです、、
ピンマイクを付けてはいただけませんか?
せっかくの動画です。耳を近づけ何度も巻き戻しながらではなく、お姿も拝見しながら、動画拝見したいです。ご一考くださいませ🙇
はめもの など、お話の最中でかかるお囃子を地囃子とも言いますもんね
武家や富裕層のお座敷に呼ばれて ウエルカムの状態だけど 耳のこえた 厳しいお客の前で話芸を磨いた江戸・ 長らく大道芸の一種で、聞く気の無い人の足を止めさせて引きずりこまないといけなかった上方 鳴り物、 旅話も上方の特徴で それが今日のちがいになったのではと思います。
上方落語は子供の頃に枝雀師匠を聴いていたのですが、
大人になって師匠の米朝師匠の方の落ち着いた口調での話芸が入りやすく
上方落語の演目を聴くんならまず米朝師匠の話芸を聞いた上で他の噺家さんというスタイルです。
全く気にもしていなかったことなので
非常に興味深い話でした。
「(上方では)一般の方が噺家を師匠と呼ぶことはない」という話、ものすごく納得でした。僕にとっては四天王でも「米朝さん」「松鶴さん」「春団治さん」「小文枝さん」でしたが、東京に住む落語ファンの友達が「〇〇師匠」「△△師」と呼ぶので、大師匠を「〇〇さん」と呼ぶ俺は礼儀がなってないのかなあと、何となく気後れして、その友達に引きずられるように「〇〇師匠」と迷いながら言うことが増えていました。でも内心は「俺の師匠ではないしな」と思っていました(^^;)
それが上方のいいところです。 私も米ちゃんが嬉しいです。
上方落語の鳴り物(はめもの)は江戸落語の中で六代目三遊亭圓生の掛取り万歳とか佃祭りってネタでも聞くことができますが上方落語の影響が江戸落語の中に残っているんですね
先代文治は泣かせるより笑わせるのが難しいんだと言われていました。私は上方落語も好きだ。たまに喧しい落ち着かないと感じるときもある。米朝師匠が上方落語の特徴を七度狐冒頭で聴いたよ
14:15
だから「隣の晩ごはん」とかやってたわけですね⁉️😳そっちのほうが寄席より実入りがいい❗😆
面白い話しやった😃✌️
お中元ください笑!
当初の疑問であったハメモノの有無が落語のあり方の違いにまで深く関わっていることに驚き、大変勉強になりました。
私は上方の方の人間なので「師匠」と呼ばれるか否かについてはとても興味深かったです。
僭越ながら、べ瓶さんのように知らない演目だなぁと聞いていると、知っている内容だった経験があったのでウンウンと頷いてしまいました。
めっちゃ面白かったです。
ヨネスケ師匠の懐のデカさに感激です。
(^^)
勉強になりました
ありがとうございます。
落語を応援お願いします。
江戸落語と上方落語の違いについて、わかりやすい解説ありがとうございます。勉強になりました。
ありがとうございます😊
落語界、寄席応援して下さい。
東京で客が噺家を「師匠」と呼ぶのに驚いた、をまさに最近経験しました。蝶花楼桃花師匠の真打昇進披露興行に伺った時、入場待ちの列に並ぼうとした方が、「これ、桃花師匠の…?」と聞いておられたんです。真打なりたてでも「師匠」なんですね。入場後、後ろの席で、「小朝はいつもおもしろくねえからさあ!」と新真打の師匠の悪口を大声でしゃべる無礼者もいましたけどね。
結婚披露宴で新郎新婦の親の悪口大声で言う奴いるか?そういうことがなんで分かんないかね、重箱みたいに四十の五十のと歳だけ重ねて…
お疲れ様です 東京と大阪こんなに文化が違うんですね 東京は、システマチックな年功序列 大阪は、単純な実力主義の様に聞こえました とにかく勉強になりました感謝ですありがとうございました
東京の声小さい、というのは確かに。年取ると後ろの方では聞き取れない。
先代小文治小南師匠上方落語を東京に馴染むようにされてました
江戸と上方の違い良く分かりました。ありがとうございます。北関東から上方落語を聴きたくて繁昌亭に数年前行きました。上方のネタは滑稽噺が多いとのこと。大阪の人の笑い声は東京より倍ぐらい大きく、又高座返しを若い女性がしておりビックリしました。コロナが落ち着いたら、また行きます。
何よりが楽しみですよ。
@@アスパラトマト-p6u 君、ここにもおったんかいなw
お茶子さんのことですよ
面白かった
真打制度は大正時代に一旦廃止され、戦後に上方落語協会が部外秘の内規として復活させたが、昭和40年代の上方落語ブームによって有名無実化した。
現在は香盤(上方落語協会の内規)が真打制度の代替として存在し、芸歴5年以上を中座(江戸落語の二つ目に相当)、15年以上を真打と同格としており、真打相当からA、B、Cのランクに分かれている。
よって、通常上方落語で「前座」などの言葉を用いる際は、出番を表す言葉として使われることが多い、とウィキペディアにあります。
米朝師匠の本にも、前座。中座、真打という制度の解説がありました。
もともと派手好きな関西は真打披露を派手にし過ぎで、
吉本と松竹が発表をやめようといったと聞きました。
だからその分襲名披露は超派手にやるようです。
江戸独自の噺といえば、たがや、のような武家と町人、明烏のような
吉原が舞台のもの、芝浜のような円朝作のもの、
もちろん怪談ものなんか、ですかね。
お疲れ様です 楽しく視聴しております。今度、笑福亭釣瓶さんが出られる時、質問して頂きたいのですが。名古屋でのラジオ番組の為、名古屋で下車せず東京まで行ってしまい
お金も持って無く、たまたま同じ電車に乗っていた見ず知らずの方の家へ行き、記憶が正しければ、電話で番組をしていたのを思い出しましたので聞いて下さい。
それ、上岡龍太郎師匠もやらかしてはりますね。パペポTVで話されてました。
大阪の船場言葉や江戸の下町言葉が残っているのは落語しか無いんだよね。方言研究する時落語家さんの発音は凄く参考になります。
その点(船場言葉を残す)は、桂米朝さんも、とてもこだわっておられたようでした。私はそんなことを知りませんでしたが、20年くらい前に、あるTV番組で、米朝師匠が弟子に「船場の人はそんないいかたはしない」「アクセントが違う」というように落語での言葉使いについて非常に細かく指導していたのを見ました。たとえ大阪出身の弟子でも、船場言葉は今ある普通の「大阪弁」とはまた違うので、あれこれ指導してもらわないと船場の言葉にはならないんだなと知りました。
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テレビやネットの普及によって摂津弁を基準とした関西共通語が段々と普通になってきましたし、河内弁や泉州弁、船場言葉は若い人を中心に関西共通語に置き換わっていますからね。米朝師匠もお話を聞く限りでは標準語教育の弊害と言うのを弟子の稽古を通じて肌で感じていらっしゃったと思いますし、上方落語の復活と言うのは船場言葉の復興があってこそだと考えます。浅い知識ですみません。
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あと方言学の本とかでは話し言葉として日常的に使っていたのは志ん生師匠と米朝師匠が最後って書いていたのを読んだ事は有ります。
確か…文枝さん(桂三枝)は真打制度を上方落語に取り入れようとしてますよね
巨人ファンのヨネスケ師匠
関西出身だけど、東京ヤクルトファンのべ瓶さん
ヨネスケさんの例として出した給金の額が5〜2.5円で、そこから大きく外れないんだろうな
ヨネスケ師匠は語っても語らせても名人ですね。
時そば、時うどん。
長屋の花見、貧乏花見。
この二つも同じようなネタですね。
一般的な感覚だと関西の方が芸人さんとか給料安いイメージやけど、落語は真逆なんやな
べ瓶さんってよゐこの有野さんに似てる気がします(笑)
上方は声がしゃがれてるイメージある
上方では、30年くらい前は松鶴、米朝、春団治、文枝(先代)、松之助、五郎兵衛の各師匠は芸人はもちろん、アナウンサーもテレビやラジオで「師匠」と言っていたと思います。その下の世代は「さん」「ちゃん」づけが多いと思います。これらの師匠も皆さん鬼籍に入られて上がいなくなったのか、今の文枝さん(三枝さん)やざこばさんなどをテレビでアナウンサーが「師匠」と呼ばれています。
とても興味深いお話です。出来ればマイクを付けて頂けるとありがたいです。せっかくのお話が音割れで少し聞きづらいです💦
質問です🐈
まんだら と かぜ。
語源と言うか…由来を教えていただきたいです。
スマホ社会だからって
調べなさいは野暮なもんです。
武家の街と商売の街の違いなんでしょうねえ...
ありがとうございます。知らなかった事沢山解りました、後 上方の方と江戸落語の方との羽織の使い方が違うのが気になります、東京の方が最後まで羽織を着たまま演じているのを見ました。
人によってです。
昔は、後の出演者が来ない時に、羽織りを脱いで、舞台袖に放りました。後が来ると、前座がその羽織を引いて、後が来ましたとの合図でした。
@@totsugekiyonesuke 返信ありがとうございます、他の方のコメントを見ていて東京には、お茶子さんが居ない事に驚きました。
@@与太郎-g9c お茶子さんの役を前座がします。
ほんまは素人が師匠やら先生やら呼ぶのはおかしな話なんやけどな
面白い
個人的には最初に聞いたのが上方なのもあるかもしれないけど、初心者は上方の方がウケやすいと思う。上方は華やかな感じがするね。悪くいえばガチャガチャやかましいという事だけど。逆に江戸は渋いというかじっくり聞かせる傾向が上方より強いと感じる。悪くいえば地味という事になるけど。
関西は大道芸がルーツ。
江戸はお座敷がルーツ。
面白くわかりやすかったです。❗️
今度は家号の由来とか知りたいです。
痩我慢の美学&笑いの美学
江戸と上方の違いでは最もしっくりくる説明です。
でも、志ん生師匠の「妾馬」は、上方人の私が笑い死にしそうになりましたw
東京の噺家でも
喬太郎師匠,昇太師匠,権太楼師匠など‥爆笑派もできる落語家はいるので,相対的な話でしょう
基本上方つまり大阪や京都の文化は北陸・四国・中国・九州と商人を通じて江戸時代に各地方に伝わっていて、淡路島の淡路人形浄瑠璃や宮崎県の山之口人形浄瑠璃。産業で言えば徳島県の阿波藍と流行の先端を走っていました。大阪が米だけではなく、砂糖や塩、織物と言った各地の産業を売る役割を持っていましたし、西日本地方において絶大な力があった。自由を良しとする文化とはこうした土壌が先ずあり、それが今日の大阪の発展にも繋がる訳じゃ。
教えて頂きありがとうございます😊
上方の場合、自分の所に一番最初の弟子入り志願者が来た時は、弟子を取っていいか自分の師匠にお伺いを立てるわけですが、その師匠が亡くなってた場合はどうするのですかね❓例えばその案件を上方落語協会の会長・副会長預かりにするとか❓🤔
ヨネスケさんTH-cam頑張ってくださいね。
13:51
自分もそうですが、音量🔊を上げた人は必ずいるハズ‼️
そして微かに聞こえたなぁ~w
「さんま」は落語家ではないです。師匠の松之助さんは、あえて笑福亭を名乗らせなかったのが、その証拠です。
興味深いお話で昔からの疑問がいくつか解決しました。
屋号について伺いたいのですが、上方落語の「桂」一門と、江戸の「桂」一門、この二軒が同じ「桂」なのは偶然なのですか?
それとも、縁戚関係の様なものがあるのでしょうか?
こんど、TH-camでやりますので、見て下さい。
宜しくお願い🤲します
大阪生まれの大阪育ちなんですけど
やっぱり関西(特に大阪)人の根底には『笑い』が根付いていると過ごしていてつくづく思います
笑う門には福来るとはよく言うもんでどんな理由で泣いていても気分がどんよりしてちょっとナイーブになっちゃいますが、楽しくて笑っていると変に悩んでいたことがバカらしく感じてスッキリしたり、気が楽になり、まぁなんとかなるかってなって本当になんとかなるもんです
それによく笑う人には大らかな人が多いイメージがあり、それもまた人に好かれる理由の一つであり、自分が好かれる理由の一つなんじゃないかなと思います
それに周りを見ていても「泣くより笑え」「悲しくて泣くなら楽しくて泣け」って気持ちが心のどこかであるんじゃないかと思います
人に迷惑をかけるような笑いや人を傷つけるような笑いではなく、アホでバカなことをして人を笑わそうとして、笑ってもらうと笑われた側も幸せになり楽しく気持ちがいいんやと思います。
余談ですが、明石家さんまさんが自分の知っている芸人の中でそれがピカイチやと思っています
まぁそれが笑いの本質であり娯楽であるのかなとそのように思ったりしています
長々と長文失礼いたしましたm(_ _)m
重厚八代目林家正蔵(彦六)、江戸っ子😍
1、そもそも寄席って?
2、各協会の成立ちと目的、その違い
他のコメントにありますが、ステレオマイクを使って貰えると、とても聞きやすくなるかと。今後も楽しみにしています。
今脂が乗ってるオススメの若手〜中堅の落語家さんを教えて欲しいです!できれば東西それぞれで!
【質問と意見】歴史みたいな話でおもしろいです。もっとかみ砕いて教えてほしいです「真打」ってなに?みたいな感じです。落語ってハードルが高くて怖い師匠に、弟子がいて、格式がーとマニア向けって印象があります。せっかくTH-camに進出したんだから、稲川淳二の怖い話のような、少し落語のスタイルを崩して、いろいろと変化球のあるお話をききたいです。コロナで大変だと思うけど体調に気を付けてね
派閥の話が楽しみです
江戸と上方で色々な亭号がありますが、「桂」のように江戸と上方の両方にある亭号は、何か関係はあるのでしょうが?
たしか上方落語の桂が本家 上方で有名だった桂さんが江戸に来てそのまま永住して江戸落語に桂亭を残したらしい
家号?亭号?についても聞きたいです
近々、やりますので登録宜しくお願いします。
江戸・上方の違いが沢山あるんだなと改めて思いました。
桂歌丸師匠が上方落語を広めようと努力していたのは、さすが桂歌丸❗️だと思います。
林家欽一さんや三遊亭猿之助さんや笑福亭吉宗さんなどかなと思いますよ。
>桂歌丸師匠が上方落語を広めようと努力していた
初めて聞いたけど、全く無意味。
上方落語は、とっくの昔に広まっているよ。知らないのは無知。
@@津田三郎 知ってる知らないの話じゃなくて東京の滑稽噺の演者を増やすって意味でしょ
@@jaju-z5z
でっ?
歌丸さんが広めようとしてたのは古典でしょ?
さもなきゃいが栗やらないで五光でやってるはず
はーなるほど。やっぱり上方落語でしかやらない話と江戸落語でしかやらない話とかもあるんですかねー?
はい。極端にまとめると、上方は滑稽噺、江戸は、人情噺でしたかね。
今は、違いますよ。
とにかく落語に興味を持って頂きましてありがとう😊ございます😊
漫才のMー1やピン芸人のRー1、女芸人のTHE Wなど日本一を決める賞レースがありますが、落語にはどんな賞レースがあるのかを詳しく教えて頂きたいです。
NHK落語コンクールが、最大じゃないですか?
R-1のRは、一人芸の象徴「落語・RAKUGO」のRから来てます。
上方落語は関西弁だからおもろい
相対性理論☺️👯
これはワシが知ってる範囲での違いなんだけど江戸は階級があるが上方にはない。江戸にはないけど上方にあるのが講談のように演台を使用することくらいかな。
あぁ、なんか上方では名跡を継ぐのが一番の出世で、真打ちとかないっていうのは聞いたことありますね
机のある関西落語のイメージ。二ツ井戸…(^o^;)
べ瓶が色々説明してくれてると思います。べ瓶応援宜しくお願いします笑笑
まぁ。この人も話の腰を折らぬよう高座名の由来を誤魔化しましたがw一度やらかす前の高座名はなんでしたっけ?
落語家は給料安い(だからテレビに出たがる)とは聴いていたけど、上方はそうでもないんだな。
皿屋敷は上方に限る
三代目春団治 桂枝雀ですね。
@@奥山晴正 今晩は、私は映像でしか知りませんが春團治師匠のしか聞いたことがありません。
13:50 ごひゃく?
上方には米朝が居て、江戸には米朝が居なかった
差はソレが一番大きいんじゃないの?
江戸には談志がいて、上方には可朝がいた
差はコレが一番大きいんじゃないの?
桂米助よりヨネスケの方が儲かる。落語するよりしゃもじ持った方が儲かる。
吉本芸人「さんま師匠が〜」なんか嫌い
いいとものタモリ「さんま師匠で〜す」なんか好き
寄席で瘦せ我慢を寄席我慢て言うのは止せ。(先周り的に)
アドバイスありがとうございます😭
聞かせてやろうというのが江戸落語。どうぞお聞きくださいというのが上方落語。
東京にも、色々な落語家がいますので、決めつけないで、東西聞いて頂きますと有難いです。😃😊
大阪では寄席で稼げるのに、なぜ吉本の芸人はギャラが安いと言われるのでしょうか。落語と漫才では、また違うのでしょうか。
吉本興業は社員も芸人が何組いるか把握してないだろうし、舞台で漫才しても5分くらいでしょ?
で、定席である天満天神繁盛亭は基本的に咄家しか出ません。新開地喜楽館はもっと緩やかだけど、双方、基本的に落語。
で、吉本興業の芸人で寄席にでるのは基本咄家だけ。
吉本興業のぺーぺーの漫才師やタレントがワンステージ出ても1000円いかないのではないかな?
ギャラ…どうなんでしょうね。デカイしゃもじ持ってよそのうちにお邪魔してたのより下なんですかね?
師匠ご冗談を
300000000年働いても
セスナ買えない?!
またまた
隣の晩御飯で
ガッポリ稼いでたじゃないですか?!
音が悪いですね。
昔、初代三平師匠が談志師匠から話を習った事が有りましたが、上方では一門を越えて話を習う事は有るのでしょうか?
落語の稽古は、一門超えてもありますよ。勿論協会超えても。
東京、大阪も自由です。
@@totsugekiyonesuke
ありがとうございます。またひとつ利口になりました。
声まねしながら一席を米朝師匠したら無理よ。喉仏ギャンギャン動かして抑揚つけて喋るのは無理。出来たとしても『何か』違う。
江戸落語と上方落語を両方できる噺家は居らっしゃいますか?
英語で落語をされる方も居るので、居ても不思議ではないと思うのですが。
多分居ないと思います。口調もニュアンスも違いますので。
笑瓶さんが弟子入りしたときは、鶴瓶さんは落語を全然していなかった。タレント・ラジオDJとして、すでに大成しつつあったので、松鶴さんもその道で育てる考えで、落語を1噺も教えていなかった。だからタレントとしての弟子取りを認めたと当時ラジオで聞いた記憶があります。
同じように、嘉門達夫(笑福亭笑光)さんもラジオDJで人気だった鶴光さんに弟子入りしましたが、落語の勉強も大切と方向性の違いで衝突して破門になった と、笑瓶さんと真逆の結果となりました。 当時、二人とも大阪のラジオで活躍してたのでリスナーとしては複雑な思いでしたね。
伊集院光氏も謎のオペラ歌手という触れ込みでラジオに出だした頃は現在の三遊亭円楽氏の弟子で師匠には内緒での出演だったと記憶してます。
演じる落語家にもよると思いますが、江戸と上方で同じ噺でも脚色がどのように違うか比較するのも面白いと思います。
上方でも「地獄八景亡者戯」は噺家と時代や直近の亡くなられた方によって、脚色が変わるので、面白いです。
その違いを話したら、わからない人には、苦痛です。
米團治さんが、師匠で父親である米朝師匠がなくなった直後に早速ネタにしていましたね。
江戸落語の演目に上方弁を揶揄した『金明竹』がありますが、上方落語では演じるんでしょうか?
上方落語では『金明竹』に似た演目はありますか?
しょうへいさんはうまかたよ
上方落語って第二次世界大戦で滅亡しかけて、6代目笑福亭松鶴、桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治の上方四天王の皆様が「いちから復興した」には有名、戦前には上方にも階級制度あったのかもしれませんが奔放な6代目松鶴師匠が「そんな面倒なもんどーでもええ」言ははったのかもしれませんね。月亭屋号は由緒正しく可朝さんが勝手に名乗ったわけではないエピソードもお願いします。
米朝師匠は三代目ね。