ขนาดวิดีโอ: 1280 X 720853 X 480640 X 360
แสดงแผงควบคุมโปรแกรมเล่น
เล่นอัตโนมัติ
เล่นใหม่
フェアスタエフセーケルン シャルケヌールフィアー のナレーションが堪りません毎日 巨人戦がTV放映されてましたが、世界はこれだからと 1人悦に入っていた小5でした 金子アナありがとう RIP
金子さんお悔やみ申し上げます。貴方の心地良い実況は忘れません。海外サッカーを唯一観れた三菱ダイヤモンドサッカーは珠玉の番組だった。
ダイヤモンドサッカー司会兼実況の金子勝彦アナウンサーが2023年8月20日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
サッカーを愛する者の一人として御冥福をお祈りいたします。
金子さん ありがとう
金子勝彦さんが、亡くなられたそうですね。ご冥福をお祈りします。18歳で東京に出てきて、この番組に出会いました。サッカーが今まで見ていたのとは別のスポーツだと知りました。地元では放送していなかったんですよね。
ただただ懐かしい。夕方この番組がどんなに素晴らしかったことか。イングランドリーグの雰囲気に憧れました。岡野、金子コンピは日本サッカー界随一の博識だった。
日本のサッカーファンの情熱を繋ぎ止めて後生に繋げてくれた偉大な番組。金子勝彦さんのご冥福を謹んで祈念するものです
とても懐かしいです・・ありがとうございます。毎週土曜日の夕方、ドキドキしながらテレビにかじりついて見てました。岡野俊一郎、金子アナの息の合ったやり取りは、聞いていて心地よかったです。岡野氏の低音で博識あふれる落ち着いた語り口は素晴らしく見事で、あこがれの的でした。このオープニングで印象的なのは、1FCケルン戦でのシャルケのキャプテン、フィッシャーのボレーシュートです。味方選手のシュートのこぼれ球を、シューマッッヒヤーの鼻先で倒れ込みながらジャンピングボレーで見事に決めてくれました。あのシーンはいまだに脳裏に焼き付いて忘れられません。多くのバイシクルキックシュートで有名なフィッシャーですが、このケルン戦で放ったジャンピングボレーほど美しいシュートはないと思います。まさにボレーシュートの王者でした。このフィッシャーのジャンピングボレーを見てブンデスリーガが好きになったといっても過言ではなありません。あとウェンブレースタジアムの独特の雰囲気もたまりませんね。今見ても鳥肌が立ちます。貴重なフィルムを見せて頂き、ありがとうございました。
この番組がなかったらサッカーと言うスポーツにのめり込んでなかったでしょう。スポーツと言うより文化ですね。特にワールドカップ70年のメキシコ大会は、自分にとってのカルチャーショックですね。素晴らしい投稿に感謝します。有り難うございました。🙆🆗
12:39 奥寺vs尾崎 当時としては珍しい日本人対決だったんだな今でこそ日本人対決は珍しくもないが
ホントに懐かしい!生で見てました。2番目のオープニングはボルシアMGのヘルベルト・ビンマーの強烈なミドルや終盤のバイシクルはシャルケのキャプテン、クラウス・フィッシャーによるものですね。3・4番目はイプスウォッチのFAカップ初優勝のシーンです。セミファイナルのウェスト・ブロミッジは主将のジョン・ワイル、イングランド代表のトニー・ブラウンやシリル・レジス、ローリー・カニンガムらアルビオンのサポーターにとって正にレジェンド達です。決勝は1-0で、ロジャー・オズボーンがゴールを決めました。この時のアーセナルもスゴい選手ばかりで、パット・ジェニングスやリアム・ブレディ、アラン・サンダーランド、アラン・ハドソン、「スーパーマック」ことマルコム・マクドナルド、フランク・スティープルトンなど、全員がどこかの国の代表選手ばかりでした。スコットランドリーグのファイナルは余り馴染みのない選手ばか-りでしたが、会場のグラスゴー、ハンプデン・パークは異様な雰囲気でした。次の78-79シーズン、シャルケvsケルンもほぼ代表選手ばかり。7番目はパウル・ブライトナーがバイエルンに復帰した時です。(74年W杯後、レアル・マドリッド→西ドイツのE・ブラウンシュバイクを経て復帰)試合前にブライトナーと握手してるのはベテラン、ベルント・クルマンです。8番目は2部昇格1年目で奇跡の優勝と呼ばれたブライアン・クラフ率いるノッティンガムです。80年ユーロの決勝はこの大会以外は代表でのプレーを拒絶した20歳のベルント・シュスターが大活躍でした。次の81年FAカップ、イプスウィッチは3年前のメンバー+、今と全然違うマンチェスター・シティはジョー・コリガン、ウィリー・ドナキー、エイサ・ハートフォード、ジョー・ロイル、マイク・シャノン、ブライアン・キッドそして現韓国女子代表監督コリン・ベルがいました。82年のブンデスリーガ、バイエルンvsハンブルクでキャプテンのブライトナーの後ろはGKのワルター・ユングハンスです。40年以上前ですが、脳裏に焼き付いて離れません。(この辺にしときます)
ダイヤモンド・サッカーの岡野俊一郎さんと金子勝彦アナにサッカーの全てを教えてもらいました。金子勝彦アナ安らかに・・・合掌
実況の金子さんも亡くなり岡野さんも居ないくなってしまったが貴方達が蒔いてくれた種は育っています。そして次世代へ受け継がれていきます。ありがとうございました。
土曜の18:00、東京12チャンネル(テレビ東京)で放送されてて毎週見てました。当時サッカーで人気があったのは高校サッカーまでで、実業団の試合がTV中継されてもほとんど観客がいない時代だった。印象に残っている選手は、リパプールのケビン・キーガン、ブンデスリーガのバイエルンミュンヘンでプレーしていたルンメニゲ、1FCケルンに移籍したころの奥寺さんだったなあ。
金子さんの逝去を聞き、ダイヤモンドサッカーのテーマ音楽。金子さんのアナウンスを思い、涙が流れました。この音楽、アナウンスは胸を掻きむしられます。今のスポーツアナウンサーは金子さんのアナウンスを見習ってほしい。淡々としてよどみない。美しい日本語です。今は耳障りばかり、不用な気が効かない無知なコメントは追放してほしい。
メキシコW杯を放映時間がウィークデイの22時頃からの時代に観ていた。西ドイツのvsイングランド(QF)、vsイタリア(SF)、決勝のブラジルvsイタリアには強烈なインパクトを受けた。かつてNHKも数年間は土曜午後に必ずFAカップ決勝を放映してくれていた。波乱のリーズvsサンダーランド(当時2部)とか感涙レベルで懐かしい。
戦後以降の、日本におけるサッカー文化の転機といえば、Jリーグ開幕やワールドカップ出場、女子だとなでしこジャパン優勝もそうだが、海外特に欧州サッカー関係だとダイヤモンドサッカーの影響も結構大きいと思う。
ちなみにこの「ダイヤモンドサッカー」がきっかけもあり三菱グループとサッカーの関わりは深いですね。三菱重工業が母体の「浦和レッズ」もですしサッカー日本代表のスポンサーにはキリン(キリンビール・キリンビバレッジ)が長年関わっていますね。
段々企業のロゴが入るようになり、時代の流れを感じる
私の地方では、土曜日朝に放送していました。ブレーメンの音楽隊のブレーメンというチームが実在することや試合中の観客の歌とか、映像の荒さもあり、遥か遠くの欧州に憧れる小学生でした。
スポンサーが諸橋さんだったから実現した番組。日本サッカーの恩人。
「サッカーを愛するファンの方々、ご機嫌いかがでしょうか?」の名セリフ、岡野さんとの軽妙な掛け合い。素晴らしい番組でした。お二人で天国から日本サッカーを応援してください。
'70W杯メキシコ大会は一年かけて放送されたが、「夜のヒットスタジオ」の真裏番組で物好きでなければ誰も見ていなかった。肩脱臼を包帯したままプレー続けたベッケンバウワーに仰天した。この時、大半の日本人はW杯を知らなかったと思う。番組の当初は、日曜日朝7時にイングランドリーグを白黒放送していて、これも物好きしか見ていなかった。ボビーチャールトン、ジヨージベストを見てこれまた仰天した。
この頃のサッカー少年たちは大人からの「(日本で)サッカーでは飯は食えないぞ!!」って言う罵声に近い言葉を何度聞いた事か…🥺ソレでもサッカーを続けて全国大会でベスト8まで行って実業団へサッカーで就職も出来た…ダイヤモンドサッカーは毎週食い入る様に観てたな~アルゼンチンvsオランダの決勝の大会を確か…2年連続で放送してなかったかな…🤔ケンペスのワンタッチで抜け出して倒れ込みながらのシュートを何度真似した事か…懐かしい✨
最後はヘーゼルの悲劇か当時サッカーマガジンかダイジェストのどっちかにサッカーの死んだ日と書かれてたな金子さん有難うございました
テレビ大阪が開局する前は近畿テレビ・サンテレビで、三菱グループ協賛ではなく「ワールドサッカー」という題名で放送していたな。この番組や、のちに高橋陽一氏が描いた「キャプテン翼」というアニメもTX系で放送されたが、それらが、子供らのあこがれとなり、「ダイヤモンドサッカー世代」がJリーグの草創期を盛り上げたといえるだろう。理屈を言えば、プロ野球のポストONを育てたのも、今はCSフジ1でしぶとく続く「プロ野球ニュース」が地上波で、佐々木信也氏らが司会を務めた番組を見た子供らの世代も、彼らを見て、甲子園、プロをあこがれたのと同じだな
😔金子さんのご冥福をお祈りいたします😔
懐かしいドラムマジョレット。三菱ダイヤモンドサッカーが無ければ、海外のサッカーなんて見れない時代だったもんねえ。感謝してますよ。
念願のドイツ旅行が叶い、今晩に初めてブンデスリーガ観戦予定の50代前半ミドルです。私の海外サッカーのルーツとなった三菱ダイヤモンドサッカーのオープンニングが聞きたくなり、この投稿にたどり着きました。ドイツサッカーに憧れを持っていたのは、この番組でブンデスリーガ、西ドイツが多く取り上げられていたからだと、今更気づきました。今では海外サッカーに触れる事は日常となっていますが、あらためて昔の日本のサッカー環境をこの投稿で思い出し、今晩に叶う夢のブンデスリーガ観戦を前に涙しました。
イプスウィッチの監督、ちょっとしか映らないけど後のイングランド代表監督ボビー・ロブソンだ。
1回だけ金子アナではなく藤吉アナが担当していたのは初めて知った。
4:44からはまともなオープニングです。
ユベントスVSリヴァプールか。プラティニがサッカーへの情熱を失ったきっかけになったと言われているゲームですね。フーリガンの小競り合いから起きた死者が出た惨劇。「ヘーゼルの悲劇」は今も語られるサッカー界の悲しい出来事の一つですね。
西ドイツ対イタリア、ワールドカップ史上、最高の試合と言われる。
シャルケ04と1FCケルンの試合だったかと思うが、01:42のフィッシャーの美しいジャンピングボレーが忘れられない。僕がサッカーにのめり込んだきっかけの一つです。
『岡野さん,最近はねアーセナルやリヴァプールでプレーする選手もいてワールドカップでドイツやスペインに勝ったんですよ。昔一緒にやってる頃は奥寺君しかいなかったし、その後は中田君や中村君、本田くん、岡崎君、香川君がヨーロッパの一線級のチームで活躍したのは知ってるでしょうけど今はもう一皮剥けた感じなんですよ。三笘くんなんかイングランドで代表クラスの選手相手に左サイドから抜いてアシストしたり切り込んで自らシュート決めたりしてるんですよ。クラマーさんの教えとかトルシエさんに鍛えてもらったり岡野さんがやってきた事とか,微力ながら僕たちがやってきたことが大きく育ってきているんですよね。僕が生きてるうちはそんなところまでだったんですけどおそらくあと2,30年で本当にワールドカップも取れるかもしれないと言うのが夢のまた夢から少し遠い目標に変わったんですよね。テレビでは下田君とか倉敷君とかその他何人もみんな特徴があって面白い実況するんですよ。僕とか山本君のような局のアナウンサーじゃなくてもうサッカーだけでも食っていけるような時代で、隔世の感がありますよね。あっ,僕はまだ挨拶しなきゃいけない人もいるんでお暇しますけど,今度ゆっくり岡野さんがこっちにきてから後の話をたくさんしますよ。それではまた』
日本サッカーの原点‼️‼️ありがとう‼️三菱ダイヤモンドサッカー‼️
テレ東のオープニングテーマは途中で違う曲に変わった記憶があるんだけどダイヤモンドサッカーだけは初期のテーマ曲を続けて使ってたのね
金子勝彦さんのご冥福をお祈り致します
日本のサッカーが地味過ぎた時代。
サポーターがケセラセラ歌ってましたね。最近は聞きませんが。
ありがとうございました。ケルンとバイエルン・ミュンヘンの4対2で対戦したいです
フェアスタエフセーケルン シャルケヌールフィアー のナレーションが堪りません
毎日 巨人戦がTV放映されてましたが、世界はこれだからと 1人悦に入っていた小5でした 金子アナありがとう RIP
金子さんお悔やみ申し上げます。
貴方の心地良い実況は忘れません。
海外サッカーを唯一観れた三菱ダイヤモンドサッカーは珠玉の番組だった。
ダイヤモンドサッカー司会兼実況の金子勝彦アナウンサーが2023年8月20日に亡くなられました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
サッカーを愛する者の一人として御冥福をお祈りいたします。
金子さん ありがとう
金子勝彦さんが、亡くなられたそうですね。ご冥福をお祈りします。18歳で東京に出てきて、この番組に出会いました。サッカーが今まで見ていたのとは別のスポーツだと知りました。地元では放送していなかったんですよね。
ただただ懐かしい。夕方この番組がどんなに素晴らしかったことか。イングランドリーグの雰囲気に憧れました。岡野、金子コンピは日本サッカー界随一の博識だった。
日本のサッカーファンの情熱を繋ぎ止めて後生に繋げてくれた偉大な番組。
金子勝彦さんのご冥福を謹んで祈念するものです
とても懐かしいです・・ありがとうございます。
毎週土曜日の夕方、ドキドキしながらテレビにかじりついて見てました。
岡野俊一郎、金子アナの息の合ったやり取りは、聞いていて心地よかったです。
岡野氏の低音で博識あふれる落ち着いた語り口は素晴らしく見事で、あこがれの的でした。
このオープニングで印象的なのは、1FCケルン戦でのシャルケのキャプテン、フィッシャーのボレーシュートです。
味方選手のシュートのこぼれ球を、シューマッッヒヤーの鼻先で倒れ込みながらジャンピングボレーで見事に決めてくれました。
あのシーンはいまだに脳裏に焼き付いて忘れられません。
多くのバイシクルキックシュートで有名なフィッシャーですが、このケルン戦で放ったジャンピングボレーほど美しいシュートはないと思います。まさにボレーシュートの王者でした。
このフィッシャーのジャンピングボレーを見てブンデスリーガが好きになったといっても過言ではなありません。
あとウェンブレースタジアムの独特の雰囲気もたまりませんね。今見ても鳥肌が立ちます。
貴重なフィルムを見せて頂き、ありがとうございました。
この番組がなかったらサッカーと言うスポーツにのめり込んでなかったでしょう。スポーツと言うより文化ですね。特にワールドカップ70年のメキシコ大会は、自分にとってのカルチャーショックですね。素晴らしい投稿に感謝します。有り難うございました。🙆🆗
12:39 奥寺vs尾崎 当時としては珍しい日本人対決だったんだな
今でこそ日本人対決は珍しくもないが
ホントに懐かしい!生で見てました。2番目のオープニングはボルシアMGのヘルベルト・ビンマーの強烈なミドルや終盤のバイシクルはシャルケのキャプテン、クラウス・フィッシャーによるものですね。3・4番目はイプスウォッチのFAカップ初優勝のシーンです。セミファイナルのウェスト・ブロミッジは主将のジョン・ワイル、イングランド代表のトニー・ブラウンやシリル・レジス、ローリー・カニンガムらアルビオンのサポーターにとって正にレジェンド達です。決勝は1-0で、ロジャー・オズボーンがゴールを決めました。この時のアーセナルもスゴい選手ばかりで、パット・ジェニングスやリアム・ブレディ、アラン・サンダーランド、アラン・ハドソン、「スーパーマック」ことマルコム・マクドナルド、フランク・スティープルトンなど、全員がどこかの国の代表選手ばかりでした。
スコットランドリーグのファイナルは余り馴染みのない選手ばか-りでしたが、会場のグラスゴー、ハンプデン・パークは異様な雰囲気でした。次の78-79シーズン、シャルケvsケルンもほぼ代表選手ばかり。7番目はパウル・ブライトナーがバイエルンに復帰した時です。(74年W杯後、レアル・マドリッド→西ドイツのE・ブラウンシュバイクを経て復帰)試合前にブライトナーと握手してるのはベテラン、ベルント・クルマンです。8番目は2部昇格1年目で奇跡の優勝と呼ばれたブライアン・クラフ率いるノッティンガムです。80年ユーロの決勝はこの大会以外は代表でのプレーを拒絶した20歳のベルント・シュスターが大活躍でした。次の81年FAカップ、イプスウィッチは3年前のメンバー+、今と全然違うマンチェスター・シティはジョー・コリガン、ウィリー・ドナキー、エイサ・ハートフォード、ジョー・ロイル、マイク・シャノン、ブライアン・キッドそして現韓国女子代表監督コリン・ベルがいました。82年のブンデスリーガ、バイエルンvsハンブルクでキャプテンのブライトナーの後ろはGKのワルター・ユングハンスです。40年以上前ですが、脳裏に焼き付いて離れません。(この辺にしときます)
ダイヤモンド・サッカーの岡野俊一郎さんと金子勝彦アナにサッカーの全てを教えてもらいました。
金子勝彦アナ安らかに・・・
合掌
実況の金子さんも亡くなり岡野さんも居ないくなってしまったが貴方達が蒔いてくれた種は育っています。そして次世代へ受け継がれていきます。
ありがとうございました。
土曜の18:00、東京12チャンネル(テレビ東京)で放送されてて毎週見てました。当時サッカーで人気があったのは高校サッカーまでで、実業団の試合がTV中継されてもほとんど観客がいない時代だった。印象に残っている選手は、リパプールのケビン・キーガン、ブンデスリーガのバイエルンミュンヘンでプレーしていたルンメニゲ、1FCケルンに移籍したころの奥寺さんだったなあ。
金子さんの逝去を聞き、ダイヤモンドサッカーのテーマ音楽。金子さんのアナウンスを思い、涙が流れました。
この音楽、アナウンスは胸を掻きむしられます。今のスポーツアナウンサーは金子さんのアナウンスを見習ってほしい。
淡々としてよどみない。美しい日本語です。
今は耳障りばかり、不用な気が効かない無知なコメントは追放してほしい。
メキシコW杯を放映時間がウィークデイの22時頃からの時代に観ていた。
西ドイツのvsイングランド(QF)、vsイタリア(SF)、決勝のブラジルvsイタリアには強烈なインパクトを受けた。
かつてNHKも数年間は土曜午後に必ずFAカップ決勝を放映してくれていた。
波乱のリーズvsサンダーランド(当時2部)とか感涙レベルで懐かしい。
戦後以降の、日本におけるサッカー文化の転機といえば、Jリーグ開幕やワールドカップ出場、女子だとなでしこジャパン優勝もそうだが、海外特に欧州サッカー関係だとダイヤモンドサッカーの影響も結構大きいと思う。
ちなみにこの「ダイヤモンドサッカー」がきっかけもあり三菱グループとサッカーの関わりは深いですね。三菱重工業が母体の「浦和レッズ」もですしサッカー日本代表のスポンサーにはキリン(キリンビール・キリンビバレッジ)が長年関わっていますね。
段々企業のロゴが入るようになり、時代の流れを感じる
私の地方では、土曜日朝に放送していました。ブレーメンの音楽隊のブレーメンというチームが実在することや試合中の観客の歌とか、映像の荒さもあり、遥か遠くの欧州に憧れる小学生でした。
スポンサーが諸橋さんだったから実現した番組。
日本サッカーの恩人。
「サッカーを愛するファンの方々、ご機嫌いかがでしょうか?」の名セリフ、岡野さんとの軽妙な掛け合い。素晴らしい番組でした。お二人で天国から日本サッカーを応援してください。
'70W杯メキシコ大会は一年かけて放送されたが、「夜のヒットスタジオ」の真裏番組で物好きでなければ誰も見ていなかった。肩脱臼を包帯したままプレー続けたベッケンバウワーに仰天した。この時、大半の日本人はW杯を知らなかったと思う。番組の当初は、日曜日朝7時にイングランドリーグを白黒放送していて、これも物好きしか見ていなかった。ボビーチャールトン、ジヨージベストを見てこれまた仰天した。
この頃のサッカー少年たちは大人からの「(日本で)サッカーでは飯は食えないぞ!!」って言う罵声に近い言葉を何度聞いた事か…🥺
ソレでもサッカーを続けて全国大会でベスト8まで行って実業団へサッカーで就職も出来た…
ダイヤモンドサッカーは毎週食い入る様に観てたな~
アルゼンチンvsオランダの決勝の大会を確か…2年連続で放送してなかったかな…🤔
ケンペスのワンタッチで抜け出して倒れ込みながらのシュートを何度真似した事か…
懐かしい✨
最後はヘーゼルの悲劇か
当時サッカーマガジンかダイジェストのどっちかにサッカーの死んだ日と書かれてたな
金子さん有難うございました
テレビ大阪が開局する前は近畿テレビ・サンテレビで、三菱グループ協賛ではなく「ワールドサッカー」という題名で放送していたな。
この番組や、のちに高橋陽一氏が描いた「キャプテン翼」というアニメもTX系で放送されたが、それらが、子供らのあこがれとなり、「ダイヤモンドサッカー世代」がJリーグの草創期を盛り上げたといえるだろう。
理屈を言えば、プロ野球のポストONを育てたのも、今はCSフジ1でしぶとく続く「プロ野球ニュース」が地上波で、佐々木信也氏らが司会を務めた番組を見た子供らの世代も、彼らを見て、甲子園、プロをあこがれたのと同じだな
😔金子さんのご冥福をお祈りいたします😔
懐かしいドラムマジョレット。三菱ダイヤモンドサッカーが無ければ、海外のサッカーなんて見れない時代だったもんねえ。感謝してますよ。
念願のドイツ旅行が叶い、今晩に初めてブンデスリーガ観戦予定の50代前半ミドルです。私の海外サッカーのルーツとなった三菱ダイヤモンドサッカーのオープンニングが聞きたくなり、この投稿にたどり着きました。ドイツサッカーに憧れを持っていたのは、この番組でブンデスリーガ、西ドイツが多く取り上げられていたからだと、今更気づきました。今では海外サッカーに触れる事は日常となっていますが、あらためて昔の日本のサッカー環境をこの投稿で思い出し、今晩に叶う夢のブンデスリーガ観戦を前に涙しました。
イプスウィッチの監督、ちょっとしか映らないけど後のイングランド代表監督ボビー・ロブソンだ。
1回だけ金子アナではなく藤吉アナが担当していたのは初めて知った。
4:44からはまともなオープニングです。
ユベントスVSリヴァプールか。プラティニがサッカーへの情熱を失ったきっかけになったと言われているゲームですね。
フーリガンの小競り合いから起きた死者が出た惨劇。
「ヘーゼルの悲劇」は今も語られる
サッカー界の悲しい出来事の一つですね。
西ドイツ対イタリア、ワールドカップ史上、最高の試合と言われる。
シャルケ04と1FCケルンの試合だったかと思うが、01:42のフィッシャーの美しいジャンピングボレーが忘れられない。
僕がサッカーにのめり込んだきっかけの一つです。
『岡野さん,最近はねアーセナルやリヴァプールでプレーする選手もいてワールドカップでドイツやスペインに勝ったんですよ。昔一緒にやってる頃は奥寺君しかいなかったし、その後は中田君や中村君、本田くん、岡崎君、香川君がヨーロッパの一線級のチームで活躍したのは知ってるでしょうけど今はもう一皮剥けた感じなんですよ。三笘くんなんかイングランドで代表クラスの選手相手に左サイドから抜いてアシストしたり切り込んで自らシュート決めたりしてるんですよ。クラマーさんの教えとかトルシエさんに鍛えてもらったり岡野さんがやってきた事とか,微力ながら僕たちがやってきたことが大きく育ってきているんですよね。僕が生きてるうちはそんなところまでだったんですけどおそらくあと2,30年で本当にワールドカップも取れるかもしれないと言うのが夢のまた夢から少し遠い目標に変わったんですよね。テレビでは下田君とか倉敷君とかその他何人もみんな特徴があって面白い実況するんですよ。僕とか山本君のような局のアナウンサーじゃなくてもうサッカーだけでも食っていけるような時代で、隔世の感がありますよね。あっ,僕はまだ挨拶しなきゃいけない人もいるんでお暇しますけど,今度ゆっくり岡野さんがこっちにきてから後の話をたくさんしますよ。それではまた』
日本サッカーの原点‼️‼️
ありがとう‼️
三菱ダイヤモンドサッカー‼️
テレ東のオープニングテーマは途中で違う曲に変わった記憶があるんだけど
ダイヤモンドサッカーだけは初期のテーマ曲を続けて使ってたのね
金子勝彦さんのご冥福をお祈り致します
日本のサッカーが地味過ぎた時代。
サポーターがケセラセラ歌ってましたね。最近は聞きませんが。
ありがとうございました。ケルンとバイエルン・ミュンヘンの4対2で対戦したいです