難病難民画家にインタビュー

แชร์
ฝัง
  • เผยแพร่เมื่อ 4 ก.พ. 2025

ความคิดเห็น • 2

  • @仁市
    @仁市 3 ปีที่แล้ว +1

    いまから5年2ケ月前、司法書士をしていた私は、ある不動産会社へ不動産取引に立会い、所有権移転登記の依頼を受けたため車で出掛けました。30分も早く着いたので駐車場で車を止め、座席を倒して寝ることにしました。時間が10分前になったので起きようとしました。すると「あれ‼️体が動かない‼️」これがすべての始まりです。其の時は無茶苦茶努力して起き上がり仕事を済ませ事務所へ車でかえりつきました。以後2日間は普通に仕事。3日後、土地家屋調査士もしていた関係で神戸市灘区の新築住宅を調査し、阪急電車の王子公園駅まで歩き、須磨の事務所まで帰り着きました。その夜、また体が動かなくなりました。「脳梗塞」と判断した死ぬと思い私は兄弟友人にメールを送り、今までお世話になった謝礼を伝え、寝ていた2階から1階に下り妻に救急車を頼みました。遠くに救急車のサイレンを聞きながら待ってました。何か風呂敷のようなものに包まれたのを最後に記憶が無くなりました。以後神大病院で気管切開を受けたらしいのです。あとは「せんもう」に襲われ夢と現実の境目が分からなくなりました。妻や娘、孫までが雪の降るお世話に屋外に閉め出され凍えそうになるせんもうに襲われ、私が病院の9階からから飛び降りたら人が気づくと思い窓から飛ぼうとしましたが体が動かず跳べませんでした。その時、不思議とこう考えました。「妻や娘、孫の為今死んでもよいか?」。考えた末「命は惜しくはない」と思いました。全部妄想でしたが。2月後、明石のリハビリ病院に転院しました。寝台車が1万円かかる、と妻がぼやいているのを覚えています。神大病院での思いでは、4人部屋の向かいのベッドに後から入院してきたおやじが入院して1週間目くらいの夜中に突然暴れまわり、1分ぐらい苦しんで動かなくなりました。プシュープシューという音が何回もした後、キューという音がしました。マンガでも人間がのびた時、キュ~と言いますね。あの通りでした。しかし人間死ぬときの苦しさはは1、2分だけでだと分かりました。案じる事はない。明石のリハビリテーション病院でも4人部屋でした。2人がパーキンソン、1人が手術の失敗、1人がギランバレーの私です。神大法学部とか明大法学部卒で関西大学法学部卒の私は話のレベルが「負けそう」でした。しかしパーキンソンの2人は亡くなりました。退院後同室だった人から相続放棄手続きを依頼され、無事に済ませました。この入院は5月間でした。退院するや大好きな仕事に直ちに取り掛かり退院後2年過ぎた頃、胆管癌といわれ、14時間の手術で胆嚢、胆管、12指腸を全部、膵臓を半分摘出しました。また昨年は膀胱癌2回手術をし、前立腺癌の放射線治療「ガンマーナイフ」を5回照射を受けて、無事80歳を迎えました。膀胱癌の手術の後、膀胱に結核菌を5回注入されましたが熱がでて苦しい思いをしました。いま身体は動きにくいですが一日も休まず司法書士業に専心しています。仕事こそ生き甲斐‼️ホモルーデンス(仕事中毒)と言われても‼️男は畳の上で死ぬべきではない。男は戦場(職場)で倒れてこそ先祖に対して顔向けが出来るのだ。この5年のうちに2回死に損ねた。私は仕事を通して自己を実現するのだ。姫路東高校の校歌にあったように「造りあげなん国の基(もとい)を、磨きあげなん人の誠を」目指すのだ。まだ行く末遥かなり‼️

    • @gbsjpn
      @gbsjpn  9 หลายเดือนก่อน

      このような試練の連続を乗り越え、今なお仕事に情熱を注いでいらっしゃる貴方の強さと決意には、深い敬意を表します。身体が思うように動かない苦しみ、そしてそれにも負けずに日々を前向きに過ごす姿勢は、多くの人にとって大きな励みとなることでしょう。また、司法書士としての仕事を通じて社会に貢献し続けることは、まさに「人の誠を磨きあげる」行為ですね。これからもその不屈の精神で、多くの困難を乗り越えていただけることを心から願っています。いつも支えてくれるご家族と共に、これからも充実した日々をお過ごしください。